2020年8月24日 (月)

ラジコンヘリで昔にタイムスリップ

加齢なる美学(華麗なる美学)

 

 定年まで真面目に働き、義務としての社会の務めを終えて、定年後に自分の時間をもてるとは何と素晴らしいことか。

 定年後の時間は平均寿命80年としても、20年間もある。私の予定は108歳まで? 残り20年としても、一日12時間×365日×20年で87,600時間の広大な宇宙が広がっている。22歳から60歳まで年間2000時間を働くと、約76,000時間を会社に拘束されて働いてきたことになる。しかし定年後はそれ以上の宇宙が広がっているのだ。その時間があり、意識すれば、一仕事が出来る。そう思って、私は毎日精進している。だから現役以上に忙しくて仕方がない。

 今まで40年近く、自分の技を磨いてきたのだから、新しい道は無限に広がっている。一つの道に5千時間も投じれば、飯を食えるプロになれる。その時間はあるのだ。そう思えば、定年後はバラ色である。

 

定年後の闇世界

 世には定年後の生活が地獄の人もいる。国立大学の工学部長まで勤めて、定年退官後、私立大学の学長まで勤めた人が、現在の処遇を泣いていた。「定年まで仕事一筋で働いて、気が付くと家に私の居場所がない。家内が家の中を総て取り仕切っていた」である。その人は認知症になってしまった。

 定年後、契約社員として働いても、能力の低い元部下の元で働くのは地獄である。部下は無く、肩書権限もなく、社外工と同じ扱いである。精神的に参ってしまい、65歳まで勤める人は稀である。

 定年になってまだ家のローンが残っているので、老体に鞭打って働いている人もいる。それでは電話代も奥さんに管理され、電話一つ自由にはかけられない状態になる。お小遣いもままならぬ。自由に外出もままならぬ。趣味もなく、家ではやることがなく、奥さんや子供からは、粗大ごみ扱いである。

 定年後、家で何もせずぶらぶらしていると、奥さんや子供から邪魔者扱いである。人格を高めていないと、父の権限などどこにもない。

 私が昔、一緒に仕事をした人に電話をしたら、奥さんが電話に出て「あんたー、オダって人から電話!」と怒鳴っていた。それでその人の家庭内の扱われ方が露見した。それ以来、その人に連絡はしていない。

 そうならないように、現役時代に準備を怠るな、が教訓である。一番の修養は、己の人格の向上である。

 

若い時にタイムスリップ

 若い頃、やりたくてもお金が無く、時間がなく、世間体があり、親の許しが出なくて諦めたことが、定年後の今なら出来るのだ。そんな素晴らしい時間が、第二の人生である。

 

昔の趣味が復活、人生再生

 私の学生時代の趣味は飛行機であった。当時はお金もなく、勉強も忙しかったので、精々、ソリッドモデル作り、Uコン作り、ゴム動力飛行機作りが精々であった。ラジコン飛行機など夢の夢であった。

 昨日、ご縁があり欲しかったラジコンヘリコプターが舞い込んできた。私の先生が骨董品屋で、激安の値段で売っていたラジコンヘリを見付け、手配してくれた。気に入って早々に居間に飾った。50年前の心境にタイムスリップである。生きていてよかったと思う。癌などで死んでなんかいられない。これが命の泉である。これこそが大人のオモチャの楽しみである。これをバネに新しい仕事が出来る。

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2020-08-24 久志能幾研究所通信 1718  小田泰仙

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2020年8月23日 (日)

共食いの観音様 キアノンEOS R5 ピンボケに

 経営とは、世のために全ての資源を有効活用して、命を生かすことだ。

 強いものが生き延びるのではなく、変化した社会に最も早く適合できたものだけが生き延びる。(ダーウィン)

 キアノンは一眼レフでその強みを発揮して、長くカメラの王者であった。しかし、そのドル箱資産に足を取られて、ミラーレスの展開で他社に後れを取った。ミラーレスが売れれば、ドル箱の一眼レフが売れなくなる。それは経営用語で、「カニバリゼイション(共食い)」という。カメラの時代が変わった。キアノンは過去の遺産に固執して、新時代に対応できず、大幅減益となって、競争に負けた。

 同じ轍で、自分株式会社の経営でも、過去の栄光と遺産にいつまでも固執して、自分の未来をダメにしていないかだろうか。自省しよう。

 

観音カメラとのおつきあい

 私はキヤノンカメラを50年前の高校生の時から使っていた。そのキアノンと別れる決断を昨年にした。

 キヤノンとは観音カメラが語源である。キヤノンの前身は、1933年、内田三郎・吉田五郎によって創立された精機光学研究所である。観音菩薩の慈悲にあやかりたいという気持ちから、1934年に完成した日本産初の精密小型カメラの試作機を「KWANON」(カンノン)、そのレンズを「KASYAPA」(カシャパ)と命名した。KASYAPAは、釈迦の弟子のひとりである大迦葉(梵: Mahākāśyapa マハーカーシャパ)に由来している。

