b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2020年11月28日 (土)

智慧が人を賢くし、知識が人を意固地にさせる

 

 知識とは議論において相手をねじ伏せるための武器である。時としてその知識が己の行動を縛る。智慧とは議論をしなくても問題を解決する佛智見である。知識で論理的に戦うことは、理でしか戦えない偏った戦いである。理だけでは感情を理解できない。だから「感動」はあっても「理動」はない。智慧とは理知をもって俯瞰的に物事を導く佛力である。お釈迦様はこの佛智見を衆生に教示するため現れた。

 

智慧なき経営

 世の中には有名大学出の社長が経営していても、情けない会社が多い。超エリートがトヨタより多くいる日産が、外国企業に身売りをし、半官半民の潰れるはずがない日航が倒産した。東大卒のホリエモンが知識を悪用して、ライブドア事件に狂騒した。頭が良くて知識があっても智慧がないから、会社を自滅に追い込んだ。知識を人より多く抱え込み、知識に固執して社内闘争に明け暮れ、金に目が眩みマネーゲームに走り、母なる己の組織を殺す顛末になる。

 

知識過剰

 どんなモノでも過剰にあると毒になる。モノが過剰にあると探す時間と保管の時間を取られ、人生の時間(命)が蝕まれる。人生経営指標の無形資産回転率が低下する。モノには精霊が籠もっていて、使われない悲しみの表われである。知識もありすぎると、どれが有用なのかが分からなくなる。1テラの知識量よりも一つの智慧が勝る。

 

智慧の経営

 浄土とは智慧で悟る世界である。穢土とは知識に振り回される煩悩が溢れる世界である。普賢菩薩と文殊菩薩は浄土から穢土に理知を運ばれる。

 知識は時代と共に正誤がかわる。知恵は不変である。知識を武器に相手を論破する競争よりも、黙々と下に根を伸ばす精進で智慧を育むことが大事である。不毛な議論は時間の無駄で、議論の正誤は神仏のみぞ知ることである。多くの人が嫌がることは正しいことではない。人に喜ばれてこそ功徳である。不毛の議論は犬も食わぬ。

Photo

 馬場恵峰書『人生訓80恵峰選』(2005年)より

 

普賢菩薩と文殊菩薩

  普賢菩薩は文殊菩薩と共に釈迦如来の両脇侍として、尊ばれてきました。仏教を信仰し、精進に努める誓いと行いを求めて努力をし、信仰者を守護してくださいます。普賢菩薩は象に座しておられますが、象は大力を持ち何者にも動じず、菩提(悟り)に運んでくれる徳を持っているとのことです。

 文殊菩薩は釈迦如来の両脇侍として、大乗仏教の上頭とされます。三人よれば文殊の智慧というにように、智慧を象徴するみほとけです。経軌によると文殊菩薩は清らかな心を持つ童子の姿とすることが記されています。

 また文殊五尊像は、獅子(威厳を象徴)に座した文殊菩薩とその従者たちが、海を渡って飛来する情景を表し、中国山西五台山はその聖地として巡礼者の信仰を集めてきました。

(松本明慶著『慈 大仏師松本明慶作品集』2004年 小学館)より

Dsc098511s

  松本明慶大仏師作  普賢菩薩像、虚空蔵菩薩像、文殊菩薩像 

 

2020-11-28 久志能幾研究所通信 1841  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年11月21日 (土)

「鬼」の貴方が「神」になるとき

 男でも貴方は「鬼子母」?

 己は煩悩にまみれた108人の子供の親である。欲望、煩悩という我儘な子供達である。己はそれを溺愛している。

 その中に、酒の好きな子がいる。自分の分身である酒好子である。タバコが好きな子がいる。喫煙菌子である。妻以外の女に夢中になる自分と瓜二つである。妾好子である。徘徊放浪が好きな徘徊孤子が、自分を誘惑している。だから家でゆっくりと思索・瞑想などしていられない。

 最悪の鬼とは、子供を溺愛する鬼親である。子供を厳しく育てないと、大人に成長しない。その典型事件が三田佳子や「みのもんた」の子供が犯罪を犯し、更生せず再犯を繰り返したことで証明される。

 己は、その煩悩の子達の一人でもいなくなると気が狂う。禁断症状で半狂乱になる。たかがタバコではないか、酒ではないか。それが我慢できないなのだ。その己を人は「鬼子母」という。

 

「鬼子母神」伝説

 鬼子母は、500人の子を持つ鬼母である。鬼子母は、500人の子を養うため、栄養を付けねばならぬ。鬼子母は、人の子をさらい、その肉を食うのが哀しい性となっていた。人々は鬼子母を鬼女として恐れていた。街角や村から子の遊ぶ姿が消えた。まるで新型コロナ禍と同じである。

 お釈迦様は、鬼子母を救いたいと考え、鬼子母が一番可愛がっている末っ子を密かに連れ去った。鬼子母は、半狂乱になり世界中を7日間駆け抜け回って探したが発見できず、悲しみのあまりやつれはてた。思い余って、釈尊の前に身を投じて救いを求めた。

 釈尊は、冷たく言い放った。「あなたには、500人もの子がいるではないか。一人ぐらいどうでもいいではないか」と。

 鬼子母は、「何人いようと、最愛の子を失った悲しみは何物にも代えがたい」と泣き叫んだ。

 釈尊は静かに諭された。「沢山の子供の中の一人を失っても、それほど悲しいのに、人の親からたった一人しかいない子供を、あんたは奪い、その肉を食ったのだ。あんたのせいで、多くの人が悲しみのどん底に突き落とされた。子供を失った親の悲しみが分かるか?」

