お墓参り お花無し、最高のお供えもの
私はお盆のお墓参り時に、お花は供えない。これは裕福な叔母からの助言である。お墓に供えるお花は、見栄、世間体である。そんなことに金を無駄に使うな、との教えであった。
死んだご先祖のお墓に花を供えても、お供物を供えても、墓石に毛布を掛けても、ご先祖は喜びはしない。それよりも、その金額をお布施として、お寺さんに寄進した方がよい。私はそうしている。お寺への手土産も、その代金分をお寺さんに寄進している。そうすればお寺さんもそのお金を墓地の維持管理費に回せる。皆さんのためになる。
また自家のお墓は遠方にあるので、毎日参上して、お花を手入れができない。この炎天下の折、水を追加することもできない。花が枯れて腐っても、その廃棄処理もできず、却ってお寺さんに迷惑をかける。だから私はお花を供えない。
ご先祖や亡き両親が墓参りで一番喜ぶことは、自分が元気で幸せに暮らしていることを墓前で報告し、その姿を見せることだ。健康でないと墓参りにも行けまい。墓前で手を合わせる事が出来る幸せを感じ、育ててくれた恩に感謝することが、最大の供養である。その感謝の念を持って生きていくと運命は好転する。それは感謝することの練習なのだ。感謝こそ人生を作る基礎要素である。
ガンになり、しばらく墓参りができず過ごし、久しぶりに墓参りを出来たことで、健康の有難さを痛感した。健康で幸せでないと墓参りもできない。
上図は病気見舞いのお礼として皆さんに配った色紙。
馬場恵峰先生に、約20枚を揮毫していただいた。
色紙が汚れないように、後ろから書くのです。
日中文化資料館の教室にて 馬場恵峰先生 2019年10月11日、
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その馬場恵峰先生もその2年後、94歳で亡くなられた。馬場恵峰先生は、健康に気を使って、最期まで現役で活躍された。健康こそが、親に恩を返す手段である。健康でなければ、感謝もできない。死んでもいいから?、健康第一である。
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2023-09-20 久志能幾研究所通信 2744号 小田泰仙
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