2020年12月 3日 (木)

泣いて馬謖を斬ろう  磨墨知114

 

 組織人として「馬謖」という存在に対して断固たる態度がとれないと組織は腐っていく。腐った企業は他の企業から攻められて倒産の危険にさらされる。結局は組織の皆が不幸になる。それを防ぐのが責任者の務め。皆の立場を守るとは、全員の人生時間を守ること。組織のベースは顧客の創造と従業員の雇用の確保である。

 松下幸之助翁さえ身内の経営者を切れず、その首切り役を後任の社長に任せる失態を犯した。それが返り討ちにあい、その社長が退任させられた。それが原因で、社内が派閥争いに明け暮れることになり、松下王国を崩壊に導いた。多くの社員がリストラに泣いた。

 そのリストラの社内軋轢で、ストレスから癌になり死んだ人も多い。私の元部下も松下電器に転職し、そこでその嵐に巻き込まれて、そのストレスから急性の癌になり50歳で亡くなった。それほどに、身内の「馬謖」の存在は厄介である。

 

身内の癌

 組織の人事と同じように、「自分帝国」の主人たる己でも、心に巣くう108の煩悩に対して、断固たる態度が取れないと、自分の心身が腐っていく。癌に蝕まれ、認知症に侵されていく。煙草が体に悪いと分かっていても止められない。再生不能な肺の細胞が死んでいく。酒が止められず、肝臓の細胞が死んでいく。スィーツに目が眩んで、血管がボロボロになっていく。

 それこそが馬謖と同じ位置付けである。自分は34兆個の細胞の主なのだ。108の煩悩の主なのだ。自分の体を崩壊させる馬謖(酒タバコ糖質飽食スマホゲーム・ネットサーフィン)を泣いて斬ろう。

 貴方の馬謖とは何?

 私の馬謖とは、お饅頭である。私は甘いものに目がない?

 ネット漬けになると、認知へまっしぐる。

 ネットサーフィンをしても、そのネット上の情報の99%はゴミ情報である。自分の命の時間が失われていく。

 PCゲーム中毒もWHОは中毒症状で、病気であるとの見解である。私も過去に一度、ゲームに嵌ったことがあるが、後で考えると、それは全く価値の産まない時間を消費したことなのだ。それは悪魔の魅力を待っていて、抗しがたい。

 

『泣いて馬謖を斬る』中国: 揮淚斬馬謖)とは、中国の三国時代、蜀の諸葛亮が日ごろ重用していた配下の馬謖が命に従わず魏に大敗したために、泣いて斬罪に処したという「蜀志」馬謖伝の故事から、規律を保つために、たとえ愛する者であっても、違反者は厳しく処分することのたとえ、である。

 

成語の経緯

出典『三国志』「蜀書馬良伝」

 蜀の武将の馬謖が、街亭の戦いで諸葛亮の指示に背いて敗戦を招いた。この責任をとり馬謖は処刑されることになるが、愛弟子の馬謖の処刑に踏み切るにあたり諸葛亮は涙を流した。後に蔣琬から「馬謖ほどの有能な将を」と彼を惜しむ意見もあったが、諸葛亮は「軍律の遵守が最優先」と再び涙を流しながら答えたという。

 この項、wikipedia より

 

2020-12-03  久志能幾研究所通信 1848  小田泰仙

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2020年12月 2日 (水)

選択に迷ったら簡単に決めよう。美しさで決めよう。  磨墨知108

   

 迷うような事項は、どちらを選んでもそんなに差はない。簡単に決めよう。迷うだけ時間の無駄である。選んだ方で、全智全力を傾けて取り組めばよい。

 お見合いでもAさんがいいかBさんがいいかなど、神様でも分からない。就職先の選択でも、C社がいいかB社がいいかなど、全くわからない。第一感で決めればよい。第一感には、己の経験から培った智慧が籠っている。それが間違っていれば、己の過去の智慧の蓄積が足りなかったと諦めればよい。それを糧に今後頑張ればよい。

 

美しき選択

 全ての問題の選択として、美しい方、シンプルな方を選べばよい。その後、その世界で、誰にも負けない努力すればよい。

 経営者は、上がってくる案件の 49.9 対 50.1 の差を判断して、決断せねばならぬ。経営者は何方を選んでも、それを成功させる責任がある。真の結論は、何方を選んでもたいして差は無い。簡単に言うなら、その選択基準は美しさで選べばよい。それよりも、その後の経営の如何に、選択の結果が左右される。

