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2017年7月15日 (土)

タバコの経営損害(改定)

 私が経営診断でみる最初の要点が、社長・幹部の喫煙の有無である。私の前職の会社では、過去、多くの歴任社長と役員がタバコを吸いまくっていた。1円1秒を問題にする原価低減会議、省エネ会議の場で、多くの管理職がタバコをスパスパ。クリップ一つでもうるさく言う私の上司がヘビースモーカでは、馬鹿らしくて、まともに相手ができない。そのモラルの面での影響も大きいはずで、歴史ある名門の企業が、60年余でケムリとなって消えた。悪影響が明白なタバコを止めれない経営者は、まともな会社経営ができない。自分さえも管理できない経営者は、社員も企業をも正しく経営できない。

 タバコは、人生経営、会社経営、生活VA、健康、PL問題、教育、省エネ、経営的ロスの観点で、言語道断である。タバコは健康害し、他人の健康を自己以上に害し、頭を悪くし、その結果として企業の業績を悪化させる。たばこで頭の悪くなると、それさえ認識できなくなる。下記は少し古いデータもあるが、実際はもっと大きな被害が出ている。

 

・タバコに起因する病気での死者・年間        約3万人

       (年間の概算総誕生数、概算総死者数 100万人)

・日本人の死因の約半数が癌。タバコが原因で癌になる人は2割  *3

つまり、タバコの影響での年間死者         10万人

・タバコを吸う人の死亡率は      男性1.6倍、女性1.9倍 *3

・タバコによる患者数               100万人 *2

・タバコでの医療費(国民医療費の4%)   1兆4900億円 *2  

・タバコにより働けない損失           2500億円 *2 

・日本のたばこによる年間税収は       2兆0500億円 *1

たばこによる病気、火事、清掃などの損失は 3兆5000億円 *1

日本人の20歳以上の人口を8,000万人と仮定すると

・一人当たりの年間単純損失金額は       43,750円 

・従業員5,000人の企業での年間損失総計は  2億1875万円

・従業員 500人の工場での年間損失総計は     2188万円

 

30年間のタバコ代は             約500万円

・喫煙によるの経営的ロスは        約53万円/年・人

・タバコが頭の働きを阻害              ▲10%

    それによる経営的損害         約20万円/年・人

・タバコ一本あたりの空気清浄費用         15円/本

・タバコの煙は赤ちゃんの体重を減らす        100g

   大人換算で、我が子から2kgの肉を削ぐ犯罪

副流煙は、奥さんの子宮癌の発生率を増加        7倍

非喫煙者に対する喫煙者の交通事故発生率        4倍

・タバコ半分を吸った場合は、20ワットの仕事を20分するエネルギーを浪費

 

 *1:1995年のチバガイギー科学振興団が経団連会館で開催したフォーラム           「タバコを考える---防煙、分煙そして禁煙について」の発表

                   (週刊『東洋経済』1995.07.08号)

*2:2014年度厚生労働省研究班(日本経済新聞2017年5月31日)

*3:国立研究法人国立がんセンター

   http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/252.html

 (Japanese Journal of Cancer Research 2002年93巻6-14ページ)。

 

2017-07-15

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年7月14日 (金)

タバコが頭を悪くする

⑷ 頭の働きが10%悪化

  1. 頭脳労働への影響

 国立公衆衛生院の浅野牧茂氏の実験報告によると、タバコ2本を1分間にひと吸いというペースで15分間、被験者に吸わせ、タバコを吸う前と後で、どの程度、頭の働きが違うかを調べたところ、答えを正確に出せる時間が、フィルターつきタバコで6%、両切りタバコで12%も多く要した。

 テストは、漢字が意味する色とは異なった色彩で印刷された文字 100個(4種)が無作為に10×10行のマトリックスに配置されたのを読んでいき、間違いに気づいた場合は読み直して、全部を呼称し終わるのに要する時間を計測する。 (浅野牧茂・大久保千代治:『日衛誌33:346,1978』)

 

  1. 脳内血流量の減少

 また最近の東北大学の研究発表では、常習喫煙が脳内血流を減らしていることを明らかにしている。血の巡りが悪くては創造性ある仕事はできない。たばこが健康にも頭にも悪いことを理解しながら止めれないのは、たばこによって頭が悪くなっているからである。タバコを吸うとスーッとして気持ちがいいというが、要は頭に血が十分に行かないのでボーっとするに過ぎない。それを気持ちがいいと、「ああカンチガイ!」をしているだけである。

 

脳内血流量への影響

非喫煙者      脳100gあたり 75㎖/分 

ヘビースモーカ   脳100gあたり 65㎖/分 (▲12.5%)

    男女20~80歳 111 人の調査 

   (「シガレット喫煙の知的作業能率に及ぼす影響」より

          浅野牧茂著『たばこの健康学』大修館書店 1985年)

 

  1. 頭脳労働価値の損害

 タバコを一日20本吸う管理職の平均年収を、計算単純化のため 1,000万円として、上記実験結果をもとに一人当たりのその頭脳労働価値の低下の損害を試算すると

 本  分       円    H       日 

20 × 5/60 ×(10,000,000 ÷2,000 ) ×0.1 × 1 =     833 円/日

 20 × 5/60 ×(10,000,000 ÷2,000 ) ×0.1 ×240 =約200,000 円/年

 

 アイ電機設備伊藤社長の試算では、年間 531,420円のタバコ経費している。それと合計すると、一人当たり年間70万円を越える「お金」が文字どおり「煙」と消えている。貴社には、何人の喫煙者がいるのだろうか。計算すると恐ろしい。これに慮らない神経こそがさらなる恐怖である。

 

ニコチン中毒の理論解析

 習慣喫煙者にタバコを6 時間ほど禁煙状態にして(通常30 分に一本吸う頻度)、タバコを我慢している状態にする。その時点で脳波を見ると、基本的な脳波成分であるアルファ波の周波数は、平均で9Hz 前後であった。それがタバコを一本吸うと、あっという間に10Hz ぐらいに周波数が上がる。アルファ波は覚醒度と関係が深く、非常に集中力を高めて頭をフルに働かせている場合や精神的に清明でリラックスしている場合は周波数が高くなり、逆にうとうとしてきたり、集中力がなかなか保てなかったりする状況では、アルファ波の周波数は低下している。これで、タバコを吸うとあっという間に頭はすっきりして、ホッとした精神状態に変化する過程が脳波で確かめられた。表情を見ると目がぱっちりしてくるのが明白である。タバコの効用として、すっきりするとか仕事の能率があがるとか、集中力が高まるとかの項目が挙げられる。アルファ波の変化という点からみても、そのような状況は起こっている。

 非喫煙者の脳波は、最初から10Hz 前後でアルファ波は安定していた(前述の実験で)。タバコを吸わなくても集中力を保つことに障害なく、リラックスした状態である。この違いこそが、ニコチン中毒の一面である。ニコチンはアセチルコリン受容体に作用するが、中枢神経系のアセチルコリン神経系は脳の全般に分布して、覚醒や脳機能の活動性全般に作用する。喫煙による大量のニコチン供給により起こるアセチルコリン受容体の機能変化が依存の形成の本態です。高濃度のニコチンがないと正常に機能しなくなるのだ。禁断症状を通して、ニコチンを脳が勝手に要求するため、ニコチン中毒になると己の脳の指令に従ってせっせとタバコを吸う。習慣喫煙者では、タバコを吸ってニコチンを脳に供給しないと、非喫煙者並の穏やかな精神状態であるアルファ波の周波数を維持できず、脳からの指令でタバコを「吸わされる」

