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2020年9月11日 (金)

あなたの目的は何?

 「人間はモチベーションで方向が決まる。お金が目的なら、それが達成できればそこで止まる。名声も同じだ。私の目的はゴルフなんだよ。」

  プロゴルファー 中嶋常幸  (PRESIDENT 2003.3.17 P17)

 

 「首位打者を目標にしていたら、どっかで挫折していたでしょう。

 “あれをやっておけばよかった”ということがないようにすることです」

     イチロー選手  2007年

 

 大垣市長の小川敏の目的は、大垣市長になる事だけであったようだ。現在の状況から判断すると、彼には大垣市民のため、何かを成し遂げようという志はなかった。だからそこで成長が止まった。そんな男が19年間も大垣市に君臨したので、大垣市民に不幸をもたらした。

 

感動と理動

 小川敏は頭だけを動かして大垣市を経営したから、市民の心を動かす政治が出来なかった。心が動けば、頭も動くのだ。そうすれば市民が喜ぶ政治ができたはずである。

 人は「感動」しても、「理動」はしない。今まで日本では、記憶力だけが優れていた人が評価される時代が続いた。50年前の記憶力だけの試験成績が良かっただけの輩が評価され、政治経済の舵を取った。俗に頭がいいいわれる人は、先例を重視して、新しいことは避ける傾向にある。だから日本の成長が止まり、大垣は没落した。「理」だけで考えるから、理性以上の考えに及ばないのだ。創造性が欠如しているのだ。理性とは理性でしか物事を考えられない偏った能力である。

 だから一流企業でトップの不祥事が続く。超一流大学出の人がオウム真理教に騙されて、絞首台に上った。金だけで物事を考えたから、日産でカルロス・ゴーンの事件が起きた。東大出ではない前市長・小倉満時代は、大垣は輝いていた。その後、東大出だけで評価された小川敏が大垣市を支配したから、大垣が没落した。理性だけでは、発想に限界があるのだ。それが現代日本の成長を阻害する病巣である。

 

私の夢

 だからこそ、自分は小川敏を反面教師として、一生かけても実現できないような夢を見ている。理屈で考えれば、アホかいなという大きな夢を見ている。

 夢を見るなら10倍大きくして、夢を見るようにしている。トヨタ自動車の大野耐一氏の教えである。簡単に実現できないから、自分は一生自己挑戦して成長できる。それが自分の成長戦略である。

 夢を見るなら利己ではなく、利他の夢を見よう。夢が実現したら、多くの人が喜ぶ夢を見よう。きっと神仏が助けてくれる。

 私の夢は、自宅にミニコンサートができる音楽ホールを造る事。そこで海外の音楽家達が、リハーサル、練習できる場所を提供することだ。現在、そういう場所がなく、音楽家が困っている。いくら練習と言っても大きなホールを借りれば、一日30万円の賃料が必用となる。

 

ブログの目的

 私のブログは、読んで少しでも生き方、人生を考える糧となり、何度でも読み返したくなる内容を書くように心がけている。自分の生き方の自省として書いている。私には書くことは生きることなのだ。そうしないと毎日欠かさず3年間も続けられない。 Img_5727s

 初めて馬場恵峰先生宅を訪問した時、お土産で頂いた書。

 2011年4月2日入手。東日本大震災直後で、その日にちを忘れない。

 

2020-09-11 久志能幾研究所通信 1745  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月10日 (木)

私の成長戦略、小川敏の大垣没落作戦が鏡

敵を知り己を知れば百戦危うからず(孫子)

 

私は自分人生会社の成長戦略を立てて経営してきた。

大垣市長は、大垣の成長戦略の物語を作らねばならぬ。

 

大垣市没落の主原因の5つは、小川敏が

 19年間の長期独裁政治、無為無策無能政治を行使、

 トップとして人格を向上させず、破廉恥言動ばかり、

 ダイバーシティ無視を行使、

 教育を軽視、

 士農工商の封建社会体制で支配、である。

 

トップの人格

 組織はトップの人格以上には成長しない。魚は頭から腐る。

 自分の成長は自分の人格の成長次第である。自分は人格を成長させる学びを人以上にしているだろうか。自問したい。

 自分が中小企業の社長として、反省すべきことはないか。

 

大垣市長の長期政権

 長期政権で、腐敗をしなかった歴史の事例はない。長期政権は必ず腐敗する。その政治の元では、都市は衰退する。大垣が衰退したので、小川敏市政は腐敗していると推定される。

 

目的の欠如

 自分は何の目的で、自分という人生を経営しているのか?

 いま取り組んでいることは、目的が明確か?

 手段と目的を混同していないか?

