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2021年3月

2021年3月12日 (金)

三婆三妖、食欲が人生を支配

 

 懇意にしている知人に、「奥さんへどうぞ」と長崎に出かけた時には、いつお手土産を買ってきて贈っている。そこで三人の老婆の反応に人生を見た。その結論は、食欲が人生を支配する、である。特に女性の老婆は、その傾向が顕著である。

 この30年で女性の乳がんの発生率が4倍になっている。他の癌も同様である。スィーツや乳製品の消費量増加と関係あるようだ。世の中は、スィーツや食べてはいけない食品のテレビCM、グルメ番組が氾濫している。政府さえもが、添加剤、防腐剤の認可問題、そのテレビ局の認可問題でやりたい放題である。要は役人の質が落ちて利権にまみれているのだ。これでは日本人の健康は守れない。この40年間で医療費が4倍になった。そんな状況で、自分を自分で守らないと、殺される。

 

P11204821  癌罹患率の年次推移  愛知県がんセンターの掲示板より

 

 A婆は、まだ現役で働いている。お産で入院した以外、病院に行ったことないという健康優良児(健康優良婆?)である。食生活も薄味の和食中心の健康そのものである。

 B婆は、病気のデパートのような方である。胃癌で胃を全摘した身である。ご主人がヒステリー気味の奥さんに手を焼いている。

 C婆は、知人の高齢の母である。

 

お土産を貰っての反応

 A婆は、贈ったお菓子(博多でグランプリを取った有名銘菓)を美味しかったと、「小田さんはまだ食べていないでしょう」とその一つをおすそ分けで呉れた。確かに、私はまだその菓子を食べたことがなかった。さすがグランプリを取ったお菓子だけあって美味しかった。

 

 B婆は、その菓子を贈った直後に、たまたまその家に用事があり、訪問した折、奥さんが「このお菓子は絶品だった」とそのまだ食べ残っている菓子箱を抱えて、食い意地の張った顔で私に言った。

 その時、私に紅茶を入れてくれたが、その菓子は茶菓子として出してくれなかった。私なら、当然として茶菓子として出すのに。もう二度と贈るまいと決めた。

 

 C婆は、「こんな菓子を食わせて、私を糖尿病にするつもりか」とその知人に文句をたらたら。しかし、枕もとに置いて置いたそのお菓子は、翌日にはいつも消えている。

 

 食欲の人格(? 食欲にも人格があると確信した)が、人徳と健康を司ることが分かって、知人にお土産を買ってきて「ご縁に投資」した甲斐があった。しかし今後、B婆、C婆へのお土産は減らそうと思う。

 そのお土産の選定でも、変な添加物、防腐剤の入っていない製品を選んで購入している。クリーム類、植物油の入った洋菓子は決して買わない。人のために買うとは、自分のために買うのだ。モノを買う、自分を買っているのだ。人生、全て学びである。

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   馬場恵峰書

2021-03-12 久志能幾研究所通信 1947 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年3月11日 (木)

スマホに洗脳された知人

 

 知人と雑談を話していたら、彼のスマホが頻繁にピッと鳴り、その度ごとに、彼は私との会話を中断してスマホを開いて画面を見つめる。その多くは雑記事の飛来通知である。

 女の友からメールがあった時は、「パーちゃんからだ」と当方の会話もそっちのけで、嬉しそうにそのメールを見いって、その返信を打ち込みだしたので、さすがに私も怒り心頭で、苦言を言った。

 以前もその人の友から電話がかかってきて、私が面前にいるのに、延々とお喋りをしだして呆れた。その会話内容を私に聞かせて、「おもしれ―奴だろう」である。私はそんなレベルの会話を聞くと鳥肌が立つ。私との会話も、そうやって人に漏らされるかもしれないと思うと恐ろしい。

 他の知人も、同じような行動パターンが多い。これが現代日本の姿なのだ。

 来客中に私に電話がかかってきたときは、「今、来客中なので、後で電話します」と言って電話を切る。

 

