2017年6月 5日 (月)

「おしん」は、14,341円で身売りされた

 テレビドラマ「おしん」の奉公物語は、身売りの話である。飽食が溢れる現代日本でも、飢えの苦しみの時代があったのは、つい87年前の話である。昭和5年(1930年)から9年にかけて東北地方で日本史上最後の大飢饉があり、農村経済が崩壊し子女の身売りまで発生した。たった米俵一俵(14,341円、平成25年の米価)で最愛の娘が売られていった。この飢饉は世界恐慌から始まるブロック経済の進展などもにあり、満州事変に繋がり戦争に突入していく背景ともなった。そんな食の悲劇を現代日本人は忘れている。現代の肥満・成人病の蔓延は、佛様からの鉄槌なのだ。

 「おしん」の親が一家崩壊を避けるため、娘を14,341円で売らねばならなかった悲劇を、己の肥満に照らすと醜態である。現在、中国や米国等で貧富の差が拡大して社会不安が高じている。人は拝金主義に走り、富者は飽食に明け暮れ貧者は飢餓に苦しむ。人間は少しも進歩をしていない。むしろ堕落している。そのため2000年前の教えがそのまま通じる。

 

現代人が見る地獄絵

 科学技術の進歩は、守護佛の四天王をも騙す化学調味料を作り出した。その化学調味料は、六根の感官(眼・耳・鼻・舌・身・意)としての四天王を殺す。化学調味料はその四天王の舌を麻痺させ、人の関門である口を通過してしまう。悪いことに麻薬的に美味し過ぎるので、止めもなく食べ続けてしまう。心が緩んだ隙に鬼が入り込み、美味しさの虜にしてしまう。行き着く先が、高脂肪体質、高血圧、メタボ、過食症、スナック菓子シンドロームの悪魔のサイクルである。美食が豊富にありすぎる極楽に身を置き、悪魔の誘惑に負けると贅沢病・死病に苦しめられ地獄に堕ちる。極楽三昧の因果で死病に罹り、最期になって「カネはいくらでも出すから助けてくれ」と医師に泣き付くのでは天国から地獄である。豊かになった現代人が見る地獄絵である。

 

食の極楽ポイントの開発に鎬を削る

 清涼飲料水を筆頭に、ファーストフード店で販売される食料品には大量の砂糖や化学調味料が入っている。それは麻薬のように習慣化して毒として体を蝕む。食品メーカはどんどん消費して儲かるように仕向けている。食品メーカは、食べ出したら「止まらない止められない」という極楽ポイントの味の開発に余念がない。困ったことにその毒は、大層美味である。美味しいものには毒がある。

 

 日本でも食生活や生活様式の欧米化に伴い,肥満人口は増加の一途をたどり,今や推計2,300万人に達している(男性1,300万人,女性1,000万人)。特に男性の場合、どの世代でも10年前、20年前より大幅に肥満者の割合が増えている。特に40代から60代の肥満者は30%を超える。このうちの約半数は病気を持たない“健康な肥満者”である。残りの50%の1,100万人は糖尿病や高脂血症,高血圧症,膝関節症などの生活習慣病を合併しており,これが医師の治療を必要とする「肥満症」である。

 

薬は基本的に毒

 工場生産の加工食品は、塩、脂肪、砂糖が飽食の罠の鍵となる成分を含む。味覚を刺激するだけでなく、食品の魅力を上げて再購買を狙う目的で味付けが研究開発される。多くの研究開発費をかけ、脳に抵抗しがたい魅力を封じ込める味付けがされる。それが健康への悪影響などは知ったことではない。売れるかどうかだけが評価の対象である。多大な研究開発費を投じた商品は、大量生産をしないと自転車操業が回らない。低脂肪、低糖、無糖という表示にマーケティング、心理作戦に金をかけ、消費者のサイフを虎視眈々と狙う。それが別の「毒」を盛る恐れにもなる。その昔の人工甘味料には、発ガン性成分が含まれていた。病気になると大量の薬の投与となり、医療機関と薬剤関係が儲かり、ますます病気を作ることになる。

 

 薬とは、炎上(患部)場所に消防車が放水すると同じである。火元には効果があるが、火元以外にも大量に水が浸透して、火事でない部位(健康な部位)も被害を受ける。毒である薬は、健康な部位も無差別に攻撃する。抗がん剤でガンは治りました、患者は死にました、が現実である。薬投与は対処療法である。病気になった根本原因を除去しないと、別の病気が発生する。根本治療では、医療機関は儲からないので、原因は追究せず、対処療法だけの投薬にまい進する。

