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2021年5月

2021年5月16日 (日)

森羅万象を師としよう (磨墨知408)

 

 自然現象を含めて時間の師は回りにいっぱいある。自然は声なき経を読経している。

 

 雨が降っても何時かは上がる。雨が降ったら傘をさせばよい。

 夜がいくら暗い状態でも、何時かは日が昇る。昇った太陽も何時かは沈む。自然は春夏秋冬、生老病死のサイクルを繰り返している。焦らず、奢らず自分を見つめて、自己充実させればよい。

 欠けたお月様も何時かは満月になり、まんまるのお月さまも次第に欠けてくる。無常の世界である。勝者必滅の定理でもある。失敗や左遷も、人の評価や噂は三月三日。じたばたせず達観すればよい。

 いくら新型コロナウイルスが猛威を奮っても、何時かは収束する。今まで人類が科学技術を武器に金儲けで暴走しすぎたので、自然が待ったをかけただけだ。長い人類の歴史で100年に一度はお休みが必要だ。しばし休息して人生を振り返ればよい。

 

風が吹くまで

 不遇の時には、あがいても無駄なエネルギーを使うだけ。風が吹かない時は自分を充電する時間にしよう。次の風が吹いた時、充電したエネルギーが時間を圧倒する。

 首相を務める能力のある広田弘毅が左遷をさせられ、閑職としてオランダ公使に飛ばされた。彼もその時期は辛かったようだ。彼はオランダ公使赴任中、本を読みまくっていたという。そこで詠んだ句が

 風車 風が吹くまで 昼寝かな

 

 ある時期、私も閑職に飛ばされて仕事のない悲哀を体験させられた。鬱症状もでて自殺も考えたこともある。でも意思を持って病気を治し、復帰をした。それで今の自分がある。負けていたら、今はない。

 その経験があるから仕事をする意味が理解できる。お金があっても仕事がない状態は地獄である。人は失ってみて始めてその価値に気づくもの。

 仕事のない死んだ時間を、次のチャンスのための準備時間にしょう。明けない夜はない。それは神様が与えてくれた黄金の時間。勉強し放題である。

Dsc097511s  馬場恵峰書

2021-05-16 久志能幾研究所 2021 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年5月15日 (土)

自分を見る目

 

 下記は馬場恵峰先生89歳(2015年)の時のエピソードである。

 

 恵峰先生は、原田観峰師より「自分を外に放り投げて、自分を外から眺められる人間になれ」と指導されたという。自分を客観的に見つめることの難しさは、己に欲がある限り困難を極める。

 

 高野山開山1200年の年に納佛された四天王は、その中門を通ると、上から自分を睨みつける四天王の目つきに圧倒される。そんな目で、自分の行動を見つめるのも、道を誤らない方法であろう。

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 松本明慶大仏師作 広目天  高野山中門 2015年4月25日撮影

 

自己への問い

 欲に任せて生きていけば、利己の花しか咲かない。縁ある花は開かない。欲無くして生きては、花も咲かないし、実も結ばない。欲を無くしたら、人間ではない。せめて良き欲を持とう。

 「花を開かせたなら、実を結ぶ人間になれ」と恵峰先生は耳にたこができるほど毎回、力説される。

 

 自分を外から見て、上から観て、次のように問いかけられたらどう答えるか。

 「あんたは何のために生きているのか? 何の花を咲かせたいのか? どんな実を結びたいのか? あんたいくら若くても、何時かは(50年後?)あなたも死ぬ身だ。今からどう生きるのだ。死ぬとき、今のままで悔いはないのか?」

 

自分の過去の境遇

 私の家のお墓を作る過程で、自分とご先祖と回りの親戚の葛藤や軋轢に接することが多くあった。なぜ、あの親戚達は愚かな行動を取るのかが不思議であった。家系図を頭の隅に置き、自分を離れて客観的にその状況を観察すると、彼らの生い立ち、生まれ育った環境、現在に状況が見えてきた。そして自分がよき親、よき師、恵まれた環境で生かされてきた状況が分かった。両親ご先祖に手を合わさずにはおられない。還暦を過ぎ、お墓を作って新たに得た感慨である。

 

