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2021年5月

2021年5月 6日 (木)

語感で洗脳 「ご苦労様」は上から視線?

 

 言葉は言霊といって、人の魂が籠っている。言葉が人を元気し、言葉が元気をなくさせる。ヒトラーは演説で同じ言葉を何回も使い、ドイツ国民を洗脳した。だから使い方次第で、言葉は凶器にもなる。ご注意を。

 

「潜友」

 その言葉を一番多く浴びるのは、自分自身である。だから後向きの言葉は、決して使ってはならない。後ろ向きの言葉を常用する友は、「潜友」だ。「後友」だ。付き合うと人生を潜水させてしまう。後ろ向きの言葉で後ろ髪を引かれ、チャンスを逃す。

 できなくても、できると言って、自分の脳を洗脳しよう。

 

洗脳

 仕事をしてもらった相手に「ご苦労様」は、上司が部下に言うように感じる。上から視線を感じる。

 また「ご苦労様」では、簡単な仕事でも、「俺は苦労をした」と洗脳されてしまう。「そんなレベルの仕事は苦労にも入らない」と自己暗示をすべきなのだ。そうすれば能力が向上する。

 

 「お疲れ様」と言うと、それは相手への洗脳教育のように見える。「貴方は疲れている 貴方は疲れている」と暗示をかけているように感じる。俺は元気だ、それを「貴方は疲れている」と決めつけるように言われるのは不愉快と感じる人もいる。

 

 「お元気様です」は少し構えた表現で、少し違和感がある。

 この場合「ありがとうございます」が一番無難のようだ。

 

冒頭の挨拶

 手紙やメールの冒頭で、「いつもお世話になっております」とは、私は滅多に書かない。末尾に「よろしくお願いします。」とも書かない。それは無意味な言葉で、時間の無駄だからだ。

 それを書いてくる手紙やメールを見ると、「俺はあんたの世話などしていない。それは嫌味かよ!」と勘ぐってしまう。で、要件は何だ?と言いたくなる。

 一行の文を読むのにも、命の時間を使っている。だから私の手紙は単刀直入に要件を冒頭に書く。私は、手紙に伝えたい要件だけを、簡潔に無駄なく全精力をかけて書く。そのための推敲に時間をかける。相手に時間を使わせないことが、最大の誠意である。それがご縁のあった相手への感謝の伝達である。

 感謝の念こそ、運命の扉を開く鍵である。運命の女神はしずしずと現れる。感謝の念がないと、通り過ぎていく女神の心を射ることはできぬ。感動したことに「感謝」とは、「感」じたことを「言」葉で「射」るのだ。

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         馬場恵峰書

戦争と平和

 毛筆の礼状では話が別である。それは和の道である。和の道では、心を伝えるのでも道草をすればよい。それが情緒である。私はビジネス戦争では、電子メール銃を撃ちまくる。私はそれから転戦して、別世界の芸術界では、パソコン機関銃を毛筆銃に持ち代えて、毛筆の手紙で相手の心を撃つ。

 

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心筆

 私はこの10年間、馬場恵峰先生への手紙をすべて毛筆で書いた。緊張して心を込めて手紙を書いた。ワープロで文面を作り、それから清書である。なにせ相手は書道の先生である。先生曰く「書は、下手でも丁寧に心を込めて書けば、誠意が伝わる」。

 しかし敵は私より上手で、恵峰先生の巻物の毛筆礼状と三根子奥様の毎回違うカラフルな和紙の毛筆手紙が交互にやってくる。返信にも恵峰先生ご夫婦の役割分担があるようで、毛筆の銃撃戦では当方の完敗である。

 その文面に「いつもお世話になっております」等の軽薄な言葉はない。文面に相手を思う心が溢れている。美辞麗句を並べなくても、毛筆で書いてあるだけで、私の心を撃ちぬく。

 恵峰先生の巻物の礼状は我家のお宝である。

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 馬場恵峰先生からのお見舞いの巻物手紙  

 

