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2018年1月25日 (木)

宗次徳二氏の講演

 2016年12月2日、名古屋マリオットアソシアホテルで、日経新聞主催の宗次徳二氏(カレーハウスCoCo壱番屋創業者)の経営講演会があり、聴講して感銘を受けた。その講演の記録を記載します。

 

社長業は簡単

 芸術業に比べて社長業は成功の確率が高い。いくら情熱をこめて絵をかいて、それが売れるかは不確定である。それに芸術家には才能が必要だ。それに対して社長業は、誰でも必死になって働けば必ず成功する。簡単です。

 

IAB経営

 IAB経営を実践してきた。IABとは行き当たりばったりの経営である(爆笑)。何が起こるか分からないのが経営である。臨機応変で対応するしかない。

  氏は当初、不動産業で始めたが、全く商売にならず、奥さんが喫茶店で始めたカレー販売が好調で、本業になった。それが世界一のカレーチェーンとなった。それは、ハロルド・ジェニーンがその著書で言っているように「究極的な成功を目指して事業をするコツは、かまどで何かを料理する時のようにやることだと言いたい【ハロルド・ジェニーン著『プロフェショナル マネージャー』p30】」。料理の材料・状況は千差万別、時期、環境で全て変わる。それを料理するは、行き当たりばったりだが、よく料理の仕上がり状態を見て臨機応変に対応して料理を進める。それこそ経営のコツと同じである。氏はIAB経営と謙遜するが、顧客の声を最大の情報源として、経営という料理を進めた。

 

仕事オンリー

 経営者として、自分の会社は自分で守る。そのために朝4時から夜の23時まで、毎日休みなしで働く。朝から夜まで仕事オンリー。毎日、朝3時55分には目が覚める。辛くても起きる。毎日、店の周りを2時間かけて掃除をする。そのくらいの辛さを克服しないで、いい経営が出来るわけがない。大雨が降っても、前日が遅くても毎日、朝4時に起きてやるんです。

 経営コンサルタントに金を払ったためしがない。簿記で数時間研修会に出ただけ。スナック、飲み屋に行った試しがない。ひたすら仕事です。確定申告でも、飲み屋の領収書は一枚もない。国税庁が来ても一円の修整もない。

 毎日必死に働き、お客様に感謝です。お店にお客様の影が見えたら、来たお客様に対して拍手(心の中で)をするのです。

 

2割

 今、社会奉仕として街に木を植えているが、植えてもその2割は枯れていく。 自分には能力がないと自覚しているから、時間と汗をかけて必死に取り組んだ。部下を教える能力もない。経営の能力もない。自分の後ろ姿をみて2割がついてこればよいと思ってやってきた。現実にその内、2割が付いて来てくれた。6割が付くてくる振りをしていただけである。

 

経営に身を捧げる

 自分のことはどうでもよい。会社には多くの人がぶら下がっている。自分を経営に捧げるのです。

 お金を使うより、お金が社会のために回る方が嬉しい。だから寄付が最高の贅沢です。

 「自分は三流の経営者と意識してやってきた。それは、あくまで自称で、人から三流と言われたら怒りますよ」(場内爆笑)

 

華麗(カレー)なご縁

 2018年1月12日のドレスデントリオ ニューイヤーコンサートを宗次ホールで写真撮影した縁で、その宗次徳二氏と名刺交換をするご縁を頂いた。その名刺はcoco壱番屋カラーと同じで、黄色でした。カレーハウスCoCo壱番屋のカレーと同じくトッピングの名刺で、3枚つづりとなっていて、CoCo壱番屋、宗次ホール、氏の講演CD,DVD,書籍、カレンダー、コラム、動画の広告で構成された名刺である。さすが現場で苦労をして知恵を掴んだ経営者の名刺である。名刺が広告塔になっていた。

 宗次氏とお会いできたのは、上記講演会から約1年後でした。会いたいと念じていると、神様仏様のご支援で逢わせててくれる。感謝。

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2018-01-25

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年1月21日 (日)

人生の春夏秋冬

 会社を定年退職して7年が過ぎた。過去を振り返り、人生の春夏秋冬を感じるこの頃である。

  春は学びの季節。今の心境から比較すると、学生時代は未来に何の不安もなく青春を謳歌したようだ。当時は何とも思わなかったが、両親や恩師の保護・恩恵を最大限に受けて一番幸せの季節であったのだ。それは冬の時代にならないと気がつかない。気が付いた時、両親や恩師は、この世にいない。

 

 夏は仕事の季節である。当時は高度成長の時代で、今のデフレとは隔絶した時代であった。仕事はきつかったが、遣り甲斐のある仕事に恵まれ幸せであったと思う。今の自分があるのは、会社の皆さんに育ててもらったのだ。正に盛夏の熱い季節であった。やればその分、成果が上がったよき季節であった。

 

 秋は収穫の季節。定年後に故郷に帰り、人生の夕暮れを感じながら、今まで蓄積した経験を活かし、第二の人生に向けて再度の学びの時を過ごした。その過程で、自分の老いをつくづくと感じた時代であった。毎日、図書館に通い、若い人と机を並べて受験勉強に励んだのも良き思い出である。単純な記憶力を競う試験では、物理的・生理的に己の体力の限界を悟らされた時でもある。秋は、次の長い冬の期間に向けて、体の保全をする準備の時でもあった。あちこちに体の不調を感じた時期であった。それの手当てが間に合わず、あの世に旅立った仲間の数も多い。よくぞこの危機の季節を生き延びれたと、ご先祖に感謝している。

 

 冬は、未来の種を植える季節である。今、私は人生で一番忙しい時と迎えたと思い精進している。盛夏の季節は、周囲に振り回されて多忙ではあったが、今は自分で物事を統治して、限られた時間を次の世代に残すべき仕事に邁進している。一番遣り甲斐のある季節だと思う。そう思わないと、今まで生きてきた甲斐がない。「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」でないだけ幸せである。そう思うから、今の自分は幸せだと思う。冬の時代は、後世に残す仕事を完成する季節なのだ。自伝、出版、執筆、写真撮影、後世への記録、お墓の整備、家のリフォーム、後世への遺産をどうするかを考えると、おちおちゆっくりもしていられない。24時間365日生涯無休で頑張っている。と口では言っても、若い時ほどには思うように体が言うことがきかないのがまどろっこしい。

 