恵峰先生の最後の言葉

 その恵峰先生の言葉で最近多いのが、「私も89歳で、何時までも皆さんにお話が出来るわけではない。だからこそキツイ言葉も吐くが許して頂きたい」である。当日の午前中に国立病院で定期診察に行かれて、異常なしとの診断を受けての言葉である。89歳の御歳で血圧も正常との驚異的な健康体である。それでも80歳の時に初めてお会いしたときの若さに比べれば老いられた。

 

 「何時までもあると思うな、親と金」は、全ての森羅万象に通じる。万年の寿命と思われたお墓にも100年ほどの命しかないことを、今回のお墓つくりで思い知った。ましてや生身の人間の命は儚い。だからこそ今の命を大事にして生きるべきだとの思いを強くした。少しでも恵峰先生から多く学んでおきたいと思う。

 2015年12月14日、恵峰先生宅を墓開眼法要のお礼挨拶と先生の書の写真撮影、書道教室参加のため訪問した。その夜が月書会の忘年会があり書道教室はお休みとのことで、急遽、忘年会に参加をさせていただいた。その忘年会での恵峰先生の挨拶で、上記の原田観峰師の話を聞かされ上記に思い至った。

 

  次図の歌の意味は、「月松会に集う皆さんは鶴と亀なんだ。心技を修めて、体の栄養だけではなく、頭の栄養を永久の壽の糧として欲しい」である。

 この歌を当日の朝、忘年会に参加するお弟子さんのため15枚の色紙に自作の和歌を揮毫された。15枚の色紙は全て書き方が異なって書かれた。

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   恵峰先生宅で見つけた色紙  2015年12月14日

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  忘年会での挨拶   2015年12月14日   「天新」にて

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やまざとに 

集う月松 

鶴亀は 

心技おさめて 

永壽の糧たり

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忘年会で色紙の説明をされる恵峰先生  20151214

2021-05-15  久志能幾研究所通信 2020 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年5月14日 (金)

餌に釣られたカナリアは下痢をする

 

 カナリアは空気の異常を過敏に反応するので、炭鉱の中でガス検知センサーとして、重宝される小鳥である。地下鉄サリン事件後の1995年3月22日、警察が国道5号線沿いの富士山麓のオウム真理教サテアンに突入する時、小鳥籠を同行させた。警察もサリンガスが怖かったのだ。

 ルート5 富士山麓に オーム鳴く

 √5=2.23620679 と受験勉強で覚えたことが記憶に蘇える。

 

巻き寿司で下痢

 最近、つい病みつきになって間食としてスーパーの398円巻き寿司を4日連続で食べたら、3日連続で、外出途中で下痢のためトイレに駆け込む羽目になった。これはおかしいと、翌日からその巻き寿司を食べるのを止めたら、その下痢症状はピタリと止った。私は食い意地が張ったカナリアであった。少々恥ずかしい。

 今日(5月14日)その巻き寿司の成分表を確認したら、数種類の防腐剤名が列挙されていた。

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 私はまるで防腐剤の検出カナリアであったようだ。今までスーパーの巻き寿司をたまに食べるだけであったので、問題が起きなかったが、連日食べたので、「毒素」の効果が劇的に現れたようだ。私は癌の手術をしているので、免疫力が低下して、その影響が顕著に出たようだ。

 普通の健康体の人なら問題がないようだ。しかしそれが長期にわたっての食用となると、ガンなどの病気の一因になるのではないか。防腐剤や添加材が健康には良くないことは自明である。

 

カップ麺の前科(?)

 私は44年前に胆石の手術で、胆のう摘出手術を受けた。その後、カップ麺を食べると、必ず下痢である。カップ麺の油が悪さをしているようなので、この44年間は全くカップ麺を食べずに過ごしてきた。胆のうは油分が体に入ってくると、消化液を濃縮して貯めてある胆のうから放出する。私の場合、その胆のうがないので、油分の消化効率が悪いのだろう。ある意味、私は悪い油分を検出するカナリアであった。結果として、健康には決して良いとは言えないカップ麺を食べずに過ごせたので、幸せであった。

 

恩を仇で返す「匂い」を感知

 長く生きていると、恩をあだで返されたことを多く経験する。人の行動には胡散臭い匂いがある。その匂いに腐臭を感じたら早めに縁を切ることだ。腐臭を感じながら付き合っていると、恩を仇で返される。その経験が数知れずである。