 

 現代病の対策のため新たな医薬品の開発が進み、その開発費の回収のため業界は過剰な医療を強いる。1970年の日本の医療費総額が10兆円で、現在は40兆円を超える。それでいて半病人は増え続けている。化学調味料という麻薬のような薬物中毒に犯されては、四天王様も不動明王様もお手上げである。

 

人生の極ウマモノ

 人生での極ウマモノとは、高級料亭接待、賄賂、特別扱い、下半身接待と過保護教育である。美味しすぎて、一度嵌ると抜け出せない。人生の蟻地獄である。おいしい物にはワケがある。

 過保護教育とは、人生のご馳走を子供に食べさせて満腹状態にすること。そうなれば、あとは堕落しかない。親は子のためにと思って金を使うが、それは地獄への特急切符である。

 

 2014年12月5日、韓国のナッツリターン事件が起きた。大韓航空前副社長の趙顕娥被告も同じ極ウマのものばかりを親から食べさせられてきた。本人には自覚がない故に、会社と国の名誉を辱める結果となった。財閥のオーナーに徳が無く、お金が使い切れないほど多量にあると、お金の腐臭が世の中に撒き散らされる。過保護に育てられた金持ちの子供たちや芸能人の子息は、どの国にも繁殖している。最後に地獄を見るのは過保護に育てた親なのだ。

 

 子供を愚かにする一番の方法は。多大なお金を与え、見た目は溺愛のごとく贅沢をさせても、愛情を注がないこと。そうすれば、頭が切れて知識だけは豊富だが、人間としての欠陥がある情緒不安定の人間に育つ。政治家でいえばスターリン、レーニン、鳩山由紀夫、小沢一郎がその例である。スターリンは2,300万人を虐殺した。

人間の魂は地道な育成方法でしか完成しない。愛情こめて育てることしかない。贅沢で過保護、愛情なしで育てられた人間は欠陥人間である。「人間」とは人と人との間で、相手を慮ることができる人。

 

下図1、2 隣家の火事跡(2005年10月30日 火事の翌日)

下図3、4 私の家の被害(2005年10月30日 火事の翌日)

私の家への延焼を止めるため、消防署が放水してくれたので、延焼は防げたが、高圧放水で、家の中がグチャグチャになった。延焼がなく、大垣消防署さんに感謝です。同じようなことが、薬という毒を飲むと、自身の健康な細胞に同様な被害が及ぶ。

 

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2017年6月 4日 (日)

賽の河原のピアノ弾き(改定)

 『失敗したところでやめてしまうから失敗になる。

  成功するところまで続ければ、それは成功になる(松下幸之助翁)』。

 諦めるから、失敗になる。三日坊主を殺すのは自分の内なる劣等感という鬼である。邪気を振り払い、ひたすら目標に向かって、壊されても崩されて賽の河原の石を積み上げ続ける。そうすれば内なる地蔵菩薩が助けの手を差し伸べる。自分を救うのは自分である。

 賽の河原の石を積み上げ続けられるのは、純真な心を持ち続けた童だけである。中途半端に大人になり、純真さが薄れ、雑草が心に芽生えると、石を積み上げる気力も失せる。人から見て「馬鹿じゃなかろうか」としか思われないことをしなくなる。それは成長ではなく退化である。バカではないかと思われることを平然とやり続けられる人間になりたいもの。

 

 ピアノには誰しも憧れるが、習得は難しい楽器である。必死に練習をして、やっと弾けるようになったバイエルの練習曲でも、翌日になると指が絡んで上手く引けないことが多々あり、自分の才能の無さに忸怩たる思いをさせられる。ピアノを習熟するには毎日8時間の練習を10年間すればよいというが、それだけの情熱をほかの面に向ければどんな道でも成功者になれる。プロ相当の腕になるには、死屍累々たる賽の河原の石積の試練を乗り越える継続の情熱が必要である。才能よりも弾きたいという情熱をいかに継続させるかである。それに打ち勝った人だけが、三日坊主の鬼の手から逃れられる。

 

