2021年2月22日 (月)

一度に一つのことに集中する (磨墨智125)

 

 ながらで仕事をしても良い仕事はできない。凡人は、10人の話を同時に聞いて処理できた聖徳太子ではないのだ。

 私は幸いなことに、学生時代、深夜ラジオ番組を聞きながら勉強をしたことがない。今にしてよかったと思う。

 車の運転でも、ラジオも音楽も全くかけずに運転する。聞きながらの運転は、安全運転上で、ご法度である。周りの状況に最大の注意を払って運転である。

 人とお話をしている時も、スマホは厳禁である。人と会話とは、人生の真剣勝負なのだ。人と会話するとは、その人の人生時間を分けてもらっているのだ。それを割り込みでニュースや株価を見ていたら、「あんたの話しはつまらない。あんたよりニュースがオモシロい」と相手を侮辱することだ。

 一時一心一念道、である。千里の道も一歩から。一事に一つのことをボチボチとしっかりやっていこう。その一歩を歩みださない限り、何事も成就しない。

Dsc089821s  馬場恵峰書

2021-02-22 久志能幾研究所通信 1928 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月21日 (日)

児童の転倒事故、大垣市が迅速対応で感謝

 

 2021年2月12日(金)15時25分ごろ、興文小学校の児童(小学1年生)が帰宅途中、水路のコンリート縁(高さ3センチ)に躓いて怪我をした。怪我は擦り傷程度と思われる。しかし転んだ場所の先が1mほどの深さの水路の縁で、小さな子には深い溝になり、頭から落ちれば命の危険があった。私は病院からの帰路で、その現場に出くわした。

 私は、現地の状況を確認して、写真を撮り、状況を記録に残した。

 応急の再発防止として三角ポールと遮断棒を設置して、危険防止をした。

 恒久対策として、大垣市長宛の対策依頼書を作成して、休日明けの月曜日に大垣市役所教育学校課に出向き、対策を申し入れた。連合自治会長の後藤氏にも連絡をして、事前に市役所に行くことを連絡して頂いた。

 大垣市のその後の迅速な対応に感謝である。

 

事故経緯

 2月12日(金)15時25分 事故発生

 2月12日(金)16時30分 三角ポールと遮断棒を設置

 2月14日(月) 

   14時 市役所教育学校課に対策を申し入れ

   15時 興文小学校で、教頭先生に事故を報告

   16:35 大垣市道路課から現地を確認するとの電話連絡

   16:50 大垣市道路課が現地を確認

       担当者は「来週中に工事をする」と約束した。

 2月19日(金) 危険防止柵の工事完了

 

残念な事

 小学校の教頭先生の話では、以前からこの場所の危険が予想され、大垣市に申し入れていたが、そのままになっていたという。

 行政は何か今回のような事故でも起こらないと、動かないのが残念である。そう、大垣市役所の実務部隊は真面目なのだ。しかし大垣市の上層部が腐っている。それは旧日本軍と同じ形態である。

 

もう一つの教訓として、

 山に躓かずして垤に躓く

 大きなことには慎重に取り組むので失敗は少ないが、小さなことは油断して失敗しがちだということ。「垤」は、蟻塚(ありづか)のこと。

   出典『韓非子』

 馬場三根子先生も自宅内の畳の縁に躓いて、腰を痛められた。小さな危機管理の積み重ねが人の命を救う。

 

危機管理の手順

 事故の被害者を救助

 事故の状況を記録に残す。

 応急的な事故再発防止をはかる

 恒久的な事故再発防止をはかる

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 子供たちが大騒ぎ中  2021年2月12日(金)15:27

P1140350s

 指さしているこの縁に躓いた。 2021年2月12日(金)15:27

P1070794s

 応急処置で危険防止を実施 2021年2月12日(金)16:30

P11403621s

 大垣市道路課の職員が現場確認 2021年2月14日(月)16:54

P11403801s

 危険防止柵を設置完了  2021年2月19日

 

 私事で、昨日は病院で検査があり、その検査造影剤の影響のため体調不良になってしまい、ブログをお休みしました。

 異常を感じたら早めの検査が危機管理である。

 

