2023年6月 7日 (水)

仮死パンは食べない、ノーパン生活

 

 私は「菓子パンは腸内細菌を仮死状態にする」と確信しているので、菓子パンを食べない。また私は小麦粉のグルテンに対して、抵抗力がないのが分かったので、パンを食べない。ノーパン生活である。

 腸内細菌は体を守る自衛隊である。医学の父であるヒポクラテスは「全ての病気は腸から始まる」と述べた。菓子パンは、その腸内細菌に悪い影響を与える。いわば味方の自衛隊の腸内細菌を後ろから撃って、仮死状態にさせるようなものだ。

 

乳化剤

 乳化剤は食品添加物で知られており、ほとんどの食品や飲料に使用されている。乳化剤は腸内細菌のバランスを崩し、大腸癌などを引き起こす可能性が指摘されている。

 食品添加物が使用され始めた時期と、病気の増加が比例しているのは偶然なのだろうか? この乳化剤は、腸内細菌のバランスを崩し、大腸癌の誘発を促進することが新しい研究で判明した。つまり乳化剤を摂取することは腸内細菌の環境が変化し、癌を誘発しやすい腸内環境になる。別の研究では、乳化剤を含む食品を摂取すると、大腸癌の別の危険因子である腸管を覆う上皮細胞をより多くの細菌が通過することが示されている。

 乳化剤が市場に出回りだした1950年代以降、IBD(炎症性腸疾患)、大腸癌、メタボリックシンドロームに関連する疾患の発生率は劇的に増加している。乳化剤が含まれている食品を毎日食べていると、慢性的な炎症につながる。

 別の研究では、腸内細菌が便秘に影響を与えて、便秘のない人に比べて、認知症になる確率が2.7倍も増えるという。菓子パンには植物繊維がほとんど入っていないので、便秘症にはよくないだろ。

 

免疫力

 自衛隊と言う腸内細菌を活性化すると、新型コロナウイルスにも抵抗力がつくようだ。新型コロナウイルスが入ってきても、腸内細菌が強ければ、ウイルスを撃退できる。それを弱めるのが、仮死パンである。

 

菓子パンの添加物

 菓子パンには、ショートニング、マーガリン、油脂、乳化剤、添加物、砂糖、小麦粉のグルテン、防腐剤が大量に入っている。それらは認知症、糖尿病、高血圧、がん、慢性腎臓病に対して、悪い食品部材である。ネット上でも、この件は「菓子パンは危険」と警告する動画が溢れている。

 ショートニングはEUや米国で禁止されているが、日本では野放しである。認可を与える汚役人が裏金を貰っていると噂されている。

 令和元年6月6日現在では、指定添加物が463品目、既存添加物が365品目、天然香料が約600品目、一般飲食物添加物が約100品目、それぞれ認定されている。EUでは規制が厳しく、日本の10分の1程度である。日本の食品への添加物管理が異常であることを示している。

 食品の裏にある食品添加物表を眺めて、自己防衛するしかない。

 

 最近は保存料無添加と書かれた菓子パンも出回っているが、しかしそれには添加物が大量に入っている。そんな表記に騙されたはいけない。それは2週間も前に作られた「死んだ」パンである。人間の食べるものではない。

 会社時代は、忙しい時や、残業時間の間食で、菓子パンを頻繁に食べた時もあった。今思うとぞっとする。

 

P11503201s

P11503181s


 

2023-06-07  久志能幾研究所通信 2697号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年6月 3日 (土)

巡礼 「八幡はるみ展」、創造芸術に感銘を受ける

 

 知人に誘われてヤマザキマザック美術館で開催されている「八幡はるみ   GARDEN展」に行ってきた。誘われなければ、絶対にご縁のなかった作家である。ご縁に感謝である。

 

「八幡はるみ GARDEN展」

 会期  2023年04月21日(金)から2023年08月27日(日)

 場所  ヤマザキマザック美術館

 

 美術館で確認すると、特別展の展示品は撮影可とのことで写真撮影をさせてもらった。聞いてみるものだ。欧米の美術館では撮影は、フラッシュをたかなければ可能なので、日本の美術館でもそうして欲しい。

 

八幡はるみ氏の作品

 芸術とは独創性の世界である。天上天下唯我独尊の世界である。自然界の材料やデジタル作品をそのまま持ってきても芸術とは言えない。その作品に作者の独創性をどれだけ盛り込めるかである。

 この芸術品は、工業製品と芸術の融合である。八幡はるみ氏の作品は、染物、織物、刺繍、デジタル材料と言う工業製品、工芸製品を統合して、芸術の域に創造した芸術作品である。

