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2021年5月 1日 (土)

恵峰先生はバカ、私はその上を行く大バカ

 

 馬場恵峰先生は、「巻物にいくら書いても売れない。こんなに書を書く私はバカなのだ。それをわざわざ大垣から来て、写真撮影する小田さんは大バカなのだ。お互いにバカだから道友である」とよく言われた。それは馬場恵峰先生の私への最大の賛辞であった。

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 馬場恵峰遺作展 「シーハットおおむら」さくらホームで

 100メートル巻物と50メートル巻物   2021年4月24日 

  100メートル巻物は恵峰先生が2年がかりで書かれた。

P1000088s1  100メートル巻物の撮影風景      2016‎年‎11‎月‎29‎日

  5人がかりで撮影。一人では100メートル巻物を取り扱えない。

  それも撮影に失敗があり3回訪問して撮影し直した。

      その撮り直しも、2回目は1回目の1週間後に飛んで行ったので、三根子奥様が呆れていた。

P1080226s  「奥の細道 全集」の撮影風景  先生の図書館にて     2016‎年‎5‎月‎24‎日

 

 2006年から2012年まで明徳塾で大阪の箕面市に月一で出かけ、2011年頃から、月に一度、長崎の先生宅に写真撮影に出向くようになり、この約10年間で計120回ほど先生宅に行った計算だ。一回の費用が、交通費、宿泊費、お土産等で7万円ほどかかる。それでこの10年間で交通費だけで800万円ほど使ったことになる。明徳塾の費用を入れれば優に一千万円を超える。決して後悔をしていない。今にして良かったと思う。

 苦労して撮影して、本として出版しても、売れたのはせいぜい50部とか100部である。だから出版では大赤字である。それでも写真撮影と出版を止めないのは、儲ける為ではなく、出版してデータベース日本書籍目録に登録し、国会図書館に納品して、馬場恵峰の書を記録として後世に残すためである。

 

 恵峰先生は中国に260回以上も旅行されている。全て自費である。一回30万円の旅費としても7800万円が消えている。金は消えても、形あるモノは残っていない。しかしご縁と智慧が残ったと言われる。それから見れば、私は先生のご縁と智慧の1/100くらいを習得できたのかもしれない。

 

 その間に私が収集した恵峰先生の掛け軸が57本である。色紙や額書や板書を入れるともっと膨大な数になる。個人収集では、大村市の日中文化資料館以外で、私の家が日本最大の馬場恵峰書資料館になったようだ。格上の男に惚れると金がかかる。こんな超ハイレベルの師には二度と会えないと思う。私は良き師に出会えて幸せであった。

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  座敷に掲示の掛け軸、屏風の書は全て馬場恵峰書

 

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度胸智

 今まで恵峰先生の掛け軸を躊躇なく入手したのは、今までに「高価な」絵画を買って「買う度胸」を積んできた経験智があるからだ。「高価な」とは、私にとって高価であって、市場ではごみみたいなものだ。10万円の絵でも私には高価である。デパートでの絵画販売を数多く見てきた目には、恵峰先生の掛け軸は安く感じる。それは恵峰先生が金儲けの為ではなく、後世の子弟の為の教育資材として書き残しているからだ。それも「小田さん価格」で激安で分けてもらっている。

 

人生経営も芸術

 芸術との出会いは一期一会である。その時、買う決断をしないと、二度とは手に入らない。経営も芸術である。何処にもない独創的な経営は芸術である。その人生経営をする師は芸術家である。その師との出会いも一期一会である。

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 馬場恵峰書  2013年頃の作品

 書はワープロではないので、決して同じ書体では書かない。同じ「一」でも書き方を変えて書く。

 

2021-05-01 久志能幾研究所通信 2005 小田泰仙

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