2020年1月12日 (日)

悪縁ディーラからの遁走記 2/6 命の危険

悪縁ディーラから遁走1

面会をすっぽかされる

 数年前、父の知人の某会長から、自社の車販売店の経営分析をして欲しいとの依頼を受けた。それで、その会長経由で、その車販売店の社長と面会の約束を取り付けた。しかし約束した時間に会社に行ったら、社長は外出して不在で、面会約束をすっぽかされた。その件を会長に報告したら、会長は怒って社長を叱責したそうだが、その社長は蛙の面に水の様子であったそうだ。私にも、すっぽかしの謝罪などなかった。この件で、社長がまともでないことが露見した。

 その会社の社員からの伝聞では、その社長は以前に本社で不正が露見して、この販売店に左遷させられたという。

 

損益分岐点を計算

 私は仕方がないので、公開データで経営分析を試みた。売上、利益、経費の数字から、損益分岐点を計算する公式を使っての経営分析である。その結果は、経費の割合が異常に大きく、辻褄が合わないことが判明した。それで不正が疑われた。その件は会長に報告した。会長は部下の経理部長に、私に会社の経理データを提供しろと命令したが、何時まで経ってもそのデータは私には届かなかった。そのデータを見せれば不正が露見すると危惧したのだろう。

 

脅迫を受ける

 それで数店あるお店で、個別の聞き込み調査をした。それが早々にその会社のお客様相談室室長に通報されて、その室長から「二度とお店に近寄るな」と脅迫をされた。「会長がお前に用があるときは、こちらから連絡する」と通告された。それ以降、全く連絡はない。このため会長とは、その前の面談が此の世でのお別れとなった。

 

命の危険

 またその室長は、「うちは銀行から経営診断をしてもらっているので、その必要はない」という。知人のその銀行元支店長は、「当銀行は会社の経営診断などしない」と断言した。

 その銀行元支店長はその件で「その室長は元警察関係者で、闇の世界と通じているようだ。今のまま深入りすると、貴方の命の危険があるので身を引いた方がよい。相手も不正の露見を防ぐために必死になるだろう。無名の貴方を夜道で襲い、此の世から消しても、警察も犯人を捜さないだろう」と助言された。だから私は早々にその会社の調査から遁走した。

 

此の世の別れ

 数年後、その会長が他界されたので、経営分析依頼された時の面会が、此の世の最後のお別れとなった。会長にもう一度、会いたかったが、周辺のガードが固く、面会は叶わなかった。此の世では、そういうご縁であったと納得して身を引いた。

 

店頭雑誌で会社のレベルが分かる

 その会社の店舗の待合室に置いてある雑誌や週刊誌は、芸能人のスキャンダルが満載の下品なものばかりであった。それでその会社のレベルが推察された。良識ある店長なら、雑誌一つでも精選して店舗に置くのだ。

 愛知県の知人の店長は、展示雑誌を自ら選定していた。当然、上品な雑誌を選定している。

 

休業案内に見る傲慢さ

 その店舗のお盆や年末の長期休業案内の掲示のやり方が、顧客を馬鹿にした表示方法であった。店舗の入り口の柵にその掲示物がぶら下げてあるが、当方が地面に身をかがめて見ないと字が読めない。こちらが地面に平つくばって、掲示を見ろ、である。それがその会社が表す顧客に対する姿勢である。

 私がそれを会長に指摘すると、会長もそれには気が付いておられて、「今度、部下に言う」と言っておられた。しかし、それも叶わず会長は他界された。

 社長・店長と店舗の状況を見れば、その会社のレベルは分かる。

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お盆の長期連休表示    「休日日のご案内」 2015‎年‎8‎月‎14‎日

 

その会社の末路

 それ以降、そのディーラとは縁が無くなった。その後、その会社は人員整理に追い込まれて倒産寸前となった。その後、別会社の資本が入り、経営権が人手に渡った。

 私も下手に深入りすると、身が危なかった。君子危うきに近寄らず、で正解であった。身の危険を感知して、遁走して正解であった。危ない会社は、危ない顔をしている。

 

2020-01-12 久志能幾研究所通信 1448  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

悪縁ディーラからの遁走記 1/6

悪縁から脱兎の如く逃げ、女々しくとも正道を歩む

 

人生時間は有限

 60歳の人が、毎日1人とご縁を結んでも、死までに7,300人しか知り合いになれない(平均寿命80歳として)。日本の人口が1億2千万人でも、知り合えるのはたった7,300人である。還暦後では実際、週に一人とでも新しい知遇を得るのが難しかろう。20年間で1,000人も新しいご縁を結べまい。

