2019年6月 6日 (木)

仕事の報酬は何か?

「どんな報酬を欲しいですか?」

 これは、「修身」の講義で、私が新人にする大事な質問の一つである。

 

仕事の報酬

 仕事の報酬はお金でも、役職でも、地位でもない。仕事の報酬は仕事である。良い仕事をすれば、その能力に見合ったもっと高度な仕事が与えられる。その反対は、窓際族として「仕事なし」である。仕事がないほど、会社勤めで辛いことはない。

 私も一時閑職に追いやられ、周りが忙しそうに走り回っている姿を見せつけられ、鬱になりかけた。それほど仕事がないとは、危険な状態である。

 部下を辞めさせたかったら、仕事を与えないことだ。忙しいくらいに仕事を与えると、人は決して辞めない。

 問題は、会社では、忙しすぎるか、全く仕事がないの状態しかなく、程よい忙しさが存在しないこと。世の矛盾である。営利団体でないお役所は、閑でもやっていける天国である。

 

失業問題

 失業問題での一番の問題は、人間の尊厳にかかわることだ。だから、就職せず、引きこもりが原因で、2019年5月28日、川崎市で登校中の児童や保護者20人を殺傷し、自ら命を絶った岩崎隆一容疑者(51)事件が起きる。また元農林水産省事務次官の熊沢英昭の息子が引きこもりで、親に暴力を振って、事件の発生を恐れた熊沢氏が、息子を刺殺する事件が起きるのだ。殺された息子(44)は、就職もせず、家にこもりがちでゲームをしていた。口癖のように「俺の人生は何なんだ」ぶっ殺すぞ」と大声を上げていたという。仕事に就かないと、社会から断絶されたと思い込み、絶望感に襲われ、自暴自棄になるのだ。

 ローマ時代のカエサルは、この問題を良く理解しており、兵役で失業問題を解決して、ローマを繁栄に導いた。

 

仕事とは

 仕事が出来るようになるには、たくさんの経験をする。たくさんの失敗をする。多くの人に出会う。そうするとご縁が集り、多くの仕事ができる。

 The more input , the more output  (後藤悦夫師)

 栄えるには先ず根を育てる。根が育てばおのずと幹は育つ。

 

 あなたが社長で、右腕を選ぶなら、「数多くの経験をした人」と「経験の少ない人」とどちらを選ぶ? 答えは自ずと明らかである。報酬は後から追いかけてくるのだ。

 

 仕事が自分を成長させてくれる。土で出来た人間の体は、何時かは土に還る。生きている間に、その器に何を入れて、加熱して、昇華するかが問われる。

 死後に残るのは、仕事の実績だけである。お金ではない。お金はあの世に持って行けない。新入社員の貴方は、38年後、何を残して会社を去るのか。貴方は、60年後、何をこの世に遺して、あの世に逝くのか。

 ゴーン被告のように、金に執着すれば、汚名だけが残る。

Photo

  成長モデル

 

2019-06-06   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

A Hotoke-sama, saint of a man, who turn off the page of the life scene

「人生の譜面をめくる佛様(改定)」の英訳です。

        The page-turner is a Kuroko, a stagehand dressed in black assisting the actors during the performance. Many of the Page-turners are dressed in black. It's never noticeable on the stage. However, the page-turner is a leading figure behind life. Without it, no one's life does exist.

 

How to turns up the music

        I have taken photos of many performers and discovered that there were many ways of turning up the music. The most beautiful figure is that you set up a little before the end of the page, turn over the next page a little and turn over once the page has finished playing.

       At the graduation presentation concert, there was also an example in which a pianist and an eye signaled each other, and each other nodded and turned over the score. If you have such time, concentrate on playing.

In the case of Miss. Akane Kotone

       Miss. Akane Kobayashi was in charge of the Page-turner in the concert of cellist TIMM and Yoshiko-sensei at the Ogaki music hall (2017), and the concert of the Dresden Denrio and Yoshiko-sensei at the Quintessa Hotel Ogaki(2018). No sign of each other was not exist because they have a deep relationship with each other, so Miss. Akane Kobayashi was standing side by side at the proper time, turning over the next page, and playing that page when it is over, the sound also bursts. Mrs. Yoshiko left the score to Miss. Akane Kobayashi and concentrated on the performance.

         At the end of the student's graduation concert, there were also people who approached the hurry just before the score line and reached out in front of the audience to hear the page turning to the audience. The high-pitched paper sound that turned the pages made the beautiful piano performance enjoyable.

When a page-turner leaves the stage

       When the performance is over, most of the page-turners leave the stage quietly, like Kuroko, while the performers thank the audience. This is like a formal manner. When Miss.Akane Kobayashi thanked the applause of the audience, she applauded little, cluttered the score, and left the stage quietly. It looks like Kuroko's niece.