 大画面で表現された美しく咲き誇る花々、まばゆい光につつまれた溢れんばかりの緑の花の洪水。色あざやかな植物が大画面を埋め尽くす、八幡はるみのかぐわしき染色の世界が展開する。私には新しい世界であった。今までは絵画と言うとキャンパスに油絵具でかかれるとの固定観念を抱いていた。しかし八幡はるみ氏の作品を見て、創造性という観念に感心した。この展示会で学んだことは、創造性には使えるものは全て使え、である。

 

 しかし欲しいなとは思ったが、盗んできて家に飾るにはしては、作品が大きすぎる。この大きさでは自宅に飾れない(笑)。また家にある他の作品に比べて、和室の居間には異色過ぎるので、雰囲気が合わないようだ。それで幸い捕まるような行動には出なかった?

 

創造

 創造とは新しい価値観の生み出しである。発明は全く新しいものの生み出しだが、創造は今まであるものを分解、再結合をして、新しい価値を創り出すことだ。発明は天才にだけ可能だが、創造は我々凡人でも出来る。

 「創」と言う漢字は、「キズ」と「リ」から構成される。「リ」は刀と砥石の象形文字である。「キズ」の傷とは刀傷のことである。刀で傷を受けると血が噴き出し、それに焼酎を吹き付け、なにくそとがんばるのだ。それで傷口から新しい細胞が生れ、傷口を埋めていく。新しいものを創り出すには血まみれの体験が必要だ。それが創造である。

 創造とは、今あるものを分解、再結合して新しいものを生み出すことだ。ゼロから生み出す発明ではないのだ。ソニーのソニーのウォークマンだって、新技術はない。従来の技術を再統合しただけである。それが創造である。

 

Dsc00955s

Dsc00952s

Dsc00959s

Dsc00961s

Dsc00962s

Dsc00964s

Dsc00967s

Dsc00968s

Dsc00977s

Dsc00981s

Dsc00985s

Dsc00997s

 

2023-06-03  久志能幾研究所通信 2697号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

 

 

 

人生の年貢をトヨタ生産方式で納める

 

 カンバン方式とは、トヨタの「トヨタ生産方式」で運用されている道具である。車や車の部品を効率良く生産するための一つの道具である。このシステムでは、よいクルマをより安く、早く顧客に届けるために、あらゆるムダを徹底的になくして生産することを目指している。

 この「かんばん」のカードには何時、何処で、誰が(どの部署が)、どれだけ生産するかが記載されている。部品箱1つ1つに「かんばん」がついていて、カンバンで指示された部品を生産するとその「かんばん」を付けてその部品を次工程に流す。

 

 トヨタ生産システムでは、まず顧客から出発して、各工程で、「この工程は顧客に対してどのような付加価値を生み出しているか」と問いかける。(p54) 稲垣公夫訳

 ジェフリー・K・ライカ―「ザ・トヨタウェイ」

 The_toyota_wat_1

.

人生の顧客とは

 人は動物として生まれ、人としての使命を果して世を去る。それはトヨタ生産システムと全く同じである。それで自ずとやるべきことが明確になる。自分の人生の顧客とは、死の床で自分の人生の満足度を味わう自分自身である。

.

人生の納期

 トヨタ生産システムではカンバン方式で、必ず納期が決まっている。死ぬ時に死なないと、他人に迷惑をかける。100歳でも構わないが、寝たきりの長生きでは、自分も不幸、周りも不幸である。人の人生では、必ず死という納期がある。納期厳守はトヨタ生産システムの要である。死ぬ時には、死ぬのが良いのだ。

 だから納期(死)から数えて、今何をすべきか、よりよい付加価値を生み出すために何を今すべきかを考えるのがトヨタ生産システムである。それが人間と動物を分けるものである。だから人間は自分の使命を自覚して、納期(死)前にやるべきことをやる。

 .

人生のカンバン

 人生はカンバンと言う目に見えない仕組みで運ばれる。出生、入学、学業、卒業、就職、結婚、第一の仕事、定年、定年後の第二の仕事、死、のカンバンである。時が来れば嫌でもそのカンバンが回ってきて、その工程をこなして、後工程に流さねばならぬ。

 指定されたカンバンを処理できないと人生が行き詰まる。「就職浪人」とは、その「就職」というカンバンを処理せず、放置した状態である。なぜ就職できなかったか、なぜ何故を5回で追求しないと、後工程が全うできない。

 「死のカンバン」が来れば、受けなければならぬ。例えば、「定年」はその仕事の期間が終わりという「死のカンバン」である。「定年」というカンバンは就職した時、60歳での納期として、あらかじめ発行されている。請求しなくても神仏が発行する「お迎え」と言う名のカンバンが80 歳前後にやってくる。

.

