2021年12月 5日 (日)

国の宝、清富の世界

 

国の宝

 成長しなくても、長い間、世間に貢献することも、大きな価値である。泥まみれ真っ黒になって、社会の一隅で灯をともし、お役目が終われば、静かに去っていく。それこそが利他の生きかたである。それこそ国の宝である。

 健康を害して、社会のお世話になって生きるよりはるかに価値がある。認知症になって、恥をまき散らして生きるのは、国の負債である。

 

餓鬼の世界

 規模を追うから、図体ばかり大きくなり、精神は貧しくなる。餓鬼のように規模を追えば、グローバル経済主義となり、結果はジャパンファースト、自分ファーストになってしまう。それは利己主義の世界である。それで引き起こされたのが、格差の拡大、貧困層の拡大、非正規社員の増加、外人労働者の増加、である。

 成長(出世)ばかり追うから、人間性が劣化する。それは餓鬼の人生。どんな栄華を極めても、死の前には無力である。

 

最高の人生

 中国の運命学では、平穏無事な人生こそ、最高の人生である。波乱万丈の人生は最悪の人生である。平穏無事に、清らかにそこそこに豊かになる。それが人間の幸せである。

 

天中殺

 1979年ごろ、天中殺が流行った時のこと。私は、半年待ちの予約、30分2万円の鑑定を受けるため、東京まで出向いた。当時、私は迷える羊であった。今になって振り返ると、悩んでいた自分が恥ずかしい。あの騒ぎは何だったんだと。

究極の問題点は、占いに影響されて将来を不安に思った弱い自分であった。現実を直視せず、上と将来を見るから不安になるのだ。

 平穏無事に、今を全力で生きれば、それこそが最高の人生なのだ。欲を出すから、不安になる。まだ来ぬ未来を見るから不安になる。未来なぞ誰にも分らない。自分が現実に向き合わず、全力を出していなかっただけだ。

例えば、今回のコロナ騒動を誰が予想したか。数年前に週刊誌が発行した「2021年予想(占い?)特集号」でそれを予想した雑誌は皆無である。

 

不安定

 上がった評価、地位も何時かは落ちる。背伸びをして、不安定な位置に昇るから、不安定になり、不安で不幸になる。宇宙根源の理は、プラスマイナスゼロである。今のグローバル経済主義者の勝者は、餓鬼のように限りなく求めすぎて、その欲望の位置が、宇宙根源の理とかけ離れていることに気が付かない。

 

最高の占い師・松下幸之助翁

 松下幸之助は「雨が降ったら傘をさせ」と言った。雨とは不況の時、人なら不運な時のことである。一生の間、企業でも人でも晴れの日だけなどない。雨の日もあるのが人生だ。雨に日に、工夫をするから智慧が付いて成長できる。それが傘である。生物は、逆境の時、成長する。

 だから松下幸之助翁は、「不況克服の知恵10条」で第一条「不況またよし」と言ったのだ。

 

他山の石

 隣国の総帥のように人生で猪突猛進をして、挙句に果てに、数兆円の財産が出来た時、心筋梗塞で倒れ、6年間も植物人間で生き永らえる羽目になった。それが成果主義者の「上り」なのか。残った長男長女が財産争いの裁判沙汰では、哀しすぎる。隣国の総帥に、グローバル経済主義者の冥途をみた。

 

 私は清富を目指したい。真面目に精進すれば、そこそこに豊かになれる。

Img_43531s馬場恵峰書

2021-12-04  久志能幾研究所通信 2228号  小田泰仙

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2021年12月 4日 (土)

「松下幸之助 不況克服の知恵」を自己流実践

 

 松下幸之助翁は、「不況克服の知恵10条」を説いた。

 

第一条「不況またよし」と考える

第二条 原点に返って、志を堅持する

第三条 再点検して、自らの力を正しくつかむ

第四条 不退転の覚悟で取り組む

第五条 旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る

第六条 時には一服して待つ

第七条 人材育成に力を注ぐ

第八条 「責任は我にあり」の自覚を

第九条 打てば響く組織づくりを進める

第十条 日頃からなすべきをなしておく

松下幸之助翁があるべき姿とした行き方

「日に新たに前進し、不況を打開しよう」

『PHPビジネスレビュー 松下幸之助研究』PHP総合研究所(2009)

