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2021年10月

2021年10月20日 (水)

西南戦争で西郷さんが自滅した原因

 

 私は母から、「今住む場所から駅に1mでも近いところに転居せよ。それを出世という」と教えられた。

 西郷隆盛さんは、その教えに背いたから、西南戦争で敗れた。その教えがあれば、西南戦争が起こることもなかったのにと残念に思う。

 

「駅」の語源

 駅とは、出かけるときの出発点である。駅の語源は、馬を乗り継ぐ場所である。住む場所が、駅に近いということは、人生の成功の第一歩である。師を探しにも行ける。遠い世界にも学びにも行ける。

 昔は馬こそが早く移動する手段であった。今はそれが電車になった。人は動かない限り、ご縁は手に入らない。「お足」が大事なのだ。私は母の教えで、駅に近い場所に住むことで、人よりもフットワークが軽い人生を送れたと自負している。

 具体的に人より多く動けば、具体的なご縁を人より多く得る。単純な確率論である。凡人は、愚直に確率計算に順って生きるのが正論。

 

外国見聞の有無

 西郷さんは、明治の偉勲たちの中で、唯一、海外を視察していない。「駅」とは外に出かける拠点である。それを西郷さんは事情があり、海外に行けなかった。西郷さんは、その見聞がないために、他の政府高官たちより、視野が狭くなったようだ。結果として西郷さんは、征韓論政争で負けて、下野してしまった。西郷さんが、海外の生の姿を見ていれば、征韓論で下野するような事態にはならなかったであろう。新生日本は、海外の列強諸国が隙あらば、植民地にしようと虎視眈々と狙われている状況であった。その情勢に鈍感であったのが、西洋を知らない西郷さんであった。

 

反「出世」

 あろうことか、征韓論政争に敗れた西郷さんは「駅」から最も遠い鹿児島に戻ってしまった。「出世」の真反対である。鹿児島は東京「駅」から遠い。鹿児島からでは海外の事情はおろか、東京の情勢収集さえ疎くなる。僻地で情報に遮断された生活を送れば、「出世」という感覚が鈍る。出世とは、リーダとして、あるべき姿を求めて新天地へ向かう行動なのだ。指導者が閉じこもってしまっては、進歩がなくなる。

 

出家

 ある意味、僻地の俗世間に閉じこもって移動しないとは、永遠に俗世間に留まる事だ。家を出て世間を広く見聞し、自己啓発にするとは、「出家」である。

 僻地は刺激がなく、平穏に暮らすには良いが、ボケの誘発ともなる。それよりも頻繁に異世界に移動して、刺激を受け、今の世界との違いを思索にふける(出世)べきなのだ。何時までも同じ家に閉じこもっていては、新しい発想は出てこない。

 少年よ、大志を抱け。出家せよ。出世せよ! 

 

出世とは(辞書による)

 1 社会的に高い身分・地位を得ること。

 2 この世に生まれ出ること。

 3 仏語。

   仏が衆生を救うためこの世に現れること。

   俗世間を離れて仏道に入ること。また、その人。出家。

 

2021-10-20  久志能幾研究所通信 2185   小田泰仙

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2021年10月19日 (火)

コロナ菌バラマキ賊団と遭遇して怒り心頭

 

 今日(2021年10月19日)、半年ごとの定期検診のため、愛知県がんセンターに出向いた。その途中の電車内で、新型コロナ菌を拡散させるが如き行動を取る非常識人たちに遭遇した。それとの遭遇戦記である。

 新型コロナウイルス対策では、各人の衛生観念と他人に迷惑をかけまいという公共心(道徳心)の高さが、最大の効果がある。それが日本と外国の感染状況の差だと思う。

 

ケース1

 常識ある人は、電車内での会話を控えるか、小さな声で話すのが新型コロナウイルス対策の常識マナーである。車内アナウンスでも、それのお願い放送が頻繁である。それなのに、大垣から名古屋までのJR電車内で、隣の列に座った二人連れの中年ビジネスマンが、マスクはしていても喋り通しで、不愉快になった。

 一ノ宮駅までは、二人の話し声は小さかったので我慢したが、急に興が乗ったのか、大きな声で喋りだした。思い余って、「すいません」と頭上に掲げられた「車内のマナー」ポスターを指さして睨んでやった。流石にビジネスマンなのか、効果ありで黙った。偶然と言うか、丁度よい場所にそのポスターがぶら下げてあった。神仏のご加護である。

