ma_極楽運転道 Feed

2021年4月14日 (水)

ハンドルを握りしめない

 

 自動車会社の試験車運転資格(テストドライバー)の訓練では、「ハンドルは握りしめてはダメ。10時と2時の位置に、そっと手を添えよ」と教えられる。ハンドルを握りしめると、咄嗟の回避操作ができにくい。

 

3p1080970

 10時と2時の箇所に手を置くだけ

4p1080971

   ハンドルを握りしめてはダメ

 

慣性

 ハンドルとは、自分の船や車を思った方向に進ませてくれる操舵装置である。それを握りしめると、何かあって場合、方向を変えるに大きなエネルギーがいる。

 自分の乗った大船は、大きな慣性エネルギーを持っている。簡単には方向は変わらない。ハンドルは握りしめず、ただ添えるだけでよい。

 車でも、どんなものでも、何もしなくても、直進性があるので勝手に真っすぐに走っていく。真っすぐに走らなければ、それは操舵以前の機械の問題である。要は支離滅裂な性格と同じである。

 

心の慣性

 自分には固定観念というカチンカチンの行動習慣がある。子供は1日に20回の決断をするという。АにしようかBにしようか、迷っても、親からBはダメと頭ごなしに躾をされると、Аを決断することが、性格(固定観念)となる。その訓練を7歳までに、20回×365日×7年=51,100回の繰り返しの定着訓練としてすることになる。そうやって性格が形成される。人間は7歳までに97%の脳が完成する。だから簡単には考えは変わらない。何も指示されなくても、その方向に走っていく。だからこそ、良き固定観念を形成したい。それは半分は親の責任である。

 

人生航路のハンドルさばき

 ハンドルとは自分の主義、価値観、思想である。固定観念が指示をするハンドルである。その価値観の方向に舵が切られて、人生はその方向に人生航路を辿る。その思想や価値観は、時代と自分の成長の過程で変わる。

 「平和が大事、人の命が大事」と言っても、戦争になれば、敵を殺さないと己が殺される。銃後の親や妻子が殺される。国が滅ぼされる。そんなとき、平和が大事と言っていたらバカである。戦争の時は、真面目に人殺しをせねばならぬ。

 

君子豹変

 かように状況によって、その価値観は変わる。だからその価値観を堅く握りしめては、身の破滅である。その思想には、そっと手をそえるだけでよい。周りの状況に合わせて、その思想を変えていかねばならない。変えなければ偏屈である。それが人生航路でのハンドルの握り方である。君子豹変でよい。

  

2021-04-14   久志能幾研究所通信 1988 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年4月 9日 (金)

悪趣味な饗宴 納車式という名のレクサス「洗脳」

 

 レクサスLSを購入して、納車式を体験した。初体験で興味深かったが、結論としてレクサスの納車式は、時間の無駄で、レクサス洗脳式であった。

 

納車式

 その納車式では、

 案内された車庫の前で待っていると扉が開き、

 赤絨毯の上でライトに照らされたピカピカのレクサスLSが表れた。

 「congratulations!」という看板にお花が飾られ、

  (何が目出度いの?)

 赤ワインが振舞われ(ノンアルコール、つまりぶどうジュース)、

 美女スタッフ、担当営業マン、店長、整備マンとの顔合わせをして、

 記念写真を撮り、

 その記念写真を納めたSDカードにもレクサス印字があり、

 虚栄心で舞い上がらせてくれた。

 この未知の納車式に「遭遇」して、厚顔無比(紅顔無費?)の私も少々恥ずかしくなった。今時、時代錯誤である。

 

 その納車式には、レクサス店の人件費と経費がかかっている。それが後日、客にツケが回される。此の世で無料のものはない。レクサス店だって、社員に給与を出さねばならぬ。何処からその金が出るのだ。考えれば自明である。

 

納車式の価値

 冷静になって考えても、納車式でどういう付加価値を客に与えるのか曖昧である。客を虚栄心で洗脳し、舞い上がらせて堕落させるだけだ。小金持ちには嬉しいカモしれない。要は成金田舎者用の猿芝居である。納車式で舞い上がらせて、財布の中身を抜くやり方である。当時、レクサス納車式に初体験で舞い上がった田舎者の自分が恥ずかしい。こんな品のない商売をしていては、レクサスはベンツを抜けない。レクサス店は真の高級車販売の方策を考えるべきだ。

 

私は部外者?