2021-05-06  久志能幾研究所通信 2011 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年5月 5日 (水)

大垣市、餓鬼状態で寄付金集め(2/2)狡猾手口

 

 以下、大垣市が餓鬼のように寄付金を集めている実態を列挙する。寄付集金団体は、大垣市の外部団体で、天下り先である。役人はこの70年間をかけて、自分達の待遇を良くする取り組みをして大垣市が半強制的に寄付を集めている事項を記す。

 今のままで異常な状態を国民が知らないと、日本国が壊れてしまう。

 

寄付金集金体制を構築

 各寄付金の募集団体は、役人の天下り先機関になっている。役人は天下り先で、高給を取って更に高額の退職金を得ている。だから大垣市はこの寄付金集金システムが止められない。止らない。それは既得権。それが税金の無駄遣いである。

 大垣市民は、義務として市民税、県民税、国税を納めている。行政はその予算内で福祉、森林整備、公共施設を整備するのが当然の義務である。個別の寄付の強制は税金の二重取りである。まるで「3000円ポッキり」と客引きに引きずり込まれたキャバレーで、追加料金をふんだくられているようなものだ。

 

赤十字社の寄付   500円

 強制ではないと宣言しながら、目標金額は3億円と明示している。この金額から逆算すると、岐阜県全世帯の78%の家庭から寄付金を集める試算である。

 請求者が「日本赤十字社岐阜県支部大垣市地区長」とあるが、誰が地区長なのだ。それが明記していなくて、黙って金を出せである。これほど市民を愚弄するものはない。

 なぜ日本赤十字社の活動が、政府の活動ではないのか。本来、赤十字社の仕事は政府からの100%予算でやるべき仕事である。そのために国の税金を徴収していながら、なぜさらに寄付に頼るのか。

 

日本赤十字社の実態

 日本赤十字社の実態は、役人の天下り機関である。義援金の配分も官僚の論理が前面に出て運営されている。

 (2011年3月11日に大震災が起きて)、6月時点で、2,523億円が日本赤十字社に義援金として集まったが、被災者に渡ったのはわずか370億円しかない。(週刊新潮 2011年6月16日号)

 そのため史上まれなる大震災が起きても人ごとのように役人の醜態が演じられていた。

 

ピンハネ

 大震災が起きて、義援金を日本赤十字社に送ると、2割がピンハネされて被災地に送られる。私はその実態を東北の知人から教えてもらって、先の東日本大震災の時、直接被災地(山田町)に義援金の送り先を変えた。

 大災害が起きると、日本赤十字本社がある街の飲み屋街が大繁盛するという噂がある。それを報じた週刊誌に、圧力がかかり、続報が抹殺されたという。

 

寄付は強制

 日本赤十字社は「会費の納入は決して強制ではありません」と言うが、大垣市から各自治会へ寄付の要請があれば、自治会の各班長が各家を集金で回る。班長が集金に来れば、世間体として出さないわけにはいかかない。実質、強制である。

 日本赤十字社の寄付では、寄付金総額の7%が、集金に協力した連合自治会にキャッシュバックされる。連合自治会内でのその使用用途は曖昧である。キャッシュバックを期待して各自治会役員は日本赤十字社の寄付金を集めているわけではない。裏切り行為である。

 またその寄付金は自治会費から、自治会住民の数分だけ勝手に大垣市に納金される。だから自治会住民はその実態を知らず寄付金を支出することになる。

 本件のような寄付集めは、憲法違反との最高裁判例が出ている。それにも関わらず、餓鬼状態の大垣市は寄付金集めを止めない。大垣の恥である。

 当町では、自治会から「寄付は自由」との通知があったので、今まで100%の家が寄付していたのが、現在は約75%だけの家が寄付するように変化した。

 

 

