ma_危機管理 Feed

2018年10月13日 (土)

新幹線殺人事件への備え

 2018年6月20日に起きた新幹線内での刺殺事件で、この種の事件の時、座席シートが取り外して盾にできるとの話がどこかの紙面に載っていた。今回、2018年10月10日、馬場恵峰先生宅への道中の新幹線内でそれを確認した。そのきっかけは、車内販売でもらった釣銭を、座席の隙間に落としてしまい、取り出すとき、この件を思い出した。

 結果として、落とした釣銭は出てこなかったが、座席シートを外せる手順を確認出来て良かった。座席はマジックテープで止められており、簡単に外せた。備えあれば、憂いなしである。

 新幹線に乗って、こんな心配をせねばならいない時代になったのは嘆かわしい。 「自分の城は自分で守れ」というトヨタ生産方式を作った元トヨタ副社長大野耐一氏の言葉を思い出した。自分の城の中で、一番大事なものが命である。

 

2018-10-13 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月 9日 (火)

野獣楽園を戦闘服で羊が歩く

NYでの安全対策                  初稿1994.05,23

 最近(1994年当時)、米国で立て続けに日本人留学生の射殺事件が起こり、平和な日本の世間を震憾させている。江戸幕末のころ生麦事件が起こり、日本はなんと野蛮な国かと欧米から非難された。しかし今は逆に、アメリカがなんと野蛮な国だと言われている。時代は変わった。この事件の本質は、日米どちらもケースも当事者の認識の貧困に起因する。

 

日本人留学生射殺事件

 米国で起こった事件を検証すると、どちらも夜11時、深夜の1時に発生している。これでは安全に対して、言い訳ようがないと思う。被害に会われた方には酷だが、時間的に外出するのは非常識であった。

 またもう一つの問題点として、コミュニケーション能力がある。上記の例で被害に会われた方は、大きな声でHELPと叫んだそうだが、これは現地での危険対応処置として最悪である。犯人もそんな声を上げられては、自分の身が危ないので、直ぐ単刀直入の行動に出ざるを得ない。この場合、 Don't kill me Money? と静かに聞くのが、この種の危険対応処置である。この種の事件はお金が目的であって、殺人が目的ではない。 HELPと言う言葉を知っていても、それでコミュニケーション能力があるとは言えまい。

 

生麦事件

 かの幕末の事件も、被害に会ったのは香港から来た外人で、日本の壊夷運動を知らなかったのと、大名行列に出会った場合の礼儀を知らなかったのが原因である。その同じ日、別の外人が同じように、その大名行列に出くわしたが、彼は馬から降り、道の脇に寄せて立ち止まって、行列に敬意を表している。当然何事も起こらなかった。安全はその国の文化や社会情勢を理解せずには確保できない。

 

放し飼い野獣の楽園を歩く

 我々がサファリパークに出掛けるときには、当然守るべきルールがある。NYの夜は野獣の動物園との認識が必要だ。日本の野獣は草食性だが、米国は肉食性である。そのために、NYでは戦闘服が必要である。その戦闘服とは、平日はビジネススーツ、週末はラフな服装で、日本の旅行者に思われなくする迷彩服である。できれば、ビジネスマンそのものの恰好のアタッシュケース、もしくは黒い鞄を抱えていると申し分ない。そうでないとここでは日本人の顔を付けているだけで、ハイエナの目標にされてしまう。カメラをぶら下げているなど論外である。

 もし現地人が「ミスター」と言って近づいてきたら、それは「私は泥棒ですが・・」と翻訳・解釈して逃げること。他人に無関心なニューヨック子が、旅行者に声を掛けるはずがない。用があるのは貴方の財布のみ。やるほうも生活がかかっていて必死だとの認識が必要だ。

 

私の被害事件

 これだけ、事前の安全研究をして、注意をしていたつもりでも、汁掛けスリに目を付けられるからNYは恐ろしい。私が、NYの繁華街を歩いていたら、後方から「ミスター」と呼び掛けられた。なにか危険を感じて「ノーJといって反対歩道へ走って、すぐ飛び込んだ美術館のショップ内でほっとしたら、背中にベッタリと白い液体をかけられていることに気が付いた。これが1994年5月の平日の午前11時30分ごろの、市最大の繁華街・5番街の近代美術館MAMO、アメリカクラフト美術館やCBSスタジオのある53Streetでの事件である。

 

当時の状況

 大都会では、この種の事件が発生しやすい死角が多い。こういう場所に限って、警官は立っていなかった。すぐ近くの街角には手持ち無沙汰で警官が、腐るほどたむろっていた。この事件は、NYの危険さの事前調査を十分にしておいたので、 1600円のクリーニング代だけで済んでラッキーだったと思うべきだ。ちなみに、この時の服装は、スラックスにブレザー姿で、手にポーチを持っていた。カメラはポーチの中に入れていた。

 

ゴルゴ13を目指す

 Avenue(大通り)はよほど良いが、Street(大通りと直角の通り)を歩く場合には、Streetによって道幅が異なるので、遠回りでもなるべく大きな通りを横切るのがよい。また歩く側も道路の左右の歩道の広いほうか、ショーウインドウのあるビル側を選ぶ気配りが必要だ。なぜなら狭いほうはスリ等で危険。

 その点、ショーウインドウ側は自分の後方が確認できてよい。また広い道の方が対向して歩いている不穏と思われる人物とも、意識して一定の距離をおいてすれ違えるので安心だ。