 人生の成功は、縁の腐臭を敏感に感じるカナリアたれ、君子危うきに近寄らず、である。

 腐臭ある縁の人には、食品の添加剤や防腐剤のように、小手先の手練手管が感じられて、人間性に素直さが感じられない。人間は素直でないと、見るものも歪んで見える。

 早め早めに悪縁を切ることが、縁ありて花開くことになる。腐臭ある縁からは花でなく仇花しか開かない。よき縁から良き花が開き、恩有りて実が結ぶ。腐臭ある縁からは、後悔と時間の浪費しか生まれない。腐臭ある縁と付き合うと、良きご縁と付き合う時間が弾き飛ばされてしまう。人生の時間は有限で、総量は決まっている。時間も縁も命なのだ。

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2021-05-14 久志能幾研究所通信 2019  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年5月13日 (木)

「和敬静寂」を奉納

 

 和敬清寂とは、茶道の心得を示す標語であるが、もともとは禅の言葉でもある。茶道の祖といわれる村田珠光が、足利義政から茶の精神を尋ねられたとき、「和敬静寂」と、答えたという。この一句四文字の真意を体得し実践することが茶道の本分とされる。茶道と禅を極めた井伊直弼公が好んだ言葉でもある。

 その意味は、人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にするという意味である。特に千家ではこの標語を千利休の定めた「和」、「敬」、「清」、「寂」を表す「四規」として重要視している。四規「和敬清寂」の4つの文字の中に、お茶の心がこめられている。

 

 「和」とは、口+禾(音)で、音符の禾は、会に通じて、遇うの意味である。人の声と声とが調和をして、なごむの意味を表す。和とは二つ以上の数を加えた値という意味もある。人が出会うご縁は、その時には良い縁もあれば悪い縁もある。両方のご縁に出会って人生である。良い縁ばかりの人生はありえない。悪縁が逆縁の菩薩となって人を鍛えることになる。

 

 「敬」とは、攵+苟(音)で、苟は髪を特別な形にして、身体を曲げ神に祈る様をかたどる。攵は、ある動作をするで、お互いに敬いあうという意味である。

 敬を持って来たご縁をありがたく受け止める。それが人生修行である。

 

 「清」とは、目に見えるだけの清らかさではなく、心の中も清らかであるという意味である。すべて修行と思えば、何事も受け止められる。

 

 「寂」とは、宀+叔(音)で、屋内がいたましく、さびしいの意味を表す。死の意味もある。安らかとか、どんなときにも動じない心をあらわす。

お茶を飲むとき、お点前のとき、また、お客になったとき、お招きをしたときなどに、この「和敬清寂」を念頭に行するのが茶道である。

 

一期一会

 併行して使われる言葉が「一期一会」である。全ての事象の出逢い、お客様との出合い、接遇は、無私に心で、分け隔てなく、平常心で接するのが、禅の心である。そうすれば正しい判断と正しい行動ができる。

 それ故、井伊直弼公はこの言葉を好んだのだろう。それは長い間、部屋住みとして冷遇された境遇に置かれた自身への戒めの言葉でもあったようだ。冷遇された境遇へも、分け隔てなく、自身への修行として捉えた直弼公の心であろう。

 

和敬清寂(わけいせいじゃく):宋に留学した大応国師が帰朝した際、将来した(持ち帰ること)劉元甫(りゅうげんぽ)の「茶道清規」を抄録して「茶道経」と名付けて刊行した。それによると茶禅儀の創始者は守端禅師で、その門下元甫長老が和敬清寂を茶道締門と定めて茶道会を組織した。これが和敬清寂の起源であるという。(「茶道辞典」より)

 

 ご縁があり、恵峰先生にこの書を楠の板材に書いていただき、お世話になっている菩提寺に2015年9月18日、奉納した。

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 菩提寺 お茶室  2015年9月18日

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  馬場恵峰先生   2015年9月11日  

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     下書き     2015年9月11日

2021-05-13 久志能幾研究所通信 2018 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

     

2021年5月12日 (水)

生前葬としての写経書展

 

 2016年12月8日、長崎県波佐見町で開催された「馬場恵峰卒寿記念写経書展」を撮影するため、福岡空港から高速バスで波佐見町を訪れた。この写経展は、大正・昭和・平成と、今まで誰も成し遂げていない。馬場恵峰師の90歳という年齢から考えると、この写経書展を今回開催された師の尊い想いが会場から伝わってくる。

