ma_時間創出1001の磨墨智 Feed

2019年2月26日 (火)

磨墨智20.一歩でも前進

より「早く」目標に達成が第一ではあるが、状況が悪いときは「一歩でも目標に近づく」取り組みが時間をつくる。平静心がなくなると、「早く」が先にきて「一歩でも目標に近づく」がおろそかになりがち。そしてミスをし、時間をロスする。目標達成に対する最大の敵は、状況が悪くなると冷静さを失う自分自身なのだ。自分を第三者の目で観て、自然体で行こう。

時には立ち止まって、考えることも、一歩後退しないための智慧なのだ。

 

2019-02-26  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨智*  アッシー君にならない

貴方は運転手ではない。貴方はアッシー君ではない。クルマは移動手段であるが、自分で運転して車での移動は、時間ロスである。移動は運転手(電車の運転手、タクシーの運転手)に任せて、その間を、自分の仕事、能力向上、思索の時間に使うべきだ。

だから私は長距離運転をできるだけしないようにしている。クルマの運転が好きなら仕方がないが、運転はできるだけ避けるべきだ。運転も楽しいのは、若い時だけだ。私も若い時は、狂ったように一日800キロを走ったこともあった。それは点と点を結んだだけ。自分は何を得たのかと今にして後悔する。それも車の通行量が少なかった時代の事。今のように車が氾濫している状況では、運転するとストレスは溜まるし、時間もかかる。事故でも起こせば、人生台無しだ。

自分は、人生航路を走る船の司令塔なのだ。自分が、何処に行きたいかは運転手に伝えればよい。方向とやるべきことを指示すればよいのだ。

 

2019-02-26  久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月31日 (木)

河村義子先生の命、人生の大事を急げ

磨墨知14.

 あなたの人生の目的は何?

 人生で何に命を捧げるか?

 されば一生のうち、むねをあらましきから事の中に、いずれかまさるともよく思い比べて、第一の事を案じ定めて、其の外は思いすてて一事にはげむべし。(徒然草188段-3)

 歌やゴルフ、麻雀が下手で負けてもいいではないか。そんなことに強くなるために時間をかけて時間を無駄にするよりも、自分の人生目的の達成に力を入れよ。

 

釣りの趣味は、人間の驕り

 その人生で大事な時間を、釣りやゲームにうつつを抜かしていいのか。天が与えた自然界の大事な命を己の痴呆的な遊びの道具に使って良いのか。その命も、生きたいという生存本能がある。それを己の遊びのために、いのちを持てあそび、命を殺すのは、霊長類の頂点の人として生まれて、恥ずかしい趣味だと思う。私は、釣りの趣味の人を軽蔑する。釣りバカ、である。私はそんな人とは付き合わない。

 いくらゲームとは言えは、人を殺す戦争ゲームや、格闘のゲームに興じていいのか。ゲームの後で何が残るのか。ゲームに負けてリセットすればすむ世界に狂ずれば、凄惨な人殺しも平気な人間が出来上がる。ゲームに興じている人の顔は、弛緩している。

 

河村義子先生の命

 河村義子先生の棺に横たわった死に顔は美しかったが、決して安らかではなかった。もっと生きたい、もっと音楽で皆さんに貢献したいという無念さが出ていた。

 「美しい死に顔ではあったが、安からなお顔ではなかった。もっと生きたい、という思いがお顔に現れていた」と義子先生の死に顔を見られた40年来の付き合いの知人のピアノの先生は涙ぐんでおられた。その方は悲しみで体調を崩して1週間ほど入院をされたとか。河村先生が亡くなられて1か月も経つのに、今日、偶然、通りすがりに出会ったら、そう言って涙ぐまれた。