 また時々は、ショーウイドウに写る自分の姿を確認して、不振な人物が付いてきていないかチェックすること。立ち止まる場合には壁、支柱等を背にして待つこと。まるでゴルゴ13になった気分だ。

 NYっ子は、心をクローズして真っ直ぐ前を見て、物乞いや犯罪に関係しそうな輩と目を会わさないようにして歩いている。ここでは「見ざる、聞かざる、言わざる」で自分の安全を守るのが当たり前のようだ。こういったコミュニケーションを断絶して道を歩かねばならない現実に、アメリカの不幸を感じる。こうでないお上りさん(米国民でも)は、犯罪者にはNY市民から浮かび上がって目立ち、恰好の獲物にされてしまう。

 

お巡りさんも人の子

 NYの街角には警官が多くたむろっていて、いかにも犯罪都市を認識させられる。しかしこれがハーレム地区に行くと警官の姿が見えない。警官も5番街等の繁華街の安全な場所には立つが、危険な地区には立ち寄らないみたいだ。お巡りさんも人の子で、一人で街頭に立つのは怖いようだ。警官はほとんどパトカー内に潜んでいてけっして、車外には出ないようだ。警察は、殺人事件では儲からないが、地下鉄等の無賃乗車、ペットのウンチの不処理等の摘発には100$からの罰金を稼げるので、そちらに力を入れているとか。それは警官にとっても安全に稼げる業務である。確かに、殺人事件の捜査は命がけだ。

 

日本人である表示をしない

 以上の点で、日本人であることを示すステッーカ等は鞄につけないほうが良い。若い女性がルイビトンの鞄を見せびらかしように持歩いているが、海外には持っていかないのがよい。日本人の私の目から見ても、まるでひったくりのために目印をぶら下げているように見えるから。

 

警察にて漫才

 翌日、この事故の保険金請求の証明書をもらいに、近くの警察署に出かけた。そこの事務処理の黒人の若いオネーチャンに事情を聞かれ、証明書を発行してもらった。彼女は愛嬌がありすぎ、大げさな身振りで驚きながら、事故報告書をタイプしてくれた。彼女が、片言の日本語を口に出し「私は日本語の勉強中」と言ったのには、お笑いである。

 

野獣より狡猾な保険屋

 余程日本人のトラブルが多いようだ。しかし、この証明書は帰国後無駄になった。何故なら物損保険には3千円の免責が設定されているため、今回の1600円の損害では、保険金は下りない。この精神的苦痛はどうしてくれるんだ!  保険屋さんは肝心の時には、定款をかざしてスルッと逃げる。これでは儲かるはずだ。まあ現地でクリーニングに出さず、帰国後クリーエングに出したのでかなり安くなった筈ではある。それがせめてもの慰めである。

 

2018-10-09 久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年10月 4日 (木)

呂律が回らず、急遽、MRI検査

ロレツが回らない

 2018年9月28日(木)12時ごろ、いつも世間話をしている知人から、私の話し方がいつもと違い、呂律が回っていないと指摘を受けた。脳梗塞の疑いがあるので、病院に行った方がよいと指摘をされた。大慌てで、脳の診察を受けたが、結果はセーフで、ほっとした。その過程で色んな学びがあった。

 

病院に行くタイミングを失敗

 その日は木曜日で、かかりつけの医院は昼から休診である。その医院は循環器系の医院で、院長が大垣市民病院の元部長であったので、翌朝、そこで紹介状を書いてもらい、大垣市民病院に行くことにした。その判断は失敗であることが、後で判明した。大事に至らなかったが、時間の点で失敗である。脳梗塞は、その処置に一刻を猶予もないのだ。

 私の頭の隅にある記憶は、母が脳出血で倒れて、処置が遅れた痛い経験である。後、半日でも早く病院に連れて行けば、との後悔が今でもある。

 

大垣市民病院で診察

 そのかかりつけの医院に、朝一番で行き、診察を受けて、その場で大垣市民病院の脳ドック診察の予約を取ってもらった。最短の午前11時から予約が取れた。その点では、地域連携病院に行ったのは正解であった。

 大垣市民病院の神経科で診察を受け、脳のМRIを受けた。その結果は、脳梗塞での心配ないとの診断で安堵した。しかし、長年の動脈硬化の影響で、脳がかなり傷んでいるという。「かなり傷んでいる」という表現が微妙で、良く判断ができなかったが、過剰な心配はいらないとのこと。

 私は、循環器系の治療で、現在の血管内プラーク層減少の食事療法を続ければよいと判断した。普通の人は、血管内のプラークが動脈硬化に絡んでいることをあまり知らない。

 

対応の遅延

 今思うと、紹介状なしの特別診察料5400円を節約するため、かかりつけの医院で紹介状を書いてもらったが、これが間違いであった。緊急事態なら、急患で病院に飛び込めばよい。5400円がどうのこうのという話ではない。いくらかかりつけの医院でも、半日も時間が遅くなるのは、ダメである。次回は、すぐ飛び込むことにした。

 いくら5400円を節約しても、かかりつけの病院での診察で、3500円を請求された。また待ち時間を含めて2時間を無駄にした。付加価値換算で2万円。だから少しも節約になっていない。むしろ緊急事態で時間ロスをした。

 

予防対策

 そうならないように、3年に一度は、脳ドックを受けるべきだ。なじみのディーラの店長さんは、3年毎脳ドックを受けているという。私は10年ぶりの脳のМRIであった。その点の健康管理に抜けがあった。

 