 人生の時間は有限である。その一人とご縁があるとは、もう一人とのご縁が、此の世では無くなる。だからこそ、価値ある人とのご縁を選ばねば、人生が墓場になる。それは命を預けるディーラ選択でも同じである。

 

孟母三遷

 孟母三遷は、その戒めの教えである。孟子の母は偉かった。孟母三遷の母の庇護もなく、悪縁の仲間に付き合わされて寒い川原で、裸で泳がされ、殺された中学生がいた。極悪の師に縁が出来て、サリン事件を起こした人もいた。新興宗教に誘われて、全財産を貢がされて、家族離散の憂き目にあった人もいる。人を見る眼が無く、保証人になって破産した人もいる。すり寄ってきた悪縁の真贋が区別できず、その悪縁から逃げなかったのが原因である。

 

会社は公器

 会社は社員を雇い、社会の利益のために存在するので公器である。公器である以上、社会に迷惑をかけるのは罪である。自分達の利益のため、電話セールスで、関係ない人の時間を奪っては時間泥棒である。会社として利益を上げなければ、公共インフラの無賃使用で税金泥棒である。

 会社として、社会の誰かを幸せにする仕事をしなければ、その会社の存在意味がない。その会社が誰かに不幸の種を撒くなら、そんな会社はつぶれた方が、社会のためである。

 社員に無意味な時間を使わせるのは、社会のインフラを無駄遣いしているのだ。日本の繁栄の足を引っ張っている。

 社員に無意味なルーチンワークをさせ、創造的な仕事をさせないのは、その人の持つ大事な人間性を殺している。社員の花開くべき能力を殺している。

 

ハインリッヒの法則

 一件の重大災害の裏には、29件のかすり傷程度の軽微な災害があり、さらにその後ろには、冷や汗が流れるような事例が300件潜んでいる。

 (1941年、アメリカの損害保険会社に勤める安全技師、W・H・ハインリッヒが確定した法則)

 

 組織で、新聞沙汰になるような大きな失敗が露見すると、その背後には、顧客からのクレームなどの失敗が29件あり、さらにその背後には、失敗という形にはならなくても、社員が「ヒヤリ」とした事例が300件ある。

 ということは、小さな失敗を見過ごす会社は、重大な事故を起こす確率が高い。小さな事象を、きちんと対応しないと会社存亡の危機を迎える。だから、私はディーラに危険を感じると、さっさと遁走する。危ないディーラは、うっかりミスで車の整備に不具合が出て、死亡事故を起こす恐れがある。君子危うきに近寄らず。危険を感じたら脱兎のごとく逃げろ、である。そんな会社で、利己的にクレーマーで立ち回っていると、身に危険が及ぶ。

 

逃走方針

 私はそのご縁に腐敗と危険の匂いが感じられれば、そのご縁から必死に遁走する。「女々しい」と誹謗されようが、わが身が大事である。わが身は両親から頂いた大事な命なのだ。

 お釈迦様は自分のことを「天上天下唯我独尊」と言われた。この世で、私はこの世で一人しかいない、誰とも代わることのできない大事な体である。自分が大事だから、他の人も同じように大事な命であるという意味である。だから人を傷つけてはならない。

 それを「女々しい」と人を匿名で誹謗する人は、人の心を傷つけても平気な暴力者だ「幼稚園落ちた日本死ね」という匿名でしか意見を言えない卑怯者と同じである。卑怯で軽薄で客観性ある見方の出来ない人がはびこるから、日本社会が劣化する。犯罪や汚職がはびこる。イジメが絶えない。

 

ディーラとのご縁

 普通の人が、一生の間でディーラとのご縁があるのは精々数店だろう。私も転勤がなければ、一生で精々3店舗ほどのディーラとのご縁しかなかったはずであった。しかし私の場合、遠方に転勤があり、定年後、大垣に帰郷したこともあり、某経営研究会に入ってご縁ができたことも重なり、その結果としてディーラや自動車整備店と接した数が12店舗になった。そのご縁のお陰で、各地の正規ディーラ、カーショップ、街の整備工場等で、車整備の多くの「顔」を観察できた。

 そのごく数少ない付き合いのディーラ中で、悪縁・悪徳のお店に関わると人生が不幸になる。車は自分の「天上天下唯我独尊」の命を運ぶ道具である。いわば自分の分身である。その整備が不備だと、己の命に影響する。だからこそ信頼できるお店を選ばないと、人生で難破する。

 

2020-01-11 久志能幾研究所通信 1447  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月11日 (土)