 

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 私の座った席の頭上にあったポスター 

ケース2

 今度は、地下鉄で名古屋駅から本山駅まで行くとき、私は優先席に座った。ところが私の頭の上で、二人の恰幅のよい2人の外人がマスク越しに大きな声で話をしだした。人相の悪そうな外人だったので、「コリャ、注意してもダメだわ」と観念して、別の車両に退散した。

 日本ではコロナ感染状況は収束に向かっているが、英国では感染状況が再拡大に向かっている。日本でも、ワクチン接種が行き渡ったようだし収束傾向だが、まだほとんどの人がマスクをしている。

 ニュース番組で英国の風景を見ると、ワクチン接種が行き渡ったようで、ほとんどの人がマスクなどしていない。外人と日本人の衛生観念(道徳心)の差が、日英の感染状況の差を生んでいると思う。

 

ケース3

 帰路の名古屋から大垣のJR車内での事態。二人づれのオバンが対面かけの席に座って、名古屋から大垣まで、ずっと大きな声で喋りまくっていた。私はその席から4列ほど離れていたので、注意もできず、見ているだけであったが、同じ車両内で、気分が悪かった。喋りまくっているオバタリアンの前に座っているのは、中年のおじさんと若い女性であった。二人がオバタリアンに何も言わないのが、もどかしかった。通勤時間帯となり、車内が満席状態で、席の移動もままならない状態である。

 日本の公共心を破壊するのは、中年のオバタリアンたちである。今のままでは、子供への躾が台無しである。大人なら、言うべきことを言わないと、日本が駄目になる。私は少し恥ずかしい気はするが、勇気を持って注意の声を上げている。

 私は、そういう小さな行動の積み重ねが日本を良くすると信じる。

 「一燈を掲げて暗夜を行く」。そういう心構えで生きていきたい。

 

4k8a18761s 馬場恵峰書

2021-10-19  久志能幾研究所通信 2184   小田泰仙

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2021年10月18日 (月)

カテゴリー「家を建てる」を追加

 

 カテゴリー「家を建てる」を追加します。

 私の趣味は家をいじること。今までこだわりをもって家を新築、改築してきた。お墓も来世で住む家である。それを含めれば今まで5軒の家の建てることになった。母は、裸一貫から7軒の家を建てた。私もそれに負けまいと、今、6軒目の家を建てる計画を立てた。その経験知を伝えます。

 

志と忍

 家を建てるには、まず「建てる」という志を立てなければ、絶対に建たない。家とは人生を創っていくためのベース基地である。有意義な人生を創るには、人生で何をするかまず「志」を立てねば何事も成就しない。その過程で、楽しいことも辛いことも起きてくる。その時、家は司令本部であるし、籠城する場所にもなる大事な砦である。

 

 「こころざし」とは、「心を刺す」ことだ。自分の心に「上から」刃を突き付けて、それでよいか、それでよいかと自問することだ。それが「忍」である。

 「志」とは、「士」の思いを支えるのは、自分の心であると書く。その「志」を実現するには、現状を認めるために、「忍」が必要だ。それを自覚することから「認」という字が生まれた。

 

夢士

 一生かかっても実現できない夢を持って生きるのが「夢士」である。

 「士」とはサムライである。刀を持てば武士である。夢をもてば「夢士」である。家を建てるという夢を抱いて、「夢士」として動けば、第三の人生を認知症にならずに過ごせると思う。

 現在100 歳の現役ピアニストの室井さんは、90歳で家を新築した。だから100 歳で、今も現役である。馬場恵峰先生は60歳で一億円の借金をして日中文化資料館を建て、24年かけて借金を返済した。それがあったから、馬場恵峰先生は94歳まで現役で活躍された。それを思うと、家を建てるという夢を見ることは、生きる力を与えてくれる。

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  馬場恵峰書

 

2021-10-18  久志能幾研究所通信 2183   小田泰仙

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2021年10月17日 (日)

ヤブ医者が施す洗脳、茹でガエルとなり殺される

 

医師の洗脳教育

 長年かかっている医師の洗脳教育で、多くの人の命が危険に晒されている。それに気が付いている人は少ない。加齢現象で病気を胡麻化す医者は、患者を間違った情報で洗脳している。それはヤブ医者である。病気になった原因を見付け、その対策を指導しない医者はやぶである。どんなものにも原因がある。それを放置して薬だけ処方する医者はヤブである。ほとんどの医者がこれに当てはまる。そうしないと医者はもうからない。

