2019年11月14日 (木)

人生駆け込み乗車は禁止。何を死に急ぐ?

今日という日は、残り人生の最初の日

   チャールズ・デイトリッヒ

 

 人生の目的地は死である。一日一日、残り人生は少なくって行く。どんなにあがいても、人生120年である。それを意識しないから、準備が疎かになって、人生が無為に過ぎていく。金を稼ぐのが目的の人生に没頭するから、人生の目的が何であるかに思い至らず、金の奴隷人生で終わっていく。会社の仕事がないと、日々、生きていけなくなる体となる。それは人間の人生ではない。

人生では、時間は十分にあるのだ。しかしその準備をしていないから、土壇場になって慌てるから、人生の駆け込み乗車となる。そんなに慌てて三途の川の渡し船に乗らなくてもよい。

 己は何のために生を受けたのか。それを考えていないから、日々の雑用に追われるだけの人生となる。金儲けに走って、いつしか本来の人としての生きる目的も果たさず、究極の目的地である死に着いてしまう。

人は時間なぞ、幾らでもあると思い、今日が最期の日かもしれないとは思わない人が大多数である。

 

駆け込み乗車が出来ない体

 私は、大病をして体力がなくなり、駅で走って電車に駆け込む技が使えなくなった。つくづくと老いと病後の体力の減少を痛感している。

 しかし電車に乗るのにしても、準備をして余裕をもっていくと、待つ間に買い物ができ、目的地に行く過程を考えることが出来る。余裕で特急電車に乗ることもできる。

私は大病をして、人生駆け込み乗車の愚を悟った。それよりも人生の特急電車にのって、無駄な雑務と無縁の人生を考えたい。慌てれば、人生の三途の川を渡るための電車が満員電車になって、座れない。それでは、辛かろう。日々の生活の追われては、人生はおしまいである。人生の駆け込み乗車では、本来の夢の実現は、叶わない。

人生でも、ゆっくりと人生の目的を見極め、余裕をもってご縁の電車にのればよい。目的地(死)は同じである。何をそんなに急いで、目的地に行くのか。人生時間はいつも赤字である。人生は、その赤字幅をいかに小さくするかである。

 

2019-11-14  久志能幾研究所通信 No.1398  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月13日 (水)

私の病気への対処方針

 事故、争い、人生問題でも、対処方法は同じである。この方法は、基本原則さえ守れば、どんな事象にも対応できる。

 

基本原則

 自然の理に従う(宇宙根源の理に逆らわない)

 良心に従う。神仏を敬う

 利己より利他を優先する

 自然と共生(ともいき)(分を守り小欲小食)

 何故なぜを繰り返し、病気の真因を探る

  対処療法ではダメ、根本療法を探す

  そのためには日本全国を走り回ってでも名医を探す

 死んでもいいが、健康第一で選択

  生死は佛の管轄、健康は己の責任

 

宇宙根源の理

 薬は基本的に毒である。飲まないことに越したことはない。飲んでも一時的な応急処置として飲むだけだ。

 抗がん剤は、宇宙根源の法則に反している。放射線治療、化学治療は、宇宙根源の法則に反している。昔は癌もなく、抗がん剤もなかった。

 サプリメントも人工加工食品である。自然の理に反している。昔の人はサプリメントなど飲まなかった。私はガン予防で医師の推薦のサプリメントを飲んで肝臓をやられた。それ以来、サプリメントは止めた。今は、薬を全く飲んでいない。

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対処療法でなく根本療法を

私の高血圧治療、ガン治療

 大垣に転居して、高血圧治療で、W医院を訪ねたら、「血圧が高いようだから、もう一種類の降圧剤を出しましょう」と医師が言うので、即、その病院に行くのを止めた。私は減量して、必死に降圧剤の薬を止めようと努力していたところであった。高血圧の原因を探し回り、最後は、久留米市の真島消化器クリニックに行って、真因を探り当て、高血圧を治した。薬は、食事療養であった。

 私の目の病気の対応も、福山市の三好輝行先生を訪ねて、治療をして頂いた。その紹介で、名古屋市立大学病院の超一流の先生から治療を受けた。

 今回、ガン治療、予防でも、愛知県がんセンターで治療、また南雲クリニックで南雲先生の癌予防指導を受けている。

 

医師も分からない

 がん治療はいまだに「やってみないとわからない」という側面が強い。実際、医者自身ががんで倒れているのですよ。医療者ですら自分の体のなかでがんが育っていることに気がつかないし、治療に失敗することがある。これが現実です。

「医師が患者の期待に75%しか応えられないわけ」『プレジデント2017.1.2号』より

 

医療費の異常

 平成30年度の日本政府の予算は、税収60兆円、医療費42兆円である。それでは、自然の理に反していないか。まるで年収600万円の人が、病院に420万円を支払うようだ。

 医師は病気に対して処置はするが、治療はしない。食事療法で、薬を出さない治療では、病院は儲からない。だから薬漬けにする。その挙句に、日本の医療費総額が42兆円である。それも年々増加している。40年前は、10兆円であった。医療費が4倍に増えて、患者も4倍になった。何かおかしい。自然の理に反している。

 自分の身は自分で守れ。自分の体を医師任せにしないこと。

 

大垣市の病状

 大垣市は汚川便癌に侵されている。大垣市が罹った病気への対処方法を観ていると、その異常さがよくわかる。愚かで無能な市長が、対処療法で、金を使いまくるが、大垣市の衰退は、18年間も衰退の一途である。市長を変えるしか、大垣市の病気は治らない。

