2017年9月12日 (火)

来振寺の供養の森

地蔵尊の永住の地

 105年間、室村町を見守られた室村町四丁目地蔵菩薩像は、来振寺の供養の森に安置される予定である。現在、来振寺の南側300mにある2万平米の山地を、供養の森として整備中で、平成30年春に完成とのこと。ここにご精魂が抜かれた地蔵菩薩尊や無縁佛の供養塔を建てる計画が進んでいる。この土地は先の濃尾大震災でもびくともしなかった硬い岩盤のため、供養の安住の地として最適である。岩盤が固いので、その分、開発も大変だとのこと。

 

 来振寺(岐阜県揖斐郡大野町)は霊亀元年(715)行基の創建と伝える揖斐郡内最古の名刹で、始めは法相宗で新福寺と呼ばれた。神亀2年(725)の夏、この地に黄金色の雪が降り、その瑞祥を伝え聞いた聖武天皇の命により、来振寺と改称し勅願寺に列せられたと伝えられている。七堂伽藍十二坊を建立し、後に真言宗に改宗した。

 鎌倉時代以降隆盛を極め、僧兵二百数十名を擁していたが、享禄3年(1530)6月3日の根尾川の大洪水で寺領の田畑を流失し、さらに永禄3年(1560)には、織田信長の兵火により伽藍・僧坊など全が焼失し、寺は頽朽した。

その後、慶長・元和年間(1596から1623)、豊臣・徳川両氏の朱印状を受け、領地を与えられたことにより再興した。

現在は、西美濃三十三霊場第二番札所と美濃新四国第五十五番札所となっている。

国宝の五大尊像のほか、薬師如来画像・十一面観音立像・大般若経・掛仏・駕籠など、県・町の指定文化財を多く有している。2月第1日曜日に行われる「節分星まつり」(町無形民俗文化財)は有名。

(大野町HPより)http://www.town-ono.jp/0000000474.html

 

図1 来振寺の看板

図2 来振寺の入り口

図3 来振寺の山門

図4 来振寺の山門

図5 来振寺 観音堂

図6 整備中の供養の森  2016年5月2日撮影

 

2017-09-12

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何もしなければ、座して死

 彦根城前に、江戸時代の商店の雰囲気を再現したキャッスルロードが整備されている。大垣駅前商店街の衰退を防ぐ対策の参考にするため、2017年9月2日、見学をしてきた。この街並みは、彦根市が国に補助金の申請をして、その通りの街並みを江戸時代の黒壁の雰囲気の街を再現した。そこに多くの飲食店、お土産屋が店を並べて歩くのが楽しい雰囲気である。多くの観光客が遊歩を楽しんでいる。飲食店が多くあるので、目移りして何処に入ろうかと迷うのがまた楽しい。

 添付の写真は、彦根キャッスルロードの2017年9月2日(土)お昼時の風景である。

 

悪魔のサイクル

 彦根キャッスルロードと比較して、大垣の顔であるはずの駅前商店街では、まずお洒落なお店が少なく、選ぶにしても入るお店が限定され、観光客にとって大事な選ぶ楽しみがない。それが大垣駅前商店街の最大の欠点である。ただでさえお店が少ないのに、市が無為無策の為、茹でガエル現象となり、だんだんと衰退しているので、益々魅力的なお店がなくなり、ますますお客の足が遠のいている。日曜日のお昼でも、歩いている人がまばらな貧相な街に成り下がっている。街の店主達が改善の良き提案をしても、街のボスが己の店の利益のために、その声を封じている。その片棒を市のヒラメの役人が担いでいる。悪魔のサイクルである。

 

行政の改革

 大垣市がやるべきことは、活性化の計画を立て、予算を付けて推進する。予算がなければ国から補助金を貰えるような計画を立案して、ユニークな新しい商店街を創出することだ。大垣市が言い訳で言うに、予算がないのではない、行政にその「気」がないだけである。何もしなければ、節約ができて、失政にならないと思っているからだ。駅前商店街の地盤沈下のあおりで廃業に追い込まれ、首を吊ろかとまで悩んで苦しんでいる市民がいるのに、それを無視する姿勢は、行政として犯罪である。予算がなければ、取ればよい、予算を見直し無駄を省いて予算を確保すればよい、市の活性化になる計画を立案して国に補助金を申請すればよい。何もやらないことが、一番罪が大きい。長の役目は、できないと思われていた課題を、智慧を出して解決すること。市長にその気がないなら、民意で首を替えればよい。

 

明日は我が身

 民間企業は、グローバル経済競争に巻き込まれて、世界と必死に戦っている。多くの民間ビジネス戦士は、過労死、メンタル病、リストラ、倒産の火の粉をかいくぐって戦っている。私の前職の会社も合併をしないと生き延びれないと状況に陥った。その中で、多くの仲間が病に倒れた。今はそんな時代である。それに対して、お役所は、減点主義の弊害で、何もしないように、失点をしないように、問題を起こさないように、起こさせないようにと、事なかれ主義で過ごせば、定年まで安泰である。倒産もない。民間が苦しんでいても、知らんふりである。その不活性化の政策を長年続けた結果が、現在のシャッター通り化になって現われている。大きな組織体の2割が壊死(50店舗が閉鎖)したのに、それに手も打たず平然としている。民間企業なら、社長の首が飛ぶ事態である。行政の無策のあだ花が咲いている。その花には腐臭の匂いがする。

 

