2020年9月 2日 (水)

磨墨知128 今ここ

 

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。波間に浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし。」  方丈記

 

 だからこそ、今に全力を投入しよう。過去はない。未来もない。あるのは今だけ。「そのうち」などは永遠に来ない。「今のうち」しか時間はない。

 明日は事故で死ぬやもしれぬ。人の明日は分からない。やるべきことをやるには、今しかない。

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 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」(2014年2月6日書)より P116

 久志能幾研究所刊 7000円

失明

 還暦を過ぎて国家資格の受験勉強中に、白内障と網膜はく離を患った。2週間ほど左目が失明状態に陥り、今まで見えて当たり前の世界から、見えない世界に追い込まれて、つくづくと、今が大切、今のうちしか時間がないと思い知らされた。勉強ができるのも目が見えるうち。生きているうちである。そのうちにやろうと思っても、やれるのは目の見える今のうちである。愚かな人間は失って初めてその価値に気づくもの。

 

癌で余命宣告

 河村義子先生の葬儀の後、私の体に癌が見つかった。自覚症状がなかったので、発見が遅くなり、癌が進行していた。手術後の診断で、余命2.5年を宣告された。やりたいこと、やれることは今しかないと痛感した。術後1.5年が経っても体は昔のようには動かない。体重も20キロ減である。つくづくとこの10年間、やりたいことをやっておいてよかったと思う。今しかないのだ。

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 馬場恵峰書

そのうち人生

 そのうちそのうちと弁解しながら日は過ぎる。そのうちって何時の内、いつのこと。そのうちお金でも余裕が出来たら。家でも建てたら、直したら。子供、孫から手が放れたら。仕事が落ち着いたら。時間にゆとりができたら・・・たらの人生誰の事。

 やる気のない理由を言葉巧みに繰り返して居るうちに結局たいして何もやらなかった。空しく人生の幕が下ろされて頭の上に寂しい墓標が立って脇役から主役に変わり、一生が終わるのだ。人生一日一日がブッツケ本番なのに・・・。

 今きた此の道帰られぬ。昨日、今日、今、人は人、自分は自分、くらべんでよか、・・・と。

 みんな違って当たりまえ。自分が変わろうとせん限り何も変わらん。人の出してくれる舟に乗っても見る事。迷って一年、悟って一日。欲なき人間一人も居ない。浴、抑、良い、善い、好い、翼ひろげて羽撃こう。一句添えておく。

 

 暇がない忙しいとは言うがもの 車止りしパチンコの庭

              平成16年11月朔日 恵峰遊詩

                          文 馬場恵峰

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 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」(2014年2月6日書)より

 久志能幾研究所刊 7000円  P85

 

2020-09-02 久志能幾研究所通信 1728  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月 1日 (火)

中日新聞は中国・韓国の手先?

 

 安陪首相が辞任を表明した828日(金)の4日前、824日(月)の中日新聞の見出しを見て、私は呆れた。そのタイトルは「安倍さん、辞めどき?」である。その新聞タイトルは、人を馬鹿にした上から視線の扇動記事である。まるで「早く辞めろ」と言わんばかりの記事であった。正に中国・韓国の外務省の声を代弁しているかのような論調である。

 副タイトルで“健康不安「後継者指名を」/続投をも詰める声も”とまるで辞めろと言わんばかりの言い方である。「続投を求める声も」は、付けたしの言い訳のようだ。

 新聞は、事実だけを報道すればよいのであって、記者の意見をまるで世間の声のように偏向させて前面に出すべきではない。社の意見は社説で述べればよい。それを三面紙面で、「辞めろと」言うのは、プロパガンダである。昔の戦争に駆り立てた手法と同じである。

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中日新聞 2020年8月24日

 

中日新聞が「南京意見広告」の掲載を拒否

 2012年5月、名古屋市の河村市長が、南京事件に関する意見広告を出そうとしたら、中日新聞に拒否をされた事件があった。それから推察すると、中日新聞は、中国の御用新聞のようだ。中国のご機嫌をうかがっているようだ。要は、中日新聞は安倍さんが嫌いなのだ。

 

中韓の手先

 つい最近も、迎撃ミサイル整備問題で、東京新聞(中日新聞の子会社)記者が河野防衛大臣に、「中韓の了承をとらなくてよいか」と非常識な質問をして、世間の笑いものになった。