 河村義子先生は生前、きっと「何故私だけが? 人生は理不尽だ」という思いがあったはず。先生は、さぞ無念であったと思う。それでも誰にもそれを告げず、5年間を音楽活動と後進の育成に命をかけて全力をつくされた。だから2018年8月に病状が悪化して、愛知県がんセンターに入院された時は、落ち込んで、誰も見舞いに来てほしくなかったという。私にも「珍しい病気ですが、がんでありません。名古屋の病院に入ります」とメールが来て、どの病院かは教えてくれなかった。推測はついたが、あえて聞けなかった。また男性の私が女性の病室は見舞いに行きづらい。2018年12月16日に緩和病院に入院されてから、最後の最期になって、さすがにそれではまずいと思われて、関係者だけにお別れをされたという。私も「近くを通ったら寄ってください」と誘われたが、愚かな私は、その緊迫度に気が付かなかった。

 人の死は必然である。なおかつ人生は理不尽なのだ。河村義子先生は、最後の5年の命を、人の何倍も活動して命を輝かせた。自分も何時かは死ぬ前提で、理不尽な人生を乗り越えて、人生の大事を急ぎたい。

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2019-01-31 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月 5日 (土)

磨墨知595. 神さまに感謝の気持ちを

 感謝の気持ちが時間の恵みを生み出してくれる。それは価値ある時間である。すべての事象を神様仏様からの時間創出のために試された試験だと受け止めよう。

「こんな状況でも、前向きに時間を作れるかい? 落ち込んでいる時間が勿体ないよ。あんたの残りの時間は余りないかもしれないよ」。

 

言霊の燈台

 日暮れて道遠し。人生道を急ごう。暗い夜道で頼りになるのは、師が照らす人生道の燈火である。その燈火は師の言霊で、それが人生航路の燈台である。

 下記の書は、今度出版予定の馬場恵峰書「養心日活本」の一頁である。これは馬場恵峰先生が中国から買ってきた珍しい色紙に揮毫した18の人生訓をまとめて、それに私の所蔵の恵峰書と私のエッセイを追加した書である。師の言葉が人生を導いてくれる。

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1p1050231   大垣市 住吉燈台 水門川

Dsc01741  大垣市 水門川にかかる江戸時代の燈台

Photo_3   シシリア島チェルファの灯台      地中海を航行する船のガイド役である

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2019-01-05   久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月 3日 (木)

磨墨知594. 禁初詣、初詣も叶わぬ哀しみ

 神仏は365日24時間営業です。有名な神社仏閣は、正月三賀日は超混雑で、参拝には多大な時間ロスが発生する。それを避けるのが時間創出である。それより家で神社の方向に向って一年間の無事のお礼の拝礼をした方がよい。初詣に行くなら三賀日を避けてお参りすればよい。その浮いた時間で勉強・仕事をすることだ。それが世のためになる。

 

神様だって忙しい

 なにも神様が超多忙な時に、初詣に行かなくてもよい。神様の身になって考えよう。芋を洗うような雑踏の中では、静かに反省とお礼が言えない。神様だって、以前は人の子なのだ。芋を洗うような振る舞いに呆れている。

 三賀日でも、混雑の少ない時間帯を選べば、超混雑でロスする時間が激減する。そうやってお参りして、人生を豊かにして、人より多く稼げるようになれば、お賽銭も多く奉納できる。そうすれば神様は喜んでくれる。神社仏閣の設備の維持更新にも多くのお金を寄進できるのだ。

 その昔、元旦に熱田神宮に初詣の参拝をしたが、入り口の鳥居を通って、拝殿まで辿り着くまで1時間を要した。大事なご先祖から頂いた時間(命)を浪費して、今にして神様に対して申し訳ない気がする。

 

宇宙の法則を捻じ曲げ?

 初詣に行ってお願いさえすれば、それが叶うと思っているのは愚かである。そんな極楽とんぼのような考えで、願いが叶うわけがない。この世では、死に物狂いの努力をして、棒ほど願ってやっと針ほどしか願い事は叶わない。

 神仏に祈ることは、自分を謙虚にして、ただ感謝の表明と自分の決意表明だけなのだ。生きている事さえ稀なのだ。生きているのではない。生かされているのだ。

 それなのに、感謝以外に、押しつけのお願いのため初詣だけ神仏に手を合わすのは不遜である。それで願いが叶えば、全宇宙のニュートン、アインシュタインの法則を捻じ曲げてしまう。それを僅か10円のお賽銭で、あれもこれもなんて、お笑いである。逆に罰が当たりますぞ。