 何のために酒を飲むのか。

 何のために魚を釣るのか。

 何のために女を漁るのか。

 何のために金を儲けるのか。

 

小川敏は何の目的で市長になったのか。

 大垣市長が市を経営する目的が明確でないから、迷走する。だから19年間、ずっと没落を続けた。小川敏はどういう大垣にしたいのだ? 大垣憲章も寝とぼけた文章で、憲章の体をなしていない。

 何のために市長の座にしがみ付くのか。

 手段と目的を間違えているから、人生を迷走する。大垣市が没落する。

 

ダイバーシティ(多様性)の欠如

 歳をとると考え方が頑固になる。もっと自由な柔軟な発想ができないか、自省しよう。「フリー」とは拘束からの離脱である。だから「フリーセックス」とは、性の拘束からの自由で、淫乱の事ではない。成長するために「フリー固定観念」を目指して、自分を閉じ込めている殻から脱却しよう。もう歳だからと、自分を制限するのを止めよう。私は70直前に、第二の家を大人のおもちゃとして買った。そこを現在、サテライトオフィスにしたが、将来は音楽堂にする計画である。

 

 大垣市は役所の画一的な考え、体制が癌細胞的である。大垣市役所には、旧態依然たる思想の蔓延している。新しいことは排除して、前例に固守しているのがお役所である。

 

教育の軽視

 私は自身と部下の教育には金も時間も惜しまなかった。会社でも教育に投資をすれば、5年後に15%の成長が出来る。愚か者はすぐに成果を求める。教育の成果は、5年後、10年後、20年後である。成果主義で、すぐ成果を求める欧米式成果主義に染まったから、大垣は没落し、日本は停滞した。

 自分が成長していないのは、勉強していないからだ。人こそが、ものを2倍にも10倍にも創造できるのだ(ドラッカー)。その燃料は、教育である。

 組織のトップは、全員、教育は大事だと言うが、不況になると真っ先に削減するのが、教育費である。

 日本の政府がかける教育費は、経済協力開発機構(OECD)38カ国中で、37位の最下位であった(2017年度)。だから日本経済が停滞している。それに輪をかけて金を出さないのは小川敏市政である。

 

大垣の教育環境

 小川敏は、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費を県下最低にした。大垣市は、教職員の給与を一般職より、200万円も低く抑えている。それは教職員給与法に違反している。田中角栄が偉いのは、日本の未来のために、教師の待遇改善で教職員の給与を一般職よりも25%高くする法律を作った。小川敏はそれに違反している。教育軽視の小川敏の元では良い人材教育はできない。10年後は更に、大垣市が没落必然である。

 教育だけが、未来を救う手段である。今それが大垣市と日本で蔑ろにされている。

 

大垣は封建社会、士農工商が支配(役人の横暴)

 身分、年の差、性差、生まれの差別を無くそう。その偏見が、自分の成長を阻害している。

 

 大垣市では士(役人)が一番偉い。役人にとって商売人は一番下で人間扱いされない。大垣市は、役人が威張り、市政を牛耳っている。彦根市のそれと大違いである。だから自由がなく成長できない。

 例えば、小川敏を交えた高校の忘年会(2017年12月)でも、市長小川敏、教育長、弁護士、土建屋社長が上座に座る。他の下々は、下民として下座に座らされた。下座に座った民は、天ぷら屋の駅前天近の店員からも軽んじて、注文を後回しにされた。下座の民は、店員にウーロン茶を5回も頼んでも、やっと5回目で注文を受け付けてもらえた。

 私の前職の会社も宴会は、いつも上座を設けての配置で、古い体質の会社を象徴していた。前職の会社を吸収合併した相手先会社の宴会は、役員も部長も平もくじ引きで、席を決めた。仕事を離れれば、上下の壁がなかった。それを見て、私の前職の会社が吸収合併されても致し方ないと思った。

 平等な同期の会の宴席なのに、小川敏が上座に座ってふんぞり返っている姿から見て、大垣市が没落して当然である。

 

女性の社会進出の遅れ

 大垣市も日本も男社会。女性の活躍の場が少ない。

 

PDCAを回さず、既得権・利権を回す

 自分に起こる事象には、PDCAを回して再発防止をしよう。それが人生経営である。自分は、日頃の取り組みでPDCAを回しているだろうか。自省しよう。

 

大垣市の猪突猛進経営

 大垣の元気ハツラツ市行事でも、10年一日のように改善をせず運営をしている。改善しようとすると、利権が変わるので、それに絡む輩が反対する。そのため、元気ハツラツ市行事は街の活性化が目的なのに、逆に衰退を加速させている。その反省も見直しもしないから、衰退して当然。世の中は、最高のことしか起こらない。衰退するようなやり方だから、衰退は必然であった。それが分からないようだから、政治的認知症が疑われる。

 他の政策も同然のやり方。それでは成長するはずがない。要は、経営の基本ができていない。

 

それの遅れ(IT化の遅れ)

 自分は最新鋭のIT投資をしているだろうか。反省したい。

 

 大垣市は、パソコンを使えないおじんが市政を牛耳っている。小川敏はIT化新市庁舎とほざいても、ハンコがないと書類一つ通らない。それでは大垣が成長できるはずがない。大垣市役所は無駄のゴミ屋敷である。

 大垣市は、無駄な頻繁に故障する案内ロボットを置いて、自己満足だ。

 6歳児の知能にも劣る既製品のロボットを並べて、「ロボット化でございます。」と小川敏は天狗になっている。

 

無駄な投資:豪華な新市庁舎

 自分は何に人生の投資をしているか。見直したい。衝動で買ったレクサスLSは、私には少々贅沢すぎた。別の大人のおもちゃを買う為、手放さざるを得なかった。分不相応であったことが、反省された。愚かな人間は、愚かなことをやってみて、愚かだと分かるのだ。失敗しないとそれに気が付かない。

 

大垣愚劣物語

 大垣市の殿様は豪華なお城を建て、大垣駅前商店街の庶民は築50年のボロ屋敷である。大垣新市庁舎は、市民一人当たりの費用では、岐阜県下一の豪華さである。錆びた商店街では、都市の商売人は投資に来ようとは思わない。それを小川敏が「新市庁舎が街の活性化の核」というから狂っている。正気でないと、仕事もまともにできない。