 私のように爪に火を灯して節約して(生活VAとして)、三度の飯も事欠き(ダイエットの為で?)、貯めた金で、やっと念願のレクサスLSを買った身には、分不相応な納車式であった。結論は、私はレクサスを買ってはいけない人種であったことを悟った。

 真の金持ちは、格好より時間を大切にする。だからベンツが売れる。「時間は命」と思っている私には極悪非道の式であった。その大事な時間(命)が納車式で消えた。納車式で担当スタッフと話す内容は一見上品だが、その内容はレベルが低い。それでは得るものがない。担当スタッフと話が合わないので、話をあわせるのに苦労である。そんな人たちと人生論を語るわけにはいくまい。

 レクサス店は単に、一般ディーラのように機械的に車を納車すればよい。余計なことをするから、車の購入価格が高くなり、車を売る時の価格が激安となるわけである。私はそれで泣いた。それで買ってはいけなかった車だと悟った。納車式で車の価値が上がるわけではない。誰も喜ばない。

S1

2021-04-08   久志能幾研究所通信 1981 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月23日 (火)

心の貧乏人 焦って車 前のめり

 

交差点の右折でヒヤリ

 2021223日、1010分頃、家電量販店の前の交差点を、対向の軽自動車が私の直線走行の直前で、強引に割り込んで右折していった。右折途中で横断歩道で自転車を見つけて、慌てて交差点のど真ん中で急停止した。私の進行方向を塞いだ。私は予測運転をしていたので、ブレーキをかけて事なきを得たが、一般の運転手なら衝突事故になったかもしれない。

 相手は軽自動車を運転していた「心の貧乏人」である。心に余裕がないので、焦って運転をしている。その先で自転車が渡ろうとしているのが見えなかったのだ。予想運転をする心の余裕がないだ。だから、金が残らず、軽自動車しか買えない貧乏人と推定した。

Photo

2021年2月23日、10時10分頃

 

交差点の信号待ちで呆れる

  2021年2月21日、15時ごろ、自宅への帰路、交差点で軽自動車が横断歩道の停止線一杯に止まって信号待ちをしていた。私の車より1m以上前で止まっていた。

 横断道を渡る人から見れば、車が停止線目一杯に止まっていれば、威圧感を感じてしまう。なぜ余裕を持って停止線の1m先で止まれないのか。

 それも心に余裕がないので、「心の貧乏人」である。心に余裕がないので、金が残らず、軽自動車しか買えない貧乏人と推定した。

P1140384s

  2021年2月21日、15時ごろ

 

停止線での止まるマナー

 車を運転して、停止線で止まる場合は、停止線が見える状態(セダンで運転席から停止線が見える状態。停止線の1m手前)で止まるが、歩行者の安全と相手の心情を考えた運転マナーである。

 

人相ではなく、車相で判断

 いくら軽自動車の安全が向上しても、車格の上の車と正面衝突をすれば、軽自動車は走る棺桶になる。その死亡率は7倍以上である。単独の衝突でも2倍の致死率である。命が惜しければ、普通車を買うべきだ。

 だから私は、軽自動車に乗っている輩を「心の貧乏人」と車相診断をしている。偏見ではない。そういう車が、安全を無視して当方に突っ込んでくる事例を数多く経験しているからだ。

E

2021-02-23   久志能幾研究所通信 1929  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年2月22日 (月)

一度に一つのことに集中する (磨墨智125)

 