 馬場恵峰師の人間としての歩みの証がこの写経展である。師はこの写経書展を己の生前葬として、自分の想い、書を通じて仏との語らい、宗派を超えての写経で歩みし生きざまを、参列の皆さんの人生への餞として開催したと語られた。

 

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、避けられない生老病死を経て、浄土に旅立つ。恵峰師は、生きている間に、どれだけ多くのお世話とご縁を頂いたか、その報恩感謝の気持ちをこの写経書展で示された。恵峰師は、それができるもの「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、感謝の表現をするなら、生きているうちにすべき」として卒寿記念の開催の決意をされた。

 恵峰師は、生まれ故郷で写経書展を開催できる仏縁、それに足を運んでくれる人との仏縁は、天の計らいであるという。生涯の旅をする皆様方が、写経書展で仏法の花の一端に触れていただき、現実の歩みの半生と先祖供養の一端として受け止めて頂けたら、恵峰師として本望だという。

 

運命のからくり

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は力説される。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚鏡の上に踊る虚花に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰師は訴える。

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 競争と道

 時代の流れで、世の書展は競書が多い。それは他人相手の闘いである。またその書展では、判別不能な抽象的書体を競い合う自己満足の世界に堕している例が多い。文字とは何かの原理原則を忘れた邪芸である。それに反して、写経書展は全くその対極にあり、自分との闘いの所業の展示である。それは仏道修行の一環であろう。「競争」という言葉は、明治以前には日本に存在しない。日本が開国して西洋の思想が入ってきて、福沢諭吉翁が翻訳時に創作した言葉である。西洋での弱肉強食の競争には必ず、勝者と敗者が生まれる。

 仏教にはその思想が薄い。東洋思想は共生である。日本で別の形で花開いたの形が「道」の思想である。武士道、書道、華道、等の芸事には勝者も敗者もない。日本の哲学は共生、利他、切磋琢磨、自己精進という言葉で象徴される。日本では、他人を蹴落として勝者になるのは美学とされない。それに写経はよく似合っている。西洋で、修行として聖書を写経するとも聞いたことがない。是非ではなく、そういう世界が存在するのを我々は認めるだけでよかろう。

 

 恵峰師は、この写経展を総括して「老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と写経展を回顧して漢詩を揮毫された。

 

自家のお墓改建

 ご縁があり、2015年11月に当家のお墓を三基再建した。その時、お墓の納めるため、毎日一枚のペースで、お墓の開眼法要前の四ケ月程で、為写経を百十枚ほど書き上げた。毎日、斎戒沐浴してからの為写経である。その後、三か月ほど中断したが、思いついて写経を再開して、今は5日に一枚のペースで為写経を継続している。

 写経をして体得したことは、写経は誰のためでもない、己の佛道修行なのだ、である。修業とは自分を見つめることである。謙虚になると自分の至らなさが見えてくる。ご先祖のご恩が見えてくる。恵峰師もそれを目指して写経をされてきたのだと思う。師は今までに2万字を写経された。それも半紙ではなく、軸や巻物に、である。半端な所業ではない。

 

佛縁

 今回、自分として写経書展を撮影する佛縁を頂いたことに感謝である。恵峰師との出会いの縁、書の撮影のため現代最高の撮影機材を買えたご縁、ここ数年間、恵峰師の書の撮影をしてきてベストの撮影技術を習得できたご縁、撮影のお手伝いのお弟子さんたちの協力のご縁があってこの写経展の写真集が完成した。どれが欠けてもこの写真集は生まれなかった。まさに佛縁である。

 

 「生前葬」では語感はよくないが、実際、生前葬は良いものである。渡部昇一先生もそれに類したことをして、良かったと感想を述べておられる。生前に親しい人たちと顔を合わせ、会食で今まで生きてきたご恩に報いる。生前葬をした後、恩師や友人の訃報に接せると、あのとき生前葬でお互い元気な姿で、昔を懐かしあえたのが何よりの供養だったという。死んでから葬式であってもその喜びはない。写経書展という生前葬で、多くの先生の知人が訪れてくれた。何よりの悦びであると思う。

 

 2016年12月8日の写経展から約4年後、2021年1月1日に恵峰先生は逝去された。先生が元気で良き時に、新型コロナも無き時に、生前葬として写経書展を開催されて良かった。生前葬は元気なうちに済ませるのが良いようだ。

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 写経書展会場    2016128日(開場前夜)

