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2021年6月

2021年6月20日 (日)

一攫千金の錬金術に嵌り、千攫一泡の不覚

 

 「不覚」とは、仏教用語で仏様の智慧がない状態を表す。それに対して「本覚」とは「本来覚っている」を表す。人には、本来仏の心が具わっている。しかし私たちの現状は、煩悩に覆われ、妄念に囚われている。不覚とは無明である。何もわかっていない状態、真理が見えない状態である。その状態で自分の気に入ったモノだけに執着して、都合の悪いことを排除しようとする。それが「業」を作り、その「業」に縛られて、自らが苦しむことになる。それが「不覚」である。

 

 

「202X年総予想」誌は八卦見占い以下

 私は愚かにも一攫千金を夢見て、その類の雑誌を長年買ってきたが、儲かったのは売る方の雑誌社で、雑誌を買う方は儲かったためしがない。やっと目が覚めた。

 書いてあることは、今まで新聞や雑誌で発表した内容をかき集めただけで、どうでも解釈できる表現に終始している。それで一攫千金が叶うわけがない。

 雑誌社にその道の情報の達人が集結しているが、烏合の衆の有様で、綜合的な賢さがない。だから予想が当たらない。自分より能力のない記者達がまとめた結果である。その記事を信じる方がバカなのだ。

 コロナ、大震災、大洪水、米大統領の選挙予想の逆転、また逆転、首相の突然辞任である。ひと昔、やれ石油が枯渇するので大変だと予想があれば、いつのまにか脱石油で電気自動車が爆走するとのご神託の大狂乱報道である。全く予想外の展開ばかりで、「202X年総予想誌」の予想が当たったためしがない。

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自分の予想を信じる

 ド素人の経済評論家のいう事を信じず、自分の経済予想を信じるべきなのだ。真剣に経済を見れば、真実が見えてくる。宇宙根源の理に照らせば、真実が予想できる。如何にマスコミが嘘を報道しているかが見えてくる。

 

マスコミは錬金魔術使、電気自動車は「不覚」

 例えば、電気自動車の成長予想が大氾濫であるが、世の中の車の全てが電気自動車になれば、電気が枯渇して、電気料金が5倍になるという試算がある。生産から廃車までの総合エネルギー消費は、ガソリン車も電気自動車も変わらない。却って電気自動車の方が、エネルギー消費量が多い。質量の大きな自動車(1トン)を動かす仕事量(エネルギー量)は、ガソリン車も電気自動車も同じである。どうやって電気を作るのだ。中学の物理の授業を思い出すべきだ。今のマスコミは錬金術の魔術を信じているようだ。

 仕事量=力×移動距離(F×L)

 一トンの車を動かすエネルギーは、石油か火力発電か原子力発電を使って生み出すしかない。それはガソリン車も電気自動車も同じ条件である。

 だからそのうち、宇宙根源の理に目覚めて、揺り戻しが来るはずだ。中学校の物理学を思い出せば、マスコミの嘘が分かる。それが先を見る賢さである。だから私は電気自動車を買うつもりは全くない。

 その電気自動車ブームが沸く間、誰が儲けようとしているか、よく観察しよう。少なくとも、中国は電気自動車に不可欠な希少金属で世界を支配しようとしている。テスラの時価総額が1年で7倍になり、トヨタより大きくなるなど常識的に異常である。それはバブルで、バブルは何時か破裂する。

 欧州や米国は日本のすり合わせ技術に勝てないので、組み立てが簡単な電気自動車を法律の盾にして、欧米車を守り、日本車を追い落とそうとしている。このままでは、日本は技術で勝って、戦略で負ける。今までの経済戦争で敗戦してきた反省がまったくない。まさに千攫一泡の不覚である。

 その仕掛けに嵌った日産やホンダは潰れるだろう。

 

真の対策

 地球保護のために必要なことは、ガソリン車廃止ではなく、人間社会の贅沢な暮らしの見直しである。電気自動車化は対処療法で、効果のない対策である。まるで降圧剤の処方と同じである。少しも地球環境の保護にならない。必要なのは、地球環境との共生である。

 やるなら無駄で痴呆的なテレビ番組の削減である。マスゴミの排除である。飽食を止めて、西洋化の食事を制限し、医療費43兆円の削減である。付加価値を産まない利権官僚・政治屋の削減である。

 

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)

2021-06-20   久志能幾研究所通信 2065  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月19日 (土)

エイリアン(異世人)との遭遇

 

「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」

 In space no one can hear your scream.         

        映画「エイリアン」のキャッチコピーより

 現代社会という宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない。周りは価値観の違う異星人ばかり。あなたの魂の悲鳴を、誰も聞いてはくれない。

 私が周りの人間を異星人・異世人だと思うのは、私だけだろうか。私が異星人なのだろうか。違う世界に住んでいる価値観の違う異世人が、回りには多くいる。そのエイリアンが私の人生を脅かし、襲ってくる。

 

金満界に住む異世人

 2017年12月、河村義子先生が主催する演奏会チケットを売るため、義子先生と仕事で関係の深い人を訪問した。その人の回答が、「その演奏会は日曜日で、私の住む街から、休日にわざわざ電車に乗って行くほど価値があるのですか?」であった。チケットは買ってもらえなかった。

 それを河村義子先生に話すと、義子先生は、「あの人は住む世界が違うのよ」と達観して言われた。義子先生は、良く人を見ているなと、感心した。今までその人と一緒に仕事をしていたが、その人は、単なる仕事として付き合っていただけのようだ。その演奏会が、義子先生の最後の演奏会となった。

 私もその人とかなり懇意にしていたが、その後、その人から煮え湯を飲まされる事件もあり、付き合いを疎遠にした。確かに住む世界が違うのだ。

 

葬儀で本性が露見

 その人は、河村義子先生の通夜の時、焼香には来たが、着席もせず、焼香が終わったら逃げるようにすぐ帰っていった。義理で来たとしか思えない雰囲気であった。私はその人と顔を合わせたくなかったので、葬儀会場の2階に「避難」して、そこからその人の行動をずっと観察していた。

 

私がエイリアンを識別する観点

その人はどういう価値観の世界に生きているのだ?