 

2019-11-13 久志能幾研究所通信 No.1397  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月12日 (火)

吾は権現様・佛様である

 「吾」とは神のお告げの意味と神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。

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図1 「吾」の象形文字

 

佛様は己の内に存在

 修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。

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権現様とは

 己が市長なら、その身は大垣市の「権現」でもある。権現とは、佛菩薩が衆生を救うために仮の姿をとって現れるさまを言う佛語である。市長が佛の代理の権現様として、市民のために口でいくら立派な訓語を垂れても、その後姿に綻びがあると、化けの皮が剝がれる。市民は小川敏の後姿にきつねの尻尾を見る。知らぬは市長ばかりなり。小川敏が、佛様より預かった大事な大垣市を市長権限でめちゃめちゃにした結果、大垣市は衰退した。全ては小川敏の強欲の結果である。市民は騙せても、100歳になった大垣市の氏神様は、その履歴を知っていて、限度を超えると反乱を起こす。それが衰退という現象である。

 

非常事態から目を背ける市長

 己の佛性に目覚めない限り、いくら高いカネを払ってIT化、ロボット化を、行政改革、新市庁舎建設に金を継ぎこんでも、猫に小判である。

 小川敏が、日本の最高学府を出たと誇っても、目の前の事態に対処できなければ、無能なのだ。それは40年前に単なる知識を得ただけなのだ。それは陳腐化した。志があり、大垣を良くしたいなら、然るべき行動がとれるはず。市長の小川敏は、目の前の衰退という異常事態になす術が取れず、ギネス水饅頭の共食いの宴に酔い痴れた。大垣市制100執念忌念行事に執着して市民税3億5千万円金を浪費した。日頃の節約の大号令と相反する言動だが、本人は痴呆症なのか、それに気が付かない。

 

市長の小川敏の後姿から尻尾が見える

 2001年、前市長の小倉満氏が現役で亡くなられた。その後を小川敏が市長を引き継いだ。しかしいくら高学歴を誇っても、志がなければ、大垣市の経営はできない。

 それから18年が経って、大垣市は没落した。大垣市の経済状態と小川敏の経営能力を的確に表す地価は、18年間連続で下落の一途である。結果として市長就任当時から50.2%も地価が暴落した。大垣市の顔である大垣駅前商店街の81%が閉店した。小川敏があらぬ力を投入したので、大垣市役所の給与は県下一の高さになり、その働きぶりは県下最低となった。その財源を児童生徒の教育費から強奪し、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となった。そのあおりで、昨年の猛暑の時、大垣市の小中学校のエアコン設備率は2.1%で、県下最低レベルの現状が露見した。岐阜県の他市は、ほとんど100%のエアコン設備率である。この有様は市民として恥ずかしい。

 市長の小川敏は、いくら高尚な行政方針やIT化、ロボット化を唱えても、それは線香花火のような泡沫事業ばかりである。大威張りで始めた「大垣中心市街地活性化計画」は大失敗であった。活性化計画を実施したら、大垣駅前商店街の20%の店がシャッターを下ろした。小川敏はそれに口をつぐむ。

 

紺屋の白袴

 小川敏は、東大法学部を出たのに法律の基礎を知らない。知らないのならまだしも、守らない。行政の長なのに、経営のケの字も知らない。市の経営に経済知識が必用なのに、経済音痴である。知識はあっても、智慧がない。恥を知らない。ギネス水饅頭の共食いで、どれだけ大垣が笑いものになったかを認識できない。組織の長なのに、人の心が読めない。

 小川敏が大垣市理念を唱えても、現実の行政政策が愚劣だから、大垣市の経営が出来るはずがない。市民が市長の後姿を見て、「あんたの放漫行政経営のため大垣駅前商店街が崩壊した。それの総責任者のあんたに、そんなことは言われたくない」が本音である。

 誰のお陰で大垣市の今日があると思うのか。その小川敏の感謝の念の希薄さが、大垣市衰退の最大原因である。

 

基礎工事の杜撰さ

 小川敏のイケイケドンドンの大垣行政から市長の尻尾が透けて見える。己を支える基盤(体、市職員、市民、社会)への感謝の念が薄く、生かされていることへの認識が薄い。前のめりで高尚な言葉を列挙するが、足元が固まっていないと、土台から崩れてしまうのではと危惧している。事件が起こると基礎工事の手抜きや白蟻に侵されたような惨状が露見する。2017年11月4日のドローン墜落人身事故はその基礎がないため、起きた必然の事故である。

 

蟻塚

 人は山には躓かないが、小さな蟻塚に躓く。佛様は全てを閻魔帳に記載して、大垣市の病気を通して閻魔帳の中間報告をされる。多くの人が佛の御心も知らず、地獄への近道へ足を向ける。人生曼荼羅には全てが描かれている。人生経営での学びである。ご縁の貸借対照表に人生の歩みが表われる。縁の残高が少ない政治屋が人生で躓く。

2p1030050s   図2 白蟻に食われた柱

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   図3 脚下照顧  馬場恵峰書

 

2019-11-12   久志能幾研究所 No.1396 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

大垣市広報の用紙に不正疑惑、汚職?