2021-02-21 久志能幾研究所通信 1927 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月19日 (金)

「耳鳴りの法則」悪用、死の洗脳報道 (磨墨知140a)

繰り返し洗脳教育が危険

 

 くだらない記事、フェイクニュース、愚劣なブログ、痴呆的なTV番組を1万回も見れば、考える気力も失せ、認知症になる。それを洗脳教育という。目を覚まして、死の洗脳教育を見破ろう。洗脳されてしまえば、人生という時間が消滅する。それで殺された人が歴史上で死屍累々である。

 

テレビの耳鳴り如きの洗脳教育

 愚劣グルメ番組を1万回も見れば、洗脳教育されて飽食・肥満という病気になる。それが現代のテレビ番組だ。食品会社は、消費者の健康など無視して、拝金主義商売を横行させている。

 それで肥満、糖尿病、癌、心筋梗塞、認知症等が発生している。だからこの40年間で医療費が4倍になり、43兆1381億円(2017年度)までになった。国の税収は58.4兆円(2019年度)である。収入に対して医療費が異常に多すぎる。一般家庭の家計に当てはめれば、年収584万円で、医療費431万円である。この40年間で癌患者や認知症患者が激増した。私が学生の頃の40年前は、癌や認知症などほとんど聞かなかった。何かおかしい。

 

新型コロナウイルスの耳鳴り報道の例

 過剰で扇情的な新型コロナウイルス報道を繰り返し見せられれば、新型コロナは恐怖の極みだと洗脳されてしまう。マスゴミに洗脳されると、「日本の新型コロナの感染者数、死亡者数は欧米の1/50~1/100」という冷静なデータが、目に入らなくなる。嘘も百万遍言われれば、本当と思ってしまう。それが洗脳教育だ。

 過剰で扇情的な新型コロナウイルス報道の目的は、視聴率確保の金儲けである。それで日本経済が崩壊しても、マスコミは知ったことではないのだ。

 

ドイツの例

 ヒトラーは演説で、国民を煽る言葉を何回も使い、1939年、ポーランドに侵攻して第二次世界大戦を巻き起こした。当初、ドイツ国民はそのヒトラーの演説に心酔した。要は洗脳されたのだ。その結果、第二次世界大戦が起き、全世界で5000万人から8000万人が犠牲となった。

 日本の軍部もドイツの快進撃につられて戦争に邁進した。当時の新聞は何処も軍部に迎合で、反対しない。マスコミにとって戦争のほうが、記事も景気良くかけて、新聞には都合がよかったのだ。だから何処の新聞社も反対せず、イケイケどんどんである。

10年前の民主党愚政の例

 当時の鳩山首相は「コンリートから人への投資」とスローガンを連呼して国民を騙して、必要な防災投資を削減した。その10年後の今、台風被害や大雨で堤防崩壊という人災を各地で起こしている。防災投資をしないと災害も多い国家は衰退する。それが今の日本経済の結果である。

 当時の民主党の蓮舫議員は、「事業仕分け」という人を引き付ける言葉を何回も使い、国民を騙した(洗脳した)。それが日本衰退の一因となった。

 

アサヒる報道の例

 朝日新聞が慰安婦捏造事件を繰り返し報道すれば、それを信じた韓国が怒るのも無理がない。嘘でも百万遍言えば、それが本当だと世界の人が信じてしまった。かように洗脳報道は怖しい。アサヒる報道は朝日新聞のお家芸である。

 

大垣市の例

 大垣市長の小川敏は、「節約、節約」を口癖に何度も繰り返し、如何にもやっているかのように見せて、大垣の未来には実質的に投資をせず、大垣を衰退させた。結果として大垣の経済成長率はマイナス1%であった。

 小川敏が市長になって以来、20年間で大垣市公示地価は半分以下に暴落した。「日本一住みやすいまちづくり」のスローガンなのに、街が衰退し、お店が蒸発して、買い物難民が溢れている。その結果、公示地価がこの20年間で半値以下になった。それは、市場が大垣市の不動産に価値がなしとの評価である。「市場は神の如くの評価をする(松下幸之助翁)」。

