人の生きる目的は、大佛になること
人は動物として生まれて、躾と教育で人間に成長する。
人間に成長したら、次の目的は佛になることだ。
佛になるなら、もっと大きな大佛を目指すことだ。
小さな佛で満足してはならぬ。
海は水を辞せざるが故に、大海となった。
(自侘は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同時なり(修証義))
人は大海のように、人生の清濁を併せ飲む大佛になることだ。
そうすれば小さな欠点は見えなくなる。
神ではない。大神でもない。大佛になることだ。
佛こそは、人間が精進した後、昇華してなれる存在である。
しかし人がいくら頑張っても神にはなれない。
神になったら、「人でなし」だ。
己が仏師として、己の中にある佛を彫り出すことだ。
自分には、自分さえ知らない大きな能力が潜んでいる。
それを覆う無知や傲慢さを削ぎ落すには、己に傷がつく必要がある。
それが自分の中にある佛を創造することだ。
「創」とは絆創膏の「きず」+「刂」(砥石)の象形文字である。
武士は刀で傷を受けても、なにクソと血が吹きあがる傷口に焼酎を吹き付ける。
その傷口から新しく強靭な細胞が再生される。
大佛大器を目指せ。大佛は全てを受け入れる大きな器である。
その器には大智と大賢と慈悲が入っている。
大佛は悲しみも喜びも総てを受け入れる大きな器である。
私はそれを目指して精進している。
大佛を納めるオダ仏教本殿を建てよう。
棒ほど願って針ほど叶う。
大仏を目指して、結果が小佛でもいいではないか。
小さな童地蔵が精進をして、大佛に変身する。
仏道を歩むプロセスが大事なのだ。
千里の道も一歩から。
大仏を目指さないと、小佛にさえなれない。
西国二番札所・紀三井寺の佛頭(2m40cm)を製作中の松本明慶大仏師
『大佛師 松本明慶 作品集』小学館より
本図は大仏師松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可を得ています。
童地蔵 松本工房
2021-11-02 久志能幾研究所通信 2197 小田泰仙
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