c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2022年8月21日 (日)

ソニーα7RⅣ+CANONレンズで馬場恵峰書を撮る

 

 2006年から16年間、馬場恵峰先生の書画の写真を撮ってきた。しかしその書画を撮影して製本しても、儲からない。むしろ費用ばかりかかり大赤字である。アホではないかといつも思う。これは、小ばかではできない。大バカでないとやれないことだ。恵峰先生も「私は売れもしない書を大量に書いているので、私は大ばかである」と自分で自慢しておられる。揮毫も撮影も儲けるためにやっているのではない。恵峰先生は後進のための教育教材として書を遺している。私はその歴史を記録に残すために撮影している。

 撮っているのは書画ではない。自分の技量と成長度合いを撮っているのだ。できた撮影作品は、馬場恵峰先生の歴史であり、私の歴史でもある。作品を撮れば、その撮影の方法や機材の欠点が見えてくる。ニーズがあるから、よりよいカメラを担いで九州に飛んでいた。

 その撮影に約14年間を費やしたが、まともな写真が撮れるようになるのには、10年の歳月が必要であった。最初からベストの写真が取れたわけではない。試行錯誤を繰り返して、やり続けて良かったと思う。

 

カメラの変遷

 そのカメラも2006年から2020年の間で下記の遍歴をした。カメラも今やパソコン並みで、そのモデルチェンジは頻繁である。その分、性能の向上が凄まじいので、新製品が出るとつい買い替えてしまう。最近はカメラのキタムラで下取り制度を使うので、助かっている。

 先生の書の撮影に拘らなければ、これだけカメラを買い替えはしなかっただろう。それもご縁である。お蔭でよき経験が出来た。

 

パナソニック Z30         1410万画素  コンパクトデジカメ

キアノン EOS 20D     820万画素 APSサイズ

キアノン EOS 7DmarkⅡ 2020万画素 APSサイズ              

キアノン EOS 5DmarkⅣ 3040万画素 フルサイズ

ソニー  α7RⅣ           6100万画素 フルサイズ

 

1  兼俵純子さん画

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撮影条件

 書画の撮影時は、絞り8、感度200、後はシャッタースピードを自動に設定である。絞り過ぎると回析現象を起こして、却ってピント状態が悪くなる。それで絞り8である。

感度もノイズの関係で200がベストである。

 

ライティング

 きちんとライティングをして、照度計を使い、均等に光が当たるようにもした。

 最初は福田氏の卓上電気スタンドを借りて書画を照らして撮影した。しかし蛍光灯の色が出るし、光のムラもでるので、専用のパラボラライトに変更した。

 その組み立てがめんどうであったが、田添さんに担当して頂いた。

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 軸は立てて撮影

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 毎回、パラボラライトの組み立てをして頂いている。
 

照度計

 長物を撮影すると、隅と中央で明るさに差があり、印刷するとそれが顕著になり、照度計で撮影面が一定の明るさになるようにライティングを調整する。それで光むらの解決した。

 

P1090475s

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台形歪み防止

 書画の撮影では、レンズを真下に向けて撮影するが、その水平出しが難しい。高いカメラでは、水準器が内蔵されているが、書画の撮影時、レンズを真下に向けて撮影するので、その水準器機能が使えない。それでカメラ背面の液晶面に水準器を置き、カメラが水平になるようにして、この問題を解決した。

 ストロボ装着部に付ける水準器も試したが、その装着部にガタがあり、上記の方法に変更した。

 

Dsc08848s  水準だし

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シャッタースピード

 絞りは8、感度は200で、シャッタースピードは自動設定とした。そのため、重~い三脚に変更して対応した。九州まで、毎回持って行くわけにいかず、先生宅に常設である。

 

ピント合わせ

 ソニーα7にキアノンのシフトレンズを装着した。しかしその組み合わせでは、自動焦点合わせは機能しない。だから手動でピント合わせである。そのため拡大ルーペを使う。

 撮影時はシャッターボタンを押した際、ぶれないように遠隔スイッチで操作である。

 

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 これはキアノン一眼レフ EOS 5Dとズームレンズの組み合わせの時代

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レンズ

 キアノンのシフトレンズ(TS-Eレンズ)とは、遠近感とピントの合う範囲を制御できて、アオリ機構を搭載したマニュアルフォーカスレンズである。目的に合わせてティルト(レンズを斜めに傾けピントの合う範囲を調整)とシフト(レンズを水平・垂直方向にずらして歪みを矯正)を使い分けることができる。Lレンズなので高画質がある。固定焦点で焦点50mmである。

 そのレンズをソニーα7に、特殊マウントをかませて装着するので、自動ピント合わせ機能は使えない。ソニーには、この種のレンズはラインアップされていないので、苦肉の策である。

 ソニーのカメラ側はミラーレス、キヤノンレンズは一眼レフ用の仕様なので、特殊マウントをかませれば、装着可能である。

 

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   ソニーα7にキヤノンTS-Eレンズを装着

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撮影の応援隊

 書画の撮影は、一人ではできない。馬場恵峰先生のお弟子たちの大村熟女隊にお世話になった。特に100m巻物では、撮影が5人がかりである。普通の撮影でも3人で大騒ぎである。