 写真1はベーゼンドルファーModel 250(92鍵)で、ウィーンのオペラ座で100年間弾かれ続けた歴史を背負う。このピアノを弾ける舞台に辿りつく前に、賽の河原に消えたピアノ弾きはどれだけいることか、想像すると哀しい。

 

 100年間も現役で活躍したピアノが、全ての弦を張り直し、全面修復されてベーゼンドルファー東京ショールームに展示された。その調律には調律師井上雅士さんとピアニスト伊藤理恵さんの協業があった。ウィーンの乾いた空気の中に響き渡るような音作りを目指して調律が進められた。共にウィナートーンに精通していているお二人である。井上雅士さんは22年間もウィーンに滞在し、並みのウィーンっ子よりもウィナートーンが体に染み込んでいる。井上さんは、多くのウィーンっ子の友人達と切磋琢磨しながらウィナートーンの音作りに励んできた。井上さんは、当時住んでいたアパートに、ウィーンの乾いた空気を突き抜けて届く教会の鐘の音を今でも懐かしく思い出すという。

 2016年3月13日、ピアニスト岩崎洵奈さんの演奏で、このModel 250と現フラグシップModel 290 Imperialとの弾き比べのミニコンサートが開催された。私は招待されて東京に出かけた。

 

 人生で情熱を傾けられる道を見つけて、人からは「馬っ鹿じゃなかろうか」と呆れれても、そんなことは意に介さず、我が道を歩き続けられる人は素晴らしい。そういう人は、迷わず胸張って浄土へ向って歩き続ける。思いを心に刻んだ三日坊主が生きながらえると、三途の河で地蔵菩薩に逢える。

 

下図1はModel 250を弾くピアニスト岩崎洵奈さん

下図2はピアニスト伊藤理恵さん

下図3はピアニスト岩崎洵奈さんと調律師井上雅士さん

(図2,3はベーゼンドルファーHPより)

下図4はウィーン市中央部に位置するカルス教会(1737年建設)

 

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佛は牛丼を我慢する

ファーストフード禁止令

 ロワジールホテル大垣の料理長・齋藤さんは修行時代に親方から「牛丼、カレー、ホンだし入りの味噌汁は食べてはいけない」と指導された。牛丼が世に出回り始めた頃の話である。

 親方曰く「牛丼はあまりに美味しすぎて味覚が麻痺するので、料理人として食べてはならない」。普通の料理方法では、あれだけの魅力的な味は出せないという。魔法の調味料(味覚を麻痺させる化学調味料)を多量に入れてあるからだという。だから味覚も確実に劣化する。多量に食べ続ければ、何時かは体がおかしくなる。またそんな美味しいものが280円で食べられることが異様である。安いものにはワケがある。

医療費増加の怪 

 牛丼が世に出回り始めた40年前の日本の医療費総額は、10兆円ほどであったが、現在は40兆円を超える。医療費総額の最高額の更新は12年連続である(2015年9月現在)。医療が発達しても患者は増え、医療費は増える一方である。最近はガン、認知症、糖尿病の急増である。今では若年性認知症まで蔓延している。当時は、認知症など話題にも上らなかった。何かおかしい。その医療費の増加は、日本のファーストフードの普及の歴史と重なる。ファーストフードに含まれる、糖分、劣悪油、添加物、抗生物質や成長ホルモン(牛や鶏の餌に含まれる)を多量に日本人が摂取しはじめたせいではないかと私は推定している。

 

 とは口という門から入る食物を毒見する六根の一佛である。六根とは六織を生ずる六つの感官(眼・耳・鼻・舌・身・意)の称である(佛語)。そのお役目は体の防衛である。しかし化学調味料はその六根の門番さえも騙してしまう魔物である。

 

 カレーは、いつ何処で食べても美味しく食べられるので、味覚が麻痺させられる。カレーには香辛料が多く入っている。香辛料とは胡椒等の本来の味を誤魔化す調味料である。胡椒とは保存技術の無い中世ヨーロッパで、腐りかけた肉を少しでも美味しく食べるために、腐臭を誤魔化すために使った調味料である。腐った肉が体に良いわけが無い。その腐臭を誤魔化すための香辛料も体に良いわけが無い。

 胡椒が宝石のように高価なインドの特産品であったので、奴隷商人のコロンブスは、胡椒の新しい運搬航路を求めて新航路を探す旅に出て、新大陸を発見した。その後、アメリカ原住民のインディアン600万人が、アメリカ人(イギリス人)により虐殺された。カレーとは、そんな曰くつきの料理である。

