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2017年8月 2日 (水)

3.4 生活環境

家への投資

 1995年頃、家を建てた友人・知人宅を訪問して、将来の自分の建てるべき家の研究をしていた。その訪問先々で何時も疑問に感ずるのが、書斎の存在の有無である。見せてもらった2軒の家は、建坪が50~70坪と大きな家であったが、そこには肝心のお父ちゃんの書斎はおろか、机さえ無いことが奇異を抱かせた。狭い家ならともかく、標準以上の建坪で、主人の机がないのは問題であろう。それでは、「家を建てたクライテリアがない」である。家の主人は、子供ではなく父親である。父親が学ぶ姿勢を見せず、その学ぶための場所もないのは、子供の教育上で落第だと何時も感じている。私は、人生での最大の投資先は、人の教育であると思う。書斎や机はそのための設備資産である。高学歴社会の現代社会では、親が学ぶ姿勢を示すことが必要だ。教育ママの元祖として、中国の孟子の母の故事「孟母三遷」は有名である。これこそ環境が、教育上いかに重要かを示して例であると思う。上記はそのバリエーションの事例である。この20年後の2015年、40年来のその友と価値観が合わなくなり、別れた。

人の運勢

 個人の運勢は、家相50%、名前30%、残りが個人の努力で決まると言われる。全面的には賛成できないが、家相がその人の運命に大きな影響を与えることは否めない。狭い、暗い、汚い家では、働く意欲、明日への活力もでてこまい。その点で家相は科学的である。生活VAとしての後ろ向きの姿勢ではなく、明日への投資とて家を建てるのは良いことだ。ただし、そこに主人のクライテリアが明確でなくてはなるまい。知的生活をおくるために書斎は不可欠だ。

やぐらこたつ

 私は、やぐらこたつが嫌いです。この製品は、世界に誇れる省エネの暖房機器として存在して、生活VAのための道具としては最高だが、知的生産活動には不適です。これは居心地が良すぎるし、長く入っていると腰が痛くなって横にならざるを得なくなる。そうなると後は夢心地の天国が待っている。私は高校生のころ使っていたが、それ以来使用を止めた。やぐらこたつは時間泥棒だ。やぐらこたつ、テレビ、お酒のセットは痴呆症生活への3種の神器です。

  TVショーで、ある医師が東北の老人の寿命の短さについて「コタツが、老人を動かなくさせている」との達観を述べていたそうだ。コタツが人の寿命の最大の敵、元凶だという。(赤池学記「匠の博物館」 朝日新聞 1995.04.22)

 人生時間を削るコタツの恐ろしさは、この点でも糾弾される。

部屋の照明                              

 これはケチらないのが正しい生活VAです。人間、暗い所ではろくな考えがでてこないし、人間が暗くなる。暗い人間に運は回ってこない。智恵の価値を考えると、照明の電気代は投資として考えるべき。アメリカの人間性工学の研究では、照明の明るさにより、その仕事効率に差がでるという研究論文もある。また家具を含めて職場の労働環境が悪いと、1日に最低40分間の時間ロスになるとの研究もあり、自宅の書斎への設備投資を考えるべきだ。

 その反対になるが、別の観点として、部屋を暗くし、蝋燭の明かりが(クリスタルのランプがお勧め)部屋にちらばる中、静かなクラッシックやジャズ流して、グラスを傾けながら、思索に耽るのも効果的だ。私はスウェーデンで、ハンドメイドのクリスタルランプ(蝋燭)を手に入れ重宝している。現地では、お客様の接待時、レストランでのテーブル明かりにこのクリスタルランプが利用されている。風で炎がゆれ、ランダムに光りが散らばる趣は何とも言えない。

 資料⒊1 ホワイトハウス

 

資料⒊1 ホワイトハウスー国の主人の家相     1994年8月11日記

 年間150万人もの観光客がワシントンを訪れるが、その中でもホワイトハウスは超人気スポットである。あまのじゃくな私は、この旅行の「クライテリア」を「美術館・博物館におけるコミュニケーション技術の観察」と定義して、そんな俗っぽい名所には行きたくもないと思っていた。だが、なぜかコーコラン美術館に行くため、横を通ったら行列に巻込まれてホワイトハウス・ツアー(無料)に引きずり込まれしまった。なんと意思の薄弱なことやら。でも正解でした。

 ここは準美術館扱いをしてもよいほどの内容がある。ここへの入場には、セキュリティのための手荷物X線チェックを受け、金属探知機のゲートを通らなくてはならない。また内部は撮影禁止です。

 各部屋の造形、調度品、飾られている美術品等を見ると,まるで一つの美術館の趣がある。各部屋の造りも格調が高いが、けっして華美ではなく、どちらかというと質素でさえあるのが気持ちがよい。各部屋も「グリーンの間」、「青の間」、ファーストレディ用の客間「赤の間」、居間、図書室、食堂等と独特の名前が付けられ、内部装飾、絵画、調度品などに格式を感じる。暗殺されたリンカーン大統領と、ケネディ大統領の遺体を安置したこともあるレセプションルームの雰囲気は、この建物の歴史を感じさせる。各装飾から、ヨーロッパから新大陸に移住した人々が、旧大陸を思いはせて、古きヨーロピアンスタイルで装飾した気持ちが分かる。

 この大統領官邸まで公開してしまうアメリカのオープンさには脱帽です。寡聞にして、日本の首相官邸の観光ツアーは聞いたことがない。古い、狭い、汚いとの評判の日本の首相官邸は国の恥であろう。首相官邸新築のGOサインを出した中曾根さんはえらいと思う。国民の税金の無駄遣いの批判とは別に、出すべきものは出さないと世界から笑われる。

 個人の運勢は、家相50%、名前30%、残りが個人の努力で決まると言う人もいる。家相がその人の運命に大きな影響を与えることは否めない。狭い、暗い、汚い家では、働く意欲、明日への活力もでてこまい。そういう点で家相は科学的である。同じことが国の運命にも当てはまると思う。国の主人は大統領、首相である。この広く、明るく、気品溢れた建物は、国の主人である大統領に米国を世界一の国にさせる働きをした要素の一つである気がする。日本も、現在の国力に見合った首相官邸を早く建ててほしい。

 入口と正面の鉄柵内側の芝生に置かれた全天候型スピーカが、混雑した人々に案内と解説をしていた。このサービスぶりには、観光地としての気配りとパーフォーマンスを感じた。

 著作権の関係で、「グリーンの間」、「青の間」、「赤の間」の写真が掲載できませんが、「ホワイトハウス 内部」で画像検索してください。ホワイトハウスを見学すると、“THE WHITE HOUSE An Historic Guide" が入手できて、内部の写真が手に入る。

 

2017-08-02

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年7月31日 (月)