 撮影時は、段取りが終わり私がシャッターを切る際には、「皆さん、いきます。息を止めて!」である(笑)。今思うと懐かしくも楽しくもあった。大村熟女隊の皆さんも、普通では鑑賞出来ない先生の秘蔵の書画がまじかに見えるので、喜んでおられた。

 

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 100m巻物の撮影時は、5人かかりである。

  撮影が不出来で、結局この作業を3回も繰り返すことになった。それでやっと出版できる状態になった。

 ローマは1000年の命、ローマは一日にしてならず。

 撮影の労摩は一日にしてならず。

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 思わず見入ってしまう馬場恵峰先生の書

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 書画の位置決め為の段取り中

 撮影後の編集作業のトリミング工程を減らすためである。

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 恵峰先生も時折、筆を休めて撮影現場を「視察」?    2018‎年‎10‎月‎11‎日、‏‎11:43

 しかし今だかって恵峰先生は撮影に関して一度も口を出されたことはなかった。温かく見守るだけだった。時折、その作品を書かれた経緯などを語られた。

 今にして思えば、馬場恵峰先生は、撮影の専門分野には、私を信頼しきっておられて、口出しは絶対にされなかった。よき師の教えに感謝である。

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楽しみ

 撮影時の楽しみは、撮影の合間の休息で、お菓子を食べながら恵峰先生を交えて雑談に花を咲かせること。撮影中は、恵峰先生は、ひたすら仕事で書を書いておられるが、休憩時には、皆と席を同じくして会話に入り、恵峰先生が人生のお話しをされるのが大変有益であった。

 

 お昼は大村熟女隊の皆さんが食材を持ち寄ってこられ、恵峰先生と奥様を交えてわいわい言いながら食べる。それが極楽であったが、つい食べ過ぎてしまうのが問題である。私は食べる量を控えたいのだが、熟女たちが「小田さん、ダイエットは明日からやればよろしがな、今日は食べましょうよ」という悪魔の言葉に、いつも負けてしまう。九州の家庭料理はおいしい。つい箸が進む。

 

P1050589s 昼食後、恵峰先生は黙々と書の揮毫に励む。   ‎2018‎年‎10‎月‎11‎日、‏‎12:36

 大村熟女隊は、食事の後かたずけで台所に行き忙しい。机に上に食事の跡。

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2022-08-21  久志能幾研究所通信 2469  小田泰仙

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2022年8月20日 (土)

ご縁とは波動

 

 人は縁と言う波を発している。その波は高い周波数のときも低いときも、大きな波のときも小さな波のときもある。乱れた周波数のときもあり、その波と相手の波が干渉して不協和音を発することがある。お互いが共鳴して美しいハーモニーを奏でるときもある。

 

ご縁がない

どの波が良いか悪いかではなく、相手と周波数が合うかどうかである。不協和音の発しているのに、何も意地を張ってその音に張り合うのは小人である。その波の差を尊重して、それには「縁がないというご縁」として、そこから遠ざかるのが大人の智慧である。

 物理法則として、人間固有周波数が5000Hzの人と7000Hzの人とは絶対に共振しない。その宇宙根源の理を理解すべきである。それが相性である。考え方が共振できる人と付き合おう。

 その縁があるかないかを耳を洗い、耳を澄ませ、目を拭って見極めたいもの。

 

求めるご縁

神・仏を探しに電波を発していれば、何時かはその電波をキャッチされて、神・仏のご縁のある人に出会うであろう。泥棒を探す波を出せば、それに縁がある事件に遭遇するはずである。すべて己が発する波の如何によって相手から返って来る波が異なる。起こる事件や相手は己の鏡なのである。

 

洗脳殺人波動

 カネに飢えた新興宗教団体は、幸せを求める迷える羊を補足する周波数を発信して、集蛾灯で蛾を集めるが如く信徒候補を捕まえる。新興宗教団体は、迷える羊が好む周波数帯を良く知っている。迷える羊は、苦労せず幸せになりたいのだ。それは行動ですぐわかる。その宗教団体では、その周波数を「洗脳」と呼んでいる。

 統一教会は、票が欲しい議員にも、洗脳周波数機関銃をぶっぱなし、選挙活動に潜入していた。その機関銃の音は人間の耳には聞こえない巧周波である。日本政界の恐ろしい現実である。それが原因で安倍元首相は暗殺された。

 

航跡

 自分の人生で出した波動が、自分の死によって消えていく。しかしその波動は、去っていく船の航跡のように、いつかは消え去る定めである。縁ある人に長く良き思い出となるような痕跡を作りたいと思う。

 

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 馬場恵峰書

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2022-08-20   久志能幾研究所通信 2468  小田泰仙

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2022年8月19日 (金)

いのち、霊止

 

 お墓作りの全ての工程が終ったので、2015年12月1日より、予定通りトイレと玄関のリフォームに取り掛かった。築45年の自宅の耐震補強を兼ねた第6次のリフォームである。