 

14k8a3347

24k8a3363

3p1020351 the concert of cellist TIMM and Yoshiko-sensei at the Ogaki music hall (2017)

4dsc04336 the concert of the Dresden Denrio and Yoshiko-sensei at the Quintessa Hotel Ogaki(2018)

A Hotokesama who turn off the page of the life scene

      In the life of a person, the pages of the life were turned over as time came, and according to the contents of the page, parents, grandfather and grandmother prepared for school bags and made procedures for admission to school. In those days, neither thanks nor thanks were enough. Looking back now, it is a sad feeling. However, time passed and my parents and teachers had silently turned over the pages of my life until I graduated from school. It looks as if Mrs. Roh has been peeking at the pages of my life's book. That niece also left me before me. He applauded him and said, "After my death, do my best in my life."

Life is like a music plays

        The principle of playing a song called life is life music. Draw a song of your own life and play it yourself. The song is written on the score I composed. I do not rely on anyone, I have to compose by myself and play a song, so I can not create a good life. And now it's my turn to take over the backing sheet as Kuroko.

        As long as I live, I have to put out my own life tone. Kannon is watching the sound. Otherwise, there are no excuses for Kannon and the ancestors who are watching over me.

 

 

Reveal the last score

         Sitting in front of the television all day is like playing a blank sheet of music without accompaniment funeral marching in the background, and having no idea. Playing the funeral march is something I do not do anything all day long. "Okuribito", person who send in funeral is oneself.

        The nightfall makes us go far and the finale is near. Unlike a concert, there is no encore in life. There is no life twice. All is once a year. The next page under the finger is a song of a funeral, and it is written. Hurry the way of life.

       In company life, I think that I have turned over the pages of my life desperately, but when I look back, I think that the page of that step has traced and played songs written by Mr. Akira in advance. It is not my power. My fellow friends let me play my song. Thanks.

      After 38 years of corporate life, it is time to turn the page of a new second life in your own life after retirement. If you sit in front of the TV all day without looking at the page yourself, it looks like you're sitting in front of the piano looking at a blank sheet of music.

 

5039a34191

Life is a book. A person who makes a mess, a careful reader, a person who reads it over and over again. This valuable book can only be read once. Let's cherish the book of your life.

 Writen by Keihou Baba

6039a34461

The book of life is the best book. It can not be closed or opened freely. I can not read attractive pages again. The page of fate is turned over by itself, and you want to go back to the page you are in love, but the page that has died is already under your finger

    Writen by Keihou Baba

2019-06-04   KUJINOKI Institute   Taisenn Oda

 e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2019年6月 5日 (水)

人生の譜面をめくる佛様(改定)

 譜めくりは、黒子である。多くの譜めくりは、黒い服装をしている。舞台では決して目立たない。しかし譜めくりは、人生の陰の立役者である。それなくして、自分の人生はない。

 

譜面のめくり方

 今まで、多くの演奏家の写真撮影をしてきて、譜面めくりのやり方に、多くのやり方があったことを発見した。一番美しい姿は、そのぺージの演奏が終わる少し前に構えて、少し次のページをめくり、そのページの演奏が終わったら一気にめくる、である。

 卒業発表演奏会では、ピアニストと目で合図をしあって、お互いに、うなずいて譜面をめくっていた例もあった。そんな暇があったら、演奏に集中せよ、である。

 

小林朱音さんの場合

 大垣での音楽堂でのチェリストTIMMと河村先生の協奏(2017)、クインテッサホテルでのドレスデントリオと河村先生の協奏(2018)では、小林朱音さんが譜めくりを担当した。二人には師弟関係で、深い信頼関係があるために、そんなお互いの合図もなく、小林さんは、しかるべき時に、スーッと横に立って構え、次のページを少しめくり、そのページの演奏が終わったら一気に音もたてずめくる。河村先生は、譜面を小林さんに任せっきりで演奏に集中である。

 学生の卒業演奏会の譜めくりでは、直前に急ぎ譜面に近づき手を伸ばし、観客席にまで頁をめくる音が聞こえるようなめくり方をする人もいた。頁をめくる甲高い紙音が、美しいピアノの演奏を興ざめにした。

譜めくりが舞台から去る時

 演奏が終わると、ほとんどの譜めくりは、演奏者が観客に礼をしている間に舞台から、黒子のように静かに去っていく。これが正式のマナーのようではある。小林さんは、二人が観客の拍手に礼をしている時、小さく拍手をして、譜面を片付けて静かに舞台を去っていった。まるで黒子の佛様のような姿であった。

14k8a3347

24k8a3363

3p1020351   TIMM & 河村義子先生 

4dsc04336  ドレスデントリオ & 河村義子先生

 

人生の譜面をめくる佛様

 人の人生では、時が来ると人生の頁が自ずとめくれていき、その頁の内容に合わせて、両親や祖父祖母がランドセルの準備や学校への入学の手続きをしてくれた。当時は、それに対して感謝の念もお礼も十分ではない。今振り返ると、情けない思いである。それでも時が流れて、学校卒業までは、両親や恩師が人生の頁を黙ってめくってくれた。まるで佛様が我が人生の本の頁を捲ってくれたようだ。その佛様も、いつの間にか私の前から去っていった。「私の亡きあと、一人で人生を頑張れ」と拍手をしながら逝ってしまったのだ。