 

選択の本質を間違える

 30年前の選択であるビデオデッキ規格戦争で、ベータかVHSかの選択があった。実際の選択基準は、どれだけ参加メーカを多く囲い込みできるかの問題であった。技術の問題ではなかった。それをソニーは技術面だけで攻めたから負けた。ソニーは本質を間違えたのだ。当時のソニーは経営が美しくなかったのだ。今は拝金主義で暴走して創業に精神を失っているから、ますます醜くなくなってきた。だからアップルに負けている。

 ベータ方式は、性能は良いが機構が複雑すぎて、ある意味で美しくなかった。複雑であれば、部品点数も多く、故障も多いはず。そのためソニー以外の作り手が嫌がった。だから経営の神様の松下幸之助は、VHSを選択した。

 当時のソニーは技術に溺れ傲慢になっており、囲い込み戦略を軽視した。それでソニーはベータ・VHS戦争に敗けた。技術のソニーはこの失敗に懲りて、新しい規格を作る時は、囲い込みを重視するようになった。

 

製品の命は性能だけではない

 性能が良いだけでは世の中は通らない。日本製の家電や携帯電話が世界から負けているのはその証である。不要な機能が多すぎるのだ。そのために複雑すぎれば、美しくない。美しく、シンプルに、安く、安心できる、故障しない製品が成功する。

 

リーダの美しさ

 人の世は、頭が良くて、学校の成績が良いだけでは、実社会で通用しない。リーダが超有名大学を卒業しても、唯我独尊の性格では、リーダ失格である。そういうリーダが君臨する会社は問題を起こして市場から消えていっている。そのリーダが単に記憶力が高かっただけでしかない。記憶力が良くても、自惚れれば、自滅である。シンプルで誠実で、安心して経営・政治を任せられる人が、組織を成長させる。

 その逆の政治家が支配すると、大垣市のように没落する。小川敏の市長の座への執着心は醜態である。利己心の塊は醜悪である。

 自分が客観的に美しいかを考えよう。美しさとは、人格の高潔さをいう。その行動が利他の精神に富めば美しい。

 

2020-12-02 久志能幾研究所通信 1847  小田泰仙

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2020年12月 1日 (火)

人生は、自分が夢見た通りになる

 

 「叶う」とは、「口」と「十」からなり、10人の意見(口)を一致させる意を表す。(漢和辞典)

 「叶う」は「口」と「十」からなる。自分の言うことが(口)を、「十」を実現させる。十の横棒は現世の世界を表す。縦棒は過去から現代、未来への歴史を表す。つまりこの世の過去から現在未来を表す象形文字である。「叶う」とは、この世で、自分が思ったことが実現するということだ。(オダブツ教辞典)

 自分が思ったことは、プラスのこともマイナスもことも含まれる。

 

マイナスの言葉

 自分が駄目な人間だと思えば、潜在意識がそういう行動を取らせることになって、全ての行動でダメな人間になる方法を選択して、結果としてダメな人間になる。だから決して後ろ向きの言葉を発してはなるまい。

 夢夢、最期は沖縄の海にドボンなどと思ってはなるまい。

 

プラスの言葉は天女の羽

 大きな夢を持てば、日々の行動で少しでもそれを実現しようとする行動を取る。それが小さな行動でも、1年5年20年と積み重なれば、潜在意識、行動の全てで大きな蓄積となる。棒ほど願って針ほど叶うことかもしれないが、確実にそれは実現に近づき、何らかの形になる。具体的に動けば、何らかの具体的回答が仏様から授かる。

 毎日、前向きの言葉で自分を元気づけ、小さくても継続的な改善の行動を取れば、1年で1.4倍となる。3年間で3倍の成長となる。

 365日のべき乗  1.001^365       =  1.44 (複利計算)

 3年間のべき乗   1.001^(365*3)    =  2.99

 10年間のべき乗  1.001^(365*10) =  38

  毎日、自分の行動や考え方を見直して、無駄な行動や考えを0.1%だけでよいので改善して、その改善を3年間継続すると、能力は3倍になり、何もやらない場合より10倍の差となる。