 

投資の軽視

 投資とは自分の成長のためである。それこそ成長戦略の要である。私はそのためには、躊躇しない。

 

 小川敏はケチなので、投資を毛嫌いしている。投資のない街など成長するはずがない。

 

5Sの欠如

 大垣のトイレは日本一汚い。小川敏が清掃費を勿体ないと予算カットするから。

 大垣が没落したのは5Sの欠如。トヨタが成長したのは5Sの順守。

 整理整頓清潔清掃で賞味期限の切れたものは捨てよう。小川敏は5期も務めたので、賞味期限切れである。

 

認知症の蔓延

 大垣市では、役人の定年後の天下り先として、外部団体が幅を利かせている。他市では見られない70、80歳の高齢者がその天下り先の役員をやっている。それが既得権益なのだ。超高齢者の認知まがいの役人に改革はできない。大垣市民は、見えない税金を取られて、その費用がこれらの外部団体に回っている。

 小川敏自身が、現状の問題を把握できていないとしか思えない。政治的認知症ではないか。大垣市がこの19年間で、これだけ寂れた現実を見ても認識も責任も感じないようだ。認知症でなければ、6選に出ようとは思わないだろう。

 

危機管理意識の欠乏

 私は、自分自身を危機管理室の担当役員の意識で人生を経営している。問題が起これば、その対応と再発防止が最優先である。

 

 大垣市の危機管理室は、火葬場の下の位置付けである。小川敏には危機管理意識がない。だからドローン墜落人身事故を起こしても、説明責任を果たさず、市の責任者は全員、ドローンして逃げた。

 2年前の大型台風が中部地区を襲うまで、大垣市には危機管理室がなかった。それで慌てて、他市に30年遅れで危機管理室を作ったが、現状の組織に名前を付け替えただけであった。

 

経営能力の欠如

 自分が取り組む人生行事は、その付加価値を計算して、実行の可否を決めている「それをやってどれだけもうかるのや!」である。儲けとは、自分の付加価値を向上できるかどうかである。

 

小川敏は付加価値を認識せず

 小川敏の推進する行事は、付加価値を生まない政治・行事ばかりである。例えば、大垣市制100周年記念行事の多くは業者の利権行事である。ギネス記録水饅頭とも食い大会が良い事例である。だから3億5千万円を投資しても、翌年の大垣市の公示地価は、19年間、連続で下落である。3億5千万円がドブに消えた。投資をして、価値が上がらなければ、無駄の投資であった証明である。

 

無価値へのこだわり

 私は虚礼を廃止した。それで相手が喜ぶか、それで価値があるかで判断して、対処している。例えば年賀状、お中元、お歳暮、お土産等である。

 

小川敏は偽礼重視

 大垣市は、小川敏の寄付贈呈式、表敬訪問での驕りが蔓延している。

 福岡市は日本一の成長をしている。その高島市長は、表敬訪問を受け付けない政治方針を表明している。表敬訪問は何も価値を生まない。寄付贈呈式も価値を生まない。小川敏の事前選挙運動での顔売りしかない。だから大垣市は没落した。

 

神仏を敬わない市長の横着

 私は朝晩の神仏への祈りは欠かせない。

 

 ご先祖を祀る常盤神社の行事で、市長として参列した小川敏が居眠りするようでは、大垣市の発展はない。大垣の開祖の戸田公が怒っている。罰が当たりますぞ。

 大垣市行政は、ギネス記録水饅頭共食い大会のために、濃飛護国神社前を封鎖して、共食いの狂宴を行った。国に命を捧げた18,914柱の英霊からの罰があたりますぞ。

 

成果主義の導入

 驚いたことに、大垣市役所の人事に、成果主義が導入されている。私が大垣市役所に出向いた時、乗り合わせた市役所の職員2人が、提出すべき年度自己目標管理シートの話しをしていた。これがとどめの衰退原因である。流行に弱い小川敏が導入したのだろう。形いれて魂入れず、である。

 

 天外氏曰く「1964年に入社以来、僕たちエンジニアは目を輝かせて無我夢中で仕事に取り組む職場しか知りませんでした。でも、ソニー・ショック(2003年4月にソニーの業績が急落し、それにつられて、日本中の株が暴落)の2年ほど前から、うつ病の社員が激増しました。次から次へと新アイデアが飛び出していたソニーがなぜ凋落したのか。私なりに研究したところ、原因は90年代のトップが導入したアメリカ流の合理主義経営だとわかったのです」(PRESIDENT 2013.11.4号より)

 

小川敏のエゴチスム

 エゴチスムとは「自分は周囲の誰よりも賢く、あらゆる物事に対する答えが分かるよう天から定められていて、自分こそ支配者であり、他の者は全て自分に奉仕するために存在すると信じている」ことである。それは経営者の悪魔である。

 小川敏を観察すると、そういう風に見える。小川敏に直接会った人に聞いても、同じ感想である。

 

2020-09-10 久志能幾研究所通信 1743  小田泰仙

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2020年9月 9日 (水)

大垣共立銀行 露骨忖度 おめでたい

 大垣共立銀行は、毎年誕生月になると、嫌味で貧相な「お祝い」の品を贈ってくる。ありがた迷惑どころか不愉快である。還暦を過ぎた人間で、だれが誕生日を喜ぶのか。還暦を過ぎると、一年一年、残り人生考える日々である。