 大垣市の広報はB4の変形版である。大垣市の広報を、保管しようと収納ファイルを用意して入れたら、入らなかった。B4規格より3ミリほど大きかったのだ。慌てて、少しサイズの大きいファイルを用意せざるを得なかった。

 

何故B4版か

 何故、大垣市の広報がB4なのか。それも少し規格より大きいサイズである。 なぜ、A4ではないのか。他市のほとんどは、現在A4判である。日本政府や現代企業の用紙はA4版が常識である。市場で流通量が小さければ、コスト高であるのは常識である。今時、B4版など、異常である。おかしいと感じるところには、汚職の匂いがプンプンする。なにか利権が絡んでいるとしか思えない。AI化、ロボット化などほざく前に、日本企業、行政の業務の基本的なことが出来ていなければ、絵にかいたモチになる。

 

汚職か?

 家業が紙屋である小川敏が、規格品外が高くなることは、よく知っているはずだ。その故意(?)に高くした分だけが、業者の利益となるはずだ。そこからバックマージンが払われているのでは?と考えるのが、一般市民の素朴な考えである。

 私の知り合いの紙業者は、規格外の用紙はコスト高になると断言した。規格より3ミリも大きければ、その上の規格の紙を使わないといけないそうだ。

 大垣市の広報は、最低66,662部(世帯数数)×B3(B4を広げて印刷)×3枚×2回×12月=4,799,664枚(B3)である。B3が一枚3円としても年間1,500万円近い金が動いている。

 ところがこれが規格外の用紙である。その金額は数割高から2倍高に跳ね上がる。それも18年間である。そこからリベートがあると考えと、空恐ろしい。

 家業が紙屋の小川敏は、その疑惑に説明責任がある。市長は、大垣市政の業務改革をする前に、疑惑に対して説明責任は果たすべきある。それは、大垣財政の節約対象事項である。節約が口癖の小川敏にしては、不自然である。

 

小川敏の金銭感覚、公金疑惑

 新市庁舎建設でも、東京オリンピックで建設費用が高騰している時期に、市庁舎を建てるのも、小川敏の経済感覚が異常であるとしか思えない。少し時期をずらすだけで、数億円の節約が出来るのだ。それをやらないのが異常である。市民の金だと思い、小川敏はやりたい放題である。

 小川敏は、大垣市制100周年記念行事で3億5千万円も浪費しても、その内訳の会計報告は、条令でマル秘扱いにして、市民には公開しない。公金の使用用途を条例でマル秘扱いなど、正気の沙汰ではない。大垣市制100周年記念行事で3億5千万円も浪費しても、大垣市の今年の地価は更に下落した。正に税金の無駄であった。小川敏が市長に就任して18年間で、18年間連続の下落で、大垣市の地価は半分に暴落した。

 「元気ハツラツ市」の補助金の使用用途も、全く公開はされていない。その金額も9年間で1億円に近い。その資金源は市民税である。石黒塾にも、その金が流れているが、その会計報告は全くない。大垣商店街組合の小倉利之理事長にも、大垣駅前商店街を衰退に導いた主の責任があるのに、小川敏の大垣市から直々の功労章である。なんでやの? その功労章の費用も市民税である。汚職の匂いがプンプンである。

 ロボット化、IT化もその投資金額を小川敏は、口が裂けても言わない。

 以上の状況証拠を考えると、小川敏の汚職を疑わざるを得ない。

 

説明責任

 田中角栄も、1974年『文芸春秋』の立花隆「田中角栄研究」で、その金脈追及の釈明が出来ず、首相退陣に追い込まれた。公人には、その行動で疑惑を持たれたら、説明義務が発生する。できなければ、退陣である。

 

小川敏の辞書にPDCAはない

 2017年から始まった「大垣市中心市街地活性化計画」が大失敗したように、AI化、ロボット化など成功するはずがない。なにせ、それにかかる費用の公開もなければ、その費用対効果の公開もない。あるのは、地方新聞紙上で、選挙事前運動としか思えない小川敏のアドバルーン宣伝だけである。

 市長なら、偉そうに絵に描いた餅のアドバルーンを上げる前に、実施して成果のあったことを言うべきだ。大失敗の「大垣市中心市街地活性化計画」の反省と原因の解明をして、その再発防止をしてから、次の計画をすべきだろう。なにせこの計画を実施して、この2年間で大垣商店街の20%の店が閉店したのだ。大垣駅前商店街の81%のお店が閉店したのだ。創業109年のヤナゲンが8月に廃業したのだ。心労で、丸忠の社長が10月に急死したのだ。大垣市の地価の18年連続の下落は止まらなかったのだ。この計画では、中心市街地の衰退を止められなかったのだ。

 市長の小川敏の頭には、PDCAという概念は、ないようだ。それが、小川敏が政治屋である証明である。そんなレベルの人間が、大垣市政を18年間も牛耳れば。大垣が没落して、当然である。無能な小川敏市政18年間の結果として、天は最高の結果を示しただけだ。それが大垣の没落である。

 

利権がらみ?