自工程完結

 自分に出来ることは、納期内に自分の工程で改善を繰り返し、最大限の付加価値を付けて、納期通りに後工程に流すことである。それを自工程完結という。

 トヨタでは前工程は神様、後工程はお客様である。前工程の出来栄え(宿命)は、相手が神様だから文句は言えない。自工程で何とかするしかない。それが運命を拓くことである。

 自工程で問題が起これば、何故なぜを5回繰り返して真因を見付け、問題を解決する。原因と真因を分けて解決しないと、対処療法では問題が再発する。

 

 そしてトヨタ生産システムを支える考えが、豊田綱領である。要は、全社一丸となって誠実に職務に尽くせ、研究と創造で智慧を出し、時代の先を行け、贅沢禁止、質実剛健、仲良く、家庭的美風で。神仏を尊崇、報恩感謝を為すべしである。

 トヨタマンはそれを愚直に守って、トヨタはド田舎の豊田自動車から世界のトヨタになった。

 自分の人生も同じようにトヨタ生産システムで運営すれば成功する。

 

 

豊田綱領

豊田佐吉翁の遺志を体す

一、上下一致 至誠業務に服し 産業報国の実を挙ぐべし

一、華美を戒め 質実剛健たるべし

一、温情友愛の精神を発揮し 家庭的美風を作興すべし

一、神仏を尊崇し 報恩感謝の生活を為すべし

 

 2023-06-02  久志能幾研究所通信 2696号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年5月30日 (火)

タイムマシン巡礼、勘違いで目的地4000年前に着地

 岐阜市川原町 Gallery Saganで開催されていた「吉川充 陶展」の作品群に刺激を受けて、縄文文化の確認のため縄文遺跡に行こうと思い立った。

 それで2023年5月25日、静岡の登呂遺跡を思い出し新幹線に飛び乗った。しかし着いた場所は2000年前の弥生時代の登呂遺跡であった。本来の目的地である縄文時代は6000年前である。私の勘違いでタイムマシンのナビ設定を4000年も違えた。時代が違うと雰囲気が全く異なる。しかし歴史遺跡を見ることは先人の知恵を受ける事だ。登呂遺跡に来れたことは「吉川充 陶展」が招いてくれたご縁だから、登呂遺跡でしっかりと弥生文化を観察した。

 その結論 「縄文文明人、弥生文明人は現代人より人間的で文明的である。なぜなら縄文文明人、弥生文明人は人の殺傷用の武器を持っていなかった。それで13,000年も時代が続いた。日本の近代でさえまだ155年間である。彼らは自然に対して畏敬の念を持っていた。1000年間も続いたローマ帝国のローマ人より文明的である。」

 

Dsc01112s

Dsc01053s

Dsc01108s

  登呂遺跡   2023年5月25日撮影

Dsc01077s

Dsc01078s


 登呂遺跡博物館内の展示

.
時代の長さ

 縄文時代は13,000年間も続いた平和な時代である。弥生時代でも約650年続いた。縄文時代に比べれば、弥生時代の650年間は短いが、江戸時代の260年間に比べればはるかに長い期間である。明治以降、現代までの近代時代でもわずか155年しか経っていない事を比較すれば、驚異的である。

 

文明度とは?

 グローバル経済主義で、文明を進化させ、技術を発達させ、貨幣経済を発達させ、武器を開発して、戦争で植民地強奪競争をしていた時代に比べて、何方が文明的なのだ、と考えてしまう。

 徳川家康は日本を鎖国して、日本を守った。それが逆に欧米の植民地強奪戦争から距離を置いた結果となり、幸いしたようだ。現地人を虐殺し、植民地にして領土を広げた欧米人が文明的ではないだろう。

 

平和維持

 江戸時代は階級社会、封建社会で、強引に平和を維持した時代である。しかし、縄文時代も弥生時代も戦争のない平和な時代が続いた。その期間の長さでも世界の文明の中、稀有の存在である。縄文時代も弥生時代も遺跡からは、人を殺傷する武器が出土されていない。調査によると縄文時代では、争いで亡くなった遺骨は1.8%ほどで、他の文明遺跡に比べて5分の一ほどだと言う。1000年続いたローマ帝国でもその歴史博物館の展示を見ると、城攻めや人との戦いの殺傷道具が多く展示されている。欧米人は、武器の発達が文明の進化と思っているようだ。

 