 その状況で、金持ちが道楽で描いた色紙など貰っても嬉しくない。それもチャチな複製の印刷物である。誕生日はマル秘の個人情報である。

 おめでたい銀行員が、頭取に忖度して、この仕組みを運営しているようだ。顧客の本音を知らぬは頭取ばかり。

 今年は例年にない豪華な冊子が追加されて送られてきた。今年は発刊38年記念とかで、今までの色紙をまとめた立派な冊子である。私は即、ゴミ箱行きとした。不要なモノがこれば、捨てねばならぬ。時間の無駄である。こんな自己満足の贈り物に金をかけ、無駄をするから日本経済が活性化しない。

 その冊子の冒頭で土屋会長曰く、『お客様から「ありがとう。毎年飾っています」「毎年楽しみにしています」というお手紙を頂戴する度、また来年もお贈りしようと決意するところでした。』

 この文章は秘書か事務局の代筆であろう。白々しく、読めたものではない。客の誰がそんな礼状を書くことやら。傲慢さの表れである。

 

金の無駄遣い

 この冊子は、一冊で1000円以上をかけている。そんな金をかけるなら、商品券を貰ったほうがましである。そんな金があるなら、自社の経営基盤の強化に使って欲しい。大垣経済の活性化に金を使ってほしい。それより金利ゼロを改善して欲しい。

 

芸術は匂い草

 「芸」とは、クサかんむりに「云」を書く。「云」とは匂いの事で、匂い草が語源である。

 匂いの好みは、時代や環境や人によって異なる。人によってその好みは激変する。それが芸術である。それを一方的に、皆が好きなはずと、その色紙を送りつけるのは、上から視線で、傲慢さの表れである。そんな姿勢の経営で儲かるはずがない。

 お客様のためにと上から視線の営業をするから儲からない。顧客の立場でモノを考えなければ、客が寄り付くはずがない。現在、銀行は淘汰の時代である。大垣共立銀行が生き延びるかどうかは、その営業のやり方を見ていればよい。見ものである。

 

相手の立場でモノを考える

 これは自分の交友関係にも当てはまる。相手のためと思ってやったことが、相手には有難迷惑であるかもしれない。それより相手の立場でモノを考える習慣をつけたい。

 人は往々に上から視線で、ものを考え、発言やメール発信をする。特にメール発信は、安易にやりがちだ。私は友からのご都合メールにカチンときて、40年来の友と別れる決心をした。メールは友情を壊す凶器になる。ご注意あそばせ。

 

忖度の ミエミエ祝い 反吐が出る

メール一発 訣別の 幕を引き

 

2020-09-09 久志能幾研究所通信 1741  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月 6日 (日)

大垣市長の使命

 大垣市長として、現在5期目の小川敏は、市長としての命は0.6年を切っている。本来、市長の使命に目覚めて残りの時間を市民のために捧げるのが、人の道である。

 しかし小川敏はそんな気はないようだ。19年間の無為無策無能政治で、当初、20%であった大垣駅前商店街のシャッターを下ろした店の割合は、現在80%を超えた。

 この19年間、大垣市の公示地価は下がり続けている。この19年間で半分以下に暴落した。地価の評価は、市場からのその都市に対する行政の通信簿である。市場の評価は神のような評価である(松下幸之助翁)。しかしその現実が見えない小川敏である。小川敏は、大垣駅前商店街の店主を苦しめている。私も親から譲り受けた土地の評価額が暴落して泣いている。それは大垣市民の全てである。

 行政としてやったことが、市民のためにならなければ、やらない方がよい。それは税金泥棒である。仕事とは、付加価値を生むことだ。

 市長の最大の使命は、市民を幸せにすることだ。市民の命を守ることだ。市民の未来を創ることだ。小川敏は、その全てに反している。

 

エアコン問題

 昨年度、大垣市は、国に泣きついて国から全額、補助金を貰って、大垣市の小中学校のエアコン設備率を100%にした。しかし、市議会でも大問題になった事項なのに、それが解決しても、その結果を大垣市民に報告していない。岐阜新聞や中日新聞紙上でも大きな話題となった。市民にそれさえ知らない無関心な愚か者が多くいる。

 「広報おおがき」にもそのエアコン設備が完了した報告がない。国から金を出してもらったので恥ずかしくて報告できないのだろう。

 国が児童生徒の命に危機感を抱いて動いた。その前の2年前は、大垣市の小中学校のエアコン設備率は2.4%であった。岐阜県の他市はほとんど100%の状態であったが、大垣市だけが異常な酷暑の中、悲惨な状況であった。

 小川敏が、その設備費用を他に流用してしまったためである。その資金が大垣市の職員の給与に転用されて、大垣市職員の給与は県下一の高さになった。それでいて大垣市の教職員の給与は、岐阜市のそれよりも年収で200万円も低い。それで大垣市の児童生徒一人当たりの教育費は県下最低なのだ。刈谷市のそれの半分である。それでは大垣市の子供の未来は悲惨である。

 小川敏は、何のために市長になったのだ。小川敏は、児童生徒を苦しめるために市長になったようだ。その尻ぬぐいを国がした。我々の税金である。

 大垣の子孫のために、小川敏の6選は阻止せねばならぬ。

 