命の交換

 人と会うとは、その人の命の時間を頂いているのだ。外から勝手に割り込んでくる電話やメールや記事配信通知へ応答するのは、「あんたとの時間よりこちらが大事である」と通告している。目の前で私を侮辱しているのだ。そんな価値観の人とは、付き合い方を変えようと思う。その知人から得られるものより、失う時間が大きい。

 スマホが全盛になり、人はスマホに洗脳され、人の心を荒廃させた。電車に乗れば、ほぼ全員がスマホを見つめている。まるでオウム真理教の信徒がヘッドギアを付けてお勤めをしているようで異様である。

 

スマホ脳支配

 現代人は、一日に2600回以上もスマホに触り、平均すると10分に一度、スマホを手に取っている(アンデッシュ・ハンセン著『スマホ脳』(新調新書)より)。そうスマホはGAFAの狂典なのだ。GAFAが儲かるように脳を支配する洗脳の神(悪魔?)なのだ。スマホに洗脳されると、注意力は低下し、共感的配慮、対人関係の感受性が劣化するのだ。当然、学習能力と知的レベルは低下する。それでは金儲けどころではない。そんな人とは付き合いたくないが本音である。なにせ自分が相手から得るものが少ない。

 

洗脳の恐怖

 2020年4月に福岡で、ママ友に洗脳されて、母親が五歳児の我が子を餓死させた事件があった。スマホに洗脳された人は、この事件を笑えまい。餓死した児童の通夜の翌日、母親を洗脳した女とその母親が、談笑しながら一緒に買い物からマンションに戻るの姿が、近隣住民に目撃されている。それほどに洗脳は恐ろしい。それはオウム真理教の事件と同じであった。オウム真理教の犯人の中には、20年経ってもその呪縛が解けない犯人もいた。

 スマホに洗脳されると、命と同じ価値の他人の時間を奪っても、何も感じないのだ。時間は命である。人が一生で使える総時間が命である。

 かのアップルのジョブスは、自分の子供にはスマホ、iPadを与えなかった。ジョブスは、その害を熟知していたわけだ。

 

携帯は非携帯

 私が人と面談する時は、ケータイは非携帯です。最低でも、ケータイ・スマホの電源は切っておくのが、私のマナーです。最近は出かける時は、スマホを持って行かないようにした。家で着信を見て、それから電話をすればよい。それで不便は感じない。私はGAFAの奴隷にはなりたくない。

 

2021-03-11 久志能幾研究所通信 1946 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

「祈りの部屋」を新設

 

 先日、自宅の2階で、今まで使っていなかった部屋を「祈りの部屋」に改装した。今計画中の別宅の写経室とは別である。机は30年前に買って使わなくなっていたSONY 製を再利用した。当時は、SONYもオーディオのラックや事務机も作っていた。そのデザインセンスに気に入り、SONY 製のデスクを買った。

 

祈りの部屋で写経

 昨夜は0時に床に着いたが、何故か眠られず、結局、AM2時に起きだして新設の「祈りの部屋」で為写経をした。ごちゃごちゃした仕事机の上ではなく、何も置いていない写経専門の机で祈りながら、写経をすると心が落ち着く。

 

 思えば、今日は10年前に起きた東日本大震災の3月11日である。なす術もなく津波に飲まれた人たちを思うと、ひとごとではない思いが迫る。当時を思い出すと、我々は明日にも、天災・疫病・病気・事故で死ぬかしれない此の世に生きている。私は癌の再発を恐れながら生きている。今、生かされていることに感謝をした。

 祈りとは、此の世と来世をつなぐ架け橋である。祈りは、必ず霊に届けられると信じている。人は必ず死ぬ命を抱えて生きている。来世での再会を願って祈る行為が写経である。自分が使える時間こそが命なのだ。それを確認しながら、心静かに写経をして、AM4時に再度、床に入り眠りについた。

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2021-03-11 久志能幾研究所通信 1945  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年3月10日 (水)

仕事の疲れは仕事で取ろう (磨墨知147)

 