冥土へ跳ぶ準備

 67歳の冬の季節の到来したとき、ご縁があり松本明慶師作の「飛蝗」に出あった。明慶師の熱い説明がなければ、ご縁のなかった飛蝗である。それも今までのご縁の蓄積の賜物である。飛蝗は、複眼で飛ぶ先を見定めて数メートルを一気に飛ぶ。跳ぶ前には行き先を良く見なければならぬ。「飛ぶ」に、虫偏に「皇帝」と書いて書いてバッタ(飛蝗)である。跳んで着地する世界で、皇帝として君臨したい。

 この飛蝗は飛躍への縁起物である。この飛蝗にあやかって、これからの冬の季節を考え、冥土への飛躍を祈願して即決で入手した。冬に植えた種は、春に花咲く。今は、両親や恩師が植えた種が花咲いている。己が植える種は、春に種が花開く。その時に、己がこの世にいるかいないかは、別の問題である。全ての生き物は、そんなことを考えず、未来に種を植える。

 

冬の時代

 冬は葉を落とし、身を削り裸になって厳しい冬に向けて準備をする季節だ。今までは集めることに余念がなかったが、冬の時代はそれを放出する季節である。それを強欲に集め続けるから、人生の終末に醜態を見せることになる。葉が茂るほど、繁栄するほど、人は命の本質から離れていく。人は裸で生まれて裸で死んでいく。何時かは必ず死ぬことが分かっている体を抱えて、生きてきた。それで何を残して死ぬのか。冬の季節は自分の仕上げの季節なのだ。

 

人生のお手本

 今までは宮仕えの視点やモノの価値観の目でしか物事を観ていなかったようだ。今は飛蝗の複眼のように複数の価値観の目で見る事で、今まで見えなかった世界が見えてきた。67歳は鼻垂れ小僧の季節だ。私は現在92歳の馬場恵峰師が、現役として矍鑠としている姿を真じかに見て、それを人生のお手本として精進していきたい。そういうお手本の師があると、生きていくうえで精神的に楽である。

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 松本明慶師作 「飛蝗」 楠の一本彫り 全長15 cm 飛蝗は4cm

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2018-01-21

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2017年12月26日 (火)

伊勢神宮に「前詣」

 2017年12月26日、伊勢神宮への初詣ではなく、初詣前の年末に恒例の「前詣」としてお参りをしてきた。初詣では、人出が多く過ぎて落ち着いて参拝ができないので、いつも年末にお参りしている。神様は365日、24時間営業です。何も神様がてんてこ舞いの忙しい三が日に出向くより、農閑期ではないが、「神閑期」に出向いてお参りをすることを私は旨としている。神様の身になって考えよう。今日は、天気も穏やかでよき参拝日和である。人出もそこそこで、落ち着いてお参りが出来た。例年、いつも見かけるチャイナ人の騒々しい集団もおらず、穏やかな参拝風景であった。

 

御垣内特別参拝

 御垣内に入る前に特別参拝として神主からお祓いを受けて、神主に先導されて、玉石を踏みしめながら、神殿に向かった。神殿前では、特別参拝として一人で御垣内の神殿に向かって、今年の達成できた出版事業へのお礼と来年度の決意を申告してきた。神様の前ではお願いを祈ってはいけません。お礼だけです。

 

有難い

 今日、無事お参りできたことが、幸せで有難い事象である。お参りしたくても、そのお参りができなき人も身近にいる。その当たり前が、如何に有難いかが自分では分からないのだ。友人が手術を受けて、今年は伊勢神宮にお参りできない現実を比較として目の前に突きつけられて、また己の腰痛で歩くのに決して楽しくはない現実に直面して、お参りできることが有難いと分かるのだ。人は失ってみないとその有難さが見えない。「無事」の有難さに感謝。今日無事でも、明日は分からない人生である。あと30年間もお伊勢参りができるわけでもあるまい。せめて今日一日を大事に生きたいと思う。

 

特別参宮章

 例年は特別参拝の人が多く、2,3人の組で並んで参拝であるが、今日は珍しく前後に並んだ人がいなくて、一人で参拝ができて嬉しかった。伊勢神宮の式年遷宮での造営資金へ寄進をすると「特別参宮章」が贈られる。これがあると御簾が垂れ下がった御垣内の神殿前で、神主に案内をされて参拝ができる。服装は背広・ネクタイのフォーマルな服装が必要である。

1p1040153  五十鈴川駅

2p1040157  伊勢神宮内宮宇治橋 2017年12月26日10:58

3p1040159  五十鈴川

4p1040160  正宮の手前の参道

5p1040161  正宮 これより先は撮影禁止

6p1040162  伊勢神宮内宮宇治橋

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 馬場恵峰書「今日無事」

 

2017-12-26

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2017年12月15日 (金)

安藤忠雄の挑戦

 2017年12月14日、国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展―挑戦―」(12月18日迄)に余裕を持って、東京六本木に出向いたが、「安藤忠雄展」だからと安心して(そんなに観客は多くないだろうと)行ったのが間違いであった。

 確かに入場券売り場は空いていたが、会場内の観客が、作品の前から動かないのだ。その動く速度の遅さは運慶展と勝るとも劣らず、である。25メータほどの長さのコーナでは、40作品ほどが一直線に展示され、作品ごとに模型、写真、説明、ビデオのセットで展示され、そこから人が動かないのだ。すり足でしか進まない。特に若い人や女性も作品にくぎ付けである。結局、1時間半ほどを費やしてしまった。久しぶりに見ごたえのある展示会であった。

 

「光の教会」

 中でも圧巻は、会場内に代表作「光の教会」の原寸大モデルが建てられてあったことだ「建築は模型や写真を見るだけでは足りない。実際に体験してもらわなければ、建築家がそこに込めた気持ちは伝わりません。200坪のテラスを展示に使っていいというので、じゃあ1分の1スケールでつくってしまおうと考えた。材料はもちろん本物と同じコンクリートを用いています。展示品ではあるけれど、東京都に確認したらこれは美術館の『増築』扱いになるという。慌てて許可申請をして、何とか間に合わせましたよ」(週刊文春 2017年10月19日号)

 写真や模型では体験できない、生の作品である。教会というキリスト教の関係であるが、宗教を超越して、建築作品の祈りの場の創造として感動した。全ての飾りを削ぎ落し、まるで水墨画を見るような風景である。祈りには、宗教の差などは関係ない。宗教は、その根源はみな同じである。国や民族で、それに合わせて変化して生まれ育っただけで、宗教の基本概念を縦に切ったり横に切ったりして、その見た目が、丸であったり、四角であったりするに過ぎない。