 東京新聞ウエノ記者:「周辺国からの理解というのは重要になってくると思われますが、現状では特に中国や韓国といった国からは、防衛政策の見直しについて、十分に理解を得られる状況ではないようではないかと思いますが、防衛政策の責任者として、現状の認識と、今後もし理解を得る際に、必要だと思われることがあればお願いします。」という質問である。

河野防衛大臣:「主に中国がミサイルを増強しているときに、何でその了解がいるんですか。何で韓国の了解が必要なんですか。我が国の領土を防衛するのに。」

 まるで強盗殺人をしようとしている相手に、防犯装置をつけていいですか」と聞くようなものだ。これを見ると東京新聞(中日新聞の子会社)は中韓の手先としか思えない。

 

中日新聞は大垣市の広報新聞

 現在、大垣市の経済衰退が著しいが、中日新聞は、小川敏市政の都合の悪い記事は絶対に掲載しない。裏でつながっているとしか思えない。それでいて、小川敏が、市民から寄付を受け取る様子の記事は頻繁に掲載する。それは小川敏の6選に向けての事前選挙活動なのだ。

 市民が現状の大垣駅前商店街の悲惨な状況を取材して欲しいと、中日新聞西濃支局に連絡しても、完全無視されている。中日新聞は、小川敏の手前、そんな実情を西濃欄紙面に載せるわけにはいかないようだ。だから岐阜柳瀬商店街の衰退ぶりはよく紙面に載るが、大垣駅前商店街の悲惨な実情は、決して中日新聞西濃欄に掲載されない。

 

中日新聞の経営理念は極秘?

 中日新聞はどういう経営理念で紙面を作っているかと、ネット上で経営理念を探したが、何処にも掲載がない。中日新聞のHPのどこにも、その理念は掲載されていない。経営理念が公開されていないような非常識なマスコミは、初めてである。だから非常識な紙面や、非常識な意見広告拒否事件、小川敏の迎合記事が溢れているのだ。

 

洗脳教育

 毎日読む新聞、毎日見るテレビ番組に気を付けよう。同じことを毎回、少しずつ言われると、間違ったことでも、あたかも正しいかのように洗脳されてしまう。そうやって昭和初期に、戦争賛美の紙面が日本国民を戦争に駆り立てていった。国民が新聞社に洗脳されたのだ。

 日露戦争の終結でも、新聞が日本軍の実情を正確に報道しなかったので、日本国民がロシアへの戦争賠償に不満を抱き、1905年9月5日、日比谷焼き討ち事件が起きた。新聞がイケイケどんどんで日本国民を洗脳した結果であった。朝日新聞などの予想記事から国民が考えていた講話条件とはかけ離れていたので国民の不満が爆発した。朝日新聞(9月1日付)に、「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」などと扇動的に書かれて、結果として焼き討ちの暴動が起きた。新聞はかように洗脳教育をするのだ。

 

真実を正しく見る

 目玉をシフトして、マスコミのアオリ報道を見抜き、冷静に事態を判断したいもの。要は、中国との商売で金儲けをしたい大企業群が、マスコミのスポンサーなのだ。マスコミが、スポンサーに媚びて、偏向した紙面になって当然である。

 

2020-09-01 久志能幾研究所通信 1727  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月31日 (月)

目玉をチィルト&シフトして観察しよう

 自分は何処を見ているんだ? それを意識しよう。物理学上は、人間の目はカメラのレンズと同じ機能である。焦点は一か所しかあわない。それを全てに焦点があっていると判断していると思うのは、大いなる「ああ勘違い」である。その対象にピントは合っていないが、己の頭がピントの合っているかのように意識の上で映像を作り上げているにすぎない。

 高い建物や、地位の高い人物は、実際の目には歪んで網膜に写っているのだが、己の頭が歪のないような映像を頭の中で作る上げている。

 今の殆どのマスコミは偏向しているので、実像を正しく報道していない。自分の目玉をチィルト&シフトして、世間を正しく観察しないと、マスコミに騙される。80年前、日本は大手新聞社の景気の良い戦争ごっこに騙されて、戦争に追い込まれた。それで310万人の日本人の命が奪われた。マスコミはその責任に背を向けている。我々が目を覚まさないと、その同じ轍を踏み、子孫の命が危ない。

 