 我が悲しみを通して、人の悲しみが分かり、その悲しみの原因を作った自分の罪の深さを思い知った鬼子母は、泣き伏した。

 懺悔の涙に洗われた鬼子母に、釈尊は愛児を返し、人肉と同じ香りや味がするという石榴の実を与えて、子を守る母なる神として生きる道を諭された。

 もし鬼子母に、人の子を喰うという悲しい性がなければ、仏に出会えなかったであろう。もし鬼子母に、我が子を失うという苦しみに導かれなければ、佛に出会うこともなかったであろう。仏に出会えなければ、子供喰いの鬼母で終わるところを、釈尊の慈悲の方便で、鬼子母は悲しみと苦しさを通して佛性に目覚めて、子供の守り神へと変身した。

 法華経において鬼子母神は、法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。

 この項、青山俊董著「もう一人の自分への旅」、wikipedia「鬼子母神」より編集、加筆。

 

鬼の悟り

 私も飽食、甘党、ワークホリックという悪癖がなければ、癌になることもなく、健康に目覚めることもなかった。私もオダ仏教経典「健康読本」?を書くこともなかった。病気になったのは、仏様のお導きである。

 世の中には、酒やタバコを断つのが死ぬほど辛く思う人もいる。「禁煙など簡単だ」と、何度も何度も禁煙、禁酒を誓うだけする人が多くいる。釈尊から見れば、他に多くの楽しみがあるので、一つくらい断っても、問題ないではないかと。それは、自分が病気になり、余命宣告されないと、分からないのだ。その時になって「金はいくらでも出すから助けてくれ」と言っても遅いのだ。

 酒やタバコは、己の肝臓や肺の細胞を食い漁っている鬼子母である。それが己である。己は理性ある人間なのに、その行動は鬼子母となんら変わらない。

 アルコールは食物と違い、肝臓で薬物と同じ工程を踏まないと、分解されない。その分解の時、肝臓の細胞が傷つくが、細胞分裂で再生されて元に戻る。しかし酒量の限度を超えると、肝臓の細胞が細胞分裂の許容回数を超え、再生不能となり死ぬ。それが肝硬変である。

 肺の細胞は、他の組織と違い、再生不能である。煙草で死んだ肺細胞は、二度と再生しない。煙草は己の肺細胞を喰う鬼子母である。

 己は理性ある霊長類として、煩悩を適宜に抑えて生きたいもの。神にならなくてもいいから、人間として精神の成長を遂げたい。神になってしまっては、人ではないので、「人でなし」になってしまう。

 末期ガン宣告された土壇場になって「金はいくらでも出すから助けてくれ」では、鬼が笑う。一刻でも早く「鬼子母」の煩悩から目覚めれば、一刻早く、体の細胞への負荷が減り、一刻の延命となる。

 

「飽食鬼」から神に変身

 私は癌になり、仏様から余命宣告をされた。私は心を入れ替えて「飽食鬼」から「知足富神」(足るを知り、富める神となる)に変身した。鬼が云うと書いて「魂」である。魂が昇華して神になる。それがお陀仏教のご神体?である。人間様から出世した神様だから、酸いも甘いも知る人間味あふれる神様だ。

_2

 松本明慶大仏師作「鬼子母神」 一木造り  『慈』小学館より

 手に持つのは石榴(ざくろ)の実

 本図は、松本明慶仏像彫刻美術館より転載許可を得ています。

P10702501s

         馬場恵峰書

2020-11-21 久志能幾研究所通信 1832  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年11月 9日 (月)

「トヨタの片づけ」で人生を片づけ隊

 

 トヨタは5Sで世界一になった。5Sとは整理・整頓・清潔・清掃・躾である。

トヨタの片づけ格言

◆きれいにするのがゴールではない

 最終目的は、仕事の効率化、利益確保、人の育成、理念の達成である。

 見た目がきれいに整頓されていても、整理されていないと使えない。

 整理とは、何時でも使える状態に管理すること。

◆人を責めるな、仕組みを責めろ

 片付かなくなってしまった仕組みを改めよ。

 片付かないと、自身が損の痛みを直接感じる仕組みを作れ。

◆ムダという宝を探せ

 無駄の中に、改善のネタが埋まっている。

 それを一つ一つ改善すれば、業界でトップになれる。

 小さな改善の積み重ねでトヨタは世界一になった。

◆捨てるのが「もったいない」「いつか使う」は諸悪の根源

 「いつか」という時間には、高いコストがかかっている。

 期限の無い、「いつか使う」は、無駄の最たるもの。

◆ものを持つことはコストになる

 モノを持てば、減価償却が発生する。

 モノには場所も税金も人工もかかる。

◆指導者は桃太郎たれ

 部下をキビ団子という報酬を掲げ、結束して力を合わせよう

 

人生の片づけ

 これを自分の「人生の片づけ」に当てはめて、人生をオダブツ教の6Sで人生を乗り切るべし。

 6Sとは、整理・整頓・清潔・清掃・躾・創造である。創造(智慧)こそ時間創造の基本である。整理・整頓・清潔・清掃・躾・創造があれば、人生を歩むスピードが上がる。

 知識ばかりあっても、整理されてないと情報のゴミとなり、使えない。情報を智慧のレベルに上げよ。

 

