2019年2月 2日 (土)

競輪狂の小川敏市長が、子供達の未来を殺す

 大垣市制100周年記念行事リストで、「市制100周年特別競輪」がリストアップされているのを発見して、驚嘆した。

 近畿地方では、60年まえから、公営ギャンブル場、競輪が廃止され続けているが、大垣市は、世間から半世紀以上も遅れた鎖国状態、治外法権社会(違い惚けん社会)である。

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    大垣市のHPより

 

なぜ、血税を公営ギャンブルに

 なぜ競輪のギャンブルに、大垣市制100周年記念行事として税金を使うのか。それが大垣市制100年に、また次の100年に対して、どういう価値を生むのか。公営ギャンブルに血税を使うのは恥さらしである。大垣の未来を背負う子供たちに、どういう説明をすればよいのか。あさましいドク饅頭共食い競争や、嘘っぱちだらけの朝鮮使節行列行事、TDL宣伝だけのミッキーマウスの行進行事等をみれば、小川敏市長は狂っているとしか言いようがない。それが市民のためというなら、子供たちに競輪場に行くことを学校の課外授業として推薦して、ギャンブル漬けにすればよい。スマホゲームをすると同じである。スマホゲームも課金をされて金がかかるのだ。スマホゲームより、大垣競輪なら財テクとして儲かると狂育すればよい。

 

「学問の大垣」を小川敏市長が消滅させた

 学問では東の岩村と言われた岩村は、現代でも小学校生が論語と言志四録を勉強し、西の学問の都と言われた大垣では、子供に競輪と浅ましい毒饅頭の食い合いを教えられて、世間の笑いものである。小川敏市長の汚名が全国にとどろいて、市長は大満足であろう。

 

狂育委員怪の跋扈

 大垣市の文化の大功労者の河村義子先生の告別式で、650人の参列者の目の前で、最前列の来賓席から集団で途中退席するような恥知らずの大垣教育長や文化関係のトップを、大垣市長は任命した。部下はトップの後姿を見て行動する。不徳の小川市長と大垣教育委員会に相応しい迷走との声である。大勢の子供たちが、大垣教育長が途中退席するのを軽蔑の眼差しで眺めていた。

 

大垣競輪は赤字

 大垣競輪は大赤字である。市民税で補填している。何故、日頃、節約、節約と口癖の小川敏市長は、赤字を放置するのか。岐阜市も他とも公営ギャンブルを廃止したではないか。裏金でも貰っているのか。何故、市議会は追及しないのか。

 

大垣競輪場行きのバスは大赤字(大垣市の運営)

 何故、大垣市運営の大垣競輪場までのバスを運営するのか。昔は大勢乗っていたが、現在は1名か数人しか乗っていない。それでも大垣市民税でバスが運営されている。何故、議員の誰も追求しないのか。

 

東地区は万引き生徒の検挙率がダントツ

 大垣競輪場の周りの地区は競輪関係で食っている人が多く住んでいる。そのせいで、大垣競輪場がある東地区の中学、高校の不良生徒の検挙率が一番高い。万引きで検挙される生徒もダントツである。その地区に大垣競輪場があるのが最大の原因である。教育上で最悪の環境である。それを小川敏市長は放置している。

 

何故、マスゴミは問題提起しないのか。

 本件は、岐阜新聞も中日新聞も全く記事にしない。お抱え新聞の面目躍進である。小川敏市長の覚えが良いはずだ。

 

資料【競輪の社会的状況】

 以下、Wikipedia(2019年2月2日版) より引用・編集

 

財政難と廃止

 本来賭博罪に該当する公営ギャンブルが特別法の規定によって存在を許されている理由は、国や地方自治体への財政的貢献である。しかし、公営ギャンブルの売上額は1991年をピークに減少を続け、多くの公営ギャンブル場が赤字で財政貢献ができないため、違法の状態にあると指摘されている。大垣競輪も赤字であるから、違法である。

 

放漫経営

 公営競技の運営関係者たちは客商売の自覚や経営努力に欠けており、自動券売機やネットによる投票の導入後で窓口販売員が不要になっても、販売員を解雇しない(できない)など、放漫経営で経営難に拍車をかけている。また、競輪や競艇の選手は実力下位であっても一般的なサラリーマンよりも高額の収入を得ているといわれている。