大垣市新市庁舎建設のため募金

大垣市新市庁舎前の「丸の内公園」整備のため募金

 大垣市は県下一財政が豊かで、大垣市新市庁舎建設の予算が正式についているのに、なぜ追加で市民の寄付を強要するのか。衰退の一途の大垣市が建てた新市庁舎は、県下一豪華である。岐阜市のそれより2割も豪華である。市民一人当たりの負担金は、大垣市の新市庁舎が県下で一番多い。大垣行政は狂っている。

 この寄付先の名簿を見ると、大垣市との癒着が疑われる企業が多い。

 

緑の羽募金     100円

 緑の羽募金の使用用途が国土の森林管理なら、政府からの100%予算でやるべき仕事である。

 

赤い羽根募金 + 年末助けあい募金 400円

 これは国の福祉政策の一環事業である。税金を集めながら、なぜ寄付に頼るのか。これも自治会から直接、市に払われるので、自治会住民は実態を知らない。

 政府は社会福祉に使うと宣言して消費税を8%に上げたではないか。税金を集めておきながら、なぜ寄付に頼る。

 

カーネーション募金

 これも本来、大垣が行政の義務としてやるべき事業。

 

社会協議会負担金

 これも本来、大垣が行政の義務としてやるべき事業である。わざわざ社会協議会を外部団体にて、経費を余分に使っている。なぜ大垣市組織と一元管理できないのか。

 

青少年育成推進費(寄付として強制的)

  これも本来、大垣が行政の義務としてやるべき事業。また本来の目的は、青少年を性犯罪から守ることが趣旨である。それが現在は逸脱している。

 

大垣市制100周年記念行事のため募金

 無駄で無意味な大垣市制100周年記念行事に、大垣市は3億5千万円も散財した。その1割でも節約すれば、赤い羽根募金、年末助けあいの募金額が賄える(400円×67,629世帯=約2千7百万円)。ところが、それも当初の3億円予算から、いつの間にか3億5千万円に増額されていた。大垣市の役人は、市民の金を自分のモノとして使いたい放題である。

 その翌年の大垣市の公示地価は下落である。この下落は20年続いている大垣市の公示地価は、20年前の公示地価から半分以下に暴落した。

 ご丁寧に、大垣市制100周年記念行事の会計報告はマル秘扱いで、公開されていない。大垣市議会で議員から質問を受け、当時の大垣市長・小川敏が「大垣市特別条令」を盾に会計報告の公開をそっけなく拒否した。汚職の匂いがプンプンである。

 

下図は日本赤十字社「実施のしおり」より

 なぜ責任者名が書いてないのか?

  後から責任を追及されるのが怖いのか。

 この目標額3億円は、岐阜県内の世帯数769,678(平成31年2月1日)より割り出された金額と推定した。全世帯の78%から集金するという仮定である。

 この「実施しおり」では「会費の納入は決して強制ではありません」と記載されているが、自治会を通した集金方法では実質的に強制となる。だから集金した団体に、大垣地区長の小川敏が「ご褒美として」キャッシュバックを実施している。

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 この目標額3億円は、岐阜県内の世帯数769,678(平成31年2月1日)より割り出された金額と推定した。全世帯の78%から集金するという仮定である。

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 日本赤十字社は「会費の納入は決して強制ではありません」と言うが、大垣市から各自治会へ寄付の要請があれば、自治会の各班長が各家を集金で回る。班長が集金に来れば、世間体として出さないわけにはいかかない。実質、強制である。

 

2021-05-05  久志能幾研究所通信 2010 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

大垣市、餓鬼状態で寄付金集め(1/2)末路

大餓鬼の死神、餓鬼状態で寄付金カツアゲ

 

官が富み、民は貧乏に

 大垣市の言いなりに寄付をしては、市民が貧乏になる。今は官が肥えて、民が貧乏になっている。大垣市民の平均年収の2倍以上の給与を大垣市の役人は貰っている。それもお手盛りである。大垣市の役人の給与は、岐阜市のそれを抜いて、県下一の高給である。

