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2020年8月23日 (日)

共食いの観音様 キアノンEOS R5 ピンボケに

 経営とは、世のために全ての資源を有効活用して、命を生かすことだ。

 強いものが生き延びるのではなく、変化した社会に最も早く適合できたものだけが生き延びる。(ダーウィン)

 キアノンは一眼レフでその強みを発揮して、長くカメラの王者であった。しかし、そのドル箱資産に足を取られて、ミラーレスの展開で他社に後れを取った。ミラーレスが売れれば、ドル箱の一眼レフが売れなくなる。それは経営用語で、「カニバリゼイション(共食い)」という。カメラの時代が変わった。キアノンは過去の遺産に固執して、新時代に対応できず、大幅減益となって、競争に負けた。

 同じ轍で、自分株式会社の経営でも、過去の栄光と遺産にいつまでも固執して、自分の未来をダメにしていないかだろうか。自省しよう。

 

観音カメラとのおつきあい

 私はキヤノンカメラを50年前の高校生の時から使っていた。そのキアノンと別れる決断を昨年にした。

 キヤノンとは観音カメラが語源である。キヤノンの前身は、1933年、内田三郎・吉田五郎によって創立された精機光学研究所である。観音菩薩の慈悲にあやかりたいという気持ちから、1934年に完成した日本産初の精密小型カメラの試作機を「KWANON」(カンノン)、そのレンズを「KASYAPA」(カシャパ)と命名した。KASYAPAは、釈迦の弟子のひとりである大迦葉(梵: Mahākāśyapa マハーカーシャパ)に由来している。

 1935年、世界で通用するカメラのブランド名として、Canon(キヤノン)が採用された。「正典」「規範」「標準」という意味を持ち、正確を基本とする精密工業の商標にふさわしく、KWANONに発音が似ていることが、この名称を採用した理由とされている。

 私はキヤノンカメラを、一眼レフPELLIX(1968年頃)、EOS20D、EOS7D-Ⅱ、EOS5D-Ⅳと50年間に亘って愛用してきた。望遠レンズを揃えて、主に飛行機の写真を撮って楽しんでいた。

 

転機

 2014年に河村義子先生とご縁ができて、演奏会の写真を撮るため、シャッター音がしないカメラが必要となり、SONYのミラーレス無音カメラSONY α9を入手して、望遠レンズも揃えた。キアノンでは当時、その種のカメラを出していなかったので、苦渋の選択である。メーカによってマウントが違うので、SONY用のレンズを新たに揃えねばならなかった。

 CANON EOS5D-Ⅳは、馬場恵峰先生の書画の撮影用と飛行機用に大活躍であった。しかし演奏会では、一眼レフは大きなシャッター音を出すため使えない。

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 SONY α9 + 100-400mmズームレンズ

 

キアノンは大企業病

 キアノンは昨年ごろからEOS 5D-Ⅳのミラーレス版を出す出すといいながら、その発売を1年以上も遅らせた。それで、私はキアノンの大企業病に気が付いた。今度出すCANON EOS R5は8段のボディ内臓手振れ補正機能と高性能であるが、製品を出す機会を逸していた。私は既に、キアノンに見切りをつけ、ソニーに転向していたので、CANON EOS R5を買うわけにいかない。

 CANON EOS R5は、従来のレンズマウントと規格が違うので、全く新しいブランドのカメラである。アダプターをかませれば、従来のレンズは使えるが、性能を最大限に発揮できない。それなら、私には既に3本の交換レンズを揃えたSONY α9のシステムを使った方が合理的選択である。SONYレンズならキアノンレンズと違い、アダプターマウントをかませなくても良い。そのレンズの性能もミラーレス用に設計してあり、レンズとCCDまでの距離も短い。

 その最新鋭機EOS R5の画素数が4,500万画素である。1年前に先行して製品化したSONY α7R-Ⅳの画素数が6,100万画素である。フラグシップのカメラを世に出すのに、競合他社製品に比較して寝とぼけた商品企画と言える。大企業病で、それさえ凌駕する気になれなかったのか。

 R5は世界最高の手ぶれ補正とキアノンは謳うが、マニアが欲しいのは、世界最高の画質である。キヤノンはボケてしまったのか。手ぶれはマニアの腕でカバーできる。最高画質は、機械に依存して、マニアは手を出せないのだ。

 今回の決算で、キアノンが大減益となって、前社長の御手洗氏が復帰するという。人材がいないのか。何も80歳越えのご老体に出馬を要請すること自体、大企業病である。

 

共食い

 EOS 5D-Ⅳのミラーレス版の発売が遅れた主原因が、現在ドル箱の一眼レフの防衛である。ミラーレス版が出れば、ドル箱の製品と共食いになって利益が減ってしまう。経営的にカニバリズム(共食い)は避けねばならぬ戦力である。しかしコンペチターがそれを打ち破る製品(ミラーレス)をぶつけてきているので、新製品を出さないのでは、戦術的に負けである。キアノンはその決断が1年以上もできなかった。経営の失敗である。

 それで私はキアノンに見切りをつけた。カメラを変えないと、大事なシャッターチャンスを逃すのだ。時間は待ってくれない。時間は命なのだ。

 

人生の共食い

 人生の転機での決断では、今まで培った財産や能力を捨てて、新しい道への転機が問われる。新しい道を選べば、昔の資産が無駄になる。曖昧な選択では共食いの状態に陥る。それを断ち切って、新しい道に進むのが、人生経営である。八方美人では、やっていけない。果断とは、多くの選択肢から、一つを選ぶことだ。それをしないから、経営が昧になり失敗する。

 

2020-08-23 久志能幾研究所通信 1717  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月17日 (月)

逆縁の菩薩1  東大入試中止

 当時、私にとってこんな不幸はないと嘆いた事件が、10年たって振り返ると、それは逆縁の菩薩であった事例が生涯で5度もある。それ以外にも、その当時は不幸な事件として嘆いたことが、後日それが運命の好転につながった事件が多い。その学びは、「不幸に出会っても自暴自棄になるのではなく、それをバネに精進することで、人生が好転する」である。

 

大学受験失敗

 私の最初の逆縁の菩薩とのご縁は、1969年東大入試中止である。私が東大にいけるわけではないが、東大に行く人が京大に、京大に行く人が名大にと、当時の受験生は1ランクを落として大学に進学した。私は例年ならカスカスで国立二期校に合格できるはずが、国立大学の受験はすべて失敗した。父の定年の関係で、浪人は許されないので、滑り止めで受けた私立大学に不本意ながら入学した。

