« カイゼン 台所の食卓を撤去、広々とした空間を創出 | メイン | 百回忌、血の気が失せ、墨汁を輸血 »

2021年10月14日 (木)

祖父の百回忌法要での学び

 

 先日(2021年10月12日)、私の祖父の百回忌の法要を菩提寺で執り行った。この法要で、古希を超えてもまだまだ知らないことばかりであることを思い知った。今までに参列した50回忌は、母方の祖父の法要だけで、百回忌は人生で初めての経験である。

 菩提寺の住職さんでも、今まで百回忌の法要を執り行ったのは、この20年間でたった3回、五十回忌の法要でも10回だそうだ。良き功徳ができたと思う。本来、この法要は今年2月に執り行う予定であったが、コロナでの緊急事態宣言と私の体調不良で、この10月に延期せざると得なかった。それが12日に無事に執り行うことができてほっとした。

 

P1140881s

 本殿に供えた祖父の塔婆 

 法要の後、お墓に供えた  2021年10月12日

.

ご縁のめぐり合わせ

 めぐり合わせで祖父の百回忌を執り行えることを喜びたい。やりたくても、ご縁がないとできないのだ。まず健康でないとやれない。健康でもその気がないとやらない。健康でも金が無いとやれない。百回忌をやる意味を認識しないとやらない。

 私はご縁が結べば、それに全力で向き合う。それが私の人生哲学である。

 2年後には、祖母の50回忌である。法事をされる身になるより、する方にまわるが幸せである。報恩感謝として、人生でお世話になった人達を見送ってから来世に赴く?のが私の希望である。それまで死んでたまるか、である。

 

 

祖父の死因

 祖父は大津警察署の署長であった。祖父はその才能をねたまれて、二人の小官吏に暴行を受け、それが原因で1年後に亡くなった。暴行相手の2人は、部下の警官である。今でも不祥事の多い大津警察の100年前の事件である。

 祖父は学校を出て、丹後の地で大工の見習いに2,3年ほど通ったようだが、性格的に合わなかったようで、上の学業に進んだという。その後の学業は、当時としては素晴らしい学歴である。努力家でもあった。42歳の若さで大津市警察署長に昇進したのも納得できる履歴である。事故にあわなければ、かなりの地位まで昇進した人物と推定される。自分のご先祖として誇らしくなる。

 一見、田舎出しか見えない男が頭角を現せば、ねたむ人も出てくるのが世の常である。祖父はその辺の処世がうまく行かなかったのだろう。

 今太閤と囃された田中角栄元総理は、その妬みを一身に浴びた人だ。最後はある筋の陰謀で消された。私は、日本のために全力を尽くした角栄氏の言葉に共感を持っている。

 

 角栄氏曰く

「総理はなりたくてもなれるものではない。そういう立場になったご縁に全力で向き合うべきだ。」

 「人は努力すれば必ず成功する。しかしその成功をねたむ人が必ず出てくる。その対応に心せねばならぬ。間違ってもねたむ側になってはならない。」

 

 私も前職では、向上心から頑張り過ぎて、ねたまれ、毛嫌いもした人もいたようだ。当時は、私はその処世術が未熟であり、辛い思いを何度もしたので、その心境が痛いほどわかる。

 

お供え

 当初、大垣駅前の金蝶園でお供えを買う予定であった。しかし数か月前に不愉快な不祥事を受け、駅前の金蝶園では二度と買うまいと決めていた(後日報告予定)。その経緯で、菩提寺の近くにある「たねや」でお供えを買う予定にしていた。ところが当日の往路の鉄路で、京都方面のJR線で人身事故が起こり、電車が止まってしまった。私は米原駅で30分ほど、缶詰になった。それで予定の時間に間に合わなくなったため、急遽、お供えは現金に変更した。それがかえって良かったようだ。

 お菓子をお供えすれば、そのお下がりで私もそのお菓子を食べねばならぬ。つい多く食べてしまう。病気の原因である。

 聞けば、お寺さんでも多くのお菓子が集まり過ぎて処理に困り、学校等へ進呈しているようだ。またお菓子を食べ過ぎれば糖尿病にもなってしまう。

 今後は、お供えは現金を包むことにした。お菓子のお供えは止めである。

 

焼香

 曹洞宗では、本殿での焼香は2回である。一回目はつまみ、目の高さまで持ち上げて焼香して、2回目は摘み上げそのまま焼香する。

 火葬場とお墓の前での焼香は1回である。それは昔、遺体を火葬する時、藁1本を火葬に供えて火をつける意味があったからだという。それと同じ意味で、お墓の前でも一回の焼香である。

 

父親の背中

 ある親戚が法事をおこなったが、その時の塔婆を立てなかった。その親戚の人は信心深くないようだ。親からの背中の教育を受けていないようだ。今までの法事や寄進の状況をみても、それを感じた。だから他の親戚筋にも百回忌の参列の声掛けをすべきだったが、声をかけるのを躊躇させられる状況だった。声をかけるのも、声をかけられるのもご縁である。声をかけられないご縁さえある。そういうめぐり合わせである。

 私は父に連れられて墓参りに何度も菩提寺に来ている。それが父からの背中の教育である。そういうふうに教育された幸せを、親戚の塔婆がないことで、再確認した。子供は親のいう事など聞きはしない。親のやっている通りにするのだ。

 

親戚問題

 今まで頭の痛かった3つの親戚問題が、この法事で少し光が見えてきた。百回忌を執り行って、ご先祖様が助け船を出してくれたようだ。やはり何か具体的に動けば、何らかの具体的な回答が天から降ってくる。今まで何度も経験している知見である。

 

2021-10-14  久志能幾研究所通信 2179   小田泰仙

「久志能」 で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント

コメントを投稿