 床と壁をめくると白蟻に喰われた跡が出てきた。2年前のリフォーム時に対策をしてあったが、その痕跡のようである。床や壁を剥がさないと分からないので始末が悪い。知らないうちに家の内部を犯す白蟻は、自分の体の中に潜む病巣に似ている。心して対応したいもの。

 白アリも生きるためには、食べねばならぬ。お互いの領分を守るために、家の白アリ対策は必須である。自分の城は自分で守れ、である。白アリにとって日本家屋は、ご馳走である。白アリだって、人類と200万年も共生してきたのだ。その白アリと共生する知恵を持てばよいだけだ。

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 リフォームで壁と床と天井を剥がした玄関    2015年12月1日

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  白蟻に喰われた床材

 

命を捨てる

 そこにまた不思議なご縁があった。2015年12月2日の朝、大垣八幡宮神社の横の川辺で、70歳前後の女性が首を吊っているのが発見された。その話を今回リフォームの仕事の業者から聞かされた。彼はいつも早朝にジョギングに行く道筋であるが、当日は私の家のリフォームの仕事があるので、その現場に遇うことを避けることができたと、私に感謝をしてくれた。そんな姿を見ればトラウマのように頭に残ってしまうと。下手をすれば彼が第一発見者になっていたかもしれないと。

 私にとっても、その現場はいつもの朝の散歩コースであるし、私もリフォームに取り掛からなければ、その現場に行き、私が第一発見者になっていたかもしれない。つくづくと佛縁を感じた次第である。

 

 その道は子供達に通学路にもなっており、子供達が見たら大変なことになる。自殺した人を責める訳にはいかないが、せめて人様に迷惑をかけずに世を去って欲しいもの。覚悟の自殺なら、山奥で人目につかず一人で死ぬものだ。しかし、人目のある場所で死ぬのは、その直前まで誰かに助けてもらいたい気持ちの未練があったようである。

 死ぬ気になれば何とでもなる。生んで育ててくれた親を思えば、死を踏みとどまれるはず。捨てるならその命をくださいと泣いている難病の人がこの世には数多くいる。1973年入社後の頃、設計ミスでトラブルに困っていた時、指導員の太田博さんから、「人間が作った問題は、人間がなんとか解決できる」と教えて頂いた。その言葉が今でも頭に残っている。

 

佛の力

 首を吊り、意識が遠のく間でも、少しでも生きてくれよと心臓を動かし、肺を動かし、血液を全身に送る作用が、佛の力である。その佛の力を振り切り、死に向かうのは、人の道に反している。最後の最後まで、自分を捨ててはならないと思う。死は神仏の管轄で、人間の管轄ではない。どんな人間でも社会から恩恵を受けて成長した。その恩に報いるためにも、生き続けなければならぬ。

 

 自然界の生命体は、ただひたすらに生きる。自然物は無所属、無条件でひたすら立ち向かう。太陽や雨や風は、たた照り、ただ降り、ただ吹く。風は「何のために」とは考えない。人間も自然界の一つの存在だ。猫も犬も「何のために」とは考えず生きる。生命体は、ただひたすらに生きる。それは人間も同じだ。それが生命に与えられた使命である。それに反してはならない。犬畜生と人間の違いは、人は他人の喜びの為に働くことだ。

 

佛の教え

 佛の最大の教えは、人のものは盗ってはならない、人を殺してはならない、堕落してはならない、である。自殺とは、己を殺す殺人である。

 人は最低一人を幸せにする義務がある。その一人が自分である。

 

霊止

 今回のお墓作り、家系図作り、ご先祖探しの工程と加齢による体の衰えと病気で、命の不思議さ、ご先祖から頂いた命の大事さを再確認した。病気は自分の体の管理の怠慢であるが、生死は自分では管理できない佛縁の営みであると信じている。頂いた命は、限りある限り永らえてご先祖や社会にご恩返しをすべきだと思う。

 

揮毫

 2014年夏、恵峰先生にお願いして下図の「いのち」の書を書いてもらった。前の書には無かった「霊止」が追加されていた。「ひと」を「霊止」と書くとは意味深長である。

 

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2022-08-19  久志能幾研究所通信 2467  小田泰仙

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2022年8月17日 (水)

豊かになるための方法

 

そのために必要な行動

 1 健康優先の生活を送る。

 2 豊かになりたいという熱望を持つ。

 3 縁を神仏の恵みと考え、縁なき縁は追わない。

 4 よき師を選択する。

 5 よりよいものを求め続ける。

 6 利他の精神で、義務と権利のバランスをとる。

 7 余分に払う、「まけろ」と言わない。

 8 神仏を敬う。

 

私は豊かになりたいと願い、鍛錬を続けている。

 

豊かさの方程式

 この世の出来事は、全て人間の為せる技の成果だ。その技は一朝一夕には身に付かない。仕事の技も武芸の技も、豊かになる技も同じである。そのために練習や鍛錬を積んで、初めて手に入る。