 上記は東北大学保健管理センターの資料「禁煙を考えている方へのサポート情報」を要約。詳細は下記を参照

http://www.bureau.tohoku.ac.jp/anzen/occ_saf_heal_office/file/08-04-01.pdf

 

2017-07-14

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2017年7月12日 (水)

タバコで我が子の肉を切り刻む

タバコの煙は赤ちゃんの体重を100 g減らす

                  島本太香子医師(大阪府環境保健部)

 妊娠中にタバコの煙に囲まれていると、生まれる赤ちゃんの体重は、煙のない環境で暮らす場合に比べて小さく、平均で100 g以上の差が出る。妊婦が家族や同僚の煙に晒されると、日に3~5本吸うのと同じことになる。

 1992年から3年間、奈良県内の産婦人科で、順調に出産した妊婦を対象に調べた結果、下記のデータが得られた。

 妊娠中に喫煙した人はごくわずかだったが、家族や職場の同僚のタバコに晒されていた受動喫煙の人は全体で6割、約800 人いた。それを下記の4分類に分けて、赤ちゃんの体重の平均を取った結果、受動喫煙の妊婦の赤ちゃんほど、体重が小さいとの結果がでた。その差は平均で100 gである。

                                         n= 1333 人

|                       |赤ちゃんの  |体重差|

  妊婦の状態                 |平均体重(g)|(g)|

------------------------+-------+---+ 

喫煙しない場合(ベンチマーク)         |  3,140   | - |

------------------------+-------+---+

換気のない部屋にいて、周囲が10本以上吸っていた |  2,900   |▲ 240|

換気のない部屋にいて、周囲が9本以下吸っていた |  2,900   |▲ 240| 

換気のある部屋にいた              |  3,070   |▲ 70|  

たまにしか煙に晒されなかった          |  3,170   |   30| 

------------------------+-------+---+ 

                                喫煙の平均 |  3,040   |▲ 100| 

------------------------+-------+---+

      1996年4月9日の日本産科婦人科学会で報告(『朝日新聞 1996.04.09』)

 

 赤ちゃんの体重に対して、100 gは成人のそれの2Kgに相当する。これは可愛い我が子の肉を切り取る犯罪である。ニコチン中毒の主犯JTも責められる。人生は劇場に例えられ、貴方はその舞台の主人公である。

 ああ、なしてまた、貴方はシェイクスピア劇『ユダヤの商人』のシャイロック の役を演じるのか? タバコの煙で、生まれくるわが子の肉を切り削むとは! 肉親愛豊かな? シャイロクが切り取ろうとしたのは、商売敵の肉で、我が子の肉ではない!

 タバコは己の吐く息、服に染み込んだニコチンが、家の壁などに付着したニコチンが知らず知らずに肉親に毒を盛っている。

  私の祖母はキセルでタバコを吸っていた。幼いころ、彦根の実家に遊びに行った時、私は「おばあちゃん、タバコっておいしいの?」と聞いたら「これはゴクツブシが飲むもの」と言ってキセルの灰を火鉢に叩き落したのを覚えている。今思うと幸いなことに、父が彦根から大垣へ転勤して、私は満1歳にならないうちに、彦根の実家を離れることになった。

 

2017-07-12

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2017年7月 8日 (土)

母の思い出  4/4(改定)

車無しの生活

 両親は車の運転はしない。私も寮生活で、その必要性を感ぜず、入社後5年間は車無しの生活を送った。当時の新入社員で車を持っているのは2割程度であったが、5年も過ぎると、ほとんどの仲間が車を持つ。車関係の会社で車を持たないのは肩身が狭かったが、そのお陰で、初任給7万6千円で毎月、4万円の貯金をして、5年目で50坪の土地を現金で買った。土地の狂乱上昇が始まる直前のことである。両親がその土地の上に借家を建てた。それが車を持ってから、貯金が全くできなくなってしまった。とかく車を持つと出費が増える。それを見通していたためか、母は私に車を買うことを私にあまり勧めなかった。これでも生活が成り立ったのは、車産業が成長期の為、多時間残業での手当があったためである。また当時は仕事が趣味であった。土曜日に会社に行く(無償)のは当たりまえの感覚であった。

惠峰師の修行時代

 ほぼ同じ時期、馬場恵峰師は、京都の原田観峰師の元で検定課長として修行をされ、給与7万円であった。窯元を廃業する前は、恵峰先生は窯元の社長として多くの人を使い、社長として20万円以上を稼いでいた。それが給与7万円、残業代無しボーナス無し、深夜勤務はざら、週に1日は徹夜の生活に転落?である。家族に会うために長崎に帰ると3万円が消えるので、おいそれと帰れない。長崎で三根子先生が5人の子供をかかえて書道講師で頑張っていたので、生活がなんとか成り立った。恵峰師は2年ほどを頑張られたが、体を壊して長崎に帰られた。それと比べて、己の恵まれた生活に感謝である。当時はそんなことはさらさら思わず、製造業に比べてはるかに高い銀行員の給与をうらやんでいた。

銀行員が受ける落とし前

 後日談で、その給与の高さには恐ろしい裏があることを、65歳にして知った。ある都市銀行の元支店長の話である。その銀行の支店長だけ構成されるOB会では、その平均寿命は日本人平均より10歳も短い70歳である。つまり命を引き換えに高い給与をもらっていた。50前にして支店長になれなければ、出向である。支店長を辞めても手に職はない。技術職の私は、多くの経験を手にした。今にしてどちらが良かったか、自明である。

クーラなしの生活

 当然、母のいた実家にクーラはない。暑がりの私は、勤務地の自宅にはクーラを設置して贅沢に生活していた。たまに帰って過ごす実家の夏の暑さには、閉口したが、親にクーラを入れろと言う気がしなかった。これも母の無言の教育の賜物のようだ。父も同じ昔気質のせいで、死ぬまで、大垣の実家にクーラを入れることはなかった。

 その父が癌になり死期を医師から知らされたため、父の入院中に、父のいない実家にクーラを導入した(2002年)。葬儀の為、親戚の者が実家に集まった時のためである。父はそのクーラの恩恵を受けることはなかった。

南園堂とのご縁

 後年、そのクーラを、ご縁ができた南圓堂に寄付した。南圓堂は、奈良興福寺の日本で唯一の大垣にある別院である。毎年夏に、奈良興福寺から管主様以下6名の僧侶が来られ、大般若経転読法会が開催される。奈良では興福寺菅主様と接することは難しいが、大垣では、2mの至近距離で読経を聞ける。毎年8月の地蔵盆祭りには、興福寺の副菅主様が読経され、その後、町内の皆さんと一緒に食事をされる。奈良では近づくこさえ難しい方と食事を共にできたのもご縁であった。南圓堂のご本尊は不空羂索観音菩薩である。空振り無しで、迷える衆生を羂索で救う観音様である。迷える衆生である私も救われた。

母の死後の段取り

 母は仏教にはあまり関心がなかったが、葬儀や法要の件のしきたりにはうるさかった。母は10人兄弟の長女として、多くの家族の葬儀を取り仕切ってきた。母は私を親戚の葬儀へ連れて行き、親戚の非常識な振舞いを指摘して、私に人としてのあるべき作法と道を教えた。そんな母は、家を建てたとき、仏壇を置く空間を座敷に作っておいた。母の死後、そこに仏壇を入れた。