 1935年、世界で通用するカメラのブランド名として、Canon(キヤノン)が採用された。「正典」「規範」「標準」という意味を持ち、正確を基本とする精密工業の商標にふさわしく、KWANONに発音が似ていることが、この名称を採用した理由とされている。

 私はキヤノンカメラを、一眼レフPELLIX(1968年頃)、EOS20D、EOS7D-Ⅱ、EOS5D-Ⅳと50年間に亘って愛用してきた。望遠レンズを揃えて、主に飛行機の写真を撮って楽しんでいた。

 

転機

 2014年に河村義子先生とご縁ができて、演奏会の写真を撮るため、シャッター音がしないカメラが必要となり、SONYのミラーレス無音カメラSONY α9を入手して、望遠レンズも揃えた。キアノンでは当時、その種のカメラを出していなかったので、苦渋の選択である。メーカによってマウントが違うので、SONY用のレンズを新たに揃えねばならなかった。

 CANON EOS5D-Ⅳは、馬場恵峰先生の書画の撮影用と飛行機用に大活躍であった。しかし演奏会では、一眼レフは大きなシャッター音を出すため使えない。

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 SONY α9 + 100-400mmズームレンズ

 

キアノンは大企業病

 キアノンは昨年ごろからEOS 5D-Ⅳのミラーレス版を出す出すといいながら、その発売を1年以上も遅らせた。それで、私はキアノンの大企業病に気が付いた。今度出すCANON EOS R5は8段のボディ内臓手振れ補正機能と高性能であるが、製品を出す機会を逸していた。私は既に、キアノンに見切りをつけ、ソニーに転向していたので、CANON EOS R5を買うわけにいかない。

 CANON EOS R5は、従来のレンズマウントと規格が違うので、全く新しいブランドのカメラである。アダプターをかませれば、従来のレンズは使えるが、性能を最大限に発揮できない。それなら、私には既に3本の交換レンズを揃えたSONY α9のシステムを使った方が合理的選択である。SONYレンズならキアノンレンズと違い、アダプターマウントをかませなくても良い。そのレンズの性能もミラーレス用に設計してあり、レンズとCCDまでの距離も短い。

 その最新鋭機EOS R5の画素数が4,500万画素である。1年前に先行して製品化したSONY α7R-Ⅳの画素数が6,100万画素である。フラグシップのカメラを世に出すのに、競合他社製品に比較して寝とぼけた商品企画と言える。大企業病で、それさえ凌駕する気になれなかったのか。

 R5は世界最高の手ぶれ補正とキアノンは謳うが、マニアが欲しいのは、世界最高の画質である。キヤノンはボケてしまったのか。手ぶれはマニアの腕でカバーできる。最高画質は、機械に依存して、マニアは手を出せないのだ。

 今回の決算で、キアノンが大減益となって、前社長の御手洗氏が復帰するという。人材がいないのか。何も80歳越えのご老体に出馬を要請すること自体、大企業病である。

 

共食い

 EOS 5D-Ⅳのミラーレス版の発売が遅れた主原因が、現在ドル箱の一眼レフの防衛である。ミラーレス版が出れば、ドル箱の製品と共食いになって利益が減ってしまう。経営的にカニバリズム(共食い)は避けねばならぬ戦力である。しかしコンペチターがそれを打ち破る製品(ミラーレス)をぶつけてきているので、新製品を出さないのでは、戦術的に負けである。キアノンはその決断が1年以上もできなかった。経営の失敗である。

 それで私はキアノンに見切りをつけた。カメラを変えないと、大事なシャッターチャンスを逃すのだ。時間は待ってくれない。時間は命なのだ。

 

人生の共食い

 人生の転機での決断では、今まで培った財産や能力を捨てて、新しい道への転機が問われる。新しい道を選べば、昔の資産が無駄になる。曖昧な選択では共食いの状態に陥る。それを断ち切って、新しい道に進むのが、人生経営である。八方美人では、やっていけない。果断とは、多くの選択肢から、一つを選ぶことだ。それをしないから、経営が昧になり失敗する。

 

2020-08-23 久志能幾研究所通信 1717  小田泰仙

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2020年8月22日 (土)

大垣没落の原因は、祈りなき小川敏の驕り

 小川敏の大垣行政には、「苦集滅道」はない。現状把握として、データを「集」めもしなければ、人の「道」も歩かないので、現状の「苦」(大垣衰退)は無くならない(滅)。あるのは小川敏の驕りだけ。

 驕りとは、利権、名誉、意地に執着して、回りが見えなくなること。そこに謙虚さも反省もない。だから仕事でPDCAを回さず、この19年間、同じ過ちを繰り返し、大垣を没落させた。小川敏は、その驕りから、前後が見えなくなり、次期市長選で6選をめざすという暴挙に走っている。