西方浄土の近くの極楽へ旅行

 西方浄土の近くの極楽に旅行してきたので、この1週間ほど、ブログを休載しました。恐縮です。その極楽で、考えさせられることが多々あった。極楽と地獄は表裏一体である。本人には極楽であっても、その裏に地獄がある。

 昔、受験地獄を経験したが、今から見るとそれは極楽であった。地獄があったから、その後の幸せがあった。地獄を見なかった者が、フリーター、リストラ、認知症の対象となっている。

 地獄であっても、健康でそれを修行として対処する人は、その地獄が己を鍛える修行の場に変わる。己の至らぬ点を地獄の火が浮かび上がらせてくれる。地獄が明らかになるのは、己が積み重ねた罪が明らかになる時なのだ。

 

明徳

 闇夜で、月の光に照らされて、松の葉が浮かび上がる。暗夜で己の徳が浮かび上がる。真っ黒な空間で、弥勒菩薩が三千光年先から照らす光で、己の徳が浮かび上がる。それが明徳である。仏様は生死を管轄している。人は生死を考えず、己の健康管理に精進すれば良いのだ。

 いくら健康管理に精進しても、人は120歳以上には生きらない。必ず死がある。死を前提に生きないから、人はモノに執着する愚かさを演じる。死んでしまえば、後は野となれ山となれ、である。

 

地獄に向き合う者

 人は地獄を見て成長する。生かされ活きる法を知る者しか、地獄と極楽が織りなす人生の真理が見えない。生きているから苦しみがある。極楽で生きる者には、苦しみがない。それは脳死である。地獄でもがく人は、徳と智慧を授かる。人を匿名で誹謗する者は、徳と智慧と己の魂も地獄の河に捨てている。

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 魂 松本明慶先生作       書は馬場恵峰先生作

 

2020-01-11 久志能幾研究所通信 1446  小田泰仙

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2020年1月 6日 (月)

もう一人の自分を創る

 自分は明日、何の為に生きるのか、という勉強をやっておかないと、その時その時の調子もので一生を終わってしまう。調子に乗って、社長に祭り上げられ、市長に祭り上げられ、のぼせて経営をしても、後世に何も残せない。市制100周年記念行事の祭りや行事に没頭してウツツを抜かせば、何の意味もない人生を送ることになる。己の会社の社員や、大垣市民が不幸になるだけだ。それは人生の驕りである。100年の計を間違えている。

 

令和の理想

 「令」の字に「口」を追加した象形文字が「命」である。その時代の元号は日本の理想である。「何事も秩序をもった美しさを持て」が「令和」の意味である。元号とは、これからの30年間の日本の目指す理想の指針である。それに己の人生に当てはめないと、人生が有意義にならない。

 今までの日本の歴史では、「昭和」だけが理想通りにいかなかった。それは「口」という四角張った文字が3つも含まれていたことも原因だろう。それは馬場恵峰先生が書家だから気が付いたことだという。

 

令和20年の姿

 皆さんが20年後、令和20年を迎えると、65歳以上の老人が3人に一人である世界である。その時に、どういう「もう一人の自分」を創ってきたかが、人生の生きざまを分ける。その時に何を残すかが問われる。

 モノを残し、カネを残してもつまらない。人間として生まれ、素晴らしい人生であったという証しを残して、あの世に旅立ちたい。

 

命の根

 涙堪えて悲しみに耐える時、

 愚痴を言わず、苦しみに耐える時、

 言いわけしないで、ただ批判に耐える時、

 怒りを抑えて、ただ屈辱に耐える時、

 あなたの命の根は深くなる。

   相田みつを作詞 『にんげんだもの』詩「いのちの根」

 

 自分自身がしっかりしていないと、自分の人生で行き詰まる。

 

人生の大事

 馬場恵峰先生は、最初の妻が若くして亡くなられた。後継者と希望を託していた3男が40歳で、幼子を残して病死した。なんで俺だけがと先生は嘆かれたという。悲しみに耐えるしか手がなかった。

 馬場恵峰先生は、中国に240回も行っていると、書道仲間から、陰でくそみそに誹謗された。その逆風に「なにクソ、みていろ、やってやるぞ」と粉骨奮闘でやっきた。上記の詩のような心境で頑張られて、今の先生がある。 

 私も前職で、教育関係で信念をもってやってきたことを、吸収合併された後、会社の教育方針が今までと真逆になり、嵌められて閑職に追いやられた。言い訳をしても、新会社では意味がないので黙って屈辱に耐えた。だから恵峰先生の心情がよくわかる。会社では世間で正しいことでも、上司や会社の価値観で正悪が逆転するのを体験した。