 私は国立にいけなかった悔しさがあり、特待生を狙って学業に精を出した。当時の大学は、国立大学でも学生は遊んでいた。ましてや私立の大学生は遊んでいる。それを真面目に勉強して、戦術として特待生を狙うなら、特待生は意外と簡単に獲得できる。

 授業では、必ず最前列席に座って先生に顔を覚えてもらう。授業の欠席はしない。取れる単位は全て取る。出された課題レポートも真面目に取り組む。夏休み期間中も、後期の試験に向けて一定の勉強は欠かさない。アルバイトはしない。勉強することがアルバイトである。

 この2年間の精進で、予定通り全優に近い成績で、特待生になれた。授業料免除である。そのまま卒業まで一番を維持した。親孝行としてよかったと思う。ご褒美で、親から少々の贅沢をさせてもらった。

 

菩薩に見守られる

 そのお陰で、就職もトヨタ系に学校推薦のような形で入社できた。母は地元の会社に入ることを望んでいたが、私は母親から逃げたかったので、敢えて遠くの会社を選んだ。今、振り返ると、地元の会社ではその後の人生の展開が限定された。世界を舞台に仕事ができて幸せだったと思う。

 その後の人生で、大学をトップで卒業して、卒業式で総代になると、その後の人生でそれが目に見えぬ菩薩となる。一番と2番の差は限りなく大きいことを実感した。会社を辞めたくても、大学の名誉や後の卒業生のことを考える、勝手に辞められない。不真面目に勤めることも気が引ける。会社も並の国立大学出の同期よりも、特別扱いをしてくれる。おかげで若いときは、研究開発部で仕事をさせてもらい、海外経験を含めて多くの経験を積むことができた。同期で国立を出た人間が、もっとひどい職場に配属されているのを見ると、あのとき頑張って特待生を獲得してよかったと思う。それも国立大学受験を失敗した「お陰」である。

 

同窓生の自殺

 大学卒業の年、私のクラスで成績2番のS君が、4月1日の入社当日の夜、タイマーを使って感電自殺をした。いまだその原因は不明である。教室で彼の行動を横から見ていて、S君は真面目ではあったが、覇気が感じられなかったことだけは覚えている。私と張り合って1番を目指す生き方をしていれば、自殺など考えなかっただろうにと残念に思う。

 

背負った十字架

 私も会社時代、仕事で生きづまり何度も自殺を考えたが、お世話になった大学のご恩を考えて、それを思いとどまった。だから特待生という看板は、自殺防止、辞表防止にも役立っていた。

 逆縁の菩薩とは、自分を𠮟咤激励する守り佛の菩薩である。厳しさがあるから人間として成長できる。難題とは、なにも試練のない平穏無事な人生では、私が堕落すると佛様が考えて、私に授ける糧なのだ。それに真面目に取り組むのが人生だと思う。課題に取り組むから、能力が向上する。

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 馬場恵峰書

4k8a04291s 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩

 

2020-08-17 久志能幾研究所通信 1710  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月16日 (日)

マイ「ホワイトハウス」を入手

 老いの血迷いで、大人のおもちゃとして新事務所を入手した。それも衝動買いである。その新事務所のコードネームは「ホワイトハウス」である。

 この家は、私のサテライトオフィスであり、迎賓館でもあり、書画の展示室でもあり、ミニ音楽堂でもある。

 2012年頃からその入手を計画していたが、まさか本当に実現するとは思わなかった。やはり夢は見るものだ。特に土地や家屋は欲しいと言ってもご縁がないと手に入らない。今までに10件ほどの物件を探し回ったが、良き物件に縁がなかった。今回はたまたまご縁があり、とんとん拍子で入手できた。その朝に物件を見付け、夕方に買うと不動産屋に話した。我ながら、衝動買いに呆れた。単位時間当たりの購入金額の大きさは、過去最大である。良き時期に買ったと、今にして思う。もしあと2か月遅かったら、コロナ騒動で入手できなかったであろう。やはりご縁である。

  

決断

 私は癌を患い、手術後に余命宣告を受けてから、考え方が変わり、決断が早くなった。どうせ何時かは死ぬ身である。あと40年は生きれない。やれるとき、買える時、会える時に、やっておかないと、死ぬ間際に後悔する。そのうち、金があってもやれない、買えない、食べれない、会えない時が来る。その時では遅いのだ。動けるうちに、やりたいこと、やれることをやり切って、後は野となれ山となれ、である。

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馬場恵峰書

  

レクサスとの別れ

 その反動として、資金繰りでレクサスとお別れであった。流石にレクサスとの2面戦争はできず、同時に所有する資金は無かった。

 レクサスを欲しいと思っても、一度買ってしまうと、その「レクサス欲しい症候群」が、つきが落ちたように、無くなった。あの欲しい症候群は何だったんだ、という有様である。買わずにずっと欲しい症候群に罹っているより、買ってしまって、「ああこんなものか」と悟った方がよいようだ。もう二度とレクサスを買おうという気になれない。なんでも買える時に買うのが良き人生である。

 

大人の玩具

 馬場恵峰先生に本件を報告したら、呆れられるかと思いきや、「老人は大人のおもちゃを買って、人生を楽しみ、元気になるべきだ。良いことだ」と褒められた。

 馬場恵峰先生も60歳の時、家屋敷を担保に、1億円の借金を背負い、社会貢献として350坪の土地に日中文化資料館を建てた。その返済に24年間を要した。返済が終わるまで死ぬわけにいかぬと頑張って、84歳で完済である。それが恵峰先生の元気の秘訣であったようだ。

 やはり師の後姿の影響は大きいようだ。馬場恵峰先生の影響を受けた3人の経営者が還暦を過ぎてから、1億円の投資をして新しい事業を始めた。それが私の頭にあり、私だって、と今回の事務所の購入となった。だから決断は早かった。持つべきは、良き師である。けち臭い師に付いていれば、今回の購入はなかったであろう。

Dsc09638s_2   サテライトオフィスの離陸

 

2020-08-16 久志能幾研究所通信 1707  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月15日 (土)

英霊に礼なきは亡国の兆し  靖国神社問題

英霊に敬意が愛国心

 