 ながらで仕事をしても良い仕事はできない。凡人は、10人の話を同時に聞いて処理できた聖徳太子ではないのだ。

 私は幸いなことに、学生時代、深夜ラジオ番組を聞きながら勉強をしたことがない。今にしてよかったと思う。

 車の運転でも、ラジオも音楽も全くかけずに運転する。聞きながらの運転は、安全運転上で、ご法度である。周りの状況に最大の注意を払って運転である。

 人とお話をしている時も、スマホは厳禁である。人と会話とは、人生の真剣勝負なのだ。人と会話するとは、その人の人生時間を分けてもらっているのだ。それを割り込みでニュースや株価を見ていたら、「あんたの話しはつまらない。あんたよりニュースがオモシロい」と相手を侮辱することだ。

 一時一心一念道、である。千里の道も一歩から。一事に一つのことをボチボチとしっかりやっていこう。その一歩を歩みださない限り、何事も成就しない。

Dsc089821s  馬場恵峰書

2021-02-22 久志能幾研究所通信 1928 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月 5日 (金)

極楽運転 お肌のお手入れ

 

 車のお肌(ボディ塗装)を保護するために、雨が降ったら水をかけると良い。日本に降る雨には、中国から飛んでくるpm2.5 や黄砂、酸性雨が含まれている。それが車の塗装を傷める。だから私は車のお肌のお手入れとして、雨に降られたら、雨が止んでからホースで水をかけて、車の表面を洗っている。ワックス掛けは、手間がかかり過ぎて時間の無駄なので、ガラスコートを施している。

 天気予報で雨が予想されると、ボディカバーをかけている。本当は、シャッター付の車庫があればよいが、経費節約でその車庫を解約したので、その対応策である。私は車を大事にして、長く使いたいと思う。

 

自分のお肌のお手入れ

 お風呂に入ると、顔や体の表面を念入りにマッサージしてリンパの流れを良くしている。血管の血液は上水に相当し、リンパ管は体液の下水に相当する。

 

自分の体の保全

 もっと大事な自分の体は、毎朝、毎夜、お風呂で10分間浸かり、体を温めている。体温を維持することで、免疫力を高く保つことが出来る。お風呂から上がって、冷水を浴びている。冷水を浴びると自律神経が刺激され、体の免疫力が上がる。水浴びの後、タオルで乾布摩擦をすると体がポカポカいてくる。自分の体は、車以上に大事にしたい。万病を防ぐには、免疫力を上げて自衛力を上げるのが一番有益である。新型コロナ対策にも有効だ。

 南雲先生に指導をされて、水かぶりを再開した。

 

都市のお肌

 都市の健康状態も人間と同じである。都市の健康は、街の肌色でわかる。政治が澱み、下水管に相当する下町の活気がなくなり、カネの流れが詰まる。都市の病気である。街に腐臭が漂い、商店街の顔であるシャッターが薄汚れ、ついには多くのお店のシャッターが下りる。人通りは絶え、公示地価は暴落する。

 都市を蘇らせるには、政治の血を変え、血の流れを良くして、街の癌細胞を除去しないと、再生しない。

 

2021-02-05   久志能幾研究所通信 1912  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月19日 (火)

恵峰師の豪快運転を「平常心是道」に

 

 2013年2月14日、馬場先生宅に知己塾出席のため訪問した。夕食で、先生の運転で市内へ食事に誘われた。その時の運転が、先生の人格らしからざるレベルであった。要するに、仏の馬場先生がハンドルを握ると人が変わった。車は人を虜にする魔物である。そこに車の素晴らしさと恐ろしさがある。

 見るにみかねて、後日、恵峰師に運転の改善をお願いする手紙を、本資料『極楽運転道 交通安全の科学』を添付しておそるおそる差し上げた。なにせ私の師である。事故があれば日本の宝の損失である。手紙で諫言を書くのに、一大決心が必要であった。