 

 ホンだしも化学調味料であるので、同じ理由で不可である。齋藤さんがある土地でメチャウマのラーメンに出あった。その料理をするところを見ていたら、小さじ一杯の白い粉を汁に入れていた。白い粉は、味の素に相当する化学調味料の何かであったようだ。

 

我慢とは煩悩である

 我慢とは七慢の一つである(佛語)。七慢とは、過慢、慢過慢、我慢、増上慢、下劣慢、邪慢を言う。慢とは「忄」(心)+「曼」〔音〕で、「心が伸びたるんで怠る」を意味する。「我慢」の意味は、①我をよりどころとして心が高慢であること、②我を張ること、③じっと耐え忍ぶこと、である。当初の意味の「自分自身に固執する」ところの①の意味から②に転じ、さらに③の意味となった。

 七慢は人が持つ煩悩である。その煩悩を断ち切るのが不動明王の持つ宝剣である。佛法、佛像を作り出した古代の賢者は、人の持つ慢心を知っていた。慢心を持つ人の本質は、2千年前から少しも変わっていない。それが、今でも不動明王が現役で活躍する所以である。

 

下図はロワジールホテル大垣の料理長・齋藤秀己さん  2015年1月18日

齋藤さんの料理は本物の味である。

 

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2017年6月 3日 (土)

大垣まつりとは、動態のお墓(改定2)

 大垣まつりは、1648年(正保5年)ウィーン公使であった戸田共氏伯爵のご先祖にあたる初代の大垣藩主戸田氏鉄公が城下の八幡神社を再建した折、城下十八郷が神輿三社を寄進して喜びを表し、大垣十ヶ町(本町、中町、新町、魚屋町、竹島町、俵町、船町、伝馬町、岐阜町、宮町)が10両の軕(山車)を造って曳き出してその喜びを体現したことが起源という。

 

大垣まつりの総括

 大垣まつりは、370年前の初代大垣城主戸田氏鉄公への感謝と毎年の豊作を祈願する地元全体で行なう神事である。人々は名君であった城主を偲んでお祭りを行う。故人を偲んで石に名前を刻んだのが静態のお墓で、お祭りは動態のお墓といえる。伝統行事としてこのお祭りが続く間、大垣の戸田城主は、民衆の心の中で生きている。老若男女が山車の諸芸に合わせて日本の邦楽を奏で、日本の伝統芸能と先祖を敬う心が、大人から子供に継承されていく。先祖を敬う心を子供に、自然と植え付ける。良き伝統である。

 

大垣まつりの稽古

 この日のために、子供を中心とした伴奏者達が、町内に集まりほぼ2週間にわたり夜に練習を続ける。稽古の始まりは世話人が「それではこれから始めます」というと、子供たちを含め全員が一斉に立ち上がり「お願いしまーす」で始まり、「ありがとうございました」で終わる。その後、子供たちはお菓子をもらいご機嫌である。その間、付き添いのお母さん方はおしゃべりに花が咲く。

 軕の曳き回しと八幡様の前での諸芸では、重い軕を回転させたり、お辞儀をさえたりするので、引手のチームワークが必要で、練習が欠かせない。町内の名誉がかかっているので真剣である。稽古始、中稽古、稽古納めには、町内のものが料理・酒を持ち寄り祝杯を挙げる。学校もPTAも協業して子供の教育の場として熱心に応援している。

 そこから共同体としての意識が育つ。日本の和の精神のもとである。街に大垣まつりのお囃子の笛の音が響くとき、それは春本番の訪れの声である。

 お祭りでは、遠方からも知人・縁者が集まり、御馳走が振舞われ、旅芸人が集まり、屋台が出て、お金が回り経済が活性化する。人々に生きていく喜びと共同体としての和の意識を与える。素晴らしい先人の知恵である。

 

大垣まつりの歴史

 1679年(延宝7年)、第四代の大垣藩主戸田氏西公が、神楽軕、大黒軕、恵比須軕の三輌を下賜。この3輌を「三輌軕」とよぶ。慶安元年(1648年)八幡神社の古文書によると、造られたばかりの軕に対し「十町之車渡リ物尽善尽美(十町の車渡り物、善を尽くし美を尽くし)」と、称えられている。また今は姿を消したが、「朝鮮人行列」という、朝鮮通信使を模した竹島町の異国情緒あふれる行列もあった。