 その当時、ド田舎の会社と馬鹿にされたトヨタには、優秀な学生は入社しなかった。それが小さなカイゼンを積み重ね、トヨタは世界一のカーメーカーになった。

 トヨタより優秀な人間が多く入社していた日産は、労使紛争に明け暮れ、ゴーンに骨までしゃぶられた。

 東大出で俺が一番だと思って大垣市を支配した小川敏は、大垣市を没落させた。一番だと思うから、改善などしないのだ。

 私も夢を持って生きていた。グランドピアノの所有は40年後に実現した。第二のサテライト事務所の別宅は45年後に実現した。本の出版も50年後に実現した。

 

後ろ向きの言葉は刃

 後ろ向きの言葉には毒がある。それを聞かされる友は、陰気な気分にさせられる。それは相手の心を傷付ける暴力である。もっとも不愉快になる人は、自分の内なるもう一人の主である。その後ろ向きの言葉が潜在意識を傷つける。結果として、己は内なる主から復讐を受けるのだ。 

 

言霊

 自分はご先祖から霊を受けて、此の世に生を受けた以上、最低一人の人間を幸せにする責任が発生する。その最初の一人が己である。人とは「霊が止る」と書いて「人」である。

 人間としてこの世に生を受けたのなら、日々の朝は、希望をもって起き、努力をして昼間を働き、夜は感謝して眠りにつきたい。それをサポートするのがプラスの言霊である。それは自分教の経文である。

 

宗教とは

 宗教の「宗」とは、「ウ冠」に「示」である。ウ冠は自分の家、「示」は神様の事である。つまり自分の家の神様の「教え」が宗教なのだ。伊藤家には伊藤教があり、井上家には井上教がある。小田家にはオダ仏教がある。百の家があれば、百の教えがある。みんな違ってみんな良い。自信をもって自家の教祖になろう。教祖になろうという元気がなくては、魑魅魍魎が住む此の世では生きていけない。

 宗教の自由は、憲法で保障されている。それを規制したから、戦争が起きた。人類の不幸である。その不幸は今でも続いている。その点で日本は相対的に幸せである。

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2020-12-01  久志能幾研究所通信 1846  小田泰仙

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2020年11月30日 (月)

人生の回数券に賞味期限あり

 

 人生の回数券を大事にしよう。老いた親、老いた師、老いた友と、あと何回会えるかを考えよう。そのために使える回数券の数は限られている。当方がその回数券を使える元気さがあっても、老いた親や老いた師が死の直前になれば、残りの回数券が取り消される。一回の回数券を使えば、使える機会は一回減るのだ。「Go To 取ら減る」だ。

 今回の面会が最期の利用かもしれない。人の明日は分からない。だから一期一会として、今回の出会いがこの世の最後と覚悟して、全力で向き合うべきなのだ。

 相手どころか、自分が交通事故、心筋梗塞で、明日死ぬかもしれぬ。そうなれば持っていた回数券は全てパーとなる。

 この2年間で、私は師を二人も突然に失ってそれを痛感した。人の明日は分からない。

 

 師や友と10年の出会いがあれば、10年の縁が生まれる。多くの人は、日頃の回数券は無限にあると思って使っているが、ある日に突然、医師から余命宣告されれば、その回数券は大金を積んでも手に入らなくなる。

 だからこそ、師や友との出会いは、悔いのない出会いにしなければならぬ。そこまでやってくれるのかと、師や友を感激させてこそ、真の師事である。私はそうやって、悔いのないようにしてきたつもりだが、現実は悔いばかりだ。

 

最期の教え

 孝行したいときに親はなし。いつまでもあると思うな、親とカネ。命は日々尽きていく。だからこそ今を精一杯生きよう。親と師の最期の教えが「あんたも何時か死ぬのだよ。悔いのない人生を送れ」である。

 

2020-11-30  久志能幾研究所通信 1845  小田泰仙

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レストランへは何を注文するか決めてから入ろう  磨墨知104(改)

 

 レストランでは料理を注文までの時間を短くしよう。料理が出てくるまでの時間は、次回食べる料理を選ぶためにメニューを見よう。たかが千円の1料理で3分も悩むのですか? それで300円の費用が発生する。貴方の時間レートは1分100円。

 それよりもご馳走の「会話という料理」に何を相手に提供するかを考えよう。食事内容よりも会話がメインディッシュなのだ。

 

信用失墜

 相手の目の前で、スマホをいじったら、信用が台無しとなる。つまり貴方は相手に対して「あんたと話すより、スマホ情報の方が面白い。あんたはつまらない」と通告したのだ。人がご縁を運んでくれるのだ。その場は会食である。スマホはそのご縁を破壊するのだ。

スマホではゴミ情報しか手に入らない。人生で何が大事かを考えよう。人生は小さな気配りに積み重ねである。人生レストランの代金は、行動で払う。その代金から、スマホいじりは負の借金となう。

そのメインディッシュのメニューから、釣りとかギャンブルを選んだら、軽蔑される。その話題で人格が評価されるからだ。

 

2020-11-30 久志能幾研究所通信 1844  小田泰仙

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2020年11月29日 (日)

小川敏バスは「火遊び」行き。火の用心!