洗脳宣伝

 オウム真理教の麻原は、自分を大きく見せて、教義を偏向して宣伝して、信者を騙した。麻原は、教義核心からピントをシフトして伝えて、信者を洗脳した。それを盲信した信者はサリン事件に追い込まれ、高学歴の信徒が絞首刑台に上らされた。

 明日は我が身なのだ。同じ手口で、今のマスコミは洗脳教育を報道の視点をチィルト&シフトして騙そうとしている。

 

あおり報道

 4年前の米国大統領選挙では、マスコミはトランプ大統領候補の情報をシフトして、その実像を正しく伝えなかった。マスコミを信じた多くの人は騙されて、トランプ大統領が誕生した時にマスコミに騙されたと驚嘆した。

 

左寄り偏向報道、中韓好みの偏向思想

 左翼や中国寄りの日本の大くのマスコミは、安陪首相のことを正しく報道してこなかった。それは今回の安倍首相の辞任報道でも明らかになった。

 現在のマスコミの罪は、中韓寄りの偏向視線で、安倍首相の行動を批判したことだ。例えば、何故、国に命を捧げた英霊を祀る靖国神社に首相が参拝して全マスコミが批判の記事を書くのか。何故、中韓に気兼ねをせねばならぬのか。国に命を捧げた英霊には、どの先進国も礼を尽くしている。礼を尽くしていないは日本と中韓とつながったマスコミだけである。

 

 参考 英霊に礼なきは亡国の兆し  靖国神社問題

   久志能幾研究所通信

 

小川敏市政へのあおり報道

 大垣市長の小川敏は、岐阜新聞のあおり偏向報道で、真実が隠されて報道されてきた。岐阜新聞は、小川敏の言う「大垣市は子育て日本一」という虚像を市民にプロパガンダ担当として植え付けてきた。何が正しいかは、データだけが伝える。大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。それを岐阜新聞は報道しない。岐阜新聞はチィルト&シフトどころか、あおり報道、黒のフィルターを新聞紙上に嵌めている。

 大垣市の公示地価が下がり続けている。それは大垣市が没落しつつあることを示している。それを地方紙は決して報道しない。大事なことからチィルト&シフトして、核心から逸らしているのだ。報道の偽善である。

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以上、キアノンHPより

https://cweb.canon.jp/ef/special/ts-e/index.html

2020-08-31 久志能幾研究所通信 1726  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月30日 (日)

磨墨知658 ユダヤ人になろう

 「あなたはユダヤ人なのだから、人の2倍の努力をしないと人並みになれません」とは、ある成功したユダヤ人の母の言葉。

 世界人口のわずか0.25%のユダヤ人が、ノーベル賞受賞者の20%を占めている。『フォーブス』の長者番付で上位を占めているのもユダヤ人である。

 ユダヤ人に成功者が多いのは、ヨーロッパで圧倒的に少数派であり、キリスト教徒でないために差別されていたからだ。政治家や官僚など、その国の表街道に行くことは難しいため、ユダヤ人はビジネスや金融、科学や芸術など自らの才覚で人生を切り拓いてきた。

 その成功の要素の一つが宗教の教えである。ユダヤ教の聖典のタルムードは他の宗教に比べて現実世界における成功や繁栄につながる内容が多い。

 たとえば「学ぶことが大切だ。常に新しいことを学べ」、「時間当たりの成果をちゃんと意識せよ」と聖典に明記されている。2000 年前の聖典に生産性にまで言及されているのは驚きだ。

 ユダヤ人は、差別されて表街道を歩けなかったが、いじけず、きちんと学んで成果を上げている。これがタルムードの教えである。効率的に何事にも取り組む姿勢が、成功に導いた。

 

 人は皆、ユダヤ人的要素を持っている。ユダヤ人的要素とは、劣等感、ハンディ、不得意等の人間の弱さである。そのため、その件に関して人並みにやっていたら、人並みに費やした時間成果さえ出ない。それより2倍の時間をかけて1の成果を上げたほうが効率的である。

 仏教では、それを因果応報という。

 トヨタ教でもその教えは愚直である。整理整頓清潔清掃躾がその教えである。その根幹は、ジャストインタイム、無理無駄ムラ排除である。そして神仏を敬えである。

 自分はユダヤ人と思って精進をしよう。私にはユダヤ人的なマイナス要素が多いと自覚していたから、この50年間、愚直に本を読み、カードに書き抜き、人並み以上に継続して学んできた。今の自分があるのは、自分がユダヤ人だと思って努力を継続してきたからだと思う。オダブツ教の教祖は天才ではなく、愚直なのです。