 その後、三根子奥様から絵葉書の礼状が届き、

 「心暖まる運転のご忠告ありがたくお受け致します。私も実はハラハラドキドキで乗せていただく時もあり、言うとオコルので、言えません。でも小田先生からお便りをいただき助かりました。心から感謝です」

との文面である。馬場先生は神業の筆力を持ってみえるが、やはり人間であった。安心した。

 

「平常心」を揮毫

 その1ヵ月後の3月27日、岐阜駅じゅうろくプラザで恵峰先生の講演会があり、「平常心」の掛け軸を書かれた。翌日、馬場先生は「奥の細道むすびの地記念館」の見学のため大垣を訪問され、ご案内をさせて頂いた。

 その昼食会場で、下記の掛け軸を贈って頂いた。さすが人生の達人の先生は、お礼の表現もさりげなく、超一流の芸を駆使される。

 

平心常

 車の運転では平常心が必要です。自分という乗り物でも、人生を平常心で歩き、歩いた後を「道」にする。平気で死ねる、平気で生きられることが人生修行である。それを先生の知己塾で教えていただいた。

P1050809s

 先生の手にかかると数分間でうん万円の書が完成する。その背景には50年間の修行がある。でも我々凡人は50年かかっても到達できない境地。

P10508471s  馬場恵峰書

2021-01-19 久志能幾研究所通信 1894  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月18日 (月)

人生の「テストドライバー」を目指す

 

 レーシングドライバー(レーサー)とは、決められたコースを最速で走り競争相手に勝つことが求められる。レースでは、他車と駆け引きしながら、走り勝つことが求められる。要は勝負の世界のドライバーである。

 それに対してテストドライバー(試験車評価者)は、試験する車の特性を正確に把握して、正しく評価することが求められる。テストドライバーは他車と競争して、速く走ることではない。その車の特性を知りつくし、最高の性能を引き出すことが仕事である。

 

テストドライバー

 テストドライバーは、持てる五感を全て使い、前の試作部品と今回の改善部品の差を確認できることが求められる。それを数値として評価する。それが測定データで証明されるとシメシメである。

 テストドライバーはシフトダウンをしても、クラッチの合わせで車の速度を変えない技量が求められる。路面の状況を正確に把握して、スピンしてもそれを制御する技量が求められる。

 上級のテストドライバーの訓練では、一日の訓練をすると、タイヤがつるつるになる。一日の消耗タイヤ費だけで20万円である。

 試験した開発部品に納得ができず、試乗しておかしいと思えば、その車が完成間際で設備が完成していても、ライン立ち上げに「ノー」という権限がある。

 

人生道レース

 人生道を走るために、自分自身(心と体)を正しく評価して、正しく安全に素早く、美しく走れるように心身を鍛えねばならぬ。そのために正しく評価して指導してくれる「師」を持たねばならぬ。それをしないから、人生道で脱落、転落、自殺をするのだ。だからこそ、「3年かけて師を探せ」である。

 人生道レースの基本は自分の健康である。健康でなければ、人生道レースで勝てない。その競争相手は、自分である。走行中の大事な時に、病気になって病院にピットインでは、人生の勝利など夢の夢だ。体のかすかな不調の気配にも気づき、早めの手を打つべきだ。自分は人生道を走行する「体」のテストドライバーなのだ。

 人生道に待ち受ける危険を事前に想定して、行動することが危機管理である。事故は仏様が己を試しているのだ。その事故に己はどう対処、予測していたのかが、問われている。人生道は、雪道よりも恐ろしい。一つ間違えれば、スピンして奈落の地獄にまっしぐらである。

 

出世競争

 人生道を走るのは、人より早く出世することが目的ではない。それは単なる会社での出世競争である。下劣な精神でも、汚れた会社内なら、悪知恵があれば他人を蹴落として社長にも出世できる。まるでゴーンのように。それで幸せなのか。

 