 この「光の教会」だけは、撮影が可能です。

 

光へのこだわり

 安藤氏は光にこだわりがあり、「人生に「光」を求めるのなら、まず目の前の苦しい現実という「影」をしっかりと見据え、それを乗り越えるべく、勇気を持って進んでいくことだ。」、「人間にとって本当に幸せは、光の下にいることではないと思う。その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。」との考えが、この教会の設計に現れているようだ。

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闘いの勲章

 氏は、建築という分野で、如何に建築の目的を、持てる才能と環境を全て生かして、自然に溶け込む作品作りの邁進してきた。今は、2009年に胆嚢・胆管・十二指腸、2014年に膵臓と脾臓にがんが見つかり全摘した身である。それでも元気に建築を通して希望と夢と勇気を持って生きることの大切さを伝えたいと、今でも毎日、創造に邁進している。まさに超人である。建築作品は安藤さんの命なのだ。だから作品としの「建築の命を育てる」というのも氏の信条である。

 

現地現物

 安藤氏の言葉「私もこれまで、数々の教養人と出会ってきましたが、やはり本当に教養がある人は、「現場に足を運ぶ」ことの重要性を知っているように思います」。「好奇心を失ってしまった人がその気持ちを取り戻すには、とにかく行動してみることです。とにかく現場に行ってみれば、必ずそこで心を動かされる何かと出合えます。そういう体験を何度もしないと好奇心なんて育ちません。」

 私はこの言葉には共感できる。実際に「安藤忠雄展―挑戦―」の会場に来なければ、また運慶展などで、まじかで実物を見ないと、その感動は伝わらない。トヨタの現地現物の考え方そのものである。だから、私はなるべく機会があればどこでも出向くようにしている。

 

安藤忠雄

 日本の建築家。大阪出身。東京大学名誉教授。高校卒業後、独学で建築を学ぶ。「住吉長屋」で日本建築学会賞を受賞。独自な建築表現を確立し様々賞を受賞。世界的な評価を得ている。東京大学工学部で教授、イエール大学、コロンビア大学、ハーバード大学、南カリフォルニア大学などで客員教授を務めた。そのほか、多くの公職を歴任した。

 

2017-12-15

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2017年12月13日 (水)

心温まる弦楽の響き・名古屋パストラーレ合奏団

 2017年12月13日、今日はヴァイオリニスト天野千恵さんからの招待で、宗次ホールでの名古屋パストラーレ合奏団「大人の素敵なクリスマス~心温まる弦楽の響き~」に出かけた。演奏中の写真撮影は叶わなかったが、演奏会後の記念撮影を頼まれて、撮影を兼ねて出かけた。

 クラッシク音楽だからと安心(?)していたが、ホールは全310席が満席である。それも団体さんが入っているとか。その人気をみて驚いた。1時間前に会場に着いて正解であった。それでも20人ほどが列を作っていた。

 私はヴァイオリ演奏には疎く、今回初めて本格的な弦楽合奏団の演奏を、ホールの最前列席で聴いた。私の特技は、講義でも講演会でも、演奏会でも、羞恥心なく、最前列席に座ることである。「足りない能力は、最前列席に座ることで、補うことができる」が私の信条である。

 

演奏の鑑賞・観察

 今回、生まれて初めてヴァイオリの演奏を詳細に、かつ7人のヴァイオリニストの弾き方の比較を至近距離4mから鑑賞・観察することになった。素人の見方で今更ながら恥ずかしい告白だが、初めて各ヴァイオリの役割があり、演奏の内容、受け持つ部分が違うことを発見した。今までは複数の楽器の合奏としか「聞いて」いなかったが、今回、演奏家を近くから熟視・熟聴すると、いままで見落としていたお宝が見えてきた。特に今回は演奏会中の撮影はなかったので、演奏を聴くことに集中できたのがよかった。それで人生の多くの発見があった。

 

演奏スタイル

 まず、発見したことは、天野さんの演奏スタイルが、他の演奏家と動き、動作、感情の込め方が違うことだ。あくまで7人の中の比較であるが、腕の上げ方とか、スピードとか、感情の込め方が実に音楽的なのだ。目の前で動きのある演奏を見ると、他の演奏者との差が歴然とする。それは彼女たちが着ているドレスのヒダの揺れを観察するとよくわる。ヴァイオリを奏でる音楽にも、ドレスのヒダの揺れかたが、その心の動きを表現していることを発見した。

 

演奏パートの差

 伴奏のような役割のヴァイオリニストの奏でる音は、主役を引き立てようとするが如く、控えめな弾き方が目に付いた。今までは見えていなかった世界である。主役のヴァイオリの演奏と伴奏の演奏がよき協奏となって、気持ちよく音が響いている。まるで会話をしているようだ。この世は全て主役ばかりでは舞台は回らない。脇役というお役が、人生の使命としてお役目を全うして、織りなす音楽織物である。まるで四天王を支える邪鬼の姿である。邪鬼も四天王を支える尊い仏様である。

 

ヴァイオリン比較

 7人のヴァイオリンを観察すると、天野さんの楽器が一番古そうである。演奏会後に寄ったヤハマのピアノ販売課長さんの話では、ヴァイオリンは1700年代の楽器が今でも一番良いとか。お値段も1千万単位で、往々に1億円単位のものも多いとか。ピアノとはまた別世界の楽器である。なおかつ大人が今からピアノは習ってもサマになるが、ヴァイオリンでは、そうは問屋が卸さないという。今にして、私は定年後に取り組んだ楽器として(ボケ防止として)、ピアノにしておいてよかったと思う。

 

隼戦戦闘隊の隊長の立ち位置

 今回は天野千恵さんが、ソロ演奏もあり、指揮のリーダ的役割も演じられた。主役は楽団の真ん中に位置すると思っていたら、彼女は一番左端に位置して、演奏をしていた。その演奏のそぶりを見て納得した。真ん中の位置では、全員を見ようとすると、頭をその都度、回さないと見えない。ところが一番左端にいて横を向いて演奏すると、目の前に全員が一直線にならんでいるから、全員を見るのに、首を振らなくてもよいのだ。。