 

2020-08-30 久志能幾研究所通信 1725  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月29日 (土)

病気予防で、リンパマッサージ

体の下水管掃除を

 私は体の保全・病気予防のため、朝晩のお風呂で、全身のリンパマッサージを欠かさない。老廃物が溜まると、疲労が蓄積されやすい。それが病気の元である。癌を再発させないためでもある。私は病気予防で、打てる手はすべて打つ方針で臨んでいる。

 リンパマッサージは、顔、首、手足のリンパ管を心臓に向かって流すようにマッサージをする。そのやり方は、ネットで数多く紹介されているので、そちらで検索してください。

 

リンパとは

 体の中を走る血液の管は、動脈・静脈である。いわば上水管である。血液は大事な栄養素・酸素を全身の末端の毛細血管にまで運び、その後、静脈から心臓に戻る。それに対してリンパ管は、体の老廃物を流す管である。いわば下水管である。

 リンパとは、毛細血管から浸出した液体で、タンパク質や脂肪、糖質の他、細菌やウィルス、老廃物を運んだりする役目である。網の目のように身体中に張り巡らされている「リンパ管」の中をリンパは流れている。リンパ管が合流して太くなる部分が「リンパ節」で、全身に約800ヶ所ある。

 血液は心臓というポンプで全身に送られるが、リンパ液は、リンパ管の中を低い速度で流れている(時速0.648km以下)。それに対して血液の流れ速度は、時速216kmである。リンパは心臓でのポンプ作用がないので、あまり体を動かさない生活を送ると、その流れが阻害されがちになる。また狂った食生活などをすると、リンパ液の流れが滞り、老廃物が多く溜まったままの状態になってしまう。

 

行政の下水管

 行政の組織は、人間の体と同じ形態である。行政の上水管とは、市の予算である。お金が回って市の組織が動き、お金で都市が作られ、市が活性化する。市の組織が動けば、その老廃物が下水管に流れる。ところが、市の組織に自浄作用がなく、自律神経が正常でないと、行政が滞り、老廃物や不正物が溜まり、組織がうまく動かない。

 

悪事例

 その事例が、大垣市制100周年記念行事であった。大垣市はじゃぶじゃぶと大金を下部組織に流したが(3億5千万円)、組織がまともでなく、動機がまとももでなく、まともでない行事が多かったので、腐敗物が下々の組織に堆積したようだ。小川敏は、大垣市制100周年記念行事にどんちゃん騒ぎのため3億5千万円も浪費した。それなのに、非常緊急事態の新型コロナウイルス対策で、わずか2億2480万円しか出さない。政治家として正常な予算配分ができないのは、政治的認知症ではないか。

 

予算の会計報告はリンパの流れ

 本来なら、会計報告で、心臓部にそれが流れるはずが、大垣市特例のマル秘条令を隠れ蓑に、報告がされず滞っている。その金で不正・汚職が行われたと巷では噂されている。大垣市制100周年記念行事は、まともな経済活動ではなかったためか、翌年の大垣市の公示地価は例年のように下落である。小川敏が市長になって連続19年間下落である。

 これが、組織が停滞した時に起こる下水管の醜態である。大垣市もリンパマッサージが必用だ。大垣市の組織に老廃物、腐敗物が溜まっている。だれか大垣行政組織の掃除をして欲しい。19年間も掃除をしないと、腐敗して当然である。

安倍首相の政権が長いといっても、たった7.6年間なのだ。大垣市長の小川敏は、現在5期目の19年目で、6選になれば24年間である。狂気の沙汰だ。

 

心の下水管の汚れ

 お金が溜まり、長期に安楽の座に居座り、贅沢をしだすと、心に老廃物が溜まる。楽をしようとするから、怠惰な虫が芽生える。栄養過多なエライ人のお話しばかりを聞いていると、いかにも己が偉くなったように錯覚する。それは心の栄養過多で、心が糖尿病になったのだ。溜まったお金は流さないと、腐ってくる。そのために寄進、布施をして下座業で、修行が必用だ。止っていてはダメなのだ。体を動かして、奉仕活動をしよう。寄進・布施・奉仕活動とはお金や物への執着心を捨てること。修身の勉強をしよう。積善の家には必ず余慶あり。