目的地

 綺麗ごとの人生では、人生の最終目的に到達できない。泥だらけ、傷だらけの人生であっても、人生の目的を全うすればよい。遅くてもよい、着実に早く決断をすること。即決でなくてよい、早い時期に決める。歩む速度が遅くても、早く決めれば、敵よりも早く目的地に着く。敵とは優柔不断なもう一人の己である。何処へ行くかを早く決めるべし。

 いくら頑張っても、あと50年は生きられない。自分の人生をどう片づけるのか。癌になってもその片づけはできるが、認知症になってしまえば、片づけが出来ない。

 

システム構成

 こんな私に誰がしたと嘆かないで、自分の人生は自分で片づけるべし。

 人生のお荷物はAI付きブルドーザーを使って片づけよう。

 

無駄こそお宝

 人生で無駄なことは一つもない。病気も不遇も事故も全て自分の成長にために必要な事象である。人生が総て思い通りに行けば、鼻持ちならぬ人間になってしまう。

 病気をするから体の限度が分かり、体を大事にする。人の痛みが分かる。

 会社での冷遇も、自分の至らなさを教えてくれる仕組みである。仏様が頑張れと言っている。

 小さな事故が自分の危機管理の至らなさを思い知らせてくれる。それは仏様からの啓示である。そのまま突っ走れば、大事故に遭い死亡である。

 先日も、事故寸前となる事象に遭遇したので、仏様からの啓示と思い、ドライブレコーダーを前後2カメラ方式にすることにした。危機管理である。

 体で体験しないと智慧にならない。それが格物致知である。

 

「いつか」などは永遠に来ない

 今しかない。今使わないものは、永遠に使わない。捨てるべし。

 必要な時に、必要なものを買えばよい。

 モノを溜めるのが習性であった母は、日用品を大量に保存していた。昔の人は皆同じである。私は母の死後、その処分のため時間とお金を使った。今はモノを処分するのにお金がかかる。保管場所も土地代という金がかかる。

 

所有コスト

 モノを持てば、減価償却費がかかる。友人、知人を多く持っても同じだ。何時かはそれらが陳腐化する。知人友人が自分と同じように成長してくれればよいが、波長が合わなくなると別れがくる。

 教育も知恵も経験も維持しないと減価する。現代は知識も陳腐化の速度が速い。そのための訓練、練習の保持活動が必要だ。それにはお金がかかる。自分はどんな能力を持つのか。費用を考えてその能力を持とう。

 変な宗教思想を持てば、お布施という金ばかりを教団に貢ぐことになる。正しい思想を持とう。思想には所有コストがかかる。正しい思想は一つあれば十分だ。正しい宗教には、お金はあまりかからない。

 人生のお荷物は早く下ろせ。

 

モノを持つとは

 そのモノを持って、自分の人生を助けてくける存在のモノを持つべきだ。そのものと心中する気で、棺桶まで持って行く覚悟がなければ手に入れないことだ。

 モノを買うとは自分を買うことだ。安いものを買えば、自分の人生を安物扱いすることになる。大事な人生が、ぞんざいに扱われてしまう。すぐゴミ箱行きとなる。モノを多く持てば、自分の持つ資源がぼやけてしまう。自分の資源を整理整頓清潔清掃にして、世の中で活用しよう。

 

自分というお荷物

 自分が、認知症になり、粗大ゴミ同然になればその片づけコストが大変だ。人様に迷惑をかける。今後、日本は老人大国となり、その社会的負担が増加する。

 自分が、そんな存在になるなら、沖縄のきれいな海にドボンした方が、世の為かもしれない。だからこそ人間として、存在付加価値のある人物になるべきだ。人として世の中に貢献してこそ、生きている価値がある。そうすれば仏様と社会が生かしておいてくれる。自分は生きているのではない、生かされているのだ。仏様が世の中で不要と判断すれば、死が訪れる。世の中で不用品にないように学び続けなければならぬ。

 

人は学ばないと、人間ではなくなる。

学ばないと宿命的存在、つまり動物的、機械的存在に成り下がる。

学ぶことで運命的存在、つまり人間的存在になる。

よく学問修行をすると、自分で自分の運命を創っていくことができる。

              安岡正篤

 

鬼退治

 人生の片づけとは、自分の内に存在する「鬼」を退治すること。後ろ向き、劣等感、僻み、等の自分をディスカウントする負の潜在意識が「鬼」である。外の敵は容易に退治できる。しかし内なる鬼は強敵である。それを退治しないと、人生は片づかない。鬼を退治して、人生目標を目指して、菩薩になろう。菩薩とは佛になるために修行をしている。それが生きる意味だ。私は毎日、馬場恵峰師の書を見て自分の人生を確認している。

Dsc03540s

    「魂(オニ)」は松本明慶大仏師作、「不動心」は馬場恵峰書

P10400341s  馬場恵峰書

2020-11-09 久志能幾研究所通信 1818  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年11月 2日 (月)

何の為の面談なのか、自問する  磨墨知27 

  

 ある人と1時間の面談をするとは、その人の人生時間から1時間の命を頂くこと。無価値の面談なら、その人の命の一部を奪うこと。

 何のために面談をするか、もう一度、自問しよう。その面談で、相手が、己がどういう付加価値を生み出すか、自問しよう。

 