縄文土器の模様

 当時の平均寿命は30~40歳であったようだ。その状況で種族の繁栄のための性の営みは重要視されていただろう。またその性のおおらかさ、自然界への怖れへの現れなのだろう。それが縄文土器に表されて呪縛的な文様であるようだ。また女性賛歌の土偶であるようだ。その生への願いは直接的に土器の模様に込められているようだ。女性の土偶は多く作られたが、男性のそれは数が少ない。それだけ女性への畏敬があったのだろう。縄文土器は実用的には無意味で華美な装飾がされている。それが弥生時代になると、文明が進歩して稲作生活に変わり、生活がより安定したため、実用的な土器に変化していて、呪文的な土器は少ない。

 吉川充先生作の陶器の彩色模様は、その縄文人の真剣な願いを込めた模様にヒントを得ようとしたようだ。

 

___1jpg 縄文土器  wikipedia より

Dsc01065s

   弥生土器

Dsc01068s

 弥生土器

Dsc02381s

  吉川充作 陶器 縄文の模様を施す    画廊 Saganにて

.

ローマ文明博物館

 2010年、私はイタリアに10日間の旅をした。ローマにある「ローマ文明博物館」で、ローマ帝国の歴史を学んだ。そこには1000年も続いたローマ帝国の歴史が展示されていた。いまそれを思い出し、縄文文明、弥生文明と比較した。

 ローマ帝国1000年の歴史は他国との戦いの歴史で、「ローマ文明博物館」はその遺物の展示館である。他国の城を攻める大型兵器、石の建屋を建設してきた歴史の展示であった。 

下図は「ローマ文明博物館」の展示品  2010年 著者撮影

Img_1543s

Img_1556s

ローマ文明博物館の展示品  紀元前2世紀くらい  

   住居の構造は縄文文明、弥生文明と大差なし

Img_1560s

 紀元前7世紀くらいの兵士の制服

   当時、日本は縄文時代の後期である。

   武器を誇らしげに展示する戦いの文化には考えさせられる。

Img_1565s

 

Img_1577s

Img_1584s

   当時の投石器  模型

Img_1592s

  当時の城攻めの様子

  人を殺傷する武器や城攻めの大型武器の展示品が多い。縄文文明、弥生文明と大違いである

Img_1666s

 獲得した領土を誇示する皇帝  

 ローマは一日にしてならず。ローマ帝国は、他国を1000年かけて攻めて、ローマ帝国に包含同化していき、少しずつ帝国領土を拡大していった。ローマ帝国の1000年は、戦いの歴史であった。

.

進化?

 文明の発達とは、人間の文化・精神面の進化である。それが武器に同調した進化では本末転倒である。スマホをいくらいじっても人間性は向上しない。弥生時代の登呂遺跡を見学して、縄文時代の調査をして頭に浮かんだ思いである。

 文明の進化より大事なことは、人の進化である。人として一番大事なことは、人が動物として生まれて、人間に成長することだから。縄文時代に自然界の何物かを畏敬して呪文的な土器を作っていた縄文人のほうが、文化的で精神的に高尚ではなかったのか。現代はなぜか精神的にはどんどん貧困になっているようだ。当時は、死刑になりたいからと無差別殺人を犯すような「動物」はいなかったはずだ。 他人の不幸を省みず、グローバル経済主義を驀進させて、金儲けのため大量殺戮兵器を大量生産する野蛮人は文化的ではないだろう。

.

2023-05-29  久志能幾研究所通信 2695号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年5月26日 (金)

満身創痍の命(2/2) 「ガンのお話し」選書

 

 私はがんになり、発見が遅れ、ステージが進んでいたため、5年後の生存率51.6%と診断された。つまり同じ病気の人が、5年後には半分は死ぬ。それで、その対策を得るため、万巻の書と多くの記事を読み漁り、医師を探すため全国を走り回り、その過程を経て、がんの真の知識を得た。何事も満身創痍の創を受けた闘いを経ないと智慧にならない。

 問題が起これば、まず火を消して、そのあと、原因を探し、再発防止をする。その原因追及でも、なぜなぜを5回繰り返し、真因を見つけ出す。それが私が会社の研究開発部門で培った問題対処法である。それを対処療法で誤魔化すから問題が大きくなる。

 下図は私の病気関係の蔵書である。私はがん以外にも、多くの病気を経験した。命にかかわるから真剣にその対策を探した。その集大成として、以下の書を読むべき本として推薦する。全て私の主治医の著書である。著書の医師には、私の治療にあたってもらった。直接お会いして信用できる先生と確信した。私はその指示に従った。だから今こうして生きている。感謝です。

 

南雲吉則著『命の食事』主婦の友社

南雲吉則著『乳がんのお話し』主婦の友社

南雲吉則著『病気が逃げていく! 紫外線のすごい力』主婦の友社

 がん発生の理屈とその対策が分りやすく解説されている。

 ガンになる真因は、狂った食生活と狂った生活習慣である。南雲吉則先生は乳がん専門医である。ごぼう茶の先生としても有名である。乳がんの発生原因は全てのがんの発生原因の象徴的な側面がある。乳がんの死亡数はこの30年で3倍になった。

 

1

.