 

 これを自分なりに解釈すると下記のようになる。これは自分の不遇の時代や試験に落ちた時の過ごし方そのものであった。不遇の時とは、雨の日である。雨が降れば傘をさす、それがこの「不況克服の知恵10条」だと思う。

 

第一条「不況またよし」と考える

 人生は、いつもルンルン気分の時ばかりではない。むしろそうでない時の方が多い。今に見ていろと思う戦闘意識が生きる力を与えてくれた。そこに自分の至らぬ点を反省させてくれる。

 ルンルン気分の時には、反省などしない。だからドツボに嵌まる。私はそういう雨の日は、多くの本を読んできた。

 

第二条 原点に返って、志を堅持する

 会社の研究開発部でCNC機械の開発に携わった時の事。当時のコンピュータはとろいので、アブソリュート(絶対値)でなく、インクリメンタル(相対値)でしか、位置決めが出来なかった。往々に誤動作で自分の位置が分からなくなる時がある。その時は、原点まで戻る「原点復帰動作」を起動させて、自分の位置をリセットして再動作を行う。

 人間様も同じである。人生で迷ったら、自分の原点に遡ればよい。何も退職も自殺もする必要はあるまい。4月1日の入社当日夜に、体に電線を巻いて、タイマー自殺をした同級生がいた。彼は何を悩んでいたか、人生を原点に戻して考えればよかったのにと残念に思う。

 

第三条 再点検して、自らの力を正しくつかむ

 毎年の人間ドックは、現在の生きる力の測定である。たまたまその人間ドックを数年受けなかったら、がんが進行してしまった。人間の体(自分の人生道を運んでくれる乗り物)の年度点検を受けよう。

 

第四条 不退転の覚悟で取り組む

 定年後、私は国家試験に5年間挑戦したが、結果は不可であった。その「お陰で」自分の体調不備を発見した。その頑張りがなければ、がんになる前に脳梗塞、心筋梗塞で死んでいたと推定される。5年間、不退転の覚悟で取り組んだのが良かったと思う。天は具体的に動けば、具体的な回答をしてくれると悟った。

 

第五条 旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る

 日々、新しい習慣を取り入れよう。まず、何か新しい事をやってみよう。ダメならまた戻せばよい。新しい事を取り組めば、人生の加速度を感じることができる。惰性で生きては、その加速度は感じられない。

 

第六条 時には一服して待つ

 不遇のときは、一息つけばよい。天が少しお休みしなさいと言っている。人生は長いのだ。

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできない。私が40歳の時、私が人事異動で主流の部署から飛ばされて、傍流の部署に飛ばされた。当時は忸怩たる思いであった。しかしそれが後年の私の人生を好転させた。不運の元凶の上司からも離れられた。それで国の仕事にも関われたし、欧州の研究所の出張もさせてもらった。飛ばされなければ、そういう人生にはならなかった。

 だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を全力で生きるべきだと思う。

 

第七条 人材育成に力を注ぐ

 不運になったのは、自分の実力が足りないと、世間が言っている。世間の評価は神の如くの評価をする(松下幸之助翁の考え)。だから自己投資をして実力を付けるしかない。検定試験や人事評価は、自分の現在の力量を教えてくれたのだ。人事評価は、偏向した人が評価するから、多少の誤差もあるのは致し方ない。長い年月には、落ち着くところに落ち着く。焦る必要はない。

 

第八条 「責任は我にあり」の自覚を

 郵便ポストが赤いのも、己の責任である。自分の勉強不足で、郵政次官になれなかったのが原因である。人生の偶然はない。人生は全て必然だと、最近思うようになった。まさに「天之機緘不測」である。

 

第九条 打てば響く組織づくりを進める

 自分は自分有限会社の社長、兼、下っ端の社員である。問題が起これば、すぐ社長の指示で下っ端の社員は行動するし、行動しなければならぬ。その原則は、「現地現物」である。自分の足で現場に行って、自分の目で完全に状況を理解して行動するのだ。いつやるか? 「今」である。そのうちではない。

 

第十条 日頃からなすべきをなしておく

 人間として、日々学び、仕事に精進すべきである。そうすれば、何があっても慌てることはない。

 