 8月15日の「敗戦の日」が来ると、毎年、靖国神社参拝の有無で騒々しい。「終戦の日」ではなく、「敗戦の日」と書いたのは、全マスコミが、事実を隠蔽する体質が、この言葉でもある。事実は、終戦でなく、敗戦である。

 英霊は、国に残した銃後の親、妻、子供のために戦った。不本意であっても、それで国に命を捧げたのだ。

 なぜ祖国のために戦って命を捧げた英霊に元首がお参りしてはならないのか。中韓から非難を恐れて参拝しないのは、国辱である。国の敵は外ではなく、内なる売国奴である。媚中議員、媚中党である。そいつらが国を亡ぼすのだ。外の敵ではなく、国内の売国奴が、である。国民はそいつらに選挙で投票しなければよい。それに考えが及ばないのは、国を愛していないのだ。

 父ジョージブッシュ大統領が1992年、来日した時、靖国神社に参拝するという話があったが、日本側がそれを中韓に気兼ねをして断ったという。アメリカも英霊には特別の敬意を払っている。戦犯などという意識はない。それなのに、日本政府の対応が情けない。

 

米国アーリントン墓地

 以下は、1994年、私がアーリントン墓地を参拝した時の記録である。

 アーリントン墓地での無名戦士の墓を護る兵士の交代式は、国家としての意思を内外にアピールする素晴らしいパーフォーマンスとして感じられた。

 この交代式は一定時間毎に行われ、厳粛な儀式として執り行われている。一人の衛兵が直立不動で無名戦士の墓を護っている。そこに交代の衛兵ともう一人の士官が登場し、その士官が直立不動で観客に向かい、「只今から交代式を執り行うので、全員起立して、静粛にお願いします。」と張りのある良く届く声で告げるのは、格調が高いオープニングである。その後その士官が交代の衛兵の銃を5分ほど銃の点検の儀式としてこねくり(?)回し、2人の衛兵が交代して儀式は終わる。その動作は、儀式としての各動作として、甲高く靴の合わせる音、敬礼、行進、銃の持ち替え等と見ていて舞踏芸術を見る観がある。たった3人で、100人以上の観客を引きつけるセレモニーは並ではない。

 これを見て、国家として、国に対して尽くしてくれた無名戦没者への力の入れ方の熱意とそれの自己主張、自己PRする旨さを感じる。これは愛国心を高揚させるには良い手段である。これなら安心(?)して、戦地に息子を送れるのかもしれない。別に戦争賛成ではないのだが、日本も、国際社会でもっと自分の立場を主張するには、こう言ったパーフォーマンスが必要だと考えさせられた。日本以外の世界では、控えめな態度や沈黙が何の理解ももたらさない事実を認識すべきである。これもコミュニケーション技術としての私の見方の産物です。

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 無名戦士の墓を護る兵士の交代式   1994年8月

 

ベトナム戦没者の碑

 リンカーン記念館の近くの公園内に、黒い御影石で作られた長さ200~300m、高さ3m程の長細い三角形碑がある。その碑全面に、びっしりと5万8千余の膨大な戦没者名が刻まれた悲哀の壁は、独特の荘厳さがある。

 横に長く広がるこの碑の各所には、花や小さな米国旗が供えられていたり、親族の名を紙に転写している人や、名前をさすっている人がいたりと、その場所を通過すると関係ない私でも、何故か胸が熱くなるのを感ずる。これは各種のガイドブックの文面からはけっして伝わってこない状況だ。

 米国は理想に燃え、間違ったことでも国中で突っ走ってしまう歴史的事実が多いのだがその間違いをこういった形で後世に残すフィードバック体制は、他の先進国には見られないものだ。その点では、アメリカ人は純粋で評価すべきである。米国史博物館にも、この場所の記念碑のパノラマ縮小模型が展示されている。(ただし、ペンタゴンツアーではこの事例は展示ない)

 当時、ベトナム戦役拒否をした大学生だったクリントンを大統領に選んでしまうこの国の包容力の凄さをこの碑を見て感じた。

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 ベトナム戦没者の碑 

 

 この場所は訪問する予定がなかったのだが、リンカーンセンターからスミソニアン博物館郡にわたる公園内を歩いていたら嫌でも目に入ってきてしまった。また私はこういった場所を記念撮影するのは不謹慎だと思っているので、写真を撮るつもりはなかったが、ついその荘厳さに、遠景から写真を撮ることを許してもらった。

 私は墓地とか慰霊碑の前で記念撮影する人の気持ちがわからない・・・。なんと不謹慎な! 私は、マスコミが不幸のあった人々の悲しむ姿を、近距離から執拗に撮影するのを何時も苦々しく感じている。あれは報道の名を借りた暴力以外の何物でもない。普通の人は、肉体的苦痛より、精神的苦痛が心身に響くものだ。せめて遠くから撮る配慮ぐらいできないのかと腹立たしく思う。悲嘆にくれる人達をそっとしておいてあげるのは、人間として最低の心配りである。その点で最近のマスコミ、特にTVワイドショーのエセヒューマン的振る舞いは極悪非道である。TVワイドショーは、現代版川原乞食の見せ物興行(それをワイドショーと横文字を使うから騙される)であるが私の意見です。それを平然として見るのは、もっと非人間的行為である。国民の品格は、こんなところに如実に出てくるものだ。いつから日本はこんなに心の貧しい国になったのだろう。

 

イタリアの無名戦士の墓

 第二次世界大戦でムッソリーニのファシズム国家として戦ったイタリアでさえ、国のために戦って命を落とした英霊は儀仗兵に守られて、「ヴ一トリオ・エマヌエーレ2世記念碑」として無名戦死者のMonumento a Vittorio Emanuele II(ヴ一トリオ・エマヌエーレ2世記念碑)に荘厳に埋葬されている。それを私は2010年のローマ旅行で確認した。

 ローマの中心ヴェネツィア広場にそびえる巨大な白いモニュメントは、1961年のイタリア統一50周年記念として建てられた。その建物の真ん中に立つ初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が、ヴィットリアーノという呼び名の由来である。またの呼び名をAltare della Patria(祖国の祭壇)という。完成が1911年と比較的新しい建物で、兵士が常時警備する第1次世界大戦の無名戦士の墓がある神聖な場所である。その儀仗兵の交代式は荘厳である。

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Img_2121s    儀仗兵の交代式     2010年11月15日

2020-08-15 久志能幾研究所通信 1706  小田泰仙

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2020年8月12日 (水)

