ma_時間創出1001の磨墨智 Feed

2021年2月 8日 (月)

今ここ  師との死別(磨墨知128)

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。波間に浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし。」 方丈記

 だからこそ、今に全力を投入しよう。「そのうち」などは永遠に来ない。それは死後(死語)の世界。「今のうち」しか時間はない。

 惜寸陰歳月不待人、時は人を待ってはくれない。

 

視力の喪失

 還暦を過ぎて国家資格の受験勉強中に、白内障と網膜はく離を患った。2週間ほど左目が失明状態に陥り、今まで見えて当たり前の世界から、見えない世界に追い込まれて、つくづくと今が大切、今のうちしか時間がないと思い知らされた。勉強ができるのも目が見えるうち。生きているうちである。そのうちにやろうと思っても、やれるのは「目の見える今のうち」である。愚かな人間は失って初めてその価値に気づくもの。

 

師力との別れ

 馬場恵峰先生の書の撮影のため、毎月九州に飛んで写真を撮影していたが、新型コロナ禍が広がり、緊急事態宣言が発令され、しばらく静観だとして大垣で息を潜めていた。ところが2020年11月、先生が体調を崩されたとの連絡を受けた。

 胸騒ぎを覚えて、すぐ九州に飛んだ。状況を見て、先生に会えるのも今しかないと思い、11月、12月に一泊2日で計4回も九州に飛んだ。それが正解であった。先生宅に滞在中の8日間に、先生とまともにお話が出来たのは2回だけであった。

 病床の先生は私の手を握り、涙を流して喜こばれた。先生が涙を流すのに接したのは、この15年間で初めてであった。

 

死力の出会い

 恵峰先生は、2021年1月1日22時38分に静かに息を引き取られた。93年間と8ケ月の大往生である。私を育てて頂いた師との別れである。出会いがあるから、別れがある。別れは悲しいが、先生との出会いが、宝物のような出会いであったことに感謝である。

 死があるから生がある。その死を厭うのではなく、願うのではなく、悲しむのでなく、生老病死の流れとして受け止めたい「行く時は別れ別れに違えども、流れは同じ蓮の台(うてな)に」と仏教の古歌にあるように、最後は一つの大きな流れに帰っていき、何時かはまた会えると信じている。それを信じる力が死力である。死力とは、師の教えを活かして明日を切り開く力なのだ。

 

死の気配

 12月6日に明徳塾の10人程の塾生が遠方から見舞いに来たが、その時は先生の意識がなく、先生とお話しができなかった。彼らは当初のОB会日程に合わせて来たきたのであって、先生の容態が悪くなったのを聞いて、直ぐ飛んできたわけではない。それで先生とお話ができなかったのは、本気がなかったためだ。彼らには「惜寸陰歳月不待人」を認識がなかった。師の死の気配を推察できなかった。

 12月21日、先生の意識が珍しくはっきりしていた。私は間違えてО氏に電話をかけたら、氏はその状況を聞いて遠路2時間の道のりを車で飛んできた。私は、電話の2時間後に突然現れたО氏にビックリであった。それでО氏は恵峰先生と抱き合って涙を流して最後の別れをすることが出来た。

 相手のことを思っている熱量で、人生の出会いが決まることを教えられた。私は先生から最後の良き教えを頂いた。

 

師の最期の教え

 先生は体調を崩されて1か月程は寝込まれたが、その前の11月までは元気一杯で仕事をされていた。先生が日頃言われているように、「生涯現役、生涯自己挑戦」の理想的な生き方であった。それが恵峰先生の後姿の教えであった。

 

「今ここ」の死

 今ここは永遠の生であり死である。寸前の「今ここ」は過去の頁となった。その「今」は二度と巡ってこない。その「今」が連綿と続いて己の人生となる。だからこそ「今」を大事にしたい。

 

今ここ

 恵峰先生から、毎回の「今しかない。後からはない」との教えを、今回の恵峰先生との別れで生かせることが出来た。

 恵峰先生に知人から依頼された書の揮毫をお願いすると、いつもその場で「今から書きましょう」と揮毫された。曰く「今日、小田さんがこの書を持って帰れば、後で送るより、この書の依頼人がもっと喜ぶはずだ。」である。私もその教えを実践している。

