b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2022年1月17日 (月)

知恵の真実を求めて  智慧の方程式

 

 松下幸之助翁は知恵を下記に定義した。彼はその思想で、一代で大松下電器を作り上げた。

  知恵=知識×熱意+経験

 経験は感受性の強さにより、大の経験にも小の経験にもなるという。松下幸之助翁は誰よりもその感受性が高かった。目に見えない宇宙の根源様を祀り、祈っていた。

 私の知恵の解釈は

  智慧=慈悲×知識×熱意+経験×感受性

 人が有名大学で学び、どんなに多くの知識を得ても、かつ熱意があってもそれを世のために使おうという慈悲の心が無ければ罪人である。それどころか、悪智慧を使って稼いだ金が己を傷つける刃にもなる。

 いくら熱意があっても、オウム真理教のように間違った方向に使えば、悪智慧の極みとなってしまう。

 いくら頭が良くて知識が有っても、ホリエモン商売をすれば、社会悪である。刑務所行きである。

 いくら高学歴で官僚になっても、その知識で保身と利己の政治をすれば、日本衰退の政治となる。それが今の失われた30年の日本である。失われた大垣の20年である。今の官僚や政治屋は知識や学歴はあっても、頭が悪いのだ。智慧がないのだ。教科書の前例のある政治しかできない。創造性がないのだ。政治は結果が総てである。結果が悪ければ、頭が悪いという証明である。

 バカと知識はハサミ次第である。茶筒を横に切れば真円、縦に切れば長方形である。バカと知識は賢く切らねば、使い物にならない。

 失敗は誰でもする。失敗を経験智まで昇華せねばサーカスの調教された犬畜生と同じである。失敗を智慧にするには、感受性が高くなければならぬ。感受性を高めるには、感動することだ。涙を流すことだ。人との熱い交際をすることだ。芸術を愛し、芸術に接することだ。

 いくら知識が無限に有ってもその中から、最適な解を選択する賢さが無ければ、その多くの知恵はゴミである。またその智慧に利他の心が無ければ毒となる。

虚空蔵菩薩

 「虚空蔵」はアーカーシャガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」という意味である。寅年生まれの守り佛である。33年目の閻魔様の最後の審判の時、己の生前の善行を弁護して頂ける仏さまである。菩薩の中では一番位が高い仏様である。

十三仏信仰

 「十三仏信仰」は江戸時代から始まったとされる。冥界の審理に関わる13の仏(仏陀と菩薩)が、初七日(不動明王)、二七日(釈迦如来)、三七日(文殊菩薩)、四七日(普賢菩薩)、五七日(地蔵菩薩)、六七日(弥勒菩薩)、七七日(薬師如来)、百か日(観音菩薩)、一周忌(勢至菩薩)、三回忌(阿弥陀如来)、七回忌(阿閦如来)、十三回忌(大日如来)、三十三回忌(虚空蔵菩薩)が仏の国に旅立った故人が極楽浄土に行けるように、追善(故人に善業を積んで送る)法要を営むとされている。

 俗世間的に言えば、各法要で、その担当佛様が、故人が極楽に行けるように弁護士の役割をされる。最後の法要が三十三回忌で、その担当弁護士が、虚空蔵菩薩である。

 

宗教

 宗教を信じるか信じないかは、人の価値観の違いである。「宗」とは自分の祖先のことである。宗教とは、自分の家の教えである。

 その真実は死んでみないと分からないのだから、信じて生きていた方が心の安らぎが得られ、メリットが大きいと思う。そんな安らぎは不要という強い人が羨ましい。人間は見えないものに畏敬の念をもって手を合わす。そんな弱い人のほうが信用が置ける。

 人は強くなければ生きていけない。弱さが無くなれば人間味と感受性が無くなる。

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  馬場恵峰書

039a01111s 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩像

2022-01-17  久志能幾研究所通信 2276号  小田泰仙

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著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2022年1月11日 (火)

寝室で浮気はダメよ

 

 寝室は眠る場所である。頭と体を休める場所である。そこはテレビを見たり、スマホをいじったり、横になって考え事をする場所ではない。そんなことをすれば、寝室のご本尊である観眠菩薩様に対して浮気をすると同じ。毎日の眠りにつく儀式は、永眠のための事前練習なのだ。

 

 よく働いた一日は、穏やかな睡眠を誘う。

 良く仕事をした人生は、安らかな永眠を賜まう。

 若くして死ぬと、生木を裂かれるような苦痛を味わう。

 やるべき仕事ができず死ぬから、未練が残る。

 やることをやり切って、枯れるように倒れると、苦しみはない。

 

仕事とは

 「仕事」とは、「事に仕えること」で、世の中に付加価値を生み出す奉仕活動である。カネや土地、企業を転がして金儲けをしても、世に付加価値を生み出せない。その存在は、あぶくと同じで、世の中に必要が無くなれば、消滅する存在である。

 