 非難中傷や足を引っ張る人間は、己は表にでず、陰で非難、裏工作だけをして、足を引っ張るものだ。それが一番卑怯である。

 それ以来、私は言い訳をしないことを人生方針とした。私の言動が理解出来ないレベルの人と向い合っても時間の無駄である。それに足を取られず、私の人生の大事を急ぐような人生設計とした。

 

もう一人の自分を創るには、

 まず自分が変わろうという意欲を持たないと、何事も成就しない。それは会社経営でも教育でも同じである。

 経営セミナーは経営理念の話ばかりで、人間としてどう生きていくべきかの話しが欠如している。だからそんな話ばかりを聞いても会社は儲かるようにはならない。

 字を上手に書こうと思ってはダメ。書道で、人生を學ぶのだ。一道を極めれば、万事に通じる。

 

1 手を動かす

 恵峰先生は現在93歳で現役である。人から、「なぜそんなに元気なのか」とよく問われるという。「自然から薬を頂いている」が先生の回答である。

 日中文化資料館の庭には草一本生えていない。生えれば、草を取るからだ。毎日、体と手を動かして庭の草取りをする。それが自然から薬を頂いていること。

 先生は、「知りたたることを、人に教えて、感謝されて」生きている。人のために生きる人を仏様は支援する。それが自然から薬を頂くこと。

 一番頭によいことは、手を動かすこと。両手がしっかり動けば、長生きできる。だから恵峰先生は筆で書を書いている。そのことは釈尊の経典に書いてある。人は、両手を使って書けば覚えるのだ。目で読むから覚えない。だから老化が早い。

 それを人差し指だけの一本だけで人を指さして、非難するだけに手を使うから早くボケて早く死ぬ。人を指すのでなく、指を丸めて、舌を丸めて、言いたいことをぐっと我慢することだ。その代わり、手で自分の心情を、手を動かし紙に書く。

 

お足を使う

 人のやる企画・運営は簡単に崩れる。それは頭だけの仕事。しかし真心で作ったことは崩れない。真心で最善を尽くすことである。

 人はうぬぼれると足を動かさなくなる。足とは「お足」である。お金を使わないから、智慧が付かない。だから定年後にすぐに老人ホームに直行である。

 恵峰先生は、中国に240回以上も旅して約7,000万円を使った。その金は残っていないが、中国人との交流で中国の書家との愛情が残った。それが、「旅は道連れ世は情け」である。

 

心に鍵をかけない

 「あれは好かん、これ好かん、それは無理」と言っていては、自分の新しい人生は作れない。やらないのは、それは自惚れである。自分が恥をかくことが怖ろしいのだ。だから人生で行き詰る。それは心に鍵をかけること。それを避けよ。心の戸を開くカギは「そういう考えもあるだろう。教えてくれて、ありがとう」である。

 

2 忘れることの大切さ

  愚痴をこぼさない。いつまでもくよくよしない。

  前向きに考えることである。

 

3 相手の長所を見る。

  短所ばかりを見る人を「馬鹿」という。短所は誰でも、よく良く見えるモノ。長所を見る能力を作れば、自然と短所は見えなくなる。短所ばかり見て、批判ばかりするから、うだつが上がらない

 

4 過去の経験を上手に使う。

  失敗を振り返ること。過去の失敗を闇に葬らないこと。失敗の中に、人生のお宝が埋まっている。それが自分株式会社の企業経営の基本。

  

5 怒りをなくす

 

6 家庭で子孫に伝える

 親子別生活を避ける。親子別生活が現代社会の一番の問題である。伝えるべき大事なことが伝わらない。現在の東京一極集中となると親子関係の危機である。聞いておかねばならないことが聞けなくなる。対話する機会が無くなる。家庭生活をどう受けついでいくか。それが現在の日本の問題。

 だから恵峰先生は、家族に伝えるべきことを書いて置こうと決断した。先生はこの春に人生訓の掛け軸100本を完成させた。

 人生で大切なことは、後世に何を残すかである。モノやカネを残しても、その人の魂の痕跡は残らない。モノやカネは虚しい遺産である。役人が美味しい思いをするだけだ。美田を残せば、子孫が堕落する。

 それが今回、出版予定の馬場恵峰先生の人生訓の軸を写真集にまとめた『老いのともし火』である。

 

 本内容は、2019年5月23日、馬場恵峰先生が仙台で講演をされた内容を参考にまとめました。

 

2020-01-05 久志能幾研究所通信 1445  小田泰仙

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2020年1月 4日 (土)