1  馬場恵峰書  2011年

Dsc099621s  馬場恵峰書 2017

2021-02-08   久志能幾研究所通信 1915  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月 7日 (日)

本気 (磨墨知120)

 

「本気ですれば大抵のことはできる。本気ですれば何でも面白い。本気ですれば誰かが助けてくれる。人を幸福にするために本気で働いている者は、みんな幸せでみんな偉い。」(出典不明)

 本気が時間の経つことを忘れさせてくる。時間が気になるのは、本気でないからだ

 

 夢が実現しないのは、本気でないからだ。本気であれば、夢を実現させるために、自然と足がその方向に動く。足こそが、本気さを表している。本気でないと、足が動かない。おカネも動かない。だから、おカネを「お足」という。本気でおカネをかければ、成就しないものはない。お金は後からついてくる。先に金を求めるから、夢が実現しない。おカネだって魂があり、プライドがある。

 

 勉強ができないのは、本気で学問に取り組んでいなかったからだ。その基礎ができていないのに、人生という建物を作っても、基礎ができていないから、人生という建物が崩れる。

 

 商売やギャンブル、投資で儲からないのは、本気で基礎を勉強してないからだ。遊びでやって、儲かるはずがない。そんな態度では違法スレスレで、騙してでも儲けたいと思っている強欲者に勝てるわけがない。

 

 病気になるのも、自分の体を本気で大事にしていないからだ。己を病気にさせる相手は、上司から成果主義で攻め立てられて、あの手この手で、美味しいものをカモに売りつける。しかし美味しいものには毒がある。その誘惑に負けた者が病気になる。酒、煙草、スィーツ、グルメ番組、痴呆番組等である。痴呆番組に浸ると認知症である。

 

 子供の教育に失敗するのも、本気で子供と向き合っていなかったためだ。女優の三田佳子のように、「子供には月60万円のお小遣いをあげているから不良などになるわけがない」という親がいるから、情けない。

 元鳩山首相の母親が、”お小遣い”として、月1500万円も鳩山首相に出していたので、日本の政治はぐちゃぐちゃになった。一国の首相の行動が国の姿勢をきめる。母親は本気で子供の教育をしてこなかったのだ。だからあんな人格が出来上がった。

 

 交通事故に遭うのも、本気で「極楽運転道」ルールを守っていないからだ。車を安易に走らせると、車は走る凶器に変貌する。走った距離に比例して、事故が発生する。用もないのに車を走らせるから事故になる。本気で人生を考えていないからだ。

 

 詐欺に遭うのも、楽をして利益を得たいと願うからだ。本気で物事を観ていないからだ。此の世でうまい話などない。詐欺は些細な事象を見るだけで発見できる。

 新興宗教に騙されるのも、安易な方法で、苦労せず幸せになりたいと思うからだ。本気で幸せになりたいと思っていないからだ。本気で人生を歩いていないからだ。安易に新興宗教に嵌るから、絞首台を登らねばならなくなる。

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 馬場恵峰書  2006年

 

2021-02-07   久志能幾研究所通信 1914  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月 6日 (土)

明日死ぬ気配を隠して.. (磨墨知123)

 明日死ぬる気配も見せず蝉の声(芭蕉)

 

 今を精一杯生きているからこそ、蝉の鳴く声に生命力を感ずる。明日の命は分からない。今やるべきことをなせ。交通事故、天災、新型コロナ禍で、明日がどうなるかも分からない世の中だ。

 

明日は死

 生は偶然だが、死は必然である。人間は、いくら頑張ってもせいぜい100年しか生きられない。人間の寿命には物理的限界があり、120歳が限界である。しかしその途中で病魔、事故が人を襲う。だからこそ、必ず訪れる死の準備をしておこう。残された人が困らないようにしておこう。

 