日本衰退の原因

 今の日本の停滞は、日本人が単に前ほど働かなくなった(仕事をしなくなった?)のも一因である。日本が高度成長していた時代は、日本人はモーレツに働いている。それに賛否両論ではあるが、その事実は明らかである。欧米が日本を働き過ぎだと攻撃したのは、欧米の陰謀である。欧米が付いていけないからだ。

 また脇が甘く、世界は魑魅魍魎のすむ世界なのに、性善説を信じたが故、開発した企業機密をダダ洩れになり、競争相手がその情報で急成長したのを許したのが、日本が衰退した原因である。そもそも技術者というお宝を大事にしなかった咎である。

日本再生のため、「よく死ぬために」も、我々は危機管理を厳密にして、頭を使って、もっと働こう。知恵を使って、働きかたに変えよう。

 

生涯現役

 馬場恵峰先生は94歳まで現役として、ばりばりと仕事をされ、後世によきお手本を多く遺された。一昨年末、一ケ月ほど寝込まれて、2021年1月1日に安らかに永眠された。よき人生のお手本であった。

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 仕事中の恵峰先生。私の撮影ではこれが最後の仕事姿。 2020年2月14日

 その後、コロナ禍で長崎に行けなくなり、仕事中の写真はこれが最後となった。

 

 漢字学者の白川静先生も、89歳の時から(1999年3月から2004年1月まで)地元京都で「文字講話」を2時間年4回ペースで全20回行われた。その講演内容は『白川静 文字講話』(全4巻)にまとめられた。

 私もそれのツメの垢でも味わおうと、その講演ビデオと著書を入手して研究した。

 その続編の希望が相次いだので新たに講話を4回行ない、2006年10月初頭にその続編の著作校正を済ませて入院された。同年10月30日、内臓疾患(多臓器不全)により逝去された。96歳没。翌年に(結果として遺著となった)『白川静 続文字講話』が刊行、生涯現役を通された。

 両先生共、90歳を超えて、生涯現役を通された。お二人とも枯れるように倒れられた。後進に背中で指導をされた。

 

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 「文字講話」ビデオと著書

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睡眠の意味

 睡眠とは、日中の仕事でカオスになった脳内情報を整理・整頓・清掃・統合して脳内のゴミの情報を捨てる作業である。

 同じように、睡眠中に体内の細胞が新陳代謝で、老廃物を捨て、成長ホルモンで新しい細胞に命を与える作業を行う。

 

寝室の安眠対策

 だから私の寝室には、テレビもラジオもスマホも家具もない。ベッドがあるだけである。非常用の固定電話だけは置いてある。

 家具がないのは、地震対策である。安眠中に地震で家具が倒れ、それで圧死で永眠してはシャレにならない。

 ベッド際の時計も音声時計で、暗闇でも手探りでボタンを押せば、音声で時刻を教えてくれる。真夜中に電灯をつけたため、覚醒してしまうこともない。

 窓も夏の早い朝日で目が覚めないように、窓は特注のベニヤ板で封鎖して、真っ暗な部屋にしている。それで朝の4時に朝日の明るさで目が覚めることはない。

 それで良く熟睡できる。お陰で体調を整えて寝ると、夜にトイレのために起きることもない。

 永眠の練習?のため、毎日、死んだように眠りについている。残念だが、翌朝、6時間経つと、自然と目が覚めてしまう。理想的にはもう少し寝ていたいが、加齢現象のせいか、寝られない。

 

今にして後悔の山、睡眠の失敗

 昔の会社勤めの時代は、劣悪な睡眠状態であった。往々に仕事で行き詰まると、敢えて電灯をつけたまま床に入り、その問題点と解決策を堂々巡りで考えていた。

 悩みの多い時は、深夜ラジオを聞いてうとうとしていた。

 そんな状態では熟睡できるはずがない。体に良いわけがない。

 

 その昔、ある研修でゼロ泊3日の地獄の研修を受けたことがある。朦朧とした頭で考えて、プレゼンをさせられる。しかしそれが本当に良かったのか疑問である。講師の言い分では、受講生を睡眠不足の状態に置き、理性ではなく脳の深層から出た本音で語らせるのが目的だという。しかし今でもそのやり方に疑問を覚える。

 

 人間は幸せになるために生きている。それが仕事の為、金儲けのために睡眠を削り、結果として頭も十分に働かず、健康も害するなら、幸せになれない。それでは、本末転倒である。寝室では死んだように眠るのが正しいお作法である。観眠菩薩様に見守られて安眠しよう。

039a34521s 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

2022-01-11  久志能幾研究所通信 2269号  小田泰仙

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2022年1月 8日 (土)

死刑囚としてカウントダウン、2035年±5年

 

 今回、南海トラフ巨大地震の調査を始めて、その地震が2035年±5年で発生することが統計的に100%であることが判明した。

 

締め切り

 愚かな人間は、期限を切られて、初めて本気になる。雑誌の締め切りに追われる作家、試験期日が迫った受験生、プレゼン日までに資料を作らねばならぬ焦っているサラリーマン、等々で締め切りを意識した時に、人は初めて本気になるのだ。

 今回、南海トラフ巨大地震の対策の準備開始に目覚めた。やはり地震が発生する期日が明白になると目が覚めるのだ。

 