 収益悪化を理由に公営競技事業から撤退した自治体や、撤退を検討中の自治体が増加している。大垣市は、その気配さえない。

 

公営ギャンブルの売上推移

 1992年の公営競技の売上高は過去最高額の8兆9320億円を記録した。2005年は5兆2440億円、2006年は5兆1330億円、2007年は5兆0973億円、2008年は4兆9628億円と16年連続で減少し続けている。

 このうち、中央競馬の売上はピーク時の69%であるが、他競技の売上はすべてピーク時の50%以下にまで減少している。オートレース(31%)、地方競馬(39%)、競輪(42%)、競艇(45%)、の順に減少が激しい[12]。

 

現時点で、公営ギャンブル場が存在しない県

 宮城県(仙台市、石巻市に競馬場があった)

 秋田県(秋田、大館に競馬場があった)

 山形県(米沢市、上山市に競馬場があった)

 山梨県(現在の甲斐市、山中湖村に競馬場があった)

 長野県(現在の安曇野市、諏訪市に競馬場が、松本市に松本競輪場があった)

 鳥取県(米子市に競馬場があった)

 島根県(益田競馬場、松江市に松江競輪場があった)

 宮崎県(都城、宮崎競馬場があった)

 鹿児島県(鹿児島市と鹿屋市に競馬場があった)

 沖縄県

 

相次ぐ競輪場の廃止

 近畿地区で競輪場の廃止が相次いだ。まず1958年(昭和33年)、京都市営競輪場が市議会の賛成多数により廃止を決定。

 さらに当時の兵庫県知事・阪本勝も兵庫県営ギャンブルの廃止を表明したことから、1960年(昭和35年)12月に神戸競輪場が、1961年(昭和36年)3月に明石競輪場がそれぞれ廃止された。

 大阪市営中央競輪場も、1959年(昭和34年)に大阪競馬場が廃止されたことを踏まえ都市公園として整備する方針で、大阪市長中井光次は1962年(昭和37年)3月をもって廃止を決定した。

 大阪住之江競輪場も1964年(昭和39年)に休止(事実上の廃止)となり、大阪市内に存在した2つの競輪場が消滅した。

 近畿地区以外にも政治的な理由による廃止が相次ぎ、札幌競輪場(1960年開催廃止)・福岡競輪場(1962年廃止)・会津競輪場(1963年休止)・長崎競輪場(1966年開催廃止)がそれぞれ姿を消した。

 

2019-02-02

久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

河村義子先生の航跡、ピアノが奏でる人生

ピアノの原理

 ピアノはハンマーでピアノ線の弦を叩くことで音を創る。大きく叩けば大きな音が生まれ、小さく叩けば小さく鳴る。弦が叩かれて共鳴板に響いた大きな音も、何時かは闇夜のしじまに消える。大きなエネルギーを持って生まれた音も、何時かは無の空間に引き戻される。音楽として連続した音を出すには、ハンマーで弦を叩き続けなければ、音は静寂の中に消えてゆく。叩いて音を出し続けてこそ、ピアノは音楽を奏でることができる。

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   ヤマハCFX

人が奏でる音楽

 人として生を受けても、いつかは死の世界に引き戻される。生まれた以上は、世を響かせる音を出すことだ。人間として世の中に問いを発し続けてこそ、生きている証である。その問いが消えたとき、静寂な死の世界が広がる。

 世の中に響かない活動は、死の演奏である。動いて、話して、書いて、モノを生み出してこそ、世に問う音が響く。世の中という共鳴板に共鳴してこそ価値がある。己の力で鳴らない隣の弦を共鳴させてこそ生きている証である。ベーゼンドルファーのピアノにあるプラス9本の弦は、弾かれず鳴りはしないが共鳴して音に芳穠さを与える。自分の弦を鳴らしても、単弦が鳴るだけでは、音は死の闇に吸い込まれる。デッドの劇場では成果が闇に吸い込まれる。場と付き合う人を変えて、ライブの世界に身を転じてこそ仕事をする価値が生まれる。出した音に共鳴してくれる聴衆があっての人生である。