タイヤに窒素を入れて「得・徳・疾く」

 私は15年ほど前から、自車のタイヤに窒素ガスを入れている。窒素はガスが漏れにくく、温度変化にも強いため、航空機のタイヤにも使われている。フォーミュラカーもタイヤには窒素を入れている。

 

窒素入りタイヤのメリット

 窒素は空気に比べてゴムの透過速度が三分の一とガスが漏れにくく、空気圧チェックが年に1回くらいですむ。時間節約となる。

 窒素入りタイヤは、燃費向上につながる。タイヤ圧の管理は一般の人は怠慢になり勝ちである。JAFの調査によると高速道路を走る車で、その内15%の車のタイヤ圧が不足していたという。タイヤ圧が不足すると燃費が悪くなる。それが窒素入りのタイヤだとその確率が減る。

 窒素は酸素に比べて、タイヤやホィールの金属部への腐食影響が少なくタイヤの寿命を延ばすことが出来る。

 窒素は音の伝達率が低く、タイヤからの走行音の伝達が減少して、乗り心地が良くなる。しかし僅かな差なので体感するのは難しい。

 費用もタイヤ4本で2千円ほどである。無料の空気に比べて、それがデメリットだろう。

 安全運転への貢献、燃費節約への貢献は0.1%かもしれないが、その積み重ねが人生を質実剛健にする。

 

不徳の露見

 2013年、岐阜トヨペット大垣北店が、車検時に窒素が入った私のタイヤに空気を入れるという失態を犯した。タイヤには窒素入りの目印があったが、岐阜トヨペット大垣北店の整備マンは、それの知識がなかったようだ。岐阜トヨペット大垣北店は窒素を入れる設備も持っていなかった。そのミスを指摘しても、岐阜トヨペット大垣北店は、その事態を理解できず、その謝罪もなかった。

 これでは苦情を言っても時間の無駄だと思い、早々に退散して、別のお店で「お金を払って」窒素を入れ直した。それ以降、岐阜トヨペット大垣北店とは縁を切った。「窒素入りタイヤ」という事象がディーラの技術レベル、信用レベル(徳)を教えてくれた。

 自分の命を預ける車の点検を任せるディーラは、技術力、仁義、徳、礼儀、智慧、信用力があるお店を選ぶべきである、が今回の学びであった。

 

日本人の徳の消滅

 しかしこれは特定のお店だけの問題なのか。自分のやった仕事にミスがあっても、客に反省も詫びもない。そんな日本人が増えたようだ。企業も拝金主義がまかり通る経営が最優先される。日本人全体が「仁義礼智信」を忘れた、人間としての基本素養を放棄しつつあるのではと危惧している。それは日本の政治、大垣の政治でも垣間見える。

 

 「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

     “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

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 馬場恵峰書

 

2020-01-04 久志能幾研究所通信 1444  小田泰仙

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2020年1月 3日 (金)

「聖観夢菩薩」は夢の工程を視える化する

 私は「死ぬまでにやりたい108の夢」を掲げて頑張っている。還暦を迎え10年近くも経過したので、その夢の実現プロセスを分析することを思いついた。

 その夢がいつ生まれ、何時成人になり、成功して、消えるかを検証すると、今まで見えなかった己の姿が見えてくるようだ。

 

夢の成果

 今までに何が実現できて、何が出来ていないのか、その夢が実現出来た要因、できなかった原因を明確にすべきである。できなかった原因を明確にしないから、残った夢の実現が難しくなる。

 夢が出来たこと、できなかった要因を「視える化」して解析すると、自分のこれからの生き方を見直し、改革できることになる。

 108の夢リストをExcel表にして、その成否、理由、利他・利己の分類、その課題を視えるかする。そうすれば漠然としていた夢が現実的に視えるようになる。    

 

夢内容 正否  利他利己 正否の理由 課題 今後の展開
           
           

 

夢のご縁

 夢を見るだけでは、夢は実現できない。夢は人間だけが見ることが出来る。なぜその夢を見たかの理由迄、遡らないと夢の夢になってしまう。夢を見ることで、その夢は実現できなくても、別の世界を展開できる場合が多い。それも夢を見ていたから実現できたことである。

 

課題の発見

 なぜその夢が実現しなかったのか。そこに自分の弱点、問題点が埋まっている。それは自分が成長するためのヒントの山である。人は全く実現できない夢は見ないものだ。実現できなかった夢に己の課題がある。

 「偉大な仕事は、夢から生まれ、情熱で持続され、責任感で成就する。(堺屋太一の言葉)

 実現できなかったのは、情熱が少なかったのだ。責任感が不足していたのだ。夢が生まれないのは、仕事を使命感で取り組んでいなかったためである。

 