 濃尾震災、第二次世界大戦の空襲で軕の多数失うが、2012年、復元等により13輌の全てが完全に復活した。

 災害を免れた軕9輌と朝鮮軕付属品は、岐阜県の重要有形民俗文化財に指定され、2015年3月2日、「大垣祭の軕行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定された。2016年12月1日にはユネスコ無形文化遺産に登録された。

 

軕の種類

大垣は、中京圏と近畿圏の境に位置し、軕の作り方で融合型の山車となっている。中京型は名古屋型で、近畿圏型は長浜流芸山型であり、大垣の本軕は、全ての型が揃っていて全国でも珍しい。そのうち三軕は生粋の大垣っ子である。

大垣の軕は、下記の4種類からなる。

①  無蓋軕、

②  前軕、本山車、後山車を持つ山車、

③  前軕がなく本軕から樋が突き出ている本軕、

④  前軕を舞台に改造した踊り山車

 

試楽は、土曜日に行われ、13輌の軕が朝9時に八幡神社前に集結する。八幡神社の鳥居前で奉芸を行った後、市役所玄関前に移動する。そこで掛芸披露を行う。この行事は、かつて大垣藩主が大垣城内に軕を曳き入れて上覧したことに由来し、現在は、藩主に代わり市長がその役を務める。以後、各軕は自由行動をとる。

 

本楽は、日曜日に開催され、各軕は八幡神社前に集結し奉芸を披露する。後、神楽軕を先頭に城下(東廻り・西廻り(毎年交代)が存在)を練り歩く。

 

夜宮では、試楽、本楽両日とも、19時より各軕は八幡神社前水門川沿いに集合して提灯を点灯する。八幡神社前を2周し、曳き分かれる。本楽の夜には神輿の渡御も行われる。

 

大垣まつりの人出数

 ユネスコ登録後、祭りの観客数が急増した。2017年は初日の試楽の日が雨天のせいで、29万人の人出となった。2011年の試楽が10万人、本楽が12万人で計22万人である。比較が難しいが、雨でなければ人出は2倍になったと推定される。2011年の大垣祭りの写真と比べると、人出の数が増えたことが良くわかる。街の活性化で人がいなくては話にならない。大垣祭りが街の活性の一助となっている。

 

この項、一部wikipediaより編集

参考文献 浅野準一郎著『大垣まつり』風媟社

     長野良行、水崎薫、田中千奈代著『東海の山車とからくり』ゆいばおと刊

 

下図1 昔の大垣まつりを説明した大垣城の説明看板

下図2 2011年 大垣まつり・本楽での人出(これで12万人の人出)

下図3 稽古の成果が問われる大垣まつり本楽でのお囃子の伴奏(2017年5月14日)

    見守る親御さんの方が真剣かも。よき教育の場です。

下図4 大垣まつり・本楽でのお囃子の伴奏(2011年5月14日)

     皆さん真剣です

 

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2017年6月 2日 (金)

黄金のホールを照らす蓮の花

 今回のウィーン訪問の目的の一つは、楽友協会のホールにある蓮の花模様の確認であった。楽友協会館内ツアーと演奏会に出て、ブラームスホールと黄金のホールの現地確認を行った。

    館内ツアーで管内の概要を見て回ったが、せわしなく詳細な確認ができなかった。4月23の日ブラームスホールでの演奏会で、ジックリと蓮の花(Lotus)模様がある壁や彫刻を確認した。3日後の4月26日、黄金のホールでも蓮の花模様を確認した。日本では佛様は蓮の花の台座に座ってみえるが、西洋の女神は冠に蓮の花模様を付ける。東西文化の差があって興味深い。その差は、その気になって観ないと見えない。自家のお墓に付けた蓮の花模様を現地現物で確認できて、このウィーン訪問が、2015年改建のお墓の仕上げ工程となった。

 

   西洋でもLotusは特別の花である。ギリシャ神話では、Lotusの実は、それを食べると浮世の苦しみを忘れ楽しい夢を結ぶと考えられた想像上の植物とされる。英国の自動車メーカのLotusも、表計算ソフト会社のLotusも、その意味合いから会社の名前にしたという。

   私の家のお墓を建立した松居石材商店さんが、2016年ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのTV放送を見て、蓮の花模様が黄金のホールにあることを見つけ、私に連絡してくれた。これが楽友協会とのご縁の始まりである。