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 サマランカホール(岐阜市)

音を作る

 ハンマーは自分、弦は仕事、社会である。ピアノのフレームは自分の体である。まず自分の体がしっかりしていないと良い音は出せない。

 同じ鍵盤を弾いても、ハンマーが叩いて出す音は同じではない。叩く速度や加速度が違えば音も変わる。だから何千回、何万回と弾き込まないと納得できる音は完成しない。練習の励むのは技量を身につけるためだけではない。人間としての変容を目指すのだ。人間が変容してこそ、出す音が変わる。自分の修行(練習)量によって出る音に差があることが分かるには、鍛錬という修行をつんだ後である。職人として同じ製品を作るにしても、名人と呼ばれる人は、日々向上を目指しており、その作品に違いが生まれる。同じ鍵盤を叩いても、回りの状況や指に込める思いの差により、出てくる音は輝きもするし、悲しみを漂わせる音色ともなる。音は回りで自分を支える聴衆とのハーモニーなのだ。

 

 私はいくら指が動いても音に輝きがなかったらピアノ本来の持っている良さは出ないと思うんです。確かに指が動くことも大事ですが、良い音色を出せるか否かは、自分の耳が納得するまでその音を何千回、何万回と繰り返すことでしょうか。(ピアニスト 川上ミネ)  『致知 2014-2 p76』

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  河村先生の弾く手  2015年1月23日

人生交響曲

 人生のご縁が並ぶ鍵盤の前で、どのキーを弾くかは自由である。自分と言うハンマーで、ご縁を叩いた結果が自分の命の響きなのだ。「命」とは、「人」を棒(「―」)で「叩」くと書く。人の人格では、ご縁(仕事・人・事件)の叩き方が問われる。一音一音を叮嚀に慎重に心を込めて叩きたいと思う。

 自分が生きた証を音の余韻として、どれだけ永く世に残せるかが、生き様として問われる。人生舞台の幕が開き、自分の仕事(演奏)が人生ホールに響き渡る。幕が開く前の血の滲む訓練が、問われる瞬間である。自分が鍵盤を叩いた練習量に比例して、その音は遠くにまで響いていく。そのエンディングで、どんな曲を奏でるのかを考えたい。死に様まで考えた編曲・演奏をして、人生劇場を飾りたいと思う。幕は下りても演奏の余韻は残る。心地よい余韻を残して人生舞台を去りたいと思う。

 

航跡

 「かすみの会」を運営し、「カナデノワ コンクール」や多くの演奏会を主催し、多くの後進を育てた河村義子先生は、何時までも多くに人の心の中に残る美しい航跡を残してくれた。航跡(wake(behind a sailing ship)とは、船が残す波の跡である。船が行ってしまっても、その航跡が長く続くほど、その方の偉大さがわかる。感謝。

 『師天王が詠う老計・死計』p198より

2019-02-02 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年2月 1日 (金)

第二の人生は自力で飛ぶ

 定年後の第二の人生は大型ジェット旅客機に搭乗ではなく、人力飛行機を飛ばすつもりで旅立ちたい。人力自力と思っていても、その陰で多くの人の援助があって離陸できる。大企業の会社勤めは、定期航路の大型旅客機に乗っていたと同じ。大過なく乗っていれば定年まで目的地まで運んでくれる。定年後の第二の人生は、自力で自由に空を飛びたい。そのための準備や体力維持には人知れぬ精進が必要である。第二の人生の出発時には、健康状態、体力、天候(経済状況)を入念に点検したい。人力飛行機は、漕ぐのを止めれば墜落である。日々、なすべきこともなく無為に過ごせば、認知症や堕落へまっしぐらで地獄に墜落である。死ぬまで継続してペダルを漕いで、現役で「彼岸」に達したい。

 

人力飛行機

 2004年頃、人力飛行機「極楽とんぼ」で日本記録を達成した鈴木正人さん(ヤマハ発動機)とご縁ができて、自動車技術会支部報の記事のため取材をした。その後、彼の開発の取り組み姿勢にほれ込み、一時期、テスト飛行の追っかけをしたことがある。人知れぬ20余年間のチームとしての精進を見て、人力飛行機に人生を感じた。

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 上図: ついに琵琶湖の「彼岸」に到達(1998年)

