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2021年3月 4日 (木)

未知なる道を歩む (磨墨智151-2) 

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 2010年頃の自宅で

 

 2000年頃、東山魁夷展(神戸市美術館)で入手した上図「道」のポスターは、気に入っていてずっと部屋に飾っていた。ご縁があり2011年に、この絵のリトグラフ(1,000部中の一つ)が、バーゲンセールで激安で手に入った。リトグラフと言っても当時は定価80万円もして、私には手が出なかった。中古でもなかなか市場に出回らない作品であった。しかし長い間、欲しいと思い続けていると不思議と向こうからやって来る縁が生じるようだ。

 思いが通じて、2016年には、青森の現地を訪ねることも実現した。

 

人生の岐路

 道にはまっすぐな道、曲がりくねった道、二股に分かれた道がある。どの道を通るかは、その人の選択である。

 道を歩いていると、回りには魅力的な風景が目に入り、わき道に逸れがちだ。この東山魁夷の「道」では、回りの風光明媚な風景を消し去り、己の歩く道だけを幻想的に浮かび上がらせている。

 人生は余りに多くの魅力的な道が目の前に出現する。その中から、狭き道を選んで歩むのが御正道である。広い道を選ぶから、迷いが多くなる。ただ己の信ずる道を歩めばよいのだ。その歩いた跡が道になる。誰にも真似できない道である。

開発、創造、人財育成を思う時、東山魁夷画伯の「道」が思い浮かぶ。

 

道の誕生

 この絵は敗戦後の混乱の続く昭和25年に描かれ、日展に出展され、特選となり、当時の日本人に勇気を与えた。この絵から人生が見える。

どんな技術開発でも、人生の歩みでも、やってみなければ分からない。それを惑わす周りの状況も出現する。あそこまで登ればと、やっとの思いで目標地に達すると、その上に道は更に続いている。時には断絶した道も出現して,跳ばねばならない場面もある。まさに技術開発の姿、人の人生を象徴している。

 

道の語源

 象形文字の「道」の語源は、古代中国人が生「首」をぶら下げて、「十字路(しんにゅう)」を恐る恐る歩いてできた跡が道である。古代中国では、街の城壁の外は魑魅魍魎の住む怖しい世界であった。それで城壁の外に行くときは、異国人の捕虜の首を切り、その生首を魔除けとしてぶら下げて歩いた。

 現代人が、新しいことに挑戦する時と、同じである。新しい道は、自分の人生の首をぶら下げて開拓しよう。

 

皮肉な現実

 日本のお役所で、新しいプロジェクトを行う場合、エリートから外れた人が責任者になるケースが多い。それは失敗した場合、心置きなく首を飛ばせるからだ。役所の上層部は、将来を担う大事なエリートを、そんな危険な新しいプロジェクトには回さない。そんな事なかれ主義の役人根性が蔓延しているから、日本の社会が停滞している。

 大垣市の小川敏に率いられた大垣役人軍団は、この20年間、なにも挑戦しなかったから、没落の一途であった。エリートと呼ばれる人間は、失敗をすると経歴に傷がつくのを恐れて、新しい道には絶対踏み入れないし、冒険も絶対にしない。

 東大出ではない福岡市の高島市長は、新しいことに次々と挑戦したから、福岡市は全国一の経済成長率を達成した。大垣の小川市政と大違いである。

4k8a93791s  馬場恵峰書 2017年

2021-03-04 久志能幾研究所通信 1938 小田泰仙

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