 日本の武道には、「生涯無敗伝説の宮本武蔵が『五輪書』で強調した「鍛錬」という言葉がある。 『鍛とは千日(3年間)の稽古、錬とは1万日(30年間以上)の毎日欠かさずの練習』をさす。だから30年の練習でやっと一人前である。それで世間とは一線を画した技が手に入る。並みの技で豊かにはなれない。

 

 グローバル経済教では、いかに自分は楽をして他人のカネを巻き上げるかに、血道を上げる。そんな簡単に手に入ったカネは、簡単に飛んでいく。カネの神様は地道な努力が好きなのだ。

 

 豊かさとは、カネがあることではない。心が豊か、生活の質が豊か、身体が健やかであって、初めて豊かな人生を送れる。豊かさは、求めるレベルを欲望で割れば、その価値が計算できる。どんなにカネや資源の豊富さを誇っても、欲望のレベルが大きければ、限りなくゼロに近い。餓鬼に世界に迷い込む。欲望を小さくさえすれば、豊かな生活が生まれる。

 

 立って半畳、寝て1畳、食べて1合である。どんなにカネを集めても、女を多く所用しても、どんなに家を沢山持っても、いくら車を数多く所有しても、一人の人間がそれに使える時間は限られる。飲みすぎ、食べ過ぎになれば、死が早くなる。どんなに金があっても時間は一日24時間しかない。健康寿命は72歳である。寝たきりになれば、カネがあっても使えない。豊かさの価値を考えよう。日本の富豪のように数兆円を集めても、あとどう使うの?である。

 

 豊かさの価値 = 理想の求める量 ÷ 欲望の量

 

1 健康

 どんなに豊かになっても、健康でなければ、絵にかいた餅である。豊かになるための第一条件には、健康が最優先である。

 自分の体は、神仏からの預かりものである。大事に使わないと、すぐ神仏から取り上げられる。それでは豊かになれない。

 エリートと称される人たちは、精神的には弱く挫折しやすい。心身が健康であって、初めて豊かなのだ。

 

2 熱望

 豊かであるためには、豊かになりたいという強い欲を持つことだ。誰よりも強く願うことだ。人生での勝負で、勝ちたいと思わないと、絶対に勝てない。皆が勝ちたいと思っている思っているから、その中で戦うは、闘争心が必須である。それは豊かさも同じである。

 豊かになりたいなら、豊かになる努力、鍛錬をすることだ。それなくして、豊かにはなれない。ただしどんな努力をしても、人間には器の大きさと人生のタイムリミットがある。それを忘れないようにしよう。

 

3 ご縁

 縁のめぐり合わせは人知を超えている。来た縁は大事にすることだ。また縁がない現実は、神仏が「縁がない」と言っているのだ。「縁がないという縁」を授かったのだ。そんな縁を無為に追うから豊かになれない。縁なき縁は追わずである。

 

4 よき師を3年かけて探す

5 何度も繰り返す

 どんなモノでも、最初から理想のものが手に入るわけではない。家だって3回建てないと満足した家にはならないという。それは万物に共通する。そのためには、最終的にどんな姿にするか長期ビジョンを持つことだ。最後の姿を目指して、鍛錬することだ。

 

6 分相応

 自分は全体の中の自らの「分」を頂いているだけだ。全体を考え(利他)、自分の義務を果して、初めて獲物が手に入る。そうでないと、分不相応として回りから嫉妬される。それでは豊かになれない。

 

7 投資

 豊かであれば、金品サービスを提供してくれる仲間に、感謝を込めて余分に払うのが、ご正道である。回り回って、きっと倍返しで返ってくる。それが豊かさである。

 だから金品サービスを提供してくれる仲間に、「まけろ」などと言ってはならない。値引き交渉などしなくても、豊かになれば相手が勝手に安くしてくれる。

 そのための最大の投資先は、自分である。自分に投資をすることだ。勉強することだ。

 

8 神仏

 そのご縁は全て神仏の賜物だ。神仏にお願い事はダメである。神仏は、感謝をして敬おう。縁は理を超えたところにある。捨てる神あれば拾う神あり。仏様はもっと人情がある。天はお茶目ないたずらをする。それに従おう。

 

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馬場恵峰書

2022-08-17   久志能幾研究所通信 2465  小田泰仙

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為写経

 

 2015年、お墓の改建を機に、父の末弟の小田五郎に「護國院」という立派な院号を長松院住職様から付けていただいた。小田五郎は昭和19年にビルマで戦死された英霊である。また元の戒名が戰勲至誠居士であるので、吉田松陰が好んで使った「至誠」であるのも因縁である。

 住職様も英霊に院号を付けるというのは、住職としても人生で滅多にないことであり、大変名誉なことなので、その代金は不要と言われた。ありがたいことであった。

 その一連の過程で、小田家先祖代々諸精霊の位牌を作るとよいと長松院住職様からのアドバイスを受けて作成した。

 

 その位牌を納めに来た横田仏壇屋の奥様から、それなら為書きの写経をお墓に納めると良いという助言があり、早々に写経を始めた。書いているうちにそれならお墓に入っているご先祖様全員の為写経をしようという気になり、全33名分の写経をする大変なことになった。それでも8月15日から始めて、10月3日で33名のご先祖様の為写経を終ることができた。まだ時間があるので、更に写経を進めた。