 全力で仕事をしていると楽しくなる。結果として密度の高い仕事になる。

 その仕事も質の違う仕事と組み合わせると、無駄なく時間が使える。肉体労働には休息が必要だが、頭脳労働の疲れは、別の頭脳労働をすることで取れる。頭脳では新しいことに興味を起こす物質が分泌される。

 遊びはやり過ぎると、嫌になってくる。なにか虚しい気持ちにもなる。それはやったことに対する成果がないからだ。それに対して仕事はやればやるほど面白くなってくる。その成果が見えるからだ。だから、趣味で将棋がいくら好きでも、3日も将棋ばかりやっていれば嫌になる。将棋が仕事のプロなら、話しは別である。

 

爆睡・永眠

 仕事に全力で取り組めば、夜は心地よい疲労感でバタンキューである。全力でやった仕事の疲れが、バタンキューの爆睡を誘う。それで仕事の疲れが取れる。いやいや仕事をやっていると、精神的な疲れが残り、夜に神経が高ぶり、寝られない。

 

 よく働いた一日は、安らかな眠りを誘う。

 よく働いた会社人生は、充実した林住期を恵まれる。

 

 「林住期」とは、「働きづめに働いてきた人間が、ようやく自分のやりたいことが出来るようになった時期」である。

 ちなみに人生を4つのステージに分けることを「四住期」という。これは古代インドの思想である。第一期は修行の「学生期」、第二期は家庭の主人になる「家住期」、第三期が「林住期」、第四期は一切の世間的な欲を捨て、世の中で困っている人の魂を救う「遊行期」である。この4つのステージを全て辿って死んでいく生き方こそ最も理想的だと紀元前のインド人は考えた。

 

 よく働いた一生は、安らかな永眠を賜わう。

 

 人間が長寿で死ぬのは、枯れ木が倒れるように自然である。死の恐怖も苦しみも少ない。ところが、若くして死ぬとは、生木を裂くようなもので、塗炭の苦しみを味わう。だからこそ健康に留意して長生きすべし。 

 馬場恵峰師は93歳と8ヶ月まで「生涯現役、一路挑戦、一生青春」を座右の銘として働かれた。最後は1か月程寝込まれたが、多くの弟子が見舞いに来て最後の別れをした。恵峰先生は家族に見守られて、2021年1月1日に静かに息を引き取られた。穏やかな最期であった。

 

生涯無休

 私の座右の銘は「生涯無休24H対応」である。名刺にもそう記載している。だから何時仕事の電話をかけてもらっても構わない。深夜で私が電話に出られないときも、秘書の留守電?が対応します。

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  馬場恵峰書

 2021-03-10 久志能幾研究所通信 1944 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年3月 9日 (火)

正しく変わろう。絶滅危惧種にならないために

 

 新型コロナウイルス騒動で、働きかたが変わり、皆が「変わろう」、「変わらなくちゃあ」と大騒ぎをしている。しかし変わるべきことは、正しく変わることだ。それを勘違いして、流行に押し流されて、何か変わらなきゃと大騒ぎしているだけだ。

 一番変わるべきは、大騒ぎをしているマスコミである。マスコミは、絶滅危惧種である。金儲けのため、中国、役人、企業をかばってヨイショ記事しか載せない。絶滅することは喜ばしい。

 時代の変革期に絶滅するのは、変化に対応できない頭でっかちの種である。生き延びるのは、環境の変化に最も早く適用した種である。けっして強い種が生き延びるのではない。

 

天の反撃

 そんな意識の無い日本人は少しも変われない。今大騒ぎしていることは、日本人が変えてはならないことを変えたために、コロナ禍であぶり出されて起きたことだ。過去50年間で、日本人は利他の心を忘れ、他人を押しのけ、自分ファースト(利己主義)でやりたい放題でやるようになって(グローバル経済主義の行きすぎ)、天が鉄槌を下したのだ。今混乱しているのは、異常な状態に変わってしまい、正しく変われなかったために起きたことだ。

 