表敬訪問での面談

 表敬訪問ほど、市長にとって無駄なことはない。相手の目的は、売名行為である。市長の使命は、市民の幸せのために時間を使うこと。表敬訪問はそれに反して無価値な時間が浪費される。だって、その表敬訪問がなくても、市の発展のために何の影響もない。世の中に、何の付加価値も生まない。

 小川敏の場合、誰かが表敬訪問をすると、必ず岐阜新聞紙面に大きな顔の市長が登場する。その紙面を見て読者はどういう付加価値を生むのか? 何も生まない。単なる小川敏の虚栄心をくすぐり、新聞紙上で売名行為をさせるだけである。

 福岡市の高島宗一郎市長は、表敬訪問の無駄を知っているから、表敬訪問は絶対に受け付けない。高島市長は市長の業務に没頭している。だから福岡市は発展している。小川敏は表敬訪問大歓迎である。だから大垣市は、没落している。

 

傾聴

 往々に人は面談と意識すると、己が一方的に話してしまう。面談で一番必要なことは、相手の言い分をひたすら聞いてあげることだ。上司として、仲間として相手を観察して、何が困っているかを把握する。それの答えを相手の口から引き出す。答えは相手が自分自身で知っている。それを引き出すのが、リーダに求められる資質である。

 そうすると、相手は話の分かる人だと評価してくれる。本音を話してくれる。通常は、上司として上から視線で、一方的に部下に喋るから、部下は喋れず、ストレスが溜まり、上司不信になってしまう。相手は更に悩みの森に迷い込む。それではリーダーシップが取れない。喋りまくる上司の手前、部下は面従腹背にならざるを得ない。

 人は自分が分かって欲しいとの願望がある。それを解消してあげれば、人間関係はうまく行く。面談はお説教ではない。己の売り込みでもない。演説でもない。ただただ相手の言うことを聞いてあげる。それは結構難しい行為である。

 

傾聴訓練

 私は管理職になってから、リーダシップで悩み、その解決の一手段として傾聴訓練を受けた。その相手は、20歳のキャバレーの女の子、パチンコ店の課長さん、60歳の経営者など様々な職種、職場のリーダの立場である人達だ。その研修では80人ほどを、一人約2時間、ただ相手の話を聞くだけの傾聴訓練を受けた。その後、その傾聴訓練に同席した指導員から、己の傾聴での不備点を指摘される。それで「聞いてあげる(傾聴)」の重要さと難しさを体験した。

 家庭不和の原因の一つが、夫が妻の愚痴を聞いてあげない事。

 面談とは、相手の心を観察すること。命を預かること。

 

佛様の前で

 私は毎晩、寝る前に仏壇の前で、悩みを仏様に聞いてもらう。仏様は黙って私の話しを聞いてくれる。決して反論はされない。それで心静かに床に就くことができる。仏様や仏像とは、己の悩みを受け止めてくれる大きな器なのだ。

 文殊菩薩像に手を合わせれば、知恵を授かる。普賢菩薩像に手を合わせれば、賢く振舞えと教えて下さる。虚空蔵菩薩像に手を合わせれば、無限の智慧に接する。自分の悩みの答えは、自分が知っている。それを仏様は引き出してくれる。

 祈るとは、内なる佛に精進を誓うこと。未熟な自分と対峙すること。真剣に自分を見つめる事。

 祈ることが出来る佛に出会えて感謝。

039a0117s_2

 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩像

 

2020-11-02 久志能幾研究所通信 1811  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月21日 (水)

跳ぶ前に前を見よ  磨墨知13.

 

 蒔いた種は刈らねばならない

  And look before you ere you leap;

   For as you sow, ye are like to reap!

  時間は取り戻せない。だから 跳ぶ前の熟視と熟慮が時間ロスをなくす。

 

 飛蝗(ばった)は、複眼の5つの眼で3m先の着地点を五次元で立体的に確認してから、一気に跳ぶ。体長から見て、人間の大きさに換算すれば、100m先まで跳ぶことになるから、着地点を見極めないと跳べない。

 飛蝗とは「虫」の「皇帝」と書く。飛躍を象徴する縁起物の虫である。

 虫の飛蝗が5つの眼があるなら、霊長類の我々はせめて、眉間の間にある第三の目で世相を見るべきだ。第三の目の開眼が悟りである。煩悩、欲望に曇った目では、1日後も見通せまい。無私になれば10年後が見える。それを見据えて、飛びたいもの。そのエネルギーは志である。

 貴方は何処へ飛ぶつもり? 予想される結果は何?

 跳ぶ前に、もう一度、考えよう。

 跳ぶなら、全智全能を駆使して先を観て、遠くに飛ぼう。

 

 下図は松本明慶大仏師作の「飛蝗」である。師が持てる技術の粋を集めて彫ったフォーミュラ車のような作品である。この飛蝗は製作に手間がかかり過ぎて、年に数個しか作れない。角以外は、下の古木を含めて全て一木彫りである。師はこの技術を使って、仏像を彫られる。

 私は昔、仏像彫刻に取り組んだことがある。木で作品を作るのが趣味である。その目で見て、明慶師の超越技に眼を剥いて、作品を入手した。バッタの大きさ5センチ。古木の長さは12センチ。お値段は軽自動車一台分。

4k8a8928s

4k8a8930s

 松本明慶大仏師作 古木に飛蝗

2020-10-21 久志能幾研究所通信 1794  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月16日 (金)

自分で問題点を見つけて解決しよう 磨墨知837.