私のあるべき姿(人・モノ・金・時間・生き方)

オダ仏教生産システム

 

投資

 金が出来たら、自分の成長のために金を使え。そのために無駄遣いはするな。自分の一部となって、自分を助けてくれるモノに金を使え。能率アップ、時間創造、機会創出のために金を使え。自分という「人」こそが、ものを2倍にも10倍にもできる存在である(ドラッカー)。自分への教育投資で、その能力は100倍にもなる。

 お金を貯めても世間の価値観が変われば紙屑となる。戦争・敗戦になれば、全てが失われる。1952年の新円切替でもそれを示している。祖父はそれで、貯金してあった退職金の全てを失った。どんな時代になっても、お金を稼げる能力を作るために、自己投資をせよ。

 

モノ

 買うなら一番高いモノを買え。買って後悔しないものを買え。一生使えるモノを買え。高いモノには汗と魂が籠っている。金は時間(命)を全うするための道具である。命とは、自分が一生で使える総時間である。その時間を有効に使うために道具は使いこなせ。金を残して死んでも、誰のためにもならない。

 人の批判を恐れるな。人の価値観は、その人の成長により変わる。往々に他人は僻みで批判をする。惑わされるな。自分を信じよ。

 

時間

 時間(命)を生かして使え。時間が命を創造する。命とは、自分が一生で使える時間の総量である。その時間を効率よく使う為、健康に最大の注力をせよ。死んでもいいから、健康第一である。天才でない者は長生きすることだ(坂村真民)。

 時間を無駄にする人とは縁を切れ。此の世で一番大事な存在は自分である。お釈迦様もそれを言っておられる。その自分を大事にしない人は、他人をも大事にしない。だからそんな人とは縁を切れ。

 その最悪の存在が、自爆テロリストである。

 自爆テロリストは中東ではなく、身近にも存在する。ぼやき、自己否定ばかりで暗い話しばかりする人もテロリストである。その人に話を合わせていると、自分も暗くなる。自分の未来が暗い方向に引きずり込まれる。言葉の影響を一番受けるのは、自分である。

 嘘でもいいから、明るい未来を語れ。それが時間創造である。嘘でも100回言えば、本当になる。

 

お金

 お金を生かして使え。そのために活き金を使え。死に金とは、お金を泣かすこと。お金は女性名詞である。女を泣かせて、幸せは掴めない。お金を生かし、お金に喜んでもらうように使え。

 お金にも神仏が宿る。お金の使い方、扱い方で、恩返しがあり、罰当たりがある。お金は目的を持ち、感謝し貯めよ。お金を幽閉すれば、お金の復讐がある。

 お金を感謝の心を込めて旅立たせよ。そうすればお友達を連れて帰ってきてくれる。

 

ご縁

 命に係わるご縁があるなら、血縁を切ってでも、そちらを選べ。師が人生を左右する。身近な腐れ縁ほど恐ろしいものはない。

 遠くの親戚よりも身近な隣人である。私は癌を患って、痛感した。

 

トラブル

 問題が起きたことを喜べ。それは神仏が何かを直せと啓示している。人生で物事をやって何も起きなければ、それは挑戦ではない作業であったのだ。単純労働者の世界を脱して、新しい付加価値を産む世界を目指せ。

 何も事件が起きない人生とは、行けども行けども、何の風景が変わらない砂丘を旅するようなもの。それを繰り返せば、認知症へまっしぐら。

 問題が起きたら、対処療法でなく、真因を探して解決せよ。そこに人生のお宝が埋まっている。

「五戒の何故なぜ」を5回繰り返せ。計25回考えて真因を探せ。

  動機善なりや。(稲盛和夫氏)

  利他がありや。

  時間、時代に反していないか。

  場所と立場を変えて見たか。

  方法を変えてみたか。

 

神仏

 見えないものを大事にせよ。世の中は、プラスマイナスでゼロの世界。それが宇宙根源の理に合っているか考えよ。松下幸之助翁が信じたものが、宇宙根源様であった。

 見える世界ばかり追い求めても、限界がある。見えない世界を大事にすれば、神仏が助けてくれる。

 私は今、それを癌の治療を通じて実感している。私は神仏、ご先祖様、河村義子先生の霊に助けられて、今を生かされている。

Img_44121s  馬場恵峰書

2020-08-12 久志能幾研究所通信 1703  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月10日 (月)

書評『病気になりたくともなれない話』

宇田成徳著『病気になりたくともなれない話』致知出版社

 

木鶏クラブでの講演会 致知出版 2005416

講師  宇田成徳博士

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所感1

 医師ではない宇田博士が説く健康法(開運法、仕事術)は、実例のデータを多く示してくれるので納得してしまった。経営者ではなく、同じ開発者研究者(当時)で工学博士(元松下電器)であり、特許も多数持ち、R&D100アワード賞には輝いた方の体験談は、人生の師の言葉と合い通じる重みがある。心も頭も体も、そして運命も真理は同じである。

 日本の最近の社会がおかしくなったのではなく、自分達が食生活を悪い方向に変えてきた。それが病気の原因である。またこの50年で「心」の食べ物も悪くなった。社会がおかしくなるはずである。

 日本がおかしくなったのは、「狂った食事」、狂った生活」、「狂った教育」が原因である。だから狂った政治家が生まれた。

 

 

所感2 日本の政治

 日本がおかしくなったのは、政治家の悪政が原因である。日本は病気である。

 日本は30年来、不景気が続くのに、減税ではなく、なぜ増税なのか。狂っている。欧米が年間1500時間労働で、2~3%成長なのに、なぜ日本は2000時間労働で、成長率が1%なのか。日本の経営が狂っている。経営者が拝金主義に染まって、頭が固くなってしまったのだ。欧米は拝金主義ではあるが、頭が柔軟である。だからGAFAが成長している。

 大垣市がおかしくなったのは、小川敏が原因である。小川敏は大垣市をこれだけ衰退させた元凶なのに、その責任も感ぜず、6選を目指すのとは狂っている。日本の経済成長率が1%で、大垣市の成長率がマイナス1%である。小川敏の経済政策が狂っている。

 

宇田先生の健康と人生のキーワード

健全な精神は、健全な肉体に宿る。

人生は最高のことしか起こらない。

賢者は先人に学び、愚者は体験に学ぶ。素直な人は自然に学ぶ。

一は全て通じる。

親孝行をすれば実力は4倍になる。

客観性を磨くと、自分が見えてくる。

どうしたら喜んで貰えるか、どう見られているかを考えれば実力は4倍になる。

144k8a10931s 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」

 