 現代の医者は高額医療機器を設備しているので、その投資の減価償却をせねばならぬ。やぶ医者は病院経営の為、患者を生かさず殺さず、引き止めねばならぬ。現代では医は仁術ではなく、算術・産術・惨術である。ヤブ医者を信じれば、ゆでガエルのように殺される。

 

文殊の知恵と普賢の賢さ

 多くの医師の意見(智慧)を聴くことは大事なことだ。しかしその中から、正しいと思う知恵を選択するには、賢さが必要だ。智慧があっても、間違った知恵で動けば、絞首台を上ることもある。病気を逆に悪化させることもある。それは正しい智慧を選ぶ賢さが足りなかったのだ。

 

Dsc065671s 松本明慶大仏師作 普賢菩薩像 、 書は馬場恵峰師の揮毫

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洗脳の結果

 その結果、この40年間で、日本の医療費が4倍に増え、患者も4倍に増えた。現在の日本の年間医療費総額は40兆円をはるかに超えた。日本の税収は60兆円である。収入の半分以上が医療費なんて、おかしいではないか。これだけ医療が発達して、医療費を膨大につぎ込んで、何故それで日本人の2人に一人ががんになる状況になったのだ。現在は65歳以上の人の15%が認知症である。40年前は、そんなことはなかった。

 

真因追及

 どんな病気でも、元を断たなきゃだめなのよ。対処療法では、病気は治らない。対処療法で患者を胡麻化しているうちに、患者はその病気の真因元が別の病気を発症させ、それで死ぬ。そうすればヤブ医者は、その間、投薬で儲けて、完全犯罪で人を殺せる。

 現代の医者は治療をするが、病気は治せない。いや、治す気がない。治せば、医療業界の経営が成り立たなくなるからだ。日本の医療業界は悪魔のサイクルに陥っている。それが今回の新型コロナ治療体制で、その綻びが明らかになった。

 病気を治すのは、本人である。本人が病気を治す気にならないと、病気は治せない。医者任せでは、絶対に病気は治せない。

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成果主義を追求

 10年も同じ医者にかかって、病気が治らなければ、おかしいと思わなければならぬ。そう思わないなら、それは医師に洗脳された状態になっており、脳死状態である。医者の金儲けの生贄になったのだ。

 私も20年間も高血圧症で医者にかかったが、治らなかった。その間の医療費、通院時間が膨大な無駄であった。会社でも己の仕事の成果で人事査定されるではないか。我々は、医師の仕事の査定をせねばならぬ。それが医者を評価する成果主義だ。

 

ヤブ医者が洗脳で使う常套文言

「血圧が高いようだが、歳相応でこんなもんですよ。薬を出しておきます。」

「心臓の血管の一部が石灰質化していますが、誰にもある加齢現象ですよ。様子を見ましょう。薬を出しておきます」

「高血圧ですね。薬を出しておきます。」

「管理職の方はストレスが多いので、高血圧は常識です。薬を出しておきます。定年退職すれば、血圧は正常に戻りますよ。それまで我慢です」

「癌部は全て摘出しました。もう安心です。今まで通りの生活を送れます」

 

 90歳になっても、元気な人も大勢いるではないか。歳のせいだと、人を子ども扱いで胡麻化すな!

 

万病の元

 病気の原因は、狂った食生活、狂った生活習慣である。この40年間で、日本の食が大きく変わった。それにより癌、糖尿病、認知症が激増した。原因は明白であるが、それをあからさまにすると、日本経済を支える、食品業界、医療業界が大打撃を受けるから、「みんなで黙っていようね」と官・医・民・マスコミが結託して、利益確保を図っている。

 だから食品の添加物や農薬は、官僚が天下りを考えて、超ルーズになっている。日本の許可された添加物や農薬種類数は、数百を超えるが、欧米では20 種類ほどしか許可されていない。

 アメリカでは青少年への清涼飲料水の販売規制が厳しい。日本はその点で無法国家である。

 欧米でのたばこの規制は厳しいが、それに比べれば、日本はタバコに寛容すぎる。

 

命の液体

 すべての栄養素は、血液に乗って全身に送られる。その血液が汚れた食品で汚染されいれば、その汚れが血管内部に付着して、血管の流れを阻害する。

 血管内部の付着物が堆積すれば、必要量の血液が流れないので、自律神経が血圧を上げて血液を送る。それに対して降圧剤を服用すれば、必要な血が全身に行き渡らない。血液中に含まれる免疫酵素も必要量が細胞の末端まで行き届かない。また添加物等の毒素も全身の血管内に駆け巡り、堆積する。