 小川敏は「子育て日本一のまちづくりと口先で言うだけで、実際は、大垣市の児童生徒一人当たりに教育費は、県下最低に落とした。現在、大垣市は県下最悪の教育環境である。小中学校のエアコン設備率も2.1%で県下最低であった。その児童生徒一人当たりの教育費は、刈谷市の半分である。

 小川敏は「子育て日本一のまちづくり」のスローガンで大垣市民を洗脳して騙したのだ。それでいて大垣市役所職員の給与は県下一の高給になった。それには小川敏は固く口を閉ざす。

 節約節約と言いながら、小川敏は県下一豪華な新市庁舎を建てた。岐阜市よりも立派である。ほとんど使われない市庁舎案内ロボットに、高額の税金を投じた。売名行為のロボット投資である。

 

地方紙が忖度報道・洗脳報道を繰り返し

 小川敏の引退記者会見の岐阜新聞(2021年2月10日)の記事でも、「小川敏は「日本一住みやすいまちづくり」、「子育て日本一のまちづくり」のスローガンを掲げて、取り組んだ」とは書かれているが、その結果は記載がない。

 新聞記事として日本語がなっていない。「小川敏はスローガンを掲げて、取り組んだ。」で、どうなったのだ? それが記載無しなので、小学生の作文である。

 つまり岐阜新聞は、小川敏に忖度して、都合の悪い結果は報道しない。真実を報道すべき新聞なら、わざわざ書いたスローガンに対して、その結果を報道すべきだ。しかし岐阜新聞はその結果を、意図をもって、書かなかった。

 地方紙には忖度記事ばかりで、これが洗脳教育である。地方紙は市民には実態を知らせない。そうしている間に、大垣市は没落した。

 それは太平洋戦争の始まりと末期と同じ現象である。日本軍部の大本営発表の始まりは、景気がよく、負け戦になると口を閉ざす。小川敏市政と同じである。当時の新聞社も、自分達が戦争を煽った責任には口を閉ざした。それが歴史の厳然たる事実である。

 岐阜新聞は、事実を報道せず小川敏の言い分だけの忖度報道に終始した。痴呆紙の責任は重い。大垣市を死寸前まで経済没落させた責任は、地方紙の洗脳報道にもある。岐阜新聞、中日新聞の罪は重い。

 

 洗脳教育の陰には、恐ろしいたくらみがある。

 

2021-02-19 久志能幾研究所通信 1926 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月18日 (木)

耳鳴りの法則 (磨墨知140)

書いて書いて書きまくろう。

話して話して喋りまくろう。

 

 同じことを何回も繰り返そう。同じことを何回も自分に言い聞かせよう。大事なこと は、耳鳴りがするくらい聞け。(道元禅師の言葉)

 人が見たら完璧と思われても、繰り返しをやり抜こう。その行為は自分が巧い、もう完成したとの観念を捨てるためにする練習だ。(相田みつを氏の言葉)人のやることに完成はない。

 いかに神様の完成に近づけて、未完に終わるかが人間に与えられた役目である。(土牛画伯の言葉)

 その修行から本物の力が生まれる。本物には時間が凝縮されている。だから価値が出る。時間を使うのは価値を創造するため。

 

鍛錬

 千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。(宮本武蔵)

 1000日とは約3年である。石の上にも三年、とは名言である。

 どんな芸事でも1万時間をかければプロになれる。一日10時間を千日続ければ、その道のプロになれる。それが鍛錬だ。

 「人間というのもはね、苦労して、鍛錬され、はじめて人間になるんです。苦労しなきゃ、人間の呼吸は分からんということですよ」

 出光佐三(出光興産創業者)

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    馬場恵峰書   2011年

2021-02-18 久志能幾研究所通信 1925 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年2月17日 (水)

ウサギを追いかける虎を演じよう (磨墨知138)

 