 壇上に100m巻物、50m巻物が並ぶ

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写経書展会場    2016129

2021-05-12   久志能幾研究所通信 2017 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年5月11日 (火)

ご縁のリストラクチャリング

 

悪手の山     

 米長邦夫元名人は、その著書で、「人は悪手の中を歩いている、一手間違えれば簡単に人生が暗転する」という。同じ意味で、人生には多くの縁が溢れているが、その多くが悪縁である。因果応報で、悪縁と交われば人生は下り坂である。悪縁の人は、悪縁を招く習慣と考え方とそれに纏わりつく人脈がある。その腐臭がすさまじいが、鈍感な人はそれに気が付かない。知らずに付き合うと、悪縁が心に染み込む。「君子危うきに近寄らず」でありたいが、宮仕え生活ではそれもままならない。サラリーマン時代はその回避が至難の業であり、かなりの被害を受けてきた。まるでタバコ副煙流の害毒如きである。

 しかし定年後に組織を離れたことで、寄ってくる縁を選別できるようになった。些細なことや対応ぶりから、友人、知人、業者の人生哲学が垣間見えて、縁の鑑定ができる。それが悪性の縁と分かった時点で、その縁を切ることにした。よき人生は良きご縁から始まる。悪縁を切ると、空いた空間に良きご縁がすり寄ってくる。組織を離れたら、縁は自分で選びたい。

 

人生のリストラ

 リストラとは、事業の再構築(restructuring)が本来の意味で、首切りは単なる一方法論である。還暦後の第二の人生を門出して、正しい道を歩むために、人生再構築のリストラが必要である。

 企業経営でも、不正をする人、業績を下げる人、定年になった人はお払い箱である。そういう新陳代謝をしないと会社が左前になってしまう。同じ考えで、自分株式会社に害をなす縁者はお払い箱にして、リストラをしないと自分の人生が傾いてしまう。切るべき縁を切らないから腐れ縁となる。腐った縁は、周りに害を及ぼす。人生経営の6Sをして縁の整理整頓をすべきである。

 

食のリストラ

 生きていく為には食べなければならぬ。その食料が、添加物まみれ、農薬まみれ、養殖魚の病気防止で抗生物質まみれ、ショートニング、マーガリン、植物油まみれの加工食品でもお腹は膨れるし、当面は生存が可能である。しかしその食物は遅延性の毒である。10年、20年のスパンで食の人生を考えた場合、そのツケを慢性病、成人病、ガンという病気という形で支払う日がやってくる。日本をはじめ先進国で加工食品が増えるに比例して、医療費が増大している。

 

ご縁のリストラ

 社会で生きていく上では、ご縁が必要だ。しかし質の悪い縁に囲まれると、それが遅延性の毒として人生を覆い、不運という人生生活病に侵される。

 約束を守らない人、こちらが散々お世話をしたのに、恩を仇で返す輩、信心深くても己だけの幸せを願う人、苦情対応で不誠実な企業、新興宗教にはまっている人、車検を依頼した車を私用で乗り回す修理工場社長(ドライブレコーダで露見)、人の迷惑を顧みず自慢話ばかりする元副社長、前職の不祥事の責任を回避する後任の長、先祖を大事にしない親類縁者……….よくこれだけいい加減な人がいるものかと呆れるばかり。そういう人と付き合うと血圧が上がるので、自分の組織を守るため、その悪縁を切ることにしている。

 

人生のご縁収支決算

 人生とは、集めた¥高を誇る競争ではない。円を集めた額を誇示するのではなく、ご縁に接し、その縁に報い、よき縁を人にどれだけ分福したかに価値がある。人生は集めたものでなく、どれだけ与えたかで評価される。

 いくら集めてもそれを喜ぶのは己だけでは哀しい。お金は、あの世には持っていけない。人から分捕った分、不幸になった人がいる。グローバル経済主義では、99人の富をたった1人が強奪独占する。強奪した富には多くの人の怨恨が籠っている。

 

与えるご縁

 人に与えたことは多くの人が評価してくれ、その結果として与えたご縁に花が咲き、実が結ぶ。それでこそ、自分の人生の意味がある。悪しき縁からは、良き人生は生まれない。その縁の選別眼が人生価値を左右する。

 