⒊3 後進の育成

 生活VAとは、無駄をせずに価値あるものを創ることである。この生活VAの手法で、時間やそれに換算した凝縮された質量(貯金)を、後進の育成に使いたい。価値あるものには、お金では買えないものが多い。その一つが人財である。人間が死ぬとき、その人をその功績により下記にランク分けされる。

 

レベルⅠ: 名前を残す人(後世に残る業績を残す)

レベルⅡ: 人財を残す人(後進の育成)

レベルⅢ: お金を残す人

 

 この世に人間として生まれた以上は、世に役立つ業績を後世に残しておきたい。その為の手段として、第1章の「時間の有効活用」と、第2章の「健康」が必要となる。その次が「教育」で、自分のやって来たことを後進に伝えることと、人財の育成である。自分のやって来たことが無に帰すほど、人生や企業にとって無駄なことはない。私は技術者で、その立場で人財の育成を述べる。これは、どの分野でも当てはまると思う。

 技術の伝承:自分のしてきたことを、いつか人に伝えられなかったら、何もしてこなかった同じである----アーウィン・シュレジンガー

  1つの機械、1つの部品、1つのシステム、1つのプログラムの開発にたずさわると、そこから多くの失敗と、ほんの少しの進歩を我々は得ることができる。しかし、これを文書等の形ある形態にしておかないと、後に続く人が先行者と同じ誤りを繰り返す羽目になる。そうなっては、何のために高い代償を払って失敗をしたかわからない。たとえ、失敗しても、それをステップに次の高いレベルに進むことができてこそ、その失敗が生きる。このステップが先人の貴重な失敗例、ノウハウの蓄積である。この設計関係の集大成が、我々の機械関係の「設計要領書」等のノウハウ集であり、この反省から作成するようになった開発機械の「基本設計書」である。前職の研究開発部では、この反省を踏まえて、開発の初期から、この「基本設計書」をまとめてから開発をしている。

後に続く人をゼロからスタートさせない

 これが私のポリシーで、失敗事例やノウハウ、ワンポイント知識を、文書化して残している。これを後で集約して一つの文書にまとめると、大きな財産となる。 後を継ぐ人は、その仕事をゼロから始めようと思ってはいけない。それは大きな会社への損失である。新しい機械を開発する以上は、その新しい技術を後に残す前に、今までの蓄積された技術・ノウハウを伝承する義務があると思う。その仕事には、先人の残した資料、図面、フローチャート、テストデータが必ず存在する。それを無視して仕事をしてはなるまい。

先輩の設計を否定する愚

 技術者が機械の開発をする場合は往々にして、前開発機械の否定から始まることが多いのは、哀しい性である。前の機械がいかに悪く、今回の開発マシンがいかに進歩したかを唱うことが多い。その人の自己顕示欲、名誉欲をみて壁壁する。自分の成果を誇示したい優秀な人罪なのだ。その体質が、蓄積された技術・ノウハウの伝承を阻んでいる。

 自動車メーカのモデルチェンジでは、エンジンとボディの同時変更はありえない。必ず片方ずつ慎重に変更される。ところが工作機械では、ベッド、各装置、CNC装置、ソフト等を同時に変えてしまう傾向にある。殆どの場合のモデルチェンジの形態である。少なくとも、ある機械の開発にはしかるべき検討、試作、製作実績、製造部の製作ノウハウ、図面、バグのないソフトであるはずだ。それをあっというまに無に帰せてしまうフルモデルチェンジ方式には疑問を持つ。もっと今ある製品を大事に育てることが、トータルでは開発の効率化になるのではと思う。

古風なデザインの価値

 最近、私も年を取ったせいか、英国に代表される古びた?デザインに愛着を感ずるようなった。この頑固なデザインを固執する思想は、日本の移り変わりの激しい社会では、考えられない。しかし、時が加減乗除でふるいにかけたデザインには、それ相応の価値観があり、流行のデザインより好ましく感じる。工作機械開発に、ここまでのことは、要求できないが、考えされられるモデルチェンジ風潮である。

技術者の喜びとは

 「楽しみ」と「喜び」の違いとは何か? 「楽しみ」とはゴルフ、釣り、テニス等の趣味の世界の話である。「喜び」とは仕事での充実感である。ここでの大きな違いは、前者が金で買えるのに対して、後者は金では買えない違いがある。部下を持つ人間は、この大きな違いを認識させる事と、この喜びを部下に与える事に責任が有る。上記テーマは、その上司が部下に伝るべき大事な要点である。これが味わえないと、仕事は西欧の語源どおり「苦役」となる。

 私は自分で担当した機械の開発設計、テスト、評価、BSテスト、号機設計、操作説明書作成、納入立合い、現地でのフォロー、営業的対応、サービスマン的対応まで一貫してやらして貰った。この経験の中で何が一番嬉しかったといってもスウェーデンのお客様から直接、「君の機械は、うちの工場に導入した研削盤の中で最高のもの一つだ」と言われたことだった。これで今までの苦労が全て消えて、ああ頑張ってきてよかったとしみじみと感じた。技術者と言う職種は、新しい技術を生み出してそれをユーザに提供するのが使命だが、それを直接客先で評価されるのは、何事にも変えがたい喜びである。またあるテーマを与えられて、それを技術者として実現するのも、大きな喜びの一つである。部下を持つ立場の技術者は、こういう喜びを部下に味あわせてあげる義務がある。こういう喜びを感じられない技術者なら転職を考えた方が良い。

芸術と技術

 その昔、レオナルド・ダ・ビンチがそうであることを実証したように、芸術と技術は同一のものであった。芸術家、技術者の特質は、仕事に対してこだわりを持っているかどうかで決まる。この技術者としてのこだわりがあるからこそ、前述の技術者の喜びが感じられると思う。技術屋と言うものは、所詮24時間勤務の芸術家と同じだと思う。寡聞にして私は、一流の芸術家に勤務時間があって、ある時間しか仕事の事を考えていないなどとは聞いたことがない。ある仕事に取り組み、それに対して、思いとこだわりが無ければ技術屋として不幸な事である。

 技術者としてこの拘りが持てなければ、他の職業に変わった方が将来的に幸せかもしれない。何故なら時間内だけ拘束されても、就業時間が終われば、自分の世界に没頭出来るから。これはお役所の仕事であろう。

 こういった観点から、技術者として「仕事がない」という言葉は私には理解できない。ある仕事をまかされれば、その点について、幾らでも技術者としてテーマが出てくる筈である。また、自分でそのテーマは探さなければなるまい。ホンダの創業者・本田宗一郎氏は、技術者と職人の違いを次のように言う。

今までに得た知識や経験をそのまま繰り返しているのが職工。

得た知識や経験にもう一つ自分の考えを加えるのが本当の技術者だ。

 

 貴社が「技術の□□株式会社」を目指すなら、技術者に上記の位置づけと指導をすべきだ。技術者を育てることなくして、技術は育たない。

 

2017-07-31

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2017年7月15日 (土)

タバコの経営損害(改定)