佛様のはからい

 それから20年して、松本明慶大佛師とご縁ができ、直々に白檀のご本尊様を彫って頂いた。2015年3月3日(火)、両親の13回忌、23回忌の法事は、私の仕事の都合と、参列する丹後と京都の従兄弟と叔母の都合で決めた。火曜日は大垣市立図書館が休館日であり、一番の決定要因であった。法事の前に、明慶先生に作って頂いた釈迦如来座像の開眼法要を彦根長松院住職にして頂き、仏壇に納めた。その約1ヶ月後、お墓の件で松居石材商店と話している時、松居氏から、その日は井伊直弼公の桜田門の変の法要の日だと言われて驚いた。私はそれに気がつかず、偶然に法事の日を設定した。彦根では3月3日は特別の日として多くの人が知っていて、各寺院では法要が執り行われる。大垣住まいの私は、全く知らなかった。その後の不思議なご縁の連続に、佛様のはからいを感じる。

三種の神器はなしで、在庫はあり過ぎた

 家には、車もカラーテレビもクーラも、3Cと言われた当時の三種の神器がなかった。しかしモノのない時代に育った母は、モノを大切にし、何でもしまい込むたちであった。お蔭でわが実家は大倉庫同然の状態になっていた。まるで何でも溜め込む、子供思いのエイリアン・マザーを彷彿させる。知人に聞いてみると、この世代の親は同じようである。親の世代は、それだけ貧しい時代を潜り抜けてきた。今のモノの溢れる時代とどちらが幸せであるだろうか、考えてしまう。 数十個の紙袋までキチント整理して、ためこんでいた。また100 個近いサランラップやポリバケツ、洗面器等までため込んでいたが、こんなに多く溜めてどうするの・・が息子のぼやきであった。

 大きなショッピングセンターが多くある、商業都市の大垣市では、店間の過当競争が激しい。そのため、客寄せの目玉として、1円の一ℓ醤油や10ケ10円の卵パックなどの広告が新聞のチラシによく載る。母そういう商品は確実に利用していた。父や私もこの買い出しによく付き合わされた。こういう目玉商品はお一人様1ケとなっている場合が多い。2回3回と行列を並んで手に入れるわけである。

母の遺品の後始末

 母の死後、便利屋に頼んで、不用品の整理として軽トラック4台分を家から出した。今は不用品の処分にもお金がかかる。その中で使えたのは、洗剤である。ただし液体洗剤は変質して使えなくなっていたが、洗濯用粉洗剤や固形石鹸は、母の死後20年たってもまだ在庫があり、助かっている。

 タオル・バスタオルに関しては、段ボールで新品が5箱もあったが、東日本大震災で、震災支援品の寄付として事務局経由で被災地に送った。

 困ったのが、カッターシャツの在庫である。当時、デパート等で安売りがあると私のために買い溜めをしていた。私が年に1kgのペースで順調に?肥満の道を突き進んだので、サイズが合わず着れなくなっていた。封も切っていない新品だが、一部変色もあり、処分に困ってそのままにしてある。流石の母も、その点の展望には抜かりがあった。しかし、母の思いはその在庫から伝わってくる。トヨタ生産方式から言って、在庫は罪である。ものない時代は、ため込むのが善である。モノ余りの時代は、在庫は罪である。時代の変遷とともに価値観の変貌を母の在庫から教えられた。

 私の学びは、生きていくための財産は、お金やモノではなく、生きていく(お金を稼ぐ)能力である。どんなに時代や価値観が変わっても、それがあれば生きていける。

 

図2 南圓堂(外観)

図3 南圓堂(内部)   2014年

図4 大般若経転読法会  2014年

図5 地蔵盆法要 読経は興福寺副管主様  2011年

 

2017-07-08

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年7月 5日 (水)

母の思い出  3/4

一杯のインスタントラーメン

 私がまだ小学生で、日本も我が家もまだまだ貧しかった昭和30年代のお話。当時インスタントラーメンなるものが世に登場し、母はインスタントラーメンをよく作ってくれた。そのラーメンを、母は一食分を醤油で汁の増量をして2つに分け、母も一緒に食べていた。贅沢な私は、そんなケチなことをせず全部食わせろ、とよく言ったものだ。今にして思うと、ああして節約していたわけで、全く頭が下がる。ただし、節約しても野菜とか卵を入れた手の入った料理で、今のカップラーメンのようにお湯だけを入れるのとは違う。

 母は昔気質であったせいか、本当のインスタント食品であるカップラーメンやレトルト食品等はほとんど使わず、殆ど手作りの料理を作っていた。

 

人を見る眼の躾

 母からは、家の中で歩くとき畳のヘリを踏まないような躾を受けた。父はこの点が無頓着で、いつも母から叱られていた。その点では、私はおりこうさんであった。そのため、自宅に招くお客さんが畳のヘリを踏むか踏まないかで、その客の育ちを観察する癖がついた。人の家に行けば、敷居のヘリの汚れ具合で、その家の格が分かる。良いとこの育ちだと、確かに畳のヘリや敷居を踏まない人が多い。それは箸の持ち方、茶わん蒸しの食べ方、身のこなし方からも観察できる。

 そういう点で、私は母から旧家のしきたり、作法を厳しく躾けられた。その観点で、周りの人(昔の上司も含む)の下品な振舞いを情けなく思いながら、片目をつぶって過ごしてきた。見え過ぎるのも困ったものだ。片目をつぶらないと宮仕えは勤まらない。時には両目をふさぐ。

 

読み終えた新聞紙は商品

 母は新聞紙を丁寧に扱い、きちんと皺を伸ばしまとめて、露店商に売りに行っていた。露店商はこれを商品の包む紙にするので、綺麗な新聞紙が必要になる。そんな訳で、露店商は特定の人から買っていた。これはちり紙交換に回すより、はるかに高いお金で引き取ってくれた。だから当家では、新聞は商品として丁寧に扱う習慣がついていた。こんなことでも無駄にしない母は並みの人ではない。今は古新聞の買取の業者も回ってこなくなった。

 

洗濯機なしの生活

 当時、実家には洗濯機がない。倹約家の母は、洗濯機は布地が痛むからと、終生買うことはなく、お風呂の入るとき風呂場で、手で洗っていた。その歳で洗濯機くらい買って少しは楽をしろ、と私が言うのだが、手洗いがいいと頑として聞いてくれなかった。少しでも楽をしようとする意思がないようであった。

 私は三河の自宅で、全自動洗濯機と乾燥機(当時の熱風式ランドリー)を使って暮らしていた。全自動で洗濯し、熱布式乾燥機に洗濯物をかけると、てきめんに下着等が短期間にボロボロになってくる。まさか手洗いをする時間をかけられなので、それで暮らしていた。最近(2017年)は、エアコン式の水分乾燥機能が付いたドラム式全自動洗濯機を使っているので、その弊害が無くなった。それを使うたびに母を思い出す。

 

テレビなしの生活

 昔はテレビが贅沢品で、私が小さい時はよく他の家に見せてもらいに行った。その贅沢品を、うちの家ではかなり早い時期に入れた。当時社宅に住んでいて、屋根にテレビアンテナが上げるのが隣同士の見栄の競争になっていた。そういう点では頑張り屋の母であった。今の平成天皇の結婚式のパレードを見るために、1959年(昭和34年)、世間のブームに巻き込まれた形で買った。

 そのテレビは日本コロンビア製であった。当時、各社の製品を見比べてこの会社の製品に決定した。その日本コロンビアも電機業界の激変にはついて行けず、テレビの生産をやめ、2001年にはAV・メディア関連機器部門を(株)デノンとして分社化、譲渡してしまった。今は音楽に特化した商売をしている。ソニーでさえ、隣国の液晶を使ってテレビを作る時代となった。時代の変遷を感じる。我が家で最初のテレビを買って半世紀以上が経ったが、いまだに日本コロンビア製であったことを鮮明に覚えている。