カウントダウン

 人生でも、終わりの日を平均寿命から考えれば、そんなに多くの時間が残っていないことが明らかである。多くの人は、今の時間が永遠に続く思っており、死から目を逸らしている。死へのカウントダウンを意識して、残りの人生を送るのが危機管理である。

 

 カウントゼロになって死んだら、ごく自然であり、諦めがつく。前向きに生きて、前向きに倒れるなら素晴らしい人生だ。それでこそ有意義な人生を送れる。

 往々に予想外に早くカウントダウンが終わる場合がある。だから準備に早すぎるということはない。

 カウントゼロ後でも、まだ息をしていれば、まだこの世でやることがあるとの啓示である。それはめっけものである。

 

ご本尊

 その時、佛様のご加護の有無は、見えないものを信じて生きるか、そうでないかの差だと私は信じる。オダブツ教のご本尊は、虚空蔵菩薩と文殊菩薩、普賢菩薩である。人生を歩むうえで、多くの知恵を出し、その中から賢く選択し、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲で菩薩道を歩む。私はそれを目指している。

 菩薩道とは、あるべき理想の姿を求めて歩く修行の道である。

 

心機一転

 還暦を過ぎるとカウントダウンの人生が始る。あと何年で、永眠かである。最近、昔の仕事仲間の訃報が数多く届き、愕然とする日々である。嫌でも死を意識する。還暦まではカウントアップの日々で楽しいが、還暦を峠に人生の登山と下山で正負が逆転である。人生は登山と同じで、上るより、下る方が難しい。多くの人は、下山で遭難する。

 

 しかし南海トラフ巨大地震の準備を始めて、そんなことは眼中になくなった。やるべきことが山積である。ついでに?家も新築せねばならぬ。皆さんに対して、やればやるだけ貢献ができる。やることがあるだけ幸せである。それも皆さんに利益(りやく)があることをやるのだから。

 利益(りやく):仏・菩薩(ぼさつ)が人々に恵みを与えること。仏の教えに従うことによって幸福・恩恵が得られること。また、神仏から授かる恵み。利生(りしょう)。御利益(ごりやく)   出典 小学館

 それから派生して「利益(りえき)」という言葉が生まれた。

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覚悟

 当面の最優先課題は、町内の1週間分の水、食料と2週間分の非常用トイレの備蓄計画の立案と実行である。しかしそれには金がかかるのだ。

 

 都市が大地震に襲われると、電気は6日後、水道は11日後、ガスは84日後、下水は93日後しか復旧しない。(阪神淡路大震災時の実情。兵庫県『阪神淡路大震災 復旧・復興の状況について』(令和3年1月)より)。

 町を守り、非常時に備えたいが、無責任な大垣市は、雀の涙ほどしか助けてくれない。自分の城は自分で守らねばならぬ。おちおち死んでなんかいられない。

 

死を見つめる意義

  作家で精神科医の加賀乙彦氏が、興味ある報告をしている。彼は刑務所で多くの受刑者と面接して、終身刑の囚人と死刑囚との間で、その生き方に明白な差を見いだした。終身刑の囚人が、なんとなく元気がないのに対して、死刑囚は元気でキビキビしている。両者の差で明白なのは、前者の眼は死んでいるが、死刑囚は眼が輝き、澄んでキラキラと輝いていることだという。終身刑の死が不確定なのに対して、死刑囚は明日にも死刑執行があるかもしれない。その緊張感の有無が、この差を生むらしい。それは死刑囚が死を避けて通るより、避けえない事実として、1日1日を有意義に過ごそうとする意識が働くためのようだ。

       「死を見つめる意義」大阪大学人間科学部教授 柏木哲夫

                       『日本経済新聞 夕刊1996.10.12』

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 虚空蔵菩薩 松本明慶大仏師作

Dsc06566s 普賢菩薩 松本明慶大仏師作

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 文殊菩薩 松本明慶大仏師作

2022-01-08  久志能幾研究所通信 2266号  小田泰仙

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2022年1月 2日 (日)

今度は戦争だ! 人間とゴジラの戦い、南海トラフ巨大地震

 

 人間が怪獣ゴジラに戦いを挑むのは愚かである。勝てるはずがない。それはウサギがライオンに歯向かうようなもの。脱兎の如く逃げるのが、最良の選択である。

 南海トラフ巨大地震は、2035年±5年で100%起きることが統計的に計算されている。巨大地震が巻き起こす巨大津波は、人間にとってゴジラと同じである。いくら知恵を絞っても勝てるはずがない。「孫子の兵法」の「三十六計逃げるに如かず」である。

 

津波の恐怖

 南海トラフ巨大地震は、日本列島の近傍で発生するので、32m高の津波が、わずか5分間で海岸沿いに襲ってくる。東日本大震災時は、遠くが震源地だったので、津波が来るまでに1時間の余裕があったので逃げられた。それでも東日本大震災では、津波高さ10mである。それが南海トラフ巨大地震では、津波高さ32mで、10階建てビルと同じ高さである。津波襲来が地震の5分後では、10階建てのビルの屋上に物理的にも、体力的にも逃げることができない。車で逃げても、5分間では物理的に遠くに行けないし、道路が大渋滞となるはずで、逃げられないだろう。