 役人の給与が安いというのは、40年前の話である。役人は、この40年間で少しずつ天下り先の外部団体を作り、利得を拡大してきた。それが今の寄付金集金システムである。

 その結末として、役人が公僕が私僕の利己主義に走り、結果として日本と大垣の衰退になった。私僕の政治屋がこの「失われた30年」を作った。政治家と行政家は結果が総てである

 

役人の罪

 今の役人は利己主義に陥り、公僕としての意識が希薄になっている。それが日本衰退の一因である。日本政府や地方の役人が進路を誤れば、日本や地方都市が衰退しても当然である。

 大垣市の市民税は、刈谷市のそれより年間で10万円も高い。それでいて大垣市の公示地価は、小川敏が市長に就任してからこの20年間で半値以下に暴落している。全国の地方都市の公示地価の平均値はこの20年間で10%ほどの下落である。それに比較すると、大垣市の下落率は異常すぎる。

 それに対して刈谷市の公示地価は、10パーセントも上昇である。その分、大垣市民は貧乏になり、刈谷市民は豊かになった。リニア景気に湧く名古屋近辺は、公示地価が上がり、豊かになった。中央政府に影響力の無力な大垣市は貧乏になった。

 

我々が為すこと

 それを改革する一歩は、お上から命令される寄付金の見直しからである。日本復活の為、もっと目を見開かねばならぬ。気を付けよう、天下り役人が我々の財布を狙っている。

 自分の財布は自分で守ろう。

 大野耐一曰く「自分の城は自分で守れ」。

 大垣市行政は、大垣市民を守ってはくれない。

 大野耐一はトヨタ自動車の元副社長。彼がかんばんシステムを始めとするトヨタ生産システムを作った。

 

 毎年5月には、大垣市から日本赤十字社大垣地区長から寄付の恒例の強制集金通知が回って来る。その他の寄付も目白押しである。大垣市は寄付金の集金に餓鬼のように狂騒している。大垣市の一般会計に占める寄付金比率は他市に比べて異常に高い。予算規模が同規模の刈谷市の400倍の寄付金依存度である。岐阜市のそれと比べても、10倍の依存度である。こんな恥知らずの都市はない。大垣市は奪う都市で、与えてくれる都市ではない。

 令和3年度の予算では、更に寄付金依存度が上がった。

 

     令和2年度 予算

      一般会計収入    うち寄付金額 比率

大垣市    603億6000万円  7.24億円  1.20%

岐阜市   1790億1000万円  2.10億円  0.12%

多治見市   417億5368万円  0.64億円  0.15%

高山市    422億3779万円  0.06億円  0.014%

刈谷市    607億8000万円    0.02億円     0.003%

高崎市   1655億2000万円  1.30億円  0.078%

 

 新型コロナ禍真っ最中の先年10月には、「丸の内公園」整備への寄附金を募集した。新型コロナ禍の非常事態宣言下、市民は失業したり、仕事が激減したりして、収入が激減している。その状態で、大垣市民に寄付として「金を出せ」である。逆に市民に援助をしなければならない状態で、大垣市は高利貸しの督促のように、寄付金を集める。大垣市役所への出入りの業者には無言の圧力である。まるで「大餓鬼死」の死神のようだ。その大垣市の新型コロナ禍での市民への支援金は、海津市の10分の1という情けなさである。

 

大垣没落の真因

 大垣市の公示地価は、この小川敏市政になって20年間で半分以下に暴落した。公示地価はその都市の実力、価値、成長性、等を表す指標である。市場の評価は神の如くである(松下幸之助翁)。だから大垣の没落は神からの死刑宣告である。

 

 大垣が没落した真因は、大垣市政が市民から奪うだけで、与えなかったからだ。税金で他市よりも多く奪い、寄付という名で金を奪ったが、それに対して、ほんのちょっとだけしか市民に還元しなかった。海津市の10分の1というコロナ支援金の支給額がその答えだ。それで潤い、肥えたのは役人だけである。なんでコロナの影響ない役人まで、政府の支援金10万円がいくのか。大垣市の寄付金依存体制は氷山の一角でそれが全てを語っている。一事が万事である。

