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2019年9月

2019年9月20日 (金)

「あいち航空ミュージアム」は人生を語らず

 県営名古屋空港にある、昔の名古屋空港のターミナルを改装して作られ航空ミュージアムである。2階のエントランスから入場するとすぐ、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したヘリコプターが出迎えてくれる。趣向を凝らしたのはよいが、その造りはクラフトマンシップに溢れてはいない。安っぽい感じがするのが残念だ。その後、世界の名機100 機の1/25スケールのソリッドモデルの展示である。1階に8機の実物機の展示がある。

 全体を通して、飛行機マニアの私をワクワクさせてくれる感じがない雰囲気が残念である。

Dsc06743s   あいち航空ミュージアム

Dsc06657s   レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したヘリコプター

Dsc06658s 世界の名機100 機の1/25スケールのソリッドモデル

Dsc06661s   一階の全容

博物館の魅力度

 中部圏に4つある航空博物館の中で、もう一度、行きたいという気にさせてくれない博物館であった。何か魅力が少ない。

 セントレアの「フライト・オブ・ドリームズ」なら、建屋の上階からB787を見下ろしながらコーヒを飲んだり、食事をしたりする楽しみがある。ショップで飛行機のパーツを探す楽しみがあった。シアトルの街を模したレストランで食事の楽しみもある。

 「岐阜かがみがはら航空宇宙博物館」は展示に工夫があり、再度行きたいという気になる。飛燕も敬意が払われて展示されている。

 「MRJ ミュージアム」は金と手間がかかっていた。(見学記は次回に掲載予定)

 ところが「あいち航空ミュージアム」は広さ、展示機、喫茶店、ショップ等が全て中途半端である。

 

展示の工夫の欠如

 2階の通路からYS11を撮影しようとすると、2階通路外に設置された照明装置の部分が機種の頭部にその影が入ってしまい、写真が台無しになる。もう少し飛行機マニアの写真撮影を考慮した機器の配置を考えるべきだと思う。何も考えていないお役所的な展示スペースの配置である。そこで最初に違和感を覚えた。

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 YS11 照明装置の部分が撮影の邪魔

 

博物館での物語

 博物館は、博物館の商品(展示品)を並べればよいものではない。博物館の展示にもストーリが必要とされる。博物館も書籍と同じで、伝達目的と、その伝達手法、ストーリが必要とされる。博物館を見学に来た人に何を伝えるのか、訴えるのかが問われる。この「あいち航空ミュージアム」はそれが希薄で、ただ飛行機を並べただけという印象を受ける。

 その片隅に人目をはばかるようにゼロ戦が置いてある。そのゼロ戦の技術の何がすごいのか、それが博物館として「記述(展示)」されていない。

そのストーリは、

 「こんにちは。ようこそ。これがレオナルド・ダ・ビンチのヘリコプターですそれがどうした? その次の話は? 段落欠如!) これが名機100機の1/25スケールの模型です。一階は実物のヘリです。隅に置かれたのは日陰者のゼロ戦です。後は日本初の旅客機YS11、三菱重工が作ったビジネス機MU2を展示しました。ついでにお土産を買ってヨ。さようなら。というが如くである。

 で、何が言いたいのだ? と疑問を呈したくなる。この博物館を設計した人の思考回路に疑問を感じる。

 

人生ストーリ

 人生で出会う物語にはストーリがある。そこで言いたい結論があるはずだ。そのストーリに論理性、物語性、結論がなければ、その違和感を覚えて、一度、立ち止まるべきなのだ。論理性のないストーリ-は破綻する。そういう意識が人生の危機管理ともなる。私が人生で出逢う事象には、そのストーリー性を常に考えている。

 

展示機

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2019-09-20   久志能幾研究所通信No.1343 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月19日 (木)

ゼロ戦、大垣、小川敏市長、栄華の末路

 2019年9月18日、「あいち航空ミュージアム」でゼロ戦の展示を見て、大垣市の栄枯盛衰に思いを馳せてしまった。

 

「あいち航空ミュージアム」見学

 「MRJ MUSEUM工場見学ツアー」を申し込んで、9月18日に枠が取れたので見学した。少し早めに行って、先に「あいち航空ミュージアム」を集合時間までの30分間で見学した。それは正解であった。その後の「MRJ MUSEUM工場見学ツアー」は、約90分間(待ち時間を含め2時間)で、結構歩く時間が多く、疲れ果ててしまった。その後、再度「あいち航空ミュージアム」に入館して見学する元気が無くなってしまい、そのまま帰宅のバスに飛び乗った。

 帰宅後、一時、爆睡してしまった。夜に起きて少しこの原稿を書いた。それで18日のブログは休載にした。恐縮です。

 「MRJ MUSEUM工場見学ツアー」で、歩く距離が多かったのではなく、私が病み上がりのため体力低下で、更に肝機能低下の影響で、疲れやすくなっているのが原因であった。何事も体力、健康が大事である。それを痛感した。

P10409731s   馬場恵峰書

全体所感

 岐阜県の各務ヶ原航空宇宙博物館と比較して、「あいち航空ミュージアム」の展示内容に少し見劣りがする。それでも目玉展示品のゼロ戦を見学できるのは素晴らしい。しかし飛燕とゼロ戦の展示の雰囲気が違う。多くの学びと気付きがあった。

 

ゼロ戦

 お目当てのゼロ戦は興味深かったが、見学してあまり感激はしなかった。それは展示方法が影響している。もう少し展示方法に工夫が欲しい。周りに説明パネルが多すぎて、飛行機マニアの私には、撮影の邪魔である。また展示場所や展示方法も、なにか日陰者扱いの展示である。以前は、目立たないように塀で囲まれていたという。各務ヶ原航空宇宙博物館の飛燕とゼロ戦の展示の雰囲気が違う。

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  「あいち航空ミュージアム」のゼロ戦

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各務ヶ原航空宇宙博物館 飛燕

 

戦争の影響

 話によると、ゼロ戦の展示は戦争美化になると反対する勢力があり、そのために処置と言う。ここは純粋に技術の展示のはずだ。国を想い、親や子女を守るため、命を掛けて設計した技術の証しが、戦闘機ゼロ戦である。ゼロ戦を通して、当時の技術の粋が展示されている。

 日米戦争は、日本の自衛戦争であった。それはマッカーサーカー元帥が、帰国後に米国議会で証言している。

 日本は、当時、列強の国からABCD包囲網で経済封鎖された状態で、戦争を始めなければ、半年後、資源が枯渇して日本の産業は生産が止まり、日本中が失業者に溢れ、飢えて国が滅んだ。植民地強奪競争で、日本が目障りとして徒党を組んだ欧米列強が、「窮鼠猫を嚙む」という状況に、日本を追い込んだといえる。例えれば今の北朝鮮のように世界から経済封鎖されたのだ。北朝鮮は恐怖政治で民衆を抑えているからなんとかなるが、民主主義の日本ではそうはいかない。

