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2021年11月

2021年11月11日 (木)

住宅メーカ選択 雇用と品質

 

 新しい家を建てるため、住宅メーカを調査している。候補の会社は7社に絞り込んだ。その候補会社の一つのI社を候補から外した。理由は日本の雇用の問題と品質問題である。

 

雇用問題

 I社はフィリピン工場で建築部材を生産して、日本に持ち込んでいる。その点を問題と見て、I社を候補会社から外した。海外に日本輸出用の工場を建てるとは、日本の雇用が無くなるのだ。日本経済を苦しめる経営方針の会社で、家は建てたくない。

 

 海外生産の原則は、現地で消費するモノを現地の労働者を使って生産する、である。しかし労働力が安いという理由で、海外で生産して、その生産品を日本に持ち込むのは、問題である。

 I社の年間売上高は約4670億円である。材料費をその約3割と仮定すると、約1400億円の生産である。従業員の年収を500万円と仮定すると、会社として、人件費は一人当たり1千万円(管理費を含める)が必要となる。それで計算すると、日本で年間14,000人の雇用が失われている。こんな企業がのさばるから、日本の景気が回復せず、給与が上がらない。

 4670億円×0.3÷0.1億円=14,000人

 

 自動車部品メーカでも、海外に工場を作るが、それは現地で消費するために生産するためである。それで現地の雇用を増やすので、双方に利益がある。

 しかしI社のように現地で生産して、それを日本に輸出するとは、現地人の雇用は生み出せるが、その分の日本の雇用が無くなる。安い建築部材が、日本で生産している日本のメーカを苦しめる。

 

品質問題

 I社のフィリッピン工場で過去3回の火事を起こしている。火事とは工場経営の落第である。工場の5S(整理整頓清潔清掃)が出来ていないのだ。それがその工場での生産品の品質の全てを表している。私はそんな工場で生産された部材の家を建てたくない。

 安易な安い製品の輸入品の選択が、回り回って自分達の生活を貧乏にしている。もっと自国製品を使おう。

 

 2021-11-10  久志能幾研究所通信 2204  小田泰仙

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2021年11月 9日 (火)

人生舞台道具 腕時計占い、ちょん髷占い

 

人生劇場

 持ち物にその人の人格が総て現われる。人生舞台で、自分はその主人公である。その舞台道具で、家の家具も、家の造りも、買い物も、食事も、名刺も、自己紹介の資料も、身だしなみも、車も、すべてその人の演技を際立たせる舞台道具である。

 その演技の結果は、子供や親や奥さんを見れば、その人の育ちと人格が透けて見える。

 人を観るなら、目を見開いて、耳をほじくって人生劇場の役者とその舞台道具を観察しよう。それをみれば危険信号が見える。観察力が自分の身を守る。

 

大きな腕時計

 家を建てるため、住宅メーカの展示場を回っていた時、そこで会ったある若い営業マンの腕に、大きな腕時計が目を引いた。人生は何ごともバランスである。分不相応で、バランスの取れた身だしなみから見て、その時計の大きさは異常に見えた。

 私はその事象を、営業マンの一点豪華主義の誇示だと判定した。そうしないと自己表現ができないのか。何か薄っぺらな印象を受けた。人は第一印象である。それで人格の8割が現れる。そう思って大きな間違いはない。

 それで実際と違っていれば、その人とはご縁が無かったのだと思えばよい。実際にどうかは別にして、そう思われたら営業マン失格である。自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかである。あくまで決定権は相手にある。

 

家を見れば人生が分かる

 知人の多くの家を見せてもらって、その人の人生が見えた。その家に書斎があるかを見れば、その人の生き方が分かる。その家で、一番偉いご主人の書斎がない家が多くあった。それでその人の限界が見えた。書棚を見れば、その人の考えが分かる。その人は自宅の生活から醸し出した生き方を世間に晒して、人生を歩いているのだ。

 