6年前の御恩

 2012年頃、私は歯周病が原因で奥歯を一本抜いた。それで、インプラントを入れる段取りをしていた。その準備段階で、馬場三根子先生(当時82歳)から、「インプラントを入れるとМRIが受けられなくなるので、若い小田さんは覚悟したほうが良い」との助言を頂いた。インプラントの金属がМRIの電磁波に反応して、画像診断ができないためである。それで、当日の手術2時間前にその手術をキャンセルした。お陰で、今回の脳ドックでМRIを受診できた。

 手術予定の萩野歯科医院からは、インプラント手術に関してこのМRIの事前告知はなかった。それで、この萩野歯科医院とは縁を切った。

 もっと恐ろしいことは、インプラント手術をキャンセルしても、萩野歯科医院は、「大丈夫です。インプラントの部品代は、出来高報酬ですので、キャンセル料は不要です。作った型代だけお支払いください」であった。インプラントが医療ではなく、金儲けであることを悟った。キャンセルして正解であった。

 その三根子先生のご恩で、今回の脳ドックが受診できた。ご縁に感謝。持つべきは良き師である。

 

データ受領

 今回、大垣市民病院から。脳ドックでのМRIでの断層写真を渡してもらえたのは、嬉しいこと。この点は、昔からは進歩している。10年前の県立奈良病院でのMRI検査では、データは渡してもらえなかった。

Mriscan0155

2018-10-04 久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年7月 7日 (土)

恐ろしい大垣都市伝説(1/7)歴代市長の死

歴代大垣市長

第5代  川井 一   昭和22年4月5日就任

 二期目の2年1か月で病気による現役死

第6代  三輪 勝治  昭和28年6月6日就任

 昭和38年8月9日、病気で現職のまま52歳で死去 

第7代  山本 庄一  昭和32年9月20日就任

 昭和45年5月7日 、64歳で現職のまま死去

第8代  広瀬 重義  昭和45年6月28日就任

 昭和49年2月21日、任期終了直前に58歳で死去

第9代  清水 正之  昭和49年4月14日就任

 昭和50年5月31日、就任1年1ケ月で71歳の急死 

第10代 森 直之   昭和50年7月13日就任

 昭和56年3月12日、急性心不全で、現職のまま72歳の死去 

第11代 岩田 巌   昭和56年4月26日

 昭和60年4月25日、任期満了の立候補途中で66歳の死去

第12代 小倉 満   昭和60年4月26日就任

 平成13年3月3日、肝不全により在任中に死去。69歳

第13代 小川 敏   平成13年4月23日就任  在任中

 

 以上は戦後、公職選挙法が出来て、公選で選ばれた市長での話で、その前の4代の市長も現役死のようである。(調査中)

 

恐ろしい大垣都市伝説

 現大垣市役所が濃飛護国神社に向かい合って建てられているから、その祟りで現役の市長が次々と病死するという「恐ろしい大垣都市伝説」が生まれている。現大垣市役所が昭和39年に建てられる前に、第6代大垣市長の三輪勝治氏も病気で現職のままで昭和38年に死去されている。だから、「祟りの大垣都市伝説」は間違いである。しかし連続8代の市長が現職のままで死去は、事実である。大垣市長職は命がけなのだ。

 それを意識してか、新大垣市庁舎は、目の前の主道路から90度向きを不自然に変えて、護国神社と向き合わないように建設が進められている。その分、市民が市役所に行ったとき、不便なのだ。そんな小手先の細工で、誤魔化そうとする根性が卑しい。神仏はそんなことでは、胡麻化されまい。それは対処療法で、根本療法とはかけ離れている。まるで火事で、消火器で火を消す対処療法なのだ。真の対策は、火事が起こらないようにする対策、つまり現役の市長が死ななくてもすむ対策である。

 

歴代大垣市長とのご縁

第5代  川井 一   昭和22年4月5日就任

 川井市長は大垣空襲で焼け野原になった大垣市の復興に、百年の計をもって臨み、自ら陣頭指揮で尽力をされ、大いに実績をあげた。大垣駅前通りを中心とした市街地の都市計画事業は、川井市長の見識と先見性の賜物である。そのお陰で、今日の一大商業地区発展の基礎となった。

 それが現市長の無為無策で衰退しているから、私は怒り心頭である。

 川井市長が在任中の昭和25年に、近江絹糸大垣工場が建設され、父が近江絹糸彦根工場より第一陣で赴任してきた。私は生まれた年の翌年の昭和26年に、母と一緒に彦根から大垣に来た。

 当時、大垣は水の都で、水が豊富であったので多くに繊維企業が誘致され繊維産業都市として栄えた。私もその恩恵で育つことができた。川井市長とは全くご縁がないが、市長の繊維産業育成の陰徳の尽力で、今の大垣があると思う。普通に食べていけることが如何に有難いかは、今のフリータが氾濫する時代と比較するとよくわかる。

 

第6代  三輪 勝治  昭和28年6月6日就任

 昭和38年8月9日、病気で現職のまま52歳で死去

 急性胃潰瘍による後遺症が原因で亡くなられた。

 三輪市長は、全国第二位をの充実した学校建設、防災建設の推進、林町、室村アンダーパス事業の完成等で、実績を上げた。三輪市長のお蔭で、充実した学校教育を受けられたし、林町、室村アンダーパスのお蔭で交通の便利さを実感している。私は幼いこと、林町から国鉄(当時)の線路の下の川を渡し舟で通行したことを覚えている。

 