 当時、日本に植民地強奪競争を邪魔された列強諸国は怒り心頭であった。インドでは英国の強欲な植民地政策で2000万人が餓死している。英国は、中国をアヘン戦争で侵略し、香港を強奪した。他国も植民地強奪競争で、同様の有様である。当時、列強諸国は、アジア人を人間として扱っていなかった。それが常識であった。

 

国家の消滅

 第二次世界大戦後、自力で自国を守れなく、世界地図から消えた国が、183ヶ国にも及ぶ。近未来に隣国の2国が、消滅するかもしれない。それほど世界は、国として生存競争は厳しい時代である。

 欧州に難民が溢れ、テロが頻発し、中東では火種が尽きない。北朝鮮はミサイルを飛ばして日本を脅かしている。韓国は日本の領土・竹島を強奪して占領して居直っている。毎日、中国は尖閣諸島に領海侵犯を繰り返している。領空侵犯も日常茶飯事である。いわば刃物を以て家の周りをうろつくヤクザのような行為である。なんでそんな国の元首を国賓扱いで迎えねばならぬのか。国賓扱いする費用は、税金である。領海侵犯の事実を報道しない新聞社もフェイクニュースの元である。毎日領海侵犯されているのに、新聞社は報道しない。

 

チベット滅亡の原因

 戦争の脅威は過去の話しではない。チベットが中国に滅ぼされたのは、平和憲法がなかったためではなく、自国を守る戦力がなかったためである。自国を守るには自衛力が必要である。例えれば、プロレスラーに喧嘩を売るヤクザはいない。社会党は無防備無戦力を謳っていた。その後継の民主党は、日本の危機に無力であった。消えた民主党の残党が、今でも中国韓国に媚びを売っている。

 民主党政権時代、官房長官の仙谷由人が「自衛隊は暴力装置である」と言った。その国賊のDNAが野党に流れているせいではないか。私は、「国をセコムしてますか?」と問いたい。

 

ゼロ戦の技術

 まじかで当時の加工技術に納得した。沈びょう式リベットの技術を、世界で初めて採用したゼロ戦は、技術者の眼からも興味深い。驚いたことに、それは機体全部への適用ではなかった。まだまだ国力がないことが、ゼロ戦の機体製作技術からうかがえる。

 ゼロ戦の全体に贅肉のないデザインが、性能の良いことを示している。美しいものには美学がある。堀越技師のこだわりが隅々に感じられる。自分が元時術者だから、その心境がよくわかる。それは芸術作品と通じるものがある。 ゼロ戦は、1994年にスミソニアン航空宇宙博物館で、天井からぶら下げられた状態の機体を見たが、地上の状態で、まじかで見られたのは、今回が初めてある。それで技術の粋をジックリ観察することができた。

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  沈びょう式リベット 主翼部

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 沈びょう式リベット 尾翼までは適用されていない。

 

ゼロ戦の栄華の末路

 開戦当初、世界最高の性能を誇ったゼロ戦の時代も長くは続かなかった。米国は捕獲したゼロ戦を徹底的に研究して、それの弱点の解明とそれを上回る戦闘機の開発に力を入れた。その結果、ゼロ戦は、米国が新たに投入した新戦闘機(P51ムスタング,F6ヘルキャット)の餌食となった。終戦末期は特攻の機体に落ちぶれてしまった。時の指導者が、ゼロ戦の技術に奢って次世代の戦闘機の開発に投資しなかったためである。

 

大垣市の栄華の末路

  大垣市も一時は西濃の小京都と呼ばれ繁栄したが、小川敏市長が大垣市への投資を無くして、大垣市を没落させた。

 

小川敏市長の栄華の末路

 その小川敏市長も、若い時は秀才として東大を出たが、その後の自身への教育投資を怠り、頭は痴呆化して劣化した。水饅頭を共食いして世界記録だと痴呆的に自慢した。その行為は全国で嗤れている。本人だけ、それを認識していない。

 公金の使用用途はマル秘扱いが常識だと大垣市だけの特別条令を制定した。小川敏市長が東大法学部出とは信じがたい。東大法学部も地に堕ちた。市制100周年記念行事の会計報告はマル秘なのだ。元気ハツラツ市での拡声器騒音は、岐阜県の騒音防止条違反だが、それには気にしない。

 元気ハツラツ市をやるほど大垣市が衰退するのに、それを止めようとしない。大垣駅前商店街を没落させた実行中心人物・小倉利之氏に、「商店街の振興に貢献した」として、市功労章を贈った。

 未来の子供への投資を減らし市役所職員の給与に振り向け、結果として県下一の給与とした。その結果、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費は県下最低レベルに落ちぶれた。小中学校のエアコン設備は県下最低の2.1%である。

 小川敏氏の頭脳は、この状況が正常に判断できないほど劣化した状況になっている。

 

自国を守れ

 今でも世界は弱肉強食である。形を変えた戦略戦争の戦いが、グローバル経済主義の正当化である。他国の強者が我々の仕事を奪い、日本を貧乏にさせられた。この20年間で、先進諸国で給与水準が下がっているのは日本だけである。中間層の給与は先進諸国でも下がっていて、米国では国民のその怒りが米国でトランプ大統領を生んだ。

 大垣市でも、他市の露店商人が、元気ハツラツ市で大垣駅前商店街の商売を奪った。小川敏市長が他市の大規模小売店企業を優遇する政策を続けるので、大垣駅前商店街の81%が閉店に追いやられた。大垣駅前商店街の従業員の40%が職を失った。まず自国、自分の住む都市を守らないと、生活が破壊される。大垣市では、小川敏市長は大企業の味方で、大垣市民の敵なのだ。

 

誰が真の戦犯か

 このゼロ戦の技術の展示に反対する勢力は国賊者である。責める相手を間違えている。戦争に追い込んだ真の戦犯を追及すべきなのだ。それの矛先を曲げるためにゼロ戦の展示に反対しているようだ。

 戦争を鼓舞して、戦争を賛美した当時のアサヒを筆頭にした新聞社は、今は戦争反対だと身の代わりが早い。そんな新聞社は信用できまい。何が真実なのか、自分で考えないと、国が亡ぶ。都市が亡ぶ。自身が洗脳され、生活が破壊される。新聞は今でも、為政者の為の洗脳教育の報道に余念がない。

 

地方新聞は洗脳報道に余念がない

 身近に、自分の住んでいる都市で、何が真実かを知らないと、自分の命と財産と子供の未来が危ない。大垣市の小川敏市政の悪例が良い見本である。小川敏市長のせいで、私の所有する不動産財産価値が半分以下になった。大垣が没落した。地方紙の岐阜新聞、中日新聞はその事実を全く報道しない。