 

   蓮の花は仏教でも特別の花である。泥の中に根をはり、水面に綺麗で清浄な花を咲かせる蓮の花の姿から、現世が汚泥の様な五濁悪世の中であっても、佛様の教えに導かれて、悟りの世界が開けられると言う意味が込められている。また、水を弾き、水面一面に大きく緑の葉を広げる様も、俗にまみれず、強く生きる事への象徴とされている。一貫して凛とした姿のある蓮を精神の清浄さと重ねて、佛教の最高の教えとして伝えられている。

   ワサビの花はその対極にある。ワサビは山奥の清流でしか育たない。ブラック企業とは対極の清廉なはずのお役所、聖職の場、有名大企業で、汚職や不祥事が絶えないのが不思議である。「現状がブラックだから」は言い訳である。どんな組織にもブラック的要素は存在する。リーダーはブラック的な状況にあっても、それをホワイトに変えるのが仕事だ。リーダーとは管理職ではなく、気づいて行動する人だ。よき環境ならボンクラ経営者でも、そこそこの花は咲かせられる。一流の経営者だけが、泥沼で美しい蓮の花を咲かす。ワサビの花の如く、人のアラは誰でも指摘ができる。

一流の経営者なら、不況の泥沼でも,蓮の花を社員の心に美しく咲かせる。

それが蓮の花言葉。

下図1はブラームスホールでの蓮の花模様。

下図2は黄金ホールの女神の冠に蓮の花模様。

下図3は黄金のホールでウィーンフィル演奏会の休息時間2017年4月26日

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2017年6月 1日 (木)

ウィーン楽友協会を表敬訪問   亡き人に出会う初体験

   2017年4月24日11時から1時間、楽友協会記録室長のビーバー・オットー博士を表敬訪問した。彼の室長室は楽友協会の奥の院のような場所にあり、迷路のような館内で辿りつくのに、セキュリティの厳しさもあり苦労をした。

 博士にお会いして、守屋多々志美術館の図録(ブラームが戸田伯爵夫人の琴の「六段」を聴き入る屏風絵を含む)と中井館長の挨拶状、私からの挨拶状、自著「魂が観るウィーン六段の調」(英訳併記)(初版)を贈呈した。1981年、守屋画伯がローマ法皇ヨハネパウロ2世に表敬訪問・拝謁して、バチカン美術館に寄贈した「ローマ法皇のもとに伺候する天草四郎の凛々しい馬上姿」の絵が、贈呈した絵画目録の図書の中にあることを話すと博士は大変喜ばれた。

   前日、ウィーン中央墓地のブラームスのお墓に参拝したこと、前日の古楽器演奏会を開催したブラームスホールにある模様は、蓮の花であることを話すと、博士もこのことを初めて知ったと驚いておられた。

   私の家のお墓の改建の話と黄鶴楼の故事の件をお話すると大変興味深い話と聞き耳を立てて頂いた。私の280年前のご先祖が、能の謡曲の歌い手で名人であったと推定され、そのお墓の揮毫を馬場恵峰先生にお願いしたことをお話した。そのおり「馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集」をお見せすると興味を持たれて、正式出版したら贈呈することになった。これもご縁です。用があるから行くのではなく、行けば用ができる。それがご縁の始まり。

   私のピアノの先生である河村義子先生が「六段」のコンサートを8回も企画・演奏を開催されていること、アップされているyoutubeのこと、河村先生が共演したティム、バルトロメイ、親交のある原教授のことにも話しが及んだ。

   最後に一階廊下のブラームス胸像の前で博士と記念撮影をして約1時間の楽しい友好的な会合が終わった。大垣市を始め関係者の皆様へよろしくとのこと。

   彼の名刺の裏を見たら、そこに日本名があり「音 美波」とあった。素晴らしい名前だ。博士が来日したおり、サントリーホールの社長が漢字の名前を付けてくれたとか。

 

   ベーゼンドルファーの営業マンは、「楽友協会はめちゃめちゃ敷居が高く、日本以上にお役所的であるので、返事は2、3週間後」と言っていた。それで半ば諦めていたら、面会依頼のメールを発信して僅か2日で返信が来たのは驚きである。その依頼メールも楽友協会の責任者に宛てたのであって、ビーバー・オットー博士宛てではない。その博士から返信が来たので驚嘆した。私は、彼は亡くなっていると聞いていた。私の心の中では、博士は既に亡き人であった。亡き人にこの世でお会いするのは初体験である。この縁は稀有な仏縁である。