2020-09-06 久志能幾研究所通信 1735  小田泰仙

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余命宣告 余生は死語 

 余命1ヶ月と宣告されたら、楽しいことをやって過ごせばよい。享楽的に過ごせばよい。誰も文句を言わない。

 しかし余命2年なら、その過ごし方を考えねばならぬ。享楽的に過ごせるのはせいぜい1ヶ月である。それより長いと、時間を過ごすのが苦痛になる。いくら楽しいことでも、1週間もそれに没頭すると、地獄のような辛さがでてくる。いくらテニスが好きでも、釣りが好きでも、将棋が好きでも、そればかりやっていると辛くなる。好きな趣味は、たまに、また仕事の息抜きでやるから楽しい。

 金があって、毎日毎晩飲みに歩いても、心の満足は得られない。何のために飲んでいるのか。それで自分の魂はどれだけ成長するのか。どれだけ人が喜ぶのか。酒が、体を痛めつけている。体が悲鳴を上げているが、肝臓は我慢の臓器で耐えて声を上げない。肝臓が声を上げた時は、手遅れの状態である。

 私は何度も酒で意識を失って救急車を呼ばれたことがある。私の体が、アルコールを受け付けない体質であることが分かったのは、還暦後である。それ以来、完全禁酒とした。

 

旅立ち

 金を持って三途の川は渡れない。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。全て置いていく。飲む打つ買うだけの人生では、死ぬ間際に後悔するだろう。誰からも感謝されず、世を去るのは辛かろう。何をするため生まれていたのかと。ご先祖はそんなために己をこの世に遣わしたのではないだろう。そのためには、やるべきことをやってから、旅立ちたい。

 余命宣告をされてから、決断に躊躇することが少なくなった。やって見て、ダメなら引き返せばよいのだ。大した話ではない。やるだけやって、後は野となれ山となれ、という心境に達した。

 

仕事は菩薩行

 人は、死後、集めたモノでは評価されない。生前に、与えたモノだけが評価される。仕事とは、やればやるほど奥が深く、やっていて楽しくなる人の修行である。仕事とは、人に与える布施行で、菩薩行である。佛になるための修行である。楽しくないのは、命を賭けていないのだ。人が喜んでいないのだ。人が喜ぶかどうかで、それが仕事であるか無いかが判別できる。

 舟を置き、橋を渡すも布施の檀度なり。治世産業固より布施にあらざることなし。(修証義)(檀度:布施の事)

 

余生はない

 頂いた命の意味を考えて、その命を全うするために、第三の人生を生きたいと思う。人生で余った時間などないのだ。私は「余生」を、死語として最後まで現役として生きたい。

 私も昨年初にがんの手術をして、医師から余命2.5年を宣告された。だからこの命を、子孫のため、世のために使いたいと思う。残された時間を有効に使いたいと、走り回っている。時間は命なのだ。

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 馬場恵峰書

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 馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」

  久志能幾研究所刊  

2020-09-06 久志能幾研究所通信 1734  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月 2日 (水)

磨墨知128 今ここ

 

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。波間に浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし。」  方丈記

 

 だからこそ、今に全力を投入しよう。過去はない。未来もない。あるのは今だけ。「そのうち」などは永遠に来ない。「今のうち」しか時間はない。

 明日は事故で死ぬやもしれぬ。人の明日は分からない。やるべきことをやるには、今しかない。

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 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」(2014年2月6日書)より P116

 久志能幾研究所刊 7000円

失明

 還暦を過ぎて国家資格の受験勉強中に、白内障と網膜はく離を患った。2週間ほど左目が失明状態に陥り、今まで見えて当たり前の世界から、見えない世界に追い込まれて、つくづくと、今が大切、今のうちしか時間がないと思い知らされた。勉強ができるのも目が見えるうち。生きているうちである。そのうちにやろうと思っても、やれるのは目の見える今のうちである。愚かな人間は失って初めてその価値に気づくもの。

 

癌で余命宣告

 河村義子先生の葬儀の後、私の体に癌が見つかった。自覚症状がなかったので、発見が遅くなり、癌が進行していた。手術後の診断で、余命2.5年を宣告された。やりたいこと、やれることは今しかないと痛感した。術後1.5年が経っても体は昔のようには動かない。体重も20キロ減である。つくづくとこの10年間、やりたいことをやっておいてよかったと思う。今しかないのだ。

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 馬場恵峰書

そのうち人生

 そのうちそのうちと弁解しながら日は過ぎる。そのうちって何時の内、いつのこと。そのうちお金でも余裕が出来たら。家でも建てたら、直したら。子供、孫から手が放れたら。仕事が落ち着いたら。時間にゆとりができたら・・・たらの人生誰の事。

 やる気のない理由を言葉巧みに繰り返して居るうちに結局たいして何もやらなかった。空しく人生の幕が下ろされて頭の上に寂しい墓標が立って脇役から主役に変わり、一生が終わるのだ。人生一日一日がブッツケ本番なのに・・・。

 今きた此の道帰られぬ。昨日、今日、今、人は人、自分は自分、くらべんでよか、・・・と。

 みんな違って当たりまえ。自分が変わろうとせん限り何も変わらん。人の出してくれる舟に乗っても見る事。迷って一年、悟って一日。欲なき人間一人も居ない。浴、抑、良い、善い、好い、翼ひろげて羽撃こう。一句添えておく。

 

 暇がない忙しいとは言うがもの 車止りしパチンコの庭

              平成16年11月朔日 恵峰遊詩

                          文 馬場恵峰

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 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」(2014年2月6日書)より

