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2018年12月12日 (水)

磨墨知419.『十八史略』や『史記』の世界で考える

 昔も今も人間の本質は変わらない。それを達観して物事を進めよう。知識は増えたが、智慧は2000年前から少しも増えていない。智慧の有効期限は、その人の生きている間だけ。死ねば無に帰す。だから実質的に人間は進歩していない。人の原点は同じである。進歩するには、各人が歴史を学ばなければならない。学ばなければ、現代人も古代人に劣る。時間価値は2000年前とかわらない。歴史こそが、時間と人生を教えてくれる。人は先祖と同じ過ちを、繰り返している。歴史を学ばないものは、歴史に押しつぶされる。

 

チャイナ

 チャイナの本質は古代から変わらない。陸続きの大陸内で、生きていくには、自己主張をしないと外部民族に殺される。チャイナ人の生き方をして生きなければ、チャイナの世界で生きられない。それを見極めて付き合おう。チャイナとは、支那(シナ)の英語読みである。なぜか「支那」というと、かの共産党は、日本には噛みついてくる。それを恐れて、マスコミは「中国」呼びである。欧米諸国はチャイナで統一されている。「中国」とは、世界の中心の国という自惚れが丸出しの自称語である。それを使えば、相手がチャイナを世界で一番偉いことを認めることになる。それがチャイナの本質を一番表している。

 

ヨーロッパ

 ヨーロッパ人も昔と変わらない。民衆を上から視線で眺めるマクロン大統領は特権階級の視線で、大企業優先、富裕層優先の経済政策に余念がない。グローバル経済主義者の代表のマクロン「皇帝」は、欧州の階級社会を守りたいのだ。ヨーロッパと付き合う時は、キリスト教という一神教の世界の人間の考えを考慮して付き合おう。キリスト教徒にとって、異教徒は人間ではないのだ。だから、欧米人は、戦前、植民地獲得戦争に精を出し、アジアやアフリカで現地人に残酷非道なことが平気で出来た。人間と認めていない未開の人間のモノを取るのは、犯罪ではないのだ。その原点は、中世の十字軍の遠征に遡る。十字軍にとって、中東の異教徒は、人間ではないのだ。

 

アメリカ

 アメリカ大陸という新天地を求めて、豊かなヨーロッパから、その落ちこぼれがインディアンの土地に「新天地を求めて」という美しい文句で、逃げ込んだ。アメリカ大陸を発見したコロンブスは、奴隷商人であった。アメリカ人(当時のイギリス人)は、当時、アメリカ原住民のインディアン(当時1000万人いた)を950万人虐殺して、領土を略奪した。現在、インディアンは50万人しか生存していない。入植当時の白人は、インディアンからトウモロコシやジャガイモの栽培方法を教えてもらい、開拓時代の飢えをしのいだ。白人は恩に仇で報いたのだ。しかしその歴史は抹殺されている。アメリカ建国史に、インディアンの歴史はない。欧米人にとって、異教徒は人間でないので、虐殺しても罪悪感さえ覚えない。そのように教会(ローマ法王)から免罪符をもらっている。

 アメリカ人も本質は昔と変わらない。アメリカファーストで、何でも一番でなければならない。それを脅かしたから、その昔、日米戦争となった。今、チャイナがその虎の尾を踏んだので、トランプは怒っているのだ。

 基本的に、拝金主義の欧米人は、心の奥底では、白人以外は人間でないと思っているようだ。日本人が白人なら、決して原爆は広島に落とされなかった。それを認識して、国を守らねば、野獣に殺される。

 

狩猟民族

 欧米人は、基本的に狩猟民族である。狩猟民族にとって、人のモノは俺のモノ、なのだ。取られるほうがアホなのだ。日産のゴーンの手で、日産はルノーに1兆円の配当金+株式利益をかすめ取られた。フランスにとって、植民地管理はお手のものなのだ。狡猾なゴーンはそれに便乗して100億円を超える金を独り占めした。取られた日産がアホなのだ。狩猟民族は、隙あらばと、虎視眈々と敵を狙っている。チャイナとロシアからの年間1000回に及ぶ領空侵犯事件がそれを示唆している。歴史書には経営学が実学として記載されている。