 

政府の対策

 智慧ある人間にできる手段は、海岸沿いに住んでいるなら、そこから住居を移すことだけである。巨大な防波堤を造るか、沿岸部の施設を内陸部に移せばよいが、物理的、費用的、時間的に困難がある。いくら困難でも、巨大な防波堤を造り、施設や住宅を内陸部に移す国土強靭化対策を取れば、その被害は少なくできる。決断があるだけである。

 相応の投資をすれば、総額1410兆円と想定される被害が、かなり減らせるのだ。これは戦争だとして、防災に300兆円を投資しても、結局日本にとって利益があるのだ。わずか国家予算の3倍だ。働いて返せばよいだけだ。国土強靭化政策の一環としてやるべきだ。

 

 これは政治の問題である。今の優柔不断な岸田政府では、絶望である。市民にできることは、そんな政治家に投票しないことだ。そうしないと日本は変わらない。

 現在の政府は、2022年冬季オリンピックのボイコットさえ、直ぐに決断できない情けなさだ。C国の人権侵害非難決議さえできない拝金主義者・風見鶏たちである。世界から笑われている。だれがこんなレベルの政治家に投票をしたのだ。

 

個人でできる対策

 しかし、個別に住居を内陸部に移すことは、約10年の時間があるから、個人の決断さえあれば可能である。今が働き盛りなら、10年後の定年退職に向けて津波から安全な内陸部に計画的に新居を建てればよい。たとえ地震で家が壊れても、津波に飲み込まれる事態は避けられる。命さえあれば、立ち直れる。

 

疎開

 太平洋戦争の時、東京の人の多くは、B29の空襲を避けるため、田舎に疎開した。1944年の東京大空襲で11万5千人が焼死されたが、疎開した人は助かった。疎開した人は、竹槍でB29と戦かおうとは考えなかった。賢明な市民にできたことは、疎開(逃げる)することだけだった。

 東京大空襲で生き延びたのは強い軍人達ではない。環境にもっとも適応して、「逃げた(疎開した)」民間人たちである。

 

ダーウィンの法則

 (危機に遭遇して)生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」。

 巨大津波が来ることが分かっていれば、その場所から逃げる決断をした人種が生き延びるのだ。来ることが分かっているのに、無為無策で過ごすのを愚かという。そういう種は、地震が来る前に滅びる。

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   東京大空襲後の焼け野原

 

助言

 私は危険な場所に住んでいる昔の仲間に、この件を助言していく計画である。昔の仲間がみすみす津波で死ぬのを見逃せない。多くの仲間が名古屋市の南部の海抜ゼロメータ地域に住んでいる。

 災害は、準備をすればその8割は被害を減らせる。

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 上図は大垣の新市庁舎。高さ38m。市民税を貪り食う妖怪が住む館である。

 大垣市の役人達は、岐阜市よりも2割も過剰に豪華で、安全な市庁舎に居座り、市民の家の耐震補強工事の補助金を以前は200万円だったのに、新市庁舎建設の為、今の50万円に減額する仕打ちをする役人達である。耐震補強工事の補助金は、南海トラフ巨大地震対策での補助金なのに、この有様である。後は推してしるべし、である。

 南海トラフ巨大地震では、大垣新市庁舎の高さの津波が地震5分後に沿岸部を襲う。東日本大震災の津波のレベルではないのだ。「三十六計逃げるに如かず」しかない。

 それが賢い選択である。

Dsc06566s 松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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2022-01-02  久志能幾研究所通信 2259号  小田泰仙

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2021年12月16日 (木)

南海トラフ巨大地震 対策プロジェクト

 

死亡者数は32万人

罹災者は6000万人

被害額は1410兆円と予想される。

それなのに日本の年間税収は60兆円

 

 東日本大震災時は、地震発生から約1時間後に10m高の津波が来た。2035±5年後と予想される南海トラフ巨大地震時は、地震発生から3~6分で、32m高(10階高のビルと同じ)の津波が来ると予想される。10階高と同じ高さの津波では短時間すぎて多くの人は物理的に逃げられない。現在でも、専門家がその対策で頭を悩ませているが、よい解決策が出そうになく頭を抱えている。

 

対策

 津波対策は、東北地方の例を見ても、高台に建屋を移動させて建てる、防波堤を建てるくらいしかないようだ。

 トヨタはEV化で2030年までに4兆円を投資するという。日本政府は毎年5兆円の防衛費を使う。それを思えば、10年後の南海トラフ巨大地震に対して相応の金をかけて準備をすればよい。これは有史以来の国難である。政府として毎年数兆円単位の金で国土強靭政策として、対策を打つべきである。たとえ100%の対策が出来なくても、10年で100兆円の投資(仮定として)をすれば、想定被害額1410兆円が500兆円ぐらいまでに減災できればと思う。震災と起きてから復興に投資をするより、先に減災投資・防災投資をすべきである。それが危機管理である。