 会社生活では、必死に人生の頁を自分でめくってきたと思うが、振り返るとその歩みの頁は、佛様が事前に書いた曲を、なぞって弾いてきたように思う。自分の力ではない。周りの仲間が己の曲を演奏させてくれた。感謝。

 会社生活38年間終えたら、定年後の人生で、自分の意思で新しい第二の人生の頁をめくる時なのだ。そのぺージを自分でめくれずに、一日中、テレビの前に座っているのでは、白紙の譜面を眺めて、ピアノの前で座っているが如きである。

 

人生は暗譜演奏

 人生の人生という曲を演奏する原則は、暗譜演奏である。自分で、自分の人生の曲を描いて自分で弾く。その曲は自分が作曲した楽譜に書いてある。誰に頼るのでもなく、自分で作曲して、曲を弾かねば良き人生は創れまい。そして今は、自分が黒子として、後進の譜面をめくってあげる番なのだ。

 生きている以上は、自分独自の人生の音色を出さねばならぬ。観音菩薩様がその音を観ている。そうでないと、見守ってくれている観音菩薩様やご先祖様に申訳がない。

 

最期の譜面をめくる

 一日中、テレビの前に座っているのでは、バックグランドに無伴奏葬礼行進曲が流れなか、白紙の譜面を眺めて、無為に過ごしているようなものだ。その葬礼行進曲を演奏しているのは、一日中、何もやることのない己なのだ。「おくり人」とは、自分自身である。

 日暮れて道遠し、フィナーレは近い。演奏会と違い、人生にアンコールはない。人生二度なし。全ては一期一会だ。うかうかしていると、指の下にある次のページには、葬礼の曲が書かれているやも。人生の道を急げ。

5039a34191

6039a34461  馬場恵峰書

2019-06-05   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2019年6月 4日 (火)

小川敏市長は大垣市民の敵?

 小川敏市長は、口では市民のため、市の活性化というが、実際の行動は大垣駅前商店街の店主達を滅亡させる政策ばかりである。その結果は、大垣駅前商店街の寂れたシャッター通りを見れば明らかである。大垣駅前の地価の下落をみれば明白である。小川敏市長は、大垣経済を衰退させた戦犯である。小川敏市長は大垣市民の敵である。

 

智慧とは

 元気ハツラツ市では、大垣駅前商店街と競合する露店が跋扈している。それでは、大垣駅前商店街は衰退の一途である。その愚策を大垣市は10年間も続けている。小川敏市長は、口では商店街の活性化に貢献と言いながら、その逆をやっている。そして大垣駅前商店街は衰退した。小川敏市長はその現実を見て政策を修正することもできない。小川敏市長は、間違いから学べない人なのだ。だから、大垣市はさらに衰退している。

 小川敏市長は知識があっても、智慧が無い。智慧袋(ブレーン)さえいない。そのブレーンも小川敏市長は首を切った。また市長を見限って去って行ったブレーンも多い。先の小倉市長時代には、優秀なブレインが多くいた。先代の市長と大違いである。

 東大は記憶力さえ人並み以上にあれば入学できる。智慧は不要である。小川敏市長は、この19年間の行政実績を見ると智慧とは縁のない人であるようだ。

 

元気ハツラツ市で露天商が跋扈

 元気ハツラツ市では、露店で不潔な路上に置いた商品を売っている。バッタ屋の商売である。こんな商売が大垣駅前通りで横行している。大垣の品位を貶めている。それを黙認している大垣行政は、世間の恥である。これでは大垣が発展するはずがない。大垣駅前商店街の商店と競合する商品を露店で売っていれば、既存の大垣駅前商店街の商店は衰退するばかりである。

 露店で購入した商品の後の保証はどうするのか。文句を言いたくても、問題が露見した時は、その店はどこに行ったか不明である。それを大垣市が保証してくれるのか。

 

違法行為?

 露店で売っている商品が偽物のブランド品や販売許可なき著作権違反のキャラクター商品かもしれない。その違法行為があるかどうかを商店街組合は管理もしていない。

 露天商がきちんと食品衛生法に準拠して営業しているかどうかを、商店街組合は管理をしていない。大垣市も、誰もチェックしていない。

 大垣駅前商店街の商店は、偽物も販売許可なき著作権付き商品も売っていない。ところが露天商は、違法販売や無管理状態で商売している恐れがある。これでは大垣の店舗は、露店商とまともに太刀打ちできない。大垣駅前商店街の全員が露店商売に反対している。それを無視して、小倉理事長は、露店商売を拡販している。なおかつ、大垣市はそれを黙認している。「大垣駅前商店街などつぶれれてしまえ」が小川敏市長の本音ではないのか。この10年間の小川敏市長の言動を見ると、そう思うしかない。なぜ市長は、商店主たちの意見を無視するのか。