行政の業務改革

 今を変えようと新しいことをすれば、失敗もあり血も流れる。しかし、改革をしないとじり貧になり、大垣市が衰退してしまう。今まで、トヨタ系企業で働いた目で見ると、現市政はあまりにぬるま湯的で、放漫経営に見える。好調なトヨタでは、乾いた雑巾でも時間が経つと濡れるとして、常に乾いた雑巾を絞るという業務改革を続けている。現代は、油断すれば、夕張市のように財政破綻する市も出る現代である。つい40年前まで大垣で繁栄した繊維産業は、今は影も形もない。

 現在は、幸いに工業産業が好調な大垣あるが、それが何時までもそれが続くかは、保証の限りではない。名経営者と言われた知人の大垣有数の会社でも人員整理、外部資本の受け入れの時代となった。好調なトヨタの仕事を請け負う企業が多く存在する大垣でも、電気自動車の時代になれば、どうなるか先行き不明である。そのトヨタでさえ、英仏のガソリンエンジン車販売禁止、ハイブリット車さえ否定する中国のガソリン車禁止通告(2017年9月12日 日本経済新聞報道)である。大垣行政の業務改革をしないと時代に取り残される。

  私は大垣を良くしたい。皆さんも声を上げてください。黙っていては、大垣は良くならない。同じことが大垣以外の街でも起きている。決してひとごとではない。

 

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2017年9月11日 (月)

大垣駅前フェリー沈没中

長浜市と大垣市との比較

 大垣駅前商店街の問題点を探すために、2017年9月10日(日)、長浜市の黒壁スクエアに比較調査に行ってきた。その旧市街の再生として進められた黒壁スクエアの賑わいぶりに感心した。それに比べて、閑散として人通りのない大垣駅前通りを見て考えてしまった。これは個人の努力では如何ともしがたく、市の行政として有能か無能かの違いであると確信した。市を活性化するという「気」がないと、市を良くはでない。大垣市の言い分はいつも「金がない」「できません」「申請書類を作るのが大変」であるが、やる気がないので、金ができても永遠に活性化はできないと思う。どうすればできるかを考えるのが経営者である。できない理由は、バカでも言える。近隣市には知恵を出して、市を活性化している市が多くある。お金がなければ、県や国の補助金を申請すればよい。

 トヨタ生産法方式を作ったトヨタ自動車工業 元副社長大野耐一氏に、「出来ません」などと言おうものなら「お前は何時から、占い師になったのか。やりもせんうちから、できませんなどと」とド叱られたという。大垣市長には叱ってくれる人がいない。

 経営の長として何もしないのが一番悪い。何もしないならその座を去れ、である。市の長として主座に座る以上は、決断して実行しなければ失格である。「主座」とは、決断をする役目である。行政は、グローバル経済の厳しい市場原理から逸脱して、市長の顔だけを見ているヒラメに取り囲まれている。そうなったのも、そういう環境を市長が作ったからだ。因なき果はない。

 

大垣行政の取り組みの傲慢さ

 一番驚いたのは、長浜市黒壁スクエアを歩き回って、その中、シャッターを閉めたお店が2軒しか目に付かなったこと。それもピカピカのシャッターである。シャッターに入居者募集中とある。それに対して、大垣駅前に雑然と並ぶシャッター50軒の多くが錆びサビで、見るからにみすぼらしく汚らしいのと対照的である。聞けば、閉店のお店がでると長浜市の観光課が、近くの市の商店街に誘致の声がけの活動をするとか。大垣の観光課では、以前の観光課某係長が「そんな誘致などの仕事を部下には、かわいそうだから、やらせるわけにはいかない」と陳情に行った商店街の人を門前払いしたという。要するに、市民のための仕事はしたくない、である。長浜市、彦根市キャッスルロード、犬山市でも市の行政が計画を立てて、商店街の活性化に力を入れている。大垣市長はそんなことは知ったことではない、である。早く新市庁舎の椅子に座りたい、である。現実の50軒のシャッターを閉めたお店の姿が、市長の本心の全てを現している。50軒は商店街の全体で2~3割にも上る。大垣市の未来の顔は、大垣市長が思った通りになる。大垣駅前商店街は、現在もシャッターを下ろす店が繁殖中である。それも速度を上げて繁殖中である。現実は正しい。この世では最高のことしか起こらない。何も手を打たないから、現在の姿がある。これで繁栄したら、他の努力している市を差し置くことになり、神様が困ってしまう。

 

ゆでカエル現象、痴呆症

 この50年間で、特に小川市長になってから17年間、何もしない弊害が市民にじわじわと影響を与えている。じわじわとシャッターを下ろすお店が増えていく。直ぐには気がつかないが、いつの間にか、シャッターを下ろす店が50軒(実質は100軒)にも達するが、それでも市長は目が覚めない。その影響が数百人の商店街従業員、家族に影響が及び駅前通りの衰退となっている。ゆでカエルは、少しずつ温められるので、その変化に気がつかない。今、50軒もの閉店で、駅前がシャッター通り化しても目が覚めなければ、痴呆症である。

  