 新市長が誕生すれば、大垣の春は近い。

P10104421s   馬場恵峰書

2020-08-29 久志能幾研究所通信 1724  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月28日 (金)

安らかに永眠するために  安倍首相辞任に思う

安倍首相辞任

 今日8月28日、安倍首相が辞任した。それを聞いて人生の永眠に思いを馳せた。人生の成功の要は健康である。死んでもいいから、健康管理である。生死は神仏の管轄、健康管理は己の責任である。

 安倍さんも歴代の首相に比較すれば、やり残しはあるが、やるべきことをやり遂げての勇退である。それも人生だと感じた。魑魅魍魎の住む政治の世界で、病身を押して奮闘も大変であったと思う。

 小川敏のように、やるべきこともやらず、無為無策で大垣市長の座にしがみ付くよりは、職務が全うできないとして、辞任した安陪さんは偉いと思う。

 

永眠と安眠

 一日は人生の縮図である。夜、安らかに寝るための方法が、安らかに永眠する方法に相通じる。よく働いた一日は、安らかな眠りを誘う。よく働いた人生には、安らかな永眠が神仏よりご褒美で贈られる。

 夜、眠られないのは、単に一日、正しく働かず、体を使っておらず、疲れていないからだ。

 年老いて、仕事があり、世のためにやるべきことがあるとは、幸せである。朝、起きたけど、寝るまでやることがない人生は、地獄である。

 若くして死ぬと、生木が裂かれるような苦しみを味わうという。やるべきことをやり遂げて、老いて死ねば、枯れるように倒れて苦しみはない。

 だから人は一個の生物として、狂った人生ではなく、正しい人生を歩むべきなのだ。若くして病気になり死ぬとは、狂った生活、狂った考え、狂った食生活が原因である。要は宇宙根源の理に反した生活を送ったのだ。それを無理という。

 「無理」に気が付いた時に、それを直せばよい。直さないから地獄に落ちる。何事も正しい道に戻るのに、遅すぎることはない。

 「無理」に気が付いても、そのまま猛進する人が多すぎる。それを愚者という。賢者は引き返す勇気を持っている。

 

一日の終わり、人生の終わり

 仕事に精進して一日、やるべきことをやっていれば、疲れ果てて夜はバタンキューである。やりたいことではなく、やるべきことを嫌われてもやっておれば、やり残しの後悔はしない。

 私は前職では、正論の主張、業務改革推進等で、やり過ぎて嫌われた。嫌われても、やり切って良かったと思う。後は永眠だけである。だから定年延長せず、即、さよならをした。

 毎日の夜の寝る儀式は、永眠の練習である。毎日、よく働き、疲れて横になれば、寝つきが良く、よく安眠できる。たった一度だけ、目が覚めないのが永眠である。朝、起きてこないと思ったら、死んでいたのは理想の死にかただと思う。そこには死の苦しみはない。

 

人事異動

 どんなものにも寿命がある。生命も命があるように、職位にも命がある。その職位の命を輝かせて、全うすれば、良き永眠がある。

 人として生まれたら、志を立て、学んでその志を成就する能力を付ける。計画を立て、実行して、その成果を得たら、その道を後進に託す。

 職位にも命があり、永遠ではない。その職位に就いたら、最初の1年は黙って職場の状況を確認して、問題点を見付ける。それで改善案を作成して、2年目に種を蒔く。3年目にその収穫を確認する。4年目に後進に託す段取りをして、その職位を去る。それを職位にしがみ付くから、晩年を汚すことになる。

 

私の異動体験

 私も前職では、数多くの異動があった。職場に就いた時は、全て初心者で手探り状態である。私は異動でその新職場についたら、まず職場内に保管してある書類に全て目を通していた。それでその職場の概要と問題点が把握できる。それで何をやればよいか、分かってくる。

 自分のやること、やったことは全て書類に残す。自分が獲得したノウハウも書類に残す。これは私がこだわった仕事の流儀であった。だから私が異動でその職場を去るときは、引継ぎは必要でないようにした。私が残した書類を見ればよいのだ。

 

あの世への異動

 私が人生という職場を去るときは、公開の書類でやったことが、後世に残るようにしている。馬場恵峰先生の書の出版でも、ISIDに登録して、国会図書館に記録が残るようにしている。撮りためた写真もBDに記録して、事前に関係者に贈っている。