 

 日本は太平洋戦争に総額で当時の国家予算の280倍の金を費やした(経済評論家・加谷珪一氏の試算)。今後襲ってくる南海トラフ巨大地震は「南海トラフ戦争」である。そう思って100兆単位の金を使うべきだ。これが「南海トラフ巨大地震プロジェクト」である。やるかどうかは、政治家の決断があるだけである。やらなければ、人災となる。

 

具体的対策

 私の頭では、泥縄式に高さ35メータの防波堤を造るしか思いつかないが、それでもやらないよりはよいだろう。その防波堤の構造体を何かに兼用させれば、波及効果もあるだろう。

 また海岸沿いの人口密集地の施設・工場・住居等を高地に移動させるしか、手がないだろう。

 それでも国家予算の何倍もの金を投資すれば、然るべき効果があるだろう。かえって日本を作り直すよい機会かもしれない。手をこまねて無為無策よりは、よきチャンスである。津波で全ての人財・施設を失ってからでは遅い。その被害を半分にするだけでも、大成功である。十分に計画すれば、被害を8割は減らせる。

 

 プロジェクトに対して予算を付けて具体的に動き出せば、もっと良い案も出てくるだろう。もっと多くの人の知恵(文殊の知恵)が出れば、効果的な対策案も出てくるだろう。

 国土強靭化に投資すれば、国の防衛力も向上できる。災害に強い日本と作れる。自然災害との闘いは永遠に続く。そうすれば相乗的な経済的効果も出てくるだろう。

 

一将の責任

 その決断をする政治家がいるかどうかが問題である。何のために総理大臣になったのか、天照大御神に問うて欲しい。国難を救う、それが国のリーダの使命である。

 国は一将により興り、一将により滅ぶ。国を救うリーダが今求められている。C国冬季オリンピック開催にさえ反対の決断ができないリーダでは、日本の未来は暗い。優柔不断でしょぼい岸田政権では日本が不幸になる。危機の時は、調整型の政治家ではダメなのだ。それでは烏合の衆の番頭である。国難の時は、国民を固い信念で引っ張っていくリーダが求められる。

 

祈り

 日本は過去に壊滅的に国土が破壊された状況で、何度も立ち上がってきた民族だ。太平洋戦争の焼け野原からの復興、東日本大震災、阪神淡路大震災、関東大震災からの復興を成し遂げたではないか。今度は予測をして大災害に準備をすれば、その被害は軽減できる。それくらいやらないとご先祖様に恥ずかしい。日本人の英知を結集しよう。私は神仏が守ってくれると信じている。

 

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  松本明慶大仏師作 文殊菩薩像

  

2021-12-16  久志能幾研究所通信 2240号  小田泰仙

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2021年11月23日 (火)

KK母子にそっくり、鼻につき縁を切る

 

 その昔、その人から頼まれて、彼女の息子のイベントでの写真とビデオを撮影した。しかしその人にも息子にも、それが当然の如く扱われ、一言の礼もなかった。礼どころか、その写真の出来に文句を言ってきた。それは不可抗力の問題であり、私が苦情を言われる筋合いではなかった。息子はそのイベント中で非常識な言動があった。プロとしてあるまじき行為であった。知人もそれに同感であった。

 彼女からは、私はお人好し人間に見えたのだろう。だから彼女からの要求が多かった。私は金儲けのため、写真を撮ったわけではない。彼女にお金を請求したわけではない。それで後味が悪かったので、それ以降、私は彼女との縁を疎遠にした。

 

 知人も、そのKK母そっくり氏の金への執着心が鼻につき、好感を持っていなかった。知人は仕事のため義理で付き合っているという。

 

 彼女は、私が癌の手術をしたことを聞いて、「今度、お見舞いに行く」と電話口で言ったが、3年弱経ってもなしのつぶてである。

 

 その彼女が、先日、3年ぶりに電話をかけてきた。とりとめのない話をして、電話口で3年前に見舞いに行けなかたことを詫び、その「話のついで」で、私の施設を貸して欲しいという話を始めた。ああ、それが今回の電話の目的なのかと合点がいった。事情を話してその件は断ったが、彼女は私が疎遠にしたいという空気を読めなかったようだ。人との機微には鈍い人なのだ。

 

 彼女はご主人と離婚している。彼女の振る舞いを見ていると、なぜそうなったかが分かる気がする。息子の言動でもそれを感じる。まるでKK母子のようである。なにせ子供が人生で一番影響を受ける人が、母親である。母親の影響は大きい。人生は母親次第である。

 彼女は若い頃は結構な美人であったようで、ちやほやされたのだろう。ちやほやされると、人は成長しない。それが人の心を読むことが疎くなっている原因だと私は推察した。

 

感染防止

 君子危うきに近寄らず、である。そういう人と付き合うと、自分の運も悪くなる。運も金も吸い取られる。悪縁は伝染する。臭に交わると臭くなる。悪の薫習である。付き合う人の異臭さに気が付いたら、早め早めに縁を疎遠にしよう。それが危機管理である。