第7代  山本 庄一  昭和32年9月20日就任

 昭和45年5月7日 、64歳で現職のまま死去

 山本市長は、早くから交通・通信の発達によって、行政の広域的処理が必要と認識して、地域開発に尽力をされた。名神大垣インターの建設、国道258線の整備、国道258線とJRの立体交差道路の建設、大垣・一宮線の整備、岐大バイパス、の整備に尽力をされた。また伊勢湾台風での被害に対して不眠不休、東奔西走で、堤防の増強、治水工事を施し、水害にない大垣市に貢献した。そのおかげで、日本経済の発展と同期して大垣市も繁栄していった。

 父が定年退職して、今の場所に家を建てた。ここで2年程暮らして、私は就職で大垣を離れた。今振り返ると、日本は高度成長への階段を駆け上がる時期で一番幸せな時であった。

 

第8代  広瀬 重義  昭和45年6月28日就任

 昭和49年2月21日、任期終了直前に58歳で死去

 広瀬市長は「市民の一人一人が大垣を誇りに思い、夢と希望の持てる都市づくりに全力を尽くす」として、都市計画、道路整備、公害防止、福祉事業に尽力をされた。

 現在の「大垣に誇りを持てない寂れた街。幽霊ビルが跋扈する都市整備状態」の惨状と比較すると、広瀬市長の熱い志がまぶしい。今は夢も希望もない。あるのはヒラメの役人だけ。

 1974年は、私は就職して仕事を覚えるに必死の時代で、大垣には月に数度変えるだけで、大垣市内には全く関心がなかったのが悔いである。

 

第9代  清水 正之  昭和49年4月14日就任

 昭和50年5月31日、就任1年1ケ月で71歳の急死 

 

第10代 森 直之   昭和50年7月13日就任

 昭和56年3月12日、急性心不全で、現職のまま72歳の死去 

 森直之氏は、大垣市民病院の初代院長先生で、人徳もあり、腕も確かで大垣市民病院を西濃一の病院に育てた。その功で、大垣市長に担ぎ出されたようだ。優秀な側近を得て大垣市の発展に貢献したが、急性心不全での死であるので、市長としての過労があったと思う。

 

手術

 私は23歳の頃、大垣市民病院の森直之院長先生の手で、胆のう摘出手術を受けたご恩がある。森先生が大垣市長になる直前である。患者として森先生と会話を交わしたはずだが、その記憶がほとんどなくて残念である。手術後、数日して快方に向かい、鼻から入れた管も抜け、これ幸いとお腹も空いたので、ちょっとベッドを抜け出して食堂に行って一寸ベッドを留守にしたら、それが間合いの悪いことに院長回診にかちあってしまった。森院長先生に、「手術後で、それだけ元気なら大丈夫」と笑われたことが記憶にある。私は、森先生にお腹を見せながら、笑いをかみ殺すのに苦労した覚えが有る。

 当時の私みたいな若造の手術を院長先生に担当させるために、母はかなり走り回ったようだ。母が頑張って、若造には不釣り合いの電話もある特別室に入れてくれた。見舞いに来た仕事仲間が感心していた。今にして母のご恩に感謝している。

 

仕事とは何か

 森市長が死去されたとき、私は三河に勤めており、その訃報を知らなかった。当時、私は晴海で開催される見本市へ出品する機械の開発に携わり、連日深夜まで働くほど忙殺されていた時期である。今なら完全なブラック職場でアウトの状態であった。当時、仕事で頭が一杯で、森市長のことは念頭になかったのが残念である。手術して頂いた先生のご恩を忘れる程、徹夜まがいの仕事で連日、元気で働けた有難さを、今更に感じて、感謝している。上からのやらせられる仕事は、過労死につながるが、自分がやらねばという意識で働いていると、どんなに夜遅くまで働いても苦にはならなかった。仕事とは何かをおぼろげながら体得できた。今振り返ると、仕事にも恵まれた一番脂ののった有難い時期であったと思う。

 森市長も、多くの仕事を抱えて過労死のようになったと推察される。責任感の強い方には、40年前の時代の72歳の老体の身で、大垣市長職は過酷である。いわば殉職のような死に方である。責任感が強い分、医者の不養生もあったのであろう。

 森市長の死去の10年後、1992年、母は69歳の若さで、体の保守管理を怠った咎で、大垣市民病院で亡くなった。私は母の死因を反面教師として、今は健康に最大限の留意をして生きている。それが母の教えである。

 

第11代 岩田 巌   昭和56年4月26日

 昭和60年4月25日、任期満了の立候補途中で66歳の死去

岩田市長の死は、母の亡くなる1年前である。母が倒れた関係で、何度も三河から大垣に通った時期で、大垣市政には関心がなかった。それどころではなかった。

 

2018-07-06  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年3月16日 (金)

225円の決断

危機管理27  
               
 ◆ 即決できずが半数 
  ビジネス文書能力向上のため、2000年6月24日(土)に、篠田義明早稲田大学教授による科学工業英語(テクニカルライティング)セミナーを前職の開発センターで開催した。参加者は役員6名、基幹職16名、担当員17名、一般12名、合計50名である。開催地が陸の孤島であるため、セミナー参加者向けに、5月31日19:07 に昼食申し込みの案内を電子メールでした。この事務処理でなかなか返事が集まらないのに、いらだち、ふと疑問を抱きデータを解析してみた。その結果が下記。

      メールを開いて即返信     48%
  当日もしくは翌日に返信    10%
  3日~7日間で返信      20%   

      回答なし           22%   (n=44)