松下幸之助翁があるべき姿とした行き方

「日に新たに前進し、不況を打開しよう」

私の生き方

「日々に新たに、自分の資源を最大限に活かそう」

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 馬場恵峰書

2021-12-03  久志能幾研究所通信 2227号  小田泰仙

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2021年12月 3日 (金)

不用品整理は、損切と思おう

 

 家中の品物を断捨離している。つい勿体ないと、溜め込んだ結果、不用品に占領された生活を送る羽目になっていた。「不用品整理は、損切と思おう」の言葉を雑誌で見つけて、すっと腑に落ちた。それで使わないものを躊躇なく捨てられるようになった。

 不要なものは、場所を占有して、必要なものを探す時間を失う。それが一番の人生ロスである。

 それより無駄の品物が、社会を交差して、無駄である。自分がその種の品物を提供する場合は考えるべきだ。

 

再発防止

 不用品となる恐れのあるモノを買う場合、廃棄を想定して購入する。

 お金持ちの家にはモノは少ない。

 当家は貧乏なので、品物が溢れている。

 家に置く品物を少なくする心構えが必要だ。

 

 モノに執着する心こそ、捨てるべき不要な心である。強欲があるから、みちることのない執着心が生まれる。

 一衣一鉢、小欲利他の心で過ごそう。

 人は裸で生まれて裸で死んでいく。

 

 本音は、それに付けてもお金の欲しさよ(笑)。谷底に落とされても無くならないと書いて「欲」である。人間である以上は、欲は無くならない。生きる欲まで捨てたら人間ではない。それを前提に精進は続けよう。

 

最近捨てたモノ

 有名観光地を特集した雑誌「サライ」等

  いつもお世話になっている近所の人に進呈した。

 

 最新号「週刊文春」、「週刊新潮」、「ゲーテ」、「PHP」

  必要なページをコピーして、後は近所の人に進呈。

 

 有名画家のリトグラフ

  貸与として先生に進呈。価格は数十万円の絵である。

  私が入院した時、お世話になったのでそのお礼である。

  もし私より先に亡くなられたら、返してもらう約束である。

  今は先生と生存競争である。

  

 昔のVHSテープ

   今のブルーレイビデオを見ると、とても見れないレベル。

 

 オイルヒータ、パネルヒーター

  いつもお世話になっている先生に進呈した。

 

 足踏み健康器

  この種のモノは、長続きしたためしがない。

  買ってはいけないという知恵がついた。

 

 50年前のカッターシャツ

   母がバーゲンセールで、私のために大量に買っていた。

   新品なので捨てられず、50年間も保存することになった。

   当時と体格が変わり、また変色して着られない(😿)

   保管場所ばかり取り、無駄であった。

 

  電気掃除機

   今はクルクルを使って畳の上を掃除している。

   電気掃除機は、面倒である。不要と断定して捨てた。

 

  野菜ミキサー

   一度も使わず捨てた。誰も貰ってくれなかった。

 

  お茶やシイタケ、砂糖

   慶弔時のもらい物である。

   賞味期限を見たら、10年前に期限が切れていた。

   当時は管理職として、香典を数多く出していた。

   その返礼として、お茶やシイタケが返礼で来た。

   とても消化しきれない。付き合い上で、悪慣習である。

   私が香典返しをした場合は、その考慮をした返礼品にした。

   

  結婚祝いの返礼品

   コーヒーカップやコップセット、毛布

   ダブってあるので使いきれず、捨てるしかない。

 

  固形石鹸

   50年前のお歳暮、お中元での品ものである。それが自家には大量にある。今は液体の洗剤の使用が中心で、固形石鹸など年に数個しか使わない。

  タオル

   もらい物の新品のタオルが段ボールで2,3倍分もあった。普通の成果腕はとても使い切れない。10年前の東日本大震災のおり、支援物資として提供した。

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  馬場恵峰書

 

2021-12-02  久志能幾研究所通信 2226号  小田泰仙

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2021年12月 1日 (水)

自分が豊かになれない原因、日本が貧乏になった原因

 