世間の目

 マスコミを騒がしているKK氏問題でも、ポニーテール髪型が、世間にどう思われるか、それだけの問題である。たかが髪型、されど髪型である。その人は、その価値判断が、自分ファースト、自分基準なのだ。それがどういうインパクトを相手に与えるかを考えれば、営業マンの大きな腕時計の異常さが分かるはずだ。日本社会は閉鎖的で保守的なので、極端を避けるのが、密集した社会を生きる知恵なのだ。日本は欧米とは違うのだ。郷に入っては郷に従え、である。

 

オーディエンス

 テクニカルライティング技法でも、読み手がどう受けるかを考えて、文書構成と論理構成を組み立てる。決して、自分中心ではない。テクニカルライティングでは、読者をオーディエンスという。文書を書いて、オーディエンスに分かってもらわねば、書き手が非常識、伝達能力なしとみなさる。

 

がんの演技

 がんも同じである。自分が欲望のまま生きれば、体が悲鳴を上げて、体はがんに助けを求めて、その狂った生活を阻止するために、自分の体はガンを発症させる。人生はあくまで体ファーストである。たまには体のことを考えて暴飲暴食を見直そう。ご先祖から頂いた体を大事にしよう。

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馬場恵峰書

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2021-11-09  久志能幾研究所通信 2203  小田泰仙

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2021年11月 8日 (月)

愛癌千日回峰行  死を見据えて

 

 先日、愛知県がんセンター(愛癌山)で癌の定期検診を受けた。その結果で前立腺癌が疑われ、再検査でMRIと血液検査を受けさせられた。今日(11月8日)、その結果を聞きに、愛知県がんセンターに行ってきた。結果は、異常なしでほっとした。

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 生前に葬儀の段取り

 2019年2月12日、私は愛知県がんセンターで癌の手術をした。私のがんはステージⅢで、5年後の生存率51%であった。つまり5年後には同じ病気の人の半分が死ぬのだ。私は覚悟を決め、葬儀の段取りとその費用を払い、戒名の手配、死後50年間の法要の費用を払ってから手術を受けた。

 その後、馬場恵峰先生に戒名を揮毫してもらい、それを墓誌に刻んだ。

 司法書士に死後の財産の贈り先の遺言状を作成してもらった。

 大峯千日回峰行では、行に入る前に生前葬儀が行われる。回峰行では死に装束で大峯山を歩く。

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私の行

 今日(11月8日)で、手術後丁度1,000日が経過した。今、その計算して、数値が千日ピッタリであったのでビックリである。私にとってこの1,000日間は、毎日が癌再発防止との闘いで、それは千日回峰行と同じ修行であった。毎日、目が覚めると愛癌山に登り、誘惑の多い怠惰な生活を断つ修行の日々を送り、修行の愛癌山から下りて眠りにつく。この千日間は、それとの闘いの繰り返しであった。

 

 大峯千日回峰行では、毎朝、滝行として滝で水を打たれてから出発する。

 私は、南雲吉則先生から助言を受けて、毎朝、毎夜、お風呂で水を浴びることを再開した。これは皮膚に刺激を与えて、自律神経の活性化を図る意味がある。自律神経の活性化は、免疫力の向上につながる。現在で2年くらい、水浴びを継続している。

 大峯千日回峰行では、その修行を途中でやめるには、持っている短刀で切腹するか紐で首を吊って、皆さまに死をもってお詫びをするしか、その行を終えことができない。

 癌患者は、癌再発防止の生活の掟を破ると、切腹(開腹手術)である。毎日が死との闘いである。すこし油断をすると癌が再発する。

 この千日間、愛癌山への長い坂(地下鉄自由が丘駅から愛知県がんセンターまでは長い坂道)を何度も上って、下りてきた。幸い、神仏のご加護で現在まで生き延びさせていただいた。同じ病の河村義子先生は、その途中で亡くなられてしまった。それを思うと自分の幸せを感じる。

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  晴れた朝、がんセンターまでの長い坂を上る。 2021年10月19日、9時