 過去19年間の恥さらしを、謙虚に祈りを込めて振り返れば、そんな暴挙はできないはずなのに。

 「終戦」も「援助交際」と言い換えて、現状把握を正しくしないのは、まるで不幸にあって、神社仏閣から頂いたお札を貼って、災難から目を逸らし、悩みから逃れるが如きである。事件の真因を追求せず、対策が対処療法ですませるから、少しも問題が解決しない。

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 苦の原因は全て小川敏である。

 

小川敏の2010年

 大垣市長の小川敏が、2010年から毎年、大垣駅前商店街の活性化として「元気ハツラツ市」行事を開催している。それが大垣駅前商店街の没落に拍車をかけて来た。商店街が「元気ハツラツ市行事」の運営方法に怨嗟の声を上げても、利権を得ている実行部隊は、聞く耳を持たなかった。誰かが美味しい餌を食べている。10年間で1億円の市民税が投入されたが効果ゼロである。その会計報告もない。汚職が疑われる。

 

小川敏の2016年

 2016年に「大垣中心市街地活性化計画」という「御祈祷お札」を新たにぶち上げた。それを隠れ蓑として、小川敏は県下一豪華な新市庁舎を建てた。しかし、その対策でも大垣市が寂れ続けたのは、その衰退の真因を解明せず、大嘘のお札を貼っていたからだ。だから大垣中心市街地は少しも活性化しなかった。その没落傾向は少しも改善しなかった。

 

小川敏の2019年

 小川敏は、2019年に「大垣未来ビジョン」をぶち上げた。それは「大垣中心市街地活性化計画」が大失敗に終わったので、その目くらましである。「大垣大虚殿」に貼った恥の上塗りお札である。その計画書(ビジョン)には、なぜ今までの計画が失敗したかの反省はナイ。なぜ大垣市が没落したかの解析は無い。「苦集滅道」の「集」をやっていないのだ。小川敏は正しい「道」を踏み外している。

 

大垣駅前商店街のご臨終

 小川敏が市長になって、19年前は大垣駅前商店街のシャッターが下りたお店の率(閉店率)は約20%であった。それが2011年に約40%になり、2015年には約60%になった。2019年、ヤナゲンが閉店すると、その閉店率は80%にも達した。現在はほとんどのお店がシャッターを下ろした。これだけ目に見えて没落しているのに、小川敏には現実が見えていないようだ。見えていないから小川敏は何も手を打たない。そのデータ解析(集)をしていないのだ。小川敏は絵空事の活性化計画だけを作って、自己満足している。これだけの惨状を認識できないのは、政治的認知症ではないか。

 これだけ大垣駅前商店街が没落しても、小川敏は、大垣駅前商店街活性化で功績があったとして、2019年に大垣商店街組合理事長の小倉俊之に市民功労賞を贈っている。政治的認知症で狂っているとしか思えない。

 

市政100周年記念行事というお札

 2019年、小川敏は、大垣市制100周年記念行事として3億5千万円のお札を大垣中にばらまいた。その行事は、全て一過性の行事で、泡と消えた。その利権に群がった業者は数知れずである。その汚職が市井で噂されている。しかし、大垣経済には何の貢献もしなかった。その翌年の公示地価は、例年の如く19年間連続で下落である。他市はリニア景気で公示地価が上がっているのだ。

 

神の審判

 小川敏が市長になって、連続19年間、大垣市の公示地価は下がり続けている。市場の評価は神の如くである。公示地価は、行政の通信簿である。行政が優秀なら、公示地価は上がり、都市の付加価値が向上したと評価される。小川敏は、市場から無能な市長との烙印が押されたのだ。

 

大垣市の人財育成への腐の貢献

 小川敏が市長になって、大垣市の職員の給与は、岐阜市のそれを抜いて県下一になった。大垣市を没落させても、給与は高いのだ。

 反面、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となり、その財源が、大垣市の職員の給与に振り向けられたようだ。要は小川敏が子供の教育費を食い物にした。それで10年後の大垣の没落が確定的になった。大垣市の児童生徒一人当たりの教育費は、刈谷市のそれの半分である。大垣市は将来のフリーターの生産拠点となる。悲しい現実である。子供への教育費と、将来の年収は比例する。

 大垣市教職員の年間給与は、岐阜市のそれよりも200万円も低い。

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小川敏の人徳の無さ

 人徳とは危機状態の時、それが露見する。今回の新型コロナウイルス騒動で小川敏の行動がそれを明確に示している。市民が仕事がなくなり苦しんでいるのに、大垣市民に対する支援が、小川敏は冷酷なのだ。大垣市民一人当りへの支援は、海津市のそれの10分の1以下である。それを如何にも大判振舞いしているかのように、新聞紙上で宣伝している。人の道から外れている。

 小川敏は、このように市民に対して資金を出す方はケチっているが、貰う方の寄付受付は、他市よりもダントツに多い。吝嗇の典型である。

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大垣市の教育は県下最低レベル(2019年)