 久志能幾研究所刊 7000円  P85

 

2020-09-02 久志能幾研究所通信 1728  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月31日 (月)

目玉をチィルト&シフトして観察しよう

 自分は何処を見ているんだ? それを意識しよう。物理学上は、人間の目はカメラのレンズと同じ機能である。焦点は一か所しかあわない。それを全てに焦点があっていると判断していると思うのは、大いなる「ああ勘違い」である。その対象にピントは合っていないが、己の頭がピントの合っているかのように意識の上で映像を作り上げているにすぎない。

 高い建物や、地位の高い人物は、実際の目には歪んで網膜に写っているのだが、己の頭が歪のないような映像を頭の中で作る上げている。

 今の殆どのマスコミは偏向しているので、実像を正しく報道していない。自分の目玉をチィルト&シフトして、世間を正しく観察しないと、マスコミに騙される。80年前、日本は大手新聞社の景気の良い戦争ごっこに騙されて、戦争に追い込まれた。それで310万人の日本人の命が奪われた。マスコミはその責任に背を向けている。我々が目を覚まさないと、その同じ轍を踏み、子孫の命が危ない。

 

洗脳宣伝

 オウム真理教の麻原は、自分を大きく見せて、教義を偏向して宣伝して、信者を騙した。麻原は、教義核心からピントをシフトして伝えて、信者を洗脳した。それを盲信した信者はサリン事件に追い込まれ、高学歴の信徒が絞首刑台に上らされた。

 明日は我が身なのだ。同じ手口で、今のマスコミは洗脳教育を報道の視点をチィルト&シフトして騙そうとしている。

 

あおり報道

 4年前の米国大統領選挙では、マスコミはトランプ大統領候補の情報をシフトして、その実像を正しく伝えなかった。マスコミを信じた多くの人は騙されて、トランプ大統領が誕生した時にマスコミに騙されたと驚嘆した。

 

左寄り偏向報道、中韓好みの偏向思想

 左翼や中国寄りの日本の大くのマスコミは、安陪首相のことを正しく報道してこなかった。それは今回の安倍首相の辞任報道でも明らかになった。

 現在のマスコミの罪は、中韓寄りの偏向視線で、安倍首相の行動を批判したことだ。例えば、何故、国に命を捧げた英霊を祀る靖国神社に首相が参拝して全マスコミが批判の記事を書くのか。何故、中韓に気兼ねをせねばならぬのか。国に命を捧げた英霊には、どの先進国も礼を尽くしている。礼を尽くしていないは日本と中韓とつながったマスコミだけである。

 

 参考 英霊に礼なきは亡国の兆し  靖国神社問題

   久志能幾研究所通信

 

小川敏市政へのあおり報道

 大垣市長の小川敏は、岐阜新聞のあおり偏向報道で、真実が隠されて報道されてきた。岐阜新聞は、小川敏の言う「大垣市は子育て日本一」という虚像を市民にプロパガンダ担当として植え付けてきた。何が正しいかは、データだけが伝える。大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。それを岐阜新聞は報道しない。岐阜新聞はチィルト&シフトどころか、あおり報道、黒のフィルターを新聞紙上に嵌めている。

 大垣市の公示地価が下がり続けている。それは大垣市が没落しつつあることを示している。それを地方紙は決して報道しない。大事なことからチィルト&シフトして、核心から逸らしているのだ。報道の偽善である。

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以上、キアノンHPより

https://cweb.canon.jp/ef/special/ts-e/index.html

2020-08-31 久志能幾研究所通信 1726  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月28日 (金)

安らかに永眠するために  安倍首相辞任に思う

安倍首相辞任

 今日8月28日、安倍首相が辞任した。それを聞いて人生の永眠に思いを馳せた。人生の成功の要は健康である。死んでもいいから、健康管理である。生死は神仏の管轄、健康管理は己の責任である。

 安倍さんも歴代の首相に比較すれば、やり残しはあるが、やるべきことをやり遂げての勇退である。それも人生だと感じた。魑魅魍魎の住む政治の世界で、病身を押して奮闘も大変であったと思う。

 小川敏のように、やるべきこともやらず、無為無策で大垣市長の座にしがみ付くよりは、職務が全うできないとして、辞任した安陪さんは偉いと思う。

 

永眠と安眠

 一日は人生の縮図である。夜、安らかに寝るための方法が、安らかに永眠する方法に相通じる。よく働いた一日は、安らかな眠りを誘う。よく働いた人生には、安らかな永眠が神仏よりご褒美で贈られる。

 夜、眠られないのは、単に一日、正しく働かず、体を使っておらず、疲れていないからだ。

 年老いて、仕事があり、世のためにやるべきことがあるとは、幸せである。朝、起きたけど、寝るまでやることがない人生は、地獄である。

 若くして死ぬと、生木が裂かれるような苦しみを味わうという。やるべきことをやり遂げて、老いて死ねば、枯れるように倒れて苦しみはない。

 だから人は一個の生物として、狂った人生ではなく、正しい人生を歩むべきなのだ。若くして病気になり死ぬとは、狂った生活、狂った考え、狂った食生活が原因である。要は宇宙根源の理に反した生活を送ったのだ。それを無理という。

 「無理」に気が付いた時に、それを直せばよい。直さないから地獄に落ちる。何事も正しい道に戻るのに、遅すぎることはない。

 「無理」に気が付いても、そのまま猛進する人が多すぎる。それを愚者という。賢者は引き返す勇気を持っている。

 