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 愛癌山からの帰路で、後は雨となった。

 時には涙(雨)に濡れて長い坂を下ることもある。

 回峰行では、途中で挫折(死)もあるだろう。2021年10月19日、13時

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癌との闘いに勝てた理由

 私が癌を再発させず、3年間を生き延びられた最大の要因は、がんと闘わなかったためだと思う。塩沼亮潤大阿闍梨が著書『人生生涯 小僧のこころ』(致知出版社)で言われているように、「大峯山を征服して千日回峰行を達成するのだ」と、山を征服するつもりで、山道を蹴って闘うが如く歩くのでは、千日回峰行を達成できなかったという。それでは山からしっぺ返しを受ける。そうでなく、一歩一歩を「感謝、感謝」と念じながら歩いたから達成できたという。

 それと同じで、我々凡人も毎日の歩みを感謝で生きることだ。癌になったのも感謝である。癌になった運命を恨んだり、嘆くだけではガンは治らない。対処療法だけでも治らない。この世は因果応報である。癌になったのには原因がある。また癌にならなければ、狂った生活を続け、早晩に心筋梗塞、脳梗塞等で死んでいただろう。私は癌になった原因の狂った生活を見直し、健全な生き方に変えた。

 がんは外からきたウイルス等ではない。自分の内なる細胞が、自分の狂った生活でガン化しただけである。今までなんと間違った生活をしてきたかを、がんになって気が付かされた。毎日を正しい生き方で、日々の出来事に感謝して生きれば、がんは再発しないと確信した。

 

残り人生、生老病死

 そうは言っても、後50年も生きられる訳ではない。生あるものに、死は必然である。此の世は生老病死、輪廻転生である。今生きていることを喜び、感謝して与えられた使命を全うしたいと思う。後世の残す仕事をして旅立ちたいと、毎回、愛知がんセンターのロビーに展示されている「生生流転」の像を見る度に思う。自分は何のために生れたのか、自分の使命は何か、と。自分は生きているのではない、生かされているのだ、と。

 この像は、私が愛知県がんセンターに入院中、何度も何度も見続けた像である。この像をみて生老病死、輪廻転生を考え続けた。

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 2019年1月28日 撮影 愛知県がんセンター ロビーにて

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2021‎年‎11‎月‎1‎日、‏‎10:20    撮影

がんセンターの入り口に、3年前はなかった「入口専用」「出口専用」の表示ができた。新型コロナ対策の一環である。

人生でも生を受ければ、死をもってこの世を出ていかねばならぬ。その表示に人生を感じた。

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大峯千日回峰行

 千日回峰行 (大峯)は、奈良県大峰山において金峯山修験本宗で行われる、回峰行の1つ。吉野山金峯山寺蔵王堂から大峯山山上ヶ岳頂上までの片道24kmを往復(48km、標高差1,355m)する。それを千日続ける。雨が降ろうが、台風が来ようが、24km先の大峰山に行かねばならぬ。行かなければ、その時点で終わる。

 

 金峯山修験本宗の1400年間で、大峯千日回峰行を満行したのは、2人のみ。その一人が1991年に大峯千日回峰行を満行した塩沼亮潤大阿闍梨である。

 比叡山での千日回峰行では、51人の満行者がおられる。

 

 1日で一往復する。往復する期間は、戸開けの5月3日から9月23日の戸閉めまでの山開きの間で行う。決して途中で止めることはできない。止める場合は死出 紐や短刀で自害する。

 

毎日の行動

 蔵王堂の地獄谷の宿坊に寝起きする

 前日の午後11時25分に起床し、滝行を行う。

 参籠所で死出装束を整える

 0時半頃出発し、山中118箇所の祠で般若心経を称える

 金峯神社、新茶屋跡、百丁茶屋跡、五番関、泥辻茶屋を経て8時半頃に大峰山頂に到着

 

参考文献

塩沼亮潤・板橋興宗著『大峯山千日回峰行』春秋社

塩沼亮潤著『執らわれない心』PHP

塩沼亮潤著『人生生涯小僧のこころ』致知出版社

塩沼亮潤著『毎日が小さな修行』致知出版社

塩沼亮潤著『人生の歩き方』致知出版社

 

2021-11-08  久志能幾研究所通信 2202  小田泰仙

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2021年11月 7日 (日)

環境問題と人権問題で、太陽光発電設備を拒否

 