 これも以前に、知己塾で恵峰先生より「般若心経の写経をすると書道の勉強にもなる」と言われて、その教材を入手していたご縁があって、直ぐに取り掛かれることが出来た。ありがたい恵峰先生からのご縁である。

 

 般若心経の一字一字を慎重に書いていると、その意味するところが伝わってくる。書いてこそ、その経の意味が理解できる。それが分かったのも大きな功徳であるようだ。

 

 馬場恵峰先生は、今までに1万5千文字の写経をされたという。先生でも1枚の般若心経を書かれるのに2時間を要するという。それも斎戒沐浴をしてからの写経である。ご縁があり、先生の書の写真集を出版することで、先生の書かれた経の写真を昨年から撮らして頂いている。次頁はその一部である。

 

 2015年10月3日、33名のご先祖様の為写経を終えて、小田五郎さんに新たな院号がついたことを思い出し、その位牌を作ることを思いついた。既に五郎さんの50回忌は終っていて、元の位牌はお炊き上げされているはずだが、諸般の事情で仏壇に位牌も祭られてこなかったようだ。英霊でもあるし、私の家にその関係遺品が残されていて、私が遺品を管理しているご縁もある。住職様と相談をして、位牌を新作することにした。結果として、2015年の半年間で3つの位牌を新作するという不思議なご縁となった。何かに導かれているようだ。

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  馬場恵峰書

2022-08-016   久志能幾研究所通信 2464  小田泰仙

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2022年8月13日 (土)

 

 人の命は精々100年である。それに対して仏像の命は1000年である。佛師は、佛像を彫る刃に自分の命を賭ける。

 自分の「作品」の命を想定して、自分は仕事をしているのか、自問したい。人は皆職人で、芸術家である。会社の一般職が扱うプロジェクトの命は、精々10年である。私はそれより長い命の「作品」を創ることに命を賭けたい。

 今計画中の音楽サロンは完成後、100年は使ってもらいたい。

 馬場恵峰先生の書も写真に撮って出版して、国会図書館に納めたから100年、200年は命があるはずだ。

 後藤大地さんが彫った龍は、今後1000年は人の目に触れるだろう。その龍は、ある都市の山車に付けられる。お祭りごとに人の目を奪う。うらやましい限りだ。

Dsc021241s     後藤大地さんが彫った龍

 人は100年の命を賭けて、何を作り、何を遺して逝くのか。それが人の生き方として問われている。私はその時期が迫り、それを意識せざるを得ない。

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     成長モデル

 

仕事、使命

 仕事とは、命を使うことだ。仕事に時間(命)を捧げるとは、自分の命を捧げる事だ。仕事とは「事」に仕えることだ。食い扶持を得るために仕事をしているのではない。それは作業である。人間として生きるなら、「業」を「作る」のではなく、仕事で「事」に「仕える」べきだ。犬畜生は生きるために、獲物を得る作業をしている。人間はそうであってはならない。

 日常の政治経済、生産、商業、農業の営みは、全て布施である。すべて世の中に貢献している仕事である。橋を作るのも、船を作るのも、すべて布施である。

 

 然あれば即ち一句一偈の法をも布施すべし、 此生佗生の善種となる一銭一草の財をも布施すべし、此世佗世の善根を兆す、法も財なるべし、財も法なるべし、但彼が報謝を貪らず自らが力を頒つなり、 舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、治生産業固より布施に非ざること無し。(第21節) 

  道元禅師 修証義 第4章

 

 自分の命は、40億年続いたご先祖からのDNAの継承である。人とは「霊止」と書く。ご先祖の霊が、今の自分に宿っている。だから単に生き永らえるために、糧を求めるだけで作業をしてはならぬ。

 

地獄の業火

 グローバル経済主義で、金儲けだけが目的の「作業」だけで一生を終えては、人として情けない。米国のグローバル経済の邪鬼や、中国共産党のように、なるべく楽をして、他人からカネを集めるだけのことは、仕事ではないだろう。その「事」で、一人だけが幸せになり、99人が不幸せになるのは、「業」を作っているのだ。それは地獄の業火で焼かるだろう。

 日本の企業人がグローバル経済主義に染まり、金儲けだけ動いているから、日本の景気が良くならない。自業自得である。自分有限会社の経営は、そうならないように精進すべきである。

 

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 馬場恵峰書

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2022-08-012   久志能幾研究所通信 2460  小田泰仙

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2022年8月12日 (金)

身体の保全と危機管理、遺体の腐敗防止?