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 「広報おおがき」2020年10月1日号 

 

2021-05-05 久志能幾研究所通信 2009 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年5月 4日 (火)

亡国の大垣市政は、サル化した予算を組んだ

サル化した大垣市政

 今さえよければいい、自分さえよければそれでいい、という考えが大垣市政に蔓延している。新型コロナより怖しい症状だ。

 

新年度予算が可決

 令和3年3月16日に、大垣市の新年度予算が可決された。その内容は、亡国につながる予算である。

 大垣市の新年度予算は、総合計でマイナス3.4%だが、教育費が前年比でマイナス11.4%である。サル化した狂った予算である。

 現在でも、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低なのに、教育費を前年比マイナス11.4%に削減するとは、狂気のサル化政策である。今さえよければいい、自分さえよければそれでいい、教育は自分達に関係ない、という考えが明白である。

 

 大垣市令和3年度予算 歳出

R31   「広報おおがき」より

 

少子化問題

 大垣と日本の最大課題が、少子化問題である。それを解決するには、教育費に金をつぎ込むしかない。

 その効果は、フランスが「住居と教育・保育行政は節約しない」方針で少子化政策を進めて、成功していることで証明される。2017年、フランスは先進国の中でも高い合計特殊出生率1.88を示した。その6割が、結婚していない親からの出生である。

 要は安心して結婚し子供が生める環境を作れば、子供が増えて少子化にストップをかけられることをフランスの政策は証明した。

 

日本の人口

 日本で出生率が上がったのは、高度経済成長期の1970年代であった。未来は収入が増えると皆が予想し、国民は希望を持って子供を産めた。

 それが今は、政府と大垣市の愚策で、未来が真っ黒けのケなのだ。それでは子供を産めるわけがない。利権を手放さない役人は、その政策に舵を取れないのだ。だから日本と大垣はゆでガエル状態で、衰退である。その利権の象徴が寄付集金団体である。

 

 あろうことか、大垣市は令和3年度の予算で真っ先に教育費を削った。大垣市政界には亡国の政治屋が蠢いている。

 この4月に大垣市長になった石田仁は、小川敏の政策を踏襲すると明言した。大垣市の未来は真っ黒け、である。

 小川敏の20年間の愚政で、大垣市の総財産(公示地価)は半分以下に激減した。それに対して、名古屋市は45%も、刈谷市は10パーセントも上昇している。

 そんな愚策の市政を踏襲してどうするのだ! 公示地価は市政の通信簿である。

 

大垣市の地価推移(2001年以降)

 2001年の地価を100として2018年の地価は

  (公示地価、基準地価の総平均)2001年より小川敏氏が市長就任

 大垣市  49.5

 岐阜市  64.4

 一宮市  75.0

 名古屋市 145.1

 大府市  90.2

 刈谷市  107.2

 安城市  99.0

 岡崎市  94.3

  

2021-05-04 久志能幾研究所通信 2008 小田泰仙

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2021年5月 3日 (月)

安さに目が眩んで、遠方の食堂に行くべからず

 

 安いから、うまいからと言って遠方の食堂に行くべからず。ハイブリッド車で燃費がよいからと言っても、遠方へのお出かけは、時間の無駄がある。遠くのレストランに車で出かければ、1分100円のコストがかかる。安いという700円の食事でも、その場所に行くのに10分間も余分にかかれば、往復で2000円のコストアップである。事故の恐れも増える。時間コストより、命の時間がもったいない。

 また安い料理にも、ワケがあるようだ。料理を激安にするには、劇的な対応が必要だ。それが健康にどういう影響があるかは不明である。

 

  〔事故発生件数〕=〔走行時の事故率〕×〔走行距離〕 

 

 どんなに注意しても一定の距離を走ると、上記の式の確率で事故は発生する。その対策として、自分の運転技量を上げ、この事故率の数値を小さくすること。そして走行距離を少なくして事故の確率を下げることが、交通事故防止である。絶対原則は、運転しなければ交通事故は発生しない。