 しかし、ここからが、当家が世間と違うところ。そのテレビも4年ほどで写りが悪くなったが、なぜか買い換えよういう話がなく、私が小学生の高学年から大学に入るまでテレビ無しの生活になった。お蔭で、読書と勉強にいそしむことができた。大学に入ってからは、いくらなんでもテレビぐらい無くてはと、カラーテレビが常識の時代に、白黒テレビを買った記憶がある。その影響で、母が亡くなる1992 年末まで、実家の私の部屋には白黒テレビしか無かったが、別に欲しいという気がしなかった。ただし、当時の両親の居間と仕事場と寝室にはカラーTVは有った。今にして思えば、お金以上に、時間の節約ができたと母に感謝している。

 上記事情で、昭和39年(1964年)の東京オリンピック開会式の放送だけは、行きつけの模型屋さんに行って見せてもらった。その直前のケネデイ暗殺事件(1963年11月22日)の報道は、新聞の夕刊で見て衝撃を受けた記憶がある(なんと当時、我が家にはラジオもなかった)。その時のみ、テレビがあったらなと思ったが、それだけであった。確か当時の一般家庭でのテレビ普及率は90%を越えていたはず。今は、この話を人にしても信じてくれない場合が多い。これが自慢できる時代になるとは、世も変わったものである。

 1993年頃、自宅のソニーのモニターが壊れてしまい、修理に出すのが億劫なのと、科学工業英語検定試験1級の受験勉強に本腰を入れていたため、4か月間ほどTVなしの生活を送ることとなった。この現代の情報化社会でも、TVなしで死ぬことはないのと、情報化社会に遅れることなく生活できるのを確認したのが最大の収穫であった。

 

2017-07-05

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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書の著作権は馬場恵峰師にあります。所有権は久志能幾研究所にあります。

2017年7月 3日 (月)

母の思い出  2/3

母の死生感

 母は死に対して達観していた。食べたいものも食べれないような生き方をして、無理をして長生きなどしたくもないという性格で、私は太った体重を減らせと何度を言ったが、とうとう聞いてくれず、これが遠因の脳溢血で逝ってしまった。これだけが母の欠点であった。

 倒れてからも、死ぬことなど、何も恐ろしくないと病床で言っていた。凡人には言えない言葉である。自分の死期を察し、その死後の準備と指示までしてくれた母は並みの人ではなかったと、今にして感ずる。自分の老後の設計をして、それを活用することなく、父と私のために生きた母には感謝してもしきれない。

 母の死期が近づいた日々の数カ月を、1~2日に一回の頻度で、就業後の深夜、家から実家の市までの往復170㎞、速度制限50キロの堤防上の道を・・キロからの速度で飛ばして母の入院する大垣市民病院に通った。意識のない母の顔を見ることと父に顔を見せることが、せめてもの親孝行だったと自分で慰めている。しかし、意識のない母が段々と衰弱していき、死期が近いことを嫌でも認識させられることは、実に辛い残酷なことであった。

 極限状態は、真の母の親友を浮かび上がらせてくれる。生前、その後も色々と御世話になった知人の方には、感謝してもしきれない思いがある。

 

母からの逃亡

 出来過ぎて頭も切れ、私に構いすぎるので、私はうっとうしく母の元から離れたかったので、三河で就職をした。大学で特待生を獲得したので、担当教授から地元の企業ではなく、もっと活躍の場のある三河の企業を紹介された。学校推薦であるので、母は地元に置いておきたかったが、母も諦めて私を手放した。

 おかげで私は母の引力圏を飛び出すことができた。それでも電車で1時間、車で2時間の距離の程よい距離で、今にして良き就職であったと思う。これが東京への就職では、母への毎日の病院見舞いもできなかったはず。そのご縁で、仕事の上でも良き経験をした。地元の企業では、その経験はさせてもらえなかったと思う。お陰で世界を相手に仕事ができた。

 

子供の務め

 病院嫌いの母が、頭が痛いと言っていた時に、「医者に行け」と言ったのだが聞いてくれず、脳溢血で倒れてしまった。今にして思えば、首に縄をつけてでも、病院に連れていくべきであった。返す返すも、悔いが残る。老人がかかる病気の初期症状(特に脳溢血)を熟知することも、大いなる親孝行であると、反省した。脳溢血での数日、数時間の処置遅れは致命的である。なにせこの世には、お金で買えないものがある。

 

現代医療の疑問

 既に数カ月も意識のない体に無理やり注射をし、薬付けの治療をしている。意識が戻った時に、数カ月も使わなかくて弛んだ機能しない筋肉が、元通りに再生するとは、素人の私からも理解できた。そんな単なる延命治療は、神の意思に背くのではないか。かえって家族には酷い気がするのを、亡き母の治療で身近に感じた。意識のない母の各細胞が刻一刻と再生不能な領域に行きつつあるのは、理性ある人間ならいやでも認識させられる。自分の意思では呼吸を出来ないのを、人工呼吸器で数カ月間も生き長らえさせる現代医学の意味を考えた。

 この現代医学治療の最大で唯一の恩恵は、母の死に対する心の準備をゆっくりさせてくれたことだ。しかし、これは真綿でじわじわと首を締められるようで、別の苦みを味わわせてくれる。お見舞いに来た親戚の叔母が言った。

「地獄など来世にはない。この世で、辛いことを耐えるのが地獄の苦しみである」

 

自然界の法則

 この世は原則として不平等である。自然界・生物界で、全て平等などの現象はありえない。それを、エセ民主主義を振りかざし、無理に平等だとするから話が拗れる。最近、私は死生感がハッキリしてきた気がする。この世は、自然界の方法に則っていて、いくら人間の知恵を働かせても死ぬべきものは死ぬのであり、それに逆らうのは大きなエネルギーロスで得るべきものが少なく、人類全体には却って大きな損失ではないのか。それをさらに臓器移植で、何とかしようというのは何故か納得がいかない。そもそも神の前では、人間など小さな存在だ。だからこそ与えられた運命を受け入れることが大事なのではと思う。死ぬべき運命ならそれを受け入れる心を、そうでないなら、最大限の生きていく努力を持つべきだと思う。最近、良寛の悟りきった下記の言葉が素直に受け入れられる。

 

「災難に遇う時期には、災難に遇うのがよく候。死ぬる時期には、死ぬるがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。」良寛

 

臓器移植への疑問

 臓器移植には、その行為自体に矛盾が存在する。なまじっか他人の臓器を頼るのは、それによって、却って他の人の命(臓器提供者の)を縮めることにはなりはしないのか。片方で人の生を渇望し、そのために臓器移植のための人の死を渇望する非情さに矛盾を感じる。臓器移植での人体の拒絶反応は、ある意味での神の示す意思である。それを克服しようとするのは、人間の傲慢さの現われではないのか。世の法則である自然淘汰には、神の深遠なる配慮があると思う。その点で、私を五体満足に生んでくれた母に感謝である。この恵まれた環境を生かして、精一杯生き抜くことが、母への感謝と餞である。

 2017-07-03

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年7月 2日 (日)

母の思い出  1/3

電気の基本容量UPへの抵抗

 母は、若いころから洋裁の腕で働き、節約した金で、大した贅沢もせず、平均寿命以前に逝ってしまった。昔気質の母は、電気の契約基本容量のアップを頑固に拒んだ倹約家であった。私は小さい頃によく電気のブレーカを飛ばして、母に叱られた記憶がある。今にして思えば、実に合理的な思想であった(前職の勤務先の工場では省エネ活動のため、これと同じ思想の節電に取り組んでいた)。幼い当時は、なんとケチな性格だと疎ましく思ったものだが、今は母が残してくれ有形無形の財産を感謝している。人は棺を覆って初めてその評価が定まると言うがそれを身近に実感した。