 そうなれば病気になるのが自然の理である。病気にならない方が、異常である。病気になるように、なるようにと狂った食生活と薬漬け生活をして、そのうえ添加物まみれの食生活を送っているのだから、病気になって当たり前。それが癌、認知症の激増の真因であると私は推定した。私はそれで癌になったと確信した。

 

真の治療

 だから病気を治すには元を断たなきゃだめなのよ。私は病気の真因を見付けて、真島消化器クリニック(久留米市)の真島先生の食事療法の指導で、2年がかりで高血圧を治した。薬は使わない。薬は基本的に毒である。

 

2021-10-17  久志能幾研究所通信 2182   小田泰仙

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大垣市長狂気「資源分別に熱心な団体に罰として報奨金減額、増税」

 

 10月11日付けで大垣市長名のある、資源分別回収の報奨金減額を通知する書類が発令された。今まで4円/kgであった新聞紙、アルミ缶等の資源回収に対する報奨金が、来年1月からそれが2円/kgの半額に減額される。いわば増税である。

 

 5年前には、市長小川敏名で、6円/kgが4円/kgに減額された通知が発令されたばかりである。このぺースでは、3、4年後にはそれがゼロ円になると推定される。

 つまり、大垣市は省エネ、資源分別回収事業には大反対で、それを努力して推進すれば、大垣市としては大迷惑なので、その罰として報奨金を減らすという処置である。

 本来なら、脱炭素、省資源に向けて報奨金の増額はあっても減額はあり得ない。市民を愚弄する手段が卑劣過ぎる。2050年に脱炭素・石油ガス排出ゼロを宣言した大垣市長として、狂っているとしか思えない。

 

 文面では「リサイクル意識の高揚や連帯意識の醸成などを目的とした資源分別回収とはかけ離れているため、奨励金対象外とする」としているが、全く理解不能の言いがかりである。なにをもって「かけ離れている」というのか。言い訳の論理が全くデタラメである。

 

 国民の所得はこの30年間、変わっていない(政府の無能政策が原因で)。しかし官の所得は上り調子である。官は寄付金集めで、見えない形で税金を徴収している。

 いつしか官はきずかれないように天下り先も増やして、退職後も安泰の生活を確保している。昔は安かった官の給与は高騰し、今は官と民の給与差は2倍に拡大している。それなのに、市民の税金は増える一方だ。

 大垣市は、隠れた税として寄付金が半強制的に徴収されている。その多さの全体予算に対する比率は他市を圧倒している。大垣市では、それを集めた団体に、裏金として集めた額の7%がキャッシュバックとしてばらまかれている。何に使われているか闇である。それにつれて官と集金団体の幹部は潤うばかりである。

 

大垣市行政のデタラメは、

 市制100周年記念行事で、3億5千万円の無駄遣い、

 100の行事を強行して、後世に何も残らなかった。

 無駄遣いであった証拠が、翌年も大垣市の公示地価は下落である、

 その会計報告が、市条例で公開禁止となっている。

 公開するのが、よほど都合が悪いのか?

 公金横領、汚職の匂いがプンプン、

 サルでも取れる饅頭食わせ合い競争ギネス記録で無駄遣い、

 税金泥棒と言う以外に、言うべき言葉がない、

 無駄で贅沢な、県下一豪華な市庁舎を建て、

  (大垣と同規模の彦根市は、現市庁舎を改造してすませた)

 駐車スペースが余っているのに、また市庁舎前に駐車場を整備していて、

 市庁舎内に無駄な案内ロボットを配し、

  (一台、1千万円?)

 無駄な案内ロボットの保全費を使い、

  (年間、数百万円?)

 駐車場に無駄な案内警備員を2人も配し、

  (人件費 年間1千万円?)