 私は新しい家に太陽光発電装置は付ける予定はない。その理由は。今の太陽光発電システムが環境破壊装置となり、少しも環境に優しくないからだ。

 

環境破壊の犯罪

 現在の太陽光発電システムのパネル生産の世界的シェアは、80%が中国製である。そうなった原因は、環境問題に真面目に対処して生産すると、コスト的に中国製に勝てないので、先進国では採算が合わず、生産できないためである。中国では、環境を破壊して、公害を垂れ流しても生産できるので、採算があう。日本企業が他の業種で中国に大挙して進出したのは、この公害の規制が緩いのが大きな要素である。

 中国はウイグル族の人権問題を抱えたまま生産を強行している。

 なぜ太陽光発電パネル生産世界一の中国で電力不足、停電騒ぎが起こっているのか。聞けば、電気自動車の充電のため、石炭を燃やして発電していると言うではないか。本末転倒である。

 

敵に塩

 今では、太陽光パネルが中国の戦略物質となっている。だから敵に塩を送る必要はあるまい。太陽光発電を推進するとは、中国の覇権が膨張し、小泉ファミリーや河野ファミリーが儲かるだけだ。

 中国の脱炭素問題で、太陽光発電推進に推進している政治家は信用できない。だれがそれを推進して暴利を貪っているか、目を見開いて探そう。

 

日本の環境破壊

 日本のように狭い国土で、山林を切り開いて太陽光発電所を造らねばならないのでは、無理がある。それは環境破壊犯罪である。先日の熱海市土砂崩れ事故で、それが明らかになった。

 

公害物質

 太陽光発電パネルには水俣病・イタイイタイ病の原因となったカドニウム等の公害物質が含まれている。先進国では、生産時にその対策費が膨大となるので、低コストでは生産が出来ない。また今後、10年後に廃棄する場合に廃棄問題が顕著化する。無料では廃棄パネルを処理できない。今後は、高額の廃棄費用が施行主にのしかかってくる。

 

反自然現象

 太陽光発電システムは、自然の変化に影響されるので、安定的に使うには、蓄電池の設置が必要となる。その分だけコストがかかり無駄である。

 太陽光発電に国から補助金が出るが、補助金を出すこと自体がおかしい。不自然である。太陽光発電装置を持っていない人から税金を取って、補填している。それが続くはずがない。

 

地震対策

 太陽光パネルは屋根の上に設置するので、重い材料が天井に乗りかかることになる。地震対策上で不利である。

 私の家では、築50年の日本式家屋の屋根を、地震対策で、土ぶきの瓦を、土なしの瓦ぶきに改築した。それと同じ重さの太陽光パネルを載せるなど、狂気の沙汰である。

 

感電対策

 また万が一火事になっても、太陽光パネルは発電が止まらないので、消防士の感電死の危険性が出てくる。アスクル工場の火事が1週間も鎮火しなかったのは、工場の屋根に太陽光パネルがあったためである。

 

近所迷惑

 また住宅地では太陽光パネルが鏡となって、その反射熱でご近所に迷惑をかける。

 どっかのバカが、住宅地に大規模な太陽光発電システムを設置して、その反射熱で夏の隣の住宅の室温が50度を超え、裁判沙汰になっているという。狭い日本の住宅環境では、太陽光発電システム設置は無理があるのだ。

 

装置の脆弱性

 太陽光発電パネルは、たとえ100枚あっても、そのうち1枚でも汚れたり、傷がつくと、全てのパネルの発電効率が同時に下がる。だからその維持管理が大変である。屋根の上では、簡単に維持管理ができない。

 

シンプル イズ ベスト

 家に太陽光発電装置を付ければ、家の構造が複雑になる。複雑になれば故障の原因である。

 

結論

 以上の理由で私の家新築計画では、太陽光発電は導入しない。以上を知っていて太陽光発電を勧める住宅メーカは、信用できない会社とみなすことにした。

 

2021-11-07  久志能幾研究所通信 2201  小田泰仙

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2021年11月 6日 (土)

自己紹介、営業担当者レベルで会社を選択

 