 

2018-12-12 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月11日 (火)

磨墨知435-7. 待っている間も勉強しよう

何所でもドア、どこでも学習室。

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 大垣市図書館前で開館を待つ高校生  2012年9月30日08:52

 

 上写真は図書館の学習室で勉強するため、9時の開館前に、寸時を惜しんで図書館玄関前の広場で参考書を広げて勉強をしながら、開館を待つ高校生の姿である。感銘を受けて、思わずカメラを向けた。

 勉強に励む姿勢が、世の中の道にあるドアを開ける鍵となる。そのドアを開けるのは本人の意思と精進の真摯さである。どんなドアでも真摯さが神の鍵穴と合致しないと開かない。この子達が日本の将来を担ってくれる。日本の未来の時間を創ってくれる。私の年金を支えて(?)くれる。感謝。

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2018-12-11 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月10日 (月)

磨墨知435-2.甘やかされた子供が、日本を滅ぼす

 甘やかされて叱られない子供は我儘一杯に育つ。子供のときはそれでも良いが、大人になったとき、厳しいしっぺい返しを社会から受ける。

 甘いもの、清涼飲料水、ポテトチップス等のファーストフードを食べたいだけ食べて育つと肥満体になる。当然、糖尿病等の成人病も併発する。また自制心も育たない。まともな会社は、面接試験でそんな人間は分かるので、採用しない。外見を見ればその人の人格や能力はわかる。そんな子は正規社員にもなれない。性格虚弱・病気持ちの若者が現代社会を生き抜くには、あまりに厳しい世の中である。行き先はフリーターか犯罪か自殺である。

 その全ての責任は、甘やかして育てた親である。子供の未来の時間が抹殺される。それを極甘殺人という。子供が間違った道に進まないように性格を躾するのが、親の責任である。それを放棄した責任は重い。

 女優の三田佳子の次男が、覚せい剤に手を出した事例が典型である。彼は、40歳にもなって再犯を繰り返し、罪の意識が希薄である。それでも親は目が覚めない。親の義務を果たさない彼女が、なんで良妻賢母の仮面を被るのか。

 

脳の発達

 子供の脳は3歳までに65%、6歳までに80%が完成する。その間に親の教育(躾)ができていないと、動物同然の生き物に育つ。その昔、インドで狼に育てられた狼少女が発見された。彼女は若くして死んだが、死ぬまでその狼の習性は消えなかった。それと同じである。躾がないと自制心も自立心もない。食べたいものは食べ放題、躾や清掃清潔等の価値観が形成されない。親は子供を人間に躾をする義務を持つ。躾をしない親は、子供の未来を抹殺していると同じで、殺人者である。

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エピソード

 2013年8月12日、私が大垣文化センター内のレストランで食事中、私の真後ろでイスをバタンと倒した子供がいた。こちらに被害はないのだが謝りもしないので、躾として注意をしたら、お祖母さんと思われる女性に泣きながら抱きつきにいった。普通の口調で注意しただけだが、お祖母が子供をあやしながら「この子はこれでも小学2年生なのです。親が甘やかして叱らないから、いつもこんな風なんです」と申し訳なさそうに謝る。子供に謝るように諭すのだが、子供は泣いて祖母に抱きついているだけ。

 子供の体格は、小学6年生並みの肥満体である。外見から判断すると、甘いもの、清涼飲料水、ポテトチップス等のファーストフードを食べたいだけ食べているようである。しかし頭は正直に小学2年生である。これではこの子の将来は終っている。これが現代の子供の姿なのだと愕然とした。この子達が成長して、私の年金の基礎となる税金を納めるはず。それが危ないと危惧を抱いた。逆に老人が働いて、今の子供を養わねばならぬのかも。

 

2018-12-10 久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知435-1. 子供を鞭打とう

 教育とは無償の修養行為である。訓練は餌で釣る経済行為である。教育の対象は、人間であるが、訓練は動物が対象である。金儲けで人間が対象になるが、教育と訓練の言葉が最近は混同されている。