 隼戦戦闘隊の隊長が、編隊を汲んだ場合の位置は、一番前ではない。一番前は先頭に立って突撃する軍曹の位置なのだ。隊長は常に編隊全体が見通せるその後ろ上で飛んでいる。なにか編隊に異変があれば、すぐ援助に駆けつけることができる位置にいる。私も、昔は勘違いをしていて、リーダは一番前だと思っていた。それで任せられたプロジェクトで真っ先に突撃をして、ふと後ろを振り向くと、誰も付いて来ていないことを発見して愕然とすることが度々あった。それはリーダとして良き学びであった。今回の天野さんの立ち位置を見て、それを思い出した。

1p1090870_1 宗次ホール

2p1090870_2  演奏会後の舞台

3p1090870_3  名古屋パストラーレ合奏団の皆さん

名古屋パストラーレ合奏団

 名古屋パストラーレ合奏団は1980年、愛知県立芸術大学音楽学部・器楽専攻科の同窓生により結成されたヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスなど弦楽器13名による室内オーケストラである。今年で結成37年の由緒ある合奏団である。

 結成当初より「アンサンブルの神様」とも呼ばれた故・浅妻文樹氏(東京芸術大学教授 )の熱心な指導をうけ、1981年より定期演奏会を開始、その後着実な活動を重ね、これまでに第18 回を数えている。

 1991年2月、愛知県芸術文化選奨・文化賞を受賞。これまでに名古屋市や愛知県主催の演奏会に招かれる。また1990~1993年中部電力のコンサートに出演。中部5県で数多くの演奏会を行い、大好評を得る。1997~2010年名古屋市、大府市、北名古屋市、知多市などでコンサートを開催。2011年武豊春の音楽祭、2013年と2015年知多半島春の音楽祭に出演。2015年12月に熱田文化小劇場で、2016年12月に名古屋陶磁器会館でコンサートを開催した。

 宗次ホールでは、2012年「ランチタイムコンサート」に初出演、2014年より年1回のペースで開催、今回で5回目となる。

 レパートリーはバロックから現代まで幅広く、弦楽合奏の知られざる名曲の発掘や新作の紹介にも力を入れている。

 

今回のご縁

 私は、河村義子先生の演奏会で、たびたび天野千恵さんが共演されたので、そのご縁で今回の演奏会を知ることになった。感謝。今回もこの演奏会にヴァイオリニスト小坂井聖仁さんとお母さんが見えていて、偶然再会を果たした。ご縁は繋がっている。

 

2017-12-13

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2017年12月 7日 (木)

ANA機内で帝国滅亡の兆を観る(改定)

 私は年に12回ほど、馬場恵峰師書の写真撮影と通院のため、中部国際空港と長崎間をANA機で往復している。そのANA機内放映の内容が、退廃したローマ時代末期の飽食の様を見るようで辛い。ローマ帝国の滅亡は、外敵の侵略のためではない。ローマ人が退廃して内部から崩壊したのだ。飽食に明け暮れ、飽食を宣伝し、TVグルメ番組が幅を利かす日本の現状は、ローマ時代末期の飽食の様と同じではないのか。日本は金儲け主義の企業が、日本を衰退の道に追いやる。航空会社の企業使命は、乗客を安全・安心・快適に目的地に運ぶこと。この機内放映行為は経営理念に反している。現在は、安全・安心・不快適である。これは現在のテレビ番組も同じである。

 

痴呆的な恍惚表情を見せつける拷問

 機内放送の映像では、食べるシーンばかりのCM映像を何度も何度も流す。僅か小一時間内に、多い時は10~20回も、である。「うまい、うまい!」といって恍惚の表情を浮かべ、痴呆的な顔の映像を、何度も繰り返し見せるのは映像暴力である。見るに耐えられず不愉快になる。機内で身動きが取れないので、目に飛び込んでくるのを拒否もできない。身動きもできず、見たくないものを強引に見せられるのは拷問である。新幹線や他の施設、海外の航空会社では、こんな拷問はない。テレビなら消すか、その場を去ればよいが機内では、それもできない。いつから日本は、人の飲食姿を見せつける下品な会社が跋扈する国に成り下がったのか。

 

金儲け主義の果ての姿

 最近の日本は隣国のように段々と下品になってきている。日本人の品格下落の助長を日本の代表する会社・ANAがやっている。金儲け万能の会社と思わざるを得ない。日本人は食いすぎで病気になり、30年前は10兆円であった医療費が40兆円になり、その負担を国民に強いている。その一因が、あまりに多い食物関係、特にファーストフード・清涼飲料、加工食品関係のTVのCMではないだろうか。その延長線上の病状が、肥満、ガン、認知症患者の増加である。金儲け主義のグローバル経済主義の果てが、1%の富裕層と99%の貧困層の格差社会への転落なのだ。テレビという洗脳教育兵器の恐ろしさに、目が覚めないわが国民が情けない。最近は、そのテレビも偏向報道、フェイクニュースを平気で流す媒体にまで堕落した。そのマスコミは、良識から指摘があってもそれに対して居直る恥知らずである。早く我々が目を覚まさないと日本が滅亡する。

 

 

食欲の位置づけ

 食欲睡眠、交尾は、人間の原始的機能で、原始動物そのものの欲望である。動物なら好き嫌い、恐怖を感じる感情動物である。人間は、考える、創造するという精神レベルの存在である。その原始的機能の食べるという欲望をさらけ出し、金儲けのために食べるシーンを見せつけるのは、動物以下である。

 それは単なる野獣としての肉体的欲望の姿そのものである。文明人は、それを作法とか文化として隠すのが教養ある姿勢である。それを、CMとして痴呆的な恍惚表情で食べるさまをさらけ出すのは、未開人と同じではないか。ANAが食文化を追及して、広めるのを社是として展開しているようだが、それが航空会社のやるべき使命ではない。航空会社の使命は、安心・安全・快適に乗客を目的地に運ぶこと。企業メセナとは芸術、文化の支援であり、原始動物レベルの食い物文化を広めることではない。

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企業メセナ

 メセナ(フランス語: mécénat)とは、企業が主として資金を提供して、文化・芸術活動を支援することである。メセナの代表的なものに財団などを通じた資金的バックアップや、企業が主催するコンサートやオペラの公演、スポーツなど各種イベントの開催などがある。

 企業がメセナに貢献すべき理由として、『企業は経済活動のために環境に負荷を与え資源を浪費する。同時に文化を支える人材を労働力として収奪してしまうため、文化で次世代に還元する必要がある。』と言われている。mécénat は、フランス語で「文化の擁護」を意味する。

 ANAが推進している食い物文化の広報は、「文化の擁護」ではない。ANAは金に目が眩んで、勘違いしている。文化とは、原始的レベルの話しでなく、精神レベルの話なのだ。