大垣商店街という大船が沈没中

 50軒の店主の中には、経営不振で首を吊ることや夜逃げを考えた経営者もいるはずだ。大型店舗ヤナゲンB館(食料館)の閉店したテナントを含めると100軒を超すお店が消えた。その中には、己の生活を支えるお店の閉店には、悲しいドラマが多くあったはず。お店の閉店は、己の人生の死でもある。閉店した50軒のお店には、従業員や家族を含めると数百人の生活があり、それが殺された。大垣市長は、まるで大垣駅前商店街という大きな船が沈みつつある中、乗船客を見殺しにして、自分だけのうのうと助かった韓国フェリーのセウォル号の船長のようである。大垣駅前商店街が沈み、数百人が路頭に迷っても、大垣市政には、なんの危機意識もなく、手を打たない。行政として国のフェリー沈没事故の不手際と同じ責任を取らねばなるまい。それが日本全部の現象ならともかく、近隣には、観光客で賑わっている同規模の市が数多く存在する。なにせ大垣市議会でも、本件を取り上げる市会議員さえいない。市の予算にある市街地活性化の予算も調査費という名目だけで、何に使われていることやら、市民には全く分からない。

 下記で、現在の状況を比較に示す。詳細の分析は後日に。

 

 

長浜市              大垣市

長浜城の城下町として栄えた    中山道、美濃路と交通の要所

湖北地方の中心地         西濃地方の要所

1980年代に黒壁スクエアを再生  駅前商店街を放置

旧市街整備が進められた      シャッターが増えるばかり

滋賀県内最大の観光都市      西濃地方の工業の中心地

観光資源 豊富          観光資源 豊富

黒壁スクエアで          駅前通りで

シャッターが下りた店2件     シャッターを下した店約50件

                                                       (約2~3割)

人口  63,000          160,000人

JR 普通2本/時間(上り)    快速4本/時間(上り)

 

長浜黒壁スクエアの人通り

 図1 長浜黒壁スクエア 2017年9月10日(日)10:31

 図2 長浜黒壁スクエア 2017年9月10日(日)10:35

 図3 長浜黒壁スクエア 2017年9月10日(日)10:28

 図4 長浜黒壁スクエア 2017年9月10日(日)11:15

 図5 長浜黒壁スクエア 2017年9月10日(日)11:14

下記は一番、人出が多いはずの日曜日のお昼時の大垣の姿である

 図6 大垣駅前通り   2017年9月10日(日)12:27

 図7 大垣駅前通り   2017年9月10日(日)12:27

 図8 大垣駅前通り   2017年9月10日(日)12:28

 図9 大垣駅前通り   2017年9月10日(金)12:29

長浜と大垣のシャッター比較

 図10 長浜黒壁スクエア シャッター 2017年9月10日(日)

 図11 大垣駅前通り シャッター 2017年9月 8日(金)

 大垣まつりが世界遺産として登録され、多くの観光客が訪れる。その観光客に、この姿をさらすのは大垣の恥である。商店街の無能を示している。まるで汚れた下着姿を晒すのと同じである。他の店のシャッターもみすぼらしい。

長浜と大垣の駅比較

 図12 JR長浜駅    小じんまりとした駅のたたずまい

 図13 JR大垣駅    駅ビルは立派で、駅前商店街が貧相

 

2017-09-11

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インプラント 48(市販の解説本)

2.2 『インプラント革命』東山書房 青木敏明他著 2007年刊

 インプラントの解説本は、都合の悪いことは一切書かれていない。メリットが優先的に書かれている。一般にインプラントありきでの解説本が多い。この本を歯科医より無償で提供を受けた。これはインプラントの洗脳教育本である。

 Q&Aで計32項目があるが、危機管理上の都合の悪い情報は6項目である。すべて問題ありませんとの、データの裏づけのないコメントである。最大の問題のインプラント周囲病についても記載がない。金属アレルギーも問題なしとの簡単なコメントである。

 

2.3 『「いい歯科インプラント治療医」を選ぶ』週刊朝日MOOK刊 2012年

 本書は、基本的にはインプラントを肯定し、よい歯科医を推奨するガイドブックである。そこに掲載された医院の多くは、この企画に賛成して広告として自分の歯科医院のインプラント手術技術と設備の素晴らしさを宣伝として記事にしているガイドブック書であ。その前提で読まないと罠にはまるので注意が必要である。意識して読まないと、インプラントの肯定論に洗脳される恐れがある。

 しかし、インプラントの解説だけでなく、問題点や事件も多少は記載されており、またよく読むと、医師の本音もさりげなく記載されており、インプラントの情報資料としては使える。

 この書では、「高い売上げが見込める自費治療を増やしたい」との歯科医の実態が紹介されている。全国の歯科医に、某インプラントメーカから、下記のような広告が舞い込むようである。そのため、金に目が眩んだ歯科医が、たった1日の講習でインプラント手術をしてしまう例も存在するとか。

 図1のキャッチコピーを見てぞっとした。この広告の卑しさには、あきれ果てる。人の人格は付き合う人脈で決まる。ご縁は、その人の持っている人格や人徳によって決まる。それゆえ自分のレベルにあった縁にしか、出会えないもの。インプラントに傾注する医師達の品性を推して知るべきである。

 

図1 インプラントメーカからの広告

   『「いい歯科インプラント治療医」を選ぶ』週刊朝日MOOK刊より 

 

2017-08-11

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「桜田門外ノ変」の検証 (22)寺院経営

恩師への御奉公

  2015年11月24日、吉田松陰のお墓にお参りをしていたおり、その境内で女子学生30名ほどが掃除の奉仕活動をしていた。お参りをした後、隣接の墓地を見学していたら、女子学生たちが「恩師の墓」の前に整列して校歌を静かに合唱して、引率の教師と思われる方の講話と生徒の代表のスピーチが始まった。昭和女子大学の創業者や恩師のお墓に定期的にお参りをして創業の精神と恩師への感謝を伝える教育の授業のようだ。日本の美しい伝統を守る教育を目の前で見て、少し嬉しくなりシャッターを切った。学問の神様の松陰神社に、大学の創業者のお墓があるとは羨ましい。