 ウサギを追う虎のように、獲物を追いかける時は全身全霊をかけて追いかけよう。油断をして中途半端にやるからチャンスを逃す。獲物とは、獲物そのモノだけでなく、人生のご縁のめぐり逢いもチャンスである。

 その時は、相手から「そこまでやってくれるのか」と涙を流して喜ばれるくらいに相手に精力を投入しよう。

 藤吉郎は織田信長の下足番の時、信長の草履を懐で温めた。だから天下を取れた。

 桶狭間の戦いで、織田信長は今川義元の居場所を通報した家来に法外な褒美を与えた。チャンスは情報が運んでくれる。情報も獲物である。核心の情報を全力で追いかけよう。

 

チャンスの女神の後頭は禿

 そんなことで全精力を使うより、虎視眈々とチャンスを待っていて捉まえた方が楽である。そのチャンスをチャンスとして認識する能力こそが智慧である。その能力を磨くのも人生を生きる力である。それがない人間は、生ける屍である。

 いつ死んでも後悔しないくらいに完全燃焼するエネルギーをチャンスに投入しよう。そうすれば仏様が、次のご縁を与えてくれる。そう私は信じて生きてきた。

Photo

    馬場恵峰書

 

 上記の色紙を最初に見た時、欲しいなと思ったが、何故か躊躇して手が出なかった。後日、この色紙を探したが、見つからなかった。恵峰先生もどこにやったか記憶がないという。現在、所有者不明である。

 チャンスとの出会いは一瞬、一期一会である。もう一枚書いてもらえばよかったのだが、今となってはそれも叶わぬ。チャンスの大事さを教えてくれた色紙である。

 それ以来、欲しいと思ったら、即実行である。勢いが余って、昨年、第二の家まで買ってしまった。目の玉が飛び出るくらい高かったが、一年経った今、冷静に考えても正しい行動だと思い、後悔はしていない。もう後がないのだ。

 

2021-02-17 久志能幾研究所通信 1924 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月16日 (火)

「死を経営する」 滅望のための死の準備 

 

 死ぬ前に、あれもやりたかった、これもやりたかったのにと、本当の願望を滅するために(滅望)、還暦を過ぎたら死の準備をしよう。死を前に絶望するには相応の準備が必要だ。死は人生最大の行事である。そのうち手が震え、頭がボケてきて、その準備ができなくなる。今からでも遅くない。頭と手足が動くうちに死の準備をしよう。死の準備をするとは、生を全うすること。最大限に生きること。準備不足の後悔の中で死にたくはない。死のプロジェクトを経営して世に貢献して死にたい。

 生は偶然だが、死は必然である。私が65歳の時、中学の同窓生の2割が他界していた。

 

死を経営しよう

 死にあたり、持てる資源を最大限活用して、逝こう。持てる資源を死蔵したまま死んでは、その資源が可哀そうだ。その資源にも魂が籠っている。

 経営とは持てる資源を最大限に活用して、世のために働くこと。自分の持てる資源を使い切って死のう。それが人生の経営であり、死を経営することだ。

 サムソンの総帥のように、72歳に倒れ、6年間も意識不明となり、数兆円の財産を残して死んでも、人生の経営がうまくいったとは言えまい。

 自分の死から産む付加価値を考えよう。そうすれば死が有意義になる。そうすればおちおち、死んでなんかいられなくなる?

 自分のためだけの金儲けは経営ではない。それは拝金主義者の餓鬼の行動。

 地位名誉に長年縛られていて、それが解放された途端に死んでは、何のために生きたのか。それは地位名誉の奴隷である。

 

死の戦略を立てよう

 人生とは限られた時間だ。あれもやりたい、これもやりたいでは時間が足りない。「何をやらないか(略)」を明確にしよう。それがないから、人生最後で後悔をする。死は突然やってくる。その時は従容として死のう。死ぬ時は死ぬのが世のためだ。それを寝たきりで生き永らえるから家族を不幸にする。

 

成仏しよう

 死ぬことが成仏ではない。此の世で佛になることが成仏である。多くの人はそれが出来ないから、死んで成仏する。できれば生前に成仏してから、旅立とう。だからその修行が大変なのだ。佛のようになれないから、なかなか死ぬわけにいかない。