 毎日の地方新聞の報道で、小川敏市長の自己宣伝の報道ばかりが目に付く。それはフェイクニュース寸前のレベルである。くだらない小川敏市長の宣伝記事が連日、紙面を占有するので、本来報道すべきニースが報道されない事態となっている。まるで洗脳報道である。

 

2019-09-19   久志能幾研究所通信No.1342 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月18日 (水)

休載連絡

今日は、「あいち航空ミュージアム」見学と「MRJ見学ツアー」に参加して疲労困憊になったので、休載させていただきます。明日、報告します。

2019年9月18日 小田泰仙

2019年9月17日 (火)

大垣市長、1億円のサプリメントに大散財

 小川敏市政は、大垣駅前商店街を活性化する目的で、2011年から「元気ハツラツ市」を強行している。毎月、9年間も継続して、総額1億円も費やしているのに、全くその効果が出ていない。それどころかそれが原因で、益々大垣駅前商店街を衰退させていった。その様は、まるで病気を治そうと高額のサプリメントを使い、その副作用で苦しむが如くである。まともな神経なら、効果がなく副作用があることが分かれば、すぐ軌道修正をするのだが、小川敏市政は、その間違いを認めようとしない。まるで何かに取りつかれたダダをこねる幼児のようである。

 精神が幼児のようだから、使った1億円の会計報告をしようとは思わないようだ。小川敏市長にとって行政の予算の使用用途は、マル秘扱いが常識なのだ。この9年間、元気ハツラツ市の会計報告は一度もナイ。社会人として、まともではない。それがどれだけ異常かを認識できないほど、常軌を逸している。

 

私のサプリメント経験

 私もガンの再発防止で、サプリメントを使って、この9月に肝機能の低下という苦い副作用を経験して、サプリメントの使用をやめた。普通の神経なら、その異変に気が付くのだ。

 

元気ハツラツ市は「効かないサプリメント」で、副作用大

 元気ハツラツ市の開催は、大垣駅前商店街という、いわば大垣市経済の肝臓部を傷めたのだ。肝臓が悲鳴を上げたのだ。元気ハツラツ市を開催すると、常連客が来なくなる、売上が下がる、露店で出店する市外業者が利益を奪う、車が商店街に入れない、キモイ連中がのさばる、シャッターを下ろす店が激増した等の被害を大垣駅前商店街に与えた。商店主の多くが、元気ハツラツ市の中止の声を上げたが無視された。この9年間、元気ハツラツ市は愚直に痴呆的に強行され、実施され続けた。

 

大垣の悲劇

 そして悲劇が大垣市を襲った。大垣市が没落したのだ。象徴的な事象として、大垣市の平均地価が半値以下に暴落した。他市は名古屋のリニア景気で地価が上昇している市も多い。しかし大垣駅前商店街の81%が閉店した。児童生徒一人当たりの教育費が県下最低に暴落した。それでも精神が幼い大垣市の指導者は気が付かない。小川敏市長は、市制100周年記念行事で3億5千万円を無駄遣いして、白いオープンカーで大垣市内をパレードして悦に入っている。だれも止められないので、裸の王様である。

 

 

小倉利之理事長は元気ハツラツ市の実行中心人物

 小川敏市長の手下である大垣商店街連合組合の小倉理事長は、小川敏市長の意向を愚直に継続した。大垣商店街がいくら衰退しても、小倉理事長は大垣駅前商店街にお店を持たないので、その痛みは感じない。お店の売り上げ減少など、知ったことではないのだ。小川敏市長は、愚直に大垣市のいう事をロボットのように聞いてきた小倉利之氏に「市功労章」を贈った。大垣市を没落させた中心人物に、市民税を使って褒賞するのは税金の無駄遣いである。私が民主党の仕分け責任者なら、真っ先に仕分け対象である。

 

小倉利之氏の表彰理由

 市功労章の表彰理由が「大垣市商店街振興組合連合会理事長として、商店街の振興に寄与するとともに、中心市街地の活性化に貢献」とある。この2年間だけでさえ、大垣駅前商店街の48軒のお店(全体の20%)がシャッターを下ろした。大垣市商店街組合連合会の責任者として、大垣市商店街を衰退させ、地獄に突き落とす手先として働いて、それでなんで「市功労章」なのだ。市民税を納める市民として怒りが起こる。他市に対して、大垣の恥として恥ずかしい。

 その理事長職の座も特定の人間だけの密室政治で決められ、誰も関与も辞めさせることが出来ない。彼も75歳位で、高齢なのに、ずっと理事長の座にしがみ付いている。きっと美味しいものが多くあるのだろう。

Photo

1 「広報おおがき №1874 平成31年3月15日」より

       (№ いやなし)

 

小川敏市長の18年間の市政の挙句、

 平均地価が 50.2% 暴落した。(2018年現在で)

 人口密度が 58.3% 減った。(2018年現在で)

 小売商店数は 46.7% も激減した。(2018年推定)

 小売商店数は 35.7% も減った。(2014年現在で)

 小売商店従業員は 39.8% が消えた。(2018年推定)

 小売商店従業員は 30.4% が消えた。(2014年現在で)

 教育・学習支援の従業員の 58.8% が消え。(8年間で)

 小売業商品販売額が 21.7% 減った。(2018年推定)

 小売業商品販売額が 16.6% 減った。(2014年現在で)

   (2018年の値は回帰分析での推定値) 

   (以上は2001年~2014年 大垣商工会議所のデータ)

    地価は、大垣市の公示地価・基準地価マップ・坪単価 - 土地代データより 

     https://tochidai.info/gifu/ogaki/  

.  以上は2001年から2014年(平成26年)までの統計値で、平成30年度の統計資料がまだ発表されていない。平成30年度は、回帰分析の推定値である。平成30年度の統計値では、もっとひどい状況だと推定される。

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 添付資料 大垣市経済推移20190821.jpgをダウンロード

 

下記は2017年現在での値

 (2019年の公式データはまだ未発表)

駅前商店街のお店数  560店 → 361店    36%減

駅前商店街の従業員数 2,440人 → 1,901人  23%減

駅前商店街の売上   34,656 → 18,048千円  48%減

駅前商店街の売場面積  59,108 → 37,819   36%減

空き店舗数      44 → 36店(嘘)

           「かくれ空き店舗」が集計に入っていない。

           2017年現在、シャッターを下ろしたお店61%

           2019年現在、シャッターを下ろしたお店81%

 市民の買い物調査では、中心地に買い物に行く頻度が増加したのは36.5%である。つまり残り63.5%は、中心部に買い物に行かなくなった。(「大垣市中心街活性化計画」p17~19、36)

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」 久志能幾研究所刊より

 

2019-09-17   久志能幾研究所通信No.1340 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年9月16日 (月)

癌再発予防の70万円サプリメントに挑戦

 昨年、私は河村義子先生のご逝去に接して、胸騒ぎを覚えて、年初に検診を受け、癌が見つかった。愛知県がんセンターで手術をした。その後の標準治療である抗がん剤治療を勧められたが、私はそれを拒否した。それで癌の再発防止のため代替医療に取り組み始めた。その過程で、実際に70万円のサプリメントを使ってみて、痛い目にあった経験を記す。