 

神社・寺院の経営

 神社としては珍しく、松陰神社に隣接して、墓地と葬祭場が併設されていた。世田谷区のど真ん中で、すぐ横には国士舘大学、豪徳寺がある超一等地である。きっとお墓の一聖地もド高いのだろうと推察した。そこにお墓を持てるのは、一種のステータスのように思う。松陰神社の墓地や井伊家の菩提寺の豪徳寺の墓地には、ステータスとしての付加価値がある。お墓を持つにしても、競争率が高い墓地を経営しないと、お寺もやっていけない。現在は廃寺の問題が各地で起きている。高い付加価値を出せるお寺なら、廃寺の憂き目にもあわなくてすむのだろう。

 

地域密着型の経営

 もともと、お寺は地域の役所のような役割を担っていた。地域の住民と共にあった組織である。どれだけ地域住民に融けこんで、寺院経営が出来るかが問われている。お寺での集会が価値ある内容でないと、お寺で法要を開催しても人は集まらない。それと日頃の住民との交流があるかどうかである。その交流も住職の人格によって決まる。それは、ある人の交友関係が、その人のご縁と社会交際実績を作るのに良く似ている。

 

住職の法話の魅力

 昔は住職といえば、その地区の最高の知識人であり、人格者であって人々の相談相手や指導をしていた尊敬されるべき方であった。現在は情報がマスコミを通して溢れ、一般人の方が、知識レベルが高い場合もある。住職として俗世間とは離れた面の指導や知識がないと檀家は魅力を感じない。企業でも社長を観れば、その会社のレベルが分かるように、住職を観れば、お寺の経営状況が分かる。企業でもその社長以上の部下は育たない。法事でお経を上げるだけで、法話一つしない僧侶では尊敬されまい。葬式坊主と言われては、お寺経営も衰退の一途である。組織としての寺院のトップにお寺の興亡がかかっている。そのお寺が衰退して困るのは檀家である。

 あの住職の法話を是非聞きたいと思わせるオーロラ、話術、内容が伴う法話を話せる能力が求められる。私はこの5年間に、塩沼亮潤大阿闍梨の話を聞きたくて、その講演会に東京に3回と京都に1回と計4回も行ったことがある。それだけの魅力のある人格と法話であった。今は年に10回ほど、九州の馬場恵峰先生宅を訪問しているが、その目的は先生のお話を聞くのが大きなウエイトを占める。そういう魅力を寺院のトップは持たないと、寺院経営が成り立たない。

 テレビ真理狂軍団でも、あの手この手で視聴者を洗脳させようと必死である。なにせテレビ局は拝金主義教に染まっているから。そんなコンペチータに洗脳された檀家を引きつけるためには、お寺も相応の手段が必要とされる。 

 「結局一つの団体、組織の運営がうまくいくかいかないかは、ある意味ではその指導者一人にかかっているともいえましょう。その責任はすべて指導者一人にあるといってもいいと思うんです」(松下幸之助著『指導者の条件』)

 

図1 松陰神社 掃除の御奉公をする女子学生たち

図2 松陰神社 前方の鳥居の右奥が吉田松陰の墓所

図3 昭和女子大学の恩師の墓(松陰神社内の墓地)

図4 昭和女子大学の恩師の墓の前でお勤め

図5 松陰神社内の墓地  左手の石塀内が松陰の墓所

図6 松陰神社内の墓地  奥が葬祭場

 

2017-08-11

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2017年9月10日 (日)

地蔵尊の御心

 105年間、地区の住民を見守り続けた室村四丁目地蔵菩薩尊は、現在、お役目を終えて来振寺(岐阜県揖斐郡大野町)で休まれてみえる。お寺の山側の場所に仮安置されている。2016年5月2日、確認のため来振寺を訪問したが、入山禁止で鍵がかかって再会が適わなかった。不良業者が夜間に古い墓石等を不法投棄するので、その防止のためである。

 未練を残さず時間が来たら去る、それがこの世の掟。一度お別れをすると、この世では再会が適わない。昨日の自分には、もう二度と会えない。一期一会、今を大事にすべしと心を新たにした。

 

歴史の証人

 その行動が正しいかどうか、実行する前に考えたいもの。取り返しの付かないことを善意で安易にやることはないかと。105年間、風雪に耐えた地蔵尊像は歴史の証人の文化歴史遺産として保存すべきであったと思う。植民地強奪戦争の嵐の中、有色人種の日本人を人間と認めていなかった米国が、日本にした非道の証を示す証人であったと思う。米国が日本を無差別殺戮で苦しめているのを、地蔵尊はじっと見守っていた。焼夷弾の炎にも耐えて住民を見守っていた。今も続く占領政策の一環の政教分離は、日本の国力を削ぐためである。その米国は、大統領の就任宣誓式で聖書に手を置き、「神に誓って」と宗教色丸出しで宣誓をする有様である。政教分離などあったものではない。中国が靖国神社でクレームをつけるのは、日本の一致団結したときの強さを恐れてのこと。政教分離政策のため、お地蔵様を町内の公園に移設する案もままならなかった。

 地蔵尊をクレーンで持ち上げたときに、崩れるかと危惧したがまだまだ丈夫であった。しかしその時は遅かった。この地蔵尊改建計画は、自治会の役員会と寄贈元で決まったこと。役員でも班長でもない人達には相談もなく、全て決定してから回覧連絡があった。その時では動く力のない自分を情けなく思った。それはもっと力を蓄えよとの佛様からのメッセージであろう。それも佛の差配した佛縁である。遺族の方の意向とは違い、お地蔵様はこの地に残り皆さんを見守り続けたかったはずだと思う。