価値観の違うエイリアンが、自分の人生を食い殺す。

人格

 本箱を見れば、その人柄がみえる。本箱がないのは、絶句。

 その人の友を見れば、その人の人格がわかる。

 親をみれば、本人の根性が分かる。

 師を見れば、その人の人格がわかる。

学び

 その人は勉強が好きか?

 その人は自己投資をしているか?

 その人は10年前から進歩しているか。

 行動を見ていれば、利己か利他の人かはすぐわかる。

 頼みごとに対する反応で、本性が露見する。

  期待して行ったのに拒否されると、期待に対して裏切り者である。

 こちらの好意に対して、その礼を見れば根性が露見する。

人間性

 人が病気の時、どう振舞ったのか。人間性が露見する。

 見舞いに行く、行くと言ってこないのは、人間性が疑われる。

 人が死にそうな病状なのに、無視されると、その本性が露見する。

 死に対する考え方を見れば、その人の人生観が分かる。

 法事やお墓や菩提寺に対する考えをみれば、人間性が見える。

ITへの見識 

 スマホの扱いを見れば、人間性が見える。

 運転の仕方を見れば、その人の人生観が分かる。

 ITツールの使い方を見れば、人間性が見える。

 電話代を妻に管理されていて、相手からは決して電話をかけてこない人とは、付き合うのに嫌気がさす。

生活スタイル

 食事を見れば、人間性が見える。

 買うものを見れば、金銭感覚が分かる。

 仁を説法しながら、違約金を踏み倒す論語教師、人間性が分かる。

 

2021-06-19   久志能幾研究所通信 2064  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年6月18日 (金)

良く死ぬために、生前葬を(6/7)

 

 自分が死んでから、いくら多くの人に来てもらっても自分は対応できない。それなら元気なうちに生前葬をすればよい。生前葬と言っても、気心の知れた仲間と食事会をすればよい。単に元気なうちに、気軽にやればよい。それさえ出来なくなる日が、必ずやって来る。

 相手だっていつ死ぬか分からない。しばらく連絡がないと思っていたら、新型コロナで死亡なんて、最近よく聞く話である。

 相手が師であるなら、通常は年長者である。年功序列の原則で必ず、先に逝かれる。毎回、会う時を生前葬として、心して会い、会話を噛みしめるべきだ。

 同世代の友であっても、自分の健康管理に自信を持ち、相手が先に逝くと考えて(私は固くそれを信じて生きている?)、今回会う機会を最後として対処すべきだ。何事も一期一会なのだ。死んでからでは、会話もできない。

 そんな会話の場で相手を無視してスマホをいじるなんて、狂気の沙汰である。自分に残された時間の流れは、命の刻みなのだ。

 だからこそ、恥も外聞も打ち捨てて人生の大事を急ぐべし。

 

生前葬の回数

 あと何回、その相手と会えるのか。計算してから面会しよう。今70歳とし平均寿命80歳と仮定すれば、月に1回、生前葬として会食するとして、12回/年×10年=120回しか会えないのだ。年に一回の面会なら10回もない。ましてやその相手が病気持ちなら、その数は激減する。遠方の人なら数回しかない。

 

恵峰先生の生前葬

 馬場恵峰先生は、90歳の2016年12月8日、生前葬として生まれ故郷の波佐見町で「卒寿記念写経書展」を開催された。多くに人が来展され、多くの人と歓談をして、有意義な生前葬をされた。私もこの写経書展の写真をまとめて『馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」(2016年12月9日)』を出版することができて、先生の恩返しができて良かったと回顧している。ただし大赤字である。

 

恵峰先生の決意

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、生老病死を経て、浄土に旅立つ。人は生きている間に、多くのお世話とご縁を頂く。恵峰先生は、その報恩感謝の気持ちをこの写経書展で示された。恵峰先生は、それができるのも「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、感謝の表現をするなら、生きているうちにすべきとして卒寿記念として写経書展開催の決意をされた。

 恵峰先生は、「生まれ故郷で写経書展を開催できる佛縁とそれに足を運んでくれる人との佛縁は、天の計らいである。これから生涯の旅をする皆様が、写経書展で佛法の花の一端に触れて頂き、現実の歩みの半生と先祖供養の一端として受け止めて頂けたら本望だ」と言われる。

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰先生は力説される。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰先生は訴える。

 恵峰先生は、この写経書展を総括して「老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と写経書展を回顧して漢詩を揮毫された。

4k8a8735s  写経書展で「生きて」挨拶をされる馬場恵峰先生

4k8a8688s  写経書展開催の挨拶 馬場清治若先生

4k8a8740s   写経書展開催のテープカット

 

4k8a8724s お祝いに中国から駆けつけた書家・朱さんの祝書

4k8a9017s 漢詩で弔辞?