私の人生哲学

「やったことだけだよ。書いたことだけだよ。後に残るのは」

P1000710s  馬場恵峰書

2020-08-28 久志能幾研究所通信 1723  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年8月27日 (木)

SONYとCANONをチィルト&シフト

 商標「ソニー」とはsound(音)から発生させた名前である。その昔は、ソニー坊やがテレビCMで活躍していた。商標「キアノン」は観音さまから派生した名前である。私は同じ音に関するこの2人の仏様に助けてもらって、馬場恵峰先生の書を撮影している。

 ソニーはCCDの技術で世界最高レベルである。キアノンは今まで蓄積した一眼レフのレンズ群資産が世界最高である。私は馬場恵峰先生の書の撮影で、その両者の特性を生かして、ミラーレスSONY α7RⅣに、キアノンのチィルト&シフトレンズTS-E50mmを装着して、撮影している。

 SONY α7RⅣのCCDは、6100万画素である。CANON のチィルト&シフトレンズは固定焦点、手振れ補正無しのシフトレンズである。この種のレンズはソニーには製品がない。私はこの組み合わせで、このレンズにアダプターマウントをかませてソニーのボディに装着する。ピント合わせは手動、絞りはF8で固定、ISO200で固定、シャッタースピードを自動で設定して撮影する。少々使い勝手が悪いが、書画の撮影では三脚使用の撮影だから、オートフォーカスである必要はない。

 チィルト&シフトレンズは、通常の標準レンズに比べて10倍も値段が高く(約30万円)、購入には一大決心が必用であった。高価格であるだけ、画質は素晴らしい。

 書画の撮影は、一人ではできない。仏様のような書友の九州女性の皆さんに助けてもらっての撮影である。感謝。

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P1110703s  当初はCANON  EOS 5D-Ⅳにチィルト&シフトレンズで撮影  2018‎年‎10‎月‎11‎日

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以上、キアノンHPより

https://cweb.canon.jp/ef/special/ts-e/index.html

 

2020-08-27 久志能幾研究所通信 1722  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

お礼 累計閲覧総数 200,000 越え

 お陰様で、今日8月27日15時頃、本ブログの累計閲覧数が200,000を超えました。皆様の閲覧が励みです。ありがとうございました。

 

2020-08-27 久志能幾研究所通信 1721  小田泰仙

2020年8月26日 (水)

呪いの「大垣市 郭町再開発」 大垣市は確信犯

「やるやる」と言ってやらない街再開発

 

 大垣市の一番の繁華街の郭町の再開発は50年前から計画されていた。しかし、「やるやる」と言いながら、大垣市は全くやる気がなく、この50年間を無為無策で放置されてきた。

 その街が再開発をすると宣言されると、その街のビルの新たな借り手がいなくなる。テナントを借りても、ビルが壊されるなら店舗の投資が無駄になるからだ。そうやって何年も何年も蛇の生殺しのように、大垣市は郭町の再開発を放置してきた。だから大垣駅前商店街が没落した。大垣駅前商店街の没落の犯人は大垣市行政である。

 小川敏は、郭町に家業の紙屋があるのに、小川敏が市長になって、この19年間、郭町の街再開発は絶対にやらなかった。なにか恨みでもあるのか。大垣市郭町は呪われている。大垣市は小川敏という災害に襲われたのだ。これでは大垣市が寂れて当然である。

 対策は、新しい市長を選出して、大垣市を建て直すしかない。このままでは、大垣市は再起不能になる。

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 大垣市郭町には築50年以上の古いビルが立ち並ぶ。

 金がないのでアーケドの電気も消している。2019‎年‎10‎月‎30‎日、‏‎17:15

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 大垣市一番の繁華街の郭町に人通りがない。シャッター通りとなっている

‎ 2019‎年‎10‎月‎30‎日、‏‎17:00

 

2020-08-26 久志能幾研究所通信 1720  小田泰仙

累計閲覧総数  199,909

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月25日 (火)

私の命が一日一日、尽きていく

看々臘月尽(みよみよ ろうげつ つく)

 

 この意味は『命には終わりがある』。一日一日、命は尽きていく。死してその人の一生が終わる。自分の命も一日一日、容赦なく尽きていく。現実から目をそらさずに、「命には限りがある」をよく見なさいという意味の禅語である。