 

サブリミナル効果という犯罪

 映画のフレームの中にポップコーン等のジャックフードの画像を挿入すると、映画放映の休息時間に、無性にその食べ物を食べたくなるのをサブリミナル効果という。それは法律で禁止された手段である。それと同じことを、堂々と機内放送で実行しているのが現在の国内航空会社である。テレビなら消せばよいが、機内では如何ともしようがない。中部国際空港から長崎への便はANAに限定される。客は航空会社を選べない。これは、陰でこそこそするサブリミナル効果どころではなく、堂々としたメインリミナル効果である。これは暴力である。

 教養の高い人は公衆の面前で、生理現象である食べる姿は見せない。痴呆的な表情で食べ続ける姿を、「金儲けのため」に乗客に見せる企業行動は狂気である。そのために高い航空運賃を払っているのではない。繰り返し飽食の映像の放映は洗脳教育の一種で、日本人の愚民化に手を貸している。これは日本を代表する航空会社の企業ブランド毀損事例である。経営診断での興味深い「失敗事例」にはなる。私は今、執筆中の本の事例に、本件を追加する予定だ。

 

サブリミナル効果

 1900年、米国の心理学教授Dunlapは瞬間的に見せるshadowがMüller-Lyer illusionの線の長さの判断に影響する、と述べた。20世紀半ばにはマーケティング業者が広告にその技術を用い始めた。1973年には、ゲーム「Hūsker Dū?」の宣伝にサブリミナル刺激が用いられ、それが使われたという事実がウィルソン・ブライアン・キイの著書で指摘されたことで、米国連邦通信委員会で公聴会が開かれ、サブリミナル広告は禁止されることになった。日本では1995年に日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止することを明文化した。

 現在、映画やテレビ放送などではほとんどの場合、使用を禁止されている。

 当初は心理学、知覚心理学だけの領域であったが、現在は広告研究、感情研究、社会心理学、臨床心理学など幅広く様々な関心から研究されている。

 1957年9月から6週間にわたり、市場調査業者のJames M. Vicaryは、ニュージャージー州フォートリーの映画館で映画「ピクニック」の上映中に"実験"を行なったとされている。ヴィカリによると、映画が映写されているスクリーンの上に、「コカコーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」というメッセージが書かれたスライドを1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し二重映写(フィルムのフレームを差し替えたと信じている人が多いが誤解である)したところ、コカコーラについては18.1%、ポップコーンについては57.5%の売上の増加がみられたとのことであった。しかし、ヴィカリは、アメリカ広告調査機構の要請にも関らず、この実験の内容と結果についての論文を発表しなかった。(この項、wikipediaより編集)

 

図3 機内のどこからもで食べるシーンを見せつけられる。

   嫌やでも目に飛び込んでくる。拷問である。

図4~9 食べるシーンが繰り返し繰り返し放映される

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 本記事の原案を、航空会社の名前を伏せて、ブログに11月1日に掲載しました。その後、個別にANAに意見を求めたが、それに対して顧客無視で、ANA経営ビジョンに反した回答書を受け取った。それはANAの主張をゴリ押しする回答であった。それを踏まえて以前の記事を改定して再掲載します。

 2017-12-07

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2017年12月 6日 (水)

好きで継続、時を活かせ

 2017年夏、馬場恵峰先生宅で、気になる文章の書を見つけた。それは自宅で飾るには少し大きすぎたので、師にお願いして普通の色紙二倍の大きさに揮毫をお願いした。この書を自宅の玄関に飾り、家の出入りの度に目に留まるようにした。この文章は、書だけでなく、仕事を含めてすべての事に当てはまる。

 

何事も上手になるには好きで継続、時を活かせ

1. 実行して見たら出来るかも知れないのに、なさず、学ばず ……歳月流れ老化道、早く気付いて、志華輝く道歩み幸せつかめ

2. 手の三分、練磨の繰り返し、目で三分を覚え、脳裏に刻むこと、そして耳から学ぶ四分が最強の力、糧となり、充実する。

3. 多忙でも時間活用心得て、何事でも基本をしっかり学び身につける事だ。

4. 続けていると、自然に、いつか好きになるもの。又、忙中に自然その時間も生まれてくる。

5. 習字(自)--書道--書芸と進歩せよ。

6. 字は苦手だ……と学ばないまま、生涯、つかまず成果も残さず、心寂しいものである。優劣でなく、希望を持ち活動を

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2017-12-06

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月 5日 (火)

エイリアンとの闘い

マイクの位置決めで一騒動

 2017年12月3日、大垣フォーラムホテルでの「クリスマスコンサート2017」のリハーサルで、ヴァイオリニスト天野千恵さんの演奏風景を撮影した。そのとき、私は天野さんの後ろ上部のマイクスタンドの姿が気になって、その位置を変えるように音響担当者にクレームを付けた。ところが、「ヴァイオリン演奏の収録では、この位置が常識で、公共放送の演奏会でもこの位置だ」と変更に抵抗をされた。

 天野さんに私が撮影した画像をカメラ液晶画面で見せたら「イヤ~だ! まるで後ろからエイリアンに操られているようだ」という。それから、マイクの位置を、前や下や横に色々と変更してみて、やっと目立たず、収音にも影響のない位置を見出して、天野さんも納得して演奏を開始することができた。いままで何年もこんな不細工な風景のマイクスタンドで人目に晒していたのかと呆れた。

1dsc01981  変更前  天野千恵さん

2dsc01996  変更後

音楽という芸術作品

 後でこの件を確認すると、公共放送の演奏会でのマイク位置は、確かにその位置ではあるが、その位置はずっと上で、上から吊り下げてあった。そのため、カメラには映らない様になっていた。今回のホテルの会場では、そのマイクを上から吊り下げるのではなく、マイクをステージ上のスタンドからぶら下げる構成であったので、その姿が演奏者を後ろから襲うエイリアンの姿であった。音響担当者は、あくまで音だけに関心があり、全体でどういう風に観客の目に映るかには、気が回らないようだ。私は、演奏の風景の絵として、美しくなく雰囲気が台無しだと感じて苦情を呈した。音響効果担当者も芸術家の範疇である。芸術家なら、音楽という作品作りで、自分の音響の分野だけの視野ではなく、もっと広い視野で、物事を観察して欲しい。音響効果担当者も、もっと美的センスを持って欲しい。見た目の美しさ、照明の全てに対して、美的感覚で気を使って欲しいと思う。どんな美味しく素晴らしい食材でも、センスの悪い器では、その味が不味く感じる。

