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2021年5月 7日 (金)

友、縁報より来る。亦楽しからずや

生は偶然、死は必然

 友がご縁の報いとして来たら、全力で向き合おう。それが礼儀である。夢ゆめ、対談中にスマホをいじるなかれ。友との出逢いは一期一会。明日の命は分からない。

 ご縁が生まれるのも偶然である。その別れは必然である。だからこそご縁を大事にしよう。

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馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」より

 

雨友、晴友

 晴の時に歓談する友より、雨の日に声をかけてくれる友こそ、真の友である。

 前職で閑職に追いやられたとき、声をかけてくれた友が真の友であった。

 入院した時、見舞いに来てくれる友が真の友である。わずか10分ほどの距離でも見舞いにこないとは、….情けない思いをした。それは晴友であった。

 

静友、動友

 静かに部屋で、将来の夢を語り合うのが静友。

 車でどこかに動き回らないと、間が持てないのが動友。

 

悪友、善友

 やってはいけない悪事例を、身を挺して示してくれる師である。それを他山の石という。

 善友とは…….

 

登友、下友

 人生は生老病死である。人生の山を登る時期が春夏の時。何時しか秋になり冬がくる。冬になれば、山を下らねばならぬ。それを忘れるから冬山で遭難する。無事に下山して死ぬことが人生だ。還暦後、62,63歳で亡くなった仲間が多くいた。何のために働いてきたのか、残念だ。還暦後の人生が黄金の収穫期なのに。

 登山する成長期で、勢いがある時の友が登友である。定年になり、人生の山を下る時の友が下友。静かにこれからの後始末を語ろう。

 定年後、人生80年としても7,300日もある。毎日が日曜日ではいけない。一日8時間としても58,400時間もある。その道のプロになるためには、その道に5,000時間もかければよい。一緒にそれを励ましながらプロを目指せば、下友が登友に変わる。

 

燃友、消友

 人生に燃え、仕事に燃え、ご縁に燃える。そんな人が燃友である。さあ、友と炎遊会に行こう。

 生き方が強欲で生臭いと、水分が多くてなかなか燃えない。中途半端にやるから、疲れずに夜に眠れない。欲望を枯らして、よく燃え、よく働いた一日が、安らかな眠りを誘う。人生を完全燃焼で謳歌して、燃え尽きよう。それが安らかな永眠をさそう。 

 それを消す友となってはならない。燃えない生木ほど、扱いにくいものはない。死ぬときに、生木を割くような苦しみを味わう。死ぬときは、枯木のように自然に倒れれば、苦しみもない。

 

師友、死友

 いつもは師と仰ぎ、時には友として諫言もする。そんな仲が師友である。

 生は偶然だが、死は必然である。師友も何時かは必ず死ぬ。その師の志を継ぐのが死友である。死ぬ命を抱えて使命を全うするために生きるのが、死友である。

 何のために生物は死ぬのか。劣化した生命体を殺して、その遺伝子を新しい生につなげて、その遺伝子を継続させるためである。その生命体がいつまでも死ななければ、成長がない。

 カマキリのオスは、生殖が終わると、メスに頭から喰われてしまう。それも喜んで喰われている。喰われたオスの体がメスに宿った子の栄養となり、子孫が繁栄する。その時、脳内に麻薬成分が分泌されて、痛みはないようだ。それが自然界の仕組みである。生命体が「継続」をする姿である。我々も、喜んで子孫のために、為すべきことをして死のう。

 

2021-05-07   久志能幾研究所通信 2012   小田泰仙

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