 私が経営診断でみる最初の要点が、社長・幹部の喫煙の有無である。私の前職の会社では、過去、多くの歴任社長と役員がタバコを吸いまくっていた。1円1秒を問題にする原価低減会議、省エネ会議の場で、多くの管理職がタバコをスパスパ。クリップ一つでもうるさく言う私の上司がヘビースモーカでは、馬鹿らしくて、まともに相手ができない。そのモラルの面での影響も大きいはずで、歴史ある名門の企業が、60年余でケムリとなって消えた。悪影響が明白なタバコを止めれない経営者は、まともな会社経営ができない。自分さえも管理できない経営者は、社員も企業をも正しく経営できない。

 タバコは、人生経営、会社経営、生活VA、健康、PL問題、教育、省エネ、経営的ロスの観点で、言語道断である。タバコは健康害し、他人の健康を自己以上に害し、頭を悪くし、その結果として企業の業績を悪化させる。たばこで頭の悪くなると、それさえ認識できなくなる。下記は少し古いデータもあるが、実際はもっと大きな被害が出ている。

 

・タバコに起因する病気での死者・年間        約3万人

       (年間の概算総誕生数、概算総死者数 100万人)

・日本人の死因の約半数が癌。タバコが原因で癌になる人は2割  *3

つまり、タバコの影響での年間死者         10万人

・タバコを吸う人の死亡率は      男性1.6倍、女性1.9倍 *3

・タバコによる患者数               100万人 *2

・タバコでの医療費(国民医療費の4%)   1兆4900億円 *2  

・タバコにより働けない損失           2500億円 *2 

・日本のたばこによる年間税収は       2兆0500億円 *1

たばこによる病気、火事、清掃などの損失は 3兆5000億円 *1

日本人の20歳以上の人口を8,000万人と仮定すると

・一人当たりの年間単純損失金額は       43,750円 

・従業員5,000人の企業での年間損失総計は  2億1875万円

・従業員 500人の工場での年間損失総計は     2188万円

 

30年間のタバコ代は             約500万円

・喫煙によるの経営的ロスは        約53万円/年・人

・タバコが頭の働きを阻害              ▲10%

    それによる経営的損害         約20万円/年・人

・タバコ一本あたりの空気清浄費用         15円/本

・タバコの煙は赤ちゃんの体重を減らす        100g

   大人換算で、我が子から2kgの肉を削ぐ犯罪

副流煙は、奥さんの子宮癌の発生率を増加        7倍

非喫煙者に対する喫煙者の交通事故発生率        4倍

・タバコ半分を吸った場合は、20ワットの仕事を20分するエネルギーを浪費

 

 *1:1995年のチバガイギー科学振興団が経団連会館で開催したフォーラム           「タバコを考える---防煙、分煙そして禁煙について」の発表

                   (週刊『東洋経済』1995.07.08号)

*2:2014年度厚生労働省研究班(日本経済新聞2017年5月31日)

*3:国立研究法人国立がんセンター

   http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/252.html

 (Japanese Journal of Cancer Research 2002年93巻6-14ページ)。

 

2017-07-15

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2017年7月14日 (金)

タバコが頭を悪くする

⑷ 頭の働きが10%悪化

  1. 頭脳労働への影響

 国立公衆衛生院の浅野牧茂氏の実験報告によると、タバコ2本を1分間にひと吸いというペースで15分間、被験者に吸わせ、タバコを吸う前と後で、どの程度、頭の働きが違うかを調べたところ、答えを正確に出せる時間が、フィルターつきタバコで6%、両切りタバコで12%も多く要した。

 テストは、漢字が意味する色とは異なった色彩で印刷された文字 100個(4種)が無作為に10×10行のマトリックスに配置されたのを読んでいき、間違いに気づいた場合は読み直して、全部を呼称し終わるのに要する時間を計測する。 (浅野牧茂・大久保千代治:『日衛誌33:346,1978』)

 

  1. 脳内血流量の減少

 また最近の東北大学の研究発表では、常習喫煙が脳内血流を減らしていることを明らかにしている。血の巡りが悪くては創造性ある仕事はできない。たばこが健康にも頭にも悪いことを理解しながら止めれないのは、たばこによって頭が悪くなっているからである。タバコを吸うとスーッとして気持ちがいいというが、要は頭に血が十分に行かないのでボーっとするに過ぎない。それを気持ちがいいと、「ああカンチガイ!」をしているだけである。

 

脳内血流量への影響

非喫煙者      脳100gあたり 75㎖/分 

ヘビースモーカ   脳100gあたり 65㎖/分 (▲12.5%)

    男女20~80歳 111 人の調査 

   (「シガレット喫煙の知的作業能率に及ぼす影響」より

          浅野牧茂著『たばこの健康学』大修館書店 1985年)

 

  1. 頭脳労働価値の損害

 タバコを一日20本吸う管理職の平均年収を、計算単純化のため 1,000万円として、上記実験結果をもとに一人当たりのその頭脳労働価値の低下の損害を試算すると

 本  分       円    H       日 

20 × 5/60 ×(10,000,000 ÷2,000 ) ×0.1 × 1 =     833 円/日

 20 × 5/60 ×(10,000,000 ÷2,000 ) ×0.1 ×240 =約200,000 円/年

 

 アイ電機設備伊藤社長の試算では、年間 531,420円のタバコ経費している。それと合計すると、一人当たり年間70万円を越える「お金」が文字どおり「煙」と消えている。貴社には、何人の喫煙者がいるのだろうか。計算すると恐ろしい。これに慮らない神経こそがさらなる恐怖である。

 

ニコチン中毒の理論解析

 習慣喫煙者にタバコを6 時間ほど禁煙状態にして(通常30 分に一本吸う頻度)、タバコを我慢している状態にする。その時点で脳波を見ると、基本的な脳波成分であるアルファ波の周波数は、平均で9Hz 前後であった。それがタバコを一本吸うと、あっという間に10Hz ぐらいに周波数が上がる。アルファ波は覚醒度と関係が深く、非常に集中力を高めて頭をフルに働かせている場合や精神的に清明でリラックスしている場合は周波数が高くなり、逆にうとうとしてきたり、集中力がなかなか保てなかったりする状況では、アルファ波の周波数は低下している。これで、タバコを吸うとあっという間に頭はすっきりして、ホッとした精神状態に変化する過程が脳波で確かめられた。表情を見ると目がぱっちりしてくるのが明白である。タバコの効用として、すっきりするとか仕事の能率があがるとか、集中力が高まるとかの項目が挙げられる。アルファ波の変化という点からみても、そのような状況は起こっている。