 

代替医療を探して東京へ

 その代替医療を探す過程で、東京のクリニックで代替医療の情報を得て、地元のクリニックで治療を始めた。その東京のクリニックで自分に最適の抗がん剤とサプリメントを検出してくれるという血液検査を紹介された。その血液はギリシャのベンチャー企業に送って調べるという。一人一人体調が違うので、その血液から、その人に最適の抗がん剤とサプリメントを摘出してくれるという。その検査費用は50万円。20万円で現状の調査、30万円の追加料金で最適の抗がん剤とサプリメントを摘出するという。

 

50万円の血液検査

 病気になると人間は弱いものだ。藁をもすがる思いで決断して、私は50万円を払って血液検査を受けた。その結果の報告書は、納得できるものであった。各種の抗がん剤、サプリメントで、どれが一番効果ある品かを、実際の私の血液で実証してくれた。これは確かに合理的で、お金もかかると納得した。

 それを基に東京のクリニックの医師が私に最適のサプリメントを調法してくれた。見つけた最適の抗がん剤は、私の抗がん剤不使用という方針で、不要ではあった。2か月分のサプリメントで約10万円弱である。今までの交通費等を考えると、約70万円のガン再発予防のサプリメント代である。

 

学び

 その2か月後、地元の医院で血液検査の肝機能低下を指摘された。それの原因に思い当たることがなく、医師から、新たに取り入れたサプリメントが怪しいと中止を指導された。それでサプリメント服用を中止して、肝臓の治療薬を服用して、やっとほぼ元通り肝機能の値になった。

 サプリメントは、個人個人で合う合わないの事例が多いようだ。人によっては、肝機能に悪影響を及ぼすサプリメントも存在するようだ。サプリメントは薬ではなく、補助剤である。あくまでその使用は個人責任である。

 人間の病気はまだまだ未知の領域が多い。それに付け込んでの商売も多い。全てが悪いわけではなく、試行錯誤の過程である。その選別は専門医でも難しい。なにせ医師も病気が分かっていないのだ。まして素人の患者は右往左往である。

 病気の予防の基本は、あくまで生活習慣の改善と食生活の改善である。薬やサプリメントに頼るのは応急処置として考えるべきだ、が今回の学びである。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集

 久志能幾研究所刊より

 

2019-09-16   久志能幾研究所通信No.1339 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月15日 (日)

人生の墓標を建てる

履歴本の作成

 人生の再就職を目指して、履歴書ではなく、履歴本を作った(2015年)。今までやってきたことを少しの解説と写真をつけてまとめたら、履歴書ではなく20頁の小冊子の履歴本になってしまった。これはこの数年、自分史として書き溜めた文書(約300頁)の集約版である。

 履歴書としてまとめてみて、当時、半年も2年もかけて取り組んだプロジェクトが、たった1行に集約されてしまう。その一行に命をかけてきた懐かしい思い出がある。履歴書とは、自分が一瞬一瞬を生きてきた証の墓標である。どんなに栄華を極めても、最期に生きてきた証として残るのは墓標だけである。自分の名前が人の心の中にどれだけ長く残せるかが問われる。墓石や墓誌に書かれた名前のみが、現世と来世をつなぐ絆である。

 

叔父の履歴書

 私の叔父が、76歳になって履歴書を作成して、それを父の所に送ってきた。父の遺品を整理していたら、それを発見した。叔父は「父は43歳で、大津で死亡したことはご承知のとおりですが、その履歴書がないため、経歴がよく分かりません。そこで私は自分の履歴を子供達に分かるように履歴書を書きました。これをみれば私の歩んできた人生が大体わかると思います。」(平成元年7月12日に私の父が受領) 自分の両親の履歴は意外と知らないものだ。

 その履歴書を見て、叔父が原田観峰師から指導を受けて、免許を授かっていたことを知った。原田観峰師は馬場恵峰先生の師である。そこに不思議なご縁を感じた。私は今、馬場恵峰師に付いて指導を受けている。

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  原田観峰師の書 

  馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集   「報恩道書写行集」(2016年)

  久志能幾研究所刊 p104

運命のからくり

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と私は馬場恵峰師に指導された。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰師は訴える。

 

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  馬場恵峰書

 

ご先祖とのつながり

 現世と来世は繫がっている。今の世が単独で急に発生したわけではない。原始生物から始まり、40億年の年月をかけて今の人間の姿になった。今の自分が急に単独で生まれたわけではない。多くのご先祖のご縁があって今の自分が存在する。多くの人のご縁があって今の自分に成長させていただいた。漆の表面を何回も上塗りするがごとくに、先人の技術や人徳の蓄積の上に、自分のささやかな貢献を塗り重ねることができる。その自分の存在も名前だけが後世に受け継がれて残る。

 

お墓つくり

 人生とは、はかないが故、今の生きている時間を大事に、という想いが新たになった。ご縁があり、その年の秋(2015年)に自家のお墓を再建することが出来た。お墓は作ろうとして出来るものではない。当初は、お墓を作る気は全くなかったが、出来てしまった! 正に「天之機緘不測」であった。目に見えない不思議なご縁のつながりで物事が進んでいることを実感した。

 お墓の字も馬場恵峰先生に書いて頂き、お墓の開眼法要に馬場恵峰先生ご夫妻が九州から来ていただけるご縁まで頂いた。感謝。

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2019-09-15   久志能幾研究所通信No.1338 小田泰仙

『志天王が観る世界』より

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月14日 (土)

大垣の没落でホテルも衰退。食い物の恨みは….

 大垣駅前にあった「ロワジールホテル大垣」が、2年前に別会社に売られて「クインテッサホテル大垣」に変わった。当初は良かったが、だんだんと質が落ちていき、現在は最悪になった。大垣の没落と同時進行であった。大垣がよくならないと、ホテルも利用するのが恥ずかしいレベルに下がる。

 

朝食バイキングを利用する目的

 私がホテルの朝食バイキングを食べる理由は、食での健康管理と精神の「修行」の為である。バイキング料理は、多くの種類の食材をバランスよく食べることが出来る。食での健康管理上で、最適である。

 また精神の「修業」とは、美味しい食い物が数多く目の前に並んでいても、それの誘惑に負けず、腹七分目しか食べないように心を鍛える場としている為である。私の意思の鍛錬場である。元を取ろうとして、食べ過ぎは毒になる。

 だから私は朝食バイキングの定価の7割分しか食べない。目の前にご馳走が数多く並んでいても、あえて食べない訓練をしている。お代わりは原則禁止である。スィーツも禁止である。揚げ物、油分の多い食材、肉類、ジュース類も食べない。パンもほとんど食べない。