 これは全ての仕事の通じる話である。プロなら、自分の担当分野だけでなく、関連分野にも気を使うべきだ。

 

エイリアン(営利闇)

 専門家は、自分の分野だけの損得で視野が狭くなりがちである。それがエイリアン(営利闇)で、己の利益しか考えない姿である。現在のグローバル経済主義者も同じく、エイリアンである。自分達だけ儲かればと、社会全体の利益には考えが及ばない。己たちだけの利益を確保するゲーム理論分野で、ノーベル賞が授与される経済学者が頻出しているが、実際の社会では貧富の差は拡大して、多くの人が不幸になっている。なにかおかしい。ノーベルさんも墓場の中でお嘆きだろう。

 

2017-12-05

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2017年11月28日 (火)

西部戦線異状なし 

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 上記の資料は、私の定年退職4~6年前に、新入社員の教育用に作成したプレゼン資料である。「自分の体は自分で守れ」というメッセージを込めて作成した。組織にとって、一人の死は、「西部戦線異状なし」の相当する些細な事象なのだ。当時、勤続30年間で事故や病気で亡くなった仲間が多くいたので、新入社員に教訓として資料を作ったが、還暦を迎えてその数が増え、65を迎えて更にその数が急増するとは想像外であった。合併でのストレスやグローバル競争社会に侵蝕されたのが影響しているようだ。合併でグローバル経済教に侵された状況を見せつけられ、ますますその感を強くした。前職の会社の合併は、対等合併との話ではあったが、実質的には吸収合併であり、私も含めて多くの社員がストレスを感じたようだ。

 新会社になって、この教育講義は、近視的視野で、短期の己の成果しか見ない拝金主義者のD役員とM部長に禁止をされた「技術以外の余分なことは教えるな」である。合併前の会社では、5年も継続してきた新人向けの修身の講座であった。新会社の役員は、修身などくそ喰らえで、金儲け一本道である。最近は、ブラック企業の不正事件、捏造事件がマスコミでオンパレードである。物質文明に取りつかれた日本の人心が病んでいる。

 

無事の有難さ

 「無事」であることは、いかに「有難い」ことかは、事故や死に直面しないと悟れない。「今日無事」の意味を、65年間の経験を積んで初めて体得した自分の愚かさを今感じる。今日無事でも明日は分からない。

 私の定年退職までに一緒に仕事をした仲間や縁あった仲間が数多くの鬼門に入った。列挙するとその多さに愕然とする。自分も自殺を考えなかったことがないわけではない。自分が無事に65歳を越えたことに、仏様ご先祖・両親のご加護を感じる。以下は自分にご縁があったビジネス戦士の墓碑銘。合掌。

 

仕事をするとは、生きる意味とは

 下記の墓標を見ると私の勤めた会社はブラック企業であったのかもしれない。しかし、私にとって多くの職場と世界の舞台で、私を育ててくれた会社でもあった。多くの仕事仲間と上司が私を育ててくれた。当時、徹夜も厭わず深夜まで働いていたが、それが苦痛とは思わなかった。

 友人によると、私の勤務した会社は採用時に、次男や親兄弟のない青年を多く採用していたそうで、入社した人間は嫌でも働かざるを得ない状況にしていたとも聞く。どんな環境でも人によって、受け止め方は異なる。極楽浄土みたいな職場では、人は育たないのかもしれない。『夜と霧』を執筆したヴィクトル・E・フランクルは、アウシュビッツで己の生きる意味を見つけて、死の収容所から生還した。若く元気な青年が生き延びたわけではない。何の為に生きているのか、生かされているのかを分かったものだけが地獄から生還した。1945年のシベリア抑留でも同じである。父が生きて生還したから、今の私の命がある。

 「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェ)。「生きる目的を見いだせず、生きる内実を失い、生きていてもなんにもならないと考え、自分の存在価値をなくし、がんばり抜く意味を失った人は、(いくら若く頑強な体でも)、あっけなく死んでいった。」(「夜と霧」ヴィクトル・E・フランクル)

 

戦友の墓標

1973年 4月1日の入社当日の夜 大学の学友・Sが自殺。(別の会社に入社)電気コードを体に巻いてタイマーをかけて自殺。自殺理由は不明。同じ機械科で物静かで優しい性格で、成績はクラスで2番の優秀な子であった。

1987年 K係長(享年40歳前後・生産技術部)米某自動車工場に機械納入中の現場で、心臓発作で死去。私の担当した機械の開発試験で直々に厳しい指摘でお世話になった方。私も開発に携わった機械の納入時の事故である。

1997年頃 T主任(享年40歳前・知財部)が寮の一室で朝、死去。バブル崩壊後の不況で、特許室から現場応援に出され、三河の寮に単身で勤務していた矢先のこと。子供もまだ幼い。葬儀場で奥さんの顔を直視できなかった。たぶん無理な現場での心労が重なったのか。1994年にミシガン大学に研修にいった時、現地で大変お世話になったのに。

1998年頃 K主任(享年40歳前後)宴会後、サウナで寝込んで死亡。技術部の設計仲間。この事故後、保養所の宴会後のサウナは禁止された。

1998年頃 N主査(享年55歳前後・ソフト開発)白血病で死亡。私の開発に携わった機械のソフト開発で大変お世話になった次長さん。

1998年頃 S元部長(享年60歳余) 糖尿病の併発病で死去. 研究開発部で私の直属の上司。定年退職後の早すぎる死。デミング賞を取るために無理な生活を強いられて病気になられた。奥様が夫のためにと作った栄養過多な食事を、夜遅く取り続けた結果が、糖尿病である。

2003年 D主担当員(享年54歳・営業) 病没. 私の1年後に同じ設計課に入ってきた仲間である。机を並べて、仕事をして、一年先輩として色々と情報を教えた仲である。欧州に赴任して苦労をしたようで、その影響で病気になったようだ。私がパリに出張したとき(1991年)に会ったが、元気がなかった。現地法人で心労ある激務であったようである。彼は技術屋で営業には向かないタイプである。上司Uに逆らったので、海外に飛ばされたと聞いた。