      一人当り予算   児童生徒数 

         千円  大垣100で   人

 多治見市    735    158    8,862  

 岐阜市     529    114    32,074  

 可児市     517    111    8,352   

 大垣市     465    100    14,400  

 各務ヶ原市   445     96    12,525   

 刈谷市(愛知県)918    197    11,120 

 

 大垣市・岐阜市の職員給与

      一般職     教育職

 大垣市   665.62万円  529.61万円  2016年

 岐阜市   639.87万円  738.09万円  2014年

  給与.comより https://kyuuryou.com/city/212016/?nendo=2014

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大垣市の地価

         大垣市地価平均   前年比変動率

 2001年[平成13年]   12万4222円/m2  -7.98%  下落 小川敏市長就任

 2002年[平成14年]   10万8425円/m2  -10.10%  下落

 2003年[平成15年]   9万6470円/m2   -9.65%  下落

  2004年[平成16年]   8万3482円/m2   -8.56%  下落

 2005年[平成17年]   7万3836円/m2    -7.04%  下落  小川敏市政2期目

 2006年[平成18年]   7万2277円/m2    -4.20%  下落 

 2007年[平成19年]   6万8535円/m2   -1.85%  下落

 2008年[平成20年]   6万9942円/m2   -0.16%  下落

 2009年[平成21年]   7万1687円/m2   -1.40%  下落 小川敏市政3期目

 2010年[平成22年]   6万7237円/m2   -2.82%  下落

 2011年[平成23年]   6万5702円/m2    -2.36%  下落

 2012年[平成24年]   6万3941円/m2    -2.41%  下落

 2013年[平成25年]   6万3216円/m2    -2.13%  下落 小川敏市政4期目

 2014年[平成26年]   6万1898円/m2    -1.31%  下落

 2015年[平成27年]   6万1495円/m2   -0.78%  下落

 2016年[平成28年]   6万0585円/m2    -0.57%  下落

 2017年[平成29年]   6万0692円/m2    -0.50%  下落 小川敏市政5期目

 2018年[平成30年]   6万1540円/m2    -0.39%  下落

 2019年[令和元年]   6万2036円/m2     -0.47%   下落 

   2020年[令和2年]  6万1718円/m2        -0.55%  下落 

 

大垣市の公示地価・基準地価マップ・坪単価 - 土地代データより 

 ※変動率は、各地点の変動率の平均となる。(平均地価の変動率ではない)

  https://tochidai.info/gifu/ogaki/

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2001年の地価を100として2018年の地価は

  (公示地価、基準地価の総平均)2001年より小川敏が市長就任

  高山市   90.0

 美濃加茂市 71.8 *

 岐阜市   65.3 *

 多治見市  59.4 *

 大垣市   49.5

 名古屋市  145.1

 刈谷市   107.2

 安城市   99.0

 岡崎市   94.3

 大府市   90.2

 一宮市   75.0

      *印は2019年

    大垣市の公示地価      https://tochidai.info/gifu/ogaki/

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市庁舎費用比較

 新市庁舎の建設費、大垣市は県下一豪華

      人口  新市庁舎費用  市民一人当たり負担

 大垣市   159千人  126億円  79千円(県下一)

 岐阜市   406千人  266億円  65千円 

 各務ヶ原市 145千人   83億円  57千円

 多治見市  107千人   52億円  48千円

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P1070429s   大垣市新市庁舎

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コロナ対策費比較

            大垣市     海津市

人口          158,832人    33,004人(2020年1月1日)

令和2年度一般予算    603億円     150億円

コロナ対策費       2億円2480万円   5億円

市民一人当たり対策費   1,415円   15,149円

 

子供へ         5千円ギフト券    1万円を補助

市民へ          なし       3000円の買い物券

新生児に        なし        1万円を補助

一人親限定で      2万円

(数が少ない)

市長給与の減額     なし    市長の給与を 20%減

(財源確保)            副市長の給与を15%減

教育長の給与を10%減

        口先、カッコだけの対策  長が痛みを感じる対策

参考

小川敏コロナ対策は大便ごとき、海津市 ... - 久志能幾研究所通信

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一般会計に占める寄付金比率比較

  令和2年度一般会計収入 うち寄付金額 比率

大垣市    603億6000万円  7.24億円  1.20%

岐阜市   1790億1000万円  2.10億円  0.12%

多治見市   417億5368万円  0.64億円  0.15%

高山市    422億3779万円  0.06億円  0.014%

刈谷市    607億8000万円    0.02億円   0.003%

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2020-08-22 久志能幾研究所通信 1716  小田泰仙

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2020年8月21日 (金)

般若心経の「苦集滅道」とはPDCA

 般若心経で一番大事な言葉が、本文の中央に書かれた「苦集滅道」である。般若心経は、玄奘(600~664)が万巻の経典を278文字に集約したお経である。その「苦集滅道」の意味はPDCAである。現代の品質管理工学と同じことが、1400年前に既に般若心経で教えられている。つまり人間はこの2000年間、少しも進歩していない。