火の用心? 非の用心!

 岐阜新聞にカラーで大垣市長の小川敏が自慢げにバスの「火の用心」の掲示とツーショットで掲載されていた。アホかいな! 「火の用心」は江戸時代からやっている掛け声で、今更、市長がしゃしゃり出て、バス会社と協定を結んだと、わざわざ新聞紙上で宣伝する話しでない。やっても課長レベルが出てくる話である。新聞を見て知人も呆れていた。

 中日新聞もほぼ同じ紙面なので、小川敏が両紙を呼んで、記事にさせたのが明白である。こんなレベルの記事が、大きなスペースを占めるなんて呆れる。もっと大事なニュースがあるはずだ。それがカットされている。

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 岐阜新聞西濃欄 2020年11月11日

 

非の用心

 それよりも小川敏の「非」の不始末で、大火事同然になった事件の説明責任はどうなったのだ。その説明責任を果たさず、売名行為の顔売りの出しゃばりをする時間があれば、大垣が危機状態にならない対策に時間をかけるべきだ。こんなレベルの市長がのさばるから大垣は没落したのだ。すべて小川敏の「非」である。小川敏バスに乗った大垣市民は不幸である。

 下記の小川敏市政が犯した過去の非の不始末の説明責任はどうなったのだ。

 

大垣市主催の駅前餅つき大会が殺人事件も同然の件、大垣市役所の責任は。

ドローン墜落人身事故の顛末の件、大垣市役所の責任はどうなった。

大垣連合自治会要請の排水機場の再整備の回答の件、

「大垣中心市街地活性化計画」の大失敗の報告の件、

児童生徒一人当たりの教育費が県下最低、何が「大垣は子育て日本一」か。

大垣市教職員の給与が岐阜市より200万円も低い件、法律違反である。

小中学校のエアコン設備率、県下最低で、国に泣きついて整備した件、

 

大垣市主催の駅前餅つき大会は殺人事件も同然

 2020年2月1日、大垣市が大宣伝をした大垣市商連の「新春餅つき大会」で、老人が餅を喉に詰まらせ死亡した。それなのに、主催者の大垣市商連の理事長の小倉俊之は、弔問にも行かず、知らんふりである。人間として許せない。そんな男を市民功労賞に選定した市長の小川敏の選定責任、統括責任問題である。「駅前新春餅つき大会」は市の行事同然であるから、小川敏にその実行に対しての責任と説明責任がある。

 嚥下力の低下した老人に餅を食べさせるとは、殺人も同然である。過失致死罪になる。日本では年間、4万人が誤嚥で死亡している。特に老人に餅など振舞うのは、殺人事件相当である。当然、死亡事故が十分に予見できる。有料の餅を食べたらなら自己責任だが、無料の餅を振舞われれば、それも大垣市の主催なら、なおさらのことだ。大垣市長として、その説明責任が発生する。

 バスの行き先看板ごときで「火の用心」と顔出しの売名行為などふざけている場合ではない。おそらく6選に目指しての売名行為に盲目になり、他人の生死など眼中にないのだろう。

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 大垣市のHP

ドローン墜落人身事故の顛末

 2017年11月4日、大垣公園に、大垣市主催の菓子撒きイベントで、ドローンが墜落して、下にいた市民が怪我をした。下手をすれば死亡事故である。幸いにも死者が出なかったのが不幸中の幸いであった。

 その行事は大垣市の職員も立ち会って事前飛行確認までしているから、大垣市の責任は逃れられない。しかし、大垣市は全てドローン会社の社長に責任を押し付けて、当事者はドローンしてしまった。大垣市主催の行事の一環で起きた事故だから、大垣市長にその説明責任が発生する。しかし、大垣市はそれから逃走である。すべて市長の小川敏の責任である。小川敏は完黙である。

 