 

 ある人と週に2回ほど、ある期間、同乗して遠方のレストランに通った。その間で2回、ドッキとした重大事故寸前の事態に遭遇した。私が試験車運転資格(テストドライバー資格)を取ってからこの約20年間で、自分で運転し、同乗した中で、初めての事態であった。ハインリッヒの法則から、異常事態である。このままでは近い将来、重大事故が起きると確信した。対策が必要であった。

 

ハインリッヒの法則

 ハインリッヒの法則は、労働災害における経験則の一つである。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常(ヒヤリ・ハット)が存在するというもの。「ハインリッヒの災害トライアングル定理」または「傷害四角錐」とも呼ばれる。(wikipediaより)

 

宝くじ

 交通事故は宝くじと良く似ている。当たれば大きい。死亡事故の確率と1億円の宝くじが当たる確率はほぼ同じである。

 私の前職場で、数千円の経費節約のため、遠距離出張に、電車よりも業務用車での出張を指示する管理職がいた。これは部下に対する配慮の欠如である。この宝くじ購入金額と同等の数千円で、「安全」と「時間」が買えるのであるから、そうしないのは宝くじの1等当選を期待しているのと同じである。また「時間を稼ぐ」という意識が欠如した思想である。電車で行けば、安全で、車中で書類も読めるし、疲れも少ない。送りだすほうの職制も、交通事故に関して安心していられる(まてよ新型コロナに感染したら..... 最近は悩ましい。)

 

 貧乏性は、僅かの金をケチッて、事故を起こす確率を高める。この根性では、心の富者にはなれない。また運転に疲れた頭・体で、ビジネスに赴いても成果は知れたもの。管理職の立場で部下を見る時、この時間で本の数頁でも目を通してくれたら、部下の教育として節約以上の効果があると思う。なにせこの間には、電話はかかってこない。

 

2021-05-03 久志能幾研究所通信 2007 小田泰仙

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2021年5月 2日 (日)

ホテルの「おもてなし」ナシ

 

 私はビジネスホテルを、「仕事の前夜、ビジネスマンが仕事の準備をする場所」と考えていた。ところが、「馬場恵峰先生を偲ぶ会」に参加するため、某ホテルに宿泊したら、その部屋の「おもてなし」無し状態に呆れた。部屋の机の上が、備品で溢れていて、ノートパソコンや書類を出して仕事をするスペースがない! これはビジネスホテル失格である。

 ビジネスホテルの「おもてなし」とは、仕事環境を提供する、である。

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ホテルへの不満

 なぜヘアドライヤーが机の上にあるのか。なぜバスルームに置かないのか。

 なぜテレビのリモコンが机の上にあるのか。

 そもそも机の上にテレビが大きな顔をして鎮座しているのが気に食わない。

 私はテレビの電源は滅多には入れない。ニュースは新聞かPCで確認する。今のテレビはロクな番組を放映していないからだ。ビジネスでホテルに泊まる仕事人は、ホテルでテレビなど見ない。ビジネスマンは、ニュース等はパソコンで見る。テレビなど撤去しても良いと思う。

  なぜ湯沸かしポットが机の上にあるのか。なぜサイドテーブルに置かないのだ。

 カップもティーバッグも同様である。今時、ホテルの部屋でお茶など飲まない。置くなら、コーヒーパックを置くべきだ。

 なにせ、このホテルは、無料のペットボトル水を置いていない。以前は無料のペットボトルが置いてあったが、経費削減でなくなってしまった。情けないホテルだ。

 なぜティシュボックスが机の上にあるのか。ティシュボックスは今までは、ベッドの横に置いてあった。

 ホテルの案内ファイルは机の引き出しに入れておけばよい。

 常識でわかる。

 

それで机の上を大整理した。その状態が下図。

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  机上をかたづけた後の状態

 