 

いい人を止めよう

 あるがままに生きよう。恰好を付けるから疲れる。

 

戒名

 私は癌を患い覚悟をして2年前に戒名を導師から授かった。

 葬式の時に付ける戒名は、応急処置である。本来、生前に導師と相談して授かるのが正規である。私はその戒名を墓誌に彫り朱を塗った。準備万端である。

 戒名とは戒めの名前である。本名は、両親がこうあって欲しいと名付けたが、実際はそうでない生き方をしてしまった。あの世で、此の世では実現できなかった己の生きざまを目標として名付けたのが戒名である。生前から、あの世での生きざまを背負って生きて行けば、あの世の事前練習ができて、実際にあの世に行った時に楽である。

 

お墓

 人並みにお墓くらい準備をしよう。ハカない人生ではつまらない。墓がないと親戚から笑われる。

 自家のお墓は、耐震構造とした。デザインにもこだわってすっきりした形状にした。メンテナンスフリーで雑草が生えないようにもした。後の人のことを思ってのこと。

 

遺言

 癌の手術前に、遺品の遺言状も作成した。

 大事なものさえ押さえれば、後は野となれ山となれである。

 

遺品の整理

 人生は山を登るようにモノを集める。山を下るときは、少しづつ荷物を降ろしていこう。モノを持ち過ぎていると、着陸時に衝撃が大きい。

 

会いたい人にお別れを

 自分よりも相手の命がいつまでもあるわけではない。便りがないと思っていたら、新型コロナで死んでいたとう話が多い。

 新型コロナで外出を控えていたら、馬場三根子先生も馬場恵峰先生も亡くなられてしまった。

 その人はソウルメートかどうか、自問しよう。それで人間関係の真偽が見える。新型コロナと私の癌で、真の知人かどうかが識別された。

 

行けるときに行きたい場所に行く

 新型コロナで、行きたい海外も行けなくなった。良い時にウィーンに行って良かった。今ではとても行ける状態ではない。

 

立派に死ぬために、直前まで健康でありたい

 そのためにオダ佛教健康読本の執筆が忙しい。

 最後の1か月程は致し方ないが、それまでは健康で現役で頑張りたい。

 そのお手本が馬場恵峰先生であった。

 

やりたいことはやってしまう、買えるものは買おう

 やれなかったのではない。やらなかっただけ。やりたいことをやれば、それでツキモノが落ちる。

 私も前から欲しかったレクサスを買って、ツキモノが落ちた。買ってみれば、ああこんなものか、今までの憧れは何だったんだ、という気になった。

 そのうち金があっても買えなくなる。

 

美味しいものは食べておく

 そのうち病気になり、食べたいものも食べられなくなる。

 私も癌の手術をしてからたべられなくなった。

 

幸福度を最高に上げておく

 欲望が大きすぎると、幸福度が上がらない。

延命治療拒否を文書にしておく

 植物人間で生き永らえても、社会に迷惑をかける。

 

縁なき衆生とは縁を切っておく

 財産がある衆生に限って、生きざまが汚い。早めに縁を切ろう。

 

豊かな気持ちで逝けるように、身の回りは整理整頓

 不要なモノを整理して、良いものに囲まれ幸せになろう。

 

人生の最終チェックをするため、年に一度は山にこもる

 山ごもりはホテルでもよい。頭の整理ができる。

 人生をまとめる必要はない。整理すれば、自ずと答えが出る。

 何ごとも最終確認は必要だ。何が死の準備で未完は何かを確認しよう。

 

できるなら、自分が生きた証を残しておこう

 私は本の出版とブログの掲載である。

 ブロブも私が死んだらそのアカウントが消えるので、出版を計画している。

 

あの世で会う人を計画しよう。

 死が楽しく、怖くなくなる。あの世でならアインシュタインにも会えるだろう。松下幸之助さんにも会えるだろう。で、何を話すのか、今から計画しよう。その想定対談集を死ぬまでに書こう。