2020-11-29 久志能幾研究所通信 1843  小田泰仙

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2020年11月28日 (土)

いい仕事は必ず重なる。知恵でこなす  磨墨知47

 

 いい仕事、いい企画が集中してくる時間は、神様が与えた時間シミュレーションの課題である。いつもやるべきことが重なるのだ。それが人生だ。

 それをこなす知恵を出すことが、知恵ある生き方である。隙間時間に、時間配分の計画をたてるとか、知恵を出さないと時間の赤字決算となる。

 いつもどんな場合も十分には時間はない。時間は何時も赤字経営である。だから人間の最後は、必ず赤字倒産で死である。人はやりたいことがまだまだ、一杯あって、死んでいく。一日中、起きてもやることもなく、認知症になって死ぬよりも、はるかによいではないか。その倒産までの時期を遅くするのが、人生のテーマである。

 

 金は金を大事にする人々の所へ行くものだ。金持ちになろうと欲しながら、なれなかった人間がいるなら、探してみるがいい。しかし、私が言うのは、本当に金持ちになりたいと欲した人間のことだ。単に希望するということは、本当に欲することではない。

   アラン『幸福論』宿命について

 

 時間は時間を大事にする人の所へ行くものだ。時間を創造しようと欲しながら、時間を創造できなかった人間がいるなら、探してみるがいい。しかし、私が言うのは、本当に時間の富者になりたいと欲した人間のことだ。単に希望するということは、本当に欲することではない。

 

2020-11-28 久志能幾研究所通信 1842  小田泰仙

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智慧が人を賢くし、知識が人を意固地にさせる

 

 知識とは議論において相手をねじ伏せるための武器である。時としてその知識が己の行動を縛る。智慧とは議論をしなくても問題を解決する佛智見である。知識で論理的に戦うことは、理でしか戦えない偏った戦いである。理だけでは感情を理解できない。だから「感動」はあっても「理動」はない。智慧とは理知をもって俯瞰的に物事を導く佛力である。お釈迦様はこの佛智見を衆生に教示するため現れた。

 

智慧なき経営

 世の中には有名大学出の社長が経営していても、情けない会社が多い。超エリートがトヨタより多くいる日産が、外国企業に身売りをし、半官半民の潰れるはずがない日航が倒産した。東大卒のホリエモンが知識を悪用して、ライブドア事件に狂騒した。頭が良くて知識があっても智慧がないから、会社を自滅に追い込んだ。知識を人より多く抱え込み、知識に固執して社内闘争に明け暮れ、金に目が眩みマネーゲームに走り、母なる己の組織を殺す顛末になる。

 

知識過剰

 どんなモノでも過剰にあると毒になる。モノが過剰にあると探す時間と保管の時間を取られ、人生の時間(命)が蝕まれる。人生経営指標の無形資産回転率が低下する。モノには精霊が籠もっていて、使われない悲しみの表われである。知識もありすぎると、どれが有用なのかが分からなくなる。1テラの知識量よりも一つの智慧が勝る。

 

智慧の経営

 浄土とは智慧で悟る世界である。穢土とは知識に振り回される煩悩が溢れる世界である。普賢菩薩と文殊菩薩は浄土から穢土に理知を運ばれる。

 知識は時代と共に正誤がかわる。知恵は不変である。知識を武器に相手を論破する競争よりも、黙々と下に根を伸ばす精進で智慧を育むことが大事である。不毛な議論は時間の無駄で、議論の正誤は神仏のみぞ知ることである。多くの人が嫌がることは正しいことではない。人に喜ばれてこそ功徳である。不毛の議論は犬も食わぬ。

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 馬場恵峰書『人生訓80恵峰選』(2005年)より

 

普賢菩薩と文殊菩薩

  普賢菩薩は文殊菩薩と共に釈迦如来の両脇侍として、尊ばれてきました。仏教を信仰し、精進に努める誓いと行いを求めて努力をし、信仰者を守護してくださいます。普賢菩薩は象に座しておられますが、象は大力を持ち何者にも動じず、菩提(悟り)に運んでくれる徳を持っているとのことです。

 文殊菩薩は釈迦如来の両脇侍として、大乗仏教の上頭とされます。三人よれば文殊の智慧というにように、智慧を象徴するみほとけです。経軌によると文殊菩薩は清らかな心を持つ童子の姿とすることが記されています。