 KK母の婚約者も、早く彼女の異常さに気が付けば、あそこまで泥沼には嵌ることもなったのにと、残念に思う。世間知らずのお嬢様なら、騙すのは簡単だ。赤子の手をひねるようなものだ。

 

第六感

 自分の第六感を信じよう。今まで生きてきて体験した経験智から生み出された第六感は正しい。それは体得した賢さである。私はその賢さゆえに今も生きている。此の世で降りかかる悪縁災難を避けて生き延びるのは大変なのだ。自分の城の外は魑魅魍魎の世界である。

 

母の鞭

 私の母は私に常々「男は家の外に出れば、7人の敵がいる」と言い続けた。しかし周りの知人に聞いても、そんな指導を息子にした母を聞いたことがない。子供を溺愛する親は多い。私は一人息子で甘やかされて当然であったが、そうはならなかった。それをこのような厳しい言葉で教育したのは、それ以上の愛情だと思う。母に感謝である。

 

 今一番思うことは、人生で最大の敵とは、自分に潜む怠惰な自分である。危険が分かっていてそれを安易に考える自分である。己を滅ぼすのは外の敵ではなく、内なる自分自身という敵である。

 

Dsc065661s 普賢菩薩像 松本明慶大仏師作

 賢くありたいと毎日、手を合わせている。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎著「言志四録 51選」」 久志能幾研究所刊

2021-11-23  久志能幾研究所通信 2217  小田泰仙

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2021年11月21日 (日)

内弟子採用、観音菩薩の目で「現地現物」

 

 組織への採用は、その人の人生を左右する。採用とは、組織と個人のお互いの金儲けではなく、その人の幸せに関係する人事なのだ。

 大仏師・松本明慶師は、内弟子の採用決定時、単にその候補者と面談するだけでなく、その候補者の仕事場に出かけて、その人の仕事ぶりまで見てから、決定する。

 また内弟子として正式に採用する時には、両親と面談して仕事の実情を説明してから採用の最終決定をする。両親とは、その人を育てた佛様なのだ。佛を見れば、その子が分かる。

 

現地現物

 これはトヨタウエイの「現地現物」そのものである。松本明慶師はそれを現地現人で、人を判断している。

 私も現役時代に途中入社の人を面接したことがあるが、しかし1時間くらいだけの会話でその人の評価はできない。それでも実際に面談すると多くのことが分かる。セブンイレブンの鈴木敏夫会長も同じことを言っている。面接でできることは、あくまで異常値(非常識人)の排除だけである。

 

「現地現物」は英語の訳の方が分かりやすい表現である。

Gennti gennbustu :  Go and see by yourself  thoroughly understand the situation.

  ジェフリ・K・ライカー著『THE TOYOTA WAY』より

 

私の面接試験

 私が会社の人事部長なら、人の採用時にはあるテーマで文章を書かせて、それで評価をするだろう。人の頭の中と能力は、書かせてみれば一目瞭然である。何も考えていない頭からは、何も出てこない。これは胡麻化しようがない。

 

野崎宗慶師の内弟子採用

 仏師・野崎宗慶師は、最後の京仏師として名高い大御所であった。師が82歳の時、19歳の松本青年が人から推薦されてやってきた。一目でその才能を見ぬいた野崎宗慶師は、松本青年をその日に内弟子に採用した。野崎宗慶師にとって初めての内弟子である。野崎宗慶師は、仏像彫刻の修行を松本青年にマンツーマンで始めた。老師は持てる技を口伝で全て伝えると、1年後にこの世を去られた。それで今の松本明慶大仏師がある。

 

住宅メーカの採用

 家の選択でも同じである。内弟子とは、自分の「後世」を託すような存在である。名人によっては一生で一人しか内弟子を取らなかった野崎宗慶師の例もある。名人と呼ばれるような人でないと、内弟子の才能は見抜けまい。

家を買うとは、人生でたった一人の内弟子を採用すると同じなのだ。そういう覚悟で選択したい。

凡人の私が住宅展示場のモデルハウスを一見しただけでは、家の真偽は判別不能である。実際に自分の目で確認して、実際の生活を体験しないと分からないだろう。実際には、凡人は、内弟子を採用する時に、異常値を排除するしかやれないのが現実ではある。

せめて観音菩薩が衆生を観るように、住宅メーカが発する「音」を観て、何が真実かを見極める精進を続けたい。

039a34521s 聖観音菩薩像 松本明慶大仏師作

 

2021-11-21  久志能幾研究所通信 2215  小田泰仙

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2021年11月 4日 (木)

見学記 長野県立美術館で盗みたくなる絵?