 寒い冬の夜(1992年12月)、母の通夜の場で家中の電気をつけたため、ブレーカが度々飛んで往生したが、「私の葬儀ぐらいで無駄遣いをしてはダメ」と言っているようであった。母の葬儀を母の叔父の意向で、母が歯を食い縛って残してくれた有形無形の財産への餞として、身分不相応に立派にしてあげたのが、親不孝な私のせめてもの親孝行であった。

 しかし、年老いた父にそんな不自由な生活を送らしても仕方がないので、母の死後、実家の電気の基本契約容量をアップ(30A)させた。しかし、三河の自分の家の基本電気容量(20A)はなぜか、母の性格を受け継いだせいか、もしくは貧乏性のせいか、基本電気容量を上げる決断ができずに、近畿への転勤の2005年末まで暮らした。おかげで、チョット油断するとすぐブレーカが飛んで閉口であった。基本電気容量の契約アンペア数を上げても、生活に困らないリッチな身分に早くなりたいものと思って頑張っていた。今はこれとこれの電源を入れたから、総アンペアはこれだけで、これを切らなくてはアレが飛んでしまうと、頭がフル回転(羽田元首相の言い方で)である。この対策のため、家中の電化製品の電気容量リストを作成し、それを冷蔵庫に貼って横目で見ながらこの件を凌いでいた。不便だが、節約と頭の体操には良いものだと、母の躾に感謝している当時の姿であった。

 

 母が健在であった当時、20Aであったブレーカ容量が、定年後に大垣に帰郷して40Aに、さらに60Aに上げた。現在(2017年)では、ブレーカ良く飛び、往生している。どないなってんねん?

 

お金の使い方

 母は節約家であったが、使う時には、特にわが家の見栄・名誉に関係する時は、それこそ躊躇なく一気に出す性格で、ケチな節約家でなかったのが偉い。特に、私の教育のためなら何でも我儘を聞いてくれた。またそれが、母の生きがいでもあった。今の私がその反面教師効果として、贅沢ができない性格になったのは、母の深慮遠望だったかもしれない。

  そんな母は、旧家の長女に生まれ、終戦後に父のシベリア引き揚げ後に結婚し、母の才覚と働きで裸一環に近いところから、自宅を彦根と大垣に2回も建て、自分の老後のため、息子の世話にはなりたくないと、借家を数軒も建てた、自立心に富んだ、プライドの高い、頭の切れる、男まさりの偉い母であった。出来の悪い自分が情けない。長年付き合いのあった地元中小企業の社長は、母に一目も二目も置き、大垣の社長たちで、母に太刀打ちできる男はいないと太鼓判を押した。日本の高度成長は、贅沢を知らない戦前の世代が、遮二無二に頑張った成果だと思う。その日本の高度成長と共に生き、バブルの終息をあと、それを追って消えるように逝ってしまった。働き者の母は、ある意味で幸せだったと思う。あの時代は、右上がりの経済を信じて全員がガンバっていた。その成果を手にしてから、逝ったのはせめての慰めかと思う。

 

日本政府に不信感

  母はよく、終戦直後の新円交換の話をしてくれた。このせいで、母の父の蓄えた退職金が全て紙屑同然になった言い、国のやることに全面的不信感を持っていて、「自分で財産を守らなくては」との信念になったようだ。トヨタ中興の祖の石田退三氏の「自分の城は自分で守れ」と同じである。私も日本政府を信用していない。

 

 

人を見る厳しい眼

 締まり屋の母ではあったが、旧家の10人兄弟の長女に生まれたこともあり、世間の付き合いの慣習にはうるさく、付き合う人たちの常識の無さをよく指摘して、私に「あんなことをしてはいかん」とよく言って聞かされた。その社会のあるべき「常識」を身につけさせられた。そのため、回りの人達の言動のアラが眼につきすぎて困惑している。今は、母以上に厳しい目で、私は人を見ている。

 特に人との交流関係での「信用問題」では、厳しい眼をしていた。親戚や昔の上司の妻、回りの人の非常識さを私に指摘して、二度と付き合わない厳しさを持っていた。ある親戚とは親戚付き合いを絶った。理不尽な事には、相手が男性や上司の妻にでも、堂々と言いたいこと(正論)を言うので、相手がタジタジとなる。そんな母の交遊関係は小さいが、その密度は高かった。虚構の交友関係よりは、遥かに良い。

 そんな性格を受け継いだ私は、2015年の自家のお墓の改建問題で、非常識な対応をした親戚の3家と縁を切った。これは問題を曖昧にできない母の性格が受け継がれている。

 お金が無いことは、各種誘惑への毅然たる態度の欠如、心の余裕の喪失、非常識言動につながりやすい。だからこそ、しかるべきレベルまでは、お金を持たなければならない。お金に汚い人たちや非常識な人、それに起因する行動を批判して、お金の大事さを母は教えてくれた。

 

人の眼を意識せよとの躾

 「出張等で、外食する場合には、最低金額の食事をして出張費を浮かすなどの情けないことをしてはいけない」。これは亡き母の教えである。そもそも会社が、「規定金額で食事をすること」と指示しているのに、それに見合う金額を使わないのは、会社の名誉・信用を傷つけている。他の人が見たら、「あの会社は、まともな食事代さえ出せない貧乏会社」と思せてしまう。それこそ会社への背任行為であり、会社の信用を傷つける。個人も法人も、信用を無くしては金儲けができない。また自分の勤める会社を卑しくして金を節約しても、それでは将来はたかが知れている。その場を誰も知らないといっても、神様は見ておられる。

(初稿1995年11月8日、2017年7月2日再校正)

 

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2017年7月 1日 (土)

知的生産活動としての生活VA

 夢の実現と心豊かな人生をめざして

   低成長時代の生活リストラ手段

   知的生活のための節約・投資手法

   心豊かになれない日本人への諫言

 

 VAとはvalue analysis価値分析の頭文字で、今行っているプライベートの生活経費を見直して、無駄を省くことが「生活VA」です。それを1年間に積み上げて計上する。生活の工程を効率化してその時間をお金に換算する。トヨタでは1秒1円で原価コスト計算をする。

 

生活VAの目的

 時々新聞で、日頃極貧生活をしていた老人が亡くなった後に、莫大な遺産が床下や、銀行から発見されたことが報じられる。これを見ると、何のために生きていたかと、人ごとながら呆れてしまう。目的なき人生では悲しい。目的なき節約は、節約が目的になって、上記の愚かな結果を招く。人によって価値観が違うので、使い道をとやかくは言えないが、貯めるだけが目的の節約は悲しい。

 お金は人生の目的ではないが、智慧を得るためには軍資金は必要です。お金は多くの経験をするため、失敗や痛い目をあう為の道具です。行動しない限り知恵は身につかない。お金を大事に使って旅立たせると、お金がお友達をつれて帰ってきてくれる。

 

生活VAの実践

 自動車業界には、コストダウン活動としてVA制度がある。そのVA制度では、提案したコストダウン額の半分が、2年間にわたり提案元に還元される。そして、その分の納入価格は下げられる。VAでコストダウンをしなければ、強制的な値下げ要請で値引きをされるので、必死にVAをしなくてはならない。一つの部品で5円のコストダウンでも、年間500,000個生産すると、2,500,000円のお金になるのだ。

 この仕事のVA活動の水平展開として、自分の生活をVAすると効果が高い。そして節約した分で贅沢をする。節約項目は一年分の効果のみを計上する。それ以降は(あと永久に・・・)その分の生活費が節約されるシステムである。自分の生活費の中で、1日の100円の経費節約をすれば、年間で36,500円の儲けとなるのです。それが10年間も続けば、365,000円の儲けです。

 だから次々と、新しいVAのネタを探さなければならないので、しんどい。それがトヨタの日々改善の制度である。だから褒美としてその分は使うことにしている。そうでないと続くまい。これを永遠に続けると生活費は限り無く0に近づく。そのうちマイナスの値になって、カスミだけを食べて生活できるようになる・・・・?