 非喫煙者の脳波は、最初から10Hz 前後でアルファ波は安定していた(前述の実験で)。タバコを吸わなくても集中力を保つことに障害なく、リラックスした状態である。この違いこそが、ニコチン中毒の一面である。ニコチンはアセチルコリン受容体に作用するが、中枢神経系のアセチルコリン神経系は脳の全般に分布して、覚醒や脳機能の活動性全般に作用する。喫煙による大量のニコチン供給により起こるアセチルコリン受容体の機能変化が依存の形成の本態です。高濃度のニコチンがないと正常に機能しなくなるのだ。禁断症状を通して、ニコチンを脳が勝手に要求するため、ニコチン中毒になると己の脳の指令に従ってせっせとタバコを吸う。習慣喫煙者では、タバコを吸ってニコチンを脳に供給しないと、非喫煙者並の穏やかな精神状態であるアルファ波の周波数を維持できず、脳からの指令でタバコを「吸わされる」

 上記は東北大学保健管理センターの資料「禁煙を考えている方へのサポート情報」を要約。詳細は下記を参照

http://www.bureau.tohoku.ac.jp/anzen/occ_saf_heal_office/file/08-04-01.pdf

 

2017-07-14

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2017年7月12日 (水)

タバコで我が子の肉を切り刻む

タバコの煙は赤ちゃんの体重を100 g減らす

                  島本太香子医師(大阪府環境保健部)

 妊娠中にタバコの煙に囲まれていると、生まれる赤ちゃんの体重は、煙のない環境で暮らす場合に比べて小さく、平均で100 g以上の差が出る。妊婦が家族や同僚の煙に晒されると、日に3~5本吸うのと同じことになる。

 1992年から3年間、奈良県内の産婦人科で、順調に出産した妊婦を対象に調べた結果、下記のデータが得られた。

 妊娠中に喫煙した人はごくわずかだったが、家族や職場の同僚のタバコに晒されていた受動喫煙の人は全体で6割、約800 人いた。それを下記の4分類に分けて、赤ちゃんの体重の平均を取った結果、受動喫煙の妊婦の赤ちゃんほど、体重が小さいとの結果がでた。その差は平均で100 gである。

                                         n= 1333 人

|                       |赤ちゃんの  |体重差|

  妊婦の状態                 |平均体重(g)|(g)|

------------------------+-------+---+ 

喫煙しない場合(ベンチマーク)         |  3,140   | - |

------------------------+-------+---+

換気のない部屋にいて、周囲が10本以上吸っていた |  2,900   |▲ 240|

換気のない部屋にいて、周囲が9本以下吸っていた |  2,900   |▲ 240| 

換気のある部屋にいた              |  3,070   |▲ 70|  

たまにしか煙に晒されなかった          |  3,170   |   30| 

------------------------+-------+---+ 

                                喫煙の平均 |  3,040   |▲ 100| 

------------------------+-------+---+

      1996年4月9日の日本産科婦人科学会で報告(『朝日新聞 1996.04.09』)

 

 赤ちゃんの体重に対して、100 gは成人のそれの2Kgに相当する。これは可愛い我が子の肉を切り取る犯罪である。ニコチン中毒の主犯JTも責められる。人生は劇場に例えられ、貴方はその舞台の主人公である。

 ああ、なしてまた、貴方はシェイクスピア劇『ユダヤの商人』のシャイロック の役を演じるのか? タバコの煙で、生まれくるわが子の肉を切り削むとは! 肉親愛豊かな? シャイロクが切り取ろうとしたのは、商売敵の肉で、我が子の肉ではない!

 タバコは己の吐く息、服に染み込んだニコチンが、家の壁などに付着したニコチンが知らず知らずに肉親に毒を盛っている。

  私の祖母はキセルでタバコを吸っていた。幼いころ、彦根の実家に遊びに行った時、私は「おばあちゃん、タバコっておいしいの?」と聞いたら「これはゴクツブシが飲むもの」と言ってキセルの灰を火鉢に叩き落したのを覚えている。今思うと幸いなことに、父が彦根から大垣へ転勤して、私は満1歳にならないうちに、彦根の実家を離れることになった。

 

2017-07-12

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2017年7月 8日 (土)

母の思い出  4/4(改定)

車無しの生活

 両親は車の運転はしない。私も寮生活で、その必要性を感ぜず、入社後5年間は車無しの生活を送った。当時の新入社員で車を持っているのは2割程度であったが、5年も過ぎると、ほとんどの仲間が車を持つ。車関係の会社で車を持たないのは肩身が狭かったが、そのお陰で、初任給7万6千円で毎月、4万円の貯金をして、5年目で50坪の土地を現金で買った。土地の狂乱上昇が始まる直前のことである。両親がその土地の上に借家を建てた。それが車を持ってから、貯金が全くできなくなってしまった。とかく車を持つと出費が増える。それを見通していたためか、母は私に車を買うことを私にあまり勧めなかった。これでも生活が成り立ったのは、車産業が成長期の為、多時間残業での手当があったためである。また当時は仕事が趣味であった。土曜日に会社に行く(無償)のは当たりまえの感覚であった。

惠峰師の修行時代

 ほぼ同じ時期、馬場恵峰師は、京都の原田観峰師の元で検定課長として修行をされ、給与7万円であった。窯元を廃業する前は、恵峰先生は窯元の社長として多くの人を使い、社長として20万円以上を稼いでいた。それが給与7万円、残業代無しボーナス無し、深夜勤務はざら、週に1日は徹夜の生活に転落?である。家族に会うために長崎に帰ると3万円が消えるので、おいそれと帰れない。長崎で三根子先生が5人の子供をかかえて書道講師で頑張っていたので、生活がなんとか成り立った。恵峰師は2年ほどを頑張られたが、体を壊して長崎に帰られた。それと比べて、己の恵まれた生活に感謝である。当時はそんなことはさらさら思わず、製造業に比べてはるかに高い銀行員の給与をうらやんでいた。

銀行員が受ける落とし前

 後日談で、その給与の高さには恐ろしい裏があることを、65歳にして知った。ある都市銀行の元支店長の話である。その銀行の支店長だけ構成されるOB会では、その平均寿命は日本人平均より10歳も短い70歳である。つまり命を引き換えに高い給与をもらっていた。50前にして支店長になれなければ、出向である。支店長を辞めても手に職はない。技術職の私は、多くの経験を手にした。今にしてどちらが良かったか、自明である。

クーラなしの生活

 当然、母のいた実家にクーラはない。暑がりの私は、勤務地の自宅にはクーラを設置して贅沢に生活していた。たまに帰って過ごす実家の夏の暑さには、閉口したが、親にクーラを入れろと言う気がしなかった。これも母の無言の教育の賜物のようだ。父も同じ昔気質のせいで、死ぬまで、大垣の実家にクーラを入れることはなかった。

 その父が癌になり死期を医師から知らされたため、父の入院中に、父のいない実家にクーラを導入した(2002年)。葬儀の為、親戚の者が実家に集まった時のためである。父はそのクーラの恩恵を受けることはなかった。