 

 何かにぶつかってから対策を立てるより、平常時に身の回りの問題点を見つけて解決しておこう。大問題になったから対応するより、少時間で対応できる。それをトヨタでは自工程完結という。

 

トヨタのモノづくりの基本

 1 不良品を後工程に絶対に流さない

    異常があればラインを止めて対応する。

 2 納期をベースに着工手順を決めて守る

 3 安く作るために人件費を変動費化する策を講じる。

 4 全社員が役割を明らかにして、自律神経を発揮する。

    若松・近藤著『トヨタ式人づくりモノづくり』

 

以上を自分の人生の置き直すと

 人生で自分の行う仕事で、後工程(世の中)に迷惑をかけない。

 自分に異常があれば、性格、癖、病気を早く治す。

 仕事は納期が絶対。60%の完成度で良いから納期を厳守する。

 無駄な浪費を止める。自分の行動は、1分100円の価値がある。

 問題点は、自分で見つけて、自分で治す。自工程完結。

 

常に問題意識を持って事象を見ていますか?

 人は往々にそれが分かっていても、それを見ないようにしている。自分は意思が弱いと諦めている。「そんなに意思が強ければ、今頃、俺は億万長者だ」と威張っている。人から指摘されれば、惚けたふりで笑ってごまかす。

 それは自分の中には、もう一人の怠惰な主人公がいて、常に問題点から眼を逸らさせるためだ「そんな些細なこと、後でよろしいがな…..」

 そのためには、その怠惰なもう一人の己を退け、常に自分を見つめ、𠮟咤激励する鬼を持つことだ。私の机の横には、「魂(オニ)」が鎮座して、私を常に睨んでいる。感謝。

 「魂」とは、「鬼」が「云う」と書いて魂である。魂の叫びに封をしてはならない。

Dsc09818s  松本明慶大仏師作  

Dsc030501s

  馬場恵峰書

 

2020-10-15 久志能幾研究所通信 1789  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月22日 (火)

磨墨知650. 脚下照顧。テスラ狂騒曲、日本没落、認知症への道

 行き先ばかり見ても、足元が定まっていないと、小石に躓いて痛い目に会う。また手戻り、やり直しが発生する。世の中の動きに振り回されては、道に迷う。やり直し、出直し、出戻りほど無駄な時間損失はない。

 

脚下照顧

 求めるものを他に探しに行かなくても、お宝は自分の足元にある。足元にお宝が埋まっている。何年、人間をやっているの? 自分の中には学んで、集めて、脚元に埋まっている資源が膨大にある。その発掘に努めよう。もっと自分の持っているものを有効活用しよう。自分の周りは資源の山である。探しに行くのにも時間がかかる。自分の中に探せば時間が短縮できる。最大のリソースとは、人財という自分である。青い鳥は他の家にいない。自分の家にいる。

 

株価

 株価ほど、世の動きに乱反射して人を惑わす事象はない。株価は所詮、金儲けに血迷った亡者が見る蜃気楼である。株価など見なくても、その企業の足元を見れば、10年後の株価が分かる。

 株を買うなら、DNAのしっかりした会社を選ぶことだ。トヨタ自動車と日産を比べれば、この20年間の歩みでその差は、一目瞭然である。

 

テスラ株狂奏曲 PER160倍

 電気自動車のテスラが米国株式市場で連日上場以来高値が更新した。時価総額は、トヨタ自動車、フォルクスワーゲン、ダイムラーの上位3社を足しても及ばない水準になった(2020年8月23日、日経新聞)。

 なぜまだ黒字にさえなっていないテスラがトヨタの上なのだ。バブルである。時価総額が他の上位自動車会社の3社の総額の時価総額を抜いたが、所詮、蜃気楼の現象である。

 電気自動車が増えれば、電池の原料であるレアメタルの生産が中国の生産に依存するので、増産に支障が出てくるはずだ。今の中国は、工業生産で公害を垂れ流してきたので、対処療法で排ガスの少ない電気自動車にのめり込んでいるだけである。

 この20年間、全世界の企業が、公害対策をしなくても金儲けができるというので、中国に殺到して工場を造りまくった。だから中国の空気と川が汚れた。その対処療法で、電気自動車への切り替えである。電気自動車ならガソリン自動車よりも簡単に量産化できるから、技術的に遅れている中国は、それを選択した。政府命令でEV化は共産主義の独裁国家だから出来ることで、先進国では、あり得ないことだ。もうじき、化けの皮が剝がれるだろう。

 中国政府が、電池の原料であるレアメタルの輸出制限をかければ、すぐテスラは干上がってしまう。

 

自動車の電気化(EV化)

 欧州では2021年から排ガス規制で、欧米諸国の自動車メーカ13社に排ガス罰金が科せられることになり、大騒ぎをしている。そのため更なるEV化推進狂奏曲が鳴り響き、大騒ぎである。しかしその根本原因は、フォルクスワーゲンのジーゼルエンジン排ガス不正である。また真面目に排ガス対策の技術開発をしてこなかった欧米諸国の怠慢が原因である。EV化は、CO2排出税対策で、自動車メーカが対処療法で行っている泥縄である。だから欧米諸国の自動車メーカは、足もとを見ずに経営していると断言できる。

 

排ガス罰金額

 フォルクスワーゲン  45億 400万ユーロ

 日産・ルノー・三菱  10億5700万ユーロ

 トヨタ自動車        1800万ユーロ

 