 これに我々の日頃の仕事ぶりやコミュニケーションのやり方が、全て出ているのに気がついた。人生はけっして偶然ではない。すべて必然で、一つの行動が全てを象徴している。たった225 円の昼食費の決断でも、日頃の決断の仕方がそのまま物語っている。今回の50人の対象者は休日の1日を費やし、テキスト代を払ってまでして科学工業英語の自己啓発をしようという意欲ある人達にもかかわらず、この有り様である。そうでない人達だったらどうなったことやら。

 結果として、約半数の方がその場で決断できなかった。わずか225 円の話である。メールを見てすぐ2行の返事を書くだけの事務処理に対して、後から処理するとなると、まずメール暗証番号を打ち込み、メールが開くのを待ち、目的のメールを探して返信する。これで最低2分はかかる。その分だけ自分の仕事が遅れる。その分だけ部下の書類の決裁が遅れる。その分だけ組織の業績が悪くなる。そしてそういう人に限って幹事の役を煩わして全体の時間をロスすることになります。

◆ 積小為大
 22%の方は「不食の場合も連絡を頂きたい」とお願いしたのにも関わらず返事のない方でした。篠田教授は当日の講義で、「文法には学校文法、生成文法,伝達文法がある」と解説されました。実社会ではこの「伝達文法」が理解できないと仕事が出来ない。この場合は、「学校文法」として返信を要求したメール文になっていないが、「伝達文法」として返信が要求されている。返信をしなかった人はそういう概念が無い人だと言える。返信のない人は食事をしない人と割り切って、事務的に処理をすれば良いのだが、今回は意図して文面に返信を要求した。

  そして返信が無い場合は、幹事は督促の電話かメールを打つ。つまり組織として余分の時間を奪う事態になる。つまり返事を出さない人は、組織としてのコミュニケーション意識がないのである。大きな仕事とは、ホームランの集まりではない。小さい作業の確実な積み重ねや、当たり前のことの積み重ねが仕事なのだ(積小為大)。

◆ 決断
 責任者の仕事の大半は決断である。責任者が決断を下さないと組織の作業は進まない。書類が机の上に停滞している間、作業は止まっており、死の時間が流れている。今の時代、企業の業績格差を生むものはスピードと行動力である。テクニカルコミュニケーションの目的は、文書での情報伝達と決裁のスピードアップで、225 円の決済に1週間もかかる人は、稟議100万円の決済はできない。たった225 円の決断を延ばす人は、決断を遅くする練習をしているのだ。

 我々が日常やっていることには「仕事」と「作業」がある。責任者は作業でなく仕事をしなくてはならない。作業とは時間コストです。それに対して、「仕事」とはその作業(=時間コスト)をなくすことを考え実行する付加価値を生む頭脳労働である。単に時の流れるままに作業をしているのは仕事ではない。責任者は選択をして、成果の出る方向にやるかやらないかを決断するのが仕事である。それを延ばすのは業務怠慢だ。

 私の時間節約法の一手法は、会議通知、宴会等の案内をもらったら即、返事をします。まず返事をして、都合が悪くなったら変更すればよい。それを後からするから、肝心の案内書が何処に行ったかわからなくなり、結果として幹事に迷惑をかけるのです。幹事はあなたの後工程です。後工程とはお客様です。お客様を泣かせてはいけません。
 どんな雑用にも学びはある。要はどう考え、何が問題かを意識するかである。最近の私の趣味は人間ウォッチングです。人は一つの情報にどう反応し行動するか? そこに日頃の人間性が全て出てきます。だだし、そこに正解はありません。それに対して自分なら、どう考えどう行動したであろうか、これから何を学んだかが問われる。上記はその私の一答例です。目の前にある事象は事実ではありません。ただ、その人の解釈の違いがあるだけです。
  There are no facts, only interpretation.      ニーチェ

(初稿2003年8月8日)

20018年3月16日

久志能幾研究所    小田泰仙


                                     

「心の汗」をかいてますか?

危機管理23 

  人がかく汗には「体の汗」、「頭の汗」、「心の汗」の3つがある。仕事が中途半端なのは本気でないため。身体の汗をかいていないのだ。仕事で時間がかかるのは頭の汗をかいていなため。いい仕事ができないのは心を働かせず気配りがないため。

 動いて「体の汗」をかいて仕事をするのは当たり前。なにせお客様からお金を頂いているのだから。汗をかかなければ月給泥棒。本気で仕事をすれば自然と汗がでる。

 でも、もう少し「頭の汗」をかいて仕事をすると、体力のいる作業が減り、仕事が効率的になり、より高品位な商品をお客さまに提供できる。頭の汗をかかなければ、それは仕事ではなくルーチンワーク(作業)をしただけ。それは作業であって仕事ではない。それでは新しい付加価値は出せない。今までと同じやり方では後退を意味する。
   なにせ世界は、すごいスピードで変貌している。海外の若者の明晰さは日本人の大卒と同じである。それなら、作業は外国人に任せればよい。

 その仕事に「心の汗」をにじませると、お客さまに感動を伝える仕事(商品)ができる。その汗とは、その仕事に対する思いと誠意から滲み出るものだ。そう、「心の汗」は滲み出てくるもので、流れ出るものではない。管理間接部門のお客様は姿が見えにくいのだが、トヨタ生産方式から言えば後工程がお客さまである。お客さまが感動しない商品を売っていては、このデフレ時代、グルーバル化の時代には、いつか淘汰される。それは企業でも、組織(含む家庭)でも、個人にもあてはまる冷酷な事実なのだ。結果として会社、組織、個人、最後は家族が不幸になる。その責任は汗をかかなかった当人にある。心の汗を滲み出させるのにお金は不要です。