南園堂とのご縁

 後年、そのクーラを、ご縁ができた南圓堂に寄付した。南圓堂は、奈良興福寺の日本で唯一の大垣にある別院である。毎年夏に、奈良興福寺から管主様以下6名の僧侶が来られ、大般若経転読法会が開催される。奈良では興福寺菅主様と接することは難しいが、大垣では、2mの至近距離で読経を聞ける。毎年8月の地蔵盆祭りには、興福寺の副菅主様が読経され、その後、町内の皆さんと一緒に食事をされる。奈良では近づくこさえ難しい方と食事を共にできたのもご縁であった。南圓堂のご本尊は不空羂索観音菩薩である。空振り無しで、迷える衆生を羂索で救う観音様である。迷える衆生である私も救われた。

母の死後の段取り

 母は仏教にはあまり関心がなかったが、葬儀や法要の件のしきたりにはうるさかった。母は10人兄弟の長女として、多くの家族の葬儀を取り仕切ってきた。母は私を親戚の葬儀へ連れて行き、親戚の非常識な振舞いを指摘して、私に人としてのあるべき作法と道を教えた。そんな母は、家を建てたとき、仏壇を置く空間を座敷に作っておいた。母の死後、そこに仏壇を入れた。

佛様のはからい

 それから20年して、松本明慶大佛師とご縁ができ、直々に白檀のご本尊様を彫って頂いた。2015年3月3日(火)、両親の13回忌、23回忌の法事は、私の仕事の都合と、参列する丹後と京都の従兄弟と叔母の都合で決めた。火曜日は大垣市立図書館が休館日であり、一番の決定要因であった。法事の前に、明慶先生に作って頂いた釈迦如来座像の開眼法要を彦根長松院住職にして頂き、仏壇に納めた。その約1ヶ月後、お墓の件で松居石材商店と話している時、松居氏から、その日は井伊直弼公の桜田門の変の法要の日だと言われて驚いた。私はそれに気がつかず、偶然に法事の日を設定した。彦根では3月3日は特別の日として多くの人が知っていて、各寺院では法要が執り行われる。大垣住まいの私は、全く知らなかった。その後の不思議なご縁の連続に、佛様のはからいを感じる。

三種の神器はなしで、在庫はあり過ぎた

 家には、車もカラーテレビもクーラも、3Cと言われた当時の三種の神器がなかった。しかしモノのない時代に育った母は、モノを大切にし、何でもしまい込むたちであった。お蔭でわが実家は大倉庫同然の状態になっていた。まるで何でも溜め込む、子供思いのエイリアン・マザーを彷彿させる。知人に聞いてみると、この世代の親は同じようである。親の世代は、それだけ貧しい時代を潜り抜けてきた。今のモノの溢れる時代とどちらが幸せであるだろうか、考えてしまう。 数十個の紙袋までキチント整理して、ためこんでいた。また100 個近いサランラップやポリバケツ、洗面器等までため込んでいたが、こんなに多く溜めてどうするの・・が息子のぼやきであった。

 大きなショッピングセンターが多くある、商業都市の大垣市では、店間の過当競争が激しい。そのため、客寄せの目玉として、1円の一ℓ醤油や10ケ10円の卵パックなどの広告が新聞のチラシによく載る。母そういう商品は確実に利用していた。父や私もこの買い出しによく付き合わされた。こういう目玉商品はお一人様1ケとなっている場合が多い。2回3回と行列を並んで手に入れるわけである。

母の遺品の後始末

 母の死後、便利屋に頼んで、不用品の整理として軽トラック4台分を家から出した。今は不用品の処分にもお金がかかる。その中で使えたのは、洗剤である。ただし液体洗剤は変質して使えなくなっていたが、洗濯用粉洗剤や固形石鹸は、母の死後20年たってもまだ在庫があり、助かっている。

 タオル・バスタオルに関しては、段ボールで新品が5箱もあったが、東日本大震災で、震災支援品の寄付として事務局経由で被災地に送った。

 困ったのが、カッターシャツの在庫である。当時、デパート等で安売りがあると私のために買い溜めをしていた。私が年に1kgのペースで順調に?肥満の道を突き進んだので、サイズが合わず着れなくなっていた。封も切っていない新品だが、一部変色もあり、処分に困ってそのままにしてある。流石の母も、その点の展望には抜かりがあった。しかし、母の思いはその在庫から伝わってくる。トヨタ生産方式から言って、在庫は罪である。ものない時代は、ため込むのが善である。モノ余りの時代は、在庫は罪である。時代の変遷とともに価値観の変貌を母の在庫から教えられた。

 私の学びは、生きていくための財産は、お金やモノではなく、生きていく(お金を稼ぐ)能力である。どんなに時代や価値観が変わっても、それがあれば生きていける。

 

図2 南圓堂(外観)

図3 南圓堂(内部)   2014年

図4 大般若経転読法会  2014年

図5 地蔵盆法要 読経は興福寺副管主様  2011年

 

2017-07-08

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2017年7月 5日 (水)

母の思い出  3/4

一杯のインスタントラーメン

 私がまだ小学生で、日本も我が家もまだまだ貧しかった昭和30年代のお話。当時インスタントラーメンなるものが世に登場し、母はインスタントラーメンをよく作ってくれた。そのラーメンを、母は一食分を醤油で汁の増量をして2つに分け、母も一緒に食べていた。贅沢な私は、そんなケチなことをせず全部食わせろ、とよく言ったものだ。今にして思うと、ああして節約していたわけで、全く頭が下がる。ただし、節約しても野菜とか卵を入れた手の入った料理で、今のカップラーメンのようにお湯だけを入れるのとは違う。

 母は昔気質であったせいか、本当のインスタント食品であるカップラーメンやレトルト食品等はほとんど使わず、殆ど手作りの料理を作っていた。

 

人を見る眼の躾

 母からは、家の中で歩くとき畳のヘリを踏まないような躾を受けた。父はこの点が無頓着で、いつも母から叱られていた。その点では、私はおりこうさんであった。そのため、自宅に招くお客さんが畳のヘリを踏むか踏まないかで、その客の育ちを観察する癖がついた。人の家に行けば、敷居のヘリの汚れ具合で、その家の格が分かる。良いとこの育ちだと、確かに畳のヘリや敷居を踏まない人が多い。それは箸の持ち方、茶わん蒸しの食べ方、身のこなし方からも観察できる。

 そういう点で、私は母から旧家のしきたり、作法を厳しく躾けられた。その観点で、周りの人(昔の上司も含む)の下品な振舞いを情けなく思いながら、片目をつぶって過ごしてきた。見え過ぎるのも困ったものだ。片目をつぶらないと宮仕えは勤まらない。時には両目をふさぐ。

 

読み終えた新聞紙は商品

 母は新聞紙を丁寧に扱い、きちんと皺を伸ばしまとめて、露店商に売りに行っていた。露店商はこれを商品の包む紙にするので、綺麗な新聞紙が必要になる。そんな訳で、露店商は特定の人から買っていた。これはちり紙交換に回すより、はるかに高いお金で引き取ってくれた。だから当家では、新聞は商品として丁寧に扱う習慣がついていた。こんなことでも無駄にしない母は並みの人ではない。今は古新聞の買取の業者も回ってこなくなった。