 教育とは経験豊かな老(大人)が子を鞭打つと書いて、「教」である。「育」とは母から子が生まれる様をあらわさした象形文字である。

 愛を込めて育成する心が、その子の将来の時間を輝かせる。豊かな未来の時間を創造してくれる。甘やかされて育った今の親と子供が今の日本をダメにしている。

 体罰を暴力と誤解する風潮が日本をダメにしている。叱ったらパワハラという風潮もおかしな考えである。叱ると怒るのを混同している。

 自分が学んだことや教えてもらったことを後進に伝えないのは、借金をして返さないのと同じである。(福沢諭吉)

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2018-12-10 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月 9日 (日)

磨墨知435-7. 妖怪を目指せ

 妖怪にも悪の妖怪もいれば、善の妖怪もいる。人間社会と同じである。自分がどんな妖怪に取りつかれているかを見極めるのが、悟りである。己の心のレベルによって取りつく妖怪が異なる。取りついた妖怪を見れば、己の魂のレベルがわかる。妖怪は全てを知っている。

 己の心のうちには、鬼も住めば、佛も住む。それが人間である。すべて心に支配された世界である。良き妖怪が済むように精進をしよう。「あいつは妖怪だ」と言われれば、その世界でトップなのだ。人が神になるのは難しいが、妖怪になるのは可能だ。凡人の我々は、妖怪を目指して、欠点もあるがその世界でピカ一になるように精進すべきである。そのお手本が、水木しげるさんの生き方である。学校の優等生が、全てではないのだ。

 

強欲な妖怪

 ゴーンのような強欲で傲怨な妖怪に取りつかれと、日産ゴーン事件になる。西洋の特権階級は、グルーバル経済主義という拝金妖怪に取りつかれている。それが暴走して、植民地強奪戦争、そして第二次世界大戦が勃興した。

 当時、アメリカの資本主義妖怪が、植民地強奪競争で、中国で美味しい餌を食べようとしていた。それを邪魔したのが日本で、それを排除するため、ルーズベルトが起こした戦争が日米戦争である。それは、植民地強奪戦争のなれの果てであった。ハルノートは日本への戦争宣告である。資源のない日本は経済封鎖されれば、企業は左前になり、日本中に失業者が溢れて日本は破産するところであった。日本は自衛のために立ち上がって、真珠湾攻撃をした。アメリカは日本が最初に手を出すように仕組んだのだ。戦後、マッカーサが米国議会で「日本の戦争は自衛のためであった」と証言 している。日本のマスコミは、この件にダンマリを決め込んで報道しない。

 植民地政策が本能のようなフランスは、戦後50年を経て、日産をルノーの植民地にした。この19年間でルノーは「配当金+株式利益」で1兆円を超える金を日産から強奪した。今でも拝金妖怪は、虎視眈々と日本を狙っている。その特権階級ばかり優遇するマクロンの政策に反対して、パリで暴動が起きている。グルーバル経済主義社会では、1%の特権階級が、99%の富を独占する。それをさらに優遇する政策をマクロンが推進するので、フランスの民衆が怒ったのだ。それが今回のパリ暴動である。

 フランスは、観光地で華やかであるが、早朝にパリの街を歩くと、アフリカ系移民の労働者がゴミ集めや街路の掃除で働いている。昼間は観光客の目には触れない。欧州の階級制度では、一生それがつづくのだろう。それを私は1992年頃に見たが、それから事態は悪くなっているようだ。

 

悟りの妖怪

 水木しげるさんは、戦争中、ラバウルのジャングルで迷い、ぬり壁に取りつかれて、命を助けられた。それはご先祖のお守りであった。潜在意識が危険を察知したのだ。それをぬり壁という。

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 「ぬり壁」水木しげる絵  エディション54/330

 この絵は、水木さんの反戦と意思の固さの象徴である。

 

水木さんは、「死神」に取りつかれて93歳の天寿を全うした。水木しげるさんの創作した「死神」は、地獄界の業績が一番悪い妖怪なのだ。地獄界の死神の業績とは、善なる人を死なせること。水木さんは「死神」を大事にしたので、天寿を全うした。水木さんの「死神」は人を食うよりスイカが大好きなのだ。血の滴るビフテキでないので、それでは死神力はつくまい。