 

生産の平準化

 トヨタ生産方式では、生産の平準化が原則である。それが無駄を省き利益を生む。日頃、神仏に足を向けず、世間体とお願いごと生産で三賀日だけお参りするのでは、人生のご利益は少なかろう。日頃から神仏に手を合わせ、お参りしていれば、三賀日はお参りを無しにしてもよい。

 

師の最期の教え

 1分間、拝殿までの行列に並ぶと、100円のロスである。初詣はその1分の何十倍もの時間がかかる。初詣の時間ロスが勿体ない。その分の己に課せられた使命・天命に使う時間が無くなるのだ。時間は命である。命を使うと書いて、「使命」である。使命に反した効率の悪い時間を使ってはならない。己に与えられた時間は、もう残り少ないかもしれないのだ。いくら頑張っても後40年は生きられない。

 「貴方も何時か死ぬのですよ」。それが河村義子先生の最期の教えであった。義子先生は、人生の残り時間を人の3倍も4倍ものスピードで走り抜け、現役のまま斃れられた。河村義子先生は、私が12月9日17時に届けた12月8日の米原バレエ公演「白鳥の湖」ビデオを、病床で見ながら、12月15日の大垣公演のために、最後の音楽監修をされた。

 河村義子先生がそのビデオを見て、弟子の小林朱音さんは義子先生から感想や最後のご指導を受けた。義子先生は、「素晴らしいよ」と泣いて喜こばれ、小林朱音さんは「師匠に少しは恩返しができた」と感涙である。

 12月16日、義子先生は再入院され、帰らぬ人となった。再入院の連絡をされたメールでは、穏やかな文面でそんな気配はみえなかった。少し落ち着いてからお見舞いと思っていたら、12月25日の突然の訃報で茫然自失である。

 その後ろ姿が、弟子への生きる教えである。義子先生は、62歳の初詣に行けなかった。2018年12月25日、7時33分寂滅、享年61歳。

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 2018年12月8日 米原 ルッチプラザ ベルホール310 「白鳥の湖」

 オデット:高木美智子  王子:都築空良  ピアノ:小林朱音

 林葉子バレイアカデミー

 

 12月26日のお通夜の席で、魂友の天野千恵さんが、義子さんの鎮魂と追悼のために「G線上のアリア」をバイオリンで奏でられた。天野さんは棺に横たわる義子先生の顔を見ながら、語りかけるようにその荘厳な調べを内藤先生の電子ピアノと一緒に奏でられた。横で聴いておられたご主人は目頭を押さえてみえた。私はそれを至近距離で見ていて目頭が熱くなった。写真は控えます。

 

「人生の本」の執筆者

 今年の元旦の朝、目が覚めて、最初に目が行ったのは、下記の馬場恵峰先生の軸であった。2年前に手に入れた軸である。いつも私の寝室に掲げているが、今まではあまり意識して見ていなかった。今回の河村先生の逝去の関係か、魂の周波数がそれに共鳴して、目が釘付けになった。

 何時、我々の命が無くなっても不思議ではない。東日本大震災のような災害が来れば、明日の命もわからない。病魔が襲うかもしれない。だからこそ、時間(命)を惜しんで、自分の天命・使命のために時間を使うのだ。その過程が、自分の人生の本となる。河村義子先生は、最高の「人生の本」を遺してくれた。合掌。

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 馬場恵峰先生書 

 

2019-01-03     久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月21日 (金)

磨墨知435-1.  相互研鑽をしよう

 2011年4月6日、第50回京都佛像彫刻展に出かけたら、偶然、大仏師松本明慶さんにお会いできた。師から展示されている佛像の説明をしていただき、興味深いお話をうかがった。

 そこには多くの若い仏師の作品が展示されていた。中には松本工房から独立して、佛像を作っている仏師の作品も展示されていた。素人目から見て、松本工房の仏師の作品に比べて、独立した仏師の出来が落ちるのである。明慶師によると、独立したくらいだから腕はいいのだが、独立当時から、作品のレベルが変わっていないという。つまり、時間が止まっている。