自業自得

 具体例では、食生活の悪変化で、ファーストフードや栄養的に劣悪な食材が、テレビコマーシャルで、食え、食えとCMで氾濫である。役人は利権に溺れて、添加剤、防腐剤を異常に許可している。そんな食材を痴呆的に食べれば、人は肥満になり、免疫力が低下してしまう。それで疾患を持っていると、新型コロナ菌に侵されると、あっという間に死亡である。健康な人は、風邪のような症状だけで済んでしまう。変えてはいけない健全な食生活、生活習慣を、狂った食生活、狂った生活習慣に変えたためだ。

 

考え方を変えず

 企業は拝金主義に染まり、国内で儲からなくなると、安い労働力を求めて海外に出ていった。それで日本の雇用が失われた。エリートと呼ばれる役人は、若い人の仕事がないのに、より安い海外労働者を日本に入れている。ますます日本の労働賃金が下がり、日本が貧乏になっていく。

 日本の役人は、輸出型産業の政策を変えず、海外に工場を作ることを推奨し、海外の安い製品が日本に逆流して、ますます日本の産業が衰退していく。拝金主義の企業は、正規社員を切って、派遣労働者ばかりにしている。だから労働者が貧乏になり、結婚もできず、少子化が進み、また日本製品も売れず、ますます日本が貧乏になっていく。

 企業の経営者の正気が失われたのだ。企業活動の目的は、金儲けではない。社会に付加価値を与えて、社会を幸せにすることだ。そのご褒美が利益である。それを拝金主義、グローバル経済主義経営に経営者が染まり、金儲けだけに走るから社会をおかしくしている。それが今回のコロナ禍であぶり出されただけだ。

 

変えるべきは

 本来、日本の人件費が上がってきたら、業態を変えなければならなかったのだ。それを同じ経営方針で、安易に人件費の安い東南アジアに進出したのが、知識偏重のエリート経営者のミスである。かその時点で、モノつくりから付加価値の高いモノの生産に変えなければならなった。それが出来なかったから、日本は衰退した。経営者が変われなかった。それはエリートと呼ばれた知識偏重の人罪の責任である。

 

都市経営の事例

 東大出のエリートの小川敏に支配された大垣市は、この20年間で県下一の衰退を見せた。小川敏は20年間、政策でバンザイ突撃を繰り返し、大垣市を没落させた。

 非エリートの高島市長が経営した福岡市は、日本一の経済成長を遂げている。

 

対処療法と根本原因

 多くの人は、なぜコロナ禍で経済が混乱したかの根本原因には、考えが及ばないから、右往左往している。変われない理由を挙げて、自分で自分に納得してしまっている。それで対処療法で、少し変わる振りをしてるだけだ。

 日本の今までは、少し変わったことをやると、寄ってたかって非難誹謗、足の引っ張りあいである。知識偏重で凝り固まったエリートが日本の舵取りを間違えている。癒着と失敗を認めない風土が改革を阻害している。

 

加速度のある人生

 なにか新しいことをやり、そのうちに偶然のチャンスで新しい発明・改革が生まれる。変革にはエネルギーがいる。

 F=mα

 変化しなければ(加速度を付けなければ)、永遠に何も変わらない。止っているものは永遠に止まっている。ニュートンの運動第二法則である。

 だから小さなことでよいから、少しずつやって見る。

 時代の変化のなか、生き延びるのは、強い種ではなく、最も早く環境の変化に適応した種だけである。その勇気のない種は滅びる。

 

人皆わが師

 この状況を自分に当てはめて考えねばならぬ。昔のように体力に任せて馬車馬のように働くばかりでは、加齢による体力の低下と共に、貧困になっていくばかりである。

 他人の愚行を見て、己の行動を直すべきなのだ。老になれば、今までの蓄積を生かして働くべきなのだ。それが頭脳労働であり、智慧ある生活である。だから老いても日々勉強が必要なのだ。それをしないから認知症にまっしぐらである。70歳以上は25%が認知症である。学びを忘れた老人は、絶滅危惧種である。

 徘徊禁止、禁酒、禁煙、テレビ禁止、釣り禁止、狂った食事禁止、スマホ禁止、グルメ禁止、。。。 そんな暇があれば勉強しなされ。

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 馬場恵峰書 2013年

 