   今、マスコミを賑わしているリストラ、倒産、不祥事等はすべてこの3つの汗をかくのをさぼったためなのだ。そしてこの3つの汗をかかなかった人が、記者会見の場で、冷や汗と油汗をかいて、雛壇から世間様に対して謝罪の頭を下げている。
   汗をかかなかった人は往々に、社会や人のせいにする。そして、自分はかわいそうな存在です、と同情をもらうのである。慰めてもらうのは気持ちがいいもの。また、人に責任転化するのは楽なのだ。でも、それは被害者の人生で、敗残者の人生である。原因を自分に求めないと事態は何も解決しない。責任者なら、リーダーなら、この3つの汗をかき、危機管理の予防処置で3つの汗を流す行動が必要だ。(初稿2003年7月22日)

2018年3月16日

久志能幾研究所    小田泰仙

そんなこと言われったって、ワシ困る

  あるプロジェクトで、私がリーダーにある人のことでかみついたら、「そんなことわれったって、ワシ困る.....   であった。私はもっと困るである。その組織は最大に困るのだ。
  そのリーダーが、その問題ある人に声をかけてプロジェクトの一員にして、最初の会合で問題を起こしている。リーダーは鈍いのか、それが問題になっているとは意識がない。その御仁は会議中に勝手に関係ない電話をしまくるし、皆を乗せた車で運転中に携帯電話を平気で応対している。肝心のそのプロジェクトには、忙しいとかでメインの行事は欠席である。それでは幹事を頼んだら意味がない。

リーダーの責任
  リーダーには分かっているはずだ。見たくない現実から目をそらしているに過ぎない。それと同じ類の事例がごまんとあり、リーダーが見て見ぬ振りをして組織を危機状態に追い込む。そうなのだ、問題があってもそれを指摘してもらっては、「ワシ困るのだ」である。ノー天気で無責任なリーダーには、何事も、なあなあにしてもらわないと困るのだ。その問題から逃げるから大きな事件になる。初期消火をしなっかった罰である。

  それが、東電の津波対策であり、無資格者の検査体制であり、業者との癒着であり、業者への丸投げの無責任体制の放置、無償残業の放置であり、ブラック企業の体質の放置であり、食品偽造の横行であり、二重国籍の放置であり、野党のブラーメン政治のお粗末なのだ。
  リーダーなら、見たくもないものも直視して、触りたくない事柄にも、対処せねば組織が不幸になる。不幸な事故の原因は危機管理へのリーダーの姿勢にある。

2018年3月16日

久志能幾研究所     小田泰仙

2018年3月15日 (木)

そんな話しは聞いていない

危機管理37 
                  
そんな話し聞いていない症候群
 「そんな話は聞いていない」とは、よく責任者が発する言葉である。ひどい上司になると「小田君、私はその話を聞いてないことになっているからな!」と私にクギをさして、唖然とさせられる事例もよく経験した。しかし、責任者がそれを言ってはおわりである。そんな人が経営していた会社も今はない。
 「そんな話は聞いていない!」?
 「でも、今聞いたではないですか?」
 聞かなかったのはタイミングの問題で、不可抗力もあるかもしれない。でも、今聞いたでしょ。責任者として、その時点でどう判断し、どう処置するか、が問われている。聞いた時点で、責任者として適切な手を打てば大火にはならないのだ。ところが多くの責任者は、「そんな話は聞いていない」と逃げるのである。そう言って逃げる人は、どうせ前から聞いてもまともな手を打てない人なのだ。だからこんな言葉を発する。
 「そんな話は聞いていない」を禁句にする人は、部下をきちんと上司に報告させるし、そのように部下を指導教育している。だからそんな事件は起こらない。その前に手を打っている。「そんな話は聞いていない」と言う人は、部下をそのように無責任体質に汚染させている。だから必然的に問題が起こる。情報を本人に伝えないような状況を作りだしているのは、当の上司なのだ。

そんな話しの顛末

  2000年夏の雪印乳業食中毒事件で、当時の社長が記者団に囲まれて、思わず「私は寝てないんだ!」と発した状況は、社長自身が作りだした。しかし、今回の悲劇は当の社長がその原因を分かっていないこと。なぜそんな事故や事象が起きたのか、それは責任者が分かっていても、その正しい処置を取らなかったことに起因します。「そんな話は聞いていない」ではなく、そのような状況を当の責任者が作りだしている。結果として、責任者(リーダー)が間違った判断をすると、組織の全員が不幸になるのです。それ故、責任者を選定するとは企業にとって重い決断です。貴方はだれを後継者にして、どのように指導育成するか、どんな価値判断で選ぶか、それが問われた事件だと私は観察した。その結果、2011年4月1日に雪印は消滅し、2016年10月20日、三菱自動車はゴーン社長への貢物となった。

 「そんな話」は感性を高めていれば、自然と耳に目に入ってくる。その業務に人並みの責任感さえあれば、気づく類なのである。聞いてないとは言いながら、実は責任者も薄々は知っていた話が多いはず。特に大きな問題になるような事象は、それを示唆する事前現象があったはず。雪印食中毒事件も三菱自動車リコール隠しも前の東海村の臨界事故も同じだ。その話を聞いた時点で正しい判断と行動を取れば、一時的なロスは生じても最悪の事態はさけられたはず。的確な処置さえとれば、却って信用が増す場合もある。それを「聞いてない」と責任転化する体質が悲劇を生む。無責任から引き起こされる損失は、雪印や三菱自動車のように企業の存続問題に発展する(初稿2003年10月30日)

2018年3月15日

久志能幾研究所    小田泰仙

2018年3月14日 (水)