 

露天商のやりたい放題

 露店商は決められた場所の範囲を逸脱して、商品を道路一杯に広げている。商店街の店主達は、決められた自分の店舗の区域をきちんと守って商売しているのと大違いである。ルールを破って商売すれば、儲かるに決まっている。ルールを守ったほうが貧乏くじを引くのだ。

1dsc06213s

2dsc06215s

3dsc06218s

4dsc06255s

5dsc06257s

6dsc06316s

7dsc06317s

8dsc06319s   元気ハツラツ市の露店  2019年6月2日

無管理状態の露店商売

 その逸脱行為を、小倉大垣商店街組合理事長も松本実行委員長も何も言わない。大垣市の役人も何も言わない。大垣駅前商店街の店主達が怒り心頭である。理事長、実行委員長、市役所の責任放棄である。これでは大垣の商売が乱れて、商店街が衰退するのも故あること。全てそれを管理している、大垣駅前商店街組合、大垣市が怠慢なのだ。その総責任者は小川敏市長である。だから小川敏市長は、大垣市民の敵なのだ。

 小川敏市長は、元気ハツラツ市に来ると、市外の露店商のあいさつ回りで忙しい。しかし大垣駅前商店街の店には決して足を向けない。小川敏市長は、一体、どこの市長なのか。

Dsc02543s

Dsc02568s

  市外の露店業者にあいさつ回りする小川敏市長

  しかし小川敏市長は大垣の店舗にはどこにも挨拶をしない。

  2018年8月5日、元気ハツラツ市

 

元気ハツラツ市の何故?

 ド素人が見ても、元気ハツラツ市が大垣商店街に害毒を与えていることは明白だ。県外の露天商が大垣駅前商店街の商売を邪魔しているのは、サルにもわかることだ。元気ハツラツ市を運営している彼らもバカではない。小川敏市長も小倉理事長も松本実行員会長もその弊害が分かっているはずなのに、それを口にせず、10年も元気ハツラツ市を続けるのはなぜか。

 行政の補助金垂れ流しの元気ハツラツ市の事業も、汚職を吸い寄せやすい体制である。なにせこの10年間、会計報告がないのだ。組合員がそれを会議で請求すると、役員から陰に連れ込まれて叱られるのだ。

 この10年間で1億円前後の金が消えた。効果は、大垣駅前商店街の衰退である。

 

大垣新市庁舎の建設の何故?

 大垣新市庁舎建設が、大垣商店街の活性化に何も貢献しないのは、誰でも分かることを、小川敏市長が、何度も声高らかにそれを言うのはなぜか。東大まで出ている市長が、その論法が間違っていることを知らないわけがない。

 2019年5月29日の商工会議所で、小川敏市長は、今年度の市政方針の発表をした。そこまで新市庁舎の建設のことを冒頭で過剰に宣伝するのはなぜか。新市庁舎の建設のことを最初に言うとは、その事が小川敏市長にとって最優先課題なのだ。誰かが、それを市長に言わせているのではないか。

 新新市庁舎の建設は、大垣経済の活性化に貢献しない。そんなことは商工会議所の会員ならだれでもわかる。それで何故、説明するのか。

 工事費120億円のカネに群がる業者間には、裏金が舞っていると考えるのが常識ではないのか。その費用は岐阜市新市庁舎建設より5割も贅沢なのだ。過剰な贅沢は、汚職の虫を吸い寄せる力がある。

 

大垣駅前商店街組合の何故?

 大垣駅前商店街に自分の店も持たないのに、それでも小倉氏が何期も理事長職にしがみ付くのはなぜか。それも密室での選挙で決まったのだ。

 松本氏の元気ハツラツ市実行委員長の任期は、一期の約束なのに、何年もその座にしがみ付いてその座を譲らないのはなぜか。その選挙も密室内である。

 大垣駅前商店街の店主達が大反対していても、それに耳を貸さず、元気ハツラツ市を続けるのは何故か。これらの職にはよほど美味しいものがあり、手放せないと考えるのが常識ではないのか。これを打破しないと、大垣は衰退の一途である。

 

大垣市制100周年記念行事予算マル秘の何故?

 この行事の予算は3億4千万円である。大垣市長が「勝手に」定めた条例により、その使用用途はマル秘扱いになっている。無理やり100個の行事を作り出し、税金を使いまくった。その予算の公金の使用用途が、何故マル秘なのだ。東大出の頭のいい小川敏市長は、その真の理由を知っているが、喋らない。マル秘にしなければならない理由があるのだ。

 

御用新聞の何故?