 日本では、交通事故で2,839人(2020年)が死ぬ。

  1970年代の交通戦争時は死者数1万人を超えた。

  それこそ死後の準備もあったものではない。

 新型コロナに罹り突然に3,600人(2020年)が死ぬ。

  ある日、ICU室に隔離されたら、なす術もない。

 インフルエンザで毎年1万人が死ぬ。

 お風呂で年間2万人が死ぬ。

 自殺で2万人が死ぬ。一時は3万人を超えていた。

 誤嚥性肺炎で4万人が死ぬ。

 心疾患で204,387人(2017)が死ぬ。

  そのうち37,222人(2015年)が急性心筋梗塞で死ぬ。

  その即死同然の死が、この20年間で2倍に急増している。

 癌で373,584人(2018年)が死ぬ。

  それでも癌は死ぬまでに時間があり、準備ができる。

  今は日本人の2人に一人が癌になる時代である。

 老衰で死ねる幸せな人はたった101,000人(2017年)。約1割である。

 

 死は他人ごとではない。最近は、知人から便りがないと思っていたら、新型コロナで亡くなっていたという話が多い。

1   馬場恵峰書

 

余命宣告

 私も河村義子先生の葬儀後に、胸騒ぎを覚えて検診を受けたら癌が発見された。その癌の5年後生存率が51%である。同じ病気の人は、5年後に半分が死ぬ確率で、余命2.5年の宣告と同じである。だから私は残された時間を大事にしている。時間は命なのだ。

 河村義子先生は病魔に襲われ余命5年と宣告され、手術をするとピアニストとして生きられないと分かると手術を拒否して、ピアニストとして音楽道を全力で生きる道を選択された。私には死ぬ気配も見せなかった。だから義子先生の突然の訃報に茫然自失である。

 

天寿

 馬場恵峰先生も、突然に体調を崩され93歳と8か月の人生を終えられた。先生もまだ死ぬことは想定していなかったようで、11月まで元気一杯であった。私も書友の多くは、先生は100歳まで現役だと思っていた。先生には死ぬ気配などどこにもなかった。昨年に奥様が亡くなられたのが応えたようだ。

 それでも馬場恵峰先生は、93歳まで超人的な活躍を継続されたので、うらやましい天寿である。私もそれを目指して頑張りたい。

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 2020年3月15日 馬場恵峰先生の元気な姿

 これ以降、新型コロナ禍が急速に広まり、私は九州の先生宅に行きたくても行けなくなった。これは私が撮影できた元気な恵峰先生の最後の写真

 

余命宣告からの生き方

 人生で余命20年も5年も、人生の長さから言えば、誤差範囲である。余命1ヶ月なら、金を使いまくり毎日楽しく過ごせばよい。しかし1年以上も余命があるなら、一仕事が出来る。また娯楽に溺れた生き方は、1か月間もそんな生活を続けると、まともな神経ならそれが逆に精神的苦痛になる。だから多くの人は命をかけて世に残す仕事に全力をかける。

 

有限の時間

 多くの人は、時間などいくらでもあると思って時間を無駄して生きている。しかし、今日が人生最期の日かもしれないのだ。余命を意識して一日一日を大事に生きている者から見ると、他人は不死の者でのように振舞っている。しかし、いくら頑張っても後50年は生きられない。だからこそ私は無為に生き永らえるよりも、限りある命を輝かせて、今を全力で生きるのだと覚悟して生きている。

 

時間の伝教師

 私は見送られるよりも、知人を見送ってあげたい。だから私は時間の大切さを「時間創出1001の磨墨知」で皆さんに伝教している。時間は命なのだ。命とは、此の世で使える時間の長さなのだ。

 

2021-02-05   久志能幾研究所通信 1913 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年2月 3日 (水)

前後裁断  (磨墨知122)

 

「過ぎ去れることを追うなかれ。今だ来たらずを思うなかれ。過去は既に捨てられたり。未来そは、到らざるなり。されば、ただ今あるところのものをその所に於いて観察すべし。ただ今、正になすべきことをなせ」 平家物語

 

 「いま」、「ここ」に全力で生きると時間が輝く。昨日は二度と帰らぬ過去のこと。明日は遠~い未来のこと。明日があると誰が保証するのか。今は新型コロナに襲われるやも知れぬ末世だ。今こそが、勝負の時だ。「いつか」、「今度に」などは、痴れ者の言葉。それは言い訳の言葉である。それが実現したためしがない。

 