日本経済の停滞

 この30年間、日本人の給与が上がらなかったのではない。企業が上げなかったのだ。「日本人の給与が上がらなかった」と報道するから、その責任が曖昧になる。

 それはグローバル経済主義狂に汚染された大企業の責任である。個人の行動に当てはめれば、そのままでは貧乏になることが分かっていて、行動しなかったのだ。

 だから企業は労働者へ払うべき金が浮いたから、内部留保は増大した。従業員の給与はこの30年間上がらなかった。欧米の給与は2倍に増加している。

 大企業は正社員を減らし、派遣労働者を増やし続けていた。だから全日本で見れば日本人の年収が上がらなかった。非正規社員が増えたので、給与が上がらないから、若者が結婚できず、子供が増えないのだ。それが少子化の真因である。金が市中に回らないから、日本経済の活性化が出来なかった。

 

企業の投資先

 企業は出すべき金を労働者に出さず、内部保留にして、未来の投資をしなかった。最大の投資先は人財なのだ。成長しなかった企業の生きざまは、現代の年金生活の老人のそれと同じである。

 

老後?

 老人は「老後」?を心配して、金を銀行に蓄えて、なるべく使わないようにしている。だから金が市中に回らない。お金は経済の活動の血である。それが回らねば、壊死する。それが、日本経済が停滞している原因である。老人が今の5%分の金を余分に使えば、すぐ景気は回復する。

 生涯現役で働けば、「老後」は存在しない。その教えを、馬場恵峰先生は後ろ姿で示してくれた。

 

他山の石

 日本の企業を他山の石として考えよう。日本企業の失敗から、自分の活動を反省しよう。自分が金持ちになれなかった原因は、自分が貯めるばかりで、使わなかったことにある。お金を使わないと今後、ますます貧乏になっていく。お金とは、経験智を取得するための費用である。経験智が増えれば、稼ぐ力が身に付く。

 お金を自分の財布から感謝の念で送り出せば、未来にお金がお友達を連れて帰ってきてくれる。

 お金はお足である。足止めすれば、腐ってくる。腐ったものをあの世にも持って行けない。お金を子孫に残せば、却って子孫を不幸にする。自分が稼いだ金は自分で使うべきだ。

 

母の思い出

 これを書いていて、母から指導されたお金の使い方を思い出した。「会社で出張時、昼食費が千円支給の場合、金を浮かすために、500円のモノを食べてはならない。千円の料理を食べること。外に出れば、平社員でも会社の代表だ。それが500円のモノを食べていては、他人が見れば、あの会社は500円のモノしか食べられない貧乏な会社と思われてしまう。それでは会社にも自分のためにもならない」である。

 私はその教えを守り、つい高いものを食べていた。それで肥満になったのは、愛嬌?

 

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 馬場恵峰書

 

2021-12-01  久志能幾研究所通信 2225号  小田泰仙

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2021年11月30日 (火)

玄関のリフォーム完成、来る人行く人、皆福の神

 

 2015年12月30日、玄関のリフォーム工事が完成した。「来る人行く人、皆福の神」と思えば、玄関とトイレは、おもてなしの心が表れる家の顔である。それが死のお迎え佛であっても、ご縁としてお迎えしたい。

 

玄関は顔

 玄関は家の顔である。顔がよくなれば、家が良くなる。人間の顔は、全人格の現れである。顔がよくなれば人生が開ける。人生に前向きの人の顔は、精気に溢れており、笑顔に満ちている。渋い顔をして人生を送る人は、玄関に髑髏(どくろ)をぶら下げると同じである。それでは暗い人生を歩むしかない。

 家のリフォームは金がかかるが、自分の顔を造るのに、大金はいらない。精進あるのみである。学び続けることである。志を持つ事である。

 

玄関改築

 今回、トイレと玄関を改築した。また同時にお墓の改建でお墓の蓋も新しくした。だから現世での玄関も、お客様に気持ちよくしていただけようお出迎えをしたい。

 框(かまち)も大工さんの手で、鉋をかけてもらい、新品同然となった。流石が宮大工である。今回、宮大工さんにリフォーム工事の一部を担当して頂いたのは、幸運であった。

 天井も側面壁も張り直して、ライトも入れ替えた。人感センサで自動点灯である。

 玄関左奥がトイレである。その横の収納庫をトイレに統合してトイレを広くした。玄関奥の左手がトイレドアである。

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   リフォーム後  2015年12月30日撮影

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    リフォーム前     2013年7月23日撮影

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  馬場恵峰先生宅で見つけた色紙     2015年12月14日

 

2021-11-39  久志能幾研究所通信 2224号  小田泰仙

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2021年11月29日 (月)