 「看看」と「看」を二つ重ねて「良く見なさい」である。「臘」とは「多く集まる」とか「つなぎ合わせる」という意味である。

 臘月は、十二月の別名である。月日の流れは、「歳月人を待たず」である。もう十二月も終わってしまう。一日一日を大切にしなさい、である。

 また「臘月」は、一年の終わりの12月で、私たちの人生や命という意味も暗示している。十二月があっという間に終わるのと同じように、人生もあっという間に終わってしまう。ぼんやり生きず、自分の命をしっかり見つめなさいとの警句である。

 「また今度やればいいや」と、つい後回しにしがちだ。しかし「今度という時間は二度と来ない」。「己の人生と向き合い、看々臘月尽の心を忘れずに人生を過ごせ」と禅師はいう。

 人生は退屈で眠たいものかもしれない。寝るのもよし、仕事をするもよし、勉強するのもヨシである。人生はバイキングレストランで、全て己の自由でやりたい放題である。人生で一番大切なことは、寝ていても遊んでいても、ふと気づいたときに、正しい道を意識して、そこに戻れるかどうかである。これが出来るかできないかで人生が変わる。そして時間は冷酷に過ぎてゆく。己が紅顔の少年であった時代は二度と戻って来ない。

 

 紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹝跡無し、熟観ずる所に往時の再び逢うべからざる多し(修証義)

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 馬場恵峰書 修証義 部分

 馬場恵峰卒寿記念写経書展 写真集(久志能幾研究所刊)より

 

癌の定期検診

 2020年8月19日、愛知県がんセンターで、先週に実施したCTの定期検診の結果を聞きに行った。結果は良好で、特に異常は見つからなかった。ピロリ菌駆除も成功した。癌の手術後1年半、無事に生かしてもらったと仏様に感謝である。因果応報で、そうなるように、今までの「狂った生活」と「狂った食生活」を改め、「狂った医療」からも遠ざかり、生活姿勢を改善させて過ごしてきた。それが正しかったようだ。

 しかしいくら養生しても、あと50年も生きられるわけではない。一日一日、私の命は尽きていく。医師から最低、半年間は癌の病気では死なないと言われただけである。私の場合、手術後、5年後の生存率は51%で、統計計算上は、余命2.5年の命で、後1年の命である。新型コロナウイルスに罹れば、1週間で死ぬかもしれぬ。いくら健康でも不慮の事故に遭うやも知れぬ。明日の命は分からない。

 人の理論的寿命は120歳である。私は、せめてその9割の108歳まで生きたいと精進している。譲って8割の96歳である。長生きこそが親孝行である。

 

生きている間

 生きている間だけだ。お金を使えるのも、人に奉仕できるのも、美味しいものを食べられるのも、生きている間だけ。あの世にはお金は持って行けいないのだ。お金を使いたくても使えなくなる日がやってくる。食べたくても食べられない日がやってくる。だからこそ、やりたいことは、直ぐやるべきなのだ。

 世の中を見ると、此の世で使え切れない金を集めても、まだ足りないと餓鬼にように金を集めている輩がいる。そんなに集めて何に使うのか。もう時間がないのだ。

 命が残り少ないのに、まだ市長に座にしがみ付く愚か者がいる。市長退任後の時間がないのだ。何のために生きていたのか。それで市民が幸せならともかく、無能無策で、大垣は衰退して市民は地獄の苦しみなのだ。

 余分に食べれば、命を鉋で削るように、寿命を短くしている。余分に食べるとは、他の命を奪っている。その命が病気という形で復讐して襲ってくる。それが分かっていて飽食を止められないのを愚か者という。

 医師から余命宣告をされ、その土壇場になって、「金はいくらでも出すから助けてくれ」と医師に泣きついても遅い。医師からそれを拒否されて泣き崩れても因果応報なのだ。

 

奪うものは不幸である。与えるものが幸福なのだ。

 やれるときに、やりたいことをやっておくべきなのだ。そのうち、やりたくてもやれなくなる日が来る。だからこそ今に全力投球せよ、である。

 集めて集めてもきりがない。それより与えることが喜びである。それには限度がない。

 食べても食べてもキリがなく、結果は肥満の醜態となる。肥満は癌の遠因である。少食で満足すれば、美しく健康な体が手に入る。わかっちゃいるけど、やり通せない。そんな私に誰が育てた。自省したい。

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 馬場恵峰書

 

2020-08-25 久志能幾研究所通信 1719  小田泰仙

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