 また文殊五尊像は、獅子(威厳を象徴)に座した文殊菩薩とその従者たちが、海を渡って飛来する情景を表し、中国山西五台山はその聖地として巡礼者の信仰を集めてきました。

(松本明慶著『慈 大仏師松本明慶作品集』2004年 小学館)より

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  松本明慶大仏師作  普賢菩薩像、虚空蔵菩薩像、文殊菩薩像 

 

2020-11-28 久志能幾研究所通信 1841  小田泰仙

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2020年11月27日 (金)

定年後の予定を計画しよう  磨墨知45a

 

 サラリーマン稼業や人間稼業をしていると、必ず定年、老い、病気、死が来る。そのために、早い時期から準備しよう。何事も早すぎることはない。入社したら、すぐ準備をしよう。入社したら、必ず40年後に定年退職の日はやってくる。40年などあっという間だ。これは経験した者でないと実感が湧かない。私は新入社員教育の「修身」でそれを説いた。

 

定年後

 で、定年後、何をやるの?

 定年後、一日、朝起きて寝るまで何もやることがなく過ごすのでは、認知症にまっしぐらである。それでは生きている価値がない。生き永らえているだけである。

 病気になったら、どういう対処をするの? 在職中に、自分がどういう病気に罹りやすいか、シミュレーションをしておこう。そうすれば、その予防が出来る。危機管理の手法で考えておこう。

 私は母の病気と父の病気を想定して、同じ生活習慣をして生きてきたので、その面の健康に注意をして生きてきた。それが両親の最期の教えであった。「あんたも何時かは死ぬのだよ。私の病気の原因を考えなさい」である。

 貴方が管理職なら、癌にかかる確率が高い。管理職はストレスだらけで、それが身を蝕む。その病巣は10年後に目に見える大きさになる。私がそうだった。

 

死の準備

 死ぬ時は、何を残すのか、その準備こそ、生きている間の大事なお仕事である。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。あの世には、何も持って行けない。だからこそ、人は集めたモノではなく、人に与えたもので評価される。

 生まれて生を受けたら、己は、此の世に何を置いていくのか、考えよう。その時期は分からない。だからこそ、今を精一杯に生きよう。

 どんな職位にも生があり、死がある。いつかは死ぬ職位(退官)である。その職位の間にできることも大事だが、その退位に際しての準備をするのが、責任者の勤めである。一番の準備項目は、後進の育成である。それが最大の遺産である。

 

戒名

 戒名は、生前に授かるのが正規の手順である。葬式の時、授かるのは応急処置である。それに家族の手を煩わせてはなるまい。お寺さんも、亡くなった人の生き様が分からないと戒名が付けられない。だからお寺さんは遺族にその人となりを聞いて、戒名を付ける。

 私は導師が提示した数例の戒名候補の中から選択して、馬場恵峰先生とも相談して決めた。そして馬場恵峰師に戒名を揮毫してもらい、墓誌に彫ってしまった。準備万端である。

 戒名とは、来世で修行をする時の自分に対する「戒めの名」である。その名に恥じないように、前世の此の世から準備をすべきだ。死んでから戒名を授かるようでは、その準備ができない。私も授かった戒名に恥じないように、残り人生を歩む覚悟をした。

 

如来

 以上は、来るべきして来る事象である。それを如来という。かくの如く来たりしもの、で「如来」である。自分を如来さまとして拝もう。自分が一番偉いのだ。

 その来るべき死の時期を先延ばしするためにオダブツ教「如来健康読本」?を読もう。そうすれば時間が創出できる。

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2020-11-27 久志能幾研究所通信 1840  小田泰仙

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年間恒例イベント計画表を作成  磨墨知45

  

 貴方が会社勤めの管理職で、他部署に異動となったら、その部署の年間行事を把握すべきだ。毎年、ある時期にはその時期の資料の作成が必要となるからだ。来ることが分かっている行事を構えていて、その仕事が来たら準備万端でこなせば、その時に慌てて処理するよりも処理時間が短くなり、質も向上する。

 

 私は、人事異動で新しい部署に赴任した時は、その部署の過去資料の全てに目を通した。それでその部署の状況を把握した。それからPC内HDに年度ごとの行事フォルダを作成して、年間の行事で必要な資料のフォーマットを用意した。それで、ルーチンワークをこなしていた。

 何事も余裕を持ってこなそう。

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  馬場恵峰書

 

2020-11-27 久志能幾研究所通信 1839  小田泰仙

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