 日本は「農薬大国」で、年間約60万トンもの農薬が生産されている。農薬は主に殺菌剤、除草剤、殺虫剤として使われており、これらの中には、発がんリスクの高い猛毒を含んでいる。我々は普段の食事で、体によいと思って食べている野菜や果物と共に、そのような毒物も摂取している可能性がある。実際、日本人の体内脂肪から有機塩素材(農薬)の残留量が世界平均の3倍も検出されたというデータもある。

 最近の日本人は死んでも、昔ほどすぐ腐敗しないと言われる。つまり防腐剤が体にしみ込んでいるのだ。

 日本の年間約60万トンの農薬を一人当たり年間に換算すると、6kgの農薬を「浴びて」いる計算になる。輸入される外国の農産物に使われる農薬や防腐剤を含めると、恐ろしい量の「毒」を浴びていることになる。

 

日本はダントツの農薬使用量

 農薬の致死量は2グラムである。日本では、その3000倍の農薬が一人当たりに使われている。米国の使用量の4倍の量である。安全にうるさいスウェーデンの使用量の20倍である。下のグラフを見れば、中国の農作物が危険などと批判できない。

 

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▲ 出典:FAO「FAOSTAT」農地1haあたり国別農薬使用量(2018年)より弊社作成。

農薬https://musubi-ichiba.jp/blogs/syoku/noyaku-genjyo

 ブログ「産直 むすび」より引用

 

がんの大量生産

 1975年の医師数が約13万人、がん死者数は約13万人だった。その後の40年間で、医師数は約3万人増加し、がんに関する研究や治療は格段に進歩したのに、2014年のがん死者数は36万人を越えた。2021年には38万人になった。

 1970年代の日本の総医療費は10兆円であった。2021年には医療費総額は43兆円を超えた。しかしがん患者は減るどころか4倍に増えている。

 がん死は年々増加の一途である。政府はそれの事実を隠すために、年間1万人程の死者の新型コロナ禍を大々的に公報して恐怖を国民に植え付けている。その死亡者も疾患持ちの高齢者が大半である。

 新型コロナの恐怖を政府やマスコミが煽るのは、コロナ対策には兆円単位の利権がからんでいるのがその原因である。官僚の心ががんに侵され、堕落したのだ。現実は、がん死の方が、新型コロナ死よりも38倍も恐ろしいのだ。

 

農薬過多の原因

 日本人が自然に反して潔癖すぎる食品を求めすぎた結果、農薬を多く使わないと、農製品を商品として扱わないのが原因だ。多少は曲がったキュウリや虫食いの野菜を許容すれば、農家もここまで農薬を使わない。農薬を大量に使わないと扱う商社側が、農製品を買い取ってくれないからだ。売る方も消費者の求めるものを売っている。自業自得なのだ。

 農薬に殺される害虫は、人類と200万年も共生をしてきた。それを急に見てくれが悪いから殺す、では自然界の理に反している。害虫とは人間様からの一方的な位置づけ(差別)で、自然界ではそれで全体が回っているのだ。だからがん等の病気の増加は、日本人に「自然に帰れ」と警告しているのだ。

 

がん原因食品の増加

 1950年から2010年までの60年間でみて、平均的に肉の摂取量9.8倍、卵6.3倍、牛乳・乳製品が18.2倍と著増し、米が半分、芋類は10分の1と激減した。つまり、肉・卵・牛乳・バター・マヨネーズなどに代表される「高脂肪」の欧米食こそが現代日本人のがんの大きな原因の一つであると推定される。その証拠として、以前多かった胃がんや子宮頸がんなどの日本型のがんは減少して、肺、大腸、乳、卵巣、子宮体、前立腺、すい臓、食道がんなどの欧米型のがんが著増している。食生活を悪い方に変えたから、病気が増えたのだ。だからがん等の病気の増加は、日本人に「食生活を見直せ」と警告しているのだ。

 

宇宙音源の理に反した食肉生産

 畜産品は、利益最優先で牛、豚、鶏の成長を早めるため、成長ホルモンが投入されている。畜舎の中に過密状態で育てるため、伝染病にかからないように、多量の抗生物質が飼料に投入され無理に飼育されている。そうやって育った肉や乳製品を多く食べれば、病気にもなるのは「理」に合っている。「理」に適わない食品が体に毒になる。それは「宇宙根源の理」に反した食物である。

 「ハムや加工肉を日に50g以上食べ続けると大腸がんになる確率が18%増加する」とWHOから報告があったばかりである。ハムや加工肉は、防腐剤や添加物が多く入っている。そんな肉を長年食べれば、病気になるのが必然である。

 だからがん等の病気の増加は、日本人に「食生活を見直せ」と警告しているのだ。

 

食は生命

 2000年も前から漢方医学では「食は生命」としている。贅沢な欧米型の現代食生活を謳歌すると、20年後に病気と言う悪魔のサイクルのご縁を頂く。因果応報である。がんという病気を対処療法で治しても、その根本原因である食生活を直さないと病気は治らない。気づいた時には遅いが、それでも一日でも早く食生活を正すのが、ご先祖へのご恩返しである。

  

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

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2022-08-11   久志能幾研究所通信 2459  小田泰仙

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2022年8月10日 (水)

「働きかた改革」よりも「死にかた改革」

 

「私は死ぬために(行動し)、諸君は生きながらえるために(正論を唱える人間に死刑さえも宣告する)。もっとも両者のうちのいずれが、いっそう良き運命に出会えるか、それは神より外に誰も知る者がない。」