 その昔(15年程前)は、休日にホテルの朝食バイキングレストランに行くのが楽しみで、その場で2,3食分を食べていたこともある。しかし2009年、大腸ポリープの病気をして、大腸がんになる恐怖心から、食の健康管理として、ダイエットとして、食べ放題(バイキング)に通う方針に変えた。

 食べ放題レストランで、食欲を抑えて食べないで済ませるのは、最高の贅沢である。出来そうで(?)、できない。難しい行である。

 

2年前の状態

 その昔の、前のロワジールホテル時代は、質のよいホテルで、朝食も質も良かった。その前の昔はチサンホテルであった。そのホテルが2017年10月1日にクインテッサホテル大垣にリブランドした。その直後、ここで河村義子先生の最期の公式演奏会となったドレスデントリオの「新春コンサート(2018年1月13日)」を開催できた。想い出のホテルである。

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 ドレスデントリオの「新春コンサート」2018年1月13日

 クインテッサホテル大垣

 

大垣の没落後

 このホテルも大垣駅前商店街も衰退し、大垣が没落して、大垣に来る客層が変わってきた。大垣が衰退したので、高い金を落とす客が減り、中国や近隣アジアからの団体客が増えた。ホテルの客単価が下がって、ホテルも採算が合わなくなって、身売りをした。それで安いビジネスホテルのレベルに格下げとなった。そのせいで、朝食もレベルが下がった。それは大垣の没落と歩調が合っている。

 風が吹けば桶屋が儲かるように、大垣が没落すれば、ホテルの朝食の質もホテル自体の質も下がるのだ。

 

2年前の朝食の状況

 朝食会場のレストランでは、料理人が目の前で、好きな食材をトッピングのある卵焼きや焼き魚を「炭火」で焼いてくれた。味噌汁も、他のホテルでは見かけることが稀なほど、具沢山の味噌汁であった。それは斎藤料理長がこだわりを持って、料理内容を改革したためであった。

 齋藤料理長がこのホテルに来る前は、朝食バイキングは、並みのレベルでひどいものであった。当時は、私は月に1度くらいしかこのホテルの朝食バイキングに行かなかった。しかし齋藤料理長が内容を改革して、ピカ一の朝食バイキングに変えた。斎藤料理長が、腕を振るった料理が数多くあった。私は齋藤さんと懇意になり、週に6日も朝食だけに通うようになった。

 その齋藤料理長が2年前に、理不尽な会社都合で辞めさせられてから、料理の質が目に見えて悪くなった。全国のクインテッサホテルの中で、大垣だけ突出して料理の質が良いので、それが格安ホテルとして問題になったようだ。なんでも、性能(味)がよければよいわけではない。世の中は難しい。

 この朝食が楽天のグルナビで高得点であったのが、齋藤さんの自慢であった。齋藤さんがホテルを去ってからは、そうではないようだ。

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 目の前で料理をしてくれる齋藤料理長 2015‎年‎1‎月‎18‎日、‏‎7:56

 

河村義子先生との思い出

 齋藤料理長が腕を振るう料理が素晴らしいので、河村義子先生との会食でもこのレストランを利用して、懐石料理を数回、ご馳走させていただいた。河村義子先生が病気になり、退院後、先生の快気祝いで会食を楽しみにしていたが、昨年末の急なご逝去でそれが叶わなくなったのが哀しい。

 河村義子先生が、出された懐石料理で、特に美味しかった料理の調理方法を齋藤料理長から聞き込んでいる姿が懐かしい。河村義子先生は単なる専業ピアニストでなく、家庭を預かる主婦として、美味しい料理の料理方法の研究に熱心であった。家族思いの研究熱心な先生であった。

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河村義子先生と齋藤料理長 2017‎年‎11‎月‎15‎日

 

質の低下 現在の朝食バイキング

 以前は手づくりの料理がメインであったが、今は、出来合いの業務用のパック詰めの総菜を暖めて出している。ホテルで自前の料理品は激減した。今は、パックから出して、温めるだけで出せる業務用の総菜が、何でもある。しかしそのパック品の総菜は、防腐剤や、添加物が多いと推定され、私は食べない。

 味噌汁も以前は、具沢山であったが、今はシャビシャビの味噌汁である。

 パンも以前は、料理人が「炭火」で目の前で焼いてくれた。炭火で焼くと味が違うのだ。いまは三流品のトースターで、自分で焼かねばならない。

 出される魚の質も悪くなった。

 以前はあった「うどん」、「そば」も無くなった。

 以前は、特色あるこだわりのスィーツもあったが、今は無くなった。

 以前は切りたてであった生のパイナップルも、缶詰製に変わった。とても食べる気になれない品物である。

 以前はドリップコーヒであったが、自販機タイプに変わった。

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 総菜の種類は多く、見た目は良いが、ほとんどがパック品の業務用総菜である。手作り品がほとんどなく、私は食べない。防腐剤、添加物が怖い。

 

中国人団体と同席

 以前は、中国人の団体と日本人は食べる部屋が分かれていた。しかし今は、同じ部屋で中国人の団体客と同席して食事をせねばならぬ。無作法な人が多く、傍で食事をすると非常に不愉快である。だから私は、時間をずらして、中国人団体客と同席しないようにしている。

  

全国統一の愚

 ホテル側の説明では、この改革で、全国のクインテッサホテルのチェーン店と同じサービスに統一したという。つまり最低のレベルに統一したのだ。これではチェーン店の同じ名のホテルに泊まる気になれない。

 

東京本社のホテル幹部の傲慢さ

 2年前、ホテルがクインテッサホテルに名前が変わり、東京の幹部が視察に来て、朝食会場で仲間同士が食事をしていた。私はその場で、隣に同席していた。彼らの下品な振る舞いを目のあたりにした。買収した側の会社の幹部達者が新しいクインテッサホテルの朝食会場で、傍若無人の振る舞いであった。静かであるべきレストランで、大きな声で話していた。彼らは、携帯電話禁止の朝食会場で、携帯電話をしまくっていた。興ざめであった。それで新しい会社のレベルが露見した。

 

レストランの懐石料理

 私は以前、自宅にお客さんが来ると、昼食や夜の会席で、このホテルのレストランを利用していた。当日に2名でも可であった。

 しかしも、ホテルが変わり、4名以上で、2日前に予約をしないと懐石料理が食べられなくなった。今までだと、当日に、2名でも懐石料理を頼めたが、それが駄目になった。

 この9月末に、客人が大垣に来るので、別のホテルのレストランで会食の予約をした。とてもこのホテルのレストランでは、物理的にも心情的にも頼めない状態になった。食い物の恨みは怖ろしいぞ。

 

エピソード1

 私は、ドレスデントリオの新春コンサートで、メンバーをこのホテルに泊める段取りをした。ホテルが気を利かせて、リーダのアンドリウスをスィートの部屋にしてくれた。それは良かったのだが、そのバスルームのお湯が出ないという失態をホテルはした。その後始末の対応がお粗末であった。