総CO2排出量

 EV化しても、ガソリン車もEV車も車一生の間の総CO2排出量は大差ない。EV化しても、見かけの排ガス量が減るだけだ。どこで電気を作るのかを忘れている。そのリサイクルでのCO2排出量さえ無視している。エントロピーの世界では、ガソリン車も電気自動車も総使用エネルギーは同じである。

 日本ではトヨタが頑張っているから、なかなかEV化は進展しない。電気自動車が販売されて10年経った現在でも、電気自動車の販売量はガソリンエンジン車の100分の1である。市場の声は神の如くである。

 トヨタ自動車は脚下照顧して、地道に排ガス対策、ハイブリッド車開発、水素エンジン車開発をしている。トヨタ自動車は、CO2排出税負担が最低だし、赤字にもなっていない。

 

日本の足元

 日本の景気も蜃気楼である。いくら金をバラまき、景気対策をしても、足元の人財育成に金をかけないから、経済成長ができるはずがない。それが日本の「失われた30年」の結果である。人財こそ、日本を成長させてくれる資源なのに、日本政府も日本企業も、成果主義、内部留保に狂い、人を削減し、社員の教育費を削減した。だから日本は経済停滞をした。

 日本はデジタル化再教育で公的支援が、OECD中で最低である(2020年9月22日、日経新聞)。だからその結果が、日本の成長率が1%で、欧州が2%、米国が3%なのだ。

Scan01731

 日本経済新聞 2020年9月22日

 

拝金主義で日本空洞化

 日本の企業は、欧米の拝金主義、グローバル経済主義に洗脳されて、安い労働力を求めて、競って工場を海外に移転した。だから日本の産業が空洞化した。日本が貧乏になって当然である。もっと足元の日本を見直さないと、日本再生はあり得ない。

 日本には2020年現在、44万人の職のない若者がいる。それなのに、何故外人労働者を入れるのか。

 日本の25-34歳の失業者は、昨年と比較して39万人から44万人と5万人も増えている(2019年4月と比較)。(2020年5月29日、「労働力調査(基本集計) 2020年(令和2年)4月分結果」の発表。)

 安い外人労働力を入れれば、更に日本の給与水準が下がって、貧乏になるのだ。もっと日本の足元を見るべきなのだ。

 外人労働者の導入は、パソナで金儲けをしようとしている竹中平蔵が元凶である。竹中平蔵は、自分の会社だけが儲かれば、日本の事は知ったことではないのだ。現代日本には、そういう輩が跋扈している。こんな男が政府の高官に就くから日本は没落した。

 

大垣の足元

 大垣の小川敏行政も蜃気楼のようである。小川敏は、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費を県下最低にしたから、大垣の未来はマッ黒ケである。だから小川敏が市長である限り、大垣の景気が回復するはずがない。だから大垣の経済成長率はマイナス1%である。

 小川敏は、大垣活性化の対処療法として、元気ハツラツ市行事、大垣市中心市街地活性化計画、大垣市制100周年記念行事、大垣未来ビジョン等を推進した。小川敏は口先だけの詐欺師としていかにも市民に利益があるかのように浮かれた話をしても、根本対策で、足元の人財の教育を無視した。だから、大垣経済はジリ貧で没落した。足もとも見ず、19年間も無為無策で迷走すれば、大垣が没落して当然である。最大の大垣の不幸は、小川敏が、それに気が付いていないこと。自分が一番頭がいいと思っているから、人の意見は全く聞かない。

 

日本のサラリーマンの没落

 日本のサラリーマンの年収はこの30年間、ずっと下がり続けている。日本人が人生を迷走しているのは、日本人のサラリーマンが自己投資をしてこなかったためだ。年間2000時間を働き、帰宅すると疲労困憊で勉強する時間も気もなくなる。30年間、仕事以外に勉強時間をかけなかったので、その結果が、今の己の姿である。欧米のサラリーマンは、自己投資時間が、日本の数倍である。だから経済成長率が日本の2倍も3倍もある。それがそのまま自分の成長の程度になっている。

 日本はこれだけ頑張っているから、成長しないのはおかしいと、ますます体の汗をかいて労働しても、欧米の頭脳労働者は頭の汗をかいて付加価値を高めているから、日本が勝てない。

 そういうサラリーマン生活を続けれ、当然、定年になれば「終わった人」になり、あとは認知症にもなるしかないだろう。

Img_63911s  馬場恵峰書

 

照観脚元菩薩

 貴方は大丈夫? もっと足元を観よう。他人を羨み、浮利を追う者は、足元をすくわれる。浮利を追えば、人生の迷いも増える。悪銭身に付かず、である。地道な自己研鑽が、時間創造につながる。それが遠回りでも確実な人生の金儲けである。私は自分が「照観脚元菩薩」になった気で人生を歩んでいる。

 多くの人は遠くに輝く浮利ばかりを見て、自分の足元は観ないのだ。だから躓いて怪我をする。人は大きな石では躓かない。小さな小さな小石でつまずくのだ。人と比較するから、不幸になる。

P1000115s 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩(別名 照観脚元菩薩?)