船戸崇史著『がんが消えていく生き方』ユサブル

 先生自身もがんになり、その治療を真剣に模索された。

 曰く「外科医ががん発症から13年たって初めて書ける克服法」。先生が説くことは、「がんが嫌がる5つの生活習慣を取り入れろ」である。

 それは、良眠生活、良食生活、加湿生活、運動生活、微笑生活である。そうでないとガンになる、である。

 私はガンセンターで手術後、ガンセンターの標準治療である抗がん剤治療を拒否して、船戸クリニックで船戸先生の治療を受けた。

 

1_2

.

島康雄著『脳梗塞・心筋梗塞は予知できる』幻冬舎

 高血圧もがんの遠因となる。真因を探って対策を打たないと病気は治らない。

 私は高血圧症で20年間、降圧剤を飲み続けた。それは対処療法である。血圧を強制的に下げるから結果として末端まで血が回らず、つまり組織の末端まで血液中の免疫酵素が行き渡らず、それが遠因で、がんになったと推定している。

 その血のめぐりが悪いことが諸悪の原因であったようだ。そのため白内障、網膜静脈閉塞症、記憶力低下になり、認知症寸前、脳梗塞寸前になっていた。諸悪の根源が血管の詰まりであった。真島消化器クリニック(久留米市)の真島先生の指導で高血圧が治った。

 

2

 

01dsc01117s

02dsc01129s

04dsc01118s

05dsc01119s

06dsc01114s

07dsc01115s

08dsc01120s

09dsc01122s

09dsc01130s

10dsc01125s


 

2023-05-25  久志能幾研究所通信 2694号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

満身創痍の命(1/2)、ガンの真因と予防

 

 自然界には善も悪もない。因果関係があるだけである。仏教の根本思想の因縁と同じである。自然界の生物にとって癌になるのは悪でも善でもない。全ての生命に生老病死がなければ、宇宙が滅んでしまう。全ての自然界に新陳代謝がある。それが無いとは最悪の状況だ。因が有るから果が有るからだ。病気になるのは原因がある。ガンになるのはガンになる生活をしてきただけが原因である。そのプロセスの最高の結果として、がんになった。それだけである。それが、運がいいとか悪いとかの話ではない。だから癌になりたくなければ、がんにならない生活を送ればよいだけだ。

 言うなれば、がんになりたくてタバコを吸い、酒を飲み、ストレス満載の職場で働き、添加物満載のスィーツや菓子類を大食いしてきて、がんにならなかったら、宇宙根源の根源の法則を捻じ曲げるようなものだ。

 それはガンだけでなく、全ての事象に当てはまる。事件事故病気を起こしたくなければ、事件事故病気が起きないような取り組みをすればよい。

 

 がんは生活習慣病である。がんになったら、患部を切除して(状況で治療方法は変わる)、癌になった原因を探し、がんが再発しないような生活習慣に変えればよい。それだけである。

 社会でも、事件が起きれば、まずその対処(火消し)をして、次は起きた原因を探し、再発防止をする。ガン治療もどんな病気も同じである。それを対処療法ですませるから、再発する。

 

 特定食品(例として、アガリスク、鮫の油)を採ればがんが治るとか、がんにならないとかの怪しい治療等は、全て詐欺である。

 新興宗教の祈祷とお布施でがんが治ると言うのも、当然、詐欺である。それは宇宙根源の法則(例えばニュートンの法則)を、一個人のわがままで、捻じ曲げること。それこそ神を超える越権行為だ。それでは太陽が西から上がってしまう。

 「がんを全適したから完治です。今後は今まで通りの生活でよい」という医者はヤブ医者である。それは単なる対処療法しかできない医者である。ガンの治療は、がんが再発しない状態にしないと再発して元の木阿弥である。ガンになった環境を変えないと、がんは再発する。私はそういう医師に騙されて父を失った。

 