貴方の近くで時限爆弾のチクタクが聞こえる

危機管理11 
カウントダウンの意味


 人生・仕事の危機管理とは、爆発(信用金庫破綻)までのカウントダウンの秒読みが聞こえるかどうかである。危機意識に対する感性の低い人には、この秒読みが聞こえない。仕事を始めれば、自動的に危機状態へのカウントダウンが始まる。また決断を引き延ばしていると、いつの間にか最終カウントダウンの状態に陥る。人生では、いかに早くそのカンウトダウンに気づいて、リセットボタンを押せるかの能力と意欲、およびその訓練の姿勢が問われている。そして危機に気づかず、リセットボタンを押せなかった人が、毎年30,000人ほどが自らの命を絶っている。今はそんな厳しい時代である。

==カウントダウン3==
 上司はやさしい人だ。部下の育成を願い、色々と注意や叱責をしてくれまる。そして3回目迄は許してくれる。でも仏の顔も3度まで。1回目の「督促」は要注意なのだ。「残りはあと2回ですよ」と。2回目になるとイライラした怒りなのだ。「あと一回で爆発ですよ」と。3回目は爆発して、もう「この件に関してはダメ!」との烙印を押すのであり。仏が鬼に変貌する。もう4回目は無いのだ。仕事が他の人に回るのである。まさにリストラの危機である。上司は何回言っても判らない人、言っても仕方のない人には何も言わない。そうしないと、組織全体が危機に陥る。

==カウントダウン2==
 自動車メーカーはもう少し厳しい。1回目の品質問題か納入問題を起こして、キチントした再発防止を打たず、2回目の問題を再発させると、自動的に納入停止である。最悪の場合は取引停止である。そうなれば倒産です。でもそういう厳しさが有るからこそ、トヨタグループ全体としてはなんとか勝ち組みに入っている。

==カウントダウン1==
 怒鳴るお客様は親切です。きちんと間違いを指摘してくれるのですから。なんとか改善してほしいと思っているのですから。
 でも真のお客様はもっと厳しいのです。お客様はお店に来て、一回の不愉快さを感じると、もう来てくれません。なおかつ、何も言わず去って行きます。それが一番冷酷です。そういった危機感を持って仕事を運営しないと、仕事が無くなります。店が潰れます。

==今ここ/カウントダウン0==
 しかし運命の女神様はもっともっと冷たく厳しい方なのです。あの時、あの状況、あの人達との巡り合わせは2度と来ません。今その時に全力を投入しないと、やり残しで悔いが残るのです。失った時間,チャンスは二度と帰って来ないのです。でも積極的に運命に直面する人には女神様は優しいのです。
 決断しない、行動をしない、優柔不断に引き延ばす、こんな行動では、全て悪魔にカウントダウンのスイッチを押させる行為なのです。決断しない、それは決断しなければない項目が目前にあるはず。判っていても、できない。行動しない、頭では行動しなければと思いながらも、動かない、動けない。それこそ悪魔にカウントダウンの時計を弄ばせること。すべて自己の選択の結果です。決断しないという選択をしている。決断・行動をしない人には運命は冷酷なのだ。
 しかし、本物の時限爆弾と違い、人生での危機は、その状況に気づき、それをリカバーする気になれば、遅い速いは別にして、リカバーの手段は無限にある。それが唯一の救いだ。それさえ気づかない人が絶望して命を絶つのだ。

 一期一会とは危機管理の言葉である。人生に、もう一度の機会などはないとの危機感が必用である。悪魔は黙ってカウントダウンのスタートボタンを押す。心耳を澄ませば、あなたの頭上で音もないカンウトダウンが聞こえるはず。それは何のカウントダウン?


==懐かしい思いで==
 私の前の部署の上司で、トヨタから出向されていたO部長には、この件で厳しく指導された。「3回督促して、上司の要求に応えられない時は、もうその件ではダメ!」との烙印を押されるとはその時の指導であった。「これで3回目ですよ。小田さんって、そんな情けない人だったんですか」と言われたことが多々あった。それはなんと辛く情けないことであったか。言い方は優しいが、心にグサッと突き刺さるような厳しさがあった。でもこの厳しさはトヨタ自動車では当たり前で、思えば私にはかなり甘い指導であったようだ。O部長が受けた指導はそんな生半可なものではないようだ。だからトヨタは生き残っている。「リーダーとは厳しく、嫌われてなんぼの世界、それが組織が生き残る条件」と割り切れば、人を厳しくするのに抵抗はない。なまじっか人に好かれようとするから、人を指導できなくなる。自分に甘くては人を指導できない。多くの上司が私の前を通りすぎていった。優しい上司や冷酷な上司は記憶に薄いのだが、厳しく指導をしてくれた上司ほど記憶に残り、厳しさを教えていただいたありがたさを今つくづくと感じる。

  会社を退職してから今の時点で周りの付き合っている人達を見ると、なんと極楽とんぼのような人ばかりかと心配になる。ご縁ある人達のため、敢えて鬼の諫言を伝えている。(初稿 2001年3月16日)

2018年3月14日

久志能幾研究所     小田泰仙

2018年3月13日 (火)

「天命を待つ」は間違い

危機管理24                           

人事を尽くしても天命を待つな

 「人事を尽くして天命を待つ」のは間違った生き方である。待っていては、時間は無為に過ぎていく。世の移ろいは速く、その間には状況が刻一刻と変わっていく。1300年前の鴨長明も「方丈記」で、「ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の流れにあらず」と描写している。これは危機管理の言葉である。だからこそ、更に変化の激しい時代の現代で、勝ち組や事を成した人は待つ間も寸時を惜しんで人事を尽くし「志を天命と信じ人事を尽くす」で行動している。