 

洗濯機なしの生活

 当時、実家には洗濯機がない。倹約家の母は、洗濯機は布地が痛むからと、終生買うことはなく、お風呂の入るとき風呂場で、手で洗っていた。その歳で洗濯機くらい買って少しは楽をしろ、と私が言うのだが、手洗いがいいと頑として聞いてくれなかった。少しでも楽をしようとする意思がないようであった。

 私は三河の自宅で、全自動洗濯機と乾燥機(当時の熱風式ランドリー)を使って暮らしていた。全自動で洗濯し、熱布式乾燥機に洗濯物をかけると、てきめんに下着等が短期間にボロボロになってくる。まさか手洗いをする時間をかけられなので、それで暮らしていた。最近(2017年)は、エアコン式の水分乾燥機能が付いたドラム式全自動洗濯機を使っているので、その弊害が無くなった。それを使うたびに母を思い出す。

 

テレビなしの生活

 昔はテレビが贅沢品で、私が小さい時はよく他の家に見せてもらいに行った。その贅沢品を、うちの家ではかなり早い時期に入れた。当時社宅に住んでいて、屋根にテレビアンテナが上げるのが隣同士の見栄の競争になっていた。そういう点では頑張り屋の母であった。今の平成天皇の結婚式のパレードを見るために、1959年(昭和34年)、世間のブームに巻き込まれた形で買った。

 そのテレビは日本コロンビア製であった。当時、各社の製品を見比べてこの会社の製品に決定した。その日本コロンビアも電機業界の激変にはついて行けず、テレビの生産をやめ、2001年にはAV・メディア関連機器部門を(株)デノンとして分社化、譲渡してしまった。今は音楽に特化した商売をしている。ソニーでさえ、隣国の液晶を使ってテレビを作る時代となった。時代の変遷を感じる。我が家で最初のテレビを買って半世紀以上が経ったが、いまだに日本コロンビア製であったことを鮮明に覚えている。

 しかし、ここからが、当家が世間と違うところ。そのテレビも4年ほどで写りが悪くなったが、なぜか買い換えよういう話がなく、私が小学生の高学年から大学に入るまでテレビ無しの生活になった。お蔭で、読書と勉強にいそしむことができた。大学に入ってからは、いくらなんでもテレビぐらい無くてはと、カラーテレビが常識の時代に、白黒テレビを買った記憶がある。その影響で、母が亡くなる1992 年末まで、実家の私の部屋には白黒テレビしか無かったが、別に欲しいという気がしなかった。ただし、当時の両親の居間と仕事場と寝室にはカラーTVは有った。今にして思えば、お金以上に、時間の節約ができたと母に感謝している。

 上記事情で、昭和39年(1964年)の東京オリンピック開会式の放送だけは、行きつけの模型屋さんに行って見せてもらった。その直前のケネデイ暗殺事件(1963年11月22日)の報道は、新聞の夕刊で見て衝撃を受けた記憶がある(なんと当時、我が家にはラジオもなかった)。その時のみ、テレビがあったらなと思ったが、それだけであった。確か当時の一般家庭でのテレビ普及率は90%を越えていたはず。今は、この話を人にしても信じてくれない場合が多い。これが自慢できる時代になるとは、世も変わったものである。

 1993年頃、自宅のソニーのモニターが壊れてしまい、修理に出すのが億劫なのと、科学工業英語検定試験1級の受験勉強に本腰を入れていたため、4か月間ほどTVなしの生活を送ることとなった。この現代の情報化社会でも、TVなしで死ぬことはないのと、情報化社会に遅れることなく生活できるのを確認したのが最大の収穫であった。

 

2017-07-05

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2017年7月 3日 (月)

母の思い出  2/3

母の死生感

 母は死に対して達観していた。食べたいものも食べれないような生き方をして、無理をして長生きなどしたくもないという性格で、私は太った体重を減らせと何度を言ったが、とうとう聞いてくれず、これが遠因の脳溢血で逝ってしまった。これだけが母の欠点であった。

 倒れてからも、死ぬことなど、何も恐ろしくないと病床で言っていた。凡人には言えない言葉である。自分の死期を察し、その死後の準備と指示までしてくれた母は並みの人ではなかったと、今にして感ずる。自分の老後の設計をして、それを活用することなく、父と私のために生きた母には感謝してもしきれない。

 母の死期が近づいた日々の数カ月を、1~2日に一回の頻度で、就業後の深夜、家から実家の市までの往復170㎞、速度制限50キロの堤防上の道を・・キロからの速度で飛ばして母の入院する大垣市民病院に通った。意識のない母の顔を見ることと父に顔を見せることが、せめてもの親孝行だったと自分で慰めている。しかし、意識のない母が段々と衰弱していき、死期が近いことを嫌でも認識させられることは、実に辛い残酷なことであった。

 極限状態は、真の母の親友を浮かび上がらせてくれる。生前、その後も色々と御世話になった知人の方には、感謝してもしきれない思いがある。

 

母からの逃亡

 出来過ぎて頭も切れ、私に構いすぎるので、私はうっとうしく母の元から離れたかったので、三河で就職をした。大学で特待生を獲得したので、担当教授から地元の企業ではなく、もっと活躍の場のある三河の企業を紹介された。学校推薦であるので、母は地元に置いておきたかったが、母も諦めて私を手放した。

 おかげで私は母の引力圏を飛び出すことができた。それでも電車で1時間、車で2時間の距離の程よい距離で、今にして良き就職であったと思う。これが東京への就職では、母への毎日の病院見舞いもできなかったはず。そのご縁で、仕事の上でも良き経験をした。地元の企業では、その経験はさせてもらえなかったと思う。お陰で世界を相手に仕事ができた。

 

子供の務め

 病院嫌いの母が、頭が痛いと言っていた時に、「医者に行け」と言ったのだが聞いてくれず、脳溢血で倒れてしまった。今にして思えば、首に縄をつけてでも、病院に連れていくべきであった。返す返すも、悔いが残る。老人がかかる病気の初期症状(特に脳溢血)を熟知することも、大いなる親孝行であると、反省した。脳溢血での数日、数時間の処置遅れは致命的である。なにせこの世には、お金で買えないものがある。

 

現代医療の疑問

 既に数カ月も意識のない体に無理やり注射をし、薬付けの治療をしている。意識が戻った時に、数カ月も使わなかくて弛んだ機能しない筋肉が、元通りに再生するとは、素人の私からも理解できた。そんな単なる延命治療は、神の意思に背くのではないか。かえって家族には酷い気がするのを、亡き母の治療で身近に感じた。意識のない母の各細胞が刻一刻と再生不能な領域に行きつつあるのは、理性ある人間ならいやでも認識させられる。自分の意思では呼吸を出来ないのを、人工呼吸器で数カ月間も生き長らえさせる現代医学の意味を考えた。