2021-03-09 久志能幾研究所通信 1943 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年3月 8日 (月)

馬場恵峰書による洗脳でお目覚め

 

 毎日、同じことを見て聞けば、自ずとその言葉に洗脳されて、それに染まっていく。それで己の固定観念が形成される。

 洗脳手法を悪用したのがオウム真理教の教祖麻原である。信徒は麻原から洗脳され、結果として絞首台に上る羽目になった。

 先日も福岡市で「ママ友が洗脳して五歳児を餓死させた事件」が起きてしまうのが哀しい現実である。

 しかし良き洗脳教育なら、良き考え方が身に付き、行動も前向きになり、結果として人生の極楽浄土に登れる。

 私の寝室の壁には、馬場恵峰書「道」を掛けている。眠る時と目が覚める時に、それが嫌でも目に入る。

 毎朝、目覚めたとき、「希望を持ちあせらず、千里の道も一歩から」を見て、今日も頑張ろうという気になって起床する。目標を明確にして進む気になる。

 寝るときは、今日もよく頑張った、今日はその一歩を歩めた、と満足する。その順序は誤っていなかったかと一日の行動を反省して、眠りにつく。これは成功へのアルファメーションである。私の心の中では、まだ馬場恵峰先生は生きている。

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2021-03-08 久志能幾研究所通信 1942 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年3月 7日 (日)

次期大垣市長に望むこと。反面教師として自省する

 

市民憲法

 まず大垣の市民憲法を作り直して欲しい。市民憲章は、会社で言えば、経営理念である。

 今の大垣市民憲法は、小川敏のお遊び作文である。だから政治が出鱈目になった。

 

目標

 正しい憲法・理念ができたら、それに沿って政策を決め、目標を決めて動いて欲しい。それがビジョンであり、志である。そのためにPDCAを回してしい。

 

PDCA

 立案した政策に対してPDCAを回して欲しい。

 小川敏市政が失敗したのは、政策に対してPDCAを回していなかったためだ。実行しても、その反省もなくやりっぱなしであった。旧日本軍のように、同じ間違いを何度も何年も繰り返したから、大垣は没落した。公示地価がこの20年間で、半分以下に暴落した。大垣市民の財産が半分以下になったのだ。

 小川敏の実行した大垣市中心市街地活性化計画も失敗、元気ハツラツ市行事も失敗、郭町再開発計画も失敗、教育も失敗、芸術文化育成も失敗、危機管理も失敗で、すべてはPDCAを回していなかったためだ。

 

5S(整理整頓清潔清掃)

 大垣市長として、大垣市の5Sを徹底して欲しい。

 現在の大垣市は、市庁舎だけは豪華になったが、市内のトイレは日本一汚い状態となっている。清掃費を節約(ケチった)したためである。だから大垣市は没落して、トヨタは繁栄した。

 

治水

 昔から治水こそ、世を治める政治家の最大の仕事である。水害の多い大垣市を治水して欲しい。治水のできていない大垣市を整備することが、新市長の仕事である。

 治水が出来ていない土地から人民は去っていく。2017年の台風18号の襲来で、小川敏の治水政策の怠慢が露見した。治水は日頃、地道な取り組みをしないといけない。取り組みをしなくても、台風や大雨が来なければ、それが露見しない恐ろしさがある。天はその怠慢を見逃さない。

 

人を植える

 政治家の最大の仕事は、未来を創る人材の育成である。人材育成に資源を振り向けて欲しい。

 小川敏は、こともあろうにそれを放棄して、その財源を自分達の給与に振り向けた。大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となった。大垣市の職員の給与は県下一の高さになった。

 

危機管理

 高度な技術が発達した現代は、最大の意識で危機管理をしないと市民の命が危ない。危機管理室は、市長直轄の組織として運営して欲しい。

 現状は、組織図上で、危機管理室は鶴見の火葬場の下に置かれている。それで小川敏の意識が分かる。小川敏は世間体で、名前だけを「危機管理室」にしただけで、組織の中身は全く変わっていなかった。

 