039a34431s  馬場恵峰書

2021-02-16   久志能幾研究所通信 1923 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月15日 (月)

2%の実務のために98%の雑用が必要 (磨墨知136)

 

 自分の時間の中には,自分では制御不能な活動時間があることを認識して,それについては悔やまない。その値をいかに小さくするかが知恵の出しどころである。98%の雑用をこなす能力が人生を変える。ヤブ用を雑にするから雑用だ。それを本腰を入れて取り組めば、それが修行になる。

 

 日の丸ロケットの打ち上げプロジェクトでも、漁業権との交渉、用地買収、政府との予算交渉等で、その98%の労力が打ち上げ以外の雑用に費やされる。(糸川博士談)

 

 プロジェクトの完成は、人生そのものである。しかしその喜びは一瞬である。その前に98%を占める忸怩たる長い試練を経ないと、プロジェクトの完成はない。ロケット打ち上げでも、純粋な技術面の苦労は2%だけである。

 私も前職で通産省管轄の超先端技術開発のプロジェクトに携わったが、そこで問われたのは、国への説明資料、予算取り、そのエビデンス作り等で、実際の技術面の仕事は2%ほどでしかなかった。しかし、その開発する技術が国へ説明ができないと予算も取れない。

 

人間力

 人生の道を歩むのに必要な力は、98%は人間力である。その人間力の基礎は、仁義礼智信であり、それは広い芸の修行の世界から生まれる。糸川博士が単に頭がよかっただけではない。博士は知識偏重の頭でっかちのエリートではなかった。

 人の痛みの理解、義理を重んじ、礼を忘れず、智慧を出し、信用を蓄積しないと、人生のロケットは打ち上げ上げられない。糸川博士は趣味の世界は多彩を極める。それが糸川博士の人間力を育てた元であった。

 

 糸川博士はバレエ・占星術・チェロ・ヴァイオリンなど様々なことに興味を持った。60歳の時、貝谷バレエ團に入団した。小中では科学工作を、中学ではシェークスピア・ギリシア哲学・演劇に熱中した。ヴァイオリンの研究も行い、ヴァイオリン1挺を約半世紀掛けて作った。高校でチェロを始め、就職するときに太田に持参した。戦後は松下修也に、約50年間に亘り学んだ。レッスンは月2回であった。中島飛行機時代にはゴルフも習得している。

 この項、wikipedaより編集

 

国・都市の打ち上げ

 これはロケット打ち上げだけの話ではない。一つの仕事の方向付け、政治の世界でその国、都市の未来をどういう方向に打ち上げるかも同じである。東大を出て記憶力だけが優秀でも、その他の面で教養がないと下品な拝金主義、利権主義、権威主義の政治となってしまう。今の日本の政治がそれに値する。与党、野党とも、とても品があるとは思えない。それではその国、都市は衰退である。大垣が衰退したのは、その面の影響も多きいと私は思う。

Dsc002361s  馬場恵峰書 

2021-02-15   久志能幾研究所通信 1922  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月14日 (日)

人の嘲りを恥じない (磨墨知129)

   

 「一事を成さんと思わば、他の事は破るるともいたむべからず。人の嘲りを恥ずべからず。万事にえかへずしては、一の大事成るべからず。」(徒然草)

 

 時間を創りたければ、世間体を気にするな。時間を創れば、願望が成就する。その時間を創らないから、世間の雑用に流されて、本願を挫折するのだ。命は一刻一刻と尽きていく。やるべきことを成就させずに、死ぬわけにはいかない。人の生は偶然だが、死は必然である。

 

明日は死

 明日、新型コロナに罹り、隔離病棟に「監禁」され、死亡すればそのまま火葬場直行である。新型コロナに罹る人の多くは、狂った生活をしており、明日のことなどには考えも及ばないようだ。新型コロナが原因で死亡すれば、家族の最後のお別れさえ許されない。

 還暦を10年も過ぎれば、いつお迎えが来てもおかしくない。私の中学の同窓会の時(65歳)、2割の仲間が既に他界していて愕然とした。明日の死も20年後の死も、長い人生から言えば、誤差範囲である。人の死は必然なのだ。