トヨタの社長のこだわり

 だから豊田章男社長は、自社製品を良く知るため、感性を上げるため、こだわりでレース用のライセンスを取得している。普通の会社の社長、役員は、自分で車の運転をすることがご法度であるが、車メーカは少し事情が違う。トヨタでは、社長や役員は自分で自社の車を運転して、「商品」を自分の眼で確認するのが伝統だ。ただ秘書室の担当は気が気きではない。できれば社長には危険な運転はして欲しくないのが本音である。

 

石田退三氏の墓参り

 約40年前に、豊田英二氏(当時社長か会長)が、社長車センチュリーの後部座席に乗るのではなく、自分でカリーナEDを運転して、豊田市から彦根市まで豊田佐吉翁の長女、愛子さんのお墓参りと石田退三氏の墓参りに行っている。

 トヨタの大番頭といわれた石田退三氏のお墓は、トヨタの家風を表すように華美ではなく、堅実である。石田退三氏のお墓は、氏が生前に経営の正道を歩んだ姿を表している。石田退三氏の戒名「豊光院釈精進」は、「豊田を光らせた精進者」と言う意味の素晴らしい名前である。

Photo

石田家墓所  岡崎産の御影石  石田退三氏の戒名「豊光院釈精進」

2015年7月7日撮影

 

2021-01-18 久志能幾研究所通信 1893  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月17日 (日)

極楽運転道 雪上走行運転

寒冷地評価試験

 担当した部署で開発する部品は四駆用の部品である。その部品の評価試験は、実車試験を北海道網走にて、農地を一時的に借りてテストコースを設営して、雪道走行試験をすることになる。

 ここで実際の雪道を想定した極限試験を体験する。私はあくまで課長として、体験しただけであるが、人生で貴重な体験をする。実際の試験は課員が実施した。私が体験として試験車で雪のテストコースを運転した。その運転中、雪上で急ブレーキを踏むと、車は急にスピンをして全く制御が出来なくなる。滑りだすと2輪駆動でも4輪駆動でも関係ない。過剰な駆動力が駆動輪にかかり、車は横滑りをしてあらぬ方向に滑っていく。最後にテストコースの周囲に積んだ雪山に突っ込んで止まる。車が雪の中に埋まり、フロントガラスが雪で真っ白な状態となり、一瞬車内が暗くなる。身動きできないので、待機していたレッカー車に、雪山から引っ張って出してもらう。

 

人知を超えた世界

 人生で、人智の及ばない力で流される状態を思い起こした。そういう場合は、無理してかけた力が無くなるのを待つしかない。そうなったのも自分が撒いた種である。なまじっか力んでも、無力である。沈むときは底まで沈めば、それ以下にはならない。人徳があれば、回りが助けてくれる。そんなことに思いをはせた寒冷地評価試験であった。これは希望をしても体験できない貴重な職務であった。

 

 「死ぬるときは死ぬるが良き候」(良寛)

 不運なときは、もがいても無駄である。

 沈むときは底まで沈め。後は浮かび上がるだけ。

Photo    雪上試験(イメージ)

http://cdm.mking.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/007... 2013/04/01

HP「みんカラ」より引用

 

4WD(四輪駆動システム)

 四輪駆動(四駆)とは、人生を走るうえでの象徴のようなシステムである。人生の道とは、いつも泥濘の道で舗装されてはいない。そこを走るのに普通の後ろだけの2輪駆動では、タイヤがぬかるみで滑るため空回りして前進できない。4つのタイヤに駆動力を配分して、初めて前進できる。

人生でも仕事でも、力を込めて走っても空回りする時もある。その時は、力を抜いて考えることも必要だ。その時を過ごすには、もう一つの能力を身につけ、持てる全ての力を2本の足に配分して、人生街道を慎重に歩むと、人生の道が開ける。そうすれば事故(不運)も減り、有意義な人生が送れる。