老計・漏計  誤悦同臭をぶっ飛ばせ

 

 男子が洋式トイレで立ったまま用をたすと、1日に2,300滴の小水の飛まつが便器の周辺に飛び散る。高さは1m、範囲も1m四方に及ぶ。こびり付いた尿滴が尿石となって匂いと黄ばみの原因になる。その尿滴を栄養として細菌が増殖して悪臭であるアンモニアを発生させる。

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 トイレ掃除の基本(LionのHPより)

http://lifeon.lion.co.jp/cleaning/04/01.htm     2016/01/21

 

 この話をトイレのリフォーム後に業者から聞き、ネットでそのデータや映像を確認して驚嘆した。それから早々に座りションに姿勢を改めた。またそれ以降、毎朝、トイレ掃除をする習慣となった。毎朝トイレを掃除するのでいつもピカピカなので、掃除も苦にならない。掃除が楽しいとも思うくらいである。

 

誤悦同臭

 上から視線で自慢話を聴衆に放出すると、思いもよらぬ所までその言葉の害毒が飛散する。自分のズボンにも小水の飛まつが付着すると同じように、自分の言葉の影響を最大に受けるのは自分自身である。自分が吐いた言葉が回りにどんな悪影響を与えているか、自省したい。大事なご縁が人生という器から漏れていく。

 元エライさんが偉くなった経緯の自慢話をすると、聞かされている人の心を汚す汚染物が飛まつとして飛散する。人を押しのけて出世するのがよき価値観と思う人との付き合いは避けたい。出世は努力と運のめぐり合わせの結果であって、能力の成果ではない。出世を目的にする生き方をする人と付き合うと、尿滴のような不潔なものが心に沁み込み、言動が小便臭くなる。誤悦同臭である。ブラック企業も暗い家庭も同じように汚腐のしずくを周囲に撒き散らす。それが知らず知らずに身に染み込んでくる。還暦を過ぎた身なら、そんな腐臭が飛び交う生臭い会合の場所からは遠ざかるのが賢明な老計である。そこは心ある人には縁無き場所である。お墓に入る前には、心身を綺麗にして旅立ちたいものだ。

 

下座行

 自分が謙虚に座って所用をすませると、視線が低くなり、自然と吐く言葉も謙虚な言葉になる。立っていれば気がつきないことが、座れば見えてくる。それが下座行である。トイレのリフォームをしての最大の発見であった。65にして初めて体得した境地である。

 

P10500041 馬場恵峰書

 

2021-11-29  久志能幾研究所通信 2223号  小田泰仙

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2021年11月28日 (日)

トイレのリフォーム完成、雪隠詰めを避ける

 

 暮れの押し詰まった2015年12月30日、玄関とトイレのリフォームがほぼ完成した。今回のリフォームでは、耐震補強を兼ねて玄関の壁とトイレの壁に合板を2枚重ねて貼る手法で、耐震強度を上げた。その成果として、家屋の前後方向の耐震強度が1.7、横方向が1.0とほぼ満足できる状態になった。築45年で傷んだ家屋を復興させた。この家を建ててくれた両親も喜んでいると思う。今の家を全部壊して新築したほうが安かったが、思い出の詰った、また母の想いが籠もった家を壊すのがしのびず、リフォームで対処した。

 

 トイレも自分がヨイヨイになってからリフォームするよりも、元気なうちに将来を見越して改築した。現状の倍の広さに拡張して、最新のトイレ機器に入れ替えた。毎日のことであるので、気持ちよく過ごしたいし、来客者にも気持ちよくしていただきたいとの目的である。

 近所の方の話しによれば、介護をしなければならない家族がいるので、狭いトイレではその介護が大変だという。自分が介護を受ける身になっても、介護する人のためにも、トイレは広いほうが良い。

 

不浄の世界を変える

 人が一生の間に利用するトイレの回数は15万~20万回で、トイレで過ごす総時間は3年に及ぶ。それを思うと、少し遅かったがトイレのリフォームはやってよかったと思う。御不浄だからこそ、不浄でなく過ごしたい。意志さえあれば不浄の世界を清浄の場に変えられる。

 

雪隠詰めを避ける

 狭いところに追い詰められて、用をするより、土俵のど真ん中で、勝負をした方が、良い結果が生まれるし、巻き返しもできる。人生の勝負も雪隠詰めでは後がなく、巻き返しも難しい。