夢を分類、解析

 その列挙した108の夢は、利己のためか利他のためか、分類してみると興味深い。そうすると己の心の奥の姿が映し出される。夢の分析をして、利己に溢れた夢は実現しにくいことを発見した。

 

 

仏様のご支援の影を見る

 今までの夢の中で、本来、あり得ないご縁を経験した。そのお陰で実現できるはずのない夢が実現している。これは聖観夢菩薩様のご支援と思う。

 これから、今までの夢の実現の可否とその要因・原因を調査分析して、今後の生き方を変えたい。

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  馬場恵峰書

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 馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集

 「報恩道書写行集」久志能幾研究所刊より

 

2020-01-03 久志能幾研究所通信 1443  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月 2日 (木)

八幡神様にトヨタ生産方式を教えられ

 令和2年の正月、朝は体を労わって例年よりもゆっくりと午前中を過ごした。お昼を食べてから地元の八幡神宮に初詣に行くことを思いつき、初詣に出かけた。ところが現地に着くと、今だかって見たかことのない長蛇の行列である。推定すると拝殿まで約1時間を要する。それで私は参拝を諦め、境内外から手を合わせてから、その場を離れた。私の行動原則で、必要がないと行列には並ばない。

 

トヨタ生産方式

 トヨタ生産方式では、効率化のため、生産の平準化を追求する。一時的に生産が集中するのは、効率が悪い生産管理である。

 初詣で1時間の待ち時間とは、生産の渋滞である。時間コスト一分100円の計算で、お参りに6,000円の時間コストを生じている。初詣で長蛇の列に並ぶ行為は、利己願望で社会貢献ができない時間を使っている。行列や生産の滞留は、日本経済活性化を妨げる罪なのだ。自分の成長の妨げなのだ。行列が出来たら、何かおかしいと思うべきだ。

 グルメの世界でも行列の出来るお店が評判になっているが、それは正常な姿ではない。一時間(6,000円)の労力をかけても食べたい美食追及は、快楽の追求で堕落への道ある。それは私の価値観に合わない。そんなグルメに走るから、罰として病気になるのだろう。

 

神様の身になって考えよう

 私の過ちは、年中で一番、神様が忙しい時間帯に初詣に出向いたこと。神様だって正月の午後1時半は参拝者をさばくのに忙しいのだ。神様の身になって、その時間帯は避けるのが、神様思いである。

 今までは、初詣は早朝であったが、今年は体調が不調で午後に変更した。それで分かった世相であった。

 

お礼

 私は、前日の長蛇の行列に懲りて、翌日の9時に再度、初詣に出かけた。早朝の境内は参拝者も少なく、前日の長蛇の列が嘘のようであった。それで静かに、昨年の病気でのご加護のお礼を申し上げた。神前でのお願いはご法度である。神仏の前では、お礼を言うだけで、お願いはしない。

 僅か100円のお賽銭で、全宇宙の物理法則を曲げることを望むのでは、罰が当たろう。祈りは、お賽銭を介した商売取引ではないのだ。そんな考えは他力本願で、夢が実現するはずがなかろう。神様がは自分の力で夢をかなえる人を見守っている。夢や願いは、自分の工夫と改善と努力で勝ち取るものだ。仕事上で、やるべきことを全てやり、万策尽きた時のみ、祈りが有効となる。

 

2020-01-02 久志能幾研究所通信 1442  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月 1日 (水)

私の行動指針 「一期一会磨墨全智」

 令和2年正月に、「私の行動指針」を見直した。昨年は癌が発見され、手術をした。余命宣告までされたので、人生観が変わった。それを元に見直しを行った。

 

1 時間は命が最優先

  命とは自分がこの世で使える限りある時間の総量。

  一刻一刻、時間は尽きていく。人生の大事を急げ。

  自分の命を最優先に大事にせよ。人の命(時間)も大事にせよ。

2 健康を管理せよ

  健康でなければ、何事も成就できない。体と心が健やかに。

  死んでもいいが、健康が最優先。

  生死は神仏の管理、健康は己の管理。

3 ご縁を大事に。

  出会うご縁の正邪を判別する力をつけよ。そのため学習せよ。

4 努力より選択を重視せよ。

  選択したら決断を早い時期にする。即決の必要はない。

5 現地現物で、本質、真因に迫れ。

  Go and See for yourself thoroughly understand the situation.