 長年、当社は仏の現地法人に食い物にされ、赤字を垂れ流していた。後に清算してやっと出血が止まったが、遅すぎた経営判断であった。経営者の決断が遅れると、社員の命に影響する事例である。営業に向かない性格を知りながら、また現地の厳しさも知りながら、異動させたのは推定殺人だと思う。そういう冷酷な人が上司であると、部下は不幸である。経営者は、資源(人モノ金)の最適配分を考える責任がある。それを人の好き嫌いで差配するのは、経営者失格である。一流大学大学院を出ただけでのエリートが、優れた経営者ではないことの実例である。

 この事例では、上司に嫌われた場合の悲哀を見せ付けられた。サラリーマンが嫌なら独立することだ。それができないなら、嫌われないように保身するのがサラリーマンの智慧である。私の両親は、上司への盆暮の心づけを欠かさなかったので、私はその危機を避けられた。今にして思うのは、これは危機管理上の保険であった。両親のご恩に改めて感謝している。この写真で彼を見ると、明らかに、疲れていることが見て取れる。またこの中にもう一人、私の仲間がいて、メンタルで倒れている。海外勤務は、精神面でタフでないと勤まらない。

 2003年頃 I社長死去  50歳過ぎ 突然死. 機械の外注設計の社長。20年来のお付き合いで、腕のいい設計社長であった。お宅にも泊めて頂いたことがある。突然の訃報を聞いて、驚いた。

2004年 Y社長 出張先ホテルのシャワー室で突然死。 壮絶な戦死である。合併の段取りで心身ともご苦労をされたようだ。Y社長からはIT戦略会議の場で何回も厳しい指導を頂いた。葬儀では駐車場の交通整理でお手伝いをさせて頂いた。葬儀は身内のみとのことであった。身内とはグループ会社の社長を意味し、葬儀場のお寺に黒塗りのセンチュリー、レクサスの高級車が60台も集結して壮観であった。グループ会社の社長にとって、戦友を亡くしたが、明日はわが身との思いがあったろう。グループ会社は、グローバル競争の嵐に巻き込まれ、Y社長の死は5000人規模の会社の統廃合が始まる前兆であった。優良会社A社は上場直前であったが、分割吸収され消滅した。氏は親会社の役員から当社に社長として来られたので、生きて合併を推進すれば、悲惨な身内の死はもっと減ったと思う。この死で合併は相手のペースで進んだ。社長の死は、合併への仏さまからの警告だったと今にして思う。

2006年 新会社発足。建前は対等合併だが実質は吸収合併。

 5000人規模の会社の死である。会社にも70年の寿命があった。

2007年 S主査(享年55歳前後・営業) 突然の死去. 朝、体調が悪いといって、病院に行きそのまま帰らぬ人となった。大阪に単身赴任。合併での犠牲者である。家族は会社と断絶状態である。奥様は会社からの葬儀参列も霊前花も一切拒否。峻烈な意思表示をされた。彼には教育部主催の篠田教授のテクニカルライティング講座、秘書室での対応、営業部での仕事等で、色々とお世話になり親しかった。

2008年 S室長(享年50歳前後・設計)  過労死。 技術部の仲間。合併での犠牲者だと私は思う。賢明な奥様は、夫の過酷な勤務状況・勤務時間を克明に記録していて、会社に突きつけた。自分の身を守るのは記録である。しかし、記録では夫の命を守れなかったのは哀しい。

2009年 Y主担当員(享年59歳 技術部) 癌で死亡。進行性の癌。合併での心労による犠牲者。新会社になり仕事がしんどいと話していた。私の開発した機械の見積もりを担当。優しい性格の仲間。

2012年4月 学友・F(享年63歳)  癌発病後4ヶ月で死去

 同じ卒研仲間で某自動車に入社。定年後の再雇用で、そろそろ自分の時間が欲しいとの元気な姿の写真の入った年賀状を頂いた矢先のこと。「食事でもどう?」と家に電話をしたら先日亡くなったと……

2012年 総務部のO元課長死去(享年62歳くらい)

 工場のフェステバルで一緒に会場運営準備をした仲間である。

2013年 元部下のO君死去(享年40歳前後)

2014年 元部下のY君死去(享年55歳)

 

 私の同期24名中、退職時に在籍していたのは8名のみ。後は退職、転籍。その他、部下でうつ病になったのが3名。精神異常が1名。周りの職場を見るとうつ病者は数知れず。私も退職前の一時期、陰湿ないじめでうつ病寸前になった。病院に行けばうつ病と診断されるのが明白であったので、関係の本を読み漁り自力で直した。

 グローバル経済で拝金主義が横行し、社員が不幸に陥る現実を直視しないといけない。それが責任者の勤めである。役員・部長は成果主義に染まり10年後のことは眼中に無い。会社がおかしくなれば、日本国もおかしくなる。現代の日本の姿である。私の勤務した会社が吸収合併されて消滅したのは、亡くなった戦友達の怨念かもしれない。

 

母の遺言

 1991年、母は脳溢血で倒れ、一度は手術が成功して回復したが、その後、脳梗塞が進行して、1992年7月に市民病院に再入院した。そして、だんだんと意識が薄れていき4ヶ月ほど植物人間状態になり、12月に息を引き取った。お盆過ぎの日、自宅に帰る前に病院に寄ったが、意識が大分錯乱状態であったようで、私に「○○(私の元上司)は、ひどいやつだ。気をつけろ」と何度も何度も私につぶやいた。そんなことはないよと、なだめるのに大変だった。当時は、脳梗塞の進行がそんな言葉を発していると考えていた。

 今にして当時を振り返ると、何か鬼気迫る雰囲気であった。20年経って仲間の墓碑銘を見つめると、その言葉が迫ってくる。母の潜在意識が、この世に残していく最愛の息子へ発した叫びであったようだ。母は苦労をしたが故、人の本質を見抜く力を持ち、それが薄れていく意識の中で口に出たようだ。母は地元の中小企業社長(入社時の私の保証人)が、一目も二目も置いていた女傑であった。この社長と対等にやりあえる人はざらにはいない。旧家の10人兄弟の長女として采配を振った賢明な母であった。しっかり者過ぎて、私は煙たかった。母は○○の高卒の妻の存在を、夫が役員になったのでそれを鼻にかけていると見抜き、私に注意を喚起していた。結果はその通りとなり、妻の言動で夫が影響を受ける会社人事の事例を冷静に観察できた。妻に影響されるような役員は、経営者失格である。

 私はその上司から離れてから(飛ばされて)運勢が向上した。1991年、会社創立50周年記念論文で最優秀賞(賞金100万円)を獲得した。その報告が母への最後の親孝行となった。1993年、課長に昇格はしたが、上司夫妻に嫌われていたため昇格が遅れたため、喜んでもらうはずの母は、この世を去っていた。