 

政教分離政策の弊害

 歴史を顧みないと、国が滅びる。室村町4丁目でも、自治会として地蔵盆をやらない時代が長く続いた。地蔵盆は宗教の問題ではない。子供達の健やかな健康を願う地域の願いの場である。1300年間も続く歴史行事である。その行事を中断していた時代を情けなく思う。占領政策の洗脳教育で、日本の強さの源泉たる神道を薄める政教分離政策が進められた。それだけ米国は強い日本の復活を恐れていた。個人主義が偏向して教えられて、欧米の利己主義、個人主義が氾濫する日本にされてしまった。その影響で写真を撮れば「家が写真に入るのでやめろ」とか地蔵盆のお下がりを投げ返すような輩が生まれる世相である。

 

己を律するもの

 個人主義とは義務を果たした上で、相手の人格を認め、社会のルールの中で個人の権利を主張することである。日本では権利ばかり主張して、社会のルールを無視して、義務を放棄している輩が跋扈している。最近も(2017年9月)、民進党の東大出の山尾議員が、社会の最低限の道徳・規範を守れないノラネコのように、ギャーギャーと下品なわめき声で、首相の揚げ足を取って悦に入っていた。人を見る眼のない前原党首が、その輩を幹事長に抜擢しようとした。今回の騒動で、前原党首に人を見る眼の無いことが露見したのは良いことだ。東大出とは記憶力という知識が優れているだけで、その知恵は経験ある賢人に劣る。それが今回の検事出身のプリンセスが、フリンセツであることが露見した。フリンセツが知識と口は達者であるが、知恵と道徳のないこと明らかになったのは喜ばしい。今の子供を駄目にしているのは、そういう親や輩である。我儘で強欲な人間を律するものが宗教である。そういう輩は、それに目をむけないので、対処不能である。己を律するのは、自分の信ずる宗教であり、ご先祖である。

 彼女の顔は不思議な顔をしている。人相学的に、今後、じっくり研究していきたいと思う。貴重なサンプルである。

 

2017-09-10

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インプラント 47(解説書)

2.解説書

 私がインプラント手術を承諾したら、歯科医院から分厚いインプラント解説書を渡された。今までのテクニカルライティングで学んだ知識と過去50年間で4トン分の書籍を読んできた知識から、この解説書に違和感を覚えた。ますますこの歯科医院が信用できなくなった。

 

5.1 歯科医院のインプラント解説資料

 私がかかった歯科医院作成のインプラント解説ブックでは、メリットを前面に出して宣伝しているが、都合の悪いことは一切記載がない。

 

1)表示例

・「10年を保証します。」

  つまり10年後は分からない、との表現である。10年後のやり直しのことは一切記載がない。体に埋め込む器材がなぜ一生保証でないのか。

・「3ヶ月~6ヶ月に一度の定期的な点検が必要」 

  一度その歯科医でインプラントの手術を受けると一生離れられない、との解釈が必要である。宗教とやくざと同じで足抜けが困難である。インプラント教の信者か? 経営者仲間からのヒアリング事例では1ヶ月に1,2度の頻度で定期点検が必要な例もあった。「その歯科医で手術した場合は、他の歯科医は面倒を見ない」との医師の事前説明資料がある。その医院でないと後々の定期点検はできないようだ。ますますその歯科医から離れられない恐ろしい世界であるようだ。

・免疫の件は一切記述なし

・手術の危険性の記載なし

 安心して手術をできる環境ですとの説明はあるが、どんな危険があるか、文章では記載なし。

・インプラント周囲病の記載なし

  インプラントの最大の問題であるインプラント周囲病については簡単な記載があるだけ。

・金属アレルギーに件も記載なし

・MRIが受けられなくなる件が、全く未記載

・処置の比較表なし     

  インプラントと入れ歯、ブリッジとの優劣比較表が、別資料ではインプラント優先で記載されている。インプラント解説ブックでは比較表はなし。

 

最初にインプラントありき

 インプラント専門医は、最初にインプラントありきで説明をする。特に私の担当歯科医は、自身が米国の大学でインプラント治療の研修を受けたのを誇りに思っているのか、インプラントありきで勧めてきた。

 

2)表紙

 この医院のインプラント解説資料には、医院名、作成責任者、日付がない。こんな資料は裁判になっても何の価値もない。この医院のレベルが推して知られる。ISO9001,ISO14001、QS9000等の国際規格での審査では会社名、作成者名、日付のない書類は、書類として認められない。私は前会社でこれらの社内内部監査審査員を長く務めた。内部審査対象の部門の書類には上記項目が書かれていることが基本前提となる。本審査ではもちろんである。この医院はISO9001に適合していない。

 

3)「欠損説明確認書(医院保存)」(私のかかった病院の場合)

 この書類は医師が手術前に患者に19項目の内容を説明して、確かに説明を受けましたと署名をする用紙であるが、この手術のデメリット、危険性の説明や、今後のリスクについては説明の項目はない。