 

私(宇田)の方針

 一は全て通じる。3年挑戦して、師を越えなかったらおかしいと思え。

 私は、企業として相手の会社と共同研究をしている時、その会社に出張で入るとき、「どうぞ○○の発展をお祈りします」と言って入る。会議でも相手のことを祈りながら発言する。

 友人にニッコリ笑ってもらう、喜んでもらおうと思えば、いくらでもアイデアが出てくる。

 私は、毎朝、なりたい自分をノートに書き出している。人は一番多く見たり聞いたりしたことが実現する。ならば自分でなりたい自分を毎日書き出さばよい。

 

就職試験論文に落ちたくても落ちない答案作成方針

(人生の生き様を書く)

論点

 ただひたすら生きる(60点)、

  社会の役に立つために働く (30点)

  知識の過多 (10点)

以上の合計点で合否が決まる。

1978~2003年で、宇田先生が指導した学生で落ちたのは一人だけ。

 

学び方

 賢者は他人の失敗に学ぶ、愚者は体験に学ぶ。

 素直な人は自然に学ぶ

 

病気は疲れた時に出る。疲れなければ寿命は125歳である。

1)水分をたっぷりとると病気は1/2になる

 オシッコは毒である。水が足りないとオシッコが薄い、濃縮されない。

 腎臓が150L/日の浄化をしている。腎臓は0時から休む、だから夜更しは腎臓に負荷をかける。それは疲れの元である。

 

2)ミネラルをたっぷりとれば1/5に減るはず

 昔(50年前)、アトピーはなかった。つまり食生活の変化が原因である。

 本に書いてあることは90%のみで、後の10%の大事なことは書いてない。それを探すのが真の読書である。

 

3) 冷たいものを避ければ1/4減る

 胃中の酵素が、食物を消化・溶かす働きをする。

 冷えると酵素の働きが弱くなる。だから冷たいものは避けること。

 

 私は(小田)は、朝起きると白湯を一杯飲む。決してコーヒではない。

 

4) 快便

 動物の排便は瞬間である。野生動物は便秘で悩まない。

 排便時間の長い人は食事を改善すること。「狂った食事」をしている。

 そんな生活では何時か、大腸がんになる。

 

5) 食べ過ぎは疲れの元

 食べ過ぎると消化不良となり、それが体に毒となり、この毒で体が疲れる。

 二十日ねずみの実験

 A  満腹ねずみ    6ヶ月の寿命

 B  Aの60%ねずみ  18ヶ月の寿命

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6) 怒ると疲れる

 怒りとは何か。ハリネズミは威嚇するとき針を立てる。動物の威嚇の名残が人間の怒りである。怒りは瞬間にエネルギーを燃焼させ、瞬時に老廃物が発生する。瞬時には体内で老廃物を処理できないので、尿毒ができ、自分で作った毒で疲れる。

 

7) 喜ぶと元気になる

 喜びの典型は犬が喜ぶとき。一番の喜びとはエサをもらったとき。パブロフの条件反射で唾液,胃液が出て、体中活発する。それが、喜びの原点である。人間も喜びが体を活性化させる。

 

8) SEXはなぜ快感なのか

 自然界に不必要なことは残らない。それは快感ではないからである。自然界での典型的なSEXはカマキリの交尾である。交尾のあとオスはメスに喰われるが、痛くはないはずである。自然界の麻酔が脳内に出てくるからだ。

 

2020-08-10 久志能幾研究所通信 1700  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

危機管理16 『チーズはどこへ消えた?』(2/2)

エピソード1

 当時(2000年頃)の勤務先のU社長も係長会への訓示や基幹職招集時のお話で、基幹職はこの『チーズはどこに消えた?』を全員読むようにとの指示をされた。私の英語の師匠である後藤悦夫先生から,米国の有名企業の多くが教育テキストとして活用しているし、この原書は易しい英語で書かれた薄い小冊子(全96頁)なので、英語の教材としてもお勧め、との情報を頂いた。そこで遅ればせながら本屋に買いにいったら、刈谷市、知立市では売り切れ状態であった。目的ある本を捜しに行って、売り切れであったのは久々である。慌てて,丸善に和書と原書をセットで注文した。

 

エピソード2

 この後藤先生には中学生になる孫娘さんがいて、毎週 1回、後藤先生の自宅に英語の個人指導で通いに来ている。先生がこの『チーズはどこへ消えた?』を話されたら、「面白そう」と、本を借りていった。その時、原書も見せたら「これも面白そう」と言って、「おじいちゃん、これも貸して」と持って帰った。私の回りの人にこの原書を見せて紹介しても、拒否反応ばかり。柔軟な姿勢の中学生のお嬢さんにも負けてはなるまい。リーダーは迷路に入って行く勇気を持ちたいもの。

 

エピソード3 『風とともに去りぬ Gone with The Wind』

 私は一世を風靡したベストセラーのマーガレット・ミッチェル著『風とともに去りぬ』を思い出した。この小説が、『チーズはどこへ消えた?』と同じ趣旨で、ラブロマンス風、大歴史小説風に仕立ててあるのに気がついた。つまり『チーズはどこへ消えた?』を文学的に訳すると、Gone with The Windとなるわけである。

 開拓者たちにより、理想に燃えて建国された米国合衆国が、黒人奴隷開放の議論で国を二分する南北戦争に発展した。その戦争が南軍の敗北で終わった時、今までの良き時代の風習、慣習、文化そしてそんな人達が、風とともに去っていった。題名の『風とともに去りぬ』はそういった時代を表わしている。そういった殺伐たる状況のアトランタは、まさに日本の敗戦後の焼け野原状態と同じであった。

その状況で、古き良き時代をいつまでも懐かしく思い、いつかはそれが帰ってくると信じて、なす術もなくただ無気力に待つだけの人(ヘム)、混乱に満ちた都会で一旗揚げようと自分の才覚を信じ逞しく生きる人達(スニッフとスカリー)、おっかなびっくりで新しい新天地の向かう人達(ホー)、そんな人達をスペクトラ的、ロマンス的に描き、そこにホーとスニッフとスカリーを凌駕して逞しく生きるスカーレット・オハラがいる。ただし、彼女とて変化を予測して生きてきたわけではないが、変化があっても生きる術を模索して、迷路に勇敢に突入していく逞しい女性であった。それ故、アメリカ開拓精神を持つ米国民が彼女を愛したのであろう。

 ドラマのフィナーレでスカーットは泣きながら叫ぶ、

 I'll think of it tomorrow, at Tara. I can stand it then.