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 「死神」

 

 「ネズミ男」のぐうたらに生きる姿勢を目指して、「締め切り妖怪」に苛まれるのを防ぐため一線を引いて、身を守ったのだ。「ネズミ男」は水木しげるさんの理想の姿なのだ。しかし現実は、水木しげるさん程、真摯に働いた人はいない。己と日本人への皮肉である。水木さんは最初に「貧乏神」に攻められたが、人気が出ると、今度は「締め切り妖怪」に攻められて、死にそうになってしまった。手塚治虫さんは、原稿の締め切り妖怪に60歳で殺された。若すぎる死である。何のために生きているのかを、考えたい。

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 「ネズミ男」

 

 「ねこ娘」の妖怪は、普段はおとなしい女の子であるが、ネズミや魚を見ると、たちまち目が吊り上がり、牙をむき出し化け猫に変身する。本能に正直な子である。

 拝金主義者も、普段はクラッシック音楽を愛で、オペラ、バレーを楽しむが、金の匂いがすると、目が吊り上がり、(合法的に)人を虐げて、殺めても金を強奪しようとする。拝金主義者の妖怪社長が経営する会社の因果で、日本ではうつ病が蔓延し、自殺者が年間3万人も出ることが10年以上も続いている。これは妖怪現象である。これは日本社会を溶解させる。この妖怪は撃退しよう。

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  「ねこ娘」

 

2018-12-09 久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知435-6. 神を目指さない、悟りを求めない

 人間が神を目指すのは非合理である。時間の無駄である。神仏はその世界で最高位であって、人間界の最高位ではない。それ故、人間が神になってしまっては、「人ではない」ので「人でなし」となってしまう。人間は欠点があってこそ人間である。その欠点はそのままで良い点を高めると、その欠点が人間味となり、角熟して人間の成長となる。欠点をなくして完全無欠の人間に円熟すると「神」になってしまい、「人でなし」となる。

 悟りを開きすぎると、やることなすこと神の如し。やらなくても済んでしまう。それでは何も学べない。成長できない。人間界の楽しみも苦しみも味あわないなら、生きている楽しみがない。まだまだ未熟と思い精進するから成長もあり、その過程で人生の四季を楽しめるもの。人間は死ぬまでが成長である。それが死ななくなってしまったら、気が抜けてしまう。それなら「一万年かけて修行をすればいい、今年は寝てすごそう」となってしまう。

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 神を目指した宗教法人の社長(教祖)は全て破産している。「この壷を買えば、この水晶玉を買えば、入信すれば、あの世で救われる」と勧誘する宗教法人がまともでないことは常識でわかる。それなのに、なんと騙される人の多いことか。教祖に騙されて絞首刑台に上った人がいる。人は昔から少しも成長していない。まず常識から始めよう。

 

2018-12-09 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月 7日 (金)

磨墨知435-5. 成長しよう

 成長しないと、見えないものがある。高い視点からでないと見えない世界がある。見えない世界に、時間のダイヤモンドが埋まっている。時間のダイヤモンドの中に、自分の未来が光っている。小人(ことな)にはそれが見えない。

 

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大樹深根

 いくら背伸びをしても、人格と言う大樹の根が深くないと、大風を受けると倒れてしまう。ラワンの木のように、大きくなると自分の体重の重荷で倒れてしまっては情けない。自分の根を深くしよう。成長するためにはそれが必要だ。それが時間創造の基本。

 何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ。

 この句は、どこかで見つけて、当時、通っていた名古屋駅前毎日新聞社ビルの文化センターの書道教室の加藤梅香先生に書いてもらった書道のお手本である。今はそのビルもなく、ミッドランドスクウェアビルになっている。もう40年前の話しであるが、このお手本は今も大事にしている。この言葉は、三洋電機を創業した後藤清一氏の言葉であることは、最近知った。言葉も大きな「師」である。

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   加藤梅香先生書

 

2018-12-07 久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知435-4. 成長しないと友を失う