 「今忙しいので、今度、時間が出来たら、書道を教えてもらいに来ます」「いつか先生の書道教室に参加します」と恵峰先生の知人がいつも言っていた。忙しい忙しいと言いながら、その人の車が、パチンコ店の前に停まっていたのを恵峰先生はたびたび目にした。いつしか、その人の家に忌中の札が貼られた。とは、恵峰先生の講義でのお話しであった。

 

前後裁断

 あれほど元気であった恵峰先生も、わずか一ヶ月ほどで、病状が急変して、この正月に逝去された。九州からの連絡で、胸騒ぎを覚えて、このコロナ禍の中、2020年11月と12月に1泊2日で4回、九州に飛び、恵峰先生宅に最後の面会に行った。

 8回お見舞いをしても、恵峰先生とまともな会話ができたのはわずか2回であった。遠方から恵峰先生の見舞いに来た仲間も多くいたが、先生の意識がなく、先生と会話もできず帰った仲間も多い。

 それに比べれば私は幸せだ。前後裁断、意を決して、九州に飛んでよかったと思う。そうでなければ、一生の悔いが残った。今しかなかったのだ。

 新型コロナ禍の中、感染の危険を避けるため、全てグリーン車を使い、何処にも寄らなかった。新型コロナの影響で、グリーン車はほぼ貸し切り状態で、乗客2,3人である。旅費、宿泊費の総額費用は膨大になった。

 そんなことを言っている場合ではない。私は、そのために日頃の節約をしている。お金を使う時に使わないから、人生の価値が棄損する。

 何時お金を使うのか、「今」でしょう。歳月人を待たず。「ただいま、正になすべきことをなせ」である。

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 馬場恵峰書  2017年

 

2021-02-03   久志能幾研究所通信 1909  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月31日 (日)

上昇指令と逆噴射を同時では墜落 (磨墨知137a)

 

 「ボケイング(ボケing)」とは、「ボケ」の現在進行形(ing)形である。

 人は愚かな存在だ。啓発セミナーに参加して刺激を受け、自分を変えようとアクセルを一杯に踏むが、内なるもう一人の主人公がブレーキをかける。

「やめとけ、ヤメとけ。そんなこと無理、無駄。笑い者になるだけ」

 それに納得して、やろうとした改革に逆噴射していたのが、今までの己である。

 乗っているのが自転車なら、その場で止まっているだけで、お笑い劇場で済む。しかし人生でそれをやれば、人生沈没である。それで失恋、左遷、挫折である。飛行機の離陸で逆噴射をかければ、墜落である。

 それこそ優柔不断、ホバリング(ボケイング)である。要は認知症一歩手前である。

 

経営のアクセルとブレーキ

 経営者が会社経営で、スロットレバーを引きながら逆噴射をかければ、会社が倒産してしまう。

 日産は、ゴーンが会社立て直しのためとしてリストラのスロットレバーを全開にしたが、未来への投資にはブレーキをかけた。その裏では、ゴーンはお手盛りの贅沢三昧をしていた。

 世の中は急速に変化している。グローバル経済競争の世界では、現状維持で投資削減では、現状維持さえむつかしい。それは敵前逃亡で、負け戦なのだ。日産は、将来への投資をケチったため、その後、魅力ある新車を市場に投入できなかった。だから日産は沈没した。日産はゆでガエルのように、少しずつ茹で上がっていった。その過ちが露見するのに、20年の歳月を要した。ゴーン・チルドレンも甘い汁を吸っていたためだ。

 私の前職の会社も、学閥優先の決断できない経営者がのさばっていたので、スロットレバーを引きながら逆噴射をかけるという経営であった。市場の変化に対応した必要な技術投資が出来ず、ジリ貧になり創業60余年で市場からその名が消えた。世間にはそんな事例がゴロゴロしている。

 

人生の岐路

 自分の人生を振り返っても、人生の岐路での選択で、アクセルとブレーキを同時に踏み込む過ちを繰り返していないか、見直そう。20年後にその間違いに気が付いても、その時は手遅れである。日産のように。

 