 最近は先に贅沢をして、慌てて泥縄式に節約するので反省であるが、それでもその分をノルマとして節約を実行して生活を改めれば、その後はその項目分の経費、生活費が減る。

 リッチになるまでは、ひたすら我慢が大事です。清貧とは忍耐ある知的生産活動です。「肉体労働は1両の価値だが、頭脳労働は10両の価値がある」と言ったのは江戸時代のさる豪商の言葉。

 

 当時(1990年頃)は、残業手当てが10万円以上もあり、バルブ経済の影響で生活費が水膨れしていた。1991年にバルブが崩壊して、残業手当がゼロになり、必要に迫られて生活リストラに取り組んだ。下記は、私が1993年の4月から1994年3月の一年間で、生活VAの手法で節約をした実績値です。毎回、節約の対象、節約目標額を決めて実行していた。一部、贅沢品の支出はあったが、工夫した分は生活がスリム化した。生活VAを自画自賛している。

 

    反〇金+レ〇〇購入用VA   57,820円

    アンプ購入用VA      250,742円

    CDプレーヤ購入用VA   360,078円 

    絵画購入用VA       413,069円

  --------------------------

            合計  1,081,709円

 

 

このエッセイの構成

 本田宗一郎氏の表現を借りると、我々は「坊さんの手に渡るのを少しでも先送りするため、必死に時間を稼いで」生きている。そのために、時間そのもの節約とそれを可能にする健康は欠かせない。ビジネス社会で人並み以上のお金を貯めるには信用は欠かせない。またそれを支える軍資金も重要である。その4つの要素は教育から生まれる。あとは付録である。

 この理由で、この書は節約を達成するための戦略として、第1部にC1時間、C2健康、C3教育、C4信用金庫の順で記述した。その後に生々しい戦術として、第2部にお金の運用、買い物、生活費、車の経費等の順で記述した。第3部の最後に、この生活VAの背景としての私の考えを、エッセイとして記述した。

 先行して「C4 信用金庫」のエッセイをブログ発表しました。節約の最大要素は、信用の獲得です。これを第4章として位置付けした。人生で付加価値を生むためのカンバンが信用である。

 

 本書は、欧米の論文の書き方、つまり科学工業英語、新聞記事の展開の方法で記述してあります。つまり、最初の冒頭にその要点、結論を書き、それを具体的に展開する記述です。また各章も最初に原則・総論から具体的な事例へと展開しています。逆ピラミッド構成とも言えます。

 別の表現をすると、最初は格調高く、後ろの章にいくほど段々と具体的に生々しく・・・です。ですから、今日の生活にも困っている人は、第6章くらいの生々しい部分から始めるのがお勧めです。

 

 今回のブログで20年前に記述したエッセイを、順次見直して掲載していきます。これで皆さんも生活を見直して、浮いたお金で贅沢をしてください。無駄を省いて贅沢を、が私の生活モットーです。

 

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2017年6月21日 (水)

占いで過去を変える(信用金庫4)

 宗教と同じように、占いに凝ればお金は貯まらない。神さまは、自分の考え方が信じれない人に、お金儲けをさせてくれない。占いを使うと、熟慮が放棄さ、他力本願となる。

 2017年現在、日本の占い産業は、1兆円産業と言われ、第6次産業とさえ言われている。昭和54年(1979年)に流行った「天中殺」の和泉宗章の占い鑑定は、半年待ちの予約が必要で、30分間2万円であった。当初30分で1万円(以前は5千円?)の鑑定料は、氏の著作『天中殺入門』が180 万部のベストセラーになって、2倍に値上がりした。人の足元を見れる商売はぼろ儲けである。これで単純計算すると、収入2億円程になる。

 当時は私も人生に悩み多き時期で、恥ずかしながら和泉宗章氏の鑑定を受けた一人です。占いに凝ると、考えがどうしても消極的になる。これではお金は貯まらない。一時期、占いにかなりのお金を投資した私の反省です。

 

 だから、占ってもらうより、占う立場になること。これは儲かる職業で税務署も捕捉不能なのが魅力的?だ。また必要経費、設備投資が少なく(街の易者は国有一等地利用がタダ?)、不況なら尚更に迷える羊が増えて、商売繁盛でさえある。人生において、いつまでも占われる側の迷える羊では、浮かばれない。なに、占いなど簡単である。米の有名占い師は次のように言う。

 

「人の運命を見る時は、30%の直感力と古来伝わる運命術を応用し、後は相手に媚を売ることです」と。

 

占いで過去を変える

 占いを極めれば、新しい価値観が生まれる。それには一線を超えないとダメである。一般の占いの欠点は、付加価値を生まず、生きる勇気も与えてない。宗教団体は、占いを商売の勧誘道具として活用している。新興宗教団体の餌食になってはなるまい。何か行動(占いも)に移す時は、それで生まれる付加価値を考えたい

 

 その意味で、私はおみくじを引かない。引かなくても、自然界の声なき声で未来を教えてくれている。それが聴こえるように能力を磨くべきだ。それが占いの修行である。未来を占うより、自分自身で未来を創ればよい。その方が当たる確率が高い。

 占いで人の過去を占うなどは、最も無駄である。過去は、履歴書である己の顔に書いてある。人の顔をみれば、その人の過去が分かる。過去は変えられるが、未来は変えられない。暗い考え方で生きていけば、高い確率で暗い未来が訪れる。占わなくても自明で、未来は変わらない。過去の嫌な経験を、修行の時期、成長の糧と解釈すれば、過去は未来のために明るく輝き、変貌を遂げる。過去とは、己を育て鍛えた豊穣なる大地だ。そこに己が学んだ過去がある。嫌な経験や厳しい試練は、己を鍛えた基盤なのだ。

There is no fact, only interpretation.

 事実はない。解釈の違いがあるだけ。 ニーチェ

 

 もともと古代志那では易は乞食の職業で、現在のタレント業の川原乞食と同じ類である。街頭の易者をつくづく見るに、貧相で学識があるとは見えない風体が多く、なぜこんな輩に、人生の大事を話すのか。そもそも占いは現状・未来を予言してくれる(ように見える)が、何ら解決策は提示してくれない。運命を切り開き、決断をするのは己である。とは言っても、人間とは弱いものだ。せめて、占いは自分の反省材料に使うべきだろう。何か悪い掛が出た時には、今の行動の見直しか慎重さを促す神の声と聞くなら、使い道もある。

 

「親愛なるブルータスよ。その過ちは、我々が悪い星の下に生まれたからではない。過ちは我々自身の内にあるのだ。」シェークスピア『ジュリアス・シーザ』

 

占いの位置づけ

 占いの鑑定料、宗教のお布施のどちらも、「高ければ高いほど、御利益がある」と迷える羊に思い込ませる。「少しでも安く、良い物を」との資本主義の市場原理は働かない。買っていただく立場と、売ってやるとの立場では、価格設定が全く異なる。

 占い・宗教は、いつも価格切下げの地道な原価低減(VA)活動で、鞭打たれ、苛められる製造業の我々からは、垂涎の商売である。しかもVA活動は、その地道な活動と多きな利益貢献の割りには、あまり評価されない。利益貢献がなく形だけの賞が過大評価される現実が哀しい。だからこそ、「やるなら宗教教祖、占い教祖になるべきだ」が独立を夢見る人への助言です?