 「欠損説明確認書」での19項目中の11番目に「支払い方法」のチェック欄がある。表記の順番は重要な順に記載するのが、契約書類の常識である。テクニカルライティングの基本でもある。他の命に関する重要なことよりも、11番目のチェック項目に「支払い方法」が記載されている。下記12から19番目の事項は、支払いよりももっと大事な要件である。これがこの病院の姿勢を端的に表している。金儲け主義の馬脚が露出している。支払いの項目は、この種のインフォームドコンセプト書類に書くべきものではない。支払い能力のない人は、インプラント手術などを受けないので、患者を馬鹿にしている。他の病院の例は知らないが、多分この業界のやり方は同じではないかと思う。

 

 12番目 エムズインプラントセンターの特徴について

 13番目 保証制度について

 14番目 痛みについて

 15番目 インプラント手術における偶発症

 16番目 当日の注意事項

 17番目 術後の注意事項

 18番目 静脈内鎮静法(麻酔)について

 19番目 インプラント手術契約書兼同意書

 

4)インプラント料金表

 インプラントの解説資料に料金表があるのは、致し方ないが、問題はその扱いである。本来、患者の立場では、お金の問題よりもインプラントの信頼性の事項が最大の関心である。しかし、医院側はそんなことより、お金のことが重要であるようだ。この料金表は資料の最初の方に掲載されている。また、異様なのは、支払いでクレッジトも使えますとの表示があること。正に金儲けの根性丸出しである。

 

 著作権や訴訟の関係で、「インプラント解説書」の画像の掲載は控えます。

 

2017-09-10

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「桜田門外ノ変」の検証 (21)松陰神社

松陰神社に参拝

  2015年11月24日、PHP主催の山本七平賞受賞式と祝賀パーティが帝国ホテルで開催されたので、上京した折、そのパーティに出席する前に松陰神社と豪徳寺に参拝した。このパーティでは、生前に渡部昇一先生の姿を見る最後の機会となった。会話を交わす機会を逸して、今にして残念に思う。

 松陰神社は豪徳寺から500mほど離れた近距離にある。2015年10月5日に豪徳寺に参拝したとき、元彦根藩家臣の末裔の方が参拝に見えており、松陰神社の存在を教えていただいたので、今回、ご縁があり参拝できた。

 吉田松陰は安政の大獄で連座してこの地で刑死したが、高杉晋作らが奔走して、その亡骸をこの地に改葬した。その後、松陰神社として祭られた。長州の萩にも松蔭神社があり日本には2つの松陰神社が存在する。

 今回、参拝する気になったのは、父の弟の小田五郎氏が、昭和19年、ビルマで戦死された。その戒名「護国院戦訓至誠居士」の「至誠」とは吉田松陰が好んで使った言葉である。また吉田松陰は、大老井伊直弼公により、刑死させられた因縁もあり、今回のご先祖探しのご縁としてお参りをした。

 

松陰神社と大垣とのご縁

 この吉田松陰先生の墓所の中央が吉田松陰先生のお墓で、その右側2つ目が幕末に思想家頼山陽の三男・頼三樹三郎の墓であることを説明看板で知って、大垣とのご縁の繋がりに驚いた。頼三樹三郎は安政6年(1859)に、安政の大獄に連座して、刑死した幕末の志士である。

 頼三樹三郎は、梁川星巌がコレラに罹り死亡する時、側にいて看取った縁がある。梁川星巌は、江戸時代後期、学問の大垣といわれた時の漢詩人で、現在の大垣の代表的文人である。

 梁川星巌(1789年~1858年)は、美濃国安八郡曽根村の郷士の子に生まれ、文化5年(1808年)に山本北山の弟子となり、同3年(1820年)に女流漢詩人・紅蘭と結婚した。紅蘭は江馬細香の妹である。星巌は紅蘭とともに全国を周遊し、江戸に戻ると玉池吟社を結成した。

 梁川星巌は、梅田雲浜・頼三樹三郎・吉田松陰・橋本左内らと交流があったため、安政の大獄の捕縛対象者となったが、その直前(大量逮捕開始の3日前)にコレラにより死亡した。星巖の死に様は、詩人であることにちなんで、「死に(詩に)上手」と評された。妻・紅蘭は捕らえられて尋問を受けるが、翌安政6年(1859年)に釈放された。

 歴史上の「もし」として、細香女史が望み通り頼山陽の妻になっていたら、安政の大獄で死罪になっていたはずである。井伊直弼大老が統括した安政の大獄での厳しい追求は、彼女の言動を見逃すはずが無い。そうなると女性漢詩人、画家としての江馬細香は存在しない。この頼山陽と結婚できなかった不幸なご縁は、彼女の才能を惜しんだ神様のご配慮かもしれない。

 

 梁川星巌の資料や経歴の書画は、「奥の細道むすびの地記念館」(大垣市船町)に展示されている。

 

図1 松陰神社

図2 松陰神社 奥が本堂

図3 吉田松陰像

図4 吉田松陰像説明パネル

図5 吉田松陰の墓所

図6 吉田松陰の墓所

   中央が吉田松陰のお墓、その右2つ隣が頼三樹三郎のお墓

   両端の2つの燈篭が、明治になり徳川家から謝罪の意味で奉納された。

図7 松下村熟の再建(オリジナルは萩にある)

図8 「洗心」と命名された手水場

図9 山本七平賞授賞式での渡部昇一先生 2013年11月27日

   この時、改めて名刺交換をさせて頂いたのは幸いであった。

図10 山本七平賞授賞式  2015年11月24日

図11 山本七平賞授賞式で乾杯の音頭をとる渡部昇一先生 2015年11月24日

   これが生前の先生の姿を見る最後となった。

 

2017-08-10

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2017年9月 9日 (土)