ご縁の生老病死

 どんなよきご縁も、歳月という名のリストラが襲ってくる。歳月はご縁を待ってはくれない。どんなご縁も偶然から生まれ、生まれたご縁も、その死は必然である。だからこそ大事に育てて、ご縁を見送りたい。後悔のない見送りをするため、尽くして尽くせば、悔いはない。

Img_44131s  馬場恵峰書

2021-05-11 久志能幾研究所通信 2016 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年5月10日 (月)

がん専門医の余命宣告を信じるな

高血圧専門医の言うことを信じるな

「がん」という名の仏さまを信じよう

「体」という名の仏さまを信じよう

自分を信じ、安易な余命宣告の医師に怒れ。

そんなことで死んでたまるか。

真因を追及して行動しよう。

 

 がん専門医は、診断・治療はするが、病気を治してはくれない。がん専門医は、標準治療として手術後、抗がん剤治療を押し付ける。「抗がん剤治療をやらないと命の保証はしない」と脅す。

 私のがんのステージはⅢで、5年後の生存率は51%と宣告された。つまり統計上、5年後、同じ症状の人の半分は死ぬことになる。私は抗がん剤の弊害を知っていたので、抗がん剤治療を拒否して、医師とけんか別れをした。抗がん剤治療でがんが治るわけではない。抗がん剤はがん細胞だけでなく、正常な細胞も攻撃し免疫力を低下させる。高齢の私に抗がん剤は、体への負荷が大きすぎる。人はガンでは死なない。抗がん剤で免疫力が低下して、肺炎等を起こして、それで死ぬ。

 医師もがんになる。その確率は、一般の人と変わらない。医師もがんが分かっていないのだ。

 

素直でない私

 私は、がんになった真因を調べて別の対応をした。私は素直ではなかった。そんなことで死んでたまるか反骨心に燃えた。

 医師から「余命2年」と宣告されると、素直な人は、それを信じてその通りに亡くなるという。

 

 イギリスの大学病院キングス・カレッジで乳がん患者の気持ちの持ち方が延命にどう影響するかを調査した。同程度の症状の患者に、術後3か月の心理状態を確認すると、大きく4つに分かれた。

・絶望している人

・冷静に受容する人

・(がんであることを)否認する人

・闘争心を持つ人

そういう分類をして、13年後まで追跡調査をした。

一番長生きをしたのは、闘争心を持った人であった。日本人は冷静に受容しようとする人が多いのですが、そうするとわりと早く死にます。絶望している人も、もちろん長生きできません。

(「医師のがん告知を冷静に受け入れると早死にする」 PRESIDENT 2015.8.3 P19)

 

 

何故なぜを5回繰り返し

 統計によれば、日本人の2人に一人はガンになる時代である。がんは自分の組織が変化した現象である。なぜがんになったかの原因を見つけないと、いくら治療をしても再発する。トヨタ生産方式で、「何故なぜを5回繰り返し」て、真因を見つけないと、がんは治らない。がんの発生原因は、単に狂った生活、狂った食生活が原因である。私は生活の全てを変えた。

 高血圧症も同じである。医師は降圧剤を出すだけで、治療をせず、高血圧症になった真因を教えてはくれない。私は30年間、医師から降圧剤を飲まされ続けた。私は、目覚めて久留米の真島先生を訪ねて、その真因を見付けて2年がかりで高血圧症を直した。治療方法は食事療法だけであった。

 

がんは仏さま

 がんも高血圧症も、それは己の不摂生を教えてくれる仏さまなのだ。因果応報で原因のない事象はない。がんや高血圧症になった原因を、仏さまは病気という形で教えてくれている。高血圧症もがんの遠因である。それをガンと闘うとして、対処するから、がんに勝てず、死んでしまう。がんとは共存しないと駄目である。臭い匂いもがんも、元を断たなきゃだめなのだ。

 

2021-05-10 久志能幾研究所通信 2015 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年5月 9日 (日)

恵峰先生を偲ぶ会(2)刺繍肖像画

 

 2021年4月12日、4月25日の「恵峰先生を偲ぶ会」の壇上には、馬場恵峰先生の刺繍肖像画が飾られていた。先生65歳当時のお姿である。

 この刺繍肖像画は、中国共産党が許可した毛沢東主席や中国の重要人物しか製作できない。これは上海美術研究所 陳小音さんの作品である。

 今までに製作されたのは10数点と推定される。なぜならこの製作には1年間が必要で、今はこの陳小音さんがカナダに亡命して、その後の製作がどうなっているか不明だから。

 日本人で製作されたのは、田中角栄首相(当時)、日中友好使節団長、参議院議長、そして馬場恵峰先生だけである。馬場恵峰先生の前の製作品がスカルノ大統領の肖像画であった。