 勝負するため、早め早めの手を打つ。期限一杯で勝負するからうまく行かない。狭い場所で勝負するから、うまく力を出せない。

それを防ぐため雪隠詰めになる場所を避け、大広間で勝負する。そうすれば「ウン」が向いてくる。そう考えて、今まで半坪のトイレを2倍の1坪に拡張した。

 トイレは一日に10回弱使用する場所である。物事の余裕が生まれて、人生を快適快便開放的になった。思わぬ効果である。

 住宅メーカの展示場を新家屋建設の調査の為に回っているが、ここまで広いトイレは見たことがない。広げて良かったと思う。

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 リフォーム後のトイレ  2015年12月30日

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 リフォーム前のトイレ

 

2021-11-28  久志能幾研究所通信 2222号  小田泰仙

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2021年11月27日 (土)

私はカナリア、景品のカップ麺を拒否

オウム真理教サリン事件

  ルート5 富士山麓にオーム鳴く

 √5=2.3360679 (受験勉強で、富士山麓にオーム鳴く、と覚えた)

 

 1995年3月22日、警視庁機動部隊は、国道5号線(ルート5)沿いのオウム真理教サティアンに向かった。その先頭に鳥籠に入れたオームを掲げて、おそるおそるおそるの進軍であった。部隊の先頭に小鳥のオームを掲げて進んだのは、サリンガスに備えてのこと。炭鉱でも、坑内のガス漏れを検知する生き物として、カナリアが使われる。カナリア等の小鳥はガス漏れに敏感なのだ。

 

 2021年11月27日、国道21号線沿いにある某住宅メーカの展示ハウスに行ったら、来店記念で景品が当たるゲームがあった。くじを引いたら4等でカップラーメンの詰め合わせが当たった。私はそれを拒否して、参加賞のテッシュペーパーに変えてもらった。

 私はカップ麺の油に敏感である。私はその劣化油に対して、カナリア並みの敏感さがある。

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カップ麺の毒

 カップラーメンは油で麺を揚げている。時間経過した油は体に毒である。更に粉末の麺汁には長期保存可能な添加物がてんこ盛りである。その脂分や添加物が体に悪い影響がある。私が2年前から通院している久留米市の真島消化器クリニックの先生からも、その種の食材はドクターストップである。

 

胆のうの機能

 私は45年前に胆石の手術をしてから、カップラーメン類は全く食べていない。私はカップラーメンを食べると必ず下痢をする。その原因は、胆のうの機能に起因する。胆のうは肝臓からの消化液を濃縮して蓄えていて、脂分の消化に必要な時に放出する。

 私は手術後、それが出来ない体になった。人間の体は、毒となる脂分が消化器内に入ると、体の免疫機能が解毒を始める。その毒が解毒できないと、嘔吐や下痢となる。体は正直である。私の体がカップ麺は危険だと教えてくれたのだ。だからこの45年間、私はカップ麺を全く食べていない。私の体は、カナリア並みになっている。

 

日本のがんの原因

 日本人の2人に一人ががんになる原因を、私はこの種の食品の添加物、劣化した脂分が一要素だと確信している。だから来店する将来の客に「毒」を盛る住宅メーカに違和感を覚える。

 

家とは災害から人を守るシェルター

 人の体は、人間の心を守る容器である。住宅メーカが提供する住宅は、人間を地震等の災害から安全に守るシェルターである。その安全を売るメーカが、人の体を壊す食品を客に与えるのは、言語道断である。有識者はカップ麺の害を知っており、決して食べない。

 

2021-11-27  久志能幾研究所通信 2221  小田泰仙

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2021年11月26日 (金)

死天王の萌し

 

いたるとこころに“萌し”はある

 すべて事には“萌し”がある。その小さな萌しを鋭敏に感じ取り、対処しなければ大事に至る。ヒト・モノ・カネがあるべき姿にないときはピンと直感し、原因をつきとめなければならない。変質の萌しをつかんでこそ、真の仕事といえよう。

           松下幸之助翁

 

死の萌しと現実

 先日、前職のОB会総会案内が届いた。そこにこの一年間の訃報者の名簿が記載されていた。そこに仕事仲間の4名の名を発見して愕然とした。明日は我が身かと….。

 