 以上を素人の私が見ても、業者の利権が絡んでいるとしか思えない。公人の言動が、疑惑があると思われるだけ、まともではない。冤罪が時折、話題になるが、私人ならともかく、公人がそう思われるだけで、罪である。火のない所に煙は立たぬ。

汚川では 臭いはきつく 神不遜

 

2019-11-11 久志能幾研究所通信 No.1395  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月10日 (日)

竜宮城で頂いた玉手箱を開けちゃった

煙となって消えた

 駅前のホテルで楽しい同窓会で53年前の夢を見た。その後、大垣駅前商店街をぶらついたら、楽しい想い出の詰まった玉手箱が開いてしまった。

 そこは、大垣市長の小川敏が18年間の無為無策の無能政治で没落させた大垣の繁華街であった。53年前の浦島太郎が、今の大垣駅前商店街を歩いても、知っているお店がなくなくなっていた。ビルも壊されてなくなっていた。懐かしい亀も、死んだ状態のはく製みたいに、冷たい金属製に代わって大垣駅前の「死の亀の池」に鎮座していた。昔は生きた亀が、「駅前亀の池」で甲羅干しをしていたのに。この様は、まるで童話の浦島太郎物語である。

 18年前は、大垣市の大垣駅前商店街はまだ繁盛していた。それを無能な政治屋の小川敏が無為無策で廃墟にしてしまった。小川敏は政治も経済も分からない。実施してきた政策が正気の沙汰ではない。

 首相の安倍晋三も同じである。増税すれば、経済が悪化することが明白なのに、平気で増税である。正気の沙汰ではない。今の政治家は経済音痴ばかりである。

 

大垣駅前商店街の惨状

 53年前の学友の同窓会が2019年11月9日(土)の18時に終わり、その足で駅前商店街に足を向けた。本来、休日の夕刻6時なら、大垣の駅前の商店街は、人通りが多いはずが、全く人が歩いていない。幽霊通りのようである。見てはいけない玉手箱を開けてしまったようだ。普通の人は、近くの同窓会会場のホテルからここまで、足を運ばないので、気が付かない(玉手箱を開けない)。

 

53年前の宴

 私も中学、高校の時、母親に連れられて、大垣駅前商店街でカバンを買いに行った。そのかばん屋は、今はシャッターが下りている。

 駅前商店街の眼鏡を作りに行った。当時、街で一番の眼鏡屋であったが、いまかろうじてお店が残っている。その両脇や近辺は、全て廃業である。

 私が高校に入学した時、学校からの指導で何かのクラブに入らねばならないので、カメラ部に入った。そのためのカメラを親に買ってもらった。それが、私がカメラを趣味にした始まりである。その後、フイルムの現像をしに頻繁にカメラ屋に通った。そのカメラ屋は消滅して、今はない。

 大垣駅前と商店街の中央にあった2軒の本屋は完全消滅した。数多く通った本屋である。

 百貨店ヤナゲンで、松本明慶仏像彫刻展で明慶先生と初めて出会った。仏像を買った。ここから多くのお歳暮、お中元を贈った。今年の8月、ヤナゲンは閉店した。跡地はマンションである。

 私もヤナゲンの果物屋の丸忠で、多くの果物を買った。松本明慶先生が、柿が大好物だというので、お歳暮として特産の干し柿を贈った。私の英語の先生に、病気お見舞いで、同じ干し柿を贈った。先生が感激してお礼の手紙が英文で来た。

 その丸忠の社長は、ヤナゲンが8月末に閉店後、この10月に急逝した。心筋梗塞である。名古屋の御園座に芸能人が来ると、その付き人がよく、大垣ヤナゲンの丸忠まで指名買いに来ていた。その中の一人である水前寺清子も、丸忠の社長のファンで、名古屋に来るといつも付き人が指名買いで飛んできていた。

 私はその丸忠さんと懇意になり、社長から丸順の今川順夫著『負けてたまるか』、『地獄のシベリア抑留記』を頂いた。

 百貨店タマコシで、私は遊びにいきながら多くの買い物をした。今は、その跡地がマンションになっている。

 私が前職の会社に入社するとき、保証人になってくれた社長のお店も人手に渡った。

 大垣城の前のお寿司屋さんに、よく母に連れて行ってもらった。そこで子供のくせに1半のお寿司を平らげた。母は嬉しそうに私を眺めていた。

 電気屋の電波堂で、こだわったオーディオを買うため、よく通った。当時、デンオンのアンプを買った。今は細々とCDを売る店になってしまった。

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夢の如し

 私の53年前から今までの想い出は、煙のように消えたのだ。無為無策の無能政治で小川敏が、大垣から駅前の繁栄を消したのだ。多くの商店主が、涙を流して消えていった。急逝した丸忠の社長も、ヤナゲン閉店で心労がたたったのだろう。多くのお店の滅亡は、まるで夢の如しである。

 この記事は、大垣の衰退の実態を知らない人への情報提供、現状把握として記載する。

 

 次図は、大垣駅前商店街の西側の通りをヤナゲン前から、南に向かって歩いて行って、1キロ先の商店街の終わりで折り返し、東側の通りを元に戻ってくる道中である。その途中の風景である。土曜日18時の風景である。本来、繁華街として人出があってしかるべき。

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右はこの8月に閉店したヤナゲン

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06dsc08270s   新大橋07dsc08271s

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13dsc08277s   正札堂も昨年、倒産した

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16dsc08281s  この電波堂で、オーディオを買った

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18dsc08284s  大垣駅前商店街の端

 次に東側に移り、北進する

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20dsc08287s  右横はマンション、昔はタマコシがあった

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28dsc08296s  中心地の新大橋

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33dsc08303s  予備校だけは電気が煌々、商売には邪魔