 

 2021年10月29日、長野市の東急百貨店で開催されている「大仏師松本明慶仏像彫刻展」に行った。その足で、長野美術館を見学した。本来、善光寺に行く予定が、新型コロナ騒動で、7年ぶりの秘仏の御開帳が来年に延期になったので、参拝は来年に変更して、長野美術館に行った次第である。

 

 長野美術館は近代的なデザインの建屋である。3つの建屋からなり、本館と企画展部と東山魁夷館からなる。東山魁夷館とは本館から、透明なガラスの回廊でつながれていて、わくわくするような雰囲気が漂う。

 ただし中身は期待外れであった。

 

東山魁夷館

 初期から晩年までの歴史記念的な作品が多く展示されているが、私が名画と定義できる作品は無かった。所蔵している絵画で、今回の企画展(東山魁夷館コレクション展 第Ⅳ期)では、あまり見るべき絵は少なかった。このコレクションは、東山魁夷が54歳から69歳までの作品だが、欧州のスケッチ絵が多くて、中途半端な絵(私の感想)が多かった。

 私が名画と定義できるのは、「捕まってもいいから、盗んで家に飾りたくなる作品」である。残念ながら、この東山魁夷館では、それが無かった。お陰で逮捕されずに帰宅した。

 

常設展の会場

 常設展の会場では、畳数枚分もの大きな作品が多く展示されているが、常識的に「美術作品とは何か、その付加価値は何か」を考えてしまった。大きな作品は、美術館ではなんとか展示できるが、その多くが見入ってしまい、家に持ち帰りたいと思う作品は皆無である。自分がウサギ小屋の小さな家に住んでいることが原因ではある。絵があまりに大きすぎて、作品の価値が見いだせないからだ。

 今まで、大きな絵で感動した絵は、ルーブルの「ナポレオンの戴冠式」、オランダ美術館のレンブラントの「夜警団」の絵ぐらいである。それでも、感動はしたが、それを盗んで家で飾りたくなる気持ちにはならなかった。そんな絵を自宅に飾ったら、家が雰囲気的に死んでしまう。

 

 画家も展覧会に出品するには、大きな絵を出さねばならぬ。その絵が、美術館に買って貰えればよいが、そうでないとその絵の保管が大変なのだ。その保管のため、マンション一室を借りている画家も多い。画家も大変なのだ。

 

名画無し?

 常設展では、美術の教科書によく掲載されている作品が多く展示されてる。教科書に載る典型的な歴史的な作品が多いから、美術の勉強にはなる。しかし「盗みたくなるような魅力ある作品」は少ない。やはり美術館が買い入れる無難な作品である。

 今回は、山路先生とご一緒したから、山路先生から作品の解説を聞きながらの鑑賞となり、贅沢な訪問となった。山路先生は、元高校の美術の先生であった。定年退職後の今でも現役の芸術家である。

 

経営とは

 芸術は人生を豊かにしてくれる。人生を経営するとは、芸術活動である。どこにもない芸術作品を創り、世に貢献しよう。経営とは、今、自分が持てる資源を最大限に活用して、世のために付加価値を創造することだ。自分の才能の発掘こそ経営の基本である。

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 長野県立美術館 正面の外観

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 東山魁夷館への通路

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東山魁夷館への通路の外の風景

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 長野県立美術館での課外授業(小学生の見学)

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長野県立美術館のすぐ隣が善光寺

 

2021-11-03  久志能幾研究所通信 2197   小田泰仙

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2021年11月 2日 (火)

人の生きる目的は、大佛になること

 

人は動物として生まれて、躾と教育で人間に成長する。

人間に成長したら、次の目的は佛になることだ。

佛になるなら、もっと大きな大佛を目指すことだ。

小さな佛で満足してはならぬ。

 

海は水を辞せざるが故に、大海となった。

(自侘は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同時なり(修証義))

人は大海のように、人生の清濁を併せ飲む大佛になることだ。

そうすれば小さな欠点は見えなくなる。

神ではない。大神でもない。大佛になることだ。

佛こそは、人間が精進した後、昇華してなれる存在である。

しかし人がいくら頑張っても神にはなれない。

神になったら、「人でなし」だ。

己が仏師として、己の中にある佛を彫り出すことだ。

自分には、自分さえ知らない大きな能力が潜んでいる。

 

それを覆う無知や傲慢さを削ぎ落すには、己に傷がつく必要がある。

それが自分の中にある佛を創造することだ。

「創」とは絆創膏の「きず」「刂」(砥石)の象形文字である。

武士は刀で傷を受けても、なにクソと血が吹きあがる傷口に焼酎を吹き付ける。

その傷口から新しく強靭な細胞が再生される。

 

大佛大器を目指せ。大佛は全てを受け入れる大きな器である。

その器には大智大賢慈悲が入っている。

大佛は悲しみも喜びも総てを受け入れる大きな器である。

 

私はそれを目指して精進している。

大佛を納めるオダ仏教本殿を建てよう。

棒ほど願って針ほど叶う。

大仏を目指して、結果が小佛でもいいではないか。

小さな童地蔵が精進をして、大佛に変身する。

仏道を歩むプロセスが大事なのだ。

千里の道も一歩から。

大仏を目指さないと、小佛にさえなれない。

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西国二番札所・紀三井寺の佛頭(2m40cm)を製作中の松本明慶大仏師

 『大佛師 松本明慶 作品集』小学館より

 本図は大仏師松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可を得ています。

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  童地蔵  松本工房

 

4k8a02371s  馬場恵峰書

2021-11-02  久志能幾研究所通信 2197  小田泰仙

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2021年11月 1日 (月)

人生200年、あの世500年、輪廻転生を信じて家作り

 

無神論者はテロリスト?