 一番縁の深かった元上司の名があった。2年年上の方である。運動好きで、日本各地のマラソン大会やハワイマラソンにも出かけた人で、健康優良児であった。それが早くも亡くなられてしまった。

 

 もう一人は、前職の時の隣部署の部長で、私と同い年である。関連会社の社長を務められた。体格の良い方で、元気いっぱいの人で、そんなに早く亡くなられるとは想定外である。

 

 13歳上の元副社長も亡くなられているが、まあ年功序列で自然である。私がスウェーデンの自動車工場に出張の時、上司として激励に現場に来てくれた方であった。

 

 5歳上の方で、電気屋の元課長さんも亡くなられた。我々の宴会会場に「お前らは象牙の塔でぬくぬくしている」と酔って喧嘩を売りに来た人だが、本音で言いあったら、その後、逆に仲よくなったという因縁があった。寂しい限りである。

 

 冒頭の2人の死は、人ごとでないと感じて、死の萌しを感じざるを得ない。

 

世の中の萌し

 人が人になるのを目指していても、現代では拝金主義者の死天王が徘徊している。死天王の萌しに気がつかないと、人が人と成る前に、成仏させられてしまう。その萌しに気づくことが、人としての目覚めである。

 過食、過酒、飽食、添加物まみれの食、過剰医療により認知症、ガンに犯された人は増える一方である。40年前に10兆円であった日本の医療費は4倍に増えたが患者も4倍になっている。だれが儲けているのか。その根本原因になる健康に害のある食品を拝金主義の業者が世に溢れさせている。

 

認知症の萌し

 認知症患者は65歳以上の15%にも及ぶ。自分が自分でなくなってしまう恐ろしい病気である。認知症とは生きまま仏になることである。本人は極楽であるが、家族は地獄である。私は意識明瞭の人としてあの世に旅立ちたい。

 

世も末

 グローバル経済主義病のブラック企業の経営者から生血を吸われて鬱や病気に犯される人も多く、自殺に追い込まれる若者も多い。ブラック企業に就職をせざるを得なかった己の学業の怠慢が一因である。

 

立っている土台の崩壊

 グローバル主義に犯された企業の経営者も格差の拡大で企業基盤と国家基盤が揺らいでいる。企業と従業員は運命共同体であることを忘れていると、昔の王侯貴族のようにその存在自体が崩壊するのは歴史の証明である。その兆がEUの移民問題、欧米の格差社会である。

 偏向報道、洗脳番組、痴呆番組に取り付かれると、自分で考えることが出来なくなり、国の誤った政策に押し流されて、老計、死計も砕かれ下流老人に成り下がる。

 

自分の城は自分で守れ(石田退三)

 自分の健康は自分で守れ。命を全うして、現世では人として命を永らえるべし。あの世に行ってから、佛になるべく佛道に励めばよい。あの世では時間は一杯ある。現世では人として最期まで現役で社会に貢献すべし。それが「成人」(じょうじん vs 成仏)になる修行である。あるべき姿でないことを教えてくれるのが宗教である。今は成人になれず「小人(ことな)」のまま成仏する人が多い。せめて大人になって欲しい。人生最大の仕事は、己の命の全うである。

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  馬場恵峰書   日中文化資料館蔵
 

2021-11-26  久志能幾研究所通信 2220  小田泰仙

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2021年11月25日 (木)

色は匂えど散りぬるを

 

 人の器官には寿命があり、結果として人には限られた寿命しか与えられていない。いつもは忘れているその原則を、私の30年来の英語の師である後藤悦夫先生の病気で思い知らされた。

 2016年7月15日、後藤先生に連絡を取ったら、背骨が疲労骨折して安静治療中とのことで驚いた。別にどこかで打ったわけではなく、寝ているだけで疲労骨折をしたという。治療は安静にしているしか手がないという。寝たきりになると足腰が弱って、ますます体力が減退するので心配であるが、私には、アドバイスを為す術さえない。

 先生は現在82歳、食事、運動にも特に気を付けて生活を続けてこられて、血圧も薬を飲まれてはいるがほぼ正常、頭脳明晰、目も近視以外は正常である。先年、心臓の手術をされた際、大量に投薬された薬のせいで、体調がおかしくなったという。それも影響しているかもしれない。