 恵峰先生を偲ぶ会の展示として、先生に相応しい素晴らしい遺影の肖像画であった。この作品は、この30年間、日中文化資料館の玄関に飾られていた。

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 「恵峰先生を偲ぶ会での雛壇     2021年4月25日

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 馬場恵峰先生と陳小音さん 1992年頃

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Img_3691s  2011年4月2日 馬場恵峰師(85歳)日中文化資料館にて

2021-05-09 久志能幾研究所通信 2014   小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年5月 8日 (土)

飽食は死場腐の匂い

隣の死場腐はアホく見える(隣の芝生は青く見える)。

隣の客はよく喰う客だ

 

 先日、某カレーチェーン店でカレーを注文した。注文した商品が来るまで、私の隣のカウンターに座った若い女性客を見るとはなしに、観察して呆れてしまった。

 まず私と食べる量が違う。食べる種類が違う。食べるスタイルが違う。体格が違う(彼女は太り気味。だから必要エネルギーが違う)。

 これでは、彼女は加齢なる肥満神に恋されて、早晩、死場に送られる。肥満は万病の元である。現代人は飽食で、食べ過ぎである。彼女は飽食に魅せられた子羊であった。

 

死神の攻勢

 食品業界は、もっともっと食べろと、あの手この手で攻めてくる。敵の担当者も成果主義に攻められて、真地目にやらないと担当者はクビになる。だから敵も必死である。

 飲食店は、お客の健康など知ったことではなく、一番儲かる売り方で、客に食品を提供する。儲かるなら、客の健康を度外視して、必要以上の分量を標準分量として設定する。

 そうすれば客の体が大食漢になって、より多く食べてもらえるようになる。それが敵の付け目である。

 その昔、味の素が利益を上げる方法を社内で募集したところ、瓶の注ぎ穴の大きさを大きくするという案が採用されたという噂があった。それが食品メーカの体質を象徴した寓話である。

 

自分の城は自分で守る

 それ故、自分の城は自分で守らないと、食の業界から病気にさせられる。最大の自分の城とは己の体である。私が癌になったのも、この40年で日本人の癌が4倍に増えたのも、医療費が4倍になったのも飽食が一因である。

 飽食は肥満に繋がり、高血圧、糖尿病、癌、認知症等の多くの病気を招く。食べ足りなくて病気になった人はいないが、食べ過ぎで命を落とした人は多くいる。

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 馬場恵峰書

 

 それでも利益第一主義の業界は、その暴走が止まらない。それを止めるのは、己の自制心である。私は癌になって死線をさまよい、やっと目が覚めた。人は痛い目に会わないと、目が覚めない。

 

彼女との差 分量

 そのカレー屋では、標準のお米の分量は300gである。私が食べるお米の量は通常100gである。そのカレー屋では最低の分量が150gなので、仕方なく150gのスモールサイズで注文している。

 お米は糖質の塊である。それが300gもあるカレーは、食べ過ぎである。温かいご飯は食が進む。だから私は家では、なるべく「冷やし飯(冷めたご飯)」で100gに限定している。そうすれば摂取カロリーも20%も減る。

 

 私は癌の手術をしてから食事量が約4割減った。体重は25キロ減である。それからいくら食べても体重が増えず、この1年間ほど平衡状態である。それでも普通に生活ができているので、今までが食べ過ぎなのだ。

 

食べる種類

 彼女の選択は、トンカツと唐揚げをトッピングしたカレーであった。

 私の選択は、海の幸と野菜のトッピングのカレーである。私はドクターストップで油分の塊であるトンカツはご法度である。唐揚げもご法度である。

 この食生活では彼女は将来、高血圧、癌、心筋梗塞になる恐れがある。

 

食べ方

 彼女はスマホで動画を見ながらイヤホンで音を聞いて、黙々と食べていた。ゆっくりと咀嚼するのではなく、食べ物を流し込んでいるようであった。それではどれだけ食べたかが、自覚なく大食いしてしまう。体から満腹のサインが出る前に、完食してしまうからである。それが肥満の原因となる。現在の太った体が、日頃の生活ぶりを表していた。