 これは、自分の世界に閉じこもってしまい、松本工房で大勢の仲間との切磋琢磨がなくなったので、成長が出来なくなったとのことであった。自分の世界と比較して、身につまされる事象である。人は、批判、指導により人間として成長し、その作品の出来に影響するのだと。作品とは、その人自身を表す。

 「学」の旧字は「學」で、冠は皆と喧々諤々の議論を戦わせている様を表す象形文字である。一人では学べないのだ。

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2018-12-21 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月19日 (水)

磨墨知407. 師匠の真似をする

最初は、真似るなら徹底してまねよ。中途半端なまねでは時間は創れない。師の真似をするなら、癖までまねろ。師匠の行動には、時間創出のヒントがある。

「コンペチターのデッドコピーを作るなら、ピス一本まで徹底して真似よ。首をかしげる部分も真似ろ。その部分にも、先人が失敗して対策した跡が隠れている。」

私が入社した当時は、欧米の競合会社を目標に設計をしていた。40年前の当時は、高度経済成長期の最盛期であった。当時は、コンペチターの会社の設計レベルが進んでいて、悔しいがそのコピー設計をしたことがある。その時、先輩から言われたのが、先の言葉である。

何事も他よりも一歩先に行くと多くの失敗を経て進歩する。それは必ず設計の各所にその痕跡が残る。人生も同じである。その痕跡が人生を歩いた勲章なのだ。先人の失敗の跡から、人生を学べる。

万人が人生の目の前に出現する同じ事象を見て、それに応じた行動をとっても、10年後の人生に格差が生まれる。どれだけ、その奥に隠れた先人の失敗を見通し、それを肥やしにできたかである。

 

2018-12-19  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月18日 (火)

磨墨知xx. 落下防止をする

モノを落とすとは、時間を落とすこと。それを防ぐことが時間を創る。

過去に背広の内側にある名刺入れポケットに入れた名刺ケースを数回落としたことがある。乗り物の座席に座って立ち上がった時に、スルッと落ちるのだ。落ちた場所が座席なので、音がせず、気が付かない。

 その落下防止として、洋服修理屋さんに、内ポケットの蓋を追加してもらった。

 財布も夏はズボンのポケットに入れることが多く、車や電車で立ち上がる時に、財布を落とすことがある。それで財布にクリップ付きの紐でズボンに結び付けて、落下防止をした。

 

人生の落とし物

 人生で慌てていると、大事なものを落とし、人生を台無しにする恐れがある。自分を守ってくれているご先祖様、神仏とのつながりが、人生転落防止の紐である。それは日々の祈りである。祈りは自分とご先祖様、神仏を観えない紐で結んでくれる。一方的なお願いの祈りは論外だが、感謝の祈りは自分を謙虚にして、我を忘れることを防いでくれる。

 

2018-12-18  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月13日 (木)

磨墨知418. The more input, the more output

 人は仕事をして、その報酬として成功報酬(金)か体験報酬(経験)を選ぶことができる。人間なら成功報酬でなく、体験報酬を求めよう。スキルが向上し、業務が短時間でこなせるようになり、それが10年後の時間を創くる。目の前のニンジンに惑わされてはならぬ。己は動物の本能の一兵卒として10年後も働くのか、己の魂のマネージャーとして大きな仕事をしたいのか? 己はどちらを選択するのか? 成功報酬だけを求めていると10年後も貴方は一兵卒のまま。人生はお金ではないのだ。

 貴方が社長なら、右腕として、経験豊かな人と、有名大学を出た人と、何方を選ぶのか。

 

2018-12-13  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月12日 (水)

磨墨知435-3. 親を鞭打とう

 バブル期の育った今の親は、ゆとり教育の弊害で、大人になっていない。日本の未来のため、叱られたことがない親を真剣に叱ろう。それが世の為、人の為のため。大人になっていない親を小人(ことな)という。図書館学習室でそんな親に、3名ほど遭遇した。

 