 家を新たに建てることを思いつき、各社の住宅展示場を回り、多くの営業マンに会って、その人達の自己紹介のレベルが、大きな差があるので違和感を覚えた。営業担当者のレベルを見れば、会社のレベルが分かる。そのレベルは営業担当者の自己紹介や名刺の内容で一目瞭然である。その実例をお伝えする。

 

名刺や自己紹介資料の目的

 その営業担当者は、それで何を相手に伝えたいのか。それは名刺でも書類でもパンフレットでも、自己紹介でも同じである。その資料で何を最初に伝えるかで、その人の意図と能力が分かる。

 ビジネスマンは、その場で顧客が何を知りたいかを瞬時に理解せねばならぬ。成果を出すには、空気を読むのではなく、状況を理解する能力が求められる。

 残念なことに、自己紹介する本人は、全くわかっていないようだ。

 

 なぜ自己紹介の資料に出身高校が必要か。仕事には出身高校名など関係ない。魚釣りの趣味も関係ない。私は、釣りが趣味の営業マンからなど、モノを買おうとは思わない。生き物を殺して遊ぶのが好きな人などと付き合いたくない。

 自己紹介では、その人の生き方が縮図のように現れるのだ。

 

事例1 ある営業マンの自己紹介資料(青字は資料の掲載順)

 大きな顔写真

  「この顔を覚えて下さい! 精一杯頑張ります」

 

  客にとって全く意味のない情報である。

  なんで営業マンの顔を覚えろと命令されねばならぬのか。

  頑張らない営業マンが存在するのか?

    当たり前のことを、読ませるな。時間の無駄、時間泥棒である。

  それで客にどういう付加価値を与えるのか。

 

 釣り上げた大きな魚を自慢げに掲げる写真

  釣りが嫌いな客には不快である。仏教徒の私は殺生が嫌いだ。

  それが売りたい商品とどんな関係があるのか。

 

 経歴

  それが必要か。客が欲しいのは商品情報。

  私は営業担当者の経歴などは知りたない。

 

 出身高校情報

  それがその仕事に関係するのか。

  逆にその人のレベルが露見して、逆効果である。

 

 出身大学情報

  それがその仕事(売る商品)に関係するのか。

 

 現在勤務先

  名刺を見れば書いてあるではないか。不要、無駄

 

 保有資格

  これは必要。なぜ、それが後回しで掲載されているのか。 

 

 趣味情報

  趣味に「釣り」、「100均店舗巡り」とある。

 

  私は生物を殺して喜ぶ男から商品など買いたくない。

  私は安物買いが趣味の営業マンから商品を買いたくない。

  100均商品の製造は、奴隷労働がないと成り立たない。

  この男はそれが分かっているのだろうか。

  100均商品に囲まれて生活すると、運勢が下がるのだ。

 

 抱負

  これが一番大事なのに、書類の最後に書かれている。

  当然、内容がお粗末であった。

 

事例2 新人教育での自己紹介事例

 私が前職の時代、新入社員研修で「ビジネス文書の書き方」の講義をしたとき、ある新人に「自己紹介をしなさい」と、その論理構成の話し方の事例として一人を指名した。多分そんなことは考えず話すだろうと推定しての質問である。彼は、私の思惑通り、とうとうと出身地から趣味までを自己紹介として話し出した。彼は私の落とし穴にはまったのだ。

 ビジネスマンは、その場で何を出席者に伝えるべきかを瞬時に理解せねばならぬ。成果を出すには、空気を読むのではなく、状況を理解する能力が求められる。彼はその点が理解出来ていなかった。新人研修の場は宴会や親睦会ではないのだ。そこでは趣味の話や出身地などはご法度である。

 

2021-11-06  久志能幾研究所通信 2200  小田泰仙

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2021年11月 5日 (金)

新型コロナと戦闘中、後から刺される

 

 私は新型コロナウイルス対策で、最大の注意を払って生活をしている。それが巣ごもり生活に浸っていたら、下側前歯の後ろ側が虫歯菌に攻撃されてしまった。要は前ばかりを注意していたら、後ろから刺されたのだ。巣ごもり生活で、甘いものを少々食べ過ぎたようだ。

😿

 