 岐阜新聞も中日新聞にも、このことはタブーのようだ。いまだ絶対に記事にならないことで明白である。報道すべきことを報道しないのは、フェイクニュースである。役所の言い分をそのまま掲載するのも、フェイクニュースである。

 

2019-06-04   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月 3日 (月)

頭でっかち智慧なき小川敏市長が、大垣を滅ぼす

智慧がないから大垣市衰退の実相が見えない。

 2019年5月29日、大垣商工会議所の定例会議で、小川敏大垣市長は、本年度の市政方針を説明した。そこで醜態の内容を発表した。もっと醜態は、それを聞いた役員議員や県議、市議や会社の経営者達120名が、誰も疑問を感じなかったこと。この記事を書いた岐阜新聞社も中日新聞社も同じである。それが御用新聞の文面に表れている。この両紙は何も大垣の経済の異常事態に気が付かないのか。小川敏市長の説明をそのまま発信する御用新聞は存在価値がない。

1p1120766s

  2019年6月30日、岐阜新聞

 

 小川敏市長は、市政方針の説明で「災害に強い、元気ある、楽しく子育てができる、ロボットを活用した街づくり」を、語った。すべてピント外れの市政方針である。頭でっかちで智慧がない有様である。小川敏行政には知恵袋(優秀なブレーンも逃げ出した)もない。

 「基礎工事をしっかりしている」というが、100周年記念行事の宴に酔い痴れて、行政の基礎工事を放置しているのは、小川敏市政である。

 

小川敏市長の認識

 災害に強い新市庁舎は、新しく作るなら、当たり前の話で、それを自慢するのもおこがましい。それより現在、大垣市の抱える災害に弱い箇所の対策はどうするかは、何も提言しない。自分の家(市庁舎)だけ防災対策をして、市民の家や市内施設は放置なのだ。

 2017年に水没した室村アンダーパスの事故の再発防止策は、まだ何も発表されない。その時、水没した久瀬川地域の対策はどうするのか、全く見えない。

   同じ時期に大垣駅前の地下道が水没した事故の原因とその再発防止策も、まだ何も発表されない。

 大雨が降ると、道路が寸断される大垣の道路状況をどうするのか。道路は、経済の血路である。小川敏市長は、その認識が欠如している。だから大垣市が衰退している。

 起きた災害事故の再発防止を的確にしない体制だから、災害に強い街づくりなど嘘っぱちである。大垣市の役人は火の粉を振り払い、その場しのぎの対処療養をするだけで、真因も追及せず、根本対策も取らない。何が、「災害に強い街づくり」なのだ。お笑いである。

2p1090449_1

 2017‎年‎10‎月‎23‎日、‏‎9:51 水没した室村アンダーパス。

 この事故の再発防止は、今だ発表されていない。

 

何が一番大事なのか

 論法の第一に「災害に強い新市庁舎」を持って来ること自体、小川敏市長は新市庁舎しか、考えていないことを示している。論文や話では、一番大事なことを最初にもってくるのが原則である。今、大垣市が抱えている問題は、災害に強い新市庁舎作りの問題ではない。だから小川敏市長の頭は狂っている。まず経済がなりゆかないと、元気になれないし、防災も教育も子育てもうまくいかない。大垣市は経済が衰退しつつある。それも小川敏市長が、愚策の元気ハツラツ市で、大垣の元気をなくしている。

 

大垣元気ハツラツ市を放置

 元気ある都市を目指すと言いながら、大垣駅前商店街は衰退の一途で、元気どころではない。全て小川敏市長の19年間の政策の失敗の結果である。全ての元凶は、大垣元気ハツラツ市である。5月の元気ハツラツ市で、勇気ある80歳の商店主が小川敏市長に噛みついて、改善策を提案したが、この6月2日の元気ハツラツ市では、なにも変わっていなかった。市民が提案しても、大垣市が元気になる手を何も具体的に打ってない小川敏市長である。市民の提案に「俺はそんなことは知らん」とほざく市長である。

3dsc06260_s

4dsc06262_s

 大垣駅前商店街 西側 シャッター通りとなっている

 すぐ横の大通りでは県外の屋台のオンパレード。県外の業者だけが儲かる。 

 2019年6月2日09:53、元気ハツラツ市 

 

子育ての嘘

 楽しい子育てができる街といいながら、小学校のエアコン設備率は2.1%で県下最低である。大垣市が子供を軽視していることも、エアコン設備率の数値が冷酷にその嘘を明らかにしている。

 元気ハツラツ市では、金儲けに大垣市長名で幼稚園、保育園、諸学校の園児たちを日曜日の炎天下の地獄の舞台に駆り出している。鬼である。なにが楽しい子育てなのか。虚偽のスローガンである。役人は平気でうそを言う。

5dsc06310sjpg

 元気ハツラツ市の金儲けの為、日曜日なのに、大垣市長名で駆り出され、踊らされる園児達。園長先生も、予算と人事権で縛られているので、大垣市長に逆らえない。夏の炎天下36度でも踊らされるのは、可哀そうな園児達だ。

 