 

古代の職業観

 古代支那の占いに「四柱推命」があり、現代でも幅をきかせている。東洋哲学の陰陽道を基本としたこの占いでは、世の全ての事象を陰陽に分けている。それを「四柱推命」で各職業に当てはめると、陽の「正財」と「陰の偏財」に2分される。

「正財」とは、世の中で生産を司る仕事。

「偏財」とは、生産に直接寄与しない職業。

どういうわけか、この2つの偏財の職業(占い師と河原乞食(タレント))が現代日本で、もてはやされているのは異様である。本来占いとは、裏道でひっそりと息づくもので、表道には出てこないものだ。

 現代社会は、泥臭く油臭いと思われる製造業が不当に虐げられていて、学生の人気が離散している。表の「正財」の職業が存在して初めて、裏の職業が存在する。現代では、カッコ良く、賃金の高い非製造業(製造業のテラ銭稼ぎの)の職種ばかりが学生に人気がある。主客が逆転したこんな風潮で日本の未来は・・・と嘆く私は、古代の人間か?

 

占い活用の極意

 占いは使わないにこしたことはない、とういう考え方もある。伝説によると、昔の支那のある皇帝は一旦緩急ある時に備えて、高給を払って占い師を召し抱えていた。しかし、皇帝は死ぬまで占い師から助言を受けることがなかった。つまり皇帝の治世は平穏に終始したのである。これは占いを活用する極意といったものであろう。(千種堅談『婦人公論 1980.2月号』)

                                     

占い師の条件

 ・人並み以上の常識・知識・洞察力

 ・豊富な人生経験

 ・人並み以上の体力・精神力

 ・人を引きつける話術(結婚詐欺師をも上回る技能が必要)

 ・最低3つの占いの知識

 

 占い師は、占なわれる人の悪い「業」を受けることになり、精神的疲労は甚大であるという。なにせ客は深刻な悩みを抱いた人が多い。その話を聞くだけでも疲れる。その悲劇のどん底の藁をもすがる気持ちで占い師を頼って来ている当人から、いかようにも解釈できる「鑑定」で金を巻き上げるのである。このために体力と精神力のタフさは欠かせない。

 一般に技術者は100を知っても確実な内容の10ぐらいしか表現しないが、文学者は10を知って100を表現するくらい芳醇な創造力があると言われている。占い師はこの微かな情報を、膨大な話にして相手を、納得させる技術が必要とされる。だから占い師を志す人は「ああ言えば、上祐」と言われた氏ぐらいの話術・心臓が欲しい。またその本当の運命を読み取っても、商売上であえて口に出しては言わない点に(ペテン師としての)占い師たる奥ゆかしい教養が見いだせる。

 

 最近の不況・就職難のためか、占い師志望の人が急増している。その自由業としての立場と収入の多さ、資格がなくてもなれる点が魅力だという。しかし千人の占い志願者中、プロになれるのは3人だけが現実である。上記の条件を満足する人格・能力なら、どの道に進んでも社会的な成功は間違いない。なにも占い師に成りさがる必要がどこにあるか。

 だからもし占ってもらうなら、然るべき占い師を選別するために、占い師の人相を鑑定する知恵を身につけてからにすること。まてよ、それだけの知識と洞察力があれば、占なってもらう必要などはない?

 

 街頭や路地裏のうらさびれた易者を見るに、いつも次のことを思う。

「何で自分の将来が占えなかったの? 街の易者にまで落ちぶれて・・・」

 なにせ古代志那では易者は乞食の商売。人生で迷ったら、せめて恩師や人徳ある人に相談するのが賢明な手段である。宗教や占いに走る恐ろしさを1995年にオウム真理教事件が証明してくれた。

 

占い師の条件

 自分の心に咎めるところがあれば、いつとなく気がうえてくる。すると、鬼神と共に動くところの至誠が、乏しくなってくるのです。そこで、人間は平生踏むところの筋道が大切ですよ。(喜仙院談(勝海舟『氷川清話』より)

 

運の無駄遣い

 人生での「運の総量」は決まっている。それを大事に使うか、無駄遣いするかによって人生が変わる。米長元名人は、「惜福」という表現をしている。その点で、運の性格は「お金」に似ていて、財産として貯蓄することが可能である。ただし、貯めてあるかといってあてには出来ないし、ただ一度の手抜きが酷いしっぺ返しになることもある。神様が運営する「運銀行」の「預金残高」がないと、間違いなく人生での酷い仕打ちを受ける羽目になる。己の信用金庫と神様の運銀行の財獲得戦争である。

 

運の価値分析(VA)

 世には運のよい人がいるものだが、その人はそれ相応の運の使い方をしている。「運のいい人」と片づけずに、謙虚に我が身の行動を省みたい。「運」を価値分析して、運を貯金する姿勢が、幸運を招く。少なくとも、不運を避ける手段にはなる。

 

図1 どんな暗い夜でも、どんな厳しい冬でも、時期がくれば日が昇り、春がくる。未来を見るのに占いなど必要がない。世の中は自然の理で回っている。自然の中ではちっぽけの自分は、目の前の仕事を愚直に進めればよい。

 

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高利貸しが掲げる錦の御旗(信用金庫3)

 「商売敵が優秀な弁護士を雇っても、なんら恐ろしくいない」とある経営者は言う(福富太郎氏の著書より)。しかしその商売敵が宗教に凝ると、それはとてつもない恐怖になると言う。心に炎を点火する宗教の効用は大きい。

 

 オウム真理教の教祖や幹部は、教団を創立する前の一時期、ある新興宗教団体入信していた。そこでマスメディアによるマーケッティング手法を学び、その効用を自書に記述している。オウム真理教は、それと同じ手段で布教活動を始めた。その手法があまりにも似ているで、その宗教団体の広報部が呆れたという。

 教祖曰く「神仏への感謝は自分の労働を振り当てるのが本当だが、それができない人は、それに相当するお金を供出すればよい。感謝の念が大きければ、それだけ多くの労働を振り当てるはずだから、お金に換算してその分を提供すればよい。」と。

 思わず多額の御布施をしたくなるような理路整然たる論法である。しかし、真の神仏は己の心の中にある。神仏に頼るのは己に信念がないからだ。信念無くしてはお金も成功も寄ってこない。宗教にのめり込むと、お金がいくらあっても足りない。喜ぶのは教祖だけ。「神仏を敬えども頼らず」が原則である。

 

 その新興宗教の教祖とオウム真理教の教祖共に、若い時に日本の法律を犯し、服役しているのは、その後の歴史を暗示している。これは一時期、その新興宗教団体の教祖の本を読み、説法を某支部で直接聞いた身としての感想です。上記の教祖様の説法を試しに直接聞いてみて、違和感で目が覚めた。

この教団の某支部に試しに行ってみたら(1980年頃)、出迎えた受付の人が「お帰りなさい」で、帰るときは「いってらっしゃい」であった。宗教商売がうまいと感心した。妄信した信者なら、大感激である。信者から金を巻きあげる算段が至れり尽くせりである。

 その教祖の書いている多量の本は、今まで見聞した本のパクリが多かった。ゴーストライターの作に違いない。自分で文章を書いて、本を出版した経験に照らしても、忙しい教祖がそんなに多量に本を出せるわけがない。

当時、私もまだ20代後半で、人生の悩み多き時であった。私の人生の同じ時期に、私よりも優秀な若者達が、超能力を身につけられるとの宣伝に騙されて、オカルト教団に堕ちていった。世の中、そんなに安易に超能力を身につけられるなら、誰も苦労をしない。とかく優秀な人は、泥臭い手間を避け効率的な手法に走り勝ちだ。優秀な人は頭だけで考えて、挫折を知らないから、簡単に騙される。私は、人生挫折だらけであった。