 がんになる環境は、狂った生活習慣、狂った食生活である。それで体内の免疫力が低下して、体内免疫系の防御システムのバランスが崩れて、がんが増殖する。がんは毎日一日に5,000個出来ているという。それを体内自衛隊の免疫酵素が殺して体を守っている。ガンになるのは、ガン発生とガン細胞の殺しのバランスが崩れた時である。

 自分を守るのは自分である。国を守るのも自衛力が無いと国が亡びる。自衛力の維持こそ、国の要である。米国に頼っても国を守れない。1,000年も続いたローマ帝国が滅んだのは、国の軍事を傭兵に頼りだしたからだ。トヨタでも、「自分の城は自分で守れ」の教えを守っているから、生き延びている。日産はそれを他国のルノーに頼ったから、食い物にされ、滅びかかっている。

 戦いが内部の体力を削ぐ。縄文文明が1万年も続いたのは、戦いが無かったからだ。縄文遺跡からは人を殺傷する武器が出土されていない。それが他の文明地の遺跡との大きな違いである。

 

 どんな人でも加齢により、免疫力が低下するから、80歳を超えると全員ががんになる。それが宇宙根源の摂理だからだ。しかし、多くの人はガン以外の病気が原因で死ぬから、医師が、ガン死と診断しないだけである。

 

 

2023-05-25  久志能幾研究所通信 2693号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2023年5月24日 (水)

私の人生じまい

 

 ヒトは、人として生まれると、致死率100%の人生病になる。多くの人は、会社に入社して、「会社人間」として育ち、60歳になると定年という「死」が訪れる。それと同じで、人として生まれると平均で80歳、早いと60歳前、長くても120歳には死が訪れる。

 私の1年後輩の会社仲間は52歳の若さでガン死である。私の師は94歳で亡くなられた。生は偶然だが、死は必然である。死を意識せず生きて、死の床でやり残してたことを後悔しても遅い。人として、時間は永遠ではないのだ。

 

 

人生じまい

 人生じまいを考えるとは、自分の人生の考えることだ。今までは会社生活が忙しく、仕事に没頭し過ぎて、それを考える時間が無かった。定年後の時間は、それに費やすためにある。

 本当の人生じまいは、自分が人間になったかの確認作業である。人間として未完成なら、人として、その手直し作業をせねばならぬ。財産の処分や、お墓を建立とか、戒名を授かることは、小さな一工程である。もっと大事な人生工程は、人間になる仕上げ工程である。

 

 人は動物として生まれ、人間になるために修行の工程を経る。残念だが、多くの人は、人間にならず動物のまま死んでいく。「人間にならず」ではなく、「人間になろう」としなかったので、結果として、人間になれなかっただけだ。人は学ばなくなると宿命的な存在に堕ちる。つまり学ばなかったので、動物の本能のまま生きて、宿命的な犬畜生に堕ちるのだ。そうならないようにすることが、人間としての学びの修行である。最近の悲惨な事件を数多く見せられると、それを強く感じる。

 

死ぬまでにやりたい100項目

 人生で、「死ぬまでにやりたい100項目」を書き上げるのも自分の人生を振り返るための行動としてよいことだ。それで自分の今までの生き方と、出来たことできなかったことが明確にされ、今後の生き方を明確にできる。原稿の締め切りでも、志望大学の入試日でも、仕事の締め切りでも、期限を目前にして、初めて自分の過去の行動を悟るのだ。期限を目の前に突き付けられないと、悟らないのが人間だ。それで私は何度も一夜漬けをしてしのいできて後悔している。しかし死の準備は、そういうわけにはいかない。

 ある時、突然の事故死や突如の余命宣告を受けることがあるのが現代である。何時そうなっても良いようにしておかなければ、悔いが残る。

 

宇宙根源の理が死を教える

 還暦を過ぎると、体のあちこちに不調を感じ、がんにもなり、周りの仲間も次々と鬼籍に入っていく。そうなれば嫌でも自分の死期を意識せざるを得ない。私もがんになり、それに目が覚めた。天がその死を教えてくれる。太陽も朝に日が昇り、何時かは日も沈む。時には天が真っ黒な雲に覆われ、暴風雨が来て、実質的に一日が終わる日もある。人の人生も同じである。

死が分かっているから、やりたいことをやり切って旅立ちたいものだ。そうしないと、やりたいことが出来る体力がなくなってしまう。人生は生老病死である。最近は、自分の体のことで、「昔はこんなはずではなかったのに」と思う日々である。

 紅顔いずくにしか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし(修証義 第一章)

 

Photo

 1

   馬場恵峰書

 

 

2023-05-24  久志能幾研究所通信 2692号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年5月23日 (火)