 

人の進化とは

 エジプトやギリシャの遺跡で、「最近の若い者は・・・」等の老人のぼやきが書かれた文書がよく発見される。私が後世の残す戯言なら、「最近の年寄りは、昔の老人より退化している」である。老人とは、経験を積んだ賢人であるべきなのだ。それが拝金主義の現代社会では、医学発達の成果で老いても体は元気だが、肝心の智慧がなく、利権に溺れて強欲な老害を振りまいている輩が多い。問題が起きても対処療法で済ませている。若者の模範となる智慧のある老人は少ない。

 

対処療法が氾濫

 人は苦しみに出会い、それから逃れようと様々な取り組みをするが、多くはその場しのぎの対処療養で済ませるから、少しも改善されない。それも科学技術の偽善で、間違った方向の改善が多い。一番の典型事例が、高血圧治療の降圧剤使用である。真因を探らず、対処療法の降圧剤の乱用である。

 また安易な逃避の典型が、お祈りとお布施の他力本願である。いくら時間をかけてお祈りをしても、そのトラブルの真因を追求せず、単に他力本願のお祈りだけをするから、少しも改善されない。苦から逃れるためのショートカットで、苦を無くそうなど、横着である。

 それに邪悪な新興宗教が付け込んで、金儲けをしている。苦しみの中、いくら祈っても、お札を貼っても、お布施を出しても、教祖や狂祖にすがっても、真因を除かないので、解決しない。

 

苦集滅道

 無苦集滅の「苦」とはトラブルの事である。その原因を探るため、現状把握として、データを「集」める。それを分析して、どうするかを計画(PLAN)する。その対策を実行(DO)して、苦を取り除く。それで本当に苦が「滅」したかをチェックして、再行動(ACTION)して、初めて「苦」が無くなる

 因果応報とし、人として正しい「道」から外れた行いをするから、苦を生じるのだ。お天道様に恥ずかしくない道を歩め、である。

 それが1400年前に作られた般若心経の神髄である。

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 10行目の中央に「苦集滅道」が書かれている。

  上図は自宅仏壇に供えるため、馬場恵峰先生に書いて頂いた般若心経 

 

2020-08-21 久志能幾研究所通信 1715  小田泰仙

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2020年8月20日 (木)

仕事とは祈り

 祈るとは、頭を冷静にして自分と対峙し、謙虚になり、反省すること。そこから時間創出の智慧が出てくる。喧騒たる働きだけでは智慧は生み出せない。傲慢な生き方からは、智慧は生まれない。

 

祈りの長い人

 お祈り時間の長い人は不幸な人が多い。幸福な人はお祈り時間が短い。それはお祈りではなく、神仏への感謝の報告である。不幸な人が、自分のやるべきことを放棄して神仏へのお願いに時間をかける。そんな時間があれば、公園草取りでも、家前の道掃除でも、人様のお役に立つことをやればよい。

 お祈り時間の長い人は全て他力本願である。それで幸福になれない。仏様の教えは「まず自分のやるべきことをやりなさい。そうすれば10年後に利子をつけて返してあげる」である。それを「お賽銭を入れた。人様以上に長くお祈りをしたので、直ぐに配当をくれ」では神も仏もあったものではない。神社仏閣は、お願いをしてお賽銭を入れればご利益がでてくる自動販売機設置場所ではない。そう信じている人は、お祈り時間が長い。

 

仕事とは祈りである

 幸福な人は、仕事をすることで、社会に貢献している。そして儲かれば税金を納めて、社会のお役にたっている。幸せな人は奪う人ではなく、与える人である。

 祈りの長い人は、棚ぼたを信じて口を空け、待つだけの人である。

 

祈りの長い人

 某老女のお祈り時間は約20分間余と長い。ご丁寧にお寺の入り口に自転車を置き、入口を封鎖してのお祈りである。お参りにくる人に迷惑になるので、私は注意したが、「片方が空いているので問題ない」と意地になって反論した。人様へのご迷惑は、お願いの祈りに没頭して眼中にはなかった。こうなっては仏様もお手上げだ。その後、隣の八幡神社でも同じように長時間のお祈りであった。そこでも東口鳥居のど真ん中に自転車を置いてのお祈りであった。

 南園堂の不空羂索観音様や大日入来様、延命地蔵菩薩様だけでは心もとないので、八幡神宮の天照大神様にも二股をかけている。二股をかけられては、観音様も気を悪くするでしょうに。

 