(久保勉訳『ソクラテスの弁明』岩波文庫

 死刑を宣告されたソクラテスはそう言って、毒杯を仰いで死んだ。

 朱記は著者。

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  Wikipedia 「ソクラテスの死」より

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「働きかた改革」

 政府は「働きかた改革」を推進している。しかしそれは血迷った政策だ。厚生労働省の役人は、「働きかた改革」の目的を、■働き手を増やすこと、■出生率の上昇、■労働生産性の向上と捉えている。

 下記は政府の働きかた改革のパンフレット

000474499.pdfをダウンロード

 つまり経済的な末梢的目的のための「働きかた改革」であって、人間の幸せを考えた本当の「働きかた改革」ではない。政府はその結果が思わしくないので、移民政策で逃げ道を探っている。

 日本人の幸せを政府は、増税、移民、がん増加原因の放置、医療費激増の放置、コロナ対策のデタラメで台無しにしている。すべて官僚の利権を確保するための働きかた改革である。

 

政府高官のああ勘違い

 政府官僚は、「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」、「働く人のニーズの多様化」の課題には、投資や改革による生産性向上と就業機会の拡大や働く環境の改革が必要だと考えて、多様な働き方を選択可能にして、成長と分配の好循環を構築し、働く人が将来の展望を持てるようにする、と綺麗ごとを述べている。

 

 この政策が実情にあわないから、また政策が間違っているから、全く成果が上がらない。しかし政府は間違いを認めず(高級官僚は自分の出世に響くから絶対に間違いを認めない)、だから政府はやけくそで、移民政策に逃げ道を求めている。

 その結果は、この30年間が雇用の減少と賃金の下落である。この30年間の日本の経済成長率はゼロである。誰が見ても政府の政策が間違っている。

 

洗脳

 「人は何のために働くのか」が曖昧のままだから、厚生労働省の「働きかた改革」のキャチコピーに騙されるのだ。「改革」とさえ言えば、国民を洗脳できると高級官僚は安易に考えている。

 人は何のために働くか。なんの為なら命を捧げてその仕事に一生を捧げることが出来るか、を明確にすべきである。日々、糧を得るためにだけ働くなら、犬畜生と変わらない。霊長類の頂点に立つ人間なら、その日暮らしでは情けない。

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 労働とは

 仏教では、ただひたすら働くことが説かれる。佛になるための修行である。 働くとは、利他行である。自分自身の我欲からの解脱である。

 欧米の考えでは、労働は神から与えられた苦業で、カネが出来れば早期引退が理想である。後の余生は遊んで暮らしたい、である。日本人は欧米とは価値観が違うのだ。特に米国はグローバル経済主義が蔓延してから、いかに楽をして他人からカネを巻きあげるかに血道を上げている。

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何のために

 もっとまじめに、何のために死ぬかを考えよう。そうすれば働きかたが変わる。人が生きるとは、何のために死ぬかが目的で、働きかたは、単なる一手段なのだ。その目的が明確なら、生涯現役で働ける。何のために死ぬかの意識がないから、定年退職後には、粗大ゴミ、ぬれ落ち葉、終わった人、徘徊老人、認知症になるのだ。

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 馬場恵峰書、文責は小田泰仙

 

2022-08-010   久志能幾研究所通信 2458  小田泰仙

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2022年8月 7日 (日)

日本は「乳がん生産工場」、癌を大増産、製薬会社はぼろ儲け

 

 日本は世界でも有数の「乳がん生産工場」だ。今の日本は悪魔のサイクルに陥っている。まるで日本人が黒ネズミ集団となり、おぼれ死ぬため海へ向かって集団暴走しているようだ。政府もマスコミも企業も狂っている。誰もその狂気を止めない。

 

 乳がん薬の投与対象が増えて、第一三共の時価総額が7兆円を超えたとのニュースがあった。私はこのニュースに違和感を覚えた。

第一三共、「時価総額7兆円」支える乳がん薬の底力 | 医薬品・バイオ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net) https://toyokeizai.net/articles/-/606059A

 

 この状況は、乳がんの増加で投薬対象が増えて、例年より沢山食べられると多く実った柿の木の下で、猿が舌なめずりしている様である。その陰で母親が乳がんで死んで、子供が悲しむことには、猿は全く気にしていない。

 病気を治すより、病気にならない対策が最優先なのだ。それが今の日本では無視されている。

 

がんの激増

 乳がんはこの40年間で4倍に増えた。それは乳がんだけでなく、他の癌も同じである。同時に日本の医療費総額がこの40年間で10兆円から43兆円に4倍も増えた。この間、日本の全人口は1億人から1億2千万人に2割増えただけだ。しかしその間で医療費が4倍に増えたのだから、がんが4分の1になるか減るなら納得できるのに、それが逆に4倍に激増したのである。

 

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  働き盛りの女性に乳がんが激増(日経ビジネス 2016年2月8日号)