最後の中国旅行

 2018年10月、恵峰先生はこれが最後の中国旅行だとして、北京、武漢、浙江省の縁地に中国の友人たちにお別れの旅に行かれた。死を覚悟されていたようだ。後から推察すると、武漢では新型コロナ菌が拡散しつつあった時のようで、仏様のご加護で、恵峰先生は感染せず、滑り込みセーフで無事帰国された。

 そして馬場恵峰先生は、写経書展から4年後、最後の中国旅行から2年後の2021年1月1日に逝去された。理想的な死への段取りであった。

 

辞世の句

 今日死ぬつもりで、相手と最後のつもりで面会しよう。一期一会。永遠に生きるつもりで、お互いの想い出を作ろう。そして後世に残る仕事を残そう。明日の命は誰にも分からない。

 

親思う心にまさる親心 今日のおとずれ 何と聞くらん

 吉田松陰の辞世の句

 

2021-06-18   久志能幾研究所通信 2063  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月17日 (木)

プレミア死神 「梅雨空や 死神どもが 夢の後」

 

幽霊通り復活 

 2021年6月15日14時、雑用があり、大垣市市商連事務所前を通ったら、その前の通りは誰も歩いていなかった。いつもの閑散とした幽霊通りである。1週間前の6月6日、4000人がプレミアム付き商品券を求めて詰め掛けたとは思えない幽霊通りぶりである。大垣駅前商店街をこの20年かけて幽霊通りにしたのは、死神の小倉利之、松本正平の理事長や幹部たちである。トップの評価は、結果が総てである。

 場末の街角にあるような市商連事務所の「売り切れ」の表示がわびしい。8000万円の事業とは思えない顛末である。如何にも貧乏所帯の輩が考えそうな表示である。県下第二の都市で、16万人の市商連事務所とはとても思えない。大垣市は死神に取りつかれたのだ。

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 大垣市市商連の事務所から南を見る 2021年6月15日14時

 人が歩いていない。シャッターを下ろした店ばかりが並ぶ

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大垣市市商連の事務所の「売り切れ」の掲示

 

デタラメ販売の事務局、詐欺行為

 額面1万5千円のプレミアム付き商品券を10冊も買っても、ましてや30冊も40冊も買って、大垣駅前商店街の何処で商品を買うのだ。買うお店がない。だから転売か不正な横流し以外しか考えられない。

 死神に命令された事務員に、「親戚の一郎、二朗、三郎」の代理ですと言って、台帳に記入すれば、30冊でも40冊でも買えたという。同日、たった2人で8000冊を販売の対応をするので、てんてこ舞いであったろう。それで8千万円の札束を処理せねばならぬ。なんでもいいから、早くさばかねばならなかったのだろう。これは税金を投入したプレミアム付き商品券を悪用した詐欺行為である。

 

死神の暴利貪り

 人の話では、4時間並んで、買えなかったという。前日から並んだという亡者もいたようだ。行列を見て諦めて帰った人も多くいた。40万円投資をしても3割引きで転売すれば、8万円程のピンハネが出来る。こんな美味しい話はない。こんな出鱈目の運営を大垣市市商連の死神達がするから、大垣は没落した。

 大垣市市商連の死神達の中には、その立場を利用し、法律に違反して暴利をむさぼっている輩がいると聞いた。その証拠も見せてもらった。

 

大垣駅前商店街は大垣の顔

 人が評価されるのは、往々にして顔で評価される。極端なはなし、女性が美人かどうかは、顔次第である。それでモデルが美人なら高給を得る。

 都市で言えば、駅前商店街が都市の顔である。その「美人さ」で大垣市の公示地価が決まる。その顔を行政とそれに便乗した「大垣死商連の死神達」が食い物にして不美人にしてしまった。この20年間で、公示地価が半分以下に暴落である。大垣駅前商店街は、20年前は20%であった閉店率が、80%にまでなって幽霊通り、シャッター通りの街に没落してしまった。そのようにした主犯は前市長と死商連の死神達である。それでいて、小倉利之は市民功賞を強奪している。何が功労なのだ。大垣市を没落させた主犯に功労賞を贈るなど、大垣市政は狂っている。

 

「大垣の顔」の思い出で、死神から逃れられた

 2019年6月21日に、亡くなられた丸順の創業者・今川順夫氏は、シベリア抑留中の辛い時、大垣祭りの楽しい思い出や、大垣駅前の繁華街、金蝶まんじゅうを思い出して「こんなところで死んでたまるか」と負けじ魂を奮起して、地獄のシベリア抑留地から生還した。そして丸順を創業し、大垣市の有力企業に成長させた。大垣駅前の繁栄の思い出が、今川順夫氏の命を救った。その大垣市駅前商店街を殺したのは死商連の死神達である。

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2014年8月16日 今川氏講演会-興文地区センター

 シベリア抑留の講演をされる今川順夫氏。このパンの一切れが一食分。

 

大垣の繁栄が心の支え

 私も50年前に三河地方に就職したが、当時の大垣の繁栄ぶりを心の支えとして頑張ってきた。大垣は岐阜県第二の都市、工業生産では岐阜県一、駅前は三河の駅前など問題でないと自慢していて、頑張れた。それが近年の没落ぶりに怒り心頭である。すべてその原因は、死神達である。

 

2021-06-17   久志能幾研究所通信 2062  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月16日 (水)

良く死ぬために、無財の七施と知施・技施(5/7)

 

 死んだ後でその人が評価されるのは、集めたモノではない。世の中に施したもので評価される。

 仏教では、施しによる奉仕が説かれていて、お金のない人にも可能な「無財の七施」が勧められている。

 

「無財の七施」   『雑宝蔵経』巻6

  眼施    目による施し

  和顔悦色  笑顔による施し

  言辞施   言葉による施し

  心施    まごころによる施し

  身施    体=労働による施し

  床座施   席を人に譲ることによる施し

  房舎施   住まいによる施し

 