 私は食べることに専念して、ゆっくりとよく咀嚼して食べた。意識しないと、カレーは流動食のように早く食べれてしまう。よく噛まないと、頭への刺激がなく、認知症になりやすい。

 

親の教え

 食事は真面目に、食べさせていただく命に感謝して、ゆっくりとしっかり咀嚼をして食べよう。

 2年ほど前、恵峰先生宅で食事をして、私はいつものようなペースで食べたら、恵峰先生から「小田さんは、食べるのが早すぎる。一口一口、感謝して、ゆっくりと食べなさい」と叱られてしまった。我々は他の命を食べないと生きていけない。そのため、他の命を頂くことに感謝が必要だ。そんなことで叱ってくれる人は親も同然である。恵峰先生のよき思い出である。

 

2021-05-08  久志能幾研究所通信 2013 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年5月 7日 (金)

友、縁報より来る。亦楽しからずや

生は偶然、死は必然

 友がご縁の報いとして来たら、全力で向き合おう。それが礼儀である。夢ゆめ、対談中にスマホをいじるなかれ。友との出逢いは一期一会。明日の命は分からない。

 ご縁が生まれるのも偶然である。その別れは必然である。だからこそご縁を大事にしよう。

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馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」より

 

雨友、晴友

 晴の時に歓談する友より、雨の日に声をかけてくれる友こそ、真の友である。

 前職で閑職に追いやられたとき、声をかけてくれた友が真の友であった。

 入院した時、見舞いに来てくれる友が真の友である。わずか10分ほどの距離でも見舞いにこないとは、….情けない思いをした。それは晴友であった。

 

静友、動友

 静かに部屋で、将来の夢を語り合うのが静友。

 車でどこかに動き回らないと、間が持てないのが動友。

 

悪友、善友

 やってはいけない悪事例を、身を挺して示してくれる師である。それを他山の石という。

 善友とは…….

 

登友、下友

 人生は生老病死である。人生の山を登る時期が春夏の時。何時しか秋になり冬がくる。冬になれば、山を下らねばならぬ。それを忘れるから冬山で遭難する。無事に下山して死ぬことが人生だ。還暦後、62,63歳で亡くなった仲間が多くいた。何のために働いてきたのか、残念だ。還暦後の人生が黄金の収穫期なのに。

 登山する成長期で、勢いがある時の友が登友である。定年になり、人生の山を下る時の友が下友。静かにこれからの後始末を語ろう。

 定年後、人生80年としても7,300日もある。毎日が日曜日ではいけない。一日8時間としても58,400時間もある。その道のプロになるためには、その道に5,000時間もかければよい。一緒にそれを励ましながらプロを目指せば、下友が登友に変わる。

 

燃友、消友

 人生に燃え、仕事に燃え、ご縁に燃える。そんな人が燃友である。さあ、友と炎遊会に行こう。

 生き方が強欲で生臭いと、水分が多くてなかなか燃えない。中途半端にやるから、疲れずに夜に眠れない。欲望を枯らして、よく燃え、よく働いた一日が、安らかな眠りを誘う。人生を完全燃焼で謳歌して、燃え尽きよう。それが安らかな永眠をさそう。 

 それを消す友となってはならない。燃えない生木ほど、扱いにくいものはない。死ぬときに、生木を割くような苦しみを味わう。死ぬときは、枯木のように自然に倒れれば、苦しみもない。

 

師友、死友

 いつもは師と仰ぎ、時には友として諫言もする。そんな仲が師友である。

 生は偶然だが、死は必然である。師友も何時かは必ず死ぬ。その師の志を継ぐのが死友である。死ぬ命を抱えて使命を全うするために生きるのが、死友である。

 何のために生物は死ぬのか。劣化した生命体を殺して、その遺伝子を新しい生につなげて、その遺伝子を継続させるためである。その生命体がいつまでも死ななければ、成長がない。

 カマキリのオスは、生殖が終わると、メスに頭から喰われてしまう。それも喜んで喰われている。喰われたオスの体がメスに宿った子の栄養となり、子孫が繁栄する。その時、脳内に麻薬成分が分泌されて、痛みはないようだ。それが自然界の仕組みである。生命体が「継続」をする姿である。我々も、喜んで子孫のために、為すべきことをして死のう。

 

2021-05-07   久志能幾研究所通信 2012   小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。