説明責任

 大垣市の長として、事故があればその説明責任を果たす市長であって欲しい。

 小川敏は、2017年の世界初のドローン墜落人身事故の責任に対して、ドローしてその説明責任を果たさなかった。

 小川敏は、2017年の室本町アンダーパスの水没事故の原因を説明しなかった。原因は排水ポンプの管理を怠慢したためである。連合自治会からその不備を追及されたが、その回答をいまだしていない。

 小川敏は、2021年、大垣市後援の大垣駅前商店街餅つき大会で、老人がのどの餅を詰まらせ死亡しても、その説明責任を果たさなかった。知らぬ存ぜぬで通している。

 

たかり・乞食行政を止める

 大垣市ほど寄付金に依存した年度予算計画はない。小川敏は、市民や企業に半強制的に寄付をさせて、それを岐阜新聞、中日新聞に売名として掲載させて、自分も売名に便乗する。

 大垣市は他市よりも(例えば、刈谷市よりも年間10万円も市民税が高い)税金が高い。行政の使用用途を精査して、市長として市民税を安くするべきだ。寄付を募って、裏で寄付集めに協力した団体に7%のキャシュバックをするなど、破廉恥である(小川敏が支部長の日本赤十字社の寄付金集めで)。

 

正直であれ、謙虚であれ

 市長の小川敏は、針小棒大に自己宣伝をし過ぎである。「大垣は子育て日本一を目指す」と言いながら、児童生徒一人当たりの教育費が県下最低なのだ。なにが子育て日本一なのだ。2018年までは子供たちが、学校のエアコン設備率が県下最低で、泣いていた。わずか2.1%の設備率であった。市民として恥ずかしい。

 

大垣市長を反面教師として、自分を考える

 自分は、人生有限会社の長として、志はあるだろうか

 自分は、人生の経営理念(生きる指針)があるだろうか

 自分は、人生の戒律をもっているだろうか

 自分は、人生の目標があるだろうか

 自分は、その目標に対してPDCAを回しているだろか

 自分は、5Sを徹底しているだろうか

 自分は、治水(欲望に対する抑え)をしているだろうか

  自分は、肥満になっていないだろうか

  自分は、名誉欲、利権、食欲に溺れてはいないだろうか

 自分は、自分に投資(教育)をしているだろうか

 自分は、人生に対して危機管理をしているだろうか

 自分は、説明責任を果たしているだろうか

 自分は、正直で謙虚だろうか

 

Dsc098631s  馬場恵峰書   2019年

2021-03-07 久志能幾研究所通信 1941 小田泰仙

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2021年3月 6日 (土)

大垣市長候補者を鑑定する

 

 先日、大垣市長候補者と偶然に出会い、名刺を押し付けられた(ある集会場で名刺を配っていた)。私はこれ幸いと、「これから大垣をどうするつもりか、どうしてここまで大垣が没落したと思うか」と問うたら、「大垣には良いところが一杯ある。今までの政策では焦点が絞れてなかった」とおっしゃる。

 「これから大垣をどうするのか?」と聞いたら「今から計画を作ります」である。

 「こりゃダミだわ」と、その候補者のお粗末さに呆れた。なにせ集会のどさくさに紛れて、名刺を配る根性が気に食わない。

 

市長立候補の決意

 市長に立候補するなら、皆の前で何のために市長に立候補したのか、現状の分析(何故大垣市は没落したのか)、その対策、将来のビジョンを述べるべきだ。その前提が己の信条である。どういう信条・信念を持って生きてきたのか。それを語って欲しい。大垣の未来の夢を語って欲しい。なにせ16万人の生活がかかっているのだ。

 

2021-03-06 久志能幾研究所通信 1940 小田泰仙

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2021年3月 5日 (金)

つまらない人生とは

 

つまらないを務めるのが自分。

それを、つめないから、つまらない人生となる。

     2013年5月9日 知己塾 馬場恵峰師談

 