 

2020-09-22 久志能幾研究所通信 1758  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月17日 (月)

逆縁の菩薩1  東大入試中止

 当時、私にとってこんな不幸はないと嘆いた事件が、10年たって振り返ると、それは逆縁の菩薩であった事例が生涯で5度もある。それ以外にも、その当時は不幸な事件として嘆いたことが、後日それが運命の好転につながった事件が多い。その学びは、「不幸に出会っても自暴自棄になるのではなく、それをバネに精進することで、人生が好転する」である。

 

大学受験失敗

 私の最初の逆縁の菩薩とのご縁は、1969年東大入試中止である。私が東大にいけるわけではないが、東大に行く人が京大に、京大に行く人が名大にと、当時の受験生は1ランクを落として大学に進学した。私は例年ならカスカスで国立二期校に合格できるはずが、国立大学の受験はすべて失敗した。父の定年の関係で、浪人は許されないので、滑り止めで受けた私立大学に不本意ながら入学した。

 私は国立にいけなかった悔しさがあり、特待生を狙って学業に精を出した。当時の大学は、国立大学でも学生は遊んでいた。ましてや私立の大学生は遊んでいる。それを真面目に勉強して、戦術として特待生を狙うなら、特待生は意外と簡単に獲得できる。

 授業では、必ず最前列席に座って先生に顔を覚えてもらう。授業の欠席はしない。取れる単位は全て取る。出された課題レポートも真面目に取り組む。夏休み期間中も、後期の試験に向けて一定の勉強は欠かさない。アルバイトはしない。勉強することがアルバイトである。

 この2年間の精進で、予定通り全優に近い成績で、特待生になれた。授業料免除である。そのまま卒業まで一番を維持した。親孝行としてよかったと思う。ご褒美で、親から少々の贅沢をさせてもらった。

 

菩薩に見守られる

 そのお陰で、就職もトヨタ系に学校推薦のような形で入社できた。母は地元の会社に入ることを望んでいたが、私は母親から逃げたかったので、敢えて遠くの会社を選んだ。今、振り返ると、地元の会社ではその後の人生の展開が限定された。世界を舞台に仕事ができて幸せだったと思う。

 その後の人生で、大学をトップで卒業して、卒業式で総代になると、その後の人生でそれが目に見えぬ菩薩となる。一番と2番の差は限りなく大きいことを実感した。会社を辞めたくても、大学の名誉や後の卒業生のことを考える、勝手に辞められない。不真面目に勤めることも気が引ける。会社も並の国立大学出の同期よりも、特別扱いをしてくれる。おかげで若いときは、研究開発部で仕事をさせてもらい、海外経験を含めて多くの経験を積むことができた。同期で国立を出た人間が、もっとひどい職場に配属されているのを見ると、あのとき頑張って特待生を獲得してよかったと思う。それも国立大学受験を失敗した「お陰」である。

 

同窓生の自殺

 大学卒業の年、私のクラスで成績2番のS君が、4月1日の入社当日の夜、タイマーを使って感電自殺をした。いまだその原因は不明である。教室で彼の行動を横から見ていて、S君は真面目ではあったが、覇気が感じられなかったことだけは覚えている。私と張り合って1番を目指す生き方をしていれば、自殺など考えなかっただろうにと残念に思う。

 

背負った十字架

 私も会社時代、仕事で生きづまり何度も自殺を考えたが、お世話になった大学のご恩を考えて、それを思いとどまった。だから特待生という看板は、自殺防止、辞表防止にも役立っていた。

 逆縁の菩薩とは、自分を𠮟咤激励する守り佛の菩薩である。厳しさがあるから人間として成長できる。難題とは、なにも試練のない平穏無事な人生では、私が堕落すると佛様が考えて、私に授ける糧なのだ。それに真面目に取り組むのが人生だと思う。課題に取り組むから、能力が向上する。

Img_63931s

 馬場恵峰書

4k8a04291s 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩

 

2020-08-17 久志能幾研究所通信 1710  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月14日 (金)

河村義子先生のご霊前での出会い

 人は人との出会い以外に、言葉との出会いがある。今日(2020年8月14日)は河村義子先生のご霊前にお参りして、素敵な言葉に出会った。

 「人に心を預けるな。佛に心を預けよ」である。

 他人の心は成長もすれば、堕落もする。己もまたしかりである。その成長速度は、人によって異なる。その変化した心で、他人と相対比較するから腹が立つ。相手の行動を批判・比較して、喜んだり、悲しんだり、怒っても益のない話である。他人の行動をこうあるべきと思うから、腹が立つ。それよりも己の心を絶対的存在の佛に預け、空の状態で世間を見れば、正しい姿が見える。事件に接して、己が佛ならどう思うか、で考えればよい。それで心が落ち着き、心がふらつくことはない。その佛とは、先人達が考えた理想の人間像である。その佛になる修行をしておられるのが菩薩である。

 

人生完全燃焼

 自分の仕事での決断は、自分が信じたことを、佛に問いかけながら邁進すればよい。結果は佛様が一番良いようにしてくれる。だから全力投球した後は、野となれ山となれ、である。その時の結果が意に添わなくても、10年後にはそれでよかったとなる事が多い。私もそんな逆縁の菩薩様に多くで出会ってきた。

 河村義子先生の戒名は、「聖観院教音義愛大姉」である。その名の通り、佛の眼で弟子を見つめ、音楽を愛し、子供を愛し、音楽を教えることで世に尽くして、使命を全うして旅立たれた。新型コロナ騒動の前に旅立たれたのが、せめてもの幸いである。

 今なら音楽家は、音楽活動が制限され、その収入も断たれ、生活が大変である。河村義子先生は、良き時代を全力で駆け抜けた。私もそんな仏様のような先生とご縁ができて感謝である。