生きとし生けるものの教え

縁なき衆生

 私がお地蔵さんの姿を記録として撮影していたら、「うちの家が写真に入るのでやめろ」とけんか腰に喰ってかかってきた老人があった。地蔵尊のお祝いの席で、喧嘩腰の暴言を吐く愚かさに、老人の劣化と過剰な権利意識の発情が情けない。その老人には私が1年間、会うたびに朝の挨拶をするのだが、全く挨拶を返さない変人であった。縁なき衆生度し難し、と悟って、私はその老人を見たら避けることにした。君子危うきに近寄らず、である。親の劣化が子孫に影響を及ぼす。社会と共に生きるのが人間である。老人は、昔は社会を支えていても、いつかは老い、老人は社会から支えられる身となる。自分の位置づけを考えて、老いの道を歩みたい。縁なき衆生でも、己には生きざまの鏡である。反面教師として。地蔵尊は黙ってそれを見つめている。

 

異狂徒

 以前、ある班長さんが、ある西洋の宗派の家に、地蔵盆祭のお下がりを持って行ったら、ペスト菌の付いた汚らわしい品物かのように、それを投げつけられたと悲嘆にくれていた。たとえ宗派が違っても、班長として好意かつ責任感で届けたのに、である。当然、その家は町内の地蔵盆関係のお手伝いは一切拒否である。こういう排他性はカルト集団の教義のようだ。カルト集団の特徴の一つが排他性である。他は認めないのだ。子供は親の背中を見て育つ。その親ありて、子あり。子を見れば親が分かる。現在のその家の子の躾や非常識な行動を垣間見ても、それが分かる。その親は町内の付き合いを避け、町内の班長になっても義務としての公園草取り行事にも来ず、班長として満足にその勤めを果たさなかった。

 日本全国の経営者仲間の聞いても、今時、キリスト教徒でも地域の地蔵盆などの行事で協力するのは常識という。町内のキリスト教徒の役員さんでも地蔵盆の準備のお手伝いはしてくれる。旧約聖書では、キリスト教徒以外は福音が許されなかったが、新約聖書では「汝の敵を愛せよ」と寛容になり、キリスト教は世界的な宗教に変貌することになった。己の宗教的な都合を口実に、利己的に町内の行事に参加しないのは、異狂徒である。カルト集団と見なされてもおかしくない。

 欧州で移民問題、テロ問題が起こるのも、地域に溶け込まず自分達の宗教の教義に固執して、周りの社会に壁を作るから問題が起こるのだ。人殺しが起こる原因は己の利己心である。

 

非自分

 町内には自治会費さえ払わない家が存在し、町内公園の草取り等の行事にも出てこない。それでいてゴミ出しだけは堂々としている。ゴミ置き場の維持管理も町内自治会の皆さんの尽力があって成立している。子供はその情けない親の後ろ姿を見て育つ。情けない日本になった。

 

非人間

 地域で暮らしは、近隣の「人」との支えあいの生活である。「人間」とは人と人の間を生きること。それができない人は人間ではない。町内会活動は人の縁を結ぶ機会である。それをないがしろにするのは、地域社会の破壊行為で人間関係の砂漠化である。その親の後姿を子供は見て育ち、非常識で利己的な人に育つ。子供の教育は学校ではなく、家庭が真の教育の場である。

 

宗教の意味

 宗教とは人間の「宗(もとなる)」の教えである。生きとし生けるものが人間として守るべき戒律である。たかがお地蔵さんの背景に家の姿が入り込む程度のことで、また善意のお下がりのお菓子ぐらいのことでケンカ腰になる大人気ない姿に日本人の精神の劣化を感じた。価値観を受け容れない視野狭窄症の考え方は大人の幼児化である。自分の頭で考えられない。相手の価値観を認めず利己的に自分の価値観を押し付けるから、争いや戦争がなくならない。その結果が欧州のテロ頻発・難民問題である。

 日本人は正月を神道で祝い、バレンタインでチョコレートを餌に愛を語り、お盆を仏式で祭り、キリスト教のクリスマスを大騒ぎし、除夜の鐘を聞いてその一年の反省を神妙にする。平和な国である。すべてを受け容れて良いコト取りをした日本宗教である。外国では考えられない不節操な宗教ではある。そのために世界で一番宗教戦争の禍の少ない国である。

 宗教は茶筒のようなもの。切り方次第で形が違う。横に切れば真円、縦に切れば長方形、斜めに切れば楕円形である。宗教はどのように切っても、見える形は違うが、その本質は同じである。どの宗教も、人間としての禁則事項、やるべき推奨事項を教えている。それを特定の宗派の教義を掲げて、末梢的なことでの争いに終始している。仏教の教えは、生きとし生けるものの命を尊び、相手を受け容れ、足るを知ることから始まる。

 

2017-08-09

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Photo

「桜田門外ノ変」の検証 (20)冬夜(改定)

大垣藩と安政の大獄

「冬夜」の碑

 大垣市立図書館前の公園内にあるこの碑文「冬夜」は、勉学に励む当時の大垣藩の藩医江馬家の家庭の雰囲気を伝えている。文面の書もなかなかに名筆である。大垣藩は多くの学者や文人を輩出した「文教のまち・大垣」として全国に知られている。下記の詩は、当時、人生50年の時代にもかかわらず、80歳の父が時代の最先端情報である欧・蘭書を精読している横で、灯火を分け合って、娘(40歳)が中国の古典を読んで勉学に励んでいる様を格調高く漢詩にしている。毎朝の散歩でここを通る時、当時の大垣藩の教育と文化に思いを馳せる。