 

微差でも長い年月で大きな差

 人から「変わっている」と思われるくらいでちょうどいい。人と同じことをしていては、人よりも時間が創れないし、創造的価値が残せない。

 人と2割も人と変わっていると、社会から拒絶される。人から嘲られようとも、人と1%だけ少しだけ変わっていればよい。人よりも1%の差を出すことを心がけて、それを50年間継続すれば、大きな差となる。

 会社の合併の場合でも、1%でも資本比率が多い方が、人事権を握り、その会社を支配できる。私はそれで泣きを見た。前職の会社の経営陣が、並みのことしか決断できず、他社と違う付加価値を生みだせなかったから、会社を消滅させた。

 

明日世界が終わるとしたら

 「自分は一体何をやりたいのだ」と自問しよう。明日世界が終わるとしら、自分は今日、何をやるのだ?」と自問しよう。

 やりたいことが明確になったら、そのために別のことを省略しよう。それが戦略だ。人生で「あれもやりたい、これもやりたい」では、時間制限で破綻である。人生の総量(時間)は決まっている。死は確実に来ることが決まっている。だからこそ、人の嘲りを恥じないで、死ぬまでにやりたいことをやろう。

 

無為の死

 新型コロナで、外出せず、家でじっと無為に時間を過ごすとは、命を無為に削っている。時間は命なのだ。一刻一刻と命は尽きていく。何も付加価値を生まない時間を過ごせば、それは脳死である。

 だから魚釣りなどに行っている暇はない。温泉に行っている暇もない。その行為で自分の人生に何の価値を産むのか考えよう。パチンコ、赤ちょうちん、愚劣番組やワイドショーの視聴も禁止。それこそ脳死の原因である。ゴシップ週刊誌も禁止である。スマホも意識しないと膨大な時間浪費源となっている。用もないのに買い物に行ってはならない。展覧会のお誘いも、それが自分のこれからの人生で付加価値が生まれるか否かを考えて出かけよう。

 そんな俗世間の些細なことは破るるに限る。

Dsc089821s  馬場恵峰書

2021-02-14   久志能幾研究所通信 1921  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

狂おう (磨墨知127)

 

「人間は本質的に狂の部分を持っている。

 狂っている時が一番正常で健全だ」

   ギリシャの哲学者セネカ

 

 狂は純粋なのだ。純粋だからこそ成果がでる。正しい事なら狂って邁進しよう。

 私は学生時代はがり勉で狂い、会社時代は仕事に狂い、今は物書きに狂っている。 

 革命は狂から発する。吉田松陰も狂っているとしか思えない行動を取り、それが明治維新の礎となった。吉田松陰も心情は限りなく純粋であった。

 ことを成した人は、みんな変人、狂人と呼ばれた。発明王のエジソンも、日本の発明王の豊田佐吉も当初は狂人と呼ばれた。

 

飲む打つ買うの狂気

 女に狂い、博打に狂い、競馬に狂い、ゲームに狂い、美食に狂うことが、人間の性である。しかしその狂いでは、目が覚めた時、虚しさが襲ってくる。飲む打つ買うために情熱は、永年には続かない。短期間でそれに満足する神経が麻痺してしまう。人間は生老病死で、そんな体力も金も気力を続かない。せいぜい数年間だけだ。

 続かない原因は、それが利己の行動であるからだ。しかしその狂う行動が、利他の行為なら、死ぬまで続けることが出来る。人は与えられるより、与えた方が幸せである。

 

利他の狂気

 その典型が、神や仏に仕える宗教家である。だから迫害を受けても、拷問をされても、磔にされてもその神仏への帰依心を曲げない。凡人から見れば、狂っているとさえ思われる。だから利他の精神で行う修行は、永遠である。

 私も大垣市政の冷静な批判を、「狂ったように」ブログで3年に亘って展開したが、その志は、大垣を良くしようという利他の心があったからだ。それがなければ、「狂気」に思える私のブログは続かない。

 