実践至道

 自分の内なる声が2つもあるとき、何方を信ずるかは、直観に順う勇気を持とう。命は刻々と尽きていく。世の中は激変している。今からでも遅くない。命が尽きる前に、一歩前に出よう。己のボケイングに気付いた時に、何か新しいことに挑戦・実践すべきだ。何かを実践すれば、なんらかの答えを世間は示してくれる。

P10500021s  馬場恵峰書 2008年

 

2021-01-31 久志能幾研究所通信 1906  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月30日 (土)

スロットルレバーを引こう  (磨墨知137)

 

 飛行機は離陸しないことには目的地に着けない。目的地に達するために、まず離陸に、集中的にエネルギーと時間を使おう。最初の熱き決意がないから、反対勢力に潰される。

 新しいプロジェクトを立ち上げるには、通常の20倍のエネルギーがいることを覚悟すれば、どんな苦難にも耐えられる。その覚悟がないから、些細な障害で挫折する。

 

「創業期(新しい仕事)には、平常業務の20倍のエネルギーがいる」

     テンポスバスターズ社長 森下篤史

 

外科医は手術中に電話に出ない

 人生を成功するためには、脇目も振らず、一つのことに全精力を注力する。一時一心一念道、人生二度なしである。スロットレバーに命をかける。なにせスロットレバーを引いている時は、人生で一番不安定な時なのだ。

 外科医は、癌の手術中に携帯電話には出ない。目の前の手術に全力投球である。パイロットは離陸中にコンビニに寄らない。寄れば墜落だ。

 この当たり前のことが出来ない人が多い。目的を持って出発したのに、なぜ途中で寄り道をするのか。

 

魂と魂の出会い

 友と話していれば、それが己の人生で今、一番大事なご縁の出会いである。友と会話することは、友を己の鏡として、己の癌になる寸前の部位を摘出手術しているのだ。出会いとは、魂と魂の出会いだ。ご縁は一期一会、その時は、二度と来ない。人が人生の成功をもたらしてくれる。

 その大事なお話し中に、勝手に割り込んでくる携帯電話に何故出るか? その電話が話(人生)の腰を折るのだ。そんな無礼な電話には、あとから電話をすればよい。着信履歴があるではないか。その些細な行動が、信用を失なわせる。信用とは、蓄財の基礎である。信用を失っては、金持ちにはなれない。

 

目の前のお客を無視

 8年程前、自宅で、リフォーム工事で耐震補強設計の打ち合わせ中に、その設計事務所の社長に携帯電話がかかってきた。電話相手が「今いいですか?」と聞いたが、その社長は「いいですよ」と答えて会話を始めた。私はその社長に「帰れ」と怒鳴って、会議を打ち切り、耐震補強設計の依頼をキャンセルした。人を馬鹿にするにもほどがある。その業者は、私より電話口の客の方が大事だとボディランゲージで示したのだ。その後の仕事での不誠実さが予想されたので、キャンセルが正解である。縁なき衆生は度し難し。

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Dsc089821s  馬場恵峰書

2021-01-30 久志能幾研究所通信 1905  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月28日 (木)

幸福度を上げよう  辛型コロナ対策 (磨墨知453)

   

 幸福になるために、欲望を小さくして時間を創る。

   幸福=充足/欲望

 欲望を小さくすれば、充足までの時間は短くできる。

 「足るを知る」は禅の言葉。

 欲望を大きくするから、なかなかに器が埋まらない。立って半畳、寝て1畳、飲んで三合で、人が消費できることには限度がある。お金を使うにも大きなエネルギーが必要だ。それが原因で体を痛めて早死にしては、何のために金儲けをしたのやら。グローバル経済主義者のように集めても集めても飢餓感を増やすだけでは空しい。必要以上にかき集めても、物理的に使いきれない。

(私の本音、それにつけてもお金の欲しさよ?)