 

冬夜

            江馬細香

爺繙欧蘭書     爺は欧蘭書の原書を精読し

児読唐宋句     児は唐宋の漢詩を読む

分此一灯光     一灯の光を分かち合い

源流各自泝     物事の根本や時代を遡る

爺読不知休     爺は休みもせず読み続ける

児倦思栗芋     児は飽きて甘物を思う

堪愧精神不及爺   爺の精神力に及ばぬ己を恥じる

爺歳八十眼無霧   齢80爺の眼に曇りなし  (訳 著者) 

 

江馬細香

 作者の江馬細香(多保)(天明7年4月4日(1787年5月20日)- 文久元年9月4日(1861年10月7日))は、江戸時代の女性漢詩人、画家。美濃大垣藩の医師江馬蘭斎の長女として生まれる。大垣藩主の信任厚い藩医、江場蘭斎の長女として生まれ、この時代には珍しく高度な教育を受け、芸術面で才能を発揮した。少女の頃から漢詩・南画に才能を示し、絵を玉潾・浦上春琴に、漢詩を頼山陽に師事する。湘夢・箕山と号すが、字の細香で知られ、同郷の梁川紅蘭と併称された。頼山陽の恋人であった。

 蘭斎は細香が18歳になった頃、婿養子を迎えて家を継がせようとした。そのとき細香が「結婚しないで芸術の道に精進したい」とその気持ちを父に伝えると、蘭斎はあっさりとその願いを聞き入れ、妹の柘植子に婿養子を迎えてしまった。分かりのよい親である。現代でも難しいのに封建時代の話である。

 

頼山陽との縁

 文化10年(1813)10月、頼山陽は大垣藩の江馬蘭斎を訪ねて大いに歓待された。頼山陽は、江戸後期の儒者・詩人で『日本外史』の著者として広く知られている。明治維新の際に、勤王方の若い青年たちに広く読まれ、彼らの士気を鼓舞したといわれる。このとき細香と出会い、お互い好意を寄せる感情を抱いた。彼女は彼を尊敬し、門人になり「細香」という号をもらった。時に彼女は27歳の才色兼備の佳人であった。その後、頼山陽は多保(細香)に、求婚をしたが、江馬蘭斎が結婚には反対し実現しなかった。しかし、彼の才能を認めて娘の入門は許している。結局、頼山陽は別の女性(梨影(りえ)17歳)と結婚した。彼女は父が縁談を断ったことを知り、塞ぎこむ日々を送ったが、気を取り直し、話を戻してもらおうと翌春に上京して頼山陽の元を訪ねたが、彼は結婚した後であった。落胆した彼女ではあったが、その現実を受け入れ、その後、頼山陽が亡くなるまで20年間に7度、従学し、漢詩を師事し続けた。また頼山陽の母に対しても、子のように接した。頼山陽の死後も、彼の妻と姉妹のような交際が続き、ついに一生を独身で終った。頼山陽のような、才能豊かで人格も高く、当代きっての人物に知遇を得ると、他の男性が見劣りするのであろう。

 

安政の大獄

 頼山陽の影響もあってか、細香女史は、早くから勤皇の大義に目覚めて、慷慨国家を憂へた女丈夫でもあったようである。安政の大獄では、頼山陽の妻も牢に入れられ、子息も幕府から追われ、捕縛され斬首されている。

 歴史上の「もし」として、細香女史が望み通り頼山陽の妻になっていたら、安政の大獄で死罪になっていた。井伊直弼大老が統括した安政の大獄での厳しい追求は、彼女の言動を見逃すはずが無い。そうなると女性漢詩人、画家としての江馬細香は存在せず、「冬夜」の漢詩も存在しない。この頼山陽と結婚できなかった不幸なご縁は、彼女の才能を惜しんだ神様のご配慮かもしれない。

 

【江馬 蘭斎】(1747~1838)

 伝馬町で版木彫を職業としていた鶴見壮蔵の長男として生まれる。大垣藩侍医江馬元澄の養子となり、医学の道に進む。大垣藩主氏教の侍医を勤める。養父を師として漢方医として活躍したが、46歳で蘭学を志し、江戸で前野良沢や杉田玄白に学び、大阪・京都よりも早く美濃に西洋医学をもたらした。患者には慈悲深く接し、自らは倹約を第一義として、硯の水さえ井戸水を用いず、雨水を受けて用いた。優れた才知を持って学門に励むとともに、蘭学塾「好蘭堂」を創設し、多くの門人を世に送り出した。

 この時代にあって92歳までの驚異的な長寿を全うした。「冬夜」の書かれた当時、80歳でまだ現役として、西洋医学の研究に励み、若人の指導にあたり、最期まで現役として活躍された。理想とする人生の歩き方である。人生50年といわれた時代、また侍医として誰よりも保障された身分にもかかわらず、46歳から全く新しい蘭学の志ざした。だからこそ、92歳まで活躍されたのだろう。そんな名声を聞いて、頼山陽が江馬 蘭斎のもとを訪ねてきて、細香とのめぐり合いの縁が生じたのである。

 

 江馬 細香、江馬蘭斎に関する肖像画、軸、史料、現物は「奥の細道むすびの地記念館」内の「賢人館」(大垣市船町)で展示されています。そちらをご覧ください。

 

図1 「冬夜」の碑  2011年1月17日撮影

図1 「冬夜」の碑  2011年1月16日撮影

図2 奥の細道むすびの地記念館

 

2017-08-09

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