第二の人生道は、舗装もしていない泥濘の道なき道である。自分が走った後が道になる。定年後、テレビばかりをみて、出歩かず、人と会わなければ、人生はそこで終わってしまう。一本足の案山子では、何処へも行けない。

Photo_2

    四輪駆動システム 

     「トヨタのHPより  http://toyota.jp/hiace/005

4k8a93791s  馬場恵峰書

2021-01-17 久志能幾研究所通信 1892  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月16日 (土)

極楽運転道 私の運転の作法

 

運転の基本方針

・何のために車に乗るか、明確にして乗る

  どこへ行くのか。それを明確にしないから、途中で寄り道をするし、無駄なドライブをする。それが人生時間を無駄にする根本原因だ。

 車は、自分が思ったところ(志)へ自分を運んでくれる夢の道具である。最初に志あり。その志が大事なのだ。それを道具に振り回されるから、不幸になる。

 

・なるべく車を使わない

 事故は、[事故確率]×[走行距離]の確率で起きる。

 

 各要素の数値を減らせば、事故の確率は減る。

 車とは目的地に行く手段である。

 それが、走ることが目的になっていませんか?

 それが車を凶器に変える。その凶器が己の人格を変える。

 何のために走るか、考えよう。

 その走る目的を全うしよう。

 無事是名馬。無事これ人生の達人。

 

・曲がらない。ひたすら大通りを走り、裏道は走らない

 曲がるからタイヤに余分な摩擦が生じて、タイヤが磨耗する。ガソリンを無駄にする。曲がるという余計な変化があるから、事故を起こす。近道をしようと曲がりくねって必死に走っても、到達時間に大きな差はない。裏道街道は事故が多い。

 人生道はひたすら真っ直ぐに、目的地に表街道を走るのが基本。

 そんなに焦って何故走る? 人生道の終着点は「死」。

 

・ブレーキを踏まない

 急ブレーキを踏むのは予想運転をしていないため。要は上の空で運転していたのだ。試験車運転試験中に急ブレーキを踏めば、一発で失格である。

 止まるときも、予想運転をしてエンジンブレーキをかければ、省エネにもなり、ブレーキパッドも減らない。車に優しいのだ。

 相手にブレーキを踏ませない気配りの運転をする。無理な運転をするから、相手がブレーキを踏むという迷惑をかける。人生道は譲り合って、走ろう。車の運転ぶりを見れば、その人の人生が分かる。

 その成果で、私の車のブレーキパッドとタイヤの寿命は普通の人の2倍です。その基本は予想運転で、それが危機管理である。

 

・運転中は車と回りの状況に全神経を使う

  人生でも自分の体と周りの状況に気を使わないと、人生で沈没する。

 

2021-01-16 久志能幾研究所通信 1891  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月15日 (金)

極楽運転への遠い道

過去の否定が極楽への道  自動車部品の開発へ

 

 極楽への到達には、長い寄り道が必要であった。極楽には地獄を通らないと到達しない。私の極楽運転への道は、1991年のバブル崩壊から始まった。バブルが崩壊した後、私の所属する機械事業部が急速に失速して売り上げが壊滅的に激減した。今の新型コロナ禍での大不況と同じであった。

 私はその年、課長になれる予定であったが、その事業部の縮小で課長になるポストないとのことで、自動車部品事業部に異動して課長となった。そこで四駆用の部品の開発を担当することになった。バブルの崩壊とともに、私の約20年間に及ぶ一つの時代が、日本経済の地獄の始まりで終焉した。それが私の極楽への道の第一歩であった。

 

過去の時代の否定

 新しい部署の設計方針では、高価な研削加工をできるだけ使わない方針であった。原価低減活動にて、研削加工の廃止が真っ先に槍玉に上がるのを見て、ショックを受けた。当社はその面ではトップシェアで、国外でも名が知られている。そのお膝元の自動車部品開発部では、その加工がコスト面で毛嫌いされている。そんな情報は同じ会社の機械開発部の部員には伝えられていない。ひたすら従来の延長線上の開発が推進されていた。これは経営の問題である。技術者の問題ではない。