巡礼 「柴田節郎 陶展 跡-83」、Gallery 芽楽

 

 2023年5月18日、名古屋名東区Gallery 芽楽で開催されている「柴田節郎陶展 跡-83」の展覧会を鑑賞した。「柴田節郎陶展」は3月にGallery Saganで開催された。その続きの鑑賞である。残念だが柴田節郎氏は在廊されなかったが、良い作品を鑑賞することが出来た。今回は前衛的な作品ではなく、魅力的な茶碗が大多数であった。いいなと感じた作品は既に販売済のマークが入っていた。

 このギャラリーは、住宅街に位置し、普通の一軒家の一階部分を画廊と喫茶室にした構成であった。落ち着いた雰囲気の画廊で、多治見焼のコーヒー茶碗で美味しいコーヒーを堪能した。美術品の鑑賞には良き環境が必要なのを再確認した。

Photo

Photo_2

Dsc01013s

 Gallery 芽楽

Dsc01002s

Dsc01004s

Dsc01005s

Dsc01006s

Dsc01010s

Dsc01011s

 

 

2023-05-23  久志能幾研究所通信 2691号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年5月21日 (日)

巡礼 「春陽展」、天上天下唯我独尊

 

 2023年5月18日、名古屋で開催されている第100回記念春陽展、八幡はるみ展、柴田節郎展、中島法晃展の4つの展示会をはしごしてきた。大都会の大展示会場はとても広く、展示品が多く、見て歩くだけで疲れる。またその各会場も遠く離れているので、地下鉄、バスを乗り継ぎ、地下街の階段の上り下りが続く「山道」ばかりで、体力の落ちた私には超過酷な巡礼の旅であった。美術鑑賞の巡礼も体力がいるのだと思い知った。

 でもなんでそんな疲れることを私や他の絵画愛好家もするのだろう? 

 今回、自分で自分に問うてみた。

 

なぜ絵を観るの?

 今回同行した知人は、自分の鑑賞眼を磨くために行くという。

 私が絵画展に行くには、好きだからはもちろんだが、何故か憑かれたように絵画展に足を運ぶ。自分でも自分の行動が良く分からない。推定するに、潜在意識として、美術品への感性を高めたいという本能だろう。明日の生活に不安があれば、そんなことはできまい。だから幸せだと感じる。

 あわよくば、盗んできたくなるような絵に会えるのを期待しているかもしれない。私の名画の定義は、捕まってもいいから盗んで家に飾りたくなる絵である。幸いなことに、そんな絵にはまだ出会っていないので、まだ逮捕されずすんでいる。

 

なぜ絵を描くの?

 一生の間で一枚しか絵が売れなかったゴッホ。それでも彼は、極貧生活の中、なぜ絵を描き続けたのか。多くの著名な画家でも、売れない絵を死ぬまで描いている。画家は自分の生活を犠牲にしてまでして描き続けている。なぜ?

 今回の「春陽展」でも、売るあてのない100号の絵が数多く展示されている。中部地区の会員だけでも130作品もある。「春陽展」会場には、全国の会員の作品が1000点弱も展示されている。

 100号の絵画を制作することは、文化レベルが高くないと不可能である。国と個人が裕福でないと、これだけの絵は集まってこない。裕福でないと、それを描く場所、保管場所、絵の具材の費用を出せない。それだけ日本が豊かである証拠である。中東で戦争に明け暮れている国では絵も描ける環境ではない。飢餓に苦しむ国では、そんな絵も描ける経済環境にもない。だから今の日本は幸せだと思う。それを日本人は忘れている。絵画鑑賞も絵画制作は、人生の贅沢な遊びである。生活に余裕がないと遊びはできない。それが文化レベルが高い状態である。自分の幸せに感謝をしよう。

 

天上天下唯我独尊

 「唯我独尊」とは、「ただ、我、独(ひとり)として尊し」との意味である。それは、自分に何かを付与し追加して尊しとするのではない。他と比べて自分のほうが尊いということでもない。天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間としての存在である。しかも何一つ加える必要もなく、この命のままに尊いという発見である。それを芸術家は、創作する作品を通して主張しているようだ。

 芸術の「芸」と言う文字は草冠に「云う」である。これは匂い草の象形文字である。匂いは人により、時代により受け入れてくれる人が千差万別である。万人受けするわけではない。それが芸術である。ゴッホも、時代が変わったら評価が180度変わった。芸術家はそういう宿命である。それでも芸術家は我が道を行く。