 

 2016年7月の馬場三根子先生からハガキの文言で「梅雨はまだ開けきれず曇ったりのお天気で私ども高齢者は体のあちこち痛みます」を読むと、ドキッとする。いくら健康管理に注意を払っても、もって生まれた個体差と加齢には如何ともしがたいのを、自分の体と後藤先生の病状で痛感した。

 

 100歳の伊與田先生、92歳の今川順夫会長、89歳の馬場恵峰先生、今まで元気であった後藤先生を間近に見ていると、健康管理をしっかりすれば、誰でも90歳までくらいは楽勝だと勘違いをしていた。人間は生物である限り、いつかは寿命が来る。(2016年当時記)

 それが2021年初には、河村義子先生を含めて6名の師が此の世を去ってしまった。

 

仏壇の花の命

 そんな意識で仏壇に供えた花を見ると、同じ花でも1週間も経つと、まだシャキッとしている花、萎れて首を垂れている花とその差が歴然とあるのに考えさせられる。いくらお水を替えても植物毎の寿命の差は如何ともしがたい。まるで人間の寿命の差を見るがごときである。ご先祖様は仏壇に供えたお花で人生を教えてくれている。

 

人生は、色は匂えど散りぬるを

 である。どんなに美しく咲き誇っても、どんなに栄華を極めても、生ある者はいつか散る運命である。そのなかでどうやって生きていくかが問われる。その中で一番大事なのは健康管理である。死んでもいいから健康管理最優先である。生死は佛様が決めてくれる。これこそが老計・死計である。

 健康の「健」は体の健やかさであるが、「康」は心の健やかさである。ストレスへの耐力がないから、タバコや食べ過ぎ、運動不足に陥る。その根本原因を無くさないと、健康管理もままならぬ。寿命に個別差があるのは致し方ないが、せめて頂いた寿命は100%を全うしたいと思う。

 

緩慢なる自殺

 もって生まれた寿命の個体差を、更に拡大する因子がタバコ、大食・飲酒、運動不足、ストレスである。若いときは寿命など意識にも上らないが、還暦を過ぎると、あちこちと体の不調が痛切に意識させられる。そんな大事な寿命を、煙草や大食、過度の飲酒の習慣で短くしている人は、命と医療費の無駄使いをしている。火葬場で灰になる前に、タバコで約10年間の命を煙にしている。

 ガンになる人が全体で62%に達する現代で、その原因が、タバコ30%、大食・飲酒30%、運動不足5%の影響因子だという。分かっていて、体に悪いことを続けるのは緩慢なる自殺である。そんな命があるなら、金を出すから売ってくれと言う難病の人がごまんといる。タバコは心の病気である。いくら忠告をして禁煙を説いても、ニコチン地獄に堕ちた人を、素人では救い上げられない。ニコチン中毒症という病気なのだから、医師の治療を受けないと禁煙はできない。病院に行くか行かないかは、己の命に対する慈しみがあるかどうかである。

 

命の認知症

 肥満も自分の命の認知症なのだから、心を直さない限り、肥満は治らない。食べても食べても満腹感がない飢餓地獄は、過度なストレスが生きる目的を喪失させ、諦め細胞を増殖している。根本原因を除去して心のガン細胞の増殖を防がないと地獄から抜け出せない。何の為に生まれてきて、頂いた命をどう生かすのか。なぜ死に急ぐ。息をしている内は、未だやるべきことが残っている。生き急げ。やるべきことに命をかけよ。それが死計である。

 

 

ニコチン地獄に落ちた衆生

 ニコチン地獄に堕ちた衆生を救い上げることは、慈悲深くとも非力なオダ佛様にも難行である。死神が、禁煙できない弱い心を爪で掴んで手放さない。

 

肥満地獄

 肥満は佛様からのイエローカード

 

細胞の窓際族

 適度な運動をしないのは、体の細胞が適度な運動を欲しているのを無視する自分への冷酷な仕打ちである。適度な運動をしないのは、自分の細胞を窓際族にするようなもの。その先は自分株式会社からの早期退社、細胞の早期死滅しかない。頭も使わなければ、脳細胞の死滅で認知症になる。「使わない器官は退化する」が生物の鉄則である

 

2021-11-25 久志能幾研究所通信 2219  小田泰仙

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