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2018年3月13日 (火)

「天命を待つ」は間違い

危機管理24                           

人事を尽くしても天命を待つな

 「人事を尽くして天命を待つ」のは間違った生き方である。待っていては、時間は無為に過ぎていく。世の移ろいは速く、その間には状況が刻一刻と変わっていく。1300年前の鴨長明も「方丈記」で、「ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の流れにあらず」と描写している。これは危機管理の言葉である。だからこそ、更に変化の激しい時代の現代で、勝ち組や事を成した人は待つ間も寸時を惜しんで人事を尽くし「志を天命と信じ人事を尽くす」で行動している。

 全世界の70億人が神様仏様を当てにして天命を待っていては、天命を授ける神様仏様が過労師になってしまう。たまには神様仏様の身になって考えよう。自分で出来ることは自分でするのが大人である。

 

天命と信じ人事を尽くす

 「志を天命と信じ人事を尽くす」との信念が無ければ、コロンブスのアメリカ大陸発見もアポロ11号の月面到達もなかった。アメリカ大陸を発見する(実際はインドを見つけるのが目的だった)とのコロンブスの信念が、人々の嘲りや船員たちの動揺を抑えて行動したからこそ、アメリカ大陸が発見された。

 アポロ計画も同じである。ケネディ大統領の声明を米国の威信を掛けた志とし、期限を1970年代末と宣言し、天命を信じてNASAの全員がその目標に向かって行動したからこそ、アームストロング船長は、「人間には小さな一歩であるが、人類には大きな一歩を」月面に残したのだ。

 時に30万Kmも離れた日本の国会では、野党と自民党の間で議決に対して愚かな「牛歩戦術」が繰り広げられていました。同じ「小さな一歩」でもなんとした違いでしょうか。まさに月とスッポン。月という理想に向かった志、利権や党の愚かな方針にスッポンのように食らいつく議員根性、まさにこの違いです。これは行動に志の有無の差でした。志の有無が人間に品格の差を与えます。

 2003年7月18日、元社民党の辻元議員の秘書給与詐欺問題で、辻元議員と土井党首の元秘書の逮捕が報じられました。当時の牛歩戦術の主導格は社会党です。今の社民党の前身です。四半世紀経っても組織のDNAは変わらないなと感じました。

そして19日の記者会見で、土井党首は党首辞任を否定して、「社民党の信頼回復に努めることが天命と心得ている」と発言した。こんな場面で「天命」を使うのは不遜です。

  

--かたえくぼ--

 『牛歩戦術』

  この一歩は小さいが....

   ----野党 (大垣・百舌鳥) 朝日新聞「声の欄」1979年7月28日

  百舌鳥は私のペンネーム

 

 やったことが正しいだろうかと、不安の心で天命を「待つ」のは愚かである。人事を尽くして待つとは、俺は十分にやった、との傲慢さの現われだ。誰もそれが正しいとか、完璧なんて言えない。言えるのは神様仏様のみ。そんな待つような暇があれば、更に人事を尽くすべきなのだ。間違っていてもそれが信念となれば、世の中の方の価値が変わる。そんな事例が歴史にごまんとある。そして謙虚でない人々は、あたかも当時から私もそう思っていたなどとほざくのである。私はそんな人々にはなりたくない。

 

「志」とは何か?

 「志」とは、音符「士」は「ゆく」の意味。心のゆき向かうこと。その向うところは一カ所でないと迷ってしまう。「志」とは字の構成から、「十」のあれもやりたい、これもやりたいとの思いの内、たった「一」つを「心」に決めて取り組むと書いて「志」なのです。限られた人生時間内で、あれもこれもはできないのだ。並みの人間にできるのは、たった一つなのだ。孫子もランチェスターも戦力の分散を固く禁じている。戦力は一点に集中すべきである。

 

年賀状での志

 今年もある程度の数量の年賀状を送り、そこそこの枚数の年賀状をいただいた。送ろうと思えば文明の利器とお金を使って、数倍の数をやりとりできるだろう。でも私はそうしたくないので、敢えて数を抑えて年賀状を発信している。志と同じで本当に送りたい人を,限られた人生時間の中で精選すべきだと思っています。虚礼こそ廃止すべきで、その代わり年賀を送るなら心を込めた年賀状にすべきでしょう。

 心なき年賀状は表も裏もパソコン印刷で既成の印刷パターン、こんな年賀状はもらってもうれしくない。だから私は返礼で年賀状を書かない場合も多々ある。私は年賀状を両面、毛筆直筆で書いている。最近は裏面は毛筆で書いてそれを複写している。時間がかかるので、そんなに多くは書けない。年賀状も少数精鋭。それでいいと思っている。だから私は、心なき虚礼年賀状への対応時間があるなら、自分の人生目標達成のための時間に振り向ける。

 

継続的ラーニング

 「人事を尽くして天命を待つ」の話は後藤悦夫先生より伺った。この話題に接する縁を頂いた先生に感謝です。先生とは、英語の質問があると電話でいろいろと教えて頂き、人生やマネジメント等での各種の示唆を頂いている。しかしながら、話し好きの先生で直ぐ1時間くらいは電話を切らせてくれない状態になってしまう。先生の豊富過ぎるくらいにインプットされた頭脳から湧き出る情報に接していると、話が尽きなくなり、電話が切りづらくなる。

 人間の成長とは、人とのコミュニケーションを通してお互い切磋琢磨して磨かれる。人と人の間の関係を持つと書いて「人間」なのだ。人というダイヤモンドを磨くのはダイヤモンドでないと磨けない。お互い継続的なラーニングをする姿勢がないと、話していても得るべきものがない。得るためや与えるためは、継続的なインプットが必用である。インプットがあって初めてアウトプットができる。継続的ラーニングがないのは、人とであっても人間ではないと考えている。志の有無が「人間、死ぬまで学び」との姿勢を決める。(初稿 2003年7月19日)

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2018-03-13

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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