 朝起きて、会社の平凡な仕事を非凡にこなす。

 当たり前を当たり前にこなすのを精進という。

 つまらないと思う仕事を、雑にするから雑用の人生となる。

 どんなつまらないことにも、それを極めれば達人になれる。

 神は細部に宿る。

 石の上に3年で達人、30年で偉大、50年なら神業。

 どんなことも1万時間(3年)やれば、プロになれる。

 千日(3年)を鍛、万日(30年)を錬として、鍛錬が修行である。

 当たり前のことを当たり前に継続しないから、中途半端な人生で終わる。

 己は何人の三日坊主を殺したことか。坊主殺しは罪が重い。

 お坊様は、葬式の時、あの世への案内をしてくれる導師である。大事にしよう。

Img_4213s  馬場恵峰書

2021-03-05 久志能幾研究所通信 1939 小田泰仙

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2021年3月 4日 (木)

未知なる道を歩む (磨墨智151-2) 

Photo

 2010年頃の自宅で

 

 2000年頃、東山魁夷展(神戸市美術館)で入手した上図「道」のポスターは、気に入っていてずっと部屋に飾っていた。ご縁があり2011年に、この絵のリトグラフ(1,000部中の一つ)が、バーゲンセールで激安で手に入った。リトグラフと言っても当時は定価80万円もして、私には手が出なかった。中古でもなかなか市場に出回らない作品であった。しかし長い間、欲しいと思い続けていると不思議と向こうからやって来る縁が生じるようだ。

 思いが通じて、2016年には、青森の現地を訪ねることも実現した。

 

人生の岐路

 道にはまっすぐな道、曲がりくねった道、二股に分かれた道がある。どの道を通るかは、その人の選択である。

 道を歩いていると、回りには魅力的な風景が目に入り、わき道に逸れがちだ。この東山魁夷の「道」では、回りの風光明媚な風景を消し去り、己の歩く道だけを幻想的に浮かび上がらせている。

 人生は余りに多くの魅力的な道が目の前に出現する。その中から、狭き道を選んで歩むのが御正道である。広い道を選ぶから、迷いが多くなる。ただ己の信ずる道を歩めばよいのだ。その歩いた跡が道になる。誰にも真似できない道である。

開発、創造、人財育成を思う時、東山魁夷画伯の「道」が思い浮かぶ。

 

道の誕生

 この絵は敗戦後の混乱の続く昭和25年に描かれ、日展に出展され、特選となり、当時の日本人に勇気を与えた。この絵から人生が見える。

どんな技術開発でも、人生の歩みでも、やってみなければ分からない。それを惑わす周りの状況も出現する。あそこまで登ればと、やっとの思いで目標地に達すると、その上に道は更に続いている。時には断絶した道も出現して,跳ばねばならない場面もある。まさに技術開発の姿、人の人生を象徴している。

 

道の語源

 象形文字の「道」の語源は、古代中国人が生「首」をぶら下げて、「十字路(しんにゅう)」を恐る恐る歩いてできた跡が道である。古代中国では、街の城壁の外は魑魅魍魎の住む怖しい世界であった。それで城壁の外に行くときは、異国人の捕虜の首を切り、その生首を魔除けとしてぶら下げて歩いた。

 現代人が、新しいことに挑戦する時と、同じである。新しい道は、自分の人生の首をぶら下げて開拓しよう。

 

皮肉な現実

 日本のお役所で、新しいプロジェクトを行う場合、エリートから外れた人が責任者になるケースが多い。それは失敗した場合、心置きなく首を飛ばせるからだ。役所の上層部は、将来を担う大事なエリートを、そんな危険な新しいプロジェクトには回さない。そんな事なかれ主義の役人根性が蔓延しているから、日本の社会が停滞している。

 大垣市の小川敏に率いられた大垣役人軍団は、この20年間、なにも挑戦しなかったから、没落の一途であった。エリートと呼ばれる人間は、失敗をすると経歴に傷がつくのを恐れて、新しい道には絶対踏み入れないし、冒険も絶対にしない。

 東大出ではない福岡市の高島市長は、新しいことに次々と挑戦したから、福岡市は全国一の経済成長率を達成した。大垣の小川市政と大違いである。

4k8a93791s  馬場恵峰書 2017年

2021-03-04 久志能幾研究所通信 1938 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。