利己の狂気

 これが中国や香港、北朝鮮の共産主義国家なら、即逮捕で死刑にされてしまうかもしれないが、日本ではそうでないことを喜ぼう。その自由主義体制の維持のため、異常な政治にはきちんと批判しなと、為政者のやりたい放題となってしまう。そうして、税金は高くなり、自分の財産が目減りして、私達の生活が脅かされる。それがこの20年間の大垣であった。

 

アメリカの狂気

 アメリカも中国からの金(推定)でマスコミやフェイスブック等が汚染されていると推定される。トランプ元大統領のアカウントを停止させるのは、言論統制である。自由の国のアメリカで、狂気である。それがまかり通るアメリカに成り下がった。アメリカのマスコミは(中国からの金と推定)狂っているとしか思えない報道ぶりである。

 日本のマスコミも同じレベルであるようだ。皆で異常な政治には声を出そう。声を出さなければ、中国の陰の勢力に流されてしまう。

 

2021-02-13   久志能幾研究所通信 1920  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月12日 (金)

自燃する vs 燃えない大垣市長 (磨墨知126)

 

 人間は燃えているときに仏性を持つ。醒めた人間は悪魔のささやきに耳を傾け、悪魔に魂を売る。燃える情熱が時間と障害の壁を打ち破る。仏性は無限の時間を有する。燃える人には夢がある。燃える人間は、鬼神をも退けるのだ。

 新型コロナで神経質な妻から外出禁止令で、自宅に幽閉されると、燃えずくすぶり、その煙たさで認知症にまっしぐらである。燃えない人間と付き合ってもつまらない。そんな人間は、人生負のスパイラル降下である。

 燃える人間には生きる力があり、活力があり、免疫力があり、コロナを寄せ付けない。人生を拓くために、自分が燃えて、回りを巻き込み、上昇気流を発生させよう。だれも己のために上昇気流など作ってくれない。自燃とは自力本願である。

 

大垣の例

 東大出の卒業証書を貰うことが目的では、大学を卒業した時点で、人生の夢つくりを終わっている。大学卒業で燃え尽きである。そんなエリートと呼ばれる輩では、それではとても大きな仕事はできない。知識偏重で、創造的な仕事はできず、現状維持第一主義である。PDCAなどご法度である。何もしなければ安泰だ。それがこの20年間の大垣だ。エリートの立場では、挑戦はご法度なのだ。失敗でもすれば、経歴に傷がつくから、してはならないのだ。

 

エリートの詭弁

 2021年2月10日の小川敏引退の弁で「やり残したこととして、大垣駅前のリニューアル」を上げたが、やり残したのではなく、やる気がなく、やらなかったのだ。それも意図をもってやらなかったのだ。時間は20年間もあったのだ。

 やる必要もなかった121億円かけた県下一豪華な新市庁舎は早々に完成させている。それもオリンピックで資材が高騰している時期に、である。いつも節約節約といっていることと真逆である。

 市長の情熱ある鶴の一声で、何でもできるのに、大垣駅前のリニューアルなどやる気がなく、やらなかった。それを「やり残した」とはエリート臭の匂う詭弁である。そんなレベルの市長だから大垣は没落した。 

 

大垣衰退の歴史

 この激変の20年間、回りの環境は激変して、他市は大きく成長している。大垣はこの20年間、経済成長率マイナス1%であった。大垣の公示地価は半値以下に暴落し、この20年間で年率マイナス2.5%の成長である。商店街がシャッターを下ろす速度は、年率マイナス3%で、2001年当時、シャッターをおろしていたお店は20%ほどであったが、2021年現在、80%のお店がシャッターを下ろした。当時の見る影もない。

 アメリカの経済成長率3%、欧州は2%、日本は1%、大垣はマイナス1%である。エリートと呼ばれた市長の減点主義で、投資をせず、ケチケチで当たり障りのない政策が、大垣を衰退させた。燃えない市長が大垣没落の原因であった。

Img_64121s   馬場恵峰書

2021-02-12 久志能幾研究所通信 1919  小田泰仙

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