 整理整頓するにも、時間と手間がかかる。その分、私の命の時間が無駄になる。時間は命なのだ。ビジネスホテルの部屋内は5S(整理整頓清潔清掃)でありたい。そういうホテルを選択したい。

 

2021-05-02 久志能幾研究所通信 2006 小田泰仙

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2021年5月 1日 (土)

恵峰先生はバカ、私はその上を行く大バカ

 

 馬場恵峰先生は、「巻物にいくら書いても売れない。こんなに書を書く私はバカなのだ。それをわざわざ大垣から来て、写真撮影する小田さんは大バカなのだ。お互いにバカだから道友である」とよく言われた。それは馬場恵峰先生の私への最大の賛辞であった。

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 馬場恵峰遺作展 「シーハットおおむら」さくらホームで

 100メートル巻物と50メートル巻物   2021年4月24日 

  100メートル巻物は恵峰先生が2年がかりで書かれた。

P1000088s1  100メートル巻物の撮影風景      2016‎年‎11‎月‎29‎日

  5人がかりで撮影。一人では100メートル巻物を取り扱えない。

  それも撮影に失敗があり3回訪問して撮影し直した。

      その撮り直しも、2回目は1回目の1週間後に飛んで行ったので、三根子奥様が呆れていた。

P1080226s  「奥の細道 全集」の撮影風景  先生の図書館にて     2016‎年‎5‎月‎24‎日

 

 2006年から2012年まで明徳塾で大阪の箕面市に月一で出かけ、2011年頃から、月に一度、長崎の先生宅に写真撮影に出向くようになり、この約10年間で計120回ほど先生宅に行った計算だ。一回の費用が、交通費、宿泊費、お土産等で7万円ほどかかる。それでこの10年間で交通費だけで800万円ほど使ったことになる。明徳塾の費用を入れれば優に一千万円を超える。決して後悔をしていない。今にして良かったと思う。

 苦労して撮影して、本として出版しても、売れたのはせいぜい50部とか100部である。だから出版では大赤字である。それでも写真撮影と出版を止めないのは、儲ける為ではなく、出版してデータベース日本書籍目録に登録し、国会図書館に納品して、馬場恵峰の書を記録として後世に残すためである。

 

 恵峰先生は中国に260回以上も旅行されている。全て自費である。一回30万円の旅費としても7800万円が消えている。金は消えても、形あるモノは残っていない。しかしご縁と智慧が残ったと言われる。それから見れば、私は先生のご縁と智慧の1/100くらいを習得できたのかもしれない。

 

 その間に私が収集した恵峰先生の掛け軸が57本である。色紙や額書や板書を入れるともっと膨大な数になる。個人収集では、大村市の日中文化資料館以外で、私の家が日本最大の馬場恵峰書資料館になったようだ。格上の男に惚れると金がかかる。こんな超ハイレベルの師には二度と会えないと思う。私は良き師に出会えて幸せであった。

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  座敷に掲示の掛け軸、屏風の書は全て馬場恵峰書

 

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度胸智

 今まで恵峰先生の掛け軸を躊躇なく入手したのは、今までに「高価な」絵画を買って「買う度胸」を積んできた経験智があるからだ。「高価な」とは、私にとって高価であって、市場ではごみみたいなものだ。10万円の絵でも私には高価である。デパートでの絵画販売を数多く見てきた目には、恵峰先生の掛け軸は安く感じる。それは恵峰先生が金儲けの為ではなく、後世の子弟の為の教育資材として書き残しているからだ。それも「小田さん価格」で激安で分けてもらっている。

 

人生経営も芸術

 芸術との出会いは一期一会である。その時、買う決断をしないと、二度とは手に入らない。経営も芸術である。何処にもない独創的な経営は芸術である。その人生経営をする師は芸術家である。その師との出会いも一期一会である。

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 馬場恵峰書  2013年頃の作品

 書はワープロではないので、決して同じ書体では書かない。同じ「一」でも書き方を変えて書く。

 

2021-05-01 久志能幾研究所通信 2005 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。