知施

 私はこの七施以外に、情報化社会に適合した「知施」を追加している。「知施」は、自分の体験したことや考えを文章としての知的生産物として人に施したり、情報の伝達、価値ある情報の掲載された雑誌等を進呈する。これは直接的にはお金がかからず、無財の七施に合う行為であると思う。ただし、この種の体験にお金がかかった場合には、少々の情報料をいただいている。

 このブログも知施である。皆さんに健康の情報、病気・事故・不幸を避けるための情報(危機管理)を提供している。

 この情報で皆さんが成仏できれば、私は嬉しい。人は成仏するために精進をしている。人は死んで、ほとけさまになる。生前に、ほとけさまになれれば極楽である。畜生として、死んでは、ご先祖が悲しむ。

 

技施

 私は恵峰先生の書に惚れた。私が先生に提供したのが、私の写真技術である。芸術家は記録を残さない。私は技術者だから、必ず記録を残すのが習性となっている。私は見るものを出来る限り写真にとって、製本し、先生に提供した。金儲けが目的では決してやれない。やればやるほど赤字になるからだ。

 持てる技の提供、つまり技施である。出来ることをやればよいのだ。私は先生に書道では太刀打ちできないが、私が記録魔ゆえに、写真・文章の技を提供できた。それで先生も喜んでくれた。

 

Img_64011s 馬場恵峰書 2006年

2021-06-16   久志能幾研究所通信 2061  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月15日 (火)

損子の兵法、餓鬼は新型コロナ菌に敗れる

 新型コロナ対策で2500年前のワクチンを打つ

 孫子の兵法に曰く、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」「敵を分断せよ」

 孫子は紀元前500年頃の兵法である。2500年前のワクチンを打つとは、孫子の兵法を応用した新型コロナ対策の戦術である。

 

 アルコールで消毒とは、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」である。まず敵を知らねば戦えない。新型コロナ菌は王冠のように突起物が周りを覆っている。新型コロナ菌はこの突起を使って、体内の細胞に侵入して感染する。この突起物の成分はタンパク質である。だからアルコールで突起物のタンパク質が溶けるから、それを無くせば新型コロナ菌は無力となる。だからアルコール、石鹸で手を洗えば、効果が高い。ついでに悪縁から手を引き、足を洗うともっと効果が高い?

 

 「3密を避けよ」とは、「敵を分断せよ」の兵法である。自分の体内には免疫酵素が外からの外敵を防いでいる。大量に敵が侵入すれば、いくら免疫酵素が戦っても、負けて発病する。しかし3密を避け、マスクをし、手を洗い、換気をすれば、免疫酵素も少数の敵と戦うだけとなり、侵入した新型コロナ菌に勝てる。

 マスク着用で外からの菌の侵入量が、10分の一、手を洗って10分の一、室内換気をして10分の一に減る。これで来襲するコロナ菌が1000の一になる。これなら自己免疫酵素で敵に勝てる。

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図は下記から引用

新型コロナウイルスの感染経路で明らかになっていることを解説します(写真:Pepino/PIXTA)

「新型コロナ「武漢より前に世界拡散」の衝撃事実」 石 弘之 2021/03/04 13:00

 東洋経済HPより

 

マクロファージは身体の自衛隊

 マクロファージは白血球中の免疫酵素である。この免疫酵素が外敵から体を守っている。マクロファージは白血球の約5%前後を占める単球が変身した“寿命のある生き物”である。

 このマクロファージが、外敵(コロナ菌、血管内部のプラーク、癌細胞等)を食べて殺している。

 マクロファージは24時間、死ぬまで自分の命を守り続ける生き物達である。白血球の数は、正常値なら約5,000/μl前後など表現する。

 マクロファージは血液の1μl(マイクロリットル)1/1,000cc中に、白血球は5,000匹いる。(思考できる細胞で自分の意思で動き回れる。)

 白血球は骨髄で造られる。白血球の約5%が単球だが、血液中に約2日間生活し、その後は血管の外に出てマクロファージに変身すると言われている。マクロファージの元の単球の数は 約250匹(5,000x0.05)/μlである。つまり1ccの血液中に約25万匹(250x1,000)も住んでいる。

 人体の血液量は、60Kgの人体なら、体重の1/13として約4.6Kg=4.6リットル(4,600cc)が血液量となる。つまり、ヒトの体内には約11億5千万匹(250x1,000x4,600=1,150,000,000匹=)の単球(マクロファージ予備軍)が住んでいる。

 

 この単球の数は流血中だけの数で、プラークの中に潜って貪食中の現場に張り付いているマクロファージや、癌組織をやっつけている最中のマクロファージ達、肺胞で雑菌やウイルスを貪食しているマクロファージ達、肝臓の組織に住んでいるクッパー細胞、石灰化したプラークを食べて減らしてくれている“破骨細胞”などを含めない。

 

 プラーク等の外敵を“たっぷり”食べたマクロファージは、リンパ管からリンパ節へ移動し、“あそこにはおびただしいプラークがあるぞ・・手が空いている同僚は集合して手助けしてほしい!”旨の情報を発信している。

 この免疫細胞が活性化される主な場所が腸管である。腸の長さは7~9mもあり、この広大なスペースの環境が改善されれば、免疫細胞の活性も劇的に改善する。

 この項、真島消化器クリニックのHP情報を編集加筆(「脳梗塞・心筋梗塞にならない食べ方&プラークを低下させるための要件(RAP食)」

https://majimaclinic22.jp/

真島消化器クリニック

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因果応報

 免疫酵素は、自分の体内の自衛隊である。それが血液中のマクロファージである。その味方の自衛隊を後ろから鉄砲で撃つから、コロナ菌に感染する。「自衛隊」が住む環境を破壊する行為、つまり後ろから味方を鉄砲で撃つような行為が、狂った生活習慣、狂った食生活である。