 

会社内の文化の違いに戸惑う

 またここで今までの「しきたり」を否定されて出鼻を挫かれることになる。部下の仕事で何か指摘をすると「自動車部品事業部ではそんな仕事のやり方はしていません」と。

 図面の描き方の規格でも、会社独自の規格はなく、客先の図面規格に従っていた。機械事業部では、独自の製図規格を制定して運営している。まるで会社が違うような有様で、つくづくと社内に2つの文化があることを認識した。機械事業部にいると、絶対に思いつかない発想である。いかに蛸壺に篭って、仕事をしてきたかを思い知らされた。これはどちらの事業部にも言える事で、会社改革の支障になっていた。

 

テストドライバー資格

 この部署では、開発した部品を評価するための運転技量が問われる。そのため設計者は全員、試験車運転資格(テストドライバー)を取らされる。この事業部への「新入社員?」である私は、実地訓練を受け、この資格を取得した。その資格で問われる内容は、人生の安全運転と同じである。

 当時、上級資格を持った部下の指導下で訓練をした。実技訓練で部下が助手席に座り、運転訓練を受け、部下の教官から「課長は学習能力がないですね」と嫌味を言われながらの運転訓練である。たとえ部下でも、車上では教官である。何を言われても反論できない。その資格取得後は、安全を最優先に心がけていたので、小さい事故はあったが、大きな事故には遭わずに無事過ごす事が出来たと感謝している。

 

資格を取得

 取得資格は初級の資格であったが、それでも助手席に指導教官が座って、親会社の富士山麓のテストコースで、当時、担当部署で開発中の部品を搭載した試験車の運転が出来た。トヨタ本社のテストコースで、指導教官の横で時速200キロの走行体験もした。今にして思えば良い経験であった。中級の資格取得に挑戦したが、時間切れとなった。

02_04  イメージ図(日本自動車研究所のテストコースの写真を借用)

 

人生道の疾走

 人生の街道を自分の体という乗り物で疾走するには、安全が最優先である。それは自動車の運転で問われる課題と同じである。その中でも、普通の運転者より高い技量が求められる試験車運転資格(テストドライバー資格)での最優先事項は安全である。試験車運転資格試験で問われるのは、3Sの能力である。3Sとは、安全 (Safety)に、素早く(speedy)、滑らかに(smooth)である。これを言い換えると、次の表現になる。

 

 自分の子供が急病になって、車で病院に連れて行かなければならない。焦って安全運転を怠れば、事故で病院にたどり着けず、子供が死んでしまう。低速で走れば、時間がかかり子供が死んでしまう。スピードを出して乱暴に運転すれば、振動や衝撃で容態が悪化して、子供は死ぬ。安全に、素早く、滑らかに運転して、我が子を病院に送り届ける。これがテストドライバーに求められる能力で、これがないと部品の評価はできない。

 

 これは全ての仕事のやり方を象徴している。子供を仕事の置きなおすと、仕事の心得そのものである。この資格の実技試験で、急ブレーキを踏むと一発で不合格である。なぜなら危険の予想が出来ていないとの判定である。事前に危険を予測できるのに、それを怠った結果が急ブレーキである。要するに安全確認の心構えができていない。

 

 その他の技術として、3秒前に方向指示をしてから車線変更をする。要するに、自分や組織は何処の方向に向うのか、周りにも部下にも、適正な時期に示せ、である。

 サイドブレーキを引く時は、カチャカチャという音を立てず、ノブを押しながら引け。つまり、車をいたわり優しくして操作をせよ、である。仕事や周りへの心配りである。

 曲がる時は、右よし左よし後方よし、と呼称する。安全の自己徹底である。仕事でもチェックリストを使うのと同じである。今でも私は呼称運転をしている。

 

2021-01-15   久志能幾研究所通信 1890  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。