 私は、それをアンドリウスから聞いて、ホテルにクレームを付けたが、その後始末が接客業としてお粗末すぎて、なっていなかった。クインテッサホテルのせいで、私たちの客人のドレスデントリオに恥をかかしたのだ。河村義子先生の最期の客人であるドレスデントリオに無礼を働いたのだ。

 私は二度とこのホテルでは演奏会も宿泊も使うまいと決めた。

 

エピソード2

 数か月前、自宅の鍵をどこかに落として家に入れなくなったことがあった。当日は休日で鍵屋にも連絡が取れず、仕方なくその夜はホテルに泊まることにした。それでクインテッサホテルに連絡をしたら、満室との理由で断られた。通常、満室でも絶対に予備の部屋をもっているのがホテル業である。私は、このホテルの大のお得意さんであるのに、その扱いに怒りがでた。それで別のホテルに行った。二度とクインテッサホテル大垣には泊まるまいと心に決めた。

 

経営改善

 レストランの従業員が、料理の質の低下を一番よく知っている。従業員は、なじみの客から苦情を言われて、ぜひ、ネットで暴露して欲しいと訴えられたという。従業員が会社に改善を言っても聞いてもらえないという。従業員の声を聴かない経営者の会社は、市場から淘汰される。

 私も今までは週に6日もこのレストランに通っていたが、現在は週に1日か2日しか行かない。それがゼロになる日も近いかもしれない。

 

大垣が没落すると大垣の顔も退化

 安ければよいという経営の会社が増えれば、大垣はますます没落である。安ければよいとは、それだけ質が悪いのだ。安いものにはワケがある。貧乏神が貧乏神を呼び寄せる。悪魔のサイクルである。それでは、大垣は発展できない。デフレ経済では、付加価値を上げないと、ジリ貧である。それは大垣駅前商店街の衰退ぶりを見れば明白である。大垣が寂れたので、金持ちではない東南アジアの団体客が多く来るようになったのだ。その客達は、大垣に金を落とさない。夜は近くのホカ弁店に大勢で押しかけ、大声を張り上げて、静かな住宅地を騒がしている。

 

大垣の恥

 大垣駅前商店街は大垣の顔なのだ。以前は、格式あるホテルがあったが、それがなくなり、そこに安売りのホテルが出来るのは、大垣の恥である。安かろう、悪かろうである。他市はともかく外国からの客を招いても、そのレベルで大垣人が恥をかくことになる。まるで自宅が貧乏な作りの玄関に変貌して、客に対して恥となったと同じである。衰退した大垣駅前商店街は、大垣の没落の象徴なのだ。

 小川敏市長は、それが18年間も認識できず、平然としている。大垣の地価は半値以下に暴落し、大垣の防災は最低になり、子供の教育も県下最低レベルになった。大垣市民の命、財産、子供を守れない市長は、最低である。大垣を没落させた主犯の原因は除かねばならぬ。

 

2019-09-14   久志能幾研究所通信No.1337 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月12日 (木)

人間性分析 2/2  小川敏市長の分析

人間の徳性

 人間を人間たらしめる要素として、本質的要素付属的要素がある。

 本質的要素とは、徳性である。徳性とは、明るさ、清さ、人を愛す、人に尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉である。付属的要素とは、徳性の発露を助ける要素で、知識、知能、技能である。(安岡正篤著『人物を修める』より

 

生きる目的

 人は、人間として何のために生きるのか。自分として(組織)、吾として(神仏)、私として(利己)、どのスタンスで生きるかで、その生きざまが変わる。それが己の価値観である。組織の一員として生きるなら、組織の為に価値あるものを組織に提供する人生となる。神仏に帰依するなら人類に対する働きとなる。利己に生きるなら畜生の人生となる。

 

大村智博士の人生

 大村智博士は、ノーベル賞を取ろうとして研究をしたわけではない。世のために儲かるはずのない微生物を研究者として45年間研究したら、100種以上のワクチンを発見でき、結果として人類に貢献できるワクチンが発見できただけである。世界中で年間3億人以上の人々が感染しながら、それまで治療薬のなかった疥癬症に対するワクチンを開発して、年間数百万人を失明の危機から救っている。それが評価されてノーベル賞を受賞された。

 

田中角栄の人生

 田中角栄は、学歴があったわけではない。学歴がなく苦労したから、人の機微を熟知して、組織のリーダーとして人の心を掴んだ。組織の中で生きる術を駆使して首相に上り詰めた。田中角栄元首相は「人は努力をすれば、必ず成功する。成功しても、それをひがむ人間がいることに注意せよ」と諭している。苦労した人しか言えない言葉である「成功しても、決して僻む側の人間になってはならない」とも言う。「自分」の人生に生きた人の言葉である。

 

菅直人の人生

 菅直人首相(当時)は、福島原発事故の際、原発の知識は東工大卒として、俺が一番だと思い、福島原発事故の現場に乗り込んで、「イラカン」の一番悪い状況を発揮して、指揮系統を大混乱させて、福島原発事故を大混乱の危機に陥らせた。その傲慢さが、彼に史上最低の首相との烙印を押した。「私」として、自己満足を優先としたから、無様な結果となった。

 

小川敏氏の人生

 小川敏市長の今までの行動を観察するに、「私」が前面に出た行動が目につく。彼は付属的要素の知識の面だけは秀でているが、徳性が秀でているとはとても思えない。そうでない事例だけは、数多く目にした。智慧がある行動がない。

 常盤神社での居眠り不敬、濃飛護国神社前でのギネス水饅頭の共食い行事で英霊への無礼、食べ物を粗末にしたギネス水饅頭の共食いの行事を含めて、彼はハチャメチャの大垣市制100周年記念行事で、無意味な100の数に拘り3億5千万円の市民税を浪費して、殿のご乱行として強引に100の行事を実施した。自己防衛目的で、その公金の使用用途をマル秘扱いにできる条令の制定等もした。

 岐阜新聞、中日新聞でも、人を押しのけて過剰に新聞紙上に顔を出している。天皇陛下から叙勲を受けた人を押しのけてまでして、自分が中央になる写真撮影を強制する。

 自分を崇める人間以外は、小川敏市長は相手にしないとも噂に聞く。なんでも自分が前面に出ないと収まらない性格では、組織として、人に任せる運営ができない。それでは人が育たない。まるで功名心の権化である。

 本来、裏方であるべき人が、表舞台にしゃしゃり出て大垣市長として活動したのが、大垣市の不幸であった。彼ほど市民から愛されない無能市長も珍しい。だから大垣駅前商店街が崩壊した。大垣市の地価が半値以下に暴落して、都市として没落した。未来を支える大垣の子供達の教育体制が崩壊寸前である。

 