 だから、狂った生活習慣、狂った食生活をしてきて、疾患持ちになった患者の死亡率が高い。冷たい言い方だが、因果応報である。狂った生活習慣・狂った食生活をしてきた人が、病気になり日本の医療費を高騰させ、新型コロナ菌の感染爆発で、医療体制を崩壊に導いている。

 狂った生活習慣、狂った食生活をしている人は、真面目に健康に留意して生活をしてきた人に、税金を高くする迷惑をかけている。その人に、その自覚がないのが罪である。拝金主義を信仰する宗教団体「グローバル経済主義狂」に洗脳された敵は巧妙なのだ。

 

狂った生活習慣、狂った食生活

 狂った生活習慣、狂った食生活とは、飽食、暴飲暴食、タバコ、酒、夜更かし、運動不足、糖分、油分、添加物、薬のとりすぎである。

 日本の生活スタイルがこの40年間で激変した。だからこの40年間で、日本の医療費が4倍に増え、43兆円にまで増えた。税収は60兆円しかない。日本国の財政を家庭で例えれば、年収600万円のひとが、医療費に430万円を使っている。何かおかしい。足らない分は借金(赤字国債)である。日本の再建は、まず自らの健康管理からである。自分の体が管理できないのに、国や企業の管理など出来まい。

 

自由の謳歌と咎

 欧米と日本の感染者数・死亡者数の差が100倍近くある。これは日本人が真面目にマスク等の対策を守っているからと推定される。フランスなど欧米諸国は、自己主張が強すぎて、政府からのお願いを自由が侵害されたとして、政府から感染対策依頼を無視するようだ。自業自得である。

 

2021-06-15   久志能幾研究所通信 2060  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月14日 (月)

良く死ぬために、断縁捨利離業(4/7)

 

悪縁が人生を狂わせる

 朱に交われば赤くなる。悪縁を断つべし。

 良き師につけば、薫習でよき習慣が身につく。習慣は第二の性格である。

 

 悪縁の中にあっても、泥沼の蓮のような存在をめざせ。

 高貴な蓮の花は、泥沼で清らかな花を咲かす。

 だからお釈迦様は蓮の花の上に乗っておられる。

 それに対してワサビは清流の中でしか咲かない。

 人間はワサビの人生であってはならない。

 人間は清濁があってこそ、人間である。

 

利己主義は畜生界への道

 利己を捨て、利他で生きよ。死ぬ時は、何も持って逝けない。

 人生では与えたものが、倍返しで返ってくる。時として時間を置いて、子孫に返ってくる。それでよいではないか。

 

死とは人生で最大のプロジェクト

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。人は必ず死ぬ。人は必ず老いる。

 いくら金があっても、体力的に使えない時がくる。

 私もがんの手術をしてから、金があっても沢山食べられないし、旅行したくても動けないし、モノも買えない。モノを買うにも体力がいる。神仏にすがるにも体力がいる。死んでもいいから健康が大事である。死ぬにも体力、気力、知力が必要だ。死とは人生で最大のプロジェクトである。立派に死にたい。認知症で死にたくはない。

 

責任をもって使え

 それを前提に稼いだ金は、責任をもって使いきって死ね(生きよ)。老後のために爪に火を点す生活は愚かである。そんな人に老後はやって来ない。直ぐ病気で死んで、残った金を遺族が散財する。

 お金はお足なのだ。足止めすると、お足に復讐される。

 

人生はバイキング料理店

 バイキング料理店では、食べても食べなくても料金は同じである。人生もまたバイキング料理店と同じで、やっても、やらなくて、時間は同じように過ぎていく。その終着点は死である。

 人生の取り皿に入れた物件で稼ぎ、その稼いだ金を使わないと、何のために時間(命)をかけて稼いだか無意味になる。死後、無駄飯食いの役人が、税金として没収して無駄遣いしてしまう。それでは自分の人生が徒労になる。稼いだカネを使わないなら、人生で無駄な時間を使ったのだ。その時間を使ってもっと楽しめたはず。

 

高級レストラン

 若い時は体力に任せてバイキング料理店でもよいが、熟年ともなれば、高級レストランを目指して、自分の品格を研ぎ澄ますべきだ。オリンピック選手でもないのだから、体力ではなく、人は人格で勝負をするべきだ。その人格以上の人生は作れない。人格を高めれば、お金は自ずと寄ってくる。

 

金を稼ぐのは簡単

 金を稼ぐのは簡単だ。真剣に仕事に精力をかければ、大抵成功する。しかし稼いだ金を有意義に使うのが難しい。下手に金を残すと子孫が不幸になる。

 稼いだ金が少なかったら、真剣さが足りなかったのだ。今にして、今までの真剣さが足りないと自覚するなら、今から真剣になればよい。人生で決断が遅すぎることはない。死ぬ1日前でも、心を変えれば、1日の進歩がある。

 人は集めた金ではなく、使ったもので評価される。天界に行く人と、地獄界、畜生界に行く人の差は、カネの使い方である。人間と生まれたのなら、天界を目指せ。畜生界に堕ちてはならない。

 今の世界の混乱はグローバル経済主義が放つ利己主義・拝金主義が原因で畜生界のような様になっている。グローバル経済主義が進展して、人間の格もその格差が拡大している。

 