 Tomorrow, I'll think of some way to get him back, After all.

 Tomorrow is another day.

 過ぎたことは悔やんでも時間は戻ってこない。

 明日は明日の風が吹く。

 明日からでなく今から精一杯チーズを見つけるために生きよう、と。

 

 ここに過去に囚われず未来を生きようとする人間がいる。過去に生きる人には現実は冷酷である。今に生きる人には活力があり、未来に生きる人には希望がある。

 本とは出会いである。いろんな気づきや自分の成長で、今まで観えなかったドラマが見えてきて、昔読んだ本にも新しい出会いがあるのを発見した。

 

エピソード4  失われた30年

 日本経済は、戦後の焼け野原から、奇跡の高度成長期を経て、1991年にバルブが崩壊し、それ以来デフレの時代が30年間も続き、いまだに失われた30年と言われる時代が続いている。

 今の管理職の世代は過去の栄光が忘れられず、相変わらず多時間労働、滅私ご奉公の精神で働いている。GAFAで代表されるアメリカの企業達は、価値観を変えて企業の変革に取り組んでいる。日本は相変わらず、過去の延長線上で働いているから、失われた30年が生まれた。いつになったら気が付くのか。

 

エピソード5  失われた健康

 私は2019年2月に癌の手術をして、健康であった生活が一変した。病後の後遺症で、食べるものも食べられず、まともに歩けない。以前の食べ放題やよく食べよく遊びの生活が出来なくなった。あって当たり前の生活(チーズ)が消えたのだ。癌は、今までの生活が間違っていたことを教えてくれた。今は、「狂った食事」、「狂った生活」から、正しい食生活に変えることで、楽しく安心して暮らしている。

 変わろう。前進しよう。変化を楽しもう。新しい冒険を味わい、新しい生活の味を楽しもう。進んですばやく変わり、再びそれを楽しもう。

 何時までもあると思うな、親と健康。

 チーズは偶然、死は必然。

                      

2020-08-10 久志能幾研究所通信 1699   小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月 9日 (日)

危機管理16 『チーズはどこへ消えた?』(1/2)

 スペンサー・ジョンソン博士著『チーズはどこへ消えた?』(2000年 扶桑社880 円)がベストセラーになった。話はたわいない内容であるが、現実には深刻な人間の性を寓話的に描いた作品である。ある迷路に 2匹のねずみと 2人の小人が住んでいた。そこに美味しいチーズがあり、満ち足りた生活をしていた。ある日、そのチーズがなくなる時が来た。その時の4者(匹?)の対応ぶりのお話である。ここで登場する「チーズ」とは、我々が人生で求める仕事、家族、財産、精神的な対象の象徴である。「迷路」とは我々の幸せを求める場所、仕事場、家庭の象徴である。登場する2匹のねずみと2人の小人は我々の性格を象徴している。チーズが消えた時、自分ならどうするかを自問自答して読む哲学書でもある。

 

この物語の教訓

 変化は起きる   チーズはつねに持っていかれ、消える

 変化を予期せよ  チーズが消えることに備えよ

 変化を探知せよ

   常にチーズの匂いをかいでいれば、古くなったのに気がつく

 変化に素早く適用せよ

  古いチーズを早く諦めれば、それだけ早く新しいチーズを楽しめる

 変わろう     チーズと一緒に前進しよう

 変化を楽しもう

   冒険を十分に味わい、新しいチーズの味を楽しもう!

 進んですばやく変わり再びそれを楽しもう

          チーズはつねに持っていかれる

1

 スペンサー・ジョンソン博士著『チーズはどこへ消えた?』(2000年 扶桑社880 円)

 

警告の書として

 会社は放置すると死んでしまう。そんな厳しい現実を、形を変え、たわいもない寓話にしてのが『チーズはどへえ消えた?』である。今、企業は生き残るため、従業員の意識改革と教育に必死である。必死でない企業が倒産している。そんな背景もあり、この書は米国の多くの有名企業(*) の教育用テキストとして使われてベストセラーになったようだ。今ある状態が永遠には続かない、今の本業がいつかは成り立たなくなるときが来る。その時にどうするか、その時の各人の生きざまがこのお話しの中でたとえで語られ、そこに登場する4者(ねずみと小人)のどれに自分は当てはまるかを自問自答させられる厳しい物語でもある。

 赤字の会社・事業部・部門・個人(赤字の人生)は、変化が来るとは思わず、変化を一時的なものとしてしか認めず,変化を怖がり、安全な場所で今までどおり働きたいと思い、変化をしようとする人の足を引っ張る人や体制が多いし、体質がそうなっている。少なくとも黒字の会社と比較するとそういう傾向が多い。だから、この書を警告の書として世界の企業のトップは読めと勧めている。たぶん変わらない部下にイライラしながら。なにせ大前研一氏は「35歳から50歳までの社員は企業内の不良債券だ」とまで極言している。そんな意見がでるのもそれなりの根拠があるはずだ。本当に著者が伝えたかったのは「変化を恐れるな、変化を楽しみなさい」である。それが出来ない人が不良債権となり、会社を危機状態に陥らせるのです。

 

*:シティーバンク、エクソン、イートストマンコダック,ジェネラルモータース、グットイヤー、マリオット、モービル、オハイオ州立大学、ゼロックス、教会と病院、政府機関、米軍等で活用(他15社名が記載)

   (この情報は邦訳本には記載されていない。原書のみの情報)

 

経営者の本音

 この物語は、かっての高校のクラスメートの一人マイケルが自分の会社の仲間に配ったお話として語り、その後に、この話の聞かされた元クラスメート達による静かな熱い議論がある。ここからが経営者の本音の部分である。そこで私が注目した重要な現実(変化しない自分)とシリアスな発言(変化しない人は解雇)があった。

 

変化しない自分

 ビシネスウーマンのローラが疑問を投げかけた。「変化を恐れている人はどれくらいいるの?」と、その場のかつてのクラスメートに挙手してもらった。しかし、たった一人しか挙手しなかった。で、「自分以外の人は変化を恐れていると思っている人は?」との質問に変えたら、全員が挙手した。つまり自分では気づいていない。認めたくないという現実がある。この種の教訓は品を変え形を変え我々に教訓という苦い薬を提供してきた。それはいかに人間が変われないかの証明でもある。また、変わったつもりでも、回りからは変化してとは見えないという事実でもある。その格差に気づいてほしいのである。