 出典:『航空情報』 1998年11月号

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「極楽とんぼ」のテスト飛行風景

入念な飛行前チェックをする鈴木正人さん

飛騨エアパークで 2004年5月29日

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入念な体力調整中のエンジン役、中山さん

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自力とは言え、回りの仲間の協力があって飛ぶ立てる

                     (2015年記)『吾が人生の師天王』p219より

2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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ポンコツ飛行機整備中

 60余年間も体をこき使えば、あちこちに不具合が出て来るのも当然である。徹夜、長時間残業、暴飲暴食、不節制、上下からのストレス等を37年間も続けてきた。そうしないと宮仕えは出来ない。若い時なら耐えられたが、何時までも青年と同じ体力、健康であるわけが無い。エンジンのピストンは磨耗し、シールは劣化し、エンジンオイルも汚れてきた。コンピュータの記憶媒体も欠損が出てきた。機体のあちこちに綻びも出てきた。エンジン出力も半減である。きちんと整備、点検が必要なのは飛行機の整備に限らない。

 

生老病死

 どんなモノでも生老病死である。整備を怠れば、ある日突然エンジン停止で考える間もなく墜落である。人間ドックに行って検査をし、必要なら各部の精密検査も行って、悪いところが見つかれば心の準備も出来る。ポンコツになっても、大事に使えば、昔のように速くも遠くまでも飛べないが、行き先を選別すれば、そこそこには飛べる。悪い箇所を治療しながら飛び続けたいと思う。これから世の中に何が貢献できるかを問いながら生きていきたい。

 

精進せよ

 生きていくのではない。佛様によって生かされている。この世に用のあるうちは、佛様も自分を生かしてくれる。まだまだご恩ご縁の借金が返せていない。佛様も借金を返す意思のある人は、生かしてくれる。銀行だって多額負債者は殺さない。借りた方が強いのだ。胸を張ってご縁の借金をして社会にご恩返しをすればよい。朝起きてまだ息をしていれば、やるべきことは、まだ沢山あるという佛様からの啓示である。

 お釈迦様の弟子たちへの最期の言葉は、「精進せよ」である。人間は死ぬまでが修行なのだ。

 

悪魔の囁き

 若い時には、自分が身を置く製造業の給与と比較して銀行員の給与の高さに羨望の眼差しを向けた記憶がある。2015年2月24日、某都市銀行の支店長以上のOB会事務局長と話す機会があった。彼の話では、そのOB会の平均寿命が69歳であるという。日本男性の平均寿命より10年も短いのに衝撃である。

 銀行の管理職はストレスの多い職業である。銀行マンの生きがいとは何かを人ごとながら考えてしまった。就職時に収入面だけで職業を選ぶと、その落としまえを45年後に払わされる。給与が高いとは、給与が高い分、己の寿命を10年分悪魔に売っているのだ。佛様は命を金で売ったことを閻魔帳に記録をしている。給与が高いのが幸せなのか、何が幸せなのかを考えたい。

 地道な精進をして長寿こそが、人生の宝である。子供にとって、親の早死にほど、子孝行に反する行為はない。自分の長生きこそ子孫の宝である。

   (2015年記)『吾が人生の師天王』p218より

2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月31日 (木)

般若心経とは

 般若心経とは、玄奘三蔵が万巻の経を集大成して276文字にまとめた経である。いわば人が生きていくためのエッセンスの言葉である。万巻の経典のトピックセンテンスを集めたと言える。玄奘三蔵が629年に国禁を犯してまでして陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って、16年後の645年に経典657部や仏像などを持って帰還した。その苦難苦行で獲得した真理が般若心経に詰まっている。

 

苦集滅道とはPDCA

 般若心経の中央にかかれた真髄の言葉が「苦集滅道」である。この世に「苦」があるが、それは苦しい思いをして母のお腹の中からこの世に生まれてきたからである。楽をして物事は生まれない。そして生きている間に、いつしか「苦」の因を「集」めてしまう。それを「滅」しようと、神社のお札を貼り、お布施をしたり、祈願しても「滅」しはしない。それではショートカットである。人生でやるべき修行は放棄すべきでない。

