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2017年7月31日 (月)

⒊3 後進の育成

 生活VAとは、無駄をせずに価値あるものを創ることである。この生活VAの手法で、時間やそれに換算した凝縮された質量(貯金)を、後進の育成に使いたい。価値あるものには、お金では買えないものが多い。その一つが人財である。人間が死ぬとき、その人をその功績により下記にランク分けされる。

 

レベルⅠ: 名前を残す人(後世に残る業績を残す)

レベルⅡ: 人財を残す人(後進の育成)

レベルⅢ: お金を残す人

 

 この世に人間として生まれた以上は、世に役立つ業績を後世に残しておきたい。その為の手段として、第1章の「時間の有効活用」と、第2章の「健康」が必要となる。その次が「教育」で、自分のやって来たことを後進に伝えることと、人財の育成である。自分のやって来たことが無に帰すほど、人生や企業にとって無駄なことはない。私は技術者で、その立場で人財の育成を述べる。これは、どの分野でも当てはまると思う。

 技術の伝承:自分のしてきたことを、いつか人に伝えられなかったら、何もしてこなかった同じである----アーウィン・シュレジンガー

  1つの機械、1つの部品、1つのシステム、1つのプログラムの開発にたずさわると、そこから多くの失敗と、ほんの少しの進歩を我々は得ることができる。しかし、これを文書等の形ある形態にしておかないと、後に続く人が先行者と同じ誤りを繰り返す羽目になる。そうなっては、何のために高い代償を払って失敗をしたかわからない。たとえ、失敗しても、それをステップに次の高いレベルに進むことができてこそ、その失敗が生きる。このステップが先人の貴重な失敗例、ノウハウの蓄積である。この設計関係の集大成が、我々の機械関係の「設計要領書」等のノウハウ集であり、この反省から作成するようになった開発機械の「基本設計書」である。前職の研究開発部では、この反省を踏まえて、開発の初期から、この「基本設計書」をまとめてから開発をしている。

後に続く人をゼロからスタートさせない

 これが私のポリシーで、失敗事例やノウハウ、ワンポイント知識を、文書化して残している。これを後で集約して一つの文書にまとめると、大きな財産となる。 後を継ぐ人は、その仕事をゼロから始めようと思ってはいけない。それは大きな会社への損失である。新しい機械を開発する以上は、その新しい技術を後に残す前に、今までの蓄積された技術・ノウハウを伝承する義務があると思う。その仕事には、先人の残した資料、図面、フローチャート、テストデータが必ず存在する。それを無視して仕事をしてはなるまい。

先輩の設計を否定する愚

 技術者が機械の開発をする場合は往々にして、前開発機械の否定から始まることが多いのは、哀しい性である。前の機械がいかに悪く、今回の開発マシンがいかに進歩したかを唱うことが多い。その人の自己顕示欲、名誉欲をみて壁壁する。自分の成果を誇示したい優秀な人罪なのだ。その体質が、蓄積された技術・ノウハウの伝承を阻んでいる。

 自動車メーカのモデルチェンジでは、エンジンとボディの同時変更はありえない。必ず片方ずつ慎重に変更される。ところが工作機械では、ベッド、各装置、CNC装置、ソフト等を同時に変えてしまう傾向にある。殆どの場合のモデルチェンジの形態である。少なくとも、ある機械の開発にはしかるべき検討、試作、製作実績、製造部の製作ノウハウ、図面、バグのないソフトであるはずだ。それをあっというまに無に帰せてしまうフルモデルチェンジ方式には疑問を持つ。もっと今ある製品を大事に育てることが、トータルでは開発の効率化になるのではと思う。

古風なデザインの価値

 最近、私も年を取ったせいか、英国に代表される古びた?デザインに愛着を感ずるようなった。この頑固なデザインを固執する思想は、日本の移り変わりの激しい社会では、考えられない。しかし、時が加減乗除でふるいにかけたデザインには、それ相応の価値観があり、流行のデザインより好ましく感じる。工作機械開発に、ここまでのことは、要求できないが、考えされられるモデルチェンジ風潮である。

技術者の喜びとは

 「楽しみ」と「喜び」の違いとは何か? 「楽しみ」とはゴルフ、釣り、テニス等の趣味の世界の話である。「喜び」とは仕事での充実感である。ここでの大きな違いは、前者が金で買えるのに対して、後者は金では買えない違いがある。部下を持つ人間は、この大きな違いを認識させる事と、この喜びを部下に与える事に責任が有る。上記テーマは、その上司が部下に伝るべき大事な要点である。これが味わえないと、仕事は西欧の語源どおり「苦役」となる。

 私は自分で担当した機械の開発設計、テスト、評価、BSテスト、号機設計、操作説明書作成、納入立合い、現地でのフォロー、営業的対応、サービスマン的対応まで一貫してやらして貰った。この経験の中で何が一番嬉しかったといってもスウェーデンのお客様から直接、「君の機械は、うちの工場に導入した研削盤の中で最高のもの一つだ」と言われたことだった。これで今までの苦労が全て消えて、ああ頑張ってきてよかったとしみじみと感じた。技術者と言う職種は、新しい技術を生み出してそれをユーザに提供するのが使命だが、それを直接客先で評価されるのは、何事にも変えがたい喜びである。またあるテーマを与えられて、それを技術者として実現するのも、大きな喜びの一つである。部下を持つ立場の技術者は、こういう喜びを部下に味あわせてあげる義務がある。こういう喜びを感じられない技術者なら転職を考えた方が良い。

芸術と技術

 その昔、レオナルド・ダ・ビンチがそうであることを実証したように、芸術と技術は同一のものであった。芸術家、技術者の特質は、仕事に対してこだわりを持っているかどうかで決まる。この技術者としてのこだわりがあるからこそ、前述の技術者の喜びが感じられると思う。技術屋と言うものは、所詮24時間勤務の芸術家と同じだと思う。寡聞にして私は、一流の芸術家に勤務時間があって、ある時間しか仕事の事を考えていないなどとは聞いたことがない。ある仕事に取り組み、それに対して、思いとこだわりが無ければ技術屋として不幸な事である。

 技術者としてこの拘りが持てなければ、他の職業に変わった方が将来的に幸せかもしれない。何故なら時間内だけ拘束されても、就業時間が終われば、自分の世界に没頭出来るから。これはお役所の仕事であろう。

 こういった観点から、技術者として「仕事がない」という言葉は私には理解できない。ある仕事をまかされれば、その点について、幾らでも技術者としてテーマが出てくる筈である。また、自分でそのテーマは探さなければなるまい。ホンダの創業者・本田宗一郎氏は、技術者と職人の違いを次のように言う。

今までに得た知識や経験をそのまま繰り返しているのが職工。

得た知識や経験にもう一つ自分の考えを加えるのが本当の技術者だ。

 

 貴社が「技術の□□株式会社」を目指すなら、技術者に上記の位置づけと指導をすべきだ。技術者を育てることなくして、技術は育たない。

 

2017-07-31

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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