身に付いた業を消すには、悪縁を断ち、利他で生きよ

 人生の最終目的は、佛になること。

 人間は神を目指してはならない。神とは完全無欠な存在。

 神は人ではないので、「ひと で なし」である。

 だから人は神を目指してはならない。

 佛とは、人間味溢れた「ほとけさま」のこと。

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煩悩を消す必要はないが、少なくせよ

 生物として、生きたいという欲まで消せば、殺されてしまう。

 欲があってこそ、人間である。レベルの高い欲を持て。

 色欲まで消せば、人という種が滅んでしまう。色も必要だ。

 程よい色欲で、こんがりと人生を焦がせ。

 

積善の家には必ず余慶あり

 積善は、子孫のためにすること。自分がその恩恵を受けようと思っては罰が当たる。ご先祖の積善があって、今の自分がある。徳の循環である。

 自分が孤児であったら、今の(昔の人の生活に比べれば)贅沢な生活はできていないはず。両親、ご先祖に感謝である。

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  馬場恵峰書

2021-06-14   久志能幾研究所通信 2059  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月13日 (日)

死神の狂騒、大垣死商連の死神が大垣を殺す

 狂ったプレミア付商品券販売顛末

新型コロナのクラスター発生危惧

 大垣市商連の理事長・倉利之と松本正平は、2021年6月6日、5割のプレミア付商品券販売で、なぜ大垣市民5000人を3時間も長蛇の行列に並ばせ、集団を密状態に置き、新型コロナ感染の危険に晒したのだ

 クラスターが発生したら誰が責任を取るのだ。

 なぜ超特定の人間だけが暴利を得る政策を放任するのだ。

 なぜ「3密を避けよ」と市民に強要している大垣市が、この狂騒を放置するのだ。

  大垣市の行政は狂っている。

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 5割のプレミア付商品券は国からの交付金+大垣市の財源で、8200万円の事業費が費やされた。

 単純計算で15,000円の商品券が、6月分が8000冊販売された(11月も販売予定)。一人3冊買ったとして、8000冊÷3=2666人の販売で、約3000人が並んだと推定される。行列を見て帰った人を含めると、大垣市商連を目指して来た人は、5000人は優に超えたと推定される。300人程が買えなかったというのは、並んだ人の伝聞だから、実際はもっと多いのだろう。 

 

ネット転売で暴利

 その販売直後、ネットでプレミア付商品券の転売があったようだ。プレミア付商品券に5割のプレミアがついているので、20冊、30冊を買って転売すれば、2割のピンハネでもかなり儲かったようだ。まるで汚職まがいだ。

 

杜撰な販売方法・犯罪の温床

 販売担当の事務員も2人しかいないので、適当に事務処理をして販売した。一人で10冊までしか買えないが、代理だとして適当な名前を書けば、20冊でも30冊でも買えた。事務員も早く販売を終わらせたかったため、超杜撰である。税金での事業なのに、犯罪まがいである。

 商品券を買えなかった人が事務局に苦情を言うと、「次回の販売時は特別に斡旋します」と言ったという。なぜ文句を言ったものだけが得をするのだ。デタラメである。

 その結果、大垣市商連事務所から西は大垣八幡神宮、南は大垣共立銀行までの行列となった。

 巷の噂では、事前に組合員が、そんなやり方はまずいと提案しても、小倉利之も松本正平も聞く耳を持たなかった。

 

回りは違法駐車だらけ

 そのため、その死商連事務所近辺が違法駐車だらけで交通渋滞となり、近辺のお店が商売できない状態となった。パトカーがサイレンを鳴らして飛んできた有様である。

 

整理券なし、警備員無し

 小倉利之と松本正平が支配する大垣市商連は、整理券さえ配らなかった。整理する警備員も手配しなかった。その金を惜しかったと二人の話を聞いていた事務員は証言している。

 プレミア付商品券販売は銀行に委託をすれば済む話を、その手数料が勿体ないと自分達の事務所で販売した。そう事務員は証言している。

 前回のたった1割しかプレミアムの付かない商品券は、銀行経由で販売した。それは大量に売れ残りである。他市が3割5割のプレミアムを付けているのに、大垣市のプレミアム商品券が売れるわけがない。愚かな大垣市の役人はそれが分からない。今度は5割のプレミアで、大垣市の役人は出鱈目である。

 

2_2 前回は、たった1割のプレミアム付きで大威張りで宣伝をする小倉利之と松本正平。

 前回は大量に売れ残りである。   岐阜新聞 2020年7月30日

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営業妨害

 小倉利之と松本正平が支配する大垣市商連は、プレミア付商品券で、大垣駅前商店街以外の商店街に利権を与えて、大垣駅前商店街の営業妨害をした。それが原因で店を畳むケースも出るだろう。

 大垣駅前商店街の組合員は、一店あたり年間で平均10万円の組合費を払っている。小倉利之と松本正平は、それが組合員以外でも3000円の臨時組合金を払えば、プレミア付商品券を販売できる段取りをした。それも大垣駅前商店街以外の商店街で使えるのである。

 大垣駅前商店街でプレミア付商品券を使いたくても、大垣駅前商店街の80%が廃業しているので、買いたくても買うお店がない。大垣駅前商店街の80%を廃業においこんだのは、死神の小倉利之と松本正平である。

 

大垣駅前商店街を抹殺事業

 理事長の小倉利之はこの10年来、元気ハツラツ市行事の利権にかこつけて、大垣駅前商店街の営業妨害をして、60%店が店を畳むように仕向けた。

 大垣駅前商店街の組合員は、営業妨害になるので、元気ハツラツ市行事を止めて欲しいと懇願しても、店も持たない小倉利之は、(利権のため?)聞く耳を持たなかった。松本正平も共犯である。