6 他への貢献を優先せよ

  幸せは周りが運んでくれる。

  知りたることを周りの教えることが菩薩行。

  人のために話をしないと、自分が幸せになれない。

  与えたものが10年後に返ってくる。

  利他の道は菩薩行、利己の道は畜生道。

7 自己の強みを生かせ

  己は万能の神ではない。神を目指さず、強みを生かせ。

  強みを生かせば、弱みは人間味となる。

8 目に見えないものに感謝せよ。

  生きているのではない。生かされているのだ。

  人を祈る気持ちがないと、神仏の加護はない。

9 「後は野となれ山となれ」の精神で。

  この世で出来ることに全力を注げ。

  死後のことを考えるから行動に制限が出る。

  良いことなら、後は仏様が後始末してくれる。

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 馬場恵峰書の陶器  2019年年末に入手

 

2020-01-01 久志能幾研究所通信 1441  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月31日 (火)

除夜の鐘は御恩の音、出会いに感謝

 除夜の鐘は108つ衝く。ごぉーんとなる108の鐘の音は、人間の煩悩・迷いの叫び声である。大晦日、煩悩の闇を「除」いて、光明の「正月」を迎えるために鐘を衝く。自分の煩悩を「夜」という言葉で象徴している。夜である「人生の闇」を、自分の悩み・苦しみをテコに、仏の教えを乞うために、戸を叩く。それに悟れば、闇の世界から光の世界に行くための戸を叩く機会を与えられる。悩みがなければ、光の世界への戸も探さないだろう。それが除夜の鐘を108つ衝く意味である。鐘を叩くのは、そのご縁に出会えたことに感謝である。

 

「一」とは

 正月の正は「一」と「止まる」からなる。「一もって止まる」の意である。『易経』では「一は天を指し、二は地を指す」という。老子は「一は道であり、真であり善である」という。孔子は、論語で「一以貫之」(一をもって之を貫く)と述べている。「一」は数字の始めであり、神・仏を意味し、天の道、人の道、真の道を意味する。

 人との出会いも「一期一会」である。一とは人生の初心である。正師との出会いは一度限りである。道元禅師は「正師に会わざれば、会わない方がよい」とまで言っている。頭の良い人が「尊師」を「正師」と思って盲信したら、絞首台に上らされたサリン事件があった。だからこそ「3年かけて師を探せ」なのだ。

 人は、物事を「一事一心一念道」で取り組むから成功する。それをやるか、やるまいかと「二心」があるから失敗するのだ。

 だからこそ108の煩悩を「除」いて、「正月」を迎えるために除夜の鐘を衝くのだ。

 

解釈があるだけ

 人生で障害、苦難、病気に出会わなければ、人は慢心になり、過ち慢心地獄に堕ちる。自分が出会ったご縁は、すべて自分を正しい道に導くための道路標識である。道路標識には、何の好悪の意思はない。好悪、正誤をきめるのは、己の煩悩である。

 ニーチェ曰く「There is no facts, only interpretation. 事実はない、解釈があるのみ」

 己の色眼鏡のせいで、正しいことを悪と思い、邪道の道に逸れる。色眼鏡とは、己にしみ込んだ潜在意識である。

 

総ての出会いは仏様の差配

 人生の総ての出会いには意味がある。その出会いの数は、煩悩の数と同じだけ、108つある。それに正邪はない。正邪は人の心が勝手に決めているのだ。

 癌という病気にならなければ、己の狂った食生活、生活習慣は変えないだろし、それが間違っていることに気が付かない。病気も人生の道中で出会う仏様である。私も病気になったから、全国の医師を訪ね、南雲吉則先生に出会った。それで己の狂った食生活、狂った生活習慣に気付かされた。気が付かなければ、手遅れになって早死にするところであった。「癌」という仏様に命を助けてもらった。

 自分が癌にならなければ、日本の医療の問題に光を当てなかった。抗がん剤治療の恐ろしさも、気が付かなかっただろう。

 入学試験で失敗して、世には自分より能力の高い人間がいることに気が付き、もっと勉強しなければ駄目だと気が付く。入学試験失敗という仏様との出逢いである。

 自分が交通事故と出会わなければ、自分の運転技量の問題点を明らかにされなかった。それで将来の大きな事故を起こすのを避けられた。仏の導きである。

 

仮面舞踏会

 人間関係で軋轢を生じなければ、自分の自我の強さに気が付かない。それを気付かせてもらった。その衝突で、相手のレベルと比較して、自分のこれからの生きざまが、光で照らされて明徳が明らになったのだ。