 プレミアム商品券販売で商工課は大垣死商店街組合の不正を見逃し、

  (公金の用途外使用、脱税、懲役5年以下の犯罪)

 大垣市商店街主催の餅つき大会の老人誤嚥死亡事故をもみ消し

  (未必の殺人事件)

 商工課はその未必の殺人事件の管理監督を放棄している。

 無為無策の政策を20年間続け、大垣駅前商店街を死滅させた。

   この20年で60%の店が消えた。今20%が残るのみ。

 大垣駅前商店街は大垣の顔だから、その顔が死滅すれば大垣は没落する。

 それで大垣市の公示地価はこの20年間で半値に暴落した。

 市民の不動産財産が、半分に暴落したのだ。市民が貧乏になった。

 それが刈谷市や名古屋近辺は値上がりしている。他市は裕福になった。

 

 今度はまた、市民が汗水たらして資源ごみの回収に協力しているのに、それを逆なでする報奨金減額である。だれが儲けているのだ?

 

市長の狂気

 今回の報奨金の減額処置は大垣市長の狂気である。現市長の石田仁は、前市長小川敏の狂気を引き継いでいる。5年前に報奨金6円/kgを4円/kgに減額したのは、小川敏である。今回は半額への減額で、3年後にはゼロと推定される。やることはミエミエである。

 

資源再利用

 新聞紙、アルミ缶等の資源再利用をする団体への褒賞金は、来年1月になると、この5年間だけで3分の1に減らされることになる。そのペースでは、3~5年後には報奨金はゼロにされると推定される。これでは8年間で、住民一人当たり約1000円の負担増となる計算である。自治会は自治会年会費を1000円も上げないとやっていけなくなる。いわば見えない増税である。

 それでいて自治会組織のない富裕層の住む駅前マンション住民は支払い不要である。

 これにより、うちの自治会でも収入に対して約1割の収入減である。住民の高齢化と収入減、働き盛り年代の年収の停滞で、自治会運営として大問題である。大垣の市長は、市民を泣かすのが好きなようだ。市民の生活を脅かす市長は、その座を去れ。

 

2021-10-16  久志能幾研究所通信 2181   小田泰仙

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2021年10月15日 (金)

百回忌、血の気が失せ、墨汁を輸血

 

 祖父の百回忌法要(2021年10月12日)で、お墓前に行って、私の戒名を彫ってある墓誌を見て、驚いた。2年前に、墓誌に私の戒名を刻んで、朱を入れた。生前に墓誌に戒名を刻む場合は、まだ生きて血が巡っている意味で、朱の色を付ける。その朱がほとんど剥離していたためだ。それでは死んだ人の意味になってしまう。慌てて、「輸血」として再塗装を石屋さんにお願いした。

 

赤ペンキは不可

 この場合は、耐久性のある赤ペンキではダメである。ペンキでは、いざという場合(死亡時)に、その赤塗料が簡単に取れないので、朱の墨汁で色を付ける。だだしその耐用年数は少ない。色が落ちる度ごとに塗るしかない。今回はコロナ禍と私の病気のため墓参りが長期間出来ず、時間が経ってしまったための事態である。

 その耐用年数が分かっただけ、一つの知見である。生あるものは必ず死である。生ある「朱の戒名」の色付けも、何時かは薄くなる(死)である。再生が必要だ。諸行無常である。

 

戒名を授戒

 葬式の時に戒名を授かるのは、死亡後の応急処置である。やはり生前に、きちんと来世の名前を授かるのが正式手順である。皆さんも生前に戒名をいただくことを勧めます。それこそが終活の大事な一項目である。その他の終活の事務は、残った人がやってくれる。一番大事な戒名は、自分の意志で決めよう。

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 墓誌に刻んで朱を入れた私の戒名。「泰観院」は私の院号である。

 書は馬場恵峰先生の揮毫

 うっすらと一部に朱が残っている。

 

2021-10-15  久志能幾旧研究所通信 2180   小田泰仙

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2021年10月14日 (木)

祖父の百回忌法要での学び

 

 先日(2021年10月12日)、私の祖父の百回忌の法要を菩提寺で執り行った。この法要で、古希を超えてもまだまだ知らないことばかりであることを思い知った。今までに参列した50回忌は、母方の祖父の法要だけで、百回忌は人生で初めての経験である。

 菩提寺の住職さんでも、今まで百回忌の法要を執り行ったのは、この20年間でたった3回、五十回忌の法要でも10回だそうだ。良き功徳ができたと思う。本来、この法要は今年2月に執り行う予定であったが、コロナでの緊急事態宣言と私の体調不良で、この10月に延期せざると得なかった。それが12日に無事に執り行うことができてほっとした。

 