事例

 下図は藍綬褒章を受章された木曽義尚さんと緑綬褒章を受章された藤井和子さんが、ノーネクタイの大垣市長をど真ん中にしている写真である。まるで市長が章を拝受したように見える。こういう類の写真が地方紙に頻繁に掲載される。小川敏市長の「私」が突出した行動である。大垣市民として恥ずかしい。こんな写真を掲載することを恥とも思わない地方紙がのさばっているのが恥ずかしい。子供の教育上で道徳が破壊される。

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  2018年5月30日、岐阜新聞西濃地域欄

 

小川敏氏の経歴

 彼の過去を見ると、利己として、何が何でも東大出でなければ、気が済まなかったようだ。1969年、安田講堂事件が起きて東大入試が中止になった年、彼は京大に合格した。しかし彼は翌年、東大に入りなおしている。東大卒業後、超一流の伊藤忠商事に入社したが、わずか6年で退社して、超零細企業の家業を継いでいる。何が哀しくて、東大卒として将来が約束されたはずの超一流の商社を辞めねばならかったのだ。

 伊藤忠商事の初代の伊藤忠兵衛は、典型的な近江商人で、その経営哲学「三方よし」の精神で、事業を発展させた。「三方よし」とは「売り手よし」、「買い手よし」、「世間よし」である。「世間よし」は、幕藩時代に、近江商人がその出先で地域の経済に貢献し、「世間よし」として経済活動が許されたことに起因する。それは「企業は株主との間でバランスの取れた事業を行うべき」との現代ビジネスの源流ともいえる。(近江商人博物館資料より)

 初代忠兵衛の座右の銘は「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの」で、高い道徳性と精神性が現れている。それこそ「自分」「吾」の思想である。

 その経営理念が伊藤忠商事に浸透している。それと小川敏氏の「私」が色濃い考え方と合わなかったのではないか。推察すると、伊藤忠商事の退社は性格的に伊藤忠商事の社風に合わず、退社せざるを得なくなったか、性格が災いして閑職に追いやられて、嫌気がさして辞めたと推定される。

 

大垣に帰郷後の小川敏氏

 その後の経過を見ると、小川敏氏が家業経営に没頭したとは思えず、家業はその後、小川敏氏なしで経営されている。その家業は今でも超零細企業の状態である。なぜ東大を出た小川敏氏が、家業を発展させられなかったのか。だから小川敏氏に経営能力があるとは思えない。高学歴と経営能力とは別である。大垣市が没落したのも、経営能力のない小川敏氏が市政の舵を取ったのが原因である。たまたま2001年、前市長の小倉満氏が現役で亡くなられて、小川敏氏が選挙に出たのが、大垣の運の暗転であったようだ。

 

小川敏氏の総合評価

 小川敏氏は、裏方の事務局長としてなら優秀である。しかし組織を統率する政治家としては、不向きであると私は思う。一番の問題は、それを本人が自覚していないこと。謙虚でなければ、徳は現れない。傲慢では、健全な組織のリーダーは務まらない。

 

2019-09-12   久志能幾研究所通信No.1336 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月11日 (水)

人間性分析 1/2  総論

 人間性とは、人生と組織の運命を左右する。その理論をもとに、田中角栄、菅直人、大村智博士、小川敏現大垣市長を実例で検証する。

 

自分とは何か(組織論)

 「我」とは稲(禾)を刃先がぎざぎざしたほこ(戈)で刈って、自分のものにしている様を表わす。「私」とは稲(禾)を腕(ム)で自分のものとして抱える姿を表している。「自分」とは、何者かによって生かされている全体の中で、「自ら」の「分」である。己は世の中の一部として考える姿である。その反対が「利己」である。己のことだけしか考えないから、囚われの闇の世界に落ちていく。自分の一族の中での位置づけを考えよう。

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自分とは何か(人間として)

 人間を人間たらしめる要素として、本質的要素付属的要素がある。本質的要素とは、徳性である。徳性とは、明るさ、清さ、人を愛す、人に尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉である。付属的要素とは、徳性の発露を助ける要素で、知識、知能、技能である。(安岡正篤著『人物を修める』より)

 人は知識でその人間の偉さを選別してきたのが、今までの偏差値教育である。それで人に順位付けをして、組織の構成をしてきた。人間の属性的要素(知識、学歴)だけを尊重した人間評価で組織を動かすから、往々に組織が壊死してしまう。その悪例が、東電、三菱自動車、日産、タカタ、三菱重工、大垣市の行政である。

 人は不完全な存在であるからといって、完全なる神を目指してはなるまい。それでは人でない存在を目指すこと、人でなし、になってしまう。あくまでも人間として欠点もありながら、それを人間味として、徳性を育成して角熟した人間に昇華した人生を目指したいと思う。本質的要素と付属的要素をバランスよく成長させる。その過程で自分の発見がある。

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新人教育資料「修身」 2004年  小田

 

自分とは何か(神仏鬼神として)

 自分とは何かを追及すると、己の心には佛も住めば鬼も住む。神を住めば魔モノも住む。それを超越して自然と佛と一体になること、それが仏教である。それを目指すのが人間であることに行き着いたのが、弘法大師である。

 東洋の思想では、人は全て佛性を持つとされる。悪人でも閻魔大王の前で、地蔵菩薩が弁護人として救済してくれるとの思想が生まれ、地蔵菩薩信仰が生まれたという。それゆえ東洋の宗教には救いがある。悪があるから善が映える。人間である以上、一度も罪を犯さなかった人はいまい。それに目覚めさせてくれるのが懺悔する心であり、ご先祖に手を合わせる環境である。

 

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 松本明慶先生作「童地蔵菩薩」

 

 

吾は権現様・佛様である

 「吾」とは、神のお告げと神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。

 修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。

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ご先祖

 自分の運命は、己に流れるご先祖の血が左右している。己の無意識の行為に、ご先祖様の姿がある。家系図でご先祖の後姿を見れば、己の血が分かる。善も悪もご先祖様の教えである。ご先祖はやってはいけないことの結末を、30年後に孫に見せている。その行動の全ては、すべて遺伝子に書き込まれる。それは「天網恢恢疎にして漏らさず」の結果となる。

 ご先祖様は家系図内で人生劇場を演じている。そこには平家物語もあれば方丈記、リア王の物語もある。東西の宗教の差や宗派の違いは、単なる派閥争いの類で、手を合わせ自省することは、宗派を超越した行為である。

 

人生の螺旋階段

 西洋では神が完全無欠の絶対的存在であるので、不完全な人間は悪でしかない。最期の審判で、人は天国と地獄に行き先を振り分けられる。敗者復活戦はありえない。その最期の審判を凝視する姿がロダン作「考える人」である。

 地獄の前で最期の審判を見なくても、家系図を見ればその人が分かる。自分の考え方を見れば、人生の結末が観える。両親の教育を見れば、人の行く末が観える。

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 「考える人」 大垣市興文地区センター前

 