34dsc08309s  駅前の「死の亀」の池  誰も寄り付かない

2019-11-10 久志能幾研究所通信 No.1394  小田泰仙

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2019年11月 9日 (土)

53年後の浦島太郎物語と閻魔様物語

善男善女の仏様の集会 中学の同窓会

 2019年11月9日の今日、53年ぶりの中学校の卒業同窓会をあり、参加した。どの顔を見てもその面影がなく、「貴方はどなたでしたっけ?」ばかりである。3年前にも同窓会があり、皆と会っているのだが、私に認知症の気があるのか、全く3年前の記憶がない。情けない思いである。

 これは浦島太郎と竜宮城お姫様の53年後の出会いである。善男善女の出会いである。中学卒業後、53年後に玉手箱を空けたら、皆同時に歳をとり、よきジジババになって再会したのだ。

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4無し同窓会

 今回の同窓会は、K幹事が、「カラオケなし、出し物なし、恩師出席なし、二次会なし」を強固に主張してくれて、拘った4無しの同窓会にしてくれた。恩師を呼ばなかったのは、恩師が出ると、どうしても気を使わないといけないので、会話がぎこちなくなるとの判断であった。ただただ皆でお喋りを3時間するという方針で、実に気持ちのよい同窓会であった。いままで参加した同窓会、ОB会とは格段に差のある同窓会になった。

企画の大切さ

 何ごとも計画、志、目的でそのプロジェクトの全てが決まる。今までは、幹事が皆さんに喜んでもらおうと、色んな企画をするのだが、それは自己満足で終わっている。実際に顧客の立場で考えたら、その反対のことをしている場合が多い。

 学校の丸暗記の試験だけはできた市長の小川敏の都市行政で、大垣は没落した。自己満足の計画であった。知識はあっても、智慧がないための結果である。計画、企画には知恵が必要なのだ。

 自分は何のためにそのプロジェクトの企画をしているか、顧客の立場で考えているのかを自省すべきである。

 同窓会なら、数十年ぶりに会った仲間なのだから、じっくりとお喋りをしたい。それを下手な聞きたくもない他人のカラオケの大声で、仲間との会話が邪魔されるのは本末転倒なのだ。カラオケを歌って自己満足している輩のレベルが低いのだ。イベントの出し物に引き込まれるのは、昔の仲間との会話に身が入っていないのだ。

幼馴染の記憶 

 I君は、私といつも模型屋に行ったというが、私の記憶が全くない。後で思い出したことは、中学校ではなく、小学校での幼馴染であった。当時、父の会社の廃止されたプールのコンクリート壁で、一緒に戦争ごっこをしたことを思い出した。

 今、写真をやっている女性と写真づくりの話題で意気投合して、楽しい時間を過ごせた。

 

生涯現役の教え

ほどんどの人が現役引退で、仕事を継続している仲間は少なかった。その中でも、子供、病気、盆栽、姑の悪口、等の話しがなかったのは良かった。

 私の所属したクラス仲間は、11名が参加して10クラス中で最大の参加者数であったが、亡くなられた仲間が9名もいて、それも最大の数となった。実に2割が亡くなっている。仏様に生かされている幸せを感じた。

 私は93歳の馬場恵峰先生の後姿を追い続けて、生涯現役を目指してきた甲斐があった。色々と皆と話し合って比較してみると、私の行動力が飛びぬけていた。良き師を目標に持つことは、長生きの秘訣である。長生きしても体が動き、現役でないと、意味がない。

 

市長の批判

 余談で、小川敏市長の批判がでると、大盛り上がりである。小川敏市長の政策が間違っている証明である。同級生のみんなが同じ感想を持っていることが確認できたのは、収穫であった。これは今回の同窓会のおまけの話しである。

 

閻魔様の代理

 72人の仏様が、今まで生きてきた己の生きざまが正しかったかどうかを教えてくれた。正しくはなかったかもしれないが、間違った生き方ではなかったことだけは分かった。それだけでも大収穫である。

 今年、私は癌が発見されて手術をしたが、死なずに生還できた。皆と会えた。こんな僥倖はない。感謝である。人生の折り返しで、同窓生の仲間が閻魔様の代理で、その審判をしてくれた。

 同学年の450名中、参加者は72名。生きていて、参加したくとも参加できない人もいる。病気で参加できない人もいる。諸般の事情で参加できない人もいる。閻魔様が、参加を許してくれなかったのだ。それを参加できた幸せを感じるべきだろう。同窓会のご縁がきても、参加の意思と閻魔様の許可がないと参加はできないのだ。ここでの再確認は、健康でご縁がなければ、同窓会に参加もできないこと。人生の基本的なルールである。

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 馬場恵峰書

 

2019-11-09 久志能幾研究所通信 No.1393  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月 8日 (金)

終活 御本尊の佛事異動

 2019年11月6日、大切に保管していた前の御本尊の仏像を、松本工房に預けた。来年2月にお炊き上げして頂く。2015年、仏壇に納めていた仏像の御本尊様を、今の明慶先生作の御本尊の仏像に変えた時、そのままお炊きあげもどうか思ったが、2015年まで当家を20年間守っていただいた仏様なので、押し入れの奥にしまっておいた。

 今回、私が大病を患い、今後のことを考え、前の御本尊様をお炊き上げにしていただくことにした。何時までも、そのままというわけにもいかない。生あるもの何時かは滅する。それがこの世の掟である。私の死後、御本尊様が不敬に取り扱われるのも本意ではない。これは、その前にやるべき終活の一つである。明慶先生作の御本尊は菩提寺に納佛するように遺言書を作成した。