 人生は仮面舞踏会である。嫌な相手との出逢いは、邪鬼の仮面を被った仏様との出逢いであった。人生ドラマのクライマックスで、己の鼻をへし折ってくれたので、己は成長が出来た。周りの人は、仮面を被ってこの世を生きている。ぺルソナとは、ラテン語で仮面という意味である。ここからパーソナリティという言葉が生まれた。仏様は邪鬼の仮面を被って、己を試し、己を導いてくれた。感謝である。

 

 「命」とは「人」が棒(一)で、「叩」かれると書く。人間関係で軋轢を生んで、己の慢心を批評という棒で叩かれなければ、自由気ままに生きる畜生と同じである。人間界の叩きを修行という。

 

人生賞味期限

 河村義子先生との昨年の別れは、「いつまでもあると思うな親と金」を教えてくれた仏様との出逢いである。だからこそ、生きている間に精一杯の精進をすべきとの教えなのだ。己もいつまでも生きていられるわけではない。「夕焼け小焼けで日が暮れて♪」を聞きながら、「日暮れて道遠し」に気が付く。それで自分の命の賞味期限と自分の使命を教えてくれたのだ。

Dsc08982s   馬場恵峰書

2019-12-31 久志能幾研究所通信 1440  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月30日 (月)

企業の拝金主義化は、日本人の劣化の表れ

 綜合文具首位のコクヨが、文具大手のぺんてるを敵対的買収を仕掛けて、結果として、敵対的買収が失敗した。その過程で、コクヨがぺんてるの従業員に内部情報を漏らすのを唆すような呼びかけをしていると、そのコクヨを非難する文書をぺんてる自社HPに公開するような醜態的事象まで起きている。文人が愛する文具を作るメーカなのに、その喧嘩の様子は野蛮人のように醜態である。まるで金で全てを解決できるかのような風潮である。

 

コクヨの経営方針の綻び

 『致知』の対談記事で、コクヨとは「国の誉れ」から社名を取ったということを覚えていたので、コクヨの敵対的買収の行為に違和感を覚えた。これはコクヨ創業者の気高き志を踏みにじることになる。それは創業家末裔の未熟さを表す恥さらし行為ではないかと感じた。

 コクヨの今回の敵対的買収の仕掛けは、日本の企業が拝金主義、グローバル経済主義に染まった現象である。経営者が、人格と同じ社格のある相手会社の尊厳を平気で踏みにじるまで劣化した象徴的事件だと思う。それがまかり通る世情にいら立ちを覚える。企業の劣化は、会社を経営する経営者の劣化である。それは日本人の人格の劣化の表れだ。

 先人が苦労して作り上げた組織を札束で頬を叩くように、敵対的買収で手に入れる。そんな行動が、グローバル経済主義では正当化されるが、日本では何か違和感がある。会社を創業し、それを継続するのは大変な労苦である。会社には、創業者の志と社会への責任がある。グローバル経済主義の裏技で、敵対的買収で、簡単にその会社を入手するのが流行る世相は異常である。

 

ソフトバンクの例

 ソフトバンクの孫氏は、米国の会社の買収工作で大火傷を負ったようだ。孫子はマネーゲームの興じているようだ。私はソフトバンクの経営方針に疑問を持っていたので、その昔、ツーカーセルラーがソフトバンクに吸収されたとき、私はソフトバンクでなく、auに切り替えた。君子危うきに近寄らず、である。

 

事務用品のメーカ変更

 今まで、私は自宅の事務用品の購入で、お店の推薦でコクヨ製のチューブファイルを揃えていたが、馴染みの文具店店が私に不合理な仕打ちをしたので、そのお店に行くのを止めた。次に変えたお店では、キング製のファイルを推奨されたので、それを買うことになった。結果として、コクヨ製からキング製に変えたことになった。

両社の製品を比較すると、明確にキング製が優れている。つまり経営者が劣化すると、製品も競争力を無くすようようだ。私は、この買収騒動事件を機に、コクヨの製品を完全に止めようと思う。その会社が作る製品は会社の顔と経営者の人格を表すのだ。

 

チューブファイルは創造の道具

 ちなみに今回、自宅書庫にあるA4、B5のチューブファイルの分量を数えてみたら、148冊が存在した。今も増加中である。我ながら呆れた。資料は私の仕事の歴史と知的創造のツールなので、ケチるわけにはいかない。

 ドイツの諺に「整理整頓は、人生の半分である」がある。私は、資料の整理にチューブファイルが欠かせない。持てる情報・資料の整理こそ、創造の源である。創造とは、学会の定義によれば、「過去の経験知識の解体と結合による」という。発明は天才の仕事だが、創造は凡人でも出来るのだ。

 

2019-12-30  久志能幾研究所通信 1439  小田泰仙

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