ロボットは行政に手抜き

 ロボットを活用した新市庁舎の市民対応も、自分達役人が楽をするために、幼稚園児並みの知能しかないロボットに市民の対応をさせようとしているにすぎない。そんなことは、重点政策に取り上げる話ではない。ロボット活用は、自分達の仕事の効率化で、勝手にやればよいことだ。

6p1120293s

  出来合いのロボットを買ってきて並べただけ

 

ロボットより行政の合理化が急務

それよりも、行政の合理化が先である。無駄な組織と機能が重複している。例えば、災害時の弱者救援で

「ひとり暮らし高齢者台帳(大垣市高齢介護課)」、

「安心見守りネットワーク対象者一覧(興文地区社協)、

「大垣市ひとり暮らし高齢者等見守りほっとライン」、

災害時要援護者台帳(大垣市社会福祉課)」、

「災害時個別支援計画(興文地区社協)」、

「緊急連絡の手引き(興文地区社協)」

と同じような組織と台帳が6つもあり、担当組織が6つもあり、各々がダブっている。どこが主体的に動くのか、緊急時に機能するか、全く市民には分からなく、不安である。役職のポストを増やすために、担当課を作っているとしか思えない。税金の無駄である。

 

鉄のロボットより血の通った人の対応を

 大垣市民は血の通った大垣市役所職員の対応を、求めている。大垣市は、当たり前の市民サービスを知能の劣ったロボットで胡麻化そうとしている。現在、ロボットはプログラムされたこと以外は、対応できない劣った知能である。まだ20年は早い。

 それよりも大事なことがあるだろう、と言いたい。まず行政の合理化、大垣経済の立て直しである。それが市の方針のテーマにないのが最大の失政である。

 

現実から逃避の小川敏市長

 小川敏市長は、現在の大垣市が直面している問題を避けている。それとも現実の姿が理解できないのかもしれない。

 なぜ大垣が衰退しているのを問題にしないのか。大垣市の地価だけが、中部地方の他市に比べて下がっている。他市はリニア景気で地価が上昇しているのだ。それこそ大垣衰退の冷酷な事実である。地価はその都市の経済状況を冷酷に表している。地価は嘘を言わない。いわば、社会からレッドカードを切られたのだ。

 なにせ大垣駅前商店街の61%がシャッターを下ろした。それが目に入らない大垣市長である。この8月には百貨店ヤナゲンが閉店する。そうなれば、大垣駅前商店街の80%が店閉める計算となる。

 なぜ大垣を衰退させる元気ハツラツ市が、批判をされながら続けるのか。 よほど、癒着でよほど美味しいものがあるとしか思えない。なにせその行事の会計報告がこの10年間も無いのだ。不正、汚職を疑わざるを得ない。

7dsc06278_s

8dsc06293_s

  大垣駅前商店街 東側 シャッター通りとなっている

  2019年6月2日、元気ハツラツ市の当日

 

2019-06-03   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

「人生航路で沈没」を防ぐ智慧の力

 人生航路で沈没しないためには、押し寄せる荒波に対して復元力をもつことだ。大きな波を受けて船が右左に傾くのは自然である。それを無理に踏ん張るから、沈没する。大波を受けて傾いても、柳のように受け止めて、元に戻る力を持てばよい。それを受け流す智慧がなくて踏ん張るから、さらに傾いて沈没する。

 

コンプライアンスとはなにか?

 コンプライアンスとは、遵法精神とも訳される。しかしコンプライアンスの源義は、機械用語である。剛性とは、ばねを1キロの加重を与えて、バネが撓んだ値である。つまりばねの強さである。その逆数がコンプライアンスである。式に表すと下記になる。

 コンプライアンス=1/剛性(μm/F)

 コンプライアンスとは、ある入力の値の力に対して、どれだけ撓むか、踏ん張れるかを表す式である。

Photo

具体例

 船の設計では何が一番大切か?

 パワーステアリングを設計する場合、何が一番大切か? 

 人生航路で、何を重視するか? すべて同じ問題である。

 

 船がどんな波の力を受けようと、それに踏ん張る力があれば、耐えられる。それがなければ、柳のように受け流せばよい。それが復元力である。

 パワーステアリングで一番難しい設計要素は、真っすぐに走る操舵能力である。曲がるのは簡単だ。しかし道路のノイズである石ころや凹み等に邪魔されて、真っすぐに走るのが難しいのだ。道路の凸凹に影響されず、真っすぐに走る能力が、パワーステアリングに求められる。

 人生で試練を受けても、それに影響されず目標地に向かって突き進む能力のを表す言葉がコンプライアンス値である。賄賂を提示され、それで筋を曲げてしまえば、その賄賂金額がその人のコンプライアンス値である。それを高い値で持つことだ。それが難しければ、それを受け流す知恵を持つことだ。しかし、基礎体力としてコンプライアンスを高める努力は、人生で必要である。 

 