 

新旧比較

 今回、松本工房に預けるため、しまってあった前の御本尊と明慶先生作の新しい仏像(釈迦如来像)を再度比較する機会を得た。前の仏像は、母が亡くなり、父が仏壇を買ったときに同時に購入した。父はかなりお金を出したと言うが、今回、2つの比較をすると、明慶先生作の仏像と格段の差があることを(当たり前を)再確認した。値段が1桁違うはずなので、やはり安いモノにはワケがある。高いモノにもワケがある。

 仏壇に納める御本尊の仏像は、通常は2mくらいの距離から、また暗い仏壇の中に鎮座する御本尊様だから、その詳細をじっくりとは眺めていないものだ。今回、写真に撮りじっくりと眺めてその詳細が判明した。

 

旧の仏像は

 お顔に締まりがない。

 目の彩色も緻密さがない。

 材質は不明である。金の塗装であるので生地の部分が分からない。

 本体の下にホゾがなく、台座に接着されている。

 光背の作りが貧弱

 台座の模様細工も貧弱

 光背の取り付けも簡単なはめ込み構造。

 華盤の化粧なし。

 台座の彫刻が荒い。黒塗装で胡麻化している。

 

明慶先生の仏像は

 お顔も威厳がある。

 岩田明彩師による目入れは、前とは比較できないくらい緻密。 

 材質は白檀製で塗装なし。

 本体の下にはホゾで固定されている。 

 光背の細工が緻密。透かし彫りである。

 光背は台座に凹部を彫り、そこに差し込まれる構造。

 光背も白檀製。だから緻密な細工が出来る。

 華盤の化粧つき

 台座の彫刻が緻密。台座も白檀製である。

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 松本明慶大仏師作 釈迦如来像 白檀 2015年

 御精魂の入魂儀式前のお姿

 

内なる御本尊

 自分の中には御本尊様なる主人公が存在する。その主人公が我儘な己と相談しながら、表の行動を支配している。その主人公とは、別名で潜在意識といい、人の行動の9割を支配している。人の行動に現れるのは、氷山の一角なのだ。そのご本尊様の品格が、己の行動に出る。そのもう一人の御本尊様の人格を上げないと、人格が高まらない。内なる御本尊の「人格」を磨くのは人である。最高の人格は最高の人格でしか磨けない。低い人格の人で磨かれた人は、それ相応の低いレベルである。だからこそ己を磨いてくれる師は、選ばなければならない。

 その師が身近にいなければ、他山の石から学べばよい。人は人から学ぶ。「俺には関係ない」と縁を取りに行かないから、人格が磨かれない。興味があれば、東京でも九州でも、ローマでもウィーンにでも飛ぶべきだ。私はそうしている。己は内なる御本尊様を左遷という人事異動(佛事異動)させていないか、反省したい。

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 馬場恵峰書

 

追記

 昨日、2019年11月7日は、東京で正倉院展を見学、その後、プレジデント社の経営塾に参加した。その後、懇親会もあり、病み上がりの身にはハードスケジュールで、結果として体調も崩し深夜に帰宅したので、ブログをお休みしました。恐縮です。

2019-11-07 久志能幾研究所通信 No.1392  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月 6日 (水)

狂った小川敏市政、癌を育成

 南雲吉則先生の講座「命の食事」で、癌の原因として「狂った食事、狂った生活」が解説された。人間の組織も行政・企業の組織も病気になる原因は同じである。そこから小川敏市政に照らすと、その異常さに考えが及んだ。

 

狂った小川敏行政

 口先だけのIT化

  費用対効果を絶対に口にしない。

  どれだけ費用がかかるかを公開しない。

  岐阜新聞、中日新聞を「利用」して過剰な広報。

  それは事前選挙活動もどき。

 口先だけの教育重視

  児童生徒一人当たりの教育費が県下最低

 騙しの都市再開発

 失敗が明白な「大垣中心市街地活性化計画」のごり押し

  活性化計画を実施したら、逆に20%のお店が閉店した。

 売名行為優先の行政行事

 電灯一つ交換できないのにIT化なんて、愚劣

  大垣市の顔の駅前商店街周りがゴミだらけ。何が新市庁舎なのだ

 庶民の街は衰退しても、市長舎の御殿は建つ。

 基本的な行政業務が旧態依然たるやり方でIT化、ロボット化などお笑い

 

行政業務を知らない素人がソフト開発

 市長の小川敏は業務のIT化、ロボット化を謳うが、元のやり方が出鱈目なので、そのままIT化しても逆効果である。まず現状のやり方を見直さないと効果は出ない。

 まるで会計を知らないド素人のソフト屋が、会計ソフトを作って、使い物にならないものが出来上がったが、その販売は止めない如き。それで赤字がどんどん増えていく如き。それで大垣は没落した。

 今、進行中の大垣市行政のIT化は、行政業務を知らないド素人のソフト屋が作るので、使ものにならないものが出来上がる。業者だけが儲かり、裏金が動くだけである。

 減気ハツラツ市のやり方を見ていると、小川市政は一度始めたやり方は、決して見直さない、変えない。こんな姿勢なら、企業は倒産である。

 

「狂った食事」(南雲吉則先生の表現)