 派手なジャンバーを着て、突っ張って自分を誇示し、爆音を立ててバイクを走らせる行為も同じことだろう。それも自己主張の一形態である。それがバイクか絵画かの違いであるようだ。

 だから、「春陽展」で絵画が1,000点も展示されていても、気になった絵は数点でしかない。それが芸術作品の宿命なのだ。 今回の春陽展でそれを再確認した。

人生は芸術作品

 それは仕事でも、その作品(建築物、機械、社会的プロジェクト)の中に自分の主張を入れ込むと同じである。それが、自分がその時代に生きた証を遺すことだ。それが自分の付加価値の主張である。だから、私は仕事こそが芸術だと思う。同じ論法で、経営も芸術である。人を創る教育も芸術である。

 

Dsc00928s

Dsc00934s

Dsc00935s

Dsc00948s

Dsc00949s

下図の絵は、私の嗅覚に反応した気になった絵である。

Dsc00937s

Dsc00941s

Dsc00933s




2023-05-21  久志能幾研究所通信 2690号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年5月20日 (土)

墓はじめ 基本設計1 巻石

 

 今の自家のお墓は60年前(1963年)に父と父の兄が共同で建てた。しかし2015年当時で築52年も経つと、墓石が風雪の影響を受け、墓石の傷が目立ってきた。冬に雪が降り、その水分を墓石が吸い、夜に凍結し、昼に融解する現象が長年続くと、墓石が疲労破壊される。

 2015年、叔母が亡くなり、結果として祖母の家が絶えたので、私がそのお墓のお守りを引き受けた。叔母の家の墓4基と今の自家のお墓と従弟のお墓の計6基の墓を3基に統合する計画を立てた。石屋さんにお墓の基本設計をお伝えした。

 

基本方針

 改建をする目的の第一優先は、風雪対策、地震対策、メンテナンスフリー、再発防止である。

 改建するにあたり、華美を避け、質実剛健、統一感ある現代風デザインで、塔婆立てと墓誌を建てる。その際、ご先祖のおもてなしもする、である。

 どういうわけか、計画した当時は将来に自分もその墓に入るとは全く考えていなかった。当時、まだ体力があり、元気溌剌であったので、全く死を意識しなかったようだ。今にして、考えが幼いなと思う。人は必ず死ぬのだ。死線をさ迷う経験をしないとその気にならないようだ。その咎で、後年がんで死線をさ迷う羽目になった。

 

土台(巻石)

 菩提寺に墓参りに行って、いつも気になるのは、隣のお墓の草の放置である。隣のお墓の土地には砂利が敷き詰められていて、そこにはいつも雑草が生い茂っていた。砂利では必ず雑草が生えてくる。もしそれが自分の家のお墓なら、墓参りの前にその除草だけで疲れてしまうだろう。私もいつまでも若くない。それもお盆の炎天下での除草なら大変だ。

 その土地に砂利を敷設する場合、周辺を縁石で囲って作るが、それが長い間にずれてしまう。その保守が大変である。

 その対策として、石屋さんの助言で、一枚の土台石(巻石)で墓のベースを作ることにした。一枚の石なら、縁石がずれることもない。そこから雑草が生えることを防げる。そうしたらよい石があるとの情報があり、それを発注した。

 

巻石入荷

 その石の加工は中国で行った。残念だが、現在の日本では加工できないという。中国での加工が終った墓石が日本に入庫した連絡を受け、2015年10月21日、石屋さんと一緒に大阪の石材問屋に確認に出向いた。

 

 最初に目に飛び込んできたのは、石材店の仮置き場に置かれた一枚づくりの巻石である。長さ3.6m、幅1.5m、厚さ37cmの一枚づくり巻石の梱包を傍で見て、とんでもないものを注文したものだと、吾ながら呆れた。原石の重さは32トンという。

 石材店の所長さんも、この大きさの石は今まで扱ったことがないという。これより大きい墓所の巻石は数多く存在するが、複数枚の石材を組み合わせて構築するので、一枚石づくりでは存在しないという。そういう意図は無かったのだが、結果としてエライことになってしまった。

 

ご縁の流れ

 今回の不思議なご縁で、3基のお墓を同時に建立することになり相応の大きさの巻石が必要となった。お墓の建立後に草取りや掃除等の手間を少なくする目的で一体構成を検討した結果である。たまたま大きな石材が在庫していて、それも、為替レート一ドル90円で入手した石材が偶然に在庫していたというご縁の賜物である。今なら一ドルが140円、150円の高騰ぶりだ。私の力ではない。ご縁の流れの勢いは恐ろしい。

 

20170805p913

 

2023-05-20  久志能幾研究所通信 2689号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。