 この現代医学治療の最大で唯一の恩恵は、母の死に対する心の準備をゆっくりさせてくれたことだ。しかし、これは真綿でじわじわと首を締められるようで、別の苦みを味わわせてくれる。お見舞いに来た親戚の叔母が言った。

「地獄など来世にはない。この世で、辛いことを耐えるのが地獄の苦しみである」

 

自然界の法則

 この世は原則として不平等である。自然界・生物界で、全て平等などの現象はありえない。それを、エセ民主主義を振りかざし、無理に平等だとするから話が拗れる。最近、私は死生感がハッキリしてきた気がする。この世は、自然界の方法に則っていて、いくら人間の知恵を働かせても死ぬべきものは死ぬのであり、それに逆らうのは大きなエネルギーロスで得るべきものが少なく、人類全体には却って大きな損失ではないのか。それをさらに臓器移植で、何とかしようというのは何故か納得がいかない。そもそも神の前では、人間など小さな存在だ。だからこそ与えられた運命を受け入れることが大事なのではと思う。死ぬべき運命ならそれを受け入れる心を、そうでないなら、最大限の生きていく努力を持つべきだと思う。最近、良寛の悟りきった下記の言葉が素直に受け入れられる。

 

「災難に遇う時期には、災難に遇うのがよく候。死ぬる時期には、死ぬるがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。」良寛

 

臓器移植への疑問

 臓器移植には、その行為自体に矛盾が存在する。なまじっか他人の臓器を頼るのは、それによって、却って他の人の命(臓器提供者の)を縮めることにはなりはしないのか。片方で人の生を渇望し、そのために臓器移植のための人の死を渇望する非情さに矛盾を感じる。臓器移植での人体の拒絶反応は、ある意味での神の示す意思である。それを克服しようとするのは、人間の傲慢さの現われではないのか。世の法則である自然淘汰には、神の深遠なる配慮があると思う。その点で、私を五体満足に生んでくれた母に感謝である。この恵まれた環境を生かして、精一杯生き抜くことが、母への感謝と餞である。

 2017-07-03

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2017年7月 2日 (日)

母の思い出  1/3

電気の基本容量UPへの抵抗

 母は、若いころから洋裁の腕で働き、節約した金で、大した贅沢もせず、平均寿命以前に逝ってしまった。昔気質の母は、電気の契約基本容量のアップを頑固に拒んだ倹約家であった。私は小さい頃によく電気のブレーカを飛ばして、母に叱られた記憶がある。今にして思えば、実に合理的な思想であった(前職の勤務先の工場では省エネ活動のため、これと同じ思想の節電に取り組んでいた)。幼い当時は、なんとケチな性格だと疎ましく思ったものだが、今は母が残してくれ有形無形の財産を感謝している。人は棺を覆って初めてその評価が定まると言うがそれを身近に実感した。

 寒い冬の夜(1992年12月)、母の通夜の場で家中の電気をつけたため、ブレーカが度々飛んで往生したが、「私の葬儀ぐらいで無駄遣いをしてはダメ」と言っているようであった。母の葬儀を母の叔父の意向で、母が歯を食い縛って残してくれた有形無形の財産への餞として、身分不相応に立派にしてあげたのが、親不孝な私のせめてもの親孝行であった。

 しかし、年老いた父にそんな不自由な生活を送らしても仕方がないので、母の死後、実家の電気の基本契約容量をアップ(30A)させた。しかし、三河の自分の家の基本電気容量(20A)はなぜか、母の性格を受け継いだせいか、もしくは貧乏性のせいか、基本電気容量を上げる決断ができずに、近畿への転勤の2005年末まで暮らした。おかげで、チョット油断するとすぐブレーカが飛んで閉口であった。基本電気容量の契約アンペア数を上げても、生活に困らないリッチな身分に早くなりたいものと思って頑張っていた。今はこれとこれの電源を入れたから、総アンペアはこれだけで、これを切らなくてはアレが飛んでしまうと、頭がフル回転(羽田元首相の言い方で)である。この対策のため、家中の電化製品の電気容量リストを作成し、それを冷蔵庫に貼って横目で見ながらこの件を凌いでいた。不便だが、節約と頭の体操には良いものだと、母の躾に感謝している当時の姿であった。

 

 母が健在であった当時、20Aであったブレーカ容量が、定年後に大垣に帰郷して40Aに、さらに60Aに上げた。現在(2017年)では、ブレーカ良く飛び、往生している。どないなってんねん?

 

お金の使い方

 母は節約家であったが、使う時には、特にわが家の見栄・名誉に関係する時は、それこそ躊躇なく一気に出す性格で、ケチな節約家でなかったのが偉い。特に、私の教育のためなら何でも我儘を聞いてくれた。またそれが、母の生きがいでもあった。今の私がその反面教師効果として、贅沢ができない性格になったのは、母の深慮遠望だったかもしれない。

  そんな母は、旧家の長女に生まれ、終戦後に父のシベリア引き揚げ後に結婚し、母の才覚と働きで裸一環に近いところから、自宅を彦根と大垣に2回も建て、自分の老後のため、息子の世話にはなりたくないと、借家を数軒も建てた、自立心に富んだ、プライドの高い、頭の切れる、男まさりの偉い母であった。出来の悪い自分が情けない。長年付き合いのあった地元中小企業の社長は、母に一目も二目も置き、大垣の社長たちで、母に太刀打ちできる男はいないと太鼓判を押した。日本の高度成長は、贅沢を知らない戦前の世代が、遮二無二に頑張った成果だと思う。その日本の高度成長と共に生き、バブルの終息をあと、それを追って消えるように逝ってしまった。働き者の母は、ある意味で幸せだったと思う。あの時代は、右上がりの経済を信じて全員がガンバっていた。その成果を手にしてから、逝ったのはせめての慰めかと思う。

 

日本政府に不信感

  母はよく、終戦直後の新円交換の話をしてくれた。このせいで、母の父の蓄えた退職金が全て紙屑同然になった言い、国のやることに全面的不信感を持っていて、「自分で財産を守らなくては」との信念になったようだ。トヨタ中興の祖の石田退三氏の「自分の城は自分で守れ」と同じである。私も日本政府を信用していない。

 

 

人を見る厳しい眼

 締まり屋の母ではあったが、旧家の10人兄弟の長女に生まれたこともあり、世間の付き合いの慣習にはうるさく、付き合う人たちの常識の無さをよく指摘して、私に「あんなことをしてはいかん」とよく言って聞かされた。その社会のあるべき「常識」を身につけさせられた。そのため、回りの人達の言動のアラが眼につきすぎて困惑している。今は、母以上に厳しい目で、私は人を見ている。