 癌になるのは、癌が喜ぶ「狂った食事」と「狂った生活」をしてきたからだ。それを小川敏悪政に重ねると、真実が分かる。

 

狂った食事とは、

  精製した糖質の食事

  悪い油を使った食事

  塩分過多の食材

  化学調味料を使った食事

 

  →大垣行政は、狂った政治のやりすぎ

   偏向した計画で、大垣市商業を衰退させた。

   大垣を没落させた。

   業者に「美味しい利権餌」は、止められない、止まらない

 

狂った生活とは、

  タバコ、酒、ストレス過大の生活

  不規則な生活、運動不足

 

  → 業者が喜ぶ利権ばかりの行事を嗜好する。

    気まぐれの行事の氾濫

    会計報告のマル秘扱い

 

ガンの遠因は太り過ぎ

 

→ 大垣行政は無駄な金をばらまき、利権を貪る金満体質。

  行政の過剰な栄養素(利権)が汚職の元

  人間の癌が甘い糖分が好きなように、行政の癌組織も甘い汁が好きなのだ。

 

 癌の長期の治療費は膨大になる。私も場合でも直接医療費だけでも既に数百万円である。その分、癌マフィが儲かる。現代医学は、医療処置はしても、治療はしない。癌にならない指導もしない。それでは病院が儲からないからだ。

 小川敏が18年間も無能政治をしても、5期も市長をやると退職金は2億5千万円(一期で退職金3千万円+付随手当2千万円)になる。乞食と政治家は、一期やるとやめられない、止まらない。美味しいのだ。大垣を没落させた張本人だけが極楽の思いをしている。小川敏は市民税を人の金だと思って、やりたい放題である。天はそんな理不尽を許さないだろう。天網恢恢疎にして漏らさず。

264k8a11051s  馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-11-06 久志能幾研究所通信 No.1391  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月 5日 (火)

小川敏の大本営発表、行政の癌化はマル秘

企業倒産、市長倒産

 有名企業が倒産するのも、知らず知らずの間に、放漫経営で、司令塔の頭脳に贅肉が付いて、痴呆化して、まともな思考が出来なくなってからだ。旧日本軍も兵卒は優秀であったが、大本営は腐っていた。

 大垣市は、市民は優秀だが、市役所が腐っている。その筆頭が小川敏である。身の程知らずで、岐阜市よりも5割も高い新市長舎(新市庁舎)を建てた。働きの悪い市役所職員なのに、県下一の給与をお手盛りで高めた。大垣市の地価が暴落して大垣市が衰退を晒したのは、市役所作戦本部の思考の肥満化で、劣化して癌化したためである。市民の命である市民税を食べ過ぎたのだ。

 

業者の言うがままに

 市長の小川敏は、IT業者に唆されて費用対効果のないIT化、ロボット化を進めている。他市に先行と自慢している。IT化など、金さえかければ誰でもできる。それが費用対効果で、市民の為になるかどうかが問題なのだ。

 大垣市は、市民には投資金額、費用対効果額、保守費、投資額回収期間のことはマル秘である。口が裂けても公表しない。他市は、大垣市がやるような愚かなIT化は費用対効果がないので、やらないのだ。小川敏の思考が肥満化して、智慧が劣化したのだ。

 

電灯一つ保守できない小川敏市政

 大垣駅前商店街アーケードの蛍光灯一つ保守できない頭で、IT化などお笑いである。電灯は140年前に発明されたITである。それが大垣市は、小川敏の大節約号令で、必要な費用まで削減である。その思考麻痺で、市民の命のかかわる保守ができないのだ。県下一高い職員の給与を減らす発想など、全くない。

 

小川敏大本営発表の大嘘

 小川敏が40年前は優秀でも、昔の知識は陳腐化するのだ。

 100執念行事で水饅頭を食べて痴呆的な喜び顔を全国紙に配信するまでに、智慧と知性はなくなった。行事予算は、条令でマル秘扱いである。なぜ饅頭予算がマル秘なのか。不正の匂いがプンプン。

 この10年間程、何の改善もしない「減気ハツラツ市」を強行している。まるで死のインパール大行進である。それで駅前が通行止めになり、お店の人が路地に車を入れられず、商売あがったりである。それで大垣駅前商店街の81%が、客が来ないため餓死でバタバタと閉店した。それは口が裂けても大垣市は公開しない。

 「子育て日本一を目指す」と大本営発表しながら、実体は、児童生徒の一人当たりの教育予算は、大垣市は県下最低レベルなのだ。大垣市で子育てをしてはいけないのだ。これを詐欺と言わずにどう言うか。

 大垣駅前に「皆の集う亀の池を新設」と大本営発表であるが、誰も集まらない「死の亀の池」になっている。その駅前の一等地のスペース分だけ、人集まるお店が減ったのだ。大垣が寂れる原因を作ったのだ。

 

行政の癌化

 小川敏は、新聞紙上でも広報でも、IT化・ロボット化の宣伝が勇ましいが、その投資金額も、費用対効果も口が裂けても言わない。ずる賢いのだ。やましいことがなければ、なぜそれを公開しない。なぜそんなに効果があるのなら、他市はなぜやらないのか。それさえ考えられないまで、思考の肥満化で行動の体質がガン化している。行政の肥満化では、金が絡む不祥事が必ず発生するのは世の常識である。長期政権は必ず腐敗する。つまり汚職である。

 