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 本殿に供えた祖父の塔婆 

 法要の後、お墓に供えた  2021年10月12日

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ご縁のめぐり合わせ

 めぐり合わせで祖父の百回忌を執り行えることを喜びたい。やりたくても、ご縁がないとできないのだ。まず健康でないとやれない。健康でもその気がないとやらない。健康でも金が無いとやれない。百回忌をやる意味を認識しないとやらない。

 私はご縁が結べば、それに全力で向き合う。それが私の人生哲学である。

 2年後には、祖母の50回忌である。法事をされる身になるより、する方にまわるが幸せである。報恩感謝として、人生でお世話になった人達を見送ってから来世に赴く?のが私の希望である。それまで死んでたまるか、である。

 

 

祖父の死因

 祖父は大津警察署の署長であった。祖父はその才能をねたまれて、二人の小官吏に暴行を受け、それが原因で1年後に亡くなった。暴行相手の2人は、部下の警官である。今でも不祥事の多い大津警察の100年前の事件である。

 祖父は学校を出て、丹後の地で大工の見習いに2,3年ほど通ったようだが、性格的に合わなかったようで、上の学業に進んだという。その後の学業は、当時としては素晴らしい学歴である。努力家でもあった。42歳の若さで大津市警察署長に昇進したのも納得できる履歴である。事故にあわなければ、かなりの地位まで昇進した人物と推定される。自分のご先祖として誇らしくなる。

 一見、田舎出しか見えない男が頭角を現せば、ねたむ人も出てくるのが世の常である。祖父はその辺の処世がうまく行かなかったのだろう。

 今太閤と囃された田中角栄元総理は、その妬みを一身に浴びた人だ。最後はある筋の陰謀で消された。私は、日本のために全力を尽くした角栄氏の言葉に共感を持っている。

 

 角栄氏曰く

「総理はなりたくてもなれるものではない。そういう立場になったご縁に全力で向き合うべきだ。」

 「人は努力すれば必ず成功する。しかしその成功をねたむ人が必ず出てくる。その対応に心せねばならぬ。間違ってもねたむ側になってはならない。」

 

 私も前職では、向上心から頑張り過ぎて、ねたまれ、毛嫌いもした人もいたようだ。当時は、私はその処世術が未熟であり、辛い思いを何度もしたので、その心境が痛いほどわかる。

 

お供え

 当初、大垣駅前の金蝶園でお供えを買う予定であった。しかし数か月前に不愉快な不祥事を受け、駅前の金蝶園では二度と買うまいと決めていた(後日報告予定)。その経緯で、菩提寺の近くにある「たねや」でお供えを買う予定にしていた。ところが当日の往路の鉄路で、京都方面のJR線で人身事故が起こり、電車が止まってしまった。私は米原駅で30分ほど、缶詰になった。それで予定の時間に間に合わなくなったため、急遽、お供えは現金に変更した。それがかえって良かったようだ。

 お菓子をお供えすれば、そのお下がりで私もそのお菓子を食べねばならぬ。つい多く食べてしまう。病気の原因である。

 聞けば、お寺さんでも多くのお菓子が集まり過ぎて処理に困り、学校等へ進呈しているようだ。またお菓子を食べ過ぎれば糖尿病にもなってしまう。

 今後は、お供えは現金を包むことにした。お菓子のお供えは止めである。

 

焼香

 曹洞宗では、本殿での焼香は2回である。一回目はつまみ、目の高さまで持ち上げて焼香して、2回目は摘み上げそのまま焼香する。

 火葬場とお墓の前での焼香は1回である。それは昔、遺体を火葬する時、藁1本を火葬に供えて火をつける意味があったからだという。それと同じ意味で、お墓の前でも一回の焼香である。

 

父親の背中

 ある親戚が法事をおこなったが、その時の塔婆を立てなかった。その親戚の人は信心深くないようだ。親からの背中の教育を受けていないようだ。今までの法事や寄進の状況をみても、それを感じた。だから他の親戚筋にも百回忌の参列の声掛けをすべきだったが、声をかけるのを躊躇させられる状況だった。声をかけるのも、声をかけられるのもご縁である。声をかけられないご縁さえある。そういうめぐり合わせである。

 私は父に連れられて墓参りに何度も菩提寺に来ている。それが父からの背中の教育である。そういうふうに教育された幸せを、親戚の塔婆がないことで、再確認した。子供は親のいう事など聞きはしない。親のやっている通りにするのだ。

 

親戚問題

 今まで頭の痛かった3つの親戚問題が、この法事で少し光が見えてきた。百回忌を執り行って、ご先祖様が助け船を出してくれたようだ。やはり何か具体的に動けば、何らかの具体的な回答が天から降ってくる。今まで何度も経験している知見である。