 特に人との交流関係での「信用問題」では、厳しい眼をしていた。親戚や昔の上司の妻、回りの人の非常識さを私に指摘して、二度と付き合わない厳しさを持っていた。ある親戚とは親戚付き合いを絶った。理不尽な事には、相手が男性や上司の妻にでも、堂々と言いたいこと(正論)を言うので、相手がタジタジとなる。そんな母の交遊関係は小さいが、その密度は高かった。虚構の交友関係よりは、遥かに良い。

 そんな性格を受け継いだ私は、2015年の自家のお墓の改建問題で、非常識な対応をした親戚の3家と縁を切った。これは問題を曖昧にできない母の性格が受け継がれている。

 お金が無いことは、各種誘惑への毅然たる態度の欠如、心の余裕の喪失、非常識言動につながりやすい。だからこそ、しかるべきレベルまでは、お金を持たなければならない。お金に汚い人たちや非常識な人、それに起因する行動を批判して、お金の大事さを母は教えてくれた。

 

人の眼を意識せよとの躾

 「出張等で、外食する場合には、最低金額の食事をして出張費を浮かすなどの情けないことをしてはいけない」。これは亡き母の教えである。そもそも会社が、「規定金額で食事をすること」と指示しているのに、それに見合う金額を使わないのは、会社の名誉・信用を傷つけている。他の人が見たら、「あの会社は、まともな食事代さえ出せない貧乏会社」と思せてしまう。それこそ会社への背任行為であり、会社の信用を傷つける。個人も法人も、信用を無くしては金儲けができない。また自分の勤める会社を卑しくして金を節約しても、それでは将来はたかが知れている。その場を誰も知らないといっても、神様は見ておられる。

(初稿1995年11月8日、2017年7月2日再校正)

 

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2017年7月 1日 (土)

知的生産活動としての生活VA

 夢の実現と心豊かな人生をめざして

   低成長時代の生活リストラ手段

   知的生活のための節約・投資手法

   心豊かになれない日本人への諫言

 

 VAとはvalue analysis価値分析の頭文字で、今行っているプライベートの生活経費を見直して、無駄を省くことが「生活VA」です。それを1年間に積み上げて計上する。生活の工程を効率化してその時間をお金に換算する。トヨタでは1秒1円で原価コスト計算をする。

 

生活VAの目的

 時々新聞で、日頃極貧生活をしていた老人が亡くなった後に、莫大な遺産が床下や、銀行から発見されたことが報じられる。これを見ると、何のために生きていたかと、人ごとながら呆れてしまう。目的なき人生では悲しい。目的なき節約は、節約が目的になって、上記の愚かな結果を招く。人によって価値観が違うので、使い道をとやかくは言えないが、貯めるだけが目的の節約は悲しい。

 お金は人生の目的ではないが、智慧を得るためには軍資金は必要です。お金は多くの経験をするため、失敗や痛い目をあう為の道具です。行動しない限り知恵は身につかない。お金を大事に使って旅立たせると、お金がお友達をつれて帰ってきてくれる。

 

生活VAの実践

 自動車業界には、コストダウン活動としてVA制度がある。そのVA制度では、提案したコストダウン額の半分が、2年間にわたり提案元に還元される。そして、その分の納入価格は下げられる。VAでコストダウンをしなければ、強制的な値下げ要請で値引きをされるので、必死にVAをしなくてはならない。一つの部品で5円のコストダウンでも、年間500,000個生産すると、2,500,000円のお金になるのだ。

 この仕事のVA活動の水平展開として、自分の生活をVAすると効果が高い。そして節約した分で贅沢をする。節約項目は一年分の効果のみを計上する。それ以降は(あと永久に・・・)その分の生活費が節約されるシステムである。自分の生活費の中で、1日の100円の経費節約をすれば、年間で36,500円の儲けとなるのです。それが10年間も続けば、365,000円の儲けです。

 だから次々と、新しいVAのネタを探さなければならないので、しんどい。それがトヨタの日々改善の制度である。だから褒美としてその分は使うことにしている。そうでないと続くまい。これを永遠に続けると生活費は限り無く0に近づく。そのうちマイナスの値になって、カスミだけを食べて生活できるようになる・・・・?

 最近は先に贅沢をして、慌てて泥縄式に節約するので反省であるが、それでもその分をノルマとして節約を実行して生活を改めれば、その後はその項目分の経費、生活費が減る。

 リッチになるまでは、ひたすら我慢が大事です。清貧とは忍耐ある知的生産活動です。「肉体労働は1両の価値だが、頭脳労働は10両の価値がある」と言ったのは江戸時代のさる豪商の言葉。

 

 当時(1990年頃)は、残業手当てが10万円以上もあり、バルブ経済の影響で生活費が水膨れしていた。1991年にバルブが崩壊して、残業手当がゼロになり、必要に迫られて生活リストラに取り組んだ。下記は、私が1993年の4月から1994年3月の一年間で、生活VAの手法で節約をした実績値です。毎回、節約の対象、節約目標額を決めて実行していた。一部、贅沢品の支出はあったが、工夫した分は生活がスリム化した。生活VAを自画自賛している。

 

    反〇金+レ〇〇購入用VA   57,820円

    アンプ購入用VA      250,742円

    CDプレーヤ購入用VA   360,078円 

    絵画購入用VA       413,069円

  --------------------------

            合計  1,081,709円

 

 

このエッセイの構成

 本田宗一郎氏の表現を借りると、我々は「坊さんの手に渡るのを少しでも先送りするため、必死に時間を稼いで」生きている。そのために、時間そのもの節約とそれを可能にする健康は欠かせない。ビジネス社会で人並み以上のお金を貯めるには信用は欠かせない。またそれを支える軍資金も重要である。その4つの要素は教育から生まれる。あとは付録である。

 この理由で、この書は節約を達成するための戦略として、第1部にC1時間、C2健康、C3教育、C4信用金庫の順で記述した。その後に生々しい戦術として、第2部にお金の運用、買い物、生活費、車の経費等の順で記述した。第3部の最後に、この生活VAの背景としての私の考えを、エッセイとして記述した。

 先行して「C4 信用金庫」のエッセイをブログ発表しました。節約の最大要素は、信用の獲得です。これを第4章として位置付けした。人生で付加価値を生むためのカンバンが信用である。

 

 本書は、欧米の論文の書き方、つまり科学工業英語、新聞記事の展開の方法で記述してあります。つまり、最初の冒頭にその要点、結論を書き、それを具体的に展開する記述です。また各章も最初に原則・総論から具体的な事例へと展開しています。逆ピラミッド構成とも言えます。

 別の表現をすると、最初は格調高く、後ろの章にいくほど段々と具体的に生々しく・・・です。ですから、今日の生活にも困っている人は、第6章くらいの生々しい部分から始めるのがお勧めです。

 

 今回のブログで20年前に記述したエッセイを、順次見直して掲載していきます。これで皆さんも生活を見直して、浮いたお金で贅沢をしてください。無駄を省いて贅沢を、が私の生活モットーです。

 

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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