「大垣市中心市街地活性化計画」は大失敗

 小川敏の発表は、まるで旧日本軍の大本営である。大本営は宣伝だけは勇ましい。それでいて、2017年に大々的に宣伝して始った「大垣市中心市街地活性化計画」は大失敗であるが、それには口を閉ざす。

 その計画の2年後に大垣駅前商店街の20%のお店が閉店して、創業109年の百貨店ヤナゲンまで閉店に追い込まれた。それで駅前は火が消えたようで、買い物客の人通りが絶えた。大垣大本営は、その事は一言も言わない。

 市民税を使って、「大垣市中心市街地活性化計画」を実施したのだから、小川敏市長は、その成果と収支決算は市民に公開すべきである。多分、後ろめたいので、後悔はしても公開はしない。今でもそれを公開していないので、行政マンとして無能さが証明される。

 

算数が出来ない大垣市、岐阜新聞

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  岐阜新聞 2019年10月22日

 

 上図の記事では「4千万円の人件費が節約できる」とあるが、それにどれだけの費用をかけるかは、何処にも書いていない。その分の約3人分を解雇して経費を節約るかどうかも記載がない。どれだけの保守費が発生するかも書いていない。都合の良いことだけ言うのは詐欺師の手口である。

 それがこれを書いた記者のレベルである。それが岐阜新聞社のレベルである。こんなレベルの低い記事を受験生が読んでいると、論理構成が問われる大学の作文入学試験で、落ちる。また算数(数学ではない)も落第点である。

 

投資の回収計算

 我々経営層が設備投資、教育投資等でお金を使う場合は、必ずその費用対効果を計算するのが企業経営学である。その回収期間を明示しないと、まともな会社では稟議が降りない。それが現代の企業である。それをまともでない大垣市はやらず、業者の言うままに投資をするから、使い物にないIT設備が出来上がる。大垣大本営は、失敗事例は公開しないのだ。昔の大日本大本営とおなじである。

 大垣市民病院の会計システムが最近、入れ替わったようだが、待合室で会計を待つ市民の大混雑が続いている。その現実が大垣市のソフト屋のレベルを表している。それでどれだけの金を使ったかは、市民にはマル秘である。

 

自分への投資

 その投資が、自分の未来のためになるか、その費用回収期間を計算して投資すべきだ。「私はそうしている」と自慢するつもりだったが、今、回りは見渡すと企業の宣伝にそそのかされて、なんと多くの無駄なモノを買ってしまったかと、反省している。この愚行は個人では許されるが、公人では許されない。

 

2019-11-05 久志能幾研究所通信 No.1390  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月 4日 (月)

手術後、18kgの激やせ、脱皮

 今年の2月に手術をしてから8か月間で、約18kgの激やせである。腹囲は17cm減である。いわば今まで18kgの石油缶か18キロのセメント袋を担いで生きてきたのだ。それが無くなって身軽にはなった。ただ今は体力も同時に無くなったので、歩くのも辛く、まだ体はだるい。体力が付けば、身軽になって良いことだろう。

 

脱皮

 スーツやズボンが着用できなくなる肥満を「脱皮」という。2019年10月31日、伊勢神宮に参拝するため8か月ぶりにスーツを着たら、ズボンがだぶだぶで、愕然とした。これでスーツが総て駄目になった。これは逆の「脱皮」である。しかし正の脱皮よりも、健康にははるかによい。今までが、不健康であったのだ。

 肥満はガンの最大原因である。ご用心、ご用心。要は、今まで食品企業が、手を変え品を変え、食品、菓子を売っていた誘惑に負けていたのだ。テレビのコマーシャルは食品ばかりである。つまり美味しいものに目がくらみ、自制心を無くして食べ過ぎたのだ。

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  腹囲は17cm減

 

 人は他の命を食べていかないと生きていけない。しかし食べ過ぎると肥満になる。つまり他の命を余計に殺して生きてきたのだ。病気になったのは、他の命を粗末にし過ぎた罰なのだ。そして天罰が当たって、病気になったのだ。

 食べ足りなくて病気になった人は少ないが、食べ過ぎて病気になる人は多い。

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  馬場恵峰書

 

共生(きょうせい)

 小賢しい人間は、天災が起きると、自然との「共生(きょうせい)」が大事というが、大きな存在の自然現象は、小さな人間のことなど構っていない。自然は、時として人間を無視して猛威を振う。最近頻繁に起きる堤防の決壊、漏水事故を100年に一度だという。人間社会で2000年の歴史の中、地球の40億年の歴史の中の100年など小さな時間である。それを「100年に一度の大災害、自然と共生」と己の対策の不手際を言い訳にするのは、役人の傲慢さである。

 

共生(ともいき)

 「共生(きょうせい)」というのは、人間が一方的に思う驕りである。仏教用語で「共生」とは「ともいき」という。自然も人間も宇宙の一部として、共に生きている。人間は小さな存在だ。自然の片隅で小さく生かされている存在である。その現実を忘れ、自然を征服したとか、他の命を豊漁だ、大食い競争だ、グルメ大会だ、と食欲に任せて貪るから、天罰が当る。病気は、自分の生き方を見直せとの仏様からのメッセージである。天災は、人間の無力さを思い知る機会である。

 愚かな人間は、自分が18キロ缶を腹に抱えていることに気が付かない。現在、日本では30%の男性、20%の女性が肥満である。それが癌の要因である。

 

2019-11-04 久志能幾研究所通信 No.1389  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。