WASA号という事例

 WASA号は、1625年、スウェーデン国王 Gustavus Ⅱ世 Adolphus の命により建造を開始し、1628年に完成した。当時、世界最大の戦艦。

 排水量   1300 トン

 大砲     64 門

 乗員      435 人

 全長    61 m

 全幅       4.7 m

 全高       51 m

Photo_2 ヴァ―サ号博物館パンフレットより

 

ヴァーサ号博物館 見学記

 ヴァーサ号は、1628年に当時世界最大の木造戦艦として製造された。その約100 年前の1521年にスウェーデン貴族のグスタフ・ヴァーサがスウェーデンを建国し、1523年に王位に就いた。1630年に、ヴァーサ国王の孫グスタフ2世アドルフが、リボリアを征服し、ドイツの新教徒を保護するという名目で、ドイツに侵攻して、第3期30年戦争(スウェーデン戦争)を引き起こした。その後スウェーデンは領土を拡大して、大国時代を迎えることになる。当時スウェーデンは列強に伍し、その勢力拡大を計っていた。ただそれは長くは続かなかった。ヴァーサ号はその時代の戦艦である。その時日本は、やっと関が原の戦いが終わって、徳川の時代になったばかりである。当時の世界で、軍事大国で科学技術の先進国であったのがスウェーデンである。スウェーデンは、なんとドイツに戦争を仕掛けた歴史ある国でもある。かつ国王の名が、「アドロフ」には歴史の因縁を感じる。

 しかしヴァーサ号は設計ミスのため(頭でっかちの不安定構成)、1628年8月10日にストックホルム港から処女航海に出たところ、港湾を出る前に突風に会い、転覆沈没してしまった。大砲の積み過ぎが原因とも言われる。この点で、歴史的な名戦艦である。戦わずに平和的に?沈んだのだから、いかにも未来の平和国家スウェーデンを予見するようなエピソードと言える。とはいえ世界最大の戦艦を建造するとは、スウェーデンは当時の軍事大国であった。

 

 この艦は1961年に334 年ぶりに、水深31mの海底から引き上げられて修復され、現在はヴァーサ号博物館として展示されている。なにせ、沈んだ場所は分かっていたが、技術的な問題でこの時まで、引き上げることが出来なかったとか。極寒のバルト海の底に沈んでいたため、木造艦といってもあまり腐食もせず、原型をほぼ止めており、当時のスウェーデン黄金時代としての艦船装飾、彫刻像、備品等がつぶさに見えて、歴史的な鑑賞には興味深い。だだし、古い木造艦のため、暗く湿っぽい雰囲気はそんなにも楽しいものではない。

 

人生の沈没防止

 ヴァ―サ号は設計ミスで頭でっかちの構造だったのだ。象徴的なメッセージである。人生では、頭でっかちの人間が沈没する。人生では知識より智慧が重要なのだ。智慧が人生の沈没を防いでくれる。

 

人生の安定性

 人生で障害に出会って傾いても、沈没せず復元力があることが大事である。そのために平常心(揺れない心)、常を大切にする心が大事である。障害に出会って揺れてもいいのだ。揺れたら、元に戻る力を持てばよいのだ。

 その心は、準備、実行、後始末、整理整頓(6S)、危機管理から生まれる。

 

アンタは、なんぼで堕ちるんや

 遵法精神というコンプライアンスとは、己が提示された賄賂金額で、曲がるかどうかの値段の意味である。100万円で違法行為を許容すれば、己のコンプライアンス値は100万円である。違法行為に対して、せめて100兆円くらいのコンプライアンス値を持ちたいもの。国家予算と同じだけの金があれば、日本を変えることが出来る。

 

2019-06-03   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月 2日 (日)

Rregret to Mrs. Yoshiko Kawamura

河村義子先生への弔辞(改定) 英訳

        At the funeral of the Mrs. Yoshiko Kawamura on December 27, 2018, Mr. Shigekatsu Tanaka, Executive Secretary of the "Enjoying First-Class Music in the World association", gave a regret. I had heard this for the first time. I had known the greatness of Mrs. Yoshiko Kawamura's activities.

 

Achievement

        Mrs. Yoshiko Kawamura had a close relationship with the German Stuttgart Strings Sextet, Dresden trio, and cellist TIMM, and was bridged by music between Ogaki and Stuttgart. Yoshiko-sensei had contributed to the promotion of Ogaki culture at the world level.

        Yoshiko-sensei, who reproduced on the stage of "Rokudan in WINE" by Mrs. Maru Kiwako Toda, taught us the history of Ogaki-Vienna's music exchange. That's why I was able to visit the Vienna Musikverein and pay a courtesy visit to Dr. OTTO BIBA , the director of the Vienna Musikverein who visited Ogaki 30 years ago.

        Yoshiko-sensei had pioneered Ogaki's musical culture through music activities such as “the Kanadenowa contest”, “Kotone” and , "Enjoying First-Class Music in the World association", in-housing contact concerts, and nursery concerts. Yoshiko-sensei had built many music heritage sites in Ogaki and had raised her successors.