 欧米ビジネスマンと話すとき、自分は無神論者だと言っては、軽蔑される。下手をすればテロリストと間違えられる。文明人と野蛮人を分けるのが、宗教の有無だと彼らは信じている。実際に人間とサルを分けるのが、宗教があるかないかである。だからキリスト教徒の彼らから見れば、無神論者は狂人である。人間的にも信じてもらえない。彼らと話すときは、自信をもって自分は仏教徒だと言おう。

 無神論者でテロリストは家など作らない。教養ある知識人として、この世の中に付加価値を創る生産工場としての家を建てよう。家は人生を闘うための要塞である。人生航路を行く空母でもある。

 

人生200年

 此の世の人生は200年である。動に生きて100年、静でお墓の中で過ごして100年である。お骨は微生物が100年かけて分解してくれる。それでお骨は土に還る。人はそれで物理的にこの世から消える。お墓とは、骨を土に還す装置である。だからお墓とは、此の世の最後の家である。

 

 私は土に還るまでの100年間を、安らかに過ごすため、6年前に耐震も考えた構造のお墓にした。またメンテナンスフリーであるお墓にした。墓誌に戒名まで彫って、準備万端である。あとは死ぬだけ(?)だが、なかなか死ねなくて往生(?)している。そう簡単に死んでたまるかと、精進している。

 それゆえ、人生200年を俯瞰して、動の時間を良く生きるために、良い家を建てたい。良い家は、人生を豊かにしてくれる。今、次の家を建てる夢をいだいて計画をしている。

 

24時間換気システム

 現世の最新式の高気密高断熱の家は、24時間換気システムが法律で必須である。それに準じて建設したお墓の納骨室には、通気孔を儲けて、湿気を除く仕組みを取り入れた。これは石屋さんの家のお墓のアイデアを借用した。だからたまには、霊として暗い納骨室の通気口から抜け出し、娑婆に遊びに行けば(?)よいのだ。未練が残れば、化けて出ればよいのだ。

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 納骨室の横の通気口

 

あの世の期間

 あの世の期間は500年である、と私は信じている。仏典では天の寿命は500年と言われている。天女も四天王も寿命は500年である。関ヶ原合戦場では、数十万人が戦いで亡くなったと言われる。その亡霊がこの500年間、さ迷っていて関ヶ原合戦場跡に度々出てきたそうだが、最近、それが全く出なくなったという。それから推察して、あの世の期間は500年と私は推定した。

 

 だから、日本の仏教の教えでは、どんな極道非道で地獄に落ちても、500年の「刑期」を勤めれば、輪廻転生で生まれ変わる。そこに日本の仏教は救いがある。キリスト教では、地獄に落ちると、永遠に地獄暮らしであり、救いがない。

 その後、輪廻転生で、何に生まれ変わるかは、現世の積善次第というのが仏教の教えのようだ。先人は賢い脅迫システムを作った。私も幼少の頃、祖母に連れられてお寺で地獄絵を見せられ、震え上がった。それで悪いことをしないと誓ったものだ。子供には効果抜群の教えである。

 

あの世が有りや無しや

 お釈迦様は、あの世が有るともないとも言われず、「ただ精進せよ」とだけ言い残されて寂滅された。あの世のことは、後世の弟子の作り話(?)である。私はその作り話を信じている。そう信じた方が、心安らかに生きていけると思う。誰もそれを証明できないなら、それを信じた方が、精神的に楽だと思う。それが人生の生き方を左右すると思う。

 神仏を信じない輩が、「死刑になりたい」と無差別殺人を起こす。今日(11月1日)も、狂人が京王線で死傷放火事件を起こし、ハロウィンの日が騒然となった。荒んだ事件の多発は、そういう幼児期の宗教教育が無くなったためだと思う。あの世が有ると信じて、善人として生きた方が、世のためだろう。嘘も方便である。あの世があるかどうかは、誰にも分らない。

 

70年後の世界

 おだ仏教の教えでは、33回忌で閻魔大王から、極楽に行くか、地獄に落ちるかの審判が下されるとしている。その時、私の守り佛の虚空蔵菩薩様が、私の弁護人となって、助けて頂けるそうだ。それが今から70年後(?)の審判である。いろんな説があり、それが17回忌という説もあるようだ。

 

 だから私は松本明慶先生に、虚空蔵菩薩像の製作をお願いした。毎日、虚空蔵菩薩に手を合わせると安らかな気持ちになる。荒んだ気持ちのまま、過ごしたくはない。守ってくれる仏さまを信じることは、精神衛生上で良いことだ。勇気もって生きていける。前向きの考えからは、前向きの人生が送れる。

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 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩

 

2021-11-01  久志能幾研究所通信 2196   小田泰仙

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