 今まで安易な生活で、その「苦」の原因を「集」めてきたのなら、それを無くすには、正しい道(正八道)の修行をして、人が人になる訓練をすべきである。

 苦が起きた原因を明確にしない限り、それが一時的に対処療法で解決しても、また再発する。人生で「苦」が起きるのは世の定めである。それは問題ではない。問題は、それの真因を突き止め、再発防止ができるかどうかである。そのためにトヨタ生産方式の「なぜ何故を5回繰り返せ」を実践すべきなのだ。

 病気になる、火事に出会う、交通事故に逢う、すべてそれが起きた真因がある。それを明確にせずに、対処療法ですませるから、また不幸にであう。その真因を突き止め、それの再発防止をするのが、「道」である。その正しい道を歩む人は少ない。それは狭き道なのだ。

 道を外れた人に教えを与えるには、「時間」を選び、「時(季節)」を選び、「国(場所))を選び、「順序」を選び指導せねばなるまい。

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2019-01-31 久志能幾研究所 小田泰仙

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河村義子先生の命、人生の大事を急げ

磨墨知14.

 あなたの人生の目的は何?

 人生で何に命を捧げるか?

 されば一生のうち、むねをあらましきから事の中に、いずれかまさるともよく思い比べて、第一の事を案じ定めて、其の外は思いすてて一事にはげむべし。(徒然草188段-3)

 歌やゴルフ、麻雀が下手で負けてもいいではないか。そんなことに強くなるために時間をかけて時間を無駄にするよりも、自分の人生目的の達成に力を入れよ。

 

釣りの趣味は、人間の驕り

 その人生で大事な時間を、釣りやゲームにうつつを抜かしていいのか。天が与えた自然界の大事な命を己の痴呆的な遊びの道具に使って良いのか。その命も、生きたいという生存本能がある。それを己の遊びのために、いのちを持てあそび、命を殺すのは、霊長類の頂点の人として生まれて、恥ずかしい趣味だと思う。私は、釣りの趣味の人を軽蔑する。釣りバカ、である。私はそんな人とは付き合わない。

 いくらゲームとは言えは、人を殺す戦争ゲームや、格闘のゲームに興じていいのか。ゲームの後で何が残るのか。ゲームに負けてリセットすればすむ世界に狂ずれば、凄惨な人殺しも平気な人間が出来上がる。ゲームに興じている人の顔は、弛緩している。

 

河村義子先生の命

 河村義子先生の棺に横たわった死に顔は美しかったが、決して安らかではなかった。もっと生きたい、もっと音楽で皆さんに貢献したいという無念さが出ていた。

 「美しい死に顔ではあったが、安からなお顔ではなかった。もっと生きたい、という思いがお顔に現れていた」と義子先生の死に顔を見られた40年来の付き合いの知人のピアノの先生は涙ぐんでおられた。その方は悲しみで体調を崩して1週間ほど入院をされたとか。河村先生が亡くなられて1か月も経つのに、今日、偶然、通りすがりに出会ったら、そう言って涙ぐまれた。

 河村義子先生は生前、きっと「何故私だけが? 人生は理不尽だ」という思いがあったはず。先生は、さぞ無念であったと思う。それでも誰にもそれを告げず、5年間を音楽活動と後進の育成に命をかけて全力をつくされた。だから2018年8月に病状が悪化して、愛知県がんセンターに入院された時は、落ち込んで、誰も見舞いに来てほしくなかったという。私にも「珍しい病気ですが、がんでありません。名古屋の病院に入ります」とメールが来て、どの病院かは教えてくれなかった。推測はついたが、あえて聞けなかった。また男性の私が女性の病室は見舞いに行きづらい。2018年12月16日に緩和病院に入院されてから、最後の最期になって、さすがにそれではまずいと思われて、関係者だけにお別れをされたという。私も「近くを通ったら寄ってください」と誘われたが、愚かな私は、その緊迫度に気が付かなかった。

 人の死は必然である。なおかつ人生は理不尽なのだ。河村義子先生は、最後の5年の命を、人の何倍も活動して命を輝かせた。自分も何時かは死ぬ前提で、理不尽な人生を乗り越えて、人生の大事を急ぎたい。

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2019-01-31 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月30日 (水)