 私が定年になった時、長年の友も定年を迎え、時間ができて親交を深める時間が増えたが故、40年来の友と別れることになった。原因は相手と話が合わなくなったためである。以前は遠方でもあり、たまに会うだけの付き合いであったので問題が露見しなかった。しかし、定年後、近くに住み、長時間付き合うようになり、相手のレベルに違和感を覚える機会が増えた。人は年相応に成長する。それは人によって成長度合いが異なるのだが、そのギャップが大きくなりすぎると、会うのが辛くなる。友とは自分を成長させてくれる時間の塊である。その時間価値がずれると逆に重荷となる。

 

定年離婚

 この事件で最近の熟年離婚問題に思いをはせてしまった。夫は仕事一筋にわき目もふらず定年を迎えた。交友関係も会社だけで、意外と狭い範囲である。その間、時間があり交友関係で見聞を広めてきて人間的に成長している妻から定年離婚を申し出られる事例が増えたという。その状況が理解できるような気がした。

 有名大学の学部長までして、定年後、私大の学長に転籍された先生でも、定年後に自分の居場所がないとぼやかれた。定年で、家にいよとして気が付けば、家は今まで奥さんが、御主人の留守の時、自分の居場所を確保しており、先生は家での自分の居場所がないというぼやきである。

 

定年後の居場所

 それはどの家庭でも起こりがちである。それでは、今まで自分の成長のための勉強時間が取れたのかと思うと、疑問である。学部長や学長は、研究ではなく、人事や諸般雑事で忙殺される。それで人間として成長があるのだろうか。学校の校長先生や警察署長が一番、認知症になりやすいという。気は遣うが、頭は使わないのだ。それでは、人間として成長していないのだろう。

 

成長しない咎

 故渡部昇一師もその著書で、長年の友でも、使うお金で釣り合いが取れなくなると、付き合うのに障害となると書いている。一緒に食事をするにも、お店の格の選定で意見が微妙に相違して、ずれが生じて誘いづらくなったという。お金の使い方は、人間の成長が影として現われる。

 政党も国民の意識の成長と共に歩まないと、2013年参議院選挙での社民党のように消える運命に押し流される。国も成長しないと衰退する。

 人は年相応に、人格、教養、資産を高めないと、長年の友を失うことになる。長年、時間をかけて培った友という人生の資産を失いたくないもの。そのためには人並みに成長しなくてはならない。

 

時代の先行

 万物は流転成長している。自分は成長しているだろうか? 時間は自分をどんどん追い抜いていく。成長が止まったとき、自分の時間も止まる。友が、妻が、会社が、時代が、自分に離縁状を突きつける。時代に自分が追い抜い抜かれると、下記のていらく…..

 起きたけど 寝るまで特に 用もなし

人生経営は自転車操業。走り続けないと倒れてしまう。

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2018-12-07 久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知416. 人は学びながら年をとる。

 無為に時間を過ごし、年をとるのが老化、学びながら年をとるのは加歳。

 加歳には時間蓄積があるが、無為に過ごせば老化が進むだけの時間浪費であり、何も残らない。認知症が口を開けて待っている。

 一生学び続ければ、魂の成長がある。霊魂は不滅である。

   One does grow old ever learning.

 

 添付の書は、2018年12月25日発行予定の馬場恵峰書『佐藤一斎「言志四録」51選集』の一部です。昨日、原稿の最終校正が終わり、今日(12月6日)から試し刷りの工程です。

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2018-12-07 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月 5日 (水)

磨墨知420. 長い坂を登ろう

三浦主水正を演じよう

 三浦主水正は、山本周五郎著『長い坂』の主人公である。下級武士として育った彼は、自らの意思で学んでいく。長い時間をかけて血の汗をかいて身につけた能力は、天性と過剰教育で育成された能力に勝る。人は時間をかけて「長い坂」を登っている。人は坂の上に置かれたボールのような存在だ。立ち止まったら、下に転げ落ちる。安岡正篤師は、「人は学ぶのを止めたら人間でなくなる」とまで言っている。

 この書は私の愛読書で、悩んだ時によく読んでいた。この本は、私が高校生の50年前に買った本で、手垢のついた本だが、今でも大事にしている。本は、人生航路の闇夜の時、灯台の役目をしてくれる。

 

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2018-12-05 久志能幾研究所 小田泰仙

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