一日の終わり、人生の終わり

 仕事に精進して一日、やるべきことをやっていれば、疲れ果てて夜はバタンキューである。やりたいことではなく、やるべきことを嫌われてもやっておれば、やり残しの後悔はしない。

 私は前職では、正論の主張、業務改革推進等で、やり過ぎて嫌われた。嫌われても、やり切って良かったと思う。後は永眠だけである。だから定年延長せず、即、さよならをした。

 毎日の夜の寝る儀式は、永眠の練習である。毎日、よく働き、疲れて横になれば、寝つきが良く、よく安眠できる。たった一度だけ、目が覚めないのが永眠である。朝、起きてこないと思ったら、死んでいたのは理想の死にかただと思う。そこには死の苦しみはない。

 

人事異動

 どんなものにも寿命がある。生命も命があるように、職位にも命がある。その職位の命を輝かせて、全うすれば、良き永眠がある。

 人として生まれたら、志を立て、学んでその志を成就する能力を付ける。計画を立て、実行して、その成果を得たら、その道を後進に託す。

 職位にも命があり、永遠ではない。その職位に就いたら、最初の1年は黙って職場の状況を確認して、問題点を見付ける。それで改善案を作成して、2年目に種を蒔く。3年目にその収穫を確認する。4年目に後進に託す段取りをして、その職位を去る。それを職位にしがみ付くから、晩年を汚すことになる。

 

私の異動体験

 私も前職では、数多くの異動があった。職場に就いた時は、全て初心者で手探り状態である。私は異動でその新職場についたら、まず職場内に保管してある書類に全て目を通していた。それでその職場の概要と問題点が把握できる。それで何をやればよいか、分かってくる。

 自分のやること、やったことは全て書類に残す。自分が獲得したノウハウも書類に残す。これは私がこだわった仕事の流儀であった。だから私が異動でその職場を去るときは、引継ぎは必要でないようにした。私が残した書類を見ればよいのだ。

 

あの世への異動

 私が人生という職場を去るときは、公開の書類でやったことが、後世に残るようにしている。馬場恵峰先生の書の出版でも、ISIDに登録して、国会図書館に記録が残るようにしている。撮りためた写真もBDに記録して、事前に関係者に贈っている。

私の人生哲学

「やったことだけだよ。書いたことだけだよ。後に残るのは」

P1000710s  馬場恵峰書

2020-08-28 久志能幾研究所通信 1723  小田泰仙

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2020年8月25日 (火)

私の命が一日一日、尽きていく

看々臘月尽(みよみよ ろうげつ つく)

 

 この意味は『命には終わりがある』。一日一日、命は尽きていく。死してその人の一生が終わる。自分の命も一日一日、容赦なく尽きていく。現実から目をそらさずに、「命には限りがある」をよく見なさいという意味の禅語である。

 「看看」と「看」を二つ重ねて「良く見なさい」である。「臘」とは「多く集まる」とか「つなぎ合わせる」という意味である。

 臘月は、十二月の別名である。月日の流れは、「歳月人を待たず」である。もう十二月も終わってしまう。一日一日を大切にしなさい、である。

 また「臘月」は、一年の終わりの12月で、私たちの人生や命という意味も暗示している。十二月があっという間に終わるのと同じように、人生もあっという間に終わってしまう。ぼんやり生きず、自分の命をしっかり見つめなさいとの警句である。

 「また今度やればいいや」と、つい後回しにしがちだ。しかし「今度という時間は二度と来ない」。「己の人生と向き合い、看々臘月尽の心を忘れずに人生を過ごせ」と禅師はいう。

 人生は退屈で眠たいものかもしれない。寝るのもよし、仕事をするもよし、勉強するのもヨシである。人生はバイキングレストランで、全て己の自由でやりたい放題である。人生で一番大切なことは、寝ていても遊んでいても、ふと気づいたときに、正しい道を意識して、そこに戻れるかどうかである。これが出来るかできないかで人生が変わる。そして時間は冷酷に過ぎてゆく。己が紅顔の少年であった時代は二度と戻って来ない。

 

 紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹝跡無し、熟観ずる所に往時の再び逢うべからざる多し(修証義)

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 馬場恵峰書 修証義 部分

 馬場恵峰卒寿記念写経書展 写真集(久志能幾研究所刊)より

 

癌の定期検診

 2020年8月19日、愛知県がんセンターで、先週に実施したCTの定期検診の結果を聞きに行った。結果は良好で、特に異常は見つからなかった。ピロリ菌駆除も成功した。癌の手術後1年半、無事に生かしてもらったと仏様に感謝である。因果応報で、そうなるように、今までの「狂った生活」と「狂った食生活」を改め、「狂った医療」からも遠ざかり、生活姿勢を改善させて過ごしてきた。それが正しかったようだ。

 しかしいくら養生しても、あと50年も生きられるわけではない。一日一日、私の命は尽きていく。医師から最低、半年間は癌の病気では死なないと言われただけである。私の場合、手術後、5年後の生存率は51%で、統計計算上は、余命2.5年の命で、後1年の命である。新型コロナウイルスに罹れば、1週間で死ぬかもしれぬ。いくら健康でも不慮の事故に遭うやも知れぬ。明日の命は分からない。