 

2021-10-14  久志能幾研究所通信 2179   小田泰仙

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2021年10月13日 (水)

カイゼン 台所の食卓を撤去、広々とした空間を創出

 

 2011年から2017年までかけて、築40年の家をリフォームした。40年前から現状の6畳の台所が狭く、なんとか広い台所部屋にしたいものと思っていた。この10年間で、家全体のリフォーム工事は完了したが、日本家屋の制約上で台所を広くする改造はできず、忸怩たる思いを抱いてきた。せめてもの取り組みで、台所部屋の仕切りガラス戸だけは撤去して、開放感を持たせていた。

 この40年間で、家電製品の膨張が止らない。冷蔵庫が200リットルから540リットルに、高温調理機ヘルシオの増設、圧力鍋の増設、浄水器の増設、食器洗い機の導入、IH料理機器の導入等で、台所は所狭しとなっていた。変革が必要であった。

 レストランや料理店では、当然、料理を作る場所と食べる場所は別である。その思想を展開して、自宅でも料理を作る場所と食べる場所を分けるのは合理的である。今回、この発想の転換で、台所のテーブルを撤去した。台所は料理を作るだけの調理場として、食べる場所を居間か、座敷に変更した。御膳を運んで、そこで食べればよい。

 

改装後

 その結果、台所は広々となるし、ゆとりある居間で音楽を聴きながら、松本明慶師作の仏様に見守られながら、好きな絵を見ながら食事が出来るので、極楽である。家の部屋も一機能、一部屋として使うのがベストのようだ。私は家の使い方もカイゼンを続けている。

 

自慢の畳敷き台所

 リフォーム工事の時、以前はフローリングであった床を畳敷きに変更した。現在、台所、廊下、ピアノ室を全て畳敷きに変えた。台所でも汚れれば、拭けばよいし、最悪の場合、その部分の畳だけを交換すれば済む話である。フローリングの廊下は、厚み2センチの特注の畳を敷いた。オール畳敷きの家は住みやすい。総計42畳の4つの部屋を、仕切りなしの一つ畳敷きの部屋として活用している。狭い日本家屋を襖等で仕切ると、ますます狭くなる。狭い場所を広く使え。これは私のカイゼンである。

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 台所の畳敷き

2021-10-13  久志能幾旧研究所通信 2178   小田泰仙

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2021年10月12日 (火)

死に際の教え、火葬場の教え

 

私のインプラント手術ドタキャン

 8年ほど前、馬場三根子先生(当時80歳くらい)から、「小田さんは若いから、インプラントを入れるなら覚悟して入れなさい。インプラントを入れると、MRI(電磁波検査)が受けられなくなる。」と助言を受けた。それで私はインプラント治療を手術の2時間前にドタキャンした。三根子先生の助言で、寸前で助かった。

 

馬場恵峰先生のインプラント

 恵峰先生は、死の1か月ほど前から、インプラントの入れ歯を外しておられた。加齢現象で、以前に作った入れ歯が合わなくなり、はめると痛いので、インプラントの入れ歯を外していると言われた。入れ歯を外された先生の顔は、急激に老けたようなお顔となった。いつもの若々しい(歳のわりには)お顔とは、別人のようであった。

 馬場恵峰先生は、その姿を晒して弟子に教えていたのだ。それが死に際の教えだ。

 人は加齢とともに骨も縮んで来る。インプラントは永遠に変化ないが、体は変化する。一度入れたインプラントも段々と歳を取るごとに合わなくなる。そんなことを金儲け主義の歯医者は、インプラントの手術前には「告知」しない。

 

三根子先生の喉仏

 2020年3月3日に亡くなられた馬場三根子先生の火葬が終わり、その灰葬でのことである。三根子先生のお骨は、とてもきれいなお骨であった。先生の喉仏のお骨は、「こんな美しい喉仏は見たことがない。よほど立派な方のようだ」と火葬場の職員が言われた。その職員と三根子先生とは面識がない。

 

灰葬で現れるインプラント

 残念なことは、インプラントの残骸も火葬の骨の中に埋もれていた。それがインプラントの手術をしたことが露見してしまう。故人の病歴が露見するのだ。それが残念であった。それは恵峰先生の灰葬でも同じであった。

 