 

犬も歩けば

 私の今までの音楽人生は、一歩前進、一歩後退であった。しかし、その一歩を動いて、多くのご縁を頂いただけ、人間的に成長できた。一歩後退しても、決してマイナスではない。人は動かなければ、ご縁に出会えない。それを賢人は「犬も歩けば、棒に当たる」という。止っていてはダメなのだ。止って、家に閉じこもっていれば、認知症への道をまっしぐらである「歩く」とは「止まる」が「少ない」と書く。

Img_32292s

   松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像 

 

2020-08-14 久志能幾研究所通信 1705  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月28日 (火)

普賢菩薩と文殊菩薩の教え  大垣の末路

 普賢菩薩は文殊菩薩と共に釈迦如来の両脇侍として、尊ばれてきた。仏教を信仰し、精進に努める誓いと行いを求めて努力をし、信仰者を守護してくださる。普賢菩薩は象に座しておられる。象は地上の動物の中で一番大きな生物で、力を象徴している。象は大力を持ち何者にも動じず、菩提(悟り)に運んでくれる徳を持っている。

 文殊菩薩は釈迦如来の両脇侍として、大乗仏教の上頭とされる。三人よれば文殊の智慧というにように、文殊菩薩は智慧を象徴するみほとけである。経軌によると文殊菩薩は清らかな心を持つ童子の姿とすることが記されている。

 また文殊五尊像は、獅子(威厳を象徴)に座した文殊菩薩とその従者たちが、海を渡って飛来する情景を表し、中国山西五台山はその聖地として巡礼者の信仰を集めてきた。

 以上、松本明慶著『慈 大仏師松本明慶作品集』(2004年 小学館)を引用・編集。

Dsc06566s1

Dsc06572s1

  松本明慶大仏師作 普賢菩薩  文殊菩薩

 

AI

 菩薩界には智慧を象徴する佛はおわしますが、知識を象徴する仏様はいない。知識が欲しければ、コンピューターで検索すればよい。その昔は辞書であった。それがコンピューターになっただけだ。今流行りのAIも、所詮、今までの知識を基に条件分岐と多変量解析、回帰分析で出した答えを応用しただけである。AIも人間の智慧には勝てない。AIには、愛も智慧もない。AIも、知識以上の智慧は出てこない。

 

知恵の象徴

 普賢菩薩も文殊菩薩も智慧の仏様であるが、その表現が興味深い。文殊菩薩は、右手に宝刀、左手に法典の巻物を握っている。それに対して普賢菩薩は合掌をしている。

 

 世の中は陰陽である。仁王さんの名で親しまれている金剛力士は、開口の阿形像と、口を結んだ吽形の二体から構成されている。それは陰陽を表している。

 同じように陰陽を表して、文殊菩薩と普賢菩薩は、片や宝刀、法典巻物を持ち、片や何も持たない。片や右足を組み、片や左足を組む。文殊菩薩を運ぶ獅子は目をカッと明け、普賢菩薩を運ぶ象は目を薄めに明けている。

 これは文殊菩薩が世の中の智慧を表しているのに対して、普賢菩薩は自ら湧き出る知恵を表している。両方があって、初めて真の智慧である。二佛が釈迦如来の脇侍として、左右を固めている。世の智慧と自らの智慧を使って、菩薩行を勤めよとの教えである。自分だけではダメなのだ。他人任せでもダメなのだ。

 

日本経営者の下劣伝

 大垣市長の小川敏のように、自分は東大出で賢いと自惚れて、人の意見を全く聞かないから、前職の伊藤忠商事でも排斥されたのだろう。だから日本の超一流の会社を辞めて、地方の超零細の家業を継がざるを得なくなったのだろう。その会社もいまだ超零細のままである。HPで従業員数や会社規模さえ公開していない状態だ。小川敏はその反省もせず、そんな傲慢な姿勢で大垣市を支配したから、大垣は没落した。小川敏を盲信した罰である。

 ソニーも東大出の社長が増えると、ソニーは創業の精神が薄れ没落していった。だからウォークマンを生んだソニーからは、iPodもiPhoneも生まれなかった。ジョブズはソニーから学んだのだ。ソニーの歴代社長は経営者失格である。ストリンガー元社長は、グローバル経済拝金主義に染まって、アイボの開発を止めさせ、ソニーの独創性の芽を殺した。そしてソニーを没落させた。

 日本産業界は、そんな大企業の社長が跋扈しているので、衰退の一途である。また大企業の不祥事が絶えない。知識に偏重した経営で、失敗したのだ。

 

知識に偏してしないか

 現代の学校教育は、どうしても知識に偏している。そうして、人間の徳といいますか、愛情というものが教えられていない。悪く言えば、“知恵ある動物”をどんどん育てている。だから間違ったら怖い。何をするか分からん。こういうことが一面に言えるのやないかと思う。

 昔はどうかといえば、昔も今もたいして変わらないと思いますけれども、昔は、人間として何が正しいかというとがまず先に教えられた。そうして人間の道といいますか、そういうことが分かってきた。そのうえにいろんな知識が必要である。知識が分かったら、その知識をもって、お互いのためになることを知りあうというようになったんです。

   『松下幸之助発言集4  全41巻』p226   PHP

4k8a9378s

   馬場恵峰書

 

2020-07-28 久志能幾研究所通信 1681 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。