 

 私が受けた某経営者セミナー(2000年頃)で、我々はリーダーとして、また経営者として変わるつもりで、参加したのだが、実際は少しも変わっていない自分との出会いがあった。その出会いに気づいただけでも自分を褒めてあげたい。普通の人はそれさえ気づかない。

 

変化しない人は解雇

 変わらなかった人に対しては、どうしたのだという質問が飛び、「辞めてもらうしかなかった。全員働いてもらいたかったが、我が社が急激に変わらなければならない状況で、そうしないと全員が困る状況に陥るからだ」と、マイケルは苦渋に満ちて告白した。米国企業のトップがこの書を勧める本音がここにあるような発言である。我々がリーダーや経営者の意識で、これらの4者の人達を俯瞰的に観て、組織を運営していかねばならない。しかし危機状態でも変われない人達がいる、その現実を知ることである。ここに組織の縮図がある。あなたが4者の上に立つリーダーなら、どういう運営をするかの命題としても読める「楽しい」大人のファンタージーである。これが楽しく読めなければ、あなたはヘムである。リストラを覚悟するか、意識改革をしなくてはなるまい。

 

10年間で8割が倒産

 日本には約3,000 万社の中小企業が存在するが、10年間で8割が倒産する現実がある。残るのはたった2割である。これが50年間となると、存続するだけ奇跡と言われる。単純に確率計算をすると,0.2 の5乗は0.00032 である。確率的に3,000 社に1社しか生き残れない。

 大企業でも、普通は企業の寿命は30年といわれる(2000年頃)。花形産業でもその寿命は30年である。今の技術革新の激しい時代(2020年)は、その寿命は18年と言われる。

 私の前職の会社も創業65年で、市場から名が消えた。その会社を吸収合併した会社も、以前に倒産寸前になって別の大会社の資本が入った。

 兵庫県明石市の人麻呂神社には、50年前に当時の地元の企業100 社が寄進して社の修復をおこなった。坂の石段にその時に寄進した企業名が刻まれている。しかし、当時の企業で現在も存続している企業はたった1社しかない。それもその企業名は確かに残っているのだが、その企業の業態は変わっている。上記の確率から計算と現実をみると、現実の厳しさを実感できる。現在は、倒産しないという神話のある業界や大企業の破綻の噂が目白押しである。

 そもそも寄進とは隠徳である。寄進を行為を石に名前を刻ませるとは売名行為である。名前を刻む作業にも費用が発生して、寄進したお金が目減りしている。トップのそんな傲慢な姿勢が、50年後に企業が消滅する因果を招いたのではと思う。売名行為をする、それは企業が成長の頂点を極め、後は衰退するとの暗示である。

 数百年続いた伝統あるお菓子屋さんがある。そこが生き延びた理由を店主に聞くと、伝統を絶えず時代に合わせて変え来たので、今の伝統が守られているという。伝統を守るには変わらないと守れないのである。それが守破離である。

 

私のチーズが消えた---過去を抹殺して

 私は、前職の事業部の看板商品の開発に、入社以来20年間、開発一筋に携わってきた。ところが人事異動で生技開発室を担当することになり、今までやっていた自分の経歴を否定する技術開発に取り組みを命じられた。自分の過去を抹殺する業務である。今、自動車部品開発で、新工法技術が価格競争とグローバル競争で、求められる技術の一つであるからだ。いつまでも過去の技術にこだわっていると部品事業部の製品が売れない結果となる。私自身、目の前からチーズが消えた現実に置かれた。

 

 当社の看板商品のもう一つが自動車部品事業部の油圧部品である。当時、時代は地球環境保護、省エネ、の流れを受け、電気化のニーズが高まっている。当社の油圧部品は、世界市場シァアで15%の世界第2位であるが、5年後に今の製品の(チーズ)の市場は激減している恐れがある。少なくとも電気化のニーズが高まるのは各種の予想で警告されている。油圧部品市場が激減した時になって、「チーズはどこに消えた?」と狼狽してはなるまい。

 現在、美味しいチーズがいくら大量にあっても、日々どんどん古くなり、減っていく。「ホー」が「新しいチーズは今までの場所ではなく、外にあるのではないか」と考える瞬間がある。それこそ著者が一番言いたかったことなのだ。

 

 この書の著者スペンサー・ジョンソン博士は心理学者である。20世紀は頭の時代で、21世紀は心と魂の時代と言われる。頭だけで考えているだけでは登場人物のヘムとホーのように変化に対応できない。まず行動が必要だ。変化は起きるものとして、変化を予期し、素早い対応が求められる。そうできない企業は破産し、人は破綻する。変化する、変化に機敏に対応する、そうした倒産への防御が危機管理である。そのためには企業は変化し続けなければならない。企業を構成するのは人間である。その人間が変わらないと企業も変わらない。

 

2020-08-09 久志能幾研究所通信 1698   小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月 8日 (土)

危機管理30  あなたの臨終

 死とは、人生で最初で最後の最大のプロジェクトである。その経験を伝えた人はいない。だから希望として、自分の死は悔いのないプロジェクトとして完成させたい。

 私は、自分の臨終を考えて、理想の死にかたを追求している。それが美味しいモノに誘惑されて病気になり、心筋梗塞やガンで死ぬことは避けたい。美味しいモノには毒がある。その毒物がこれほど溢れている時代は人類史上、初めてである。毒と分かっていても、つい手を出してしまう。その誘惑を排除して、心と体の健やかさ(健康)を保って、天寿を全うしたい。理想は老衰死である。それが危機管理である。

 不慮の事故等で死ぬのは、危機管理ができていなかった証である。その事故に遭う確率を少しでも減らして生きたい。身の回りは危険が一杯である。

 天命を全うするため、死というプロジェクトに本気で取り組みたい。それこそ本当の終活である。財産や品物の整理や身辺整理は、些細なこと。そんなことは、後の人がやってくれる。後は野となれ山となれでよい。

 それより何のために生きて、何のためなら死ねるのかを、明らかにすれば死は諦められる。諦めるとは、死を明らかにすること。

 

