死友を求む ~死本主義社会で格差が拡大~
真友? 仲友? 師友? 道友?
群友? 損友? 潰友? 毒友?
人は必ず死ぬ。死は必然だが、生は偶然である。友とのご縁も偶然である。それを前提に生きる場合、どんな友が最高なのか? 友にも格がある。友は、自分に見合った友しか現れない。だからこそ魂の昇華のため精進しなければならぬ。
「命」とは死ぬまでに与えられた時間の総量である。毎日が死に向かって「前進」している。死に対して、後退はあり得ない。必ず死に向かって前進である。それを加齢という。その間にどれだけ使命を全うできるかが、人生ゲームの勝負である。その競争相手は自分である。その人生ゲームで友と過ごす時間は多い。その時間の活用如何が人生ゲームの勝敗を分ける。
死友
死友とは、生には限りがあることを覚悟して、道を求めて、共に生きてきた友である。死の床にあって、涙を流して悲しんでくれる人が、真の友である。「死友」である。
馬場恵峰先生は死の床にあって、涙を流して私の手を握って喜んでくれた。
2020年12月21日、恵峰先生宅をお見舞いで滞在していたら、珍しく恵峰先生の意識がしっかりしてお話ができた。11月と12月で一泊2日の4回、お見舞いに先生宅を訪問したが、そのうち先生に意識があったのは8回のうちで3回ほどである。
それを博多のO社長に電話で話したら、1時間半後にO社長が先生宅に現れて驚嘆した。O社長は電話の後、すぐ車を飛ばして来たのだ。その決断力に敬服である。
O社長は泣きじゃくりながらベッド上の恵峰先生と抱きあった。思わず私ももらい泣きをした。そこまで心を通い合わせたのが死友である。そんな死友に恵まれて恵峰先生は幸せであった。
道友
2014年10月の大島修治氏主催の太志塾で、馬場恵峰先生は参加した皆さんに希望の書を揮毫して進呈した。その色紙に書かれた宛名の言葉が「〇〇〇〇道友」である。この時、初めて「道友」という言葉に出会えた。よい言葉である。言葉も友である。良き「友」に出会えて、それを皆さんに紹介すると、自分の人生が豊かになる。言葉が人生を創る。
書友
恵峰先生の手紙の中で、「書友」という言葉頻繁にでてくる。書道を通して、人間としての生き方を学ぶ友である。
仲友
親友以上に価値ある友は、仲間である。同じ目的や同じ趣味で集まった仲間である。べたべたせず付き合えて、親友よりも価値がある。
師友
安岡正篤師が主催の「関西師友会」でこの「師友」という名を知った。これも良き名前である。
潰友
大変な時(病気等)、気をかけてくれなかったら、友ではない。単なる社交辞令的な付き合いしかできない人である。自分の大事な時間を潰し、人生時間を無駄にする人である。
3年間程、国家試験の予備校で、同じ目標に向かって一緒に机を並べて学び、度々赤提灯で飲んだ受験仲間がいた。彼に私の癌闘病生活を話したら、「今度、お見舞いにいかねば」と言ったが、その後彼から全く連絡がない。それは外交辞令であった。
中学以来50年間、年賀状のやり取りをしていた友は、私が癌の手術をしてその年の年賀状を出せなかったら、翌年、彼から年賀状が来なかった。彼には私が癌になって手術をすることを話していた。情けない思いを味わった。今までの彼の年賀状は全て印刷物であった。
損友
人生の益(人生目的を全うするための資源)を稼ぐことを阻害する人は、損友である。お互いに刺激しあって、人生を稼がねばならぬ。
毒友?
会った時に目についた愚行を、品を変え手を変え、真摯に諫言しても、その悪癖が治らなければ毒友である。その愚行の匂いが自分の生活を脅かす。
助言とは、単なるアドレスではない。嫌われことを覚悟して命をかけて切りつける刃なのだ。その刃で返り血も浴びる。その覚悟なければ、諫言など言わない。
刃を使わなければ、長年しみ込んだ悪い習慣の匂いが、己の体にも染みついてくる。それを防いだのが孟母三遷の教えである。友なら三遷するよりも、宝刀で友の悪行を断ち切りたい。それが分かってくれなければ、毒友である。
宝刀とは、不動明王、文殊菩薩が持つ煩悩を断ち切る佛刀である。不動明王は怒りだけの佛ではない。不動明王は右手にもった宝刀で迷える衆生の煩悩を断ち切り、左手に持った羂索で、地獄に落ちそうな迷える衆生を救い上げる。その目は怒りの目ではなく、慈しみの目である。
この不動明王像の目は、遠くから見ると怒りの目であるが、近寄って懐に飛び込んで見上げると、優しい慈悲の目に変る。松本明慶大仏師師はそういう目を彫りあげた。仏像彫刻の世界にも創造がある。
松本明慶作 不動明王 TOBU百貨店「松本明慶仏像彫刻展」で
2018年4月16日
本写真は松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可を得ています。
群友
単に交際を求めて異業種交流会等に参加して知り合った人である。いくら多くの人と名刺交換をしても、そこから交流が始まったことは、私の場合には過去一度もなかった。所詮暇つぶしで集まった人たちだ。
私の尊敬する見城徹氏(幻冬舎社長)は、「GOETHE」の中で異業種交流会等には決して参加しないと断言している。
あと10年間で、何人の新友と出会えるか?
70年間生きてきて、今現在、仕事を通して新たに知り合う人は、年に10人程である。その中で、心を許して付き合える人は1人もいないだろう。
平均寿命まで10年間あるとして、あと何人と新たな出会いがあるか、限りなく少ない数に愕然とするはずだ。
だからこそ、今付き合っている友を大事にしよう。友と付き合うとは、残り少ない時間(命)を分けあっているのだ。ゆめゆめ、時間を無駄にすることなかれ。
馬場恵峰書
恵峰先生は、20枚前後の色紙に揮毫された。その色紙は全て違った色紙であった。
2021-04-20 久志能幾研究所通信 1993 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
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