 昨日(11月4日)、2ヶ月ごとの歯の検診に歯科医院に行ったら、前歯の奥に小さな虫歯が発見された。前からは見えず、後ろ側の歯ブラシで磨きにくい場所であったので、歯医者さんも前回の診察で、見落としたようだ。即座に治療をしてもらった。その大ショックで心が折れてしまい、昨晩はブログの更新が出来なかった。恐縮です。

 

麻薬

 甘いものは「真綿首を締め麻薬」である。糖質の依存性は、モルヒネ等の麻薬と同じ程度の依存性がある。気を付けよう、甘い言葉と甘いお菓子。

 ちなみに私は、モルヒネを「露骨麻薬」、煙草・酒を「忖度麻薬」と命名した。

 

3千万円の設備 

 虫歯になるとは、人体の中で一番高価で大事な装置が故障したのだ。歯医者さんによると、歯一本の価値は104万円という。歯の総数28本で、約3千万円の価値がある装置である。口の中に天皇陛下が乗られる御料車やロールスロイスが鎮座しているのと同じなのだ。歯を大事にし過ぎても罰は当たらない。

 歯が無くなると、美味しくものが食べられなくなる。内臓に負荷をかけることになり、寿命にも大きく影響する。また認知症にもなりやすい。

 歯を大事にしよう。人生で不祥事に噛みつけなくなったら、認知症にまっしぐらである。批判こそ世を良くする薬である。批判が出来なかったら、共産独裁国家である。

 

対策

 対策として 「糸みがき」を買ってきた。

 しばらくこれを使って様子を見ようと思う。

 私の人生の鉄則は、問題が起これば、必ず再発防止策を打つである。

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  下側の前歯の後に虫歯

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2021-11-05  久志能幾研究所通信 2199  小田泰仙

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2021年11月 4日 (木)

見学記 長野県立美術館で盗みたくなる絵?

 

 2021年10月29日、長野市の東急百貨店で開催されている「大仏師松本明慶仏像彫刻展」に行った。その足で、長野美術館を見学した。本来、善光寺に行く予定が、新型コロナ騒動で、7年ぶりの秘仏の御開帳が来年に延期になったので、参拝は来年に変更して、長野美術館に行った次第である。

 

 長野美術館は近代的なデザインの建屋である。3つの建屋からなり、本館と企画展部と東山魁夷館からなる。東山魁夷館とは本館から、透明なガラスの回廊でつながれていて、わくわくするような雰囲気が漂う。

 ただし中身は期待外れであった。

 

東山魁夷館

 初期から晩年までの歴史記念的な作品が多く展示されているが、私が名画と定義できる作品は無かった。所蔵している絵画で、今回の企画展(東山魁夷館コレクション展 第Ⅳ期)では、あまり見るべき絵は少なかった。このコレクションは、東山魁夷が54歳から69歳までの作品だが、欧州のスケッチ絵が多くて、中途半端な絵(私の感想)が多かった。

 私が名画と定義できるのは、「捕まってもいいから、盗んで家に飾りたくなる作品」である。残念ながら、この東山魁夷館では、それが無かった。お陰で逮捕されずに帰宅した。

 

常設展の会場

 常設展の会場では、畳数枚分もの大きな作品が多く展示されているが、常識的に「美術作品とは何か、その付加価値は何か」を考えてしまった。大きな作品は、美術館ではなんとか展示できるが、その多くが見入ってしまい、家に持ち帰りたいと思う作品は皆無である。自分がウサギ小屋の小さな家に住んでいることが原因ではある。絵があまりに大きすぎて、作品の価値が見いだせないからだ。

 今まで、大きな絵で感動した絵は、ルーブルの「ナポレオンの戴冠式」、オランダ美術館のレンブラントの「夜警団」の絵ぐらいである。それでも、感動はしたが、それを盗んで家で飾りたくなる気持ちにはならなかった。そんな絵を自宅に飾ったら、家が雰囲気的に死んでしまう。

 

 画家も展覧会に出品するには、大きな絵を出さねばならぬ。その絵が、美術館に買って貰えればよいが、そうでないとその絵の保管が大変なのだ。その保管のため、マンション一室を借りている画家も多い。画家も大変なのだ。

 

名画無し?