 

「神に頼るとはなんたることだ。自らの力で自らを助けたまえ」ベートベン

 

「宗教」とは:「希望」と「恐怖」を両親とし、「無知」に対して「不可知なもの」の本質を説明してやる娘。(A・ビアス著『悪魔の辞典』1911年)

 

宗教と企業経営の差

 宗教の「宗」とはウ冠に神事を意味する「示」で構成される。ウ冠とは己の家を表す。つまり己の家の教えであり家訓である。自分の信念に基ずく行動ができるなら、貴方は宗教家教祖である。だから私は小田教、つまりオダブツ教の教祖である。

 企業も一種の宗教活動である。トヨタ自動車なら豊田教、松下電器産業(当時)なら松下教である。その社是をみると、宗教法人の文言とあまり変わりがない。怪しい新興宗教団体の活動と正しい企業活動の違いは、金儲けか付加価値創造・社会貢献かの違いである。

 豊田綱領5条は「神仏を尊崇し 報恩感謝の生活を為すべし」である。

 松下電器産業の社是の「私たちの遵法すべき精神」は「感謝報恩の精神感謝報恩の念は吾人(ごじん)に無限の悦びと活力を与うるものにして此の念深き処如何なる艱難(かんなん)をも克服するを得真の幸福を招来する根源となるものなり」とある。松下電器産業の名が無ければ、どこの新興宗教かいな、との文言である。

 

 これがグローバル経済主義会社や外国企業では、株主利益最優先の経営理念となる。金儲けこそが第一優先である会社の宗教教義である。言い換えれば高利貸しの宗教活動として存在する。社会への貢献、社会的責任などは、くそくらえである。だから過労死、燃費偽造、リコール隠し、不法行為などの不祥事が多発する。教団幹部(経営者)以外の人間は、生産の道具(奴隷)であって、人間ではない。そのようにその宗教の教祖様が定義をした。グローバル経済主義会社にとって、株主への利益が最優先で、人間ではない従業員の賃金は安ければ安いほど利益が出て喜ばしい。賃金は経費扱いである。賃金が高くなれば、利益が減るので、安易に別に国に工場を移転する。従業員の生活など知ったことではない。欧米との貿易戦争とは、金儲け万能主義・拝金主義と、日本の理念経営の戦いである。それが理解できない隣国は、真の敵を見失い、日本を仮想敵国にして右往左往している。

 

オウム真理教事件に思う  宗教が人の与える免罪符

 宗教が人間を駆り立てる力は、計り知れない。それをオウム真理教が1995年に起こしたサリン事件が証明した。やくざが違法行為をする時は、違法行為だとの後ろめたい認識と、「親分への義理立て」が存在する。それに対して、宗教絡みの犯罪は、やる行為事態が正しいとの確信犯で実行するから恐ろしい。「たかがやくざの親分」と「神様」では格が桁違う。このオウム真理教信徒の中に、命の盃を受けたはずの大親分を見限って、やくざ稼業を廃業した組長代行まで含まれていた。

 

 宗教が異教徒を人でないと定義すると、悲惨な殺戮が起こる。聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的の中世の十字軍遠征でも、神様のご指示との錦の看板を背に、異教徒に残虐の限りをつくした。十字軍には神様からの免罪符があるので罪の意識はない。今の欧州に吹き荒れるテロも、神様の免罪符があるとして洗脳教育された愚者の凶行である。

 どの宗教でもその原則は、「汝殺すなかれ」である。そうしないと、人間としての種が滅んでしまう。人間以外の種で、同じ種の殺し合いをする動物はいない。殺すことを是とするのは異端の宗教である。人間が人間を平然と殺すことができたのは、その宗教の教えの中で、異教徒は人ではないと定義したためだ。その大義名分があったから、植民地略奪時代の西洋人が、有色人種を平気で搾取し、殺戮し、民族滅亡に追い詰めた。インカ帝国もその例で亡んだ。

 

 会田雄次教授がその著書『アーロン収容所』で、現地人の泥棒が食糧庫に盗みに入り射殺されたとき、英国将校が、「end」と言って、つまらなそうに足で蹴とばしたと記している。人間ならdeadだが、人間でないので、endである。だから人としての尊厳ある後始末は不要である。それが当時に西洋人のアジア人に対する見かたであった。日本人の思想では、生あるものや自然には全て神仏が宿るとして向かい合ってきた。それゆえ、日本では民族大虐殺などは歴史上であり得ない。

 日本の思想は幸せな和の教えである。しかし日本以外ではそれが通用しない。それを認識しないと、なぜ戦争が起きるかが理解できない。和の精神が全てだと思うから、非武装中立などとの幼児の妄信が横行する。それを唱えた社会党は消滅した。その残党の一部が民進党に行き吠えている。自分の家でも寝る時は戸締りをする。国家ならなおさらに国民の財産を守るために防衛しなければ、国が亡ぶ。チベット国は共産主義に侵略され、国民の20%が殺されて国が消滅した。それは単に国を守る軍隊が無かっただけの理由である。

 

 宗教が正しい方向で使われるなら、その力と恩恵は素晴らしい。真実の宗教は心に炎を灯してくれる。万物の長と言われる人間でも、間違った価値観に染まり、間違った方向で火が付けば、無尽蔵の殺戮を平然とする。地下鉄サリン事件や、広島の原爆投下のように。米国も日本人が白人なら、決して原爆は落とさなかった。米国にとって日本人は、(当時は)単なるイエローヤンキーで人間ではなかった。米国エネルギー省の出版物中では、原爆投下は、「爆発実験」の項に分類されている(マーティン・ハーウック著『拒絶された原爆展』(みすず書房))。当時の日本人は人間と見なされていなかったので、原爆の実験材用に使われた。サリンや原爆のあれだけの開発エネルギーを正しく人生に投入できるなら、この世で実現できない夢はない。

  1995年3月24日に記した感想を今の時点で見直し(2017年6月21日日記)

  

無宗教の偉大さ

 日本の信者数     2億1972万人

 日本の宗教法人総数  18万3581

                  文化庁 1994年度『宗教年鑑』より

 (日本の人口は1億2千万人。意思を持って信者になるのは高校生以上である。それから推定すると8,000万人が実際の信者数)。データは古いが今も傾向はあまり変わらないはず。

 

 宗教を信じている人の割合

  宗教を信じている  26%

  宗教は信じていない 72%

  無回答        2%

    『読売新聞』1996.06 世論調査より   有効回収数 2,064 人

 

 宗教を信じている人は全体の25%だから、単純計算すると信仰心ある人は、一人で8つの宗教を信じていることになる。平均的日本人は、神道で出産のお礼をして、神社で七五三を祝い、教会で結婚式を挙げ(神殿の場合もある)、土地購入で神道の地鎮祭を挙げ、仏式で葬式を執り行う。5月のメーデーではフランスの国歌を歌い(歌詞は「国王の首を切れ・・・」の過激表現)、12月はクリスマスを祝い、除夜の鐘を聞きながら、第九を聞き、明けて正月は初詣に行く。

 はて?これでも8つの宗教にはならない。上記世論調査データは日本人の精神構造の摩訶不思議さを表している。A・ビアスは『悪魔の辞典』の中で、「無宗教は、世界中の偉大な信仰のなかで最も重要な信仰」と定義している。万物に神仏が宿るという考えは、一神教からみれば無宗教である。その無宗教が日本を世界に冠たる経済大国にした。それをA・ビアスは、100年近く前に予言していた。

 

久志能幾研究所 小田泰仙記 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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