 祈りとは何かを考えよう。祈りとは自分を謙虚にする修行である。謙虚でなければ、周りが見えない。大義名分に囚われて、我々も同じようなことをしてないだろうか。

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信心深い利己の人

 私が、年に数十万円の商品を買っていた馴染みお店があった。そのお店のご主人は、非常に信心深いので、格別の親交があった。お供えのお花の保全の件でも教えてもらった。

 2017年頃、河村義子先生主催の演奏会の資金的支援を、この人にお願いに行った。子供たちを120名招待して「世界で一流の音楽を聞く会」プロジェクトである。趣旨をご主人に話したが、支援はけんもほろろに断られた。それで彼が佛に信心深いのは、自分の幸せのためだけであって、利他の心は全くないことが判明した。それ以来、そのお店で商品を買うのを止めた。

 

資金集めの苦労

 当時、私は「世界で一流の音楽を聞く会」プロジェクトのため、寄付を募って多くのお店を訪問したが、殆ど成果がなかった。それそれ以来、各所に寄付をお願いに回るのに虚無感を覚えて、その寄付集めの運動を止めた。それで私は持ち出しの支援をすることにした。毎回20万円の寄付である。

 勿論、大垣市はこの種の芸術活動への金銭的支援を全くしない。毎回支援をしてくれる市内の都市銀行でも、横並びで一口2万円の支援だけである。それも河村義子先生が直々頭取にお願いしてのこと。百貨店の事業部長に、何度も足を運んで支援をお願いしてが、結果は1万円だけの寄付であった。もう一軒はなじみの文房具店からであった。結局、私は2件しか寄付を集められなかった。子ども達の為に資金集めで奔走された河村義子先生の苦労がしのばれた。

4k8a3400s   2017年9月29日  大垣音楽堂

 TIMMコンサートで招待した子供たちにベーゼンドルファーの説明をする河村義子先生

 

 他力本願の祈りとは: 全能の神仏を超越し、ニュートン法則や相対性理論の宇宙法則を捻じ曲げて、己のためだけの欲望を願う行為。

                       ビアス

 

2020-08-20 久志能幾研究所通信 1714  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月19日 (水)

「終戦」と「敗戦」の違い  言葉とは言霊

言葉の大事さ

 人生は言霊に支配される。言葉の定義があって、その物語が始る。その定義を間違えると、とんでもない方向に物語が展開する。

 人生とは有意義と定義すると、どんな不幸があっても人生を切り開く力が出てくる。人生は虚無だと定義すると、暗い人生で自殺を考えてしまう。

 言葉は人間の生き方を左右する。言葉には魂が籠っている。だから言霊ともいう。敗戦を終戦、敗北逃走を転戦、売春を援助交際、終末治療の金儲けを延命治療、と言い換えて胡麻化してきたから、人生も日本の社会も悪くなってきた。

 品質管理の原則はPDCAであるが、その最初の工程は、現状把握である。それを間違った言葉で定義するから、次の展開を間違える。

 

終戦とは

 2020年8月15日の新聞記事やネット記事は、「終戦75周年」で埋め尽くされた。私が目にした報道機関のすべての表現が、「終戦」である。私は「終戦」に違和感を覚えた。「終戦」とは無責任な表現である。本来「敗戦」というべきだが、それを美しい「終戦」に変装である。

 「終戦」なら、「そうか、戦争が終わったんだ」、「よかったね」ですんでしまう。しかし「敗戦」なら「その敗戦の責任はどこにあるのか」、「誰が負け戦を始めたのか」を追及せねばならぬ。「終戦」は平和ボケの戯言である。

 

大手新聞社の罪

 太平洋戦争中、その前には朝日新聞を筆頭に大手新聞社は戦争を賛美していた。新聞社としても戦争になった方が、記事が景気よく書けて、新聞も売れて都合がよいのだ。だからイケイケどんどんである。英米との軍縮会議の結論では、不景気な記事しか書けず、新聞の売り上げも上がらない。マスコミにはそんな戦争を焚きつけた後ろめたさがあるから、「終戦」という言葉を使うと推定される。

 

悪い事例

 大垣市政での悪き事例が「大垣は子育て日本一」である。大垣市は児童生徒一人当たりの教育費が県下最低なのだ。それを小川敏は、「大垣は子育て日本一」と虚言を吐くから、嘘で始まる物語は大垣市を衰退に導いたのは、必然の結果である。

 少女売春を援助交際と報道するから、日本の道徳が崩壊した。

 敗戦を終戦と胡麻化すから、官僚の無責任体質が、この50年間で益々ひどくなった。

 

受動形禁止

 テクニカル・ライティング的に、受動形の表現は無責任の文体として要注意である。例えば「プリンターが壊れました」では、誰の責任かが曖昧で、次の行動がとれない。ビジネスとして、「誰の責任でプリンターが壊れたのだ」と責任追求と再発防止ができない。

 広島原爆の記念碑でも「二度と過ちは繰り返しません」とあるが、誰が主語なのか、曖昧な文章である。それでは責任追及も、再発防止にもならないし、凄惨な事故の再発は防げまい。

 曖昧な表現が、日本を無責任社会にして、経済が停滞している。「人口が減少しています。」、「景気が停滞しています」等の表現では、だれの責任で人口が減ったのだ、誰の愚策で経済が停滞しているのか、の犯人追及を曖昧にしてしまう。