 常設展では、美術の教科書によく掲載されている作品が多く展示されてる。教科書に載る典型的な歴史的な作品が多いから、美術の勉強にはなる。しかし「盗みたくなるような魅力ある作品」は少ない。やはり美術館が買い入れる無難な作品である。

 今回は、山路先生とご一緒したから、山路先生から作品の解説を聞きながらの鑑賞となり、贅沢な訪問となった。山路先生は、元高校の美術の先生であった。定年退職後の今でも現役の芸術家である。

 

経営とは

 芸術は人生を豊かにしてくれる。人生を経営するとは、芸術活動である。どこにもない芸術作品を創り、世に貢献しよう。経営とは、今、自分が持てる資源を最大限に活用して、世のために付加価値を創造することだ。自分の才能の発掘こそ経営の基本である。

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 長野県立美術館 正面の外観

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 東山魁夷館への通路

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東山魁夷館への通路の外の風景

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 長野県立美術館での課外授業(小学生の見学)

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長野県立美術館のすぐ隣が善光寺

 

2021-11-03  久志能幾研究所通信 2197   小田泰仙

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2021年11月 2日 (火)

人の生きる目的は、大佛になること

 

人は動物として生まれて、躾と教育で人間に成長する。

人間に成長したら、次の目的は佛になることだ。

佛になるなら、もっと大きな大佛を目指すことだ。

小さな佛で満足してはならぬ。

 

海は水を辞せざるが故に、大海となった。

(自侘は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同時なり(修証義))

人は大海のように、人生の清濁を併せ飲む大佛になることだ。

そうすれば小さな欠点は見えなくなる。

神ではない。大神でもない。大佛になることだ。

佛こそは、人間が精進した後、昇華してなれる存在である。

しかし人がいくら頑張っても神にはなれない。

神になったら、「人でなし」だ。

己が仏師として、己の中にある佛を彫り出すことだ。

自分には、自分さえ知らない大きな能力が潜んでいる。

 

それを覆う無知や傲慢さを削ぎ落すには、己に傷がつく必要がある。

それが自分の中にある佛を創造することだ。

「創」とは絆創膏の「きず」「刂」(砥石)の象形文字である。

武士は刀で傷を受けても、なにクソと血が吹きあがる傷口に焼酎を吹き付ける。

その傷口から新しく強靭な細胞が再生される。

 

大佛大器を目指せ。大佛は全てを受け入れる大きな器である。

その器には大智大賢慈悲が入っている。

大佛は悲しみも喜びも総てを受け入れる大きな器である。

 

私はそれを目指して精進している。

大佛を納めるオダ仏教本殿を建てよう。

棒ほど願って針ほど叶う。

大仏を目指して、結果が小佛でもいいではないか。

小さな童地蔵が精進をして、大佛に変身する。

仏道を歩むプロセスが大事なのだ。

千里の道も一歩から。

大仏を目指さないと、小佛にさえなれない。

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西国二番札所・紀三井寺の佛頭(2m40cm)を製作中の松本明慶大仏師

 『大佛師 松本明慶 作品集』小学館より

 本図は大仏師松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可を得ています。

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  童地蔵  松本工房

 

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2021-11-02  久志能幾研究所通信 2197  小田泰仙

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2021年11月 1日 (月)

人生200年、あの世500年、輪廻転生を信じて家作り

 

無神論者はテロリスト?

 欧米ビジネスマンと話すとき、自分は無神論者だと言っては、軽蔑される。下手をすればテロリストと間違えられる。文明人と野蛮人を分けるのが、宗教の有無だと彼らは信じている。実際に人間とサルを分けるのが、宗教があるかないかである。だからキリスト教徒の彼らから見れば、無神論者は狂人である。人間的にも信じてもらえない。彼らと話すときは、自信をもって自分は仏教徒だと言おう。

 無神論者でテロリストは家など作らない。教養ある知識人として、この世の中に付加価値を創る生産工場としての家を建てよう。家は人生を闘うための要塞である。人生航路を行く空母でもある。