写経とのご縁

 2012年夏、恵峰先生が写経書を明徳塾で紹介された。先生のお弟子さんが仏壇のご先祖に供えるため依頼された写経書の写しである。私も自宅仏壇に供えるには良いなと思って手を出そうとしたら、それを手にして見ていたT代表が、その写経書を抱えたまま手放さなかった。明徳塾運営上の職権乱用ではないかと思ったが、口先の佛が鬼になる事例を見ることもよき勉強ではある。ああしてはいけないと教えてくれている。T代表はさすが教育関係会社の代表である。

 欲しいと決断しても、入手が出来ないときもある。それが人生である。それでも、ずっと思っていれば、何時かは何とかなるものと最近は達観できるようになった。これも歳の功かなと思う。

 恵峰先生に話したら別に書いて上げるとの事で、後日、手に入れることができた。

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写経の撮影

 その後、恵峰先生より中国で先生の書を出版するので、先生の書かれた軸の写真を撮って欲しいとのお話があり喜んでお受けした。丸順の今川順夫最高顧問からの写真集作成のご依頼のご縁も重なり、構えてカメラを新調した。当時、CCDがフルサイズの一眼レフのCANON 5DⅢで最高級品である。それを買えるのもご縁である。そうでないとこのカメラは買う気にもならなかった。なにせデカイし重たいし高価だし、持ち歩くには構えてしまう代物である。

 2014年12月10日、恵峰先生宅で約60本の経軸の写真撮影をした。福田琢磨氏に手伝って頂き、約6時間をかけて撮影をした。今回は構えて行ったので、不思議と失敗の写真は一枚も無かったのに驚いた。やはり高いものにはワケがある。それが後年の『馬場恵峰書 報恩道書写行集』の出版につながった。

 

絹本への写経

 次頁の軸は、馬場恵峰先生が書かかれた写経軸60本中でも圧巻の軸である。下地は絹のため、ゆっくり書いては墨が滲んでしまう。一定の速度で心を整えて書かなければならない。梵字もヘラのような筆で書くという。

 写経は一日に1行で良いからその意味を考えながら、書くと良いと恵峰先生は説かれる。写経とは人生を考えること。心静かに自分を見つめること。またそれがご先祖への一番の供養になるという。恵峰先生は今までに15,000字の経を書かれた。

 それを教えてもらったご縁で、2015年に自家のお墓を改建したおり、110枚ほどの為写経を毎朝、斎戒沐浴して書き上げ、お墓の納骨室に収めた。良き供養ができたと思う。

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2019-01-30 久志能幾研究所 小田泰仙

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死刑台へのエスカレータから降りよう

 私は健康管理の点で、エスカレータは使わない。それを1回使えば、その分、歩く機会が減り、寿命が1分短くなると私は信じて行動している。つまりエスカレータを使うと、死刑台への階段が自動で送られてしまう。その分、早く昇天である。あるいは、それは地獄への下りエスカレータかもしれない。

 せめて死ぬ時くらい自分の足で歩いていきたい。人は全員が死刑台のエスカレータに乗っている。せめて、そのエスカレータから降りて、自分の足で歩き、体力をつけて、1分でもご先祖から預かった体の寿命を延ばしたい。自然界の原則では、使わない器官は退化する、である。

 できれば、下りエスカレータを全力で駆け上がる元気が欲しい。

 

2019-01-30 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月29日 (火)

見聞触智新気開道

 2019年1月16日に、馬場恵峰先生宅を訪問したら、教室の前面に軸の「見聞触智新気開道」が掲示されていた。聞けば、これが恵峰先生の今年の抱負だという。

 意味は「見聞をして智に触れ、気を新たにして、道を開く」。

 やはりじっとしていては駄目。動いて見聞を広めるべき。そうすれば知恵を獲得できる。いつまでもめげていては駄目。気を新たに行動すれば、道が開けるのだ。不幸に落ち込んでいたが、先生宅でこの書を見て励まされた。

 帰りにお土産として、此の軸を恵峰先生より進呈された。感謝。

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2019-01-28 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月28日 (月)