喉仏

 火葬場で拾い上げられる喉仏は、男性の喉仏ではない。男性の喉仏は「喉頭隆起」と呼ばれる軟骨部分で、火葬の際に焼けてしまうため遺骨として残ることはない。

 骨上げの際に喉仏と呼ぶ部分は、背骨のひとつ。背骨のうち上から2番目にある「軸椎」と呼ばれる部分を指す。そのため喉仏は性別に関係なく、女性にも存在する。

 この喉仏は、形が座禅を組んでいる仏様に似ていることから、体に宿っていた仏様と考えられるようになった。そのため、数ある骨の中でも特別扱いされ、もっとも大切に拾われる。

 火葬のあとに喉仏の骨がきれいに残っていると「生前の行いがよかった」と信じられており、火葬場の係員に褒められることもある。

天礼社のHPより編集  https://www.naratenreisya-43-0008.net/nodobotoke/

 

馬場三根子先生の命日

 今日(2021年10月12日)、私の祖父の百回忌の法要を執り行った。その帰り道で、懇意の石屋さんから「3月3日は桜田門外の変の日で、井伊直弼公の命日だ」と言われ仰天した。私は言われるまで、全く気がつかなかったが、そのめぐり合わせに仰天である。

 馬場恵峰師の先祖は、武田信玄軍団の四天王の一人である馬場春信公である。武田家滅亡後、井伊長政公は100名余の武田家臣を受け入れた。獰猛な武田家臣団を浪人のままにしておくと、争いの元になると、井伊長政が家康に進言して実現した。井伊家の赤備えは、武田軍の赤備えを徳川家康公より許されて使用したもの。2018年、私は恵峰先生ご夫妻を彦根にそのご縁で案内したばかりであった。

 

赤備え 

 赤備えは、戦国時代から江戸時代にかけて行われた軍団編成の一種。構成員が使用する甲冑や旗指物などの武具を、赤や朱を主体とした色彩で整えた編成を指す。戦国時代では赤以外にも黒色・黄色等の色で統一された色備えがあったが、当時の赤色は高級品である辰砂で出されており、戦場でも特に目立つため、赤備えは特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊であることが多く、後世に武勇の誉れの象徴として語り継がれた。

 赤備えを最初に率いた武将は甲斐武田氏に仕えた飯富虎昌とされ、以後赤備えは専ら甲斐武田軍団の代名詞とされる。

  この項、wikipedia「赤備え」より

P11408861s

  井伊家の赤備え  彦根市役所にて  2021年10月12日撮影

2021-10-12  久志能幾旧研究所通信 2177   小田泰仙

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2021年10月11日 (月)

感動! 電気代未払いで、電気を止められた

 

 別宅を入手して、電気代の銀行引き落としの手続きが面倒で、つい後回しにしていたら、支払い期限がいつしか過ぎて、ある日突然、電気が止められた。

 慌てて連絡しようにも、当日は休日で中電本部に連絡が付かない。それで非常時連絡先に電話をして、音声ガイドに従って、手続きをして、すぐコンビニで入金した。その一時間後に電気が通じた。中電の作業員は誰も別宅に工事に来なかったが、電気が自動的に再通電した。感動である。

 

大地震対策

 つまり各家庭の電気は、一戸ずつ中電本部で遠隔管理されていて、オンオフが可能になっている。その機能を使って、電気料金を払わなければ、通知後、電気を止められることが可能になっている。

 そのシステムに感動である。これなら大地震が来て、全戸が停電して、再通電した場合、機器によっては火事になる恐れがあるが、それを防ぐことができる。

 

知見1

 自宅では、その地震時の火事の危険を避けるため(危機管理)、数年前に対策を施した。地震時の停電後に、再通電で火災の事故が起きる事例が多いので、それを避けるため、普通の配電盤を「避電機能付き住宅用配電盤」に交換した。価格は30万円程。

しかしこの中電の全戸遠隔操作機能があれば、各家庭での高価な避電機能付き配電盤は不要である。私の自宅の場合、30万円が無駄になったが、今後の家を建てる場合は、それが不要と分かっただけ、良しとしよう。

 

知見2

 この配電盤を付けた業者が、その知識(中電が全戸遠隔操作)がなかったのが残念だ。その情報があれば、私はこんな高価な配電盤を付けなかった。その業者は零細個人業者であった。やはり何事も信用できる一流業者でないとダメとの確信を得た。

P1140879s

 

2021-10-11   久志能幾研究所通信 2176  小田泰仙

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