 ご縁があったその会社も、2010年4月(定年5ヶ月前)、大手に吸収合併されて消えた。前の会社の消滅4年後のことである。

Photo

2007年、馬場先生から頂いた板書。「今日無事」の言葉は重い。今日無事でも明日は分からない。

2017-11-28

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2017年11月26日 (日)

人生経営でご縁に学ぶ(改題)

 2017年11月26日、名古屋モーターショーに初めて行ってきた。出かけることで多くのご縁に出会うことを再確認した。犬も歩けば棒に当たる。東京モーターショーには、仕事では何回も行っているが、名古屋で、私用での見学は初めてである。久しぶりのモーターショー見学で少し疲れた。何時のように大変な人出である。運慶展や国宝展とは客層と演出が全く異なり、疲れ方も全く違う。こちらは肉体的疲労が甚だしい。

 今回の見学目的は、今度購入したい新車の下見である。車歴17年の車を更新したいが、良い車がなく悩んでいる。私の好みのFRでセダンの良き車がないのだ。いまはFFやワンボックスカーばかりである。走りのこだわると、FFやワンボックスカーでは不満なのだ。ボケ防止には車も良いものだ。

 

昔の仲間の動向

 そこでばったりと昔の仲間に出会って、しばし話しこんでしまった。その私がいた部署で一緒に働いた昔の仕事仲間の動向を聞いて、改めて考えこんでしまった。その仲間の多くが冷遇されていたのだ。中国に二名、タイに二名、チェコに1名(2回)、米国に1名と当時の基幹職全員が、海外のそれも発展途上国に飛ばされていた。その多くは赴任して帰国後、定年か、そのまま子会社に出向である。エゲツナく下品と噂のあった通りの相手先会社の仕打ちである。会社人事では人の能力は関係がない場合が多い。私は、その部署の仕事レベル全体をみて、私の所属した部署の人間の方が優秀と見ていた。それが偏向人事で全員が飛ばされた。

 私の前職の会社の合併は、旧T社(私の勤務した会社)と旧K社(合併先会社)と名目は対等合併であったが、3対4の出資比率であったので、人事では吸収合併扱いで、私の前職の会社の人間は冷遇をされた。合併の比率で1%でも多い方が、合併後の人事で主導権を握る。異動で二つの会社に同等の人材がいれば、大比率会社の人間が国内で偉くなり、それに相当した海外部署に小比率会社の人間が出されるという図式である。元部下の一人だけは理事にはなったが、そこで定年になり終わりである。本来役員になっても不思議ではないのだが。他に役員になった人がいるが、当時からなぜあんな人間が役員かと皆が疑問を感じた人間である。どうも上層部が、彼を使って旧T社の人間をまとめるのに重宝したようで、その役員会で上にもいけず、出されるわけでもなく、飼い殺しのように平の役員を勤めている。会社の人事は、人間の仕事能力は二の次で、如何に上層部に気に入られるかである、を再確認した。

 

悲劇の原因

 前職の会社が吸収合併された悲劇の原因は、旧K社の社長、役員の責任である。ぬるま湯的な経営で、学閥内での出世、親会社によりかったぬるま湯的経営で、決めるべきことを決めない経営であった。そのツケがまわって、創業65年で吸収合併をされる身となった。その被害は、社員に及ぶ。会社が無くなったことに責任ある社長、役員達は退職金、顧問手当でぬくぬくとしている。

  先の太平洋戦争でも、兵士は優秀であったが、軍部の上層部は愚かで、同じ間違いを何度も繰り返していた。米軍や英軍は同じ過ちを何度もするパタン―ンを見抜き、対策を打って日本軍を玉砕に導いた。その時代から日本経営は少しも進歩をしていないようだ。

私の学び

 いつの世も、悲劇を見るのは下々である。役員とはdirectorで、方向を示す人との意味である。その責任ある人が、経営に岐路で正しい決断をしない。決断もせず、間違った方向を示した。そんな人たちが会社を潰した。経営者の仕事は決断である。それが出来なかった。その反面教師として、私は決断が早くなった。周りの人が呆れるほど。前職の会社の消滅は、よき学びであった。

 その会社に入社する選択権は我々にはない。私が入社した当時は、不況で会社に入れて頂いた扱いである。そのよき会社の縁を選ぶのは、種々のご縁の錯綜から生まれるようだ。その会社も寿命は30年である。どのように人生を送るか、自分の役割に全力を尽くすしかないと悟ってきた。

 

勤めた会社のご縁、住む所のご縁

 会社の選択は、己の責任であり、理不尽な扱いを受けるのが世の常である。最近も、知人が理不尽な人事でその会社を辞めることになった。世の中は、ブラックや不正業務で捏造がまかり通る社会に落ちぶれてしまった。グローバル経済主義の弊害だと私は思う。そうならない経営をするべきである。

 住む場所は往々に両親とか別の縁で決まる場合が多い。しかし選挙権でその義務を果たすことができる。その住む都市の行政の責任は、国の社長は首相であり役員は国会議員である。市の社長は市長であり、その役員は副市長、市議達である。間違った方向に走りがちの行政で、国民・市民が正しく行政をチェックしないと、国や市の行政は迷走する。その被害は、国、市の経済状態と、国民、市民、商店の店主、中小企業経営者の生活に及ぶ。またその子供たちの未来にも影響を及ぼす。国、市の経営者の責任は重い。

 

市民・国民の義務と反省

 国の行政も市の行政の出来不出来は、我々が選んだ議員によって決まる。なんでも反対する党に投票する人がいる。世界の民主主義国家で、共産党が存在するのは日本だけだ。それに投票をする人もいる。日本を共産国家にしたいのだろうか。信じがたい選択である。不倫を働いた元議員に再選のお墨付きを与えた甘い選挙民を騙して、その女性議員はまた不倫を働いて平然としている。これは投票をしたその地区の選挙民が、人を見る眼がなく愚かとしか言いようがない。選んだ議員、市長、議員が適正な行政をしているかは、見守らないと、我々が被害を受ける。言うべきことをきちんと言わないと、行政に殺される。子供たちがかわいそうだ。前のめりで少し勇み足になっても、及び腰で何も言わない市民にはなりたくない。

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上図は2017年11月24日、馬場恵峰師宅を写真撮影のため訪問したおり、師に揮毫して頂いた色紙。文面は私の作です。

 

2017-11-26

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