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対処療法全盛

 マスコミや政府は抗がん剤、新薬開発、最先端医療現場、病床の増加の報道に余念がない。しかし、がんの真因とその対策は全く報道しない。がんは生活習慣病である。生活習慣を直さないと絶対に治らない。夢の抗がん剤を使ってがんを治しても、生活習慣を正さないと再発する。がんの真の原因を除去しないから、がんが再発して当然である。しかし製薬会社やがんの原因となる添加物満載の食品の宣伝規制には、全く手を付けない。ガンの原因のストレス減少には、グローバル経済下での競争が激化しているので、手つかずである。

 

乳がん生産工場でがんを大増産

 つまり食品メーカは、がんになる危険性のある食品の宣伝を氾濫させ、金儲けに忙しい。官僚は利権に溺れて添加物の認可で忙しい。日本で認可された添加物数は欧米の10倍以上である。企業は金儲け、成果主義で社員を精神的にも生活習慣でも追い詰めている。それでガンが激増している。

 それで日本人がガンになれば、「がん生産工場」の標準コースとして、最先端医療の駆使、抗がん剤の投与で金儲けである。真の原因を除去しないので、がんは再発する。だから関係機関は、また金儲けができる。

 がんの原因である生活習慣を正すと、この乳がん生産工場の生産システムが機能しないので(儲からないので)、マスコミはそれには積極的に言及しない。冒頭のニュースのように、抗がん剤で金儲けの話ばかりである。これでは、がんは減らず、増えて当然である。日本人全員が死に向かって暴走している。悪魔のサイクルである。

 

なんでも元を断たなきゃダメなのよ。

病気を治す努力よりも、病気にならない努力をすべきだ。

事故の後始末を頑張るより、事故を起こさない取り組みが大事だ。

 

 

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

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2022-08-06   久志能幾研究所通信 2454  小田泰仙

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2022年8月 5日 (金)

福力と芸力を呼ぶ龍に出会う

 

 山路先生から連絡を受け、木彫の龍の撮影に行ってきた。山路先生の仲間の彫刻師後藤大地さんが全長3mの龍を彫り上げたので、撮影をして欲しいとの依頼である。ソニーα7m4と三脚を担いで後藤さんの工房に撮影に出かけた。

 

 その素晴らしい姿に見とれた。後藤さんの話では、この龍を彫り上げるのに3ヶ月を要したという。これから、対の龍を彫る段取りで、8月中に仕上げるとのこと。その時は、正式に再度、撮影をする予定である。今回は彼の工房内の撮影で、少々勝手が悪かった。高性能シフトレンズと三脚の出番はなかった。

 

架空の存在を現実化

 龍は架空の動物である。それを実在の動物のように彫るのは高度な技術だ。明治時代の名彫刻家も、実在の動物の彫刻は素晴らしかった。しかし架空の動物の作品は見れたものではないと松本明慶さんが言っておられた。それは仏様の彫刻でも同じだ。その先生の作品で、仏様の腕や足の配置で、実際に立ったらバランスがおかしい作品が多かった。しかし名声があるとそれを無視されて高値で仏像が取引される。だからこそ、自分の目で見て、納得できる作品を見極めるべきだという。

 

弁財天

 私は、今計画中の猫ホールのロビーに弁財天様を芸の神様として飾り、その上に後藤さんの龍を置くのも夢である。弁財天と龍は合うのだ。弁財天は五穀豊穣や雨ごいを司る神様だ。その弁財天の頭には農耕神・宇賀神(髭を生やした翁で、体は白蛇体)が乗っている。その翁は龍の化身である。

 弁財天の起源は古代インドの聖河サラスパティーを神格化した女神である。水の神、豊穣を司る神として信仰を集めた。後年には、弁舌・音楽・福徳・福財の神としても信仰された。箕面公園の龍安寺には、弁財天の銅像があり、近くの宝塚のタカラジェンヌ達が芸の向上の祈願で、よくお参りに来る。その箕面公園内の研修所で馬場恵峰先生の講義を聞いた日が懐かしい。そのご縁で、弁財天が芸の神様であることを知った。

 

心技体と経営力

 まだ実現していない夢を見る事は、その完成した姿をどれだけ想像して創り上げられるかで、その実現度が変わってくる。夢の実現のためには、夢を見るだけでなく、現実的に肉付けをする技量が必要とされるのだ。それが経験であり知見で、総合的な見識力である。無から有を生じさせるには、心技体の総合力が必要だ。そのための修行が必要だ。それが芸事の基本である。

 経営も芸術である。自分の人生経営で、芸力を発揮して、これからの人生を作り上げていきたい。既製品の人生ではつまらない。

 

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 彫刻師後藤大地さん 後藤さんの工房にて

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 対になる龍の素材、壁にその概略図

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 後藤大地さんが「龍の造形大賞2021」で入賞した作品

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 日本最初の弁財天像 タカラジェンヌのお参りが絶えない

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 龍安寺 箕面公園   2010‎年‎11‎月‎27‎日撮影

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 松本明慶大仏師作 弁財天 『大仏師 松本明慶 作品集』(小学館)より

 松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可は得ています。 

 

2022-08-05   久志能幾研究所通信 2453  小田泰仙

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