« 餌に釣られたカナリアは下痢をする | メイン | 森羅万象を師としよう (磨墨知408) »

2021年5月15日 (土)

自分を見る目

 

 下記は馬場恵峰先生89歳(2015年)の時のエピソードである。

 

 恵峰先生は、原田観峰師より「自分を外に放り投げて、自分を外から眺められる人間になれ」と指導されたという。自分を客観的に見つめることの難しさは、己に欲がある限り困難を極める。

 

 高野山開山1200年の年に納佛された四天王は、その中門を通ると、上から自分を睨みつける四天王の目つきに圧倒される。そんな目で、自分の行動を見つめるのも、道を誤らない方法であろう。

039a0681s

 松本明慶大仏師作 広目天  高野山中門 2015年4月25日撮影

 

自己への問い

 欲に任せて生きていけば、利己の花しか咲かない。縁ある花は開かない。欲無くして生きては、花も咲かないし、実も結ばない。欲を無くしたら、人間ではない。せめて良き欲を持とう。

 「花を開かせたなら、実を結ぶ人間になれ」と恵峰先生は耳にたこができるほど毎回、力説される。

 

 自分を外から見て、上から観て、次のように問いかけられたらどう答えるか。

 「あんたは何のために生きているのか? 何の花を咲かせたいのか? どんな実を結びたいのか? あんたいくら若くても、何時かは(50年後?)あなたも死ぬ身だ。今からどう生きるのだ。死ぬとき、今のままで悔いはないのか?」

 

自分の過去の境遇

 私の家のお墓を作る過程で、自分とご先祖と回りの親戚の葛藤や軋轢に接することが多くあった。なぜ、あの親戚達は愚かな行動を取るのかが不思議であった。家系図を頭の隅に置き、自分を離れて客観的にその状況を観察すると、彼らの生い立ち、生まれ育った環境、現在に状況が見えてきた。そして自分がよき親、よき師、恵まれた環境で生かされてきた状況が分かった。両親ご先祖に手を合わさずにはおられない。還暦を過ぎ、お墓を作って新たに得た感慨である。

 

恵峰先生の最後の言葉

 その恵峰先生の言葉で最近多いのが、「私も89歳で、何時までも皆さんにお話が出来るわけではない。だからこそキツイ言葉も吐くが許して頂きたい」である。当日の午前中に国立病院で定期診察に行かれて、異常なしとの診断を受けての言葉である。89歳の御歳で血圧も正常との驚異的な健康体である。それでも80歳の時に初めてお会いしたときの若さに比べれば老いられた。

 

 「何時までもあると思うな、親と金」は、全ての森羅万象に通じる。万年の寿命と思われたお墓にも100年ほどの命しかないことを、今回のお墓つくりで思い知った。ましてや生身の人間の命は儚い。だからこそ今の命を大事にして生きるべきだとの思いを強くした。少しでも恵峰先生から多く学んでおきたいと思う。

 2015年12月14日、恵峰先生宅を墓開眼法要のお礼挨拶と先生の書の写真撮影、書道教室参加のため訪問した。その夜が月書会の忘年会があり書道教室はお休みとのことで、急遽、忘年会に参加をさせていただいた。その忘年会での恵峰先生の挨拶で、上記の原田観峰師の話を聞かされ上記に思い至った。

 

  次図の歌の意味は、「月松会に集う皆さんは鶴と亀なんだ。心技を修めて、体の栄養だけではなく、頭の栄養を永久の壽の糧として欲しい」である。

 この歌を当日の朝、忘年会に参加するお弟子さんのため15枚の色紙に自作の和歌を揮毫された。15枚の色紙は全て書き方が異なって書かれた。

1

   恵峰先生宅で見つけた色紙  2015年12月14日

8

  忘年会での挨拶   2015年12月14日   「天新」にて

7

やまざとに 

集う月松 

鶴亀は 

心技おさめて 

永壽の糧たり

9

忘年会で色紙の説明をされる恵峰先生  20151214

2021-05-15  久志能幾研究所通信 2020 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント

コメントを投稿