 大垣駅前商店街は、10年前は20%ほどの閉店率であったが、昨年で80%の店がシャッターを下ろした状態となった。10年前からの小川敏の肝いりで元気ハツラツ市行事が始って、大垣駅前商店街の衰退が加速した。実にこの10年で60%店が店を畳んだ。小倉利之が60%の店を殺した。

 

大垣駅前餅つき大会の殺人事件

 小倉利之、松本正平は、2020年2月の大垣駅前餅つき大会で、老人を無料の餅で誘い、喉に詰まらせて殺した。

 それなのに小倉利之と松本正平は、弔問にも行かない。知らんふりである。その企画を支援した大垣市の代表(当時の市長小川敏)も弔問に行かないし、知らんふりで、説明責任も果たさない。嚥下力が低下した老人に餅を食べさせるのは、準殺人行為である。

 

 消費者庁の報告では、「不慮の窒息」(餅を喉に詰まらせて起きる窒息事故)で1月に1300人以上が死亡している。また65歳以上の患者が9割を占めており、高齢者の偏っているのが特徴である。(2019年12月31日、山本健一医師の「Y!ニュース」より)

 

 小倉利之、松本正平は死神である。その松本正平は、今年度の理事長に密室の選挙で理事長に選ばれた。密室での選挙だから、組合員は誰もその経過を知らない。元気ハツラツ市行事の実行委員長の松本正平は、市民税1億円も散財した元気ハツラツ市行事の会計報告も拒否している。

 

児童園児を虐待・準殺人未遂

 この10年来、元気ハツラツ市行事で36度の炎天下、園児児童をコンクリートの舞台で躍らせ火傷を負わせ続けた。もう少しで熱中症のため死ぬところであった。

 2018年、豊田市で児童が校外学習で熱中症のため死亡している矢先のこと。なぜ一商店街の金儲けイベントに、児童園児をアトラクションの踊りに駆り出すことが許され続けるのか。小川敏の腰巾着であった山本譲教育長も大垣市教育委員会も何も言わない。自治会長経由で当時の共産党市議に訴えても、無視であった。大垣市は死神に支配され腐っている。

 

天の差配

 新型コロナウイルス騒動のため、元気ハツラツ市行事が中断になったのは、皮肉な幸運であった。天の差配であろう。死神の一人は4月に去った。大垣市にはまだ多くの死神が舞っている。

 天網恢恢疎にして漏らさず。天の差配を期待しよう。

 

2021-06-13   久志能幾研究所通信 2058  小田泰仙

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2021年6月12日 (土)

良く死ぬために、反・断捨離(3/7)

 

 良く死ぬとは、良く生きること。つまらない断捨離など止めて、人生を謳歌して、全力で生きよう。いくら頑張っても生物学的に120歳までしか人間は生きられない。我々にできることは、後世に良き遺伝子を残すことだけである。

 愚かな人間は、やってはいけないことは、やってダメだと体験しないと分からない。それが智慧である。やらないで後悔するより、やって失敗して生きた方が良き人生だ。失敗しない、動かないとは、死の世界である。死ぬ前に、死んだ人生を送ってどうすのだ。

 

人生じまい

 子孫に美田を残さず。子孫に金を残せば、不幸の種を植えることになる。自分の思い出こそ人生である。断捨離なんて、自分の人生を捨てることだ。人生じまいである。断捨離なんて、死後、ほんの少しの金で業者がやってくれる。

 

30年後の因果応報

 両親よりも良い暮らしをしてこそ、亡き両親も喜んでくれる。元気に働いて稼ぐ。それが最大の供養である。良い暮らしをしてこそ、ご先祖の法要もすることが出来る。貧乏では法要もままならぬ。

 両親より貧しい生活では、自分がこの30年間、人並み以上の努力・精進をしなかった証である。親が贅沢を我慢して己を上の学校に行かせてくれたのだ。その感謝の念があれば、勉学に励むことが出来たはず。それを遊び惚けるから、貧乏になるのだ。30年後の因果応報である。佛様は良く観ておられる。

 

日本の高度経済成長期

 私は両親が必死に働いていた後姿から、多くを学んだ。その両親が遺した記録を捨てるのは忍びない。私が小さい頃、父は正月三が日に家にいなかった。大晦日、正月三が日を出勤して、休日割り増しを稼いでいた。皆は正月に出勤することを嫌がったので、父は皆から感謝された。それで贅沢な生活などしていない。全て子供の私の為であった。そんな親の姿を見れば、遊んでいなんかいられない。勉強をした。そういう姿が、日本を高度経済成長させたようだ。

 

仕事じまい

 仕事こそ人生である。生涯現役で働くつもりなら、惚けることのない。そのお手本を馬場恵峰先生は示してくれた。

 

墓じまい

 ご先祖の墓まで、墓じまいをしてどうするのだ。一日でも長く生きて、稼いで(世の中に貢献して)、ご先祖を供養する。それが子孫にできる最大の供養である。

 どうせ墓じまいをしなくても、お寺に護持会費を納めなくなれば、お寺がお墓をたたむ。墓地はお寺からの借地で買ったものではない。また逆に、護持会費を滞納すれば、お寺はお墓を撤去することができる。お墓の土地とは、そういう契約である。これもお墓を改建して体得した知識である。お墓を改建しなければ、知らないまま死ぬところであった。

 

反・断捨離

 死ぬまでにモノを買いまくり、金を使いまくって行動し、日本の景気に刺激を与えよう。それが年長者に出来る社会貢献である。今、日本経済が停滞しているのは、金を持っている老人が金を使わないからだ。

 使わず残った金は、国が強奪して役人がまた無駄遣いをする。ますます日本が衰退する。

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2015‎年‎1‎月‎12‎日 馬場恵峰先生の教室にて

 