 日本語の文章には、主語が曖昧で、受動形で書かれた文章が多い。意識して、文章を見ることが肝要である。私はテクニカル・ライティングを学んでから、そういう意識で新聞やマスコミ報道を観察している。

 

2020-08-19 久志能幾研究所通信 1713  小田泰仙

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2020年8月18日 (火)

ツバキ姫(唾気卑女)の痴態を叱責

 最近、目につく腹立たしさは、若い子やオバタリアンが、スーパーの食品売り場のど真ん中で、携帯電話で会話をして、唾の飛沫を飛ばしながら買い物をしていることだ。いくらマスクをしていても、スマホに話しかけて声を出せば、唾の飛沫が飛ぶ。回りは食品売り場の食品が展示してあるのだ。現在、新型コロナウイルス警報発令中なのだ。

 スーパーのレジでは、レジ店員の前に飛沫防止でビニールのカーテンが垂れ下がっている非常事態なのだ。それが目に入らない愚かなオネタリアン、オバタリアンである。

 今日は、思わずツバキ姫(唾気卑女)に「食品売り場で話すのを止めろ」と怒鳴ってしまった。大人げないが、黙っていられなかった。それでも彼女は、平然とスマホで話すことを止めなかった。

 なぜ彼女たちは、周りのことが見えないのか、状況判断ができないのか、空気が読めないのか。日本人が劣化している証である。食品売り場で携帯電話を使って話すとは、不衛生で、命に係わることなのだ。あまりに利己的な日本の女子達である。

 日本の将来はどうなってしまうのか。それを考えるとおちおち夜に寝ていられない。だから私は昼寝である(?)。

 

2020-08-18 久志能幾研究所通信 1712  小田泰仙

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マーク・レビンソンの媚音に迷わない

 安全運転上で、運転中の音楽鑑賞は禁止である。音楽に聞きほれると注意散漫となって、事故の危険性が増える。

 前のレクサスLSに乗っていた時も、高級オーディオを装備してあったが、ついぞ音楽をかけたことはなかった。今の足として使っている車も、私は運転中もそうでないときも音楽は決してかけない。私はいつも緊張状態で、テストドライバーの意識で運転に集中している。

 その昔、車で通勤していた時は、講演テープなどは聞いていたが、音楽はかけなかった。あんな狭い空間で、音楽を楽しんでも致し方あるまい。

 私が1993年、初めて試験車運転資格を取る訓練を受けた時、指導教官は真っ先に私の車のラジオの電源を切った。「運転に集中しなさい」である。それよりも周りの音、自車のエンジン音に注意を向けよ、である。

 

 車を運転するとは、一億円相当の自分の命を運んでいるのだ。家族が同乗していれば4億円相当の金塊を運んでいると同じなのだ。構えて運転をせよ、である。ちょっとした油断で、事故が起き、それがフイになる。

 

2020-08-18 久志能幾研究所通信 1711  小田泰仙

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2020年8月17日 (月)

逆縁の菩薩1  東大入試中止

 当時、私にとってこんな不幸はないと嘆いた事件が、10年たって振り返ると、それは逆縁の菩薩であった事例が生涯で5度もある。それ以外にも、その当時は不幸な事件として嘆いたことが、後日それが運命の好転につながった事件が多い。その学びは、「不幸に出会っても自暴自棄になるのではなく、それをバネに精進することで、人生が好転する」である。

 

大学受験失敗

 私の最初の逆縁の菩薩とのご縁は、1969年東大入試中止である。私が東大にいけるわけではないが、東大に行く人が京大に、京大に行く人が名大にと、当時の受験生は1ランクを落として大学に進学した。私は例年ならカスカスで国立二期校に合格できるはずが、国立大学の受験はすべて失敗した。父の定年の関係で、浪人は許されないので、滑り止めで受けた私立大学に不本意ながら入学した。

 私は国立にいけなかった悔しさがあり、特待生を狙って学業に精を出した。当時の大学は、国立大学でも学生は遊んでいた。ましてや私立の大学生は遊んでいる。それを真面目に勉強して、戦術として特待生を狙うなら、特待生は意外と簡単に獲得できる。

 授業では、必ず最前列席に座って先生に顔を覚えてもらう。授業の欠席はしない。取れる単位は全て取る。出された課題レポートも真面目に取り組む。夏休み期間中も、後期の試験に向けて一定の勉強は欠かさない。アルバイトはしない。勉強することがアルバイトである。

 この2年間の精進で、予定通り全優に近い成績で、特待生になれた。授業料免除である。そのまま卒業まで一番を維持した。親孝行としてよかったと思う。ご褒美で、親から少々の贅沢をさせてもらった。

 