学習室で勉強妨害する母親

 2013年8月12日、学習室に子供の二人連れの母親が、自分は真ん中に座り、両脇に子供を座らせて勉強をさせている。母親はその合間に家業の伝票処理をしている。小声で子供を教えるのであるが、熱心であるが故に、静寂な学習室では遠くからでもその声が聞こえる。伝票処理で領収書のカーボン紙をビリッと破る甲高い音が、断続的に部屋の隅まで響く。自分がやっている迷惑行為には無頓着である。子供が走って学習室から出入りをするが注意もしない。夏休みで席が逼迫している状態であるが、母親が勉強ではなく仕事をしている。その占領した分、高校生の座る席が無くなる。母親はそんなことには気を回さない。4時間ほどこれが続いたので、さすがに堪忍袋の緒が切れて、私は母親が学習室の外に出た時を見計らって叱りつけた。さすがに驚いて謝りはして、退席した。

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エピソード

 数週間前も同じような母親がいて、回りに迷惑をかけていた。警備員に注意をお願いしたが動かないので、私が注意をした。その経緯があり、今回は警備員を通さずに私が直接動いた。ところがそれを見て図書館職員が飛んできて、私に噛み付いてきた。「母親が涙声になっているではないですか、子供が怯えているではないですか」と。

 問題は、図書館職員が問題の本質を見ず自分の務めを全うせず、問題を起こさないように起こさないように事象を曖昧にしてしまうこと。ここに行政の退廃がある。問題は何か。母親が身勝手なことをして、学習室で真面目に勉強をしている約50名の学生達に迷惑をかけた。母親が子供に、自分のためなら公共の場でも身勝手なことをしてもいいと、背中で教えた、である。

 私が叱ったのにはワケがある。その原因を追究せず、無責任な職員は、母親を泣かせたと私を責める。話が噛み合わないので、私は副館長を呼んでもらって大議論になった。市民の貴重な時間を盗む税金泥棒達である。

 そもそも「子供が怯えている」という言葉使いが拙い。人殺しでもあれば、そんな言葉を使うのも許される。言葉使いで人の教養がわかる。なぜ泣くのか、自分が悪いことが分かっているので、ずるい女は泣いて防衛する。すると私が加害者に立場が逆転する。女は弱いが、母親は子供のためなら泣かない強い存在のはずである。

 またいかに日頃子供が叱られていないかである。我儘放題の躾をされている証明である。まず今の親が叱られた経験が少ないのが真因である。それが現代の若者の悲惨な事件の頻発の原因である。現代は、生意気だからという理由だけで、女子高校生が同級生を皆で殺す時代である。その原因は躾教育を放棄した親の責任である。

 

中年女の厚かましさ

 この話をある社長に話したら「中年女は自分が悪いことが分かっていると泣いてごまかす。それがうまくいかないと、次は色仕掛けで来るので要注意だよ」と教えてくれた。館内レストランの女性に話したら「今の母親は我々のような苦労をしてないので、教育がなっていない。小田さん、もっと叱ってよ」と励まされてしまった。

 

当日談

 2013年8月15日の朝、何時もの散歩コースを回り、濃飛護国神社を回って常盤神社(大垣藩の教育の基礎を築かれた戸田公を祀る)と大垣大神宮に参拝したら、前広場で軍手をはめた掃除の身なりの人から「ありがとうございます」と言われた。この3年間、欠かさず神社の参拝を続けているが今だお礼を言われたことがないので、驚いてどちら様ですかと伺ったら、「私はこの神社の宮司です」とのこと。

 そこでご縁を感じて色々とお話を伺った。この宮司は、いつもは濃飛護国神社の社におられる。この大垣大神宮は明治天皇の直々の御下命で建立されたとか。この3年間、参拝をしているが初めて聞くお話であり、当日が終戦記念日でもあり不思議なご縁を感じた。

 ここで思いついたのは、前述の情けない親や子供の教育の件である。先の大戦で命を御国に捧げた英霊が見れば、「俺たちはこんな情けない国にするために、命を捧げたのではない」、との声が聞こえたような気がする。それが宮司様の陰のお声である。

2  大垣 濃飛護国神社

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4  大垣大神宮

2018-12-12 久志能幾研究所 小田泰仙

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