 

サムソン総帥の肥満

 サムソンの総帥・李健煕は、韓国一の財産を貯めても、72歳に急性心筋梗塞で倒れ、それから6年間も意識不明でベッドに横たわった。体形から見て飽食と運動不足が原因(推定)だと思う。彼は意識が回復せず78歳で死亡した。その後の遺族達の醜い裁判沙汰の財産争いが結末では、何が人生の幸せかを考えてしまう。その後継者の長男が刑務所行きでは浮かばれまい。

 人生の勝負は死の瞬間である。その時、「いい人生だった」と思えれば、その人の勝ちである。李健煕は、そうは思わなかっただろう。死の前に、金は無力である。

 

欲望のパンデミック

 カルロス・ゴーンは倒産寸前の日産に乗り込み、先人が貯めた資産を切り売りし、従業員を必要に以上に解雇した。彼に特別の経営能力があったわけではない。冷酷に経営資源をカットしただけである。外人だから冷酷に人員整理が出来ただけだ。まるで新型コロナウイルスのように、寄生した細胞を食い物にしながら、ゴーンは増殖して金満肥満になっていった。金を集めても集めても満足することがない。欲望のパンデミックである。

 

馬場恵峰師の無価珍

 人が死んだ後に残るは、集めた量ではなく、世間、後世に与えた量の記録である。馬場恵峰師は、中国に250回以上も自費で旅行をして、(一回30万円として)8千万円近くの金を使ったが、表面的には何も残っていない。しかし恵峰師の頭の中には友情と経験と智慧という無形の財産が残った。それを「無価珍」という。それが恵峰師の芸に深みを与え、後進を育てる肥やしとなった。

 「無価珍」とは金では計り知れないほどの凄まじいお宝という意味である。

 

中国の恵峰先生への評価

 中国政府は、1993年、馬場恵峰師に刺繍で織り上げた肖像画を贈った。刺繍肖像画を過去に贈られたのは、日本人では田中角栄、日中友好議員団の参議院議長である。先生の肖像画の前作がスカルノ大統領の刺繍肖像画であった。この刺繍肖像画の製作には1年間かかる。この刺繍肖像画は、中国共産党の許可がないと制作出来ない。

 中国政府は、2000年、馬場恵峰師を浙江省8000万人の名誉市民として表彰した。

 馬場恵峰師は2003年に渓流希望小学校の建設に尽力をされた。名誉校長の称号送られている。与えたことに対する中国からのお礼である。

 2004年、中国桐蘆県教育功労賞、受賞。

 馬場恵峰師は、日本では祖父、父と三代続けて、2013年に長崎県民賞を授与されている。国に対して叙勲を県が申請中であったが、叶わなかった。日本の対応が情けない。

 

独占欲という辛型コロナ

 己の集めているもの、集めてきたモノは、社会で何の価値があるかを振り返ろう。己の死の後、それがどういう価値を産むかを考えよう。なんでも自己のモノにしたいという独占欲は増殖する。新型コロナウイルスと同じである。それが不幸の始まりだ。金銀財宝は、あの世には持っていけない。

 

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 刺繍肖像画

P1010479s  建設に尽力されて贈った渓流希望小学校

P1070259s   渓流希望小学校の開校式 2003

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 馬場恵峰書

 

2021-01-28 久志能幾研究所通信 1903  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月26日 (火)

調和=弱肉強食(コロナの考察)  磨墨知452

 

 滅びゆくものを無理に「保護」しない。保護する時間と金が無駄である。その保護するエネルギーがその種全体を弱くする。

 弱者の滅びは、自然界が調和している証しで、自然界の原理原則である。弱いものを保護するとますます弱くなる。滅びるものが滅びず、全てが栄えるとはすべての種が絶滅する事。一種だけ繁栄しすぎるのは生態系が崩れて全てが滅ぶのだ。その場合の保護は見せ掛けの援助となる。宇宙全体の時間経過に逆行する。

 

免疫力低下での死亡

 新型コロナで死ぬのは年間3,414人(2020年)癌では373,584人 (2018年)、脳梗塞で62,122人 (2017年)誤嚥性肺炎で約40,000人、心筋梗塞で37,222人(2018年)糖尿病で13,969人(2017年)、インフルエンザで毎年約10,000人、である。全て自然の摂理に反した狂った生活、狂った食生活を送ってきて、体の免疫力が低下して病魔に負けたのが原因である。

 新型コロナで死亡する多くが、免疫力の低下した疾患持ちの人達であるが、新型コロナだけでなく、他の病気でもそれは同じである。新型コロナで死ぬより、他の病気で死ぬ人が多い。