2021-06-12   久志能幾研究所通信 2057  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月11日 (金)

良く死ぬために、ボスが君臨するサル山を下りる(2/7)

 

自己の価値観

 群れたがる人とそうではない人の差は、若い時からの勉強量の差とその継続性の有無である。人生で危機感を持って自ら学んできた人は、自尊心の明確化と価値観の確立がある。だから無意味な集まりに群れることもない。

 群れたがる人はあっちにフラフラ、こっちにフラフラとさ迷っている。それでボスの金の引力で群れ社会に入ることになる。それでは主人公の生き方ではなく、奴隷の人生である。

 群れるとは、サル山の支配者ボスに迎合し、従い、ボスを人生の師とすること。朱に交われば赤くなる。それでは悪縁を招く。

 私も一度、その群れ社会の宴会に参加したことがあったが、同席者と話が合わず苦痛であった。まるでヤクザの襲名披露宴であった。それは会社のОB会で、旧上司が威張り、昔の上下関係が変わらず、その場の話題が、病気や嫁の悪口ばかりであるのとよく似ている。

 

ヤクザの襲名披露宴への招集令状

 1975年頃、やり手のM上司が次長に昇格して、関係部員約100名を招集して泊りがけの大宴会があった。そんな事例は初めてで、私は行きたくはなかったが、立場上で拒否はできない。宮仕えは辛いもの。仲間の多くは「これはヤクザの襲名披露だ」と陰でボヤいていた。たかが宴会で、その場で全員集合の襲名披露記念写真?まで撮った。やり過ぎだ!

 私の同僚は、体質的にそのM上司と合わないと感じた。彼はそのM上司の時代が今後長く続くと予想して、会社を退職して、受験勉強をして大学院の編入試験を受け、進学して別の人生を歩んだ。それも人生の選択であった。

 その上司は、予想通り、その後も飛ぶ鳥を落とす勢いで出世をして、役員にまで上り詰めた。そんな羽振りによい上司であったが、最後は女に手を出して失脚した。

 

ヤクザのライバル

 当時、そのM上司の出世ライバルであった石田課長と大谷次長を出世競争から蹴とばした。石田課長は石田三成の末裔である。大谷次長は、関ヶ原の合戦の西側大名・大谷吉嗣の末裔である。

 石田課長の名言。「俺は君が仕事をしやすいように環境は全て整えてやった。後、やるかやらないかは、君次第だ」この言葉は忘れられない。

 私の当時の指導主任は石田課長の薫陶を受けた。そんな石田課長とそのM上司が、そりが合うわけがない。そのM上司が更に出世したら、早々に石田課長を社外に飛ばした。

 大谷次長(当時)は、今でも毎年夏、関ヶ原の合戦場に先祖供養に行かれる。私はその親戚が経営するアパート大谷荘で16年間お世話になった。

 

北欧出張で群れを強いられ苦痛

 1985年、仕事の関係で北欧の自動車メーカに4か月間、設計担当として機械納入で出張をした。その時、機械据え付けの担当者達と一緒であった。そこでの苦痛は、夜のホテル生活である。私は、夜、部屋でゆっくりしたいのだが、現場担当者達のボスがそれを許してくれず、一部屋にみんなと群れて過ごさねばならなかった。私は出張責任者として、彼らがつむじを曲げると困るので、嫌々付き合った。今風に言うと、思考の多様性を否定されたのだ。

 仕事が終わってホテルに着いてから、毎晩、一緒に食事に出かけ、10時ごろまでボスの部屋で群れて「拘束」されると、自分の部屋に帰ってからの寝るまでの時間がほとんどない。自分の勉強時間が無くなるのだ。それが一番苦痛であった。

 

うつ病対策?

 現場の人たちは別の価値観の世界で生きている。今にして思うと、海外出張では、現場の人は孤独には弱いようだ。精神的に弱いから、ノイローゼ(うつ病)になるのを防ぐために群れていたようだ。現場のボスは、それを知っていたから、夜は半強制的に一緒に過ごすようにしたようだ。それと比較すると私は精神的にタフであった。鈍感だったかも?

 

一人になる幸せ

 1か月後、機械の据え付けが予定通り終わり、彼らが帰国した。私は現地で一人になってホッとした。彼らは私が一人になることを気の毒がっていたが、全く逆であった。それから夜は、快適なホテルの部屋で、仕事をしたり、読書をしたり、漢文の勉強や、英語、スウェーデン語の勉強をしたりと充実した時間を過ごせた。

 私はスウェーデン滞在中に、テレビも酒も嗜むことはなかった。

 ホテルのテレビも興味ある番組は全くない。スウェーデンのテレビでは暴力場面禁止、セックス場面禁止で、討論会の番組ばかりで極めて真面目でつまらない。スウェーデンのテレビは、日本の扇情的な番組と大違いである。おかげでテレビを見なくても済んだ。

 私は酒に弱く、そんなに酒が好きでないので、酒に溺れることもなかった。またスウェーデンはアル中が多いので、酒の販売規制が厳しい。外人はパスポートがないと酒が買えない。スウェーデン人でも17時からしか酒は買えない。酒屋は17時から長蛇の列である。

 

「群」の語源

 左編は「口」+「尹」。尹は神事をつかさどる族長の意味。のりとの意味を表す口を付し、きみの意味を表す。「羊」はさまよう家畜の意味である。

 音符の「君」はむらがるの意味。むらがるひつじの意味から、群れ(むれ)の意味。

 要は、「群れる」とは、ボスに支配された世界を表す漢字である。

 インテリなら、サルに支配されるのは恥である。

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」 久志能幾研究所刊

 

2021-06-10   久志能幾研究所通信 2056  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。