運命を決める遺伝子

 最近の凄惨な無差別殺人の多発がそれを象徴している。自分の考え方、親の教育次第を見れば、人生の螺旋階段を昇るのか、地獄へ下るかは、おおよそ見える。親が子供へ与えるメッセージが子供の遺伝子に影響を与える。自分のこどもの将来は、親が握っている。

 人は組織として疎外感に苛まれて、起こす事件である。「利己」ではなく、「自分」という考えを持てば、そんな凄惨な事件は起すまい。全て利己が起こす事件である。人間として知識だけで評価されて、社会の底辺の突き落とされて起こす事件である。人間として、ご先祖を敬う躾を受けなかった咎で起きる事件である。

 

2019-09-11   久志能幾研究所通信No.1335  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月10日 (火)

講演「やれる理由こそが着想を生む。」

 今日、日経ホール(東京大手町)で、「はやぶさ」のプロジェクトリーダの川口淳一郎氏の講演を聞いて感銘を受けた。そのエッセンスを紹介する。

 

シンポジウム Smart Work経営 日本の挑戦

基調講演「やれる理由こそが着想を生む。」

はやぶさ式思考法

講師 川口淳一郎氏(宇宙航空研究開発機構(JAXA)シニアフェロー)

2019年9月10日 日経ホール(東京大手町)

 

 「はやぶさ」は、2003年5月9日に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機である。イオンエンジンの実証試験を行いながら2005年夏にアポロ群の小惑星イトカワに到達し、その表面を観測してサンプル採集を試みた後、2010年6月13日、60億 kmの旅を終え、地球に大気圏再突入した。地球重力圏外にある天体の固体表面に着陸してサンプルを採取して、地球に帰還するという偉業を、世界で初めて成功した。

 

歴史

 時に1969年、アメリカNASAは月面着陸に成功。1970年、日本はやって人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功したが、当時の宇宙開発研究者はどうやったらいいかを悩んでいた。我々は何をすべきか。このままアメリカソ連の後追いをするだけでいいのか、と。

 後追いの開発、それは、リスクの少ない、批判を浴びない選択である。

 我が国の宇宙開発の先が見えなかった。議論をして、その結果、「小さい天体から試料を持って帰ってくること」を目標に決めた。小天体こそ、宇宙誕生の痕跡を残している。それを解析すれば、その宇宙誕生の未知のベールを剥がすことが出来るのだ。1985年のこと。

 

NASAの後追い

 2016年9月8日、アメリカはNASA版「はやぶさ」打ち上げた。日本に遅れること13年である。NASAも「小天体こそ、宇宙誕生の痕跡を残している」ことに気が付き、その計画を実施した。「はやぶさ」とそっくりである。

 

心から始まる

 「全ては心から始まる。体はそれに付いてくる」

 サーシャパメン 全米全豪を制した大坂なおみのコーチのアドバイス

 サーシャパメンはメンタルで大阪なおみを支えた。

 京セラの稲盛和夫氏は『全ては心からはじまる、心におわる』という本を出している。

 

伝統の力とは何か

 駅伝競走にように、そのメンバーが変わってもよい。その実力は環境が育てる。環境が育てた自信である。

 自分達がやらねば、やれる自信を持つ事が伝統の力である。

 

 思うこと: 小川敏市長は、黙って実質的に事業仕分けのように、子供達の教育予算をカットして、子供一人当たりの教育費を県下最低レベルにしてしまった。だから小川敏市長は、大垣の伝統まで抹殺しようとしている。環境が大垣市の未来を支える子供を育てるのだ。その大垣の子供達の未来が危ないのだ。小川敏市長を廃して大垣を変えなくては、大垣が滅びる。

 

親方師弟関係

 JAXAの先輩には変人が多かった。ひどい言い方で皮肉を言われたことが多い。しかしその本意は、無知の知を知れ、であった。本当の力は、自分で獲得したものだけである。教えてもらったことは、実力ではない。

 その獲得手法は、親方師弟関係である。親方は、決して弟子に教えない。弟子は親方の背中越しに、親方の技術を盗む。盗んだものは決して忘れない。そのためには親方が常に現場にいることが大事。ISO9000では、ドキュメントを残せばよいと書いてある。しかしそれでは、本当の実力はつかない。現場で親方から盗んでこそ、実力が付く。

 

智者見於未萌

 「見えるものは、皆、過去のもの」 川口氏の師 長友教授の言葉

 愚者闇於成事、智者見於未萌

 愚者は成事に闇く、智者は未萌に見る  『戦国策』

 意味は、「愚者は形になってもきがつかない。智者は未萌を見る。」だから長友教授は、若い人に、その芽を探して歩かねばならないと常々言っていた。

 

価値ある国を作る

 米国エンリコ・フェルミ研究所で荷電粒子を加速する巨大な加速機を作った時、「この機械で、国を守れるか。何の価値もないではないか」と反対派の議員がかみついた。「しかしこの機械で、守るべき価値ある国を作ることができる」とプロジェクト責任者のロバート・ウィルソンは反論した。

 これは民主党の事業仕分けと全く同じ考えである。(民主党に国を任せたら、国が亡ぶと私(小田)は思う。)国民が自国の未来に自信を持てなくなったら国はおしまいである。その自信を付けるのが大きな国のプロジェクトである。国民が夢を見れなくなったら、飯も食えなくなるのだ。あの国はコピーしか作れない国だと思われたら、おしまいである。

 民主党の時代、「はやぶさ2」の予算が事業仕分けで半年間、凍結された。「はやぶさ2」はその間、国から見放されて宇宙空間を飛んでいた。幸い、半年後に政権交代があり、予算が復活した。その間、民間企業がその運営を支えてくれた。

 

人財育成

 自分がシニアになって思うのは、ジュニアには自分を超えて成長して欲しい、ということ。人財育成の重要性を感じる。

 

ポリシーの大事さ

 欧米は、1000年、2000年に渡る異文化との戦いで、ポリシー(戦略)が大事だと分かってきた。

 日本人は出来ること(得意なこと。戦術)をやる方が楽なのだ。作ってからどうするかを考えているから、欧米に支配される。

 

未来への道を

 ピラミッドの土台作りに一生をかけるより、尖った高い塔を先に立てる挑戦に取り組んで欲しい。そうすれば回りが出来てくる。

 「人が夢を造るのではない。夢が人生をつくるのだ」大谷翔平

 不完全でも新たなページを開かないと、新たな世界は開けない。

 超変人の集まりが川口淳一郎氏の先輩達であった「こうすればできる」という思想をJAXAで糸川博士から受け継いだ。

 全てはやれる理由を見つけて、挑戦しない限り、成果は得られない。

 我々は自信を持って、取り組めばよい。他国を模範にする必要はない。

 新しいプロジェクトには、レシピは不要である。自分で考えるべきだ。

 若い人には、やれる理由をみつけて挑戦して欲しい。それで新しい日本の未来を作って欲しいと願っている。

 

2019-09-10   久志能幾研究所通信No.1334  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。