 癌でも、癌そのものが原因で死ぬわけではない。癌で免疫力が低下して、肺炎等で死ぬのが大半である。

 だから癌を罹患した私は、自分の免疫力向上に力を注いでいる。死んでもいいから、免疫力向上である。それこそが健康管理である。

 マスコミが新型コロナの恐怖を煽り過ぎるにはワケがある。他の病気(生活習慣病)の死因が、マスコミの大スポンサーの提供する食品の取り過ぎが原因であるので、それから目を逸らすためとしか思えない。例えば、酒、煙草、砂糖、食用油、添加物防腐剤が大量に入ったスィーツ・菓子・食品類である。

 病原菌も他の生物を攻撃して生きるのが自然の営みである。病気で死ぬのは、免疫力を低下させる「美味しい」食品を多く取ったためである。美味しいものには毒がある。

 

非武装中立の愚

 自然界の冷酷な掟で、無防備な生命体は他の攻撃を受けて死ぬ。アフリカのサバンナに生息する弱い動物は、その嗅覚、聴覚、視覚を最大限にして身を守っている。その注意を怠った動物がライオンに食われている。

 非武装中立をほざいた社会党の党員が、家の戸締りをせず寝ていたとは聞いたことがない。平和な日本でも、戸締りを忘れれば、泥棒に入られる。

 ネットの世界でも、PCのウイルス対策、詐欺防止をしていないと、詐欺に引っかかる。

 中国共産党は尖閣諸島、沖縄を虎視眈々と狙っている。中国共産党は尖閣諸島に年間1000回もの領空侵犯、領海侵犯を繰り返している。その対策が、自衛隊のスクランブル出撃である。その度ごとの自衛隊機スクランブル出撃でのガソリン代だけで、年間100億円である。そのガソリン代は全て税金である。なんでそんな国のドンを国賓として招かねばならぬのか。それを推進する二階俊博は売国奴である。

 永世中立国のスイスの軍隊は半端ではない。国民は全て徴兵制で一度は軍隊に入る。だから永世中立国を守ることが出来る。

 国を守る軍隊を持たなかったチベットは、1948年、中共共産党の軍隊に蹂躙されて、120万人が殺され(人口の2割)、国が滅んだ。日本に換算すれば、2000万人が殺されたと同じである。

 1952年、韓国は日本に軍隊がないスキを狙って、日本領土の竹島を占領した。日本に自衛隊が発足したのは、1954年である。国を守る軍隊がないとどうなるかを、竹島が強奪されたことで証明される。

 かの英国は、19世紀にアジアアフリカの諸国が、無防備をよいことに、武力にて、植民地として国を盗んだ。それで日の沈むことのない大英帝国を作り上げた。要は泥棒大帝国である。今の新型コロナよりも質が悪いウイルス国家であった。そのため、植民地にされたインドでは、イギリスによる過酷な植民地統治時代に頻発した飢饉の死者数は、推計で5000万人を越える。新型コロナでの死者数どころではない。

 

健全な生活に強靭な免疫力が宿る

 健康な人が持っているのが、自衛隊に相当する体の免疫力である。芸能人たちは、札束を切って豪遊し、その免疫体制を弱めていた。金に任せて大酒は飲む、タバコは吸う、夜更かしはする、結果は睡眠不足。飽食いっぱいで肥満体。そうして免疫力が低下した体は、新型コロナウイルスの攻撃を受けてひとたまりもなかった。冷たい言い方だが、親から授かった体を大事にしなかった自業自得である。

 健全な生活を送っている健康な人は、新型コロナに罹っても重症化はしない。現代人がかかる病気の大部分は、人間が、人間も動物で、一つの生物であることを忘れて、やりたい放題で体を傷める生活をしたのが原因だ。だから疫病の蔓延は、自然界が自惚れた人間に鉄槌を下した現象である。応力は弱いところに集中する。機械力学の根本原理である。

トヨタ経営の鉄則「自分の城は自分で守れ。」

 

2021-01-26 久志能幾研究所通信 1901  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月22日 (金)

未来は変えられない。過去を変えよう。 磨墨知151

「何になったら」、「もし~だったら」を止めよう

 