 人の理論的寿命は120歳である。私は、せめてその9割の108歳まで生きたいと精進している。譲って8割の96歳である。長生きこそが親孝行である。

 

生きている間

 生きている間だけだ。お金を使えるのも、人に奉仕できるのも、美味しいものを食べられるのも、生きている間だけ。あの世にはお金は持って行けいないのだ。お金を使いたくても使えなくなる日がやってくる。食べたくても食べられない日がやってくる。だからこそ、やりたいことは、直ぐやるべきなのだ。

 世の中を見ると、此の世で使え切れない金を集めても、まだ足りないと餓鬼にように金を集めている輩がいる。そんなに集めて何に使うのか。もう時間がないのだ。

 命が残り少ないのに、まだ市長に座にしがみ付く愚か者がいる。市長退任後の時間がないのだ。何のために生きていたのか。それで市民が幸せならともかく、無能無策で、大垣は衰退して市民は地獄の苦しみなのだ。

 余分に食べれば、命を鉋で削るように、寿命を短くしている。余分に食べるとは、他の命を奪っている。その命が病気という形で復讐して襲ってくる。それが分かっていて飽食を止められないのを愚か者という。

 医師から余命宣告をされ、その土壇場になって、「金はいくらでも出すから助けてくれ」と医師に泣きついても遅い。医師からそれを拒否されて泣き崩れても因果応報なのだ。

 

奪うものは不幸である。与えるものが幸福なのだ。

 やれるときに、やりたいことをやっておくべきなのだ。そのうち、やりたくてもやれなくなる日が来る。だからこそ今に全力投球せよ、である。

 集めて集めてもきりがない。それより与えることが喜びである。それには限度がない。

 食べても食べてもキリがなく、結果は肥満の醜態となる。肥満は癌の遠因である。少食で満足すれば、美しく健康な体が手に入る。わかっちゃいるけど、やり通せない。そんな私に誰が育てた。自省したい。

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 馬場恵峰書

 

2020-08-25 久志能幾研究所通信 1719  小田泰仙

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2020年8月24日 (月)

ラジコンヘリで昔にタイムスリップ

加齢なる美学(華麗なる美学)

 

 定年まで真面目に働き、義務としての社会の務めを終えて、定年後に自分の時間をもてるとは何と素晴らしいことか。

 定年後の時間は平均寿命80年としても、20年間もある。私の予定は108歳まで? 残り20年としても、一日12時間×365日×20年で87,600時間の広大な宇宙が広がっている。22歳から60歳まで年間2000時間を働くと、約76,000時間を会社に拘束されて働いてきたことになる。しかし定年後はそれ以上の宇宙が広がっているのだ。その時間があり、意識すれば、一仕事が出来る。そう思って、私は毎日精進している。だから現役以上に忙しくて仕方がない。

 今まで40年近く、自分の技を磨いてきたのだから、新しい道は無限に広がっている。一つの道に5千時間も投じれば、飯を食えるプロになれる。その時間はあるのだ。そう思えば、定年後はバラ色である。

 

定年後の闇世界

 世には定年後の生活が地獄の人もいる。国立大学の工学部長まで勤めて、定年退官後、私立大学の学長まで勤めた人が、現在の処遇を泣いていた。「定年まで仕事一筋で働いて、気が付くと家に私の居場所がない。家内が家の中を総て取り仕切っていた」である。その人は認知症になってしまった。

 定年後、契約社員として働いても、能力の低い元部下の元で働くのは地獄である。部下は無く、肩書権限もなく、社外工と同じ扱いである。精神的に参ってしまい、65歳まで勤める人は稀である。

 定年になってまだ家のローンが残っているので、老体に鞭打って働いている人もいる。それでは電話代も奥さんに管理され、電話一つ自由にはかけられない状態になる。お小遣いもままならぬ。自由に外出もままならぬ。趣味もなく、家ではやることがなく、奥さんや子供からは、粗大ごみ扱いである。

 定年後、家で何もせずぶらぶらしていると、奥さんや子供から邪魔者扱いである。人格を高めていないと、父の権限などどこにもない。

 私が昔、一緒に仕事をした人に電話をしたら、奥さんが電話に出て「あんたー、オダって人から電話!」と怒鳴っていた。それでその人の家庭内の扱われ方が露見した。それ以来、その人に連絡はしていない。

 そうならないように、現役時代に準備を怠るな、が教訓である。一番の修養は、己の人格の向上である。

 

若い時にタイムスリップ

 若い頃、やりたくてもお金が無く、時間がなく、世間体があり、親の許しが出なくて諦めたことが、定年後の今なら出来るのだ。そんな素晴らしい時間が、第二の人生である。

 

昔の趣味が復活、人生再生

 私の学生時代の趣味は飛行機であった。当時はお金もなく、勉強も忙しかったので、精々、ソリッドモデル作り、Uコン作り、ゴム動力飛行機作りが精々であった。ラジコン飛行機など夢の夢であった。

 昨日、ご縁があり欲しかったラジコンヘリコプターが舞い込んできた。私の先生が骨董品屋で、激安の値段で売っていたラジコンヘリを見付け、手配してくれた。気に入って早々に居間に飾った。50年前の心境にタイムスリップである。生きていてよかったと思う。癌などで死んでなんかいられない。これが命の泉である。これこそが大人のオモチャの楽しみである。これをバネに新しい仕事が出来る。

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2020-08-24 久志能幾研究所通信 1718  小田泰仙

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