「詩人の颯声を聴く」

  本気になると

  世界が変わってくる

  自分が変わってくる

  変わってこなかったら

  まだ本気になってない証拠だ

  本気な恋

  本気な仕事

  ああ

  人間一度

  こいつを

  つかまえんことには

 

 これが但馬銀行に掛かっている。谷山さんが掛けられた。その詩でずいぶん救われた人がいる。何故かというと、銀行ですから、破産した人、しそうな人,いろいろ来る。お金借りたいと思って来て、そして、「わしは、まだ本気でなかった」と。「本気でやらなかったからこうなったんや」と。それで、「だから、銀行からお金借りません」って。そして帰ってやり直す。たくさんの人が「本気」で救われました。

 

息をしている瞬間が臨終

 一遍上人は「ただいまの念仏の外に臨終の念仏なし。臨終即平生なり」という。つまり、あなたも私もいま、息をしていますが、その息をしている瞬間が臨終だ。毎時毎秒、 1分 1分が臨終なんだ。今、そういう気持ちで生きている人間がいますか。そこまで徹底して追及した人はいません。一日一生などといいますが,一瞬に比べたら、一日はとても長い。

 一遍さんは息をしているときがすなわち臨終だという。そう考えたら、なんでもできる。人間、いま死ぬんですよと言われて、すると、慌てふためく人もいれば、そうかと考えて、なすべきことを全部しようという人もいます。死ぬ気でやれ、なんていったりしますが、本当に死ぬ気でやったら、できないことはないんじゃないですか。

 

創造する人間

 「老人は早起きだというが、そんなことはない。私が普通の人と同じように遅くまで寝ていたい。しかし、私が普通の人と同じように遅くまで寝ていて、どうして人々の心に光を灯す詩が書けますか。創造する人間は絶えず、危機の中に身をおいてないといけない」

 

著者プロフィール

 四国松山に住まい、

 ひたすら詩作に一道精進を続ける。94歳(2003年1月現在)

 随筆集「念ずれば花ひらく」の著者。

 1980年 正力松太郎賞受賞

 1989年 愛媛県教育文化賞受賞

 1991年 仏教伝道文化賞受賞、愛媛県功労賞受賞

 2006年12月11日 逝去

 坂村真民(聞き手藤尾秀昭)著「詩人の颯声を聴く」より。一部編集。

 致知出版社(2000年) 1300円

 

本気

 「本気」の詩を見てご臨終になる人、生き返る人。自分はどちらであろうか? 今日元気であっても、明日地震で死ぬかもしれない。東日本大震災、阪神淡路大震災のように。明日、テロに遭遇するかも知れない。ニューヨーク貿易センタービルの同時多発テロのように。いつ何時、レバノン大爆発の巻き添えにあうかもしれない。いつ何時、ガンで余命宣告をされるかもしれぬ。癌ならまだ時間余裕があり幸せである。心筋梗塞、脳梗塞に襲われれば、即死状態である。その数は年間20万人余である。

 「今、すなわち臨終」との一遍上人の言葉が、心に重くのしかかる。今を必死に生きない人に明日は無い。それは生きているのではなく、生き長らえていることで、ただ息をしているだけの人生ではないのか。

 私の好きな詩に「本気」がある。本気で物事に取り組んでいれば、道半ばで斃れても、本望である。それは名誉の戦死である。本気でないから、死に臨んで悔いが出る。

 

河村義子先生の本気

 私も1年半前に、余命2年半の余命宣告を受けた(5年後の生存率51%)。計算上は後1年の命である。

 義子先生は、死の5年前にその余命を悟られたようだ。義子先生は、死を明らかにして、諦めて本気で人生最後の5年間を生きた。私はその最後の5年間にご縁があったことに、感謝である。義子先生から、人生のフィナーレの生き方を教えて頂いた。

 

 本気ですれば大抵のことはできる。

 本気でしていると何事も面白い。

 本気でやっていると誰かが助けてくれる。

 人を幸福にするために、本気で働いている者は、みな幸せである。

                       作者不明

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 馬場恵峰書

 

2020-08-08 久志能幾研究所通信 1696  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月 4日 (火)

伝承とは祈り

 私が師匠から教わった一番大事なことは、「技術はいらない。精神性と心を磨け。心が伴なわない人に、技術なんてロクなもんにはならない。」。

 私はそう教わって、次に人にそれを少しでも伝えられたらいいと思う。そうやって結果を残すことが、現場を含めて、人づくりもそうですわね。そこが一番の恩返しかなと思います。

   西山 天龍寺 庭師 平木信行氏 談

 2020年7月6日放映NHKBS「京の都を守る霊山 祈りの道」より

 

何のために?

 どんな仕事でも、イベントでも、心が籠っていない仕事は、人に感動を与えない。やっつけ仕事で、いくらイベントを上手くやっても、同窓会幹事だけが自己満足しているようでは、ガキの作業でしかない。

 その仕事は、何のために? 誰のために? 何を残すために? 何を継承するために?を自問したい。その答えは千差万別でも、それをやり遂げる人の心こそが肝要である。

 それを突き詰めると、何のために生きているのだ?

 その答えを求めて生きている人は幸せである。少なくとも、人として生まれて、学んで人間を目指して精神を磨いているからだ。

 魂の浄化こそが、動物で生まれて、人間になるための目的である。

 

 学ばないと宿命的存在、つまり動物的、機械的存在に成り下がる。学ぶことで運命的存在、つまり人間的存在になる。

               安岡正篤

P10609301s

何のために市長になったのか?

 2017年12月21日、小川敏の母校の忘年会で、集まった同窓生の場で、上座にふんぞり返って小川敏は、翌年の市制100周年記念行事の件を誇らしげにぶち上げた。その忘年会の開催目的は、小川敏が同窓生にその演説をブツための集まりであった。同窓生は卒業すれば、皆同列である。それを小川敏が上座で演説をぶつように段取りした幹事は、仲間の裏切り者である。忖度である。50年前の母校の同窓会としての最初で最後の忘年会を、段取りした幹事は、その目的を忘れて走り回った。多くの同期の仲間を呆れさせた。虚しい幹事作業であったと思う。 P10909022

小川敏は何のために大垣市長になったのだ?

 その市長としての心がけがないから、市政が最低である。小川敏には、市民のためという心も大義名分もないから、大垣市は小川敏が市長になってから、19年間連続で没落し続けた。大垣市の公示地価が冷酷にそれを示している。

 

020-08-04 久志能幾研究所通信 1689小田泰仙

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