 「●●になったら、やる」と言わないで、やるべき事は即実施しよう。言い訳や逃げ道を作るから、目的が達成できない。今までやってきたことが無駄となる。大事なのは今。出来ることから実行しよう。千里の道も一歩から。

 

 未来は変えられないが、過去は変えられる。

 過去を変えないと、今のままの人生が未来に続く。

 過去がどんなに悲惨であったとしても、その逆境が自分を鍛えてくれた学習の場として解釈する。そうすれば悲惨であった境遇が、よき訓練の場だったと解釈できる。そのためには今が輝いていなければならない。だから今に全精力を使え。

 死んだ時間を振り返ることなかれ。大切なのは今の時間。死んだ子の歳を数えても時間は戻ってこない。数えていれば、日が暮れる。命は一刻一刻と尽きていく。人生の大事を急げ。

Img_44212s  馬場恵峰書

2021-01-22 久志能幾研究所通信 1897  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年12月23日 (水)

明日死ぬる気配も見せず蝉の声(芭蕉)  磨墨知123

 

 今を精一杯生きているからこそ、鳴く声に生命力を感ずる。明日の命は分からない。今やるべきことをなせ。やりたいことではなく、やるべきことを成せ。交通事故、天災、新型コロナウイルス禍で、明日がどうなるかも分からない世の中だ。

 蝉は土中で成長し、成虫となって地上でたった1週間の命を輝かせる。その間に子孫を残すために全力を尽くす。人ならば、死を前にして世に残すものに全力をかけて臨みたい。それが出来なければ、蝉にも劣る存在になってしまう。

 

明日は死

 日本では、お風呂で年間2万人が死ぬ。自殺で2万人、一時は自殺者が3万人を超えていた。交通事故死で3千人だが、一時は1万人を超えていた。新型コロナやインフルエンザに罹り突然に3千人が死ぬ。心疾患で20万4,387人(2017年)が死ぬ。そのうち3万7,222人(2015年)が急性心筋梗塞の即死同然で死ぬ。それがこの20年間で2倍に急増している。死は他人ごとではない。

 人は遅くても50年後には死ぬのだ。10年20年は誤差範囲である。

 

余命宣告

 私も河村義子先生の葬儀後に、胸騒ぎを覚えて検診を受けたら癌が発見された。その癌の5年後生存率が51%だと医師から言われた。5年後に半分が死ぬ。余命2.5年の宣告と同じである。だから私は残された時間を大事にしている。時間は命なのだ。

 河村義子先生は余命5年と宣告され、手術をするとピアニストとして生きられないと分かると手術を拒否して、ピアニストとして音楽道を全力で生きる道を選択された。私には死ぬ気配も見せなかった。だから義子先生の突然の訃報に茫然自失である。

 人生で余命20年も5年も、人生の長さから言えば、誤差範囲である。余命1ヶ月なら、金を使いまくり毎日楽しく過ごせばよい。しかし1年以上も余命があるなら、人生で一仕事が出来る。虚楽的な生き方では、娯楽が逆に苦痛になる。だから余命宣告された人は、命をかけて世に残す仕事に全力をかける。

 

不死の者

 多くの人は時間などいくらでもあると思って時間を無駄して生きているが、今日が人生最期の日かもしれないのだ。余命を意識して一日一日を大事に生きている者から見ると、他人は不死の者であるかのように振舞っている。しかし、いくら頑張っても後50年は生きられないのだ。だからこそ無為に生き永らえるよりも、限りある命を輝かせて、今を全力で生きたいと思う。

 

時間の伝教師

 私は見送られるよりも、知人を見送ってあげたい。だから私は時間の大切さを皆さんに伝教している。

 

 12月25日が河村義子先生の命日である。河村義子先生の追悼写真集(全134頁)が完成し、明日、印刷会社から自宅に届く。河村義子先生を覚えている人がいる限り、この記録がこの世に残る限り、義子先生は皆さんの心の中で生きている。明日、義子先生のご霊前にこの追悼写真集を届けます。

Dsc09866s 『追悼写真集-河村義子先生に音楽道を學ぶ』

 2020年12月24日、10時半に自宅に届いた

2020-12-23 久志能幾研究所通信 1871  小田泰仙

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