河村義子先生宅へタイムスリップ

 2019年1月26日、河村義子先生の親友のAさんからお誘いがあり、河村先生宅の仏前にお参りに行ってきた。当日はドイツ滞在中の知人が、来日してAさんと同行される予定であったが、その方のご主人が来日直前に病気で倒れられて、来られなくなってしまった。その方は、告別式に出られなかったので、今回のお参りを予定されていたが、残念であった。それでAさんと一緒に霊前にお参りして、ご子息と3人で生前のお話しに花を咲かせた。

 ドイツからでもお参りに来ようとする友人がおられるのは、河村先生の人徳であろう。在りし日の義子先生の話をして過ごすのも先生への供養である。

 

人の死

 人は3度死ぬ。一度目は、その人の肉体的な死。2度目は、その人を知っている人が亡くなる時。3度目は、その人の記憶が此の世から無くなる時。義子先生はまだ友人、門下生の間では思い出として生きている。

 人は死を避けることはできないが、死に方は選択できる。義子先生は、見習うべき死に方を教えてくれた。

 

義子先生関係のビデオ

 その時、撮りためた河村義子先生関係の演奏会のビデオ記録を、25GのBRディスク8枚にまとめて、ご子息に進呈した。今、遺族の方にビデオデータを渡しておかないと、データが散逸してしまう恐れがあるからだ。私も明日が分からない。そのダビング中に、私自身が忘れていた義子先生のピアノ演奏のための指の体操の模様、レッスン室でピアノを弾く手だけを録画したデータを再発見した。よき記録を取っておいたと想い出を新たにした。公式の演奏会時の録画記録以外に、リハーサル中のビデオも撮影してあり、そのため25GのBRディスク8枚という膨大のデータとなった。

Photo   義子先生の指の運動(ビデオのワンシーン) 

Photo_2   義子先生の指運びの模範演奏(ビデオのワンシーン)  2015年06月26日

レッスンの録音データ

 そのほかに、私のピアノレッスン中の録音も、未整理で残っている。録音には河村先生の叱咤激励、褒め殺しの声もあり、懐かしさで一杯である。ぼちぼち整理して河村先生の指導を思い出す予定ある。その河村先生の指導内容を文書の形で残したいと思う。

 

残すべきもの

 先にご遺族にお渡しした写真データは、25GのBRディスク3枚で、約8000枚の写真データである。ご子息の仕事が音楽関係でないので少し残念である。将来、ご子息のお子さんがこのビデオや写真を見てくれるだろうと思う。そういう記録がビデオや写真データのBRディスクで残せる時代は素晴らしいと思う。

 ご子息は英語の先生なので、私がミシガン大学で学んだテクニカルライティングの講義記録の著書3冊(総頁で約400頁の製本版)を進呈した。以前から私のミシガン大学の記録を誰かに渡したいと思っていた。私もいつまでも生きているわけではない。河村義子先生のご父君は、私の中学時代の英語の先生であった。父君の内藤信吾先生にご恩返しができたようだ。

 馬場恵峰先生もこの4月で93歳である。その記録についても後に残すべきデータに関して、河村先生の訃報を啓示として関係者と協議をした。私が保管するデータは膨大である。恵峰先生のお孫さんが後日、その資料をひも解くようにしようと段取り中である。人間の明日の運命は分からない。

 

ピアノレッスン室

 その後、懐かしいピアノレッスン室の写真を撮らせてもらった。半年ぶりである。愛犬のグレースもそこに付いてきて、ピアノの横に鎮座して私を眺めていた。グレースは、レッスン中には、ピアノの横の檻の中でカーテンを下ろしていつも静かにしていた。よく躾がされていておとなしく賢い犬である。最近は私が行くと、寄ってきて歓迎してくれる。

 半年ぶりのピアノ室で、当時のままに置かれている。懐かしさいっぱいでタイムスリプしたような気持であった。

P1060881 ピアノレッスン室(当時のまま)

P1060882    義子先生の愛犬 グレース

 その後、昼食として河村先生とAさんが行きつけであった寿し処「あおきや」(安八町 電話0584-64-7277)に3人で行って、穴子丼を賞味した。穴子丼は河村先生が好物のメニューだったとか。3人でしばし河村先生の想い出話しに花がさいた。よき供養が出来たと感謝である。

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2019-01-28 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。