 全世界の70億人が神様仏様を当てにして天命を待っていては、天命を授ける神様仏様が過労師になってしまう。たまには神様仏様の身になって考えよう。自分で出来ることは自分でするのが大人である。

 

天命と信じ人事を尽くす

 「志を天命と信じ人事を尽くす」との信念が無ければ、コロンブスのアメリカ大陸発見もアポロ11号の月面到達もなかった。アメリカ大陸を発見する(実際はインドを見つけるのが目的だった)とのコロンブスの信念が、人々の嘲りや船員たちの動揺を抑えて行動したからこそ、アメリカ大陸が発見された。

 アポロ計画も同じである。ケネディ大統領の声明を米国の威信を掛けた志とし、期限を1970年代末と宣言し、天命を信じてNASAの全員がその目標に向かって行動したからこそ、アームストロング船長は、「人間には小さな一歩であるが、人類には大きな一歩を」月面に残したのだ。

 時に30万Kmも離れた日本の国会では、野党と自民党の間で議決に対して愚かな「牛歩戦術」が繰り広げられていました。同じ「小さな一歩」でもなんとした違いでしょうか。まさに月とスッポン。月という理想に向かった志、利権や党の愚かな方針にスッポンのように食らいつく議員根性、まさにこの違いです。これは行動に志の有無の差でした。志の有無が人間に品格の差を与えます。

 2003年7月18日、元社民党の辻元議員の秘書給与詐欺問題で、辻元議員と土井党首の元秘書の逮捕が報じられました。当時の牛歩戦術の主導格は社会党です。今の社民党の前身です。四半世紀経っても組織のDNAは変わらないなと感じました。

そして19日の記者会見で、土井党首は党首辞任を否定して、「社民党の信頼回復に努めることが天命と心得ている」と発言した。こんな場面で「天命」を使うのは不遜です。

  

--かたえくぼ--

 『牛歩戦術』

  この一歩は小さいが....

   ----野党 (大垣・百舌鳥) 朝日新聞「声の欄」1979年7月28日

  百舌鳥は私のペンネーム

 

 やったことが正しいだろうかと、不安の心で天命を「待つ」のは愚かである。人事を尽くして待つとは、俺は十分にやった、との傲慢さの現われだ。誰もそれが正しいとか、完璧なんて言えない。言えるのは神様仏様のみ。そんな待つような暇があれば、更に人事を尽くすべきなのだ。間違っていてもそれが信念となれば、世の中の方の価値が変わる。そんな事例が歴史にごまんとある。そして謙虚でない人々は、あたかも当時から私もそう思っていたなどとほざくのである。私はそんな人々にはなりたくない。

 

「志」とは何か?

 「志」とは、音符「士」は「ゆく」の意味。心のゆき向かうこと。その向うところは一カ所でないと迷ってしまう。「志」とは字の構成から、「十」のあれもやりたい、これもやりたいとの思いの内、たった「一」つを「心」に決めて取り組むと書いて「志」なのです。限られた人生時間内で、あれもこれもはできないのだ。並みの人間にできるのは、たった一つなのだ。孫子もランチェスターも戦力の分散を固く禁じている。戦力は一点に集中すべきである。

 

年賀状での志

 今年もある程度の数量の年賀状を送り、そこそこの枚数の年賀状をいただいた。送ろうと思えば文明の利器とお金を使って、数倍の数をやりとりできるだろう。でも私はそうしたくないので、敢えて数を抑えて年賀状を発信している。志と同じで本当に送りたい人を,限られた人生時間の中で精選すべきだと思っています。虚礼こそ廃止すべきで、その代わり年賀を送るなら心を込めた年賀状にすべきでしょう。

 心なき年賀状は表も裏もパソコン印刷で既成の印刷パターン、こんな年賀状はもらってもうれしくない。だから私は返礼で年賀状を書かない場合も多々ある。私は年賀状を両面、毛筆直筆で書いている。最近は裏面は毛筆で書いてそれを複写している。時間がかかるので、そんなに多くは書けない。年賀状も少数精鋭。それでいいと思っている。だから私は、心なき虚礼年賀状への対応時間があるなら、自分の人生目標達成のための時間に振り向ける。

 

継続的ラーニング

 「人事を尽くして天命を待つ」の話は後藤悦夫先生より伺った。この話題に接する縁を頂いた先生に感謝です。先生とは、英語の質問があると電話でいろいろと教えて頂き、人生やマネジメント等での各種の示唆を頂いている。しかしながら、話し好きの先生で直ぐ1時間くらいは電話を切らせてくれない状態になってしまう。先生の豊富過ぎるくらいにインプットされた頭脳から湧き出る情報に接していると、話が尽きなくなり、電話が切りづらくなる。

 人間の成長とは、人とのコミュニケーションを通してお互い切磋琢磨して磨かれる。人と人の間の関係を持つと書いて「人間」なのだ。人というダイヤモンドを磨くのはダイヤモンドでないと磨けない。お互い継続的なラーニングをする姿勢がないと、話していても得るべきものがない。得るためや与えるためは、継続的なインプットが必用である。インプットがあって初めてアウトプットができる。継続的ラーニングがないのは、人とであっても人間ではないと考えている。志の有無が「人間、死ぬまで学び」との姿勢を決める。(初稿 2003年7月19日)

1039a34401

2018-03-13

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。