菩薩に見守られる

 そのお陰で、就職もトヨタ系に学校推薦のような形で入社できた。母は地元の会社に入ることを望んでいたが、私は母親から逃げたかったので、敢えて遠くの会社を選んだ。今、振り返ると、地元の会社ではその後の人生の展開が限定された。世界を舞台に仕事ができて幸せだったと思う。

 その後の人生で、大学をトップで卒業して、卒業式で総代になると、その後の人生でそれが目に見えぬ菩薩となる。一番と2番の差は限りなく大きいことを実感した。会社を辞めたくても、大学の名誉や後の卒業生のことを考える、勝手に辞められない。不真面目に勤めることも気が引ける。会社も並の国立大学出の同期よりも、特別扱いをしてくれる。おかげで若いときは、研究開発部で仕事をさせてもらい、海外経験を含めて多くの経験を積むことができた。同期で国立を出た人間が、もっとひどい職場に配属されているのを見ると、あのとき頑張って特待生を獲得してよかったと思う。それも国立大学受験を失敗した「お陰」である。

 

同窓生の自殺

 大学卒業の年、私のクラスで成績2番のS君が、4月1日の入社当日の夜、タイマーを使って感電自殺をした。いまだその原因は不明である。教室で彼の行動を横から見ていて、S君は真面目ではあったが、覇気が感じられなかったことだけは覚えている。私と張り合って1番を目指す生き方をしていれば、自殺など考えなかっただろうにと残念に思う。

 

背負った十字架

 私も会社時代、仕事で生きづまり何度も自殺を考えたが、お世話になった大学のご恩を考えて、それを思いとどまった。だから特待生という看板は、自殺防止、辞表防止にも役立っていた。

 逆縁の菩薩とは、自分を𠮟咤激励する守り佛の菩薩である。厳しさがあるから人間として成長できる。難題とは、なにも試練のない平穏無事な人生では、私が堕落すると佛様が考えて、私に授ける糧なのだ。それに真面目に取り組むのが人生だと思う。課題に取り組むから、能力が向上する。

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 馬場恵峰書

4k8a04291s 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩

 

2020-08-17 久志能幾研究所通信 1710  小田泰仙

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お掃除ロボットの餌代高い。それより親をこき使え

 お掃除ロボットが売れているそうだ。しかし、その餌代(電池代)がド高いことを認識して、購入を考えよう。その電池は一年くらいの寿命で、価格で1万円もする。要は、お掃除ロボットの餌代が月千円、年間1万円である。私は高いと思う。

 それより、自分の体を使って掃除をした方が、健康にも良い。楽をして、結果が良いわけがない。

 

使わない器官は退化

 人間の体は正直である。ある兵士を使った実験で、1日半だけ、寝ている状態と立っているだけの状態を比較して、その兵士の尿中のカルシウム濃度を調べた。その同じ条件で、寝ていた兵士の尿中の濃度は、立っていた兵士のそれの2倍になったという。つまり僅か1日半、寝ているだけで体は「骨はどうも要らなくなったのだ」と判断して、カルシウムを放出したのだ。

 若いころに、よく歩いておかないと、歳を摂ってから寝たきりになる」とよく言われる。尿の中のカルシウムが増えるということは、骨の成分が減ることである。つまり足腰が弱くなるのだ。

 老いてから寝たきりになることを避けるには、日頃から座らない、よく歩くこと、よく動くことが、その防止策である。つまり、お掃除で足腰を鍛える機会をロボットに任せると、足腰と「お足」が被害を受ける。要は、使わない器官は退化するである。

 美味しいものには毒がある。便利なモノは、命を削る鉋である。

 

認知症

 その一番恐ろしい結末が、認知症という脳死である。日頃考えることをしなくなると、体は正直に、脳の考える部分を司る細胞を、もう不要と思って死滅させる。全ては己の習慣のなせる因果応報である。それに「狂った食事」、「狂った生活」が拍車をかけて認知症患者を増加させている。

 2012年当時、日本の65歳以上の25%が認知症であった。2025年には、その数が1.5倍に増え、33%になると予想されている。世の中をゾンビが徘徊する社会が出現する。親や知人が、顔かたちは親や知人そっくりだが、全く別人のゾンビとなっている。認知症の親が我が子を捉まえて、「お前は誰だ?」である。真夏でも、日本にスリラー社会が出現する。これが近未来の日本の姿だ。誰がその責任か。楽をした自分達である。

 

親孝行

 真の親孝行とは、親にお掃除ロボットを買ってあげるより、親に掃除をさせてこき使うこと。それが、真の親孝行である。その餌代(電池交換代。年1万円)を親にお小遣いとして上げて、家の掃除を担当させた方が親孝行である。人間は、世の中で役立つ存在を意識することこそが生き甲斐なのだ。それが仕事の本質である。それこそが認知症防止である。それをロボットに丸投げでは認知症を増加させる。

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日経ビジネス 2017年3月13日号

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日経ビジネス 2015年9月14日号

 

2020-08-17 久志能幾研究所通信 1709  小田泰仙

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