「桜田門外ノ変」の検証 (22)寺院経営
恩師への御奉公
2015年11月24日、吉田松陰のお墓にお参りをしていたおり、その境内で女子学生30名ほどが掃除の奉仕活動をしていた。お参りをした後、隣接の墓地を見学していたら、女子学生たちが「恩師の墓」の前に整列して校歌を静かに合唱して、引率の教師と思われる方の講話と生徒の代表のスピーチが始まった。昭和女子大学の創業者や恩師のお墓に定期的にお参りをして創業の精神と恩師への感謝を伝える教育の授業のようだ。日本の美しい伝統を守る教育を目の前で見て、少し嬉しくなりシャッターを切った。学問の神様の松陰神社に、大学の創業者のお墓があるとは羨ましい。
神社・寺院の経営
神社としては珍しく、松陰神社に隣接して、墓地と葬祭場が併設されていた。世田谷区のど真ん中で、すぐ横には国士舘大学、豪徳寺がある超一等地である。きっとお墓の一聖地もド高いのだろうと推察した。そこにお墓を持てるのは、一種のステータスのように思う。松陰神社の墓地や井伊家の菩提寺の豪徳寺の墓地には、ステータスとしての付加価値がある。お墓を持つにしても、競争率が高い墓地を経営しないと、お寺もやっていけない。現在は廃寺の問題が各地で起きている。高い付加価値を出せるお寺なら、廃寺の憂き目にもあわなくてすむのだろう。
地域密着型の経営
もともと、お寺は地域の役所のような役割を担っていた。地域の住民と共にあった組織である。どれだけ地域住民に融けこんで、寺院経営が出来るかが問われている。お寺での集会が価値ある内容でないと、お寺で法要を開催しても人は集まらない。それと日頃の住民との交流があるかどうかである。その交流も住職の人格によって決まる。それは、ある人の交友関係が、その人のご縁と社会交際実績を作るのに良く似ている。
住職の法話の魅力
昔は住職といえば、その地区の最高の知識人であり、人格者であって人々の相談相手や指導をしていた尊敬されるべき方であった。現在は情報がマスコミを通して溢れ、一般人の方が、知識レベルが高い場合もある。住職として俗世間とは離れた面の指導や知識がないと檀家は魅力を感じない。企業でも社長を観れば、その会社のレベルが分かるように、住職を観れば、お寺の経営状況が分かる。企業でもその社長以上の部下は育たない。法事でお経を上げるだけで、法話一つしない僧侶では尊敬されまい。葬式坊主と言われては、お寺経営も衰退の一途である。組織としての寺院のトップにお寺の興亡がかかっている。そのお寺が衰退して困るのは檀家である。
あの住職の法話を是非聞きたいと思わせるオーロラ、話術、内容が伴う法話を話せる能力が求められる。私はこの5年間に、塩沼亮潤大阿闍梨の話を聞きたくて、その講演会に東京に3回と京都に1回と計4回も行ったことがある。それだけの魅力のある人格と法話であった。今は年に10回ほど、九州の馬場恵峰先生宅を訪問しているが、その目的は先生のお話を聞くのが大きなウエイトを占める。そういう魅力を寺院のトップは持たないと、寺院経営が成り立たない。
テレビ真理狂軍団でも、あの手この手で視聴者を洗脳させようと必死である。なにせテレビ局は拝金主義教に染まっているから。そんなコンペチータに洗脳された檀家を引きつけるためには、お寺も相応の手段が必要とされる。
「結局一つの団体、組織の運営がうまくいくかいかないかは、ある意味ではその指導者一人にかかっているともいえましょう。その責任はすべて指導者一人にあるといってもいいと思うんです」(松下幸之助著『指導者の条件』)
図1 松陰神社 掃除の御奉公をする女子学生たち
図2 松陰神社 前方の鳥居の右奥が吉田松陰の墓所
図3 昭和女子大学の恩師の墓(松陰神社内の墓地)
図4 昭和女子大学の恩師の墓の前でお勤め
図5 松陰神社内の墓地 左手の石塀内が松陰の墓所
図6 松陰神社内の墓地 奥が葬祭場
2017-08-11
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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