 

人生200年

 此の世の人生は200年である。動に生きて100年、静でお墓の中で過ごして100年である。お骨は微生物が100年かけて分解してくれる。それでお骨は土に還る。人はそれで物理的にこの世から消える。お墓とは、骨を土に還す装置である。だからお墓とは、此の世の最後の家である。

 

 私は土に還るまでの100年間を、安らかに過ごすため、6年前に耐震も考えた構造のお墓にした。またメンテナンスフリーであるお墓にした。墓誌に戒名まで彫って、準備万端である。あとは死ぬだけ(?)だが、なかなか死ねなくて往生(?)している。そう簡単に死んでたまるかと、精進している。

 それゆえ、人生200年を俯瞰して、動の時間を良く生きるために、良い家を建てたい。良い家は、人生を豊かにしてくれる。今、次の家を建てる夢をいだいて計画をしている。

 

24時間換気システム

 現世の最新式の高気密高断熱の家は、24時間換気システムが法律で必須である。それに準じて建設したお墓の納骨室には、通気孔を儲けて、湿気を除く仕組みを取り入れた。これは石屋さんの家のお墓のアイデアを借用した。だからたまには、霊として暗い納骨室の通気口から抜け出し、娑婆に遊びに行けば(?)よいのだ。未練が残れば、化けて出ればよいのだ。

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 納骨室の横の通気口

 

あの世の期間

 あの世の期間は500年である、と私は信じている。仏典では天の寿命は500年と言われている。天女も四天王も寿命は500年である。関ヶ原合戦場では、数十万人が戦いで亡くなったと言われる。その亡霊がこの500年間、さ迷っていて関ヶ原合戦場跡に度々出てきたそうだが、最近、それが全く出なくなったという。それから推察して、あの世の期間は500年と私は推定した。

 

 だから、日本の仏教の教えでは、どんな極道非道で地獄に落ちても、500年の「刑期」を勤めれば、輪廻転生で生まれ変わる。そこに日本の仏教は救いがある。キリスト教では、地獄に落ちると、永遠に地獄暮らしであり、救いがない。

 その後、輪廻転生で、何に生まれ変わるかは、現世の積善次第というのが仏教の教えのようだ。先人は賢い脅迫システムを作った。私も幼少の頃、祖母に連れられてお寺で地獄絵を見せられ、震え上がった。それで悪いことをしないと誓ったものだ。子供には効果抜群の教えである。

 

あの世が有りや無しや

 お釈迦様は、あの世が有るともないとも言われず、「ただ精進せよ」とだけ言い残されて寂滅された。あの世のことは、後世の弟子の作り話(?)である。私はその作り話を信じている。そう信じた方が、心安らかに生きていけると思う。誰もそれを証明できないなら、それを信じた方が、精神的に楽だと思う。それが人生の生き方を左右すると思う。

 神仏を信じない輩が、「死刑になりたい」と無差別殺人を起こす。今日(11月1日)も、狂人が京王線で死傷放火事件を起こし、ハロウィンの日が騒然となった。荒んだ事件の多発は、そういう幼児期の宗教教育が無くなったためだと思う。あの世が有ると信じて、善人として生きた方が、世のためだろう。嘘も方便である。あの世があるかどうかは、誰にも分らない。

 

70年後の世界

 おだ仏教の教えでは、33回忌で閻魔大王から、極楽に行くか、地獄に落ちるかの審判が下されるとしている。その時、私の守り佛の虚空蔵菩薩様が、私の弁護人となって、助けて頂けるそうだ。それが今から70年後(?)の審判である。いろんな説があり、それが17回忌という説もあるようだ。

 

 だから私は松本明慶先生に、虚空蔵菩薩像の製作をお願いした。毎日、虚空蔵菩薩に手を合わせると安らかな気持ちになる。荒んだ気持ちのまま、過ごしたくはない。守ってくれる仏さまを信じることは、精神衛生上で良いことだ。勇気もって生きていける。前向きの考えからは、前向きの人生が送れる。

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 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩

 

2021-11-01  久志能幾研究所通信 2196   小田泰仙

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