 

 その経緯を「これは極秘情報ですが」と声のトーンを落として重々しく「日本では、ビーバー・オットー博士は亡くなられていると伝聞されている」と話したら、博士は急に胸を張って、「I am fine」とポーズをとり大笑いとなった。

 

下図はウィーン楽友協会 1812年建設。楽友協会ビルの裏側にベーゼンドルファーのお店がある。楽友協会がある場所が「ベーゼンドルファー通り」

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2017年5月26日 (金)

 大垣八幡神社

 建武年間、東大寺の荘園大井荘であった美濃国安八郡大井(現大垣市)に、東大寺の鎮護神である手向山八幡宮を勧請したのが始まりという。

1451年(宝徳3年)、現在地に移転する。  

戦国時代の兵火で焼失したが、1647年(正保4年)、大垣城城主、戸田氏鉄が再建する。この再建を祝って始まった例祭が大垣祭の始まりという。 

また大垣八幡神社には、下記の昔話が伝わっている。

昔、大地震が大和国(現奈良県)に地震が起きる。東大寺の僧侶が建物を見回ると、鎮護神である手向山八幡宮の御神体が消えているのに気づいた。慌てた僧侶や神官は全国各地を探し回った。

ある日、使いの一人が美濃国安八郡室村(現、大垣市室村町)に宿泊したさい、夢の中に八幡神が現れ、「私はこの地が気に入った。この先もずっとこの地に住もう。」と告げたという。慌てた使者は近隣を探したところ、安八郡藤江村(現、大垣市藤江町元八幡宮)の林の中で御神体を発見する。

使者はすぐに御神体を運ぼうとしたが、全く動かなかった。そこで近くの寺院の僧侶に相談したところ、「八幡様の御意思です。この地に祀るのが良いかと思います」ということとなり、この地に祀られたという。

 私は高校生の頃、父の勤め先の社宅に住んでいましたが、その名前が「大井荘」でした。定年前の5年間を、33年間住んだ刈谷市を転勤で、元、大和国(現奈良県)に移り過ごしました。そして現在の私の自宅住所は、元、美濃国安八郡室村(現、大垣市室村町)なのです。私は、定年前は、八幡の神様が逃げ出した同じ場所に住んでいて、定年後、八幡の神様が気に入った同じ逃亡先の地に住むことになりました。何のご縁でしょうか。危機管理に長けた、また一度決めたら梃子でも動かない性格の八幡様に自分自身を見るようで、親近感を抱きました(前の会社では機密管理・危機管理も担当していました)。

この室村町にこんな言い伝えがあるとは、この歳になるまで知りませんでした。その時にならないと出合えないご縁があるようです。不思議なご縁を感じました。

恵比須軕のお頭渡しの儀

   1679年(延宝7年)、第4代藩主戸田氏西公が恵比須神を祀るにあたり、先代の出身地である摂津の広田神社に祀られている西宮の恵比須神に、人を派遣し祈願したといわれる。現存の恵比須大神の人形は左甚五郎の作と伝えられる。

伝説によると、恵比須大神の人形の顔面の塗料が剥げていたので、塗り師が塗り変えようと顔面に手を触れた途端、口から火を吹いたといわれる。

 また祭礼の日に雨が降ると、恵比寿様が鼻を垂らすという伝説も残っている。

 本楽の夜、各町の軕が曳き分かれた後、その年の担当町から次の年の担当町へと恵比須大神の人形の御頭を渡す儀式「お頭渡し」が古来と同じ手順で、今も伝統行事として執り行われる。お頭はその次年度の担当地区の代表の家で保管される。ある家では、そのお頭は耐火金庫に納められて大切に保管される。毎月、1日と15日は、保管地区の神社でお頭を飾って神事が行われる。

 船町、伝馬町、岐阜町、宮町の4町内が一年交代で担当している。

  ウィーンは音楽の都、芸術の都。同じように大垣は水の都、文化の都である。大垣も大垣まつりの季節になると、町内で軕山車を曳いて回るときのお囃子の笛の練習音が響きてくる。大垣は音楽の都でもある。大垣は昔から交通の要所に位置して、東西の文化の交流が盛んであった。人の交流のある所に文化の花は咲く。