 

 

A turn of fate

  When Yoshiko found a lesion five years ago and found that she could not live as a pianist after surgery, she stopped the surgery and chose the course of treatment for coping therapy and decided to live as a pianist until the end of her life.

  It is also a turn of fate, I had met her as a piano teacher at the same time. She didn't notice it around, didn't emit a loud sound, and I have awe of her. As I thought, I was suggesting from her words in many scenes, but I was not aware of it.

  Since I got along with Yoshiko-sensei, I had met many good friends. I am more than grateful to see the good relationship with Yoshiko-Sensei rather than the sadness of parting. If there is a encounter, there is a parting, this world's impossibility. The better you meet, the more sad you are.

 

Summary

  Mrs.Kawamura Yoshiko, discipline name " Holy watch temple teach music righteousness love sister", means to watch over his disciples with a Kannon-like eye, teach music and dedicate to love for Righteousness. Yoshiko-sensei was a warm person who made one stay in the rain during the hard times in life. This name is a wonderful name that summarizes Yoshiko-sensei's life. I pray for the well-being of Mrs. Yoshiko Kawamura. Conspiracy.

 

 Below is Mr. Shigekatsu Tanaka's Regret

 

Regret

 

Yoshiko-sensei

I am very sad. I have to say sad farewell words.

Yoshiko-sensei had loved the music hall of the Ogaki City Suitopia Center.

  When I was the Executive Director of the Ogaki Culture Corps, I asked for support as a music expert, and I was happy to be an advisor for he Ogaki Culture Corps.

 

  I agree with the desire that the piano always resonates with Suitopia Center, and when I go to purchase a piano that can be used in the lobby to Hamamatsu, Yoshiko-sensei choose the piano. She said that he is wanting to come to Ogaki.

 

  Also, when we overhauled the culture hall and the Steinway & Sons piano in the music hall, I was thinking about giving away to everyone the hammer of the piano played by many people. At Ogaki Municipal Hospital, we asked you to purchase the piano at the lobby concert together. All the pianos were selected by Yoshiko-sensei.

 

  Yoshiko-sensei had been continuing nursery school concert for the children as one of the activities of Kasumi-kai. When we decided to work on such a project to give children a dream as a cultural gift, Yoshiko-sensei had added a program to train students to the next leader.

 

  Furthermore, I also had asked Yoshiko-sensei Christmas concerts at the music hall and the cultural hall, for the sake of classical music to children. Moreover, it was a first time, accompanied by foods and drinks that I had never been to.

  They listened to music, ate sweets, enjoyed only juice, and also enjoyed music and the valley. In the culture hall, we decided to enjoy caramel popcorn in the lobby, so the whole lobby was surrounded by the smell of caramel and the cheers of children. Yoshiko-sensei had told this many times as pleasant memory that such a thing was able to be done.

 

  In these activities to bring up children, Yoshiko-sensei had started up “Kotone(child and sound)”, developed into “Kotone kids”, and they were bridged to the next generation.

 

  After I resigned as Executive Director of he Ogaki Culture Corps, Yoshiko-sensei wants children enjoying the world's top music. For this response, we had been helding the conncrets, Ashinaga concert. After this concert, the collection of impressions of the concert was filled with the excitement of the children, and we were delighted to be with you.

 

  At the second concert of this year, Yoshiko-sensei was forced to be hospitalized due to her illness on the way, and on the day before the operation she was forced to create a program in a difficult time. Besides, she was not able to listen to the concert. However, when she received the review from children, she was really happy and I was just hapy too.

 

  The other day, when I went to the hospital room, Yoshiko-sensei told with a bright eye about the third concert scheduled in September next year. As a performer, I received an e-mail immediately after saying that I had a letter asking President Sawa of Tokyo Art university to promote it.

  But for this Henschel reply, Yoshiko-sensei cried ”I can not keep my life until November!”.by an e-mail to me.

 

 

I'm surprised at your death too early.

Yoshiko-sensei was raising people through music.

   What kind of tone is it in now? Are you listening to Brahms and the Rokudan in Wine?

   A great tone is engraved in the mind of many students, and the power to live with music must grow. Music is a source of heart.

Please keep an eye on the growing students.

Thank you very much Yoshiko-sensei!

 

December 27, 2018

Executive Secretary of the "Enjoying First-Class Music in the World association"

Tanaka Shigekatsu

 

英語でのメッセージ作成のため、見直し改定しました。

2019-06-02   久志能幾研究所 小田泰仙

KUJINOKI Institute Taisen Oda

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

河村義子先生への弔辞(改定)

Rregret to Mrs. Yoshiko Kawamura

 2018年12月27日の故河村義子先生の葬儀で、「世界で一流の音楽を楽しむ会」事務局長田中重勝さんが弔辞を述べられた。私はそれを聴いて、初めて河村義子先生の活動の偉大さを知った。

 

功績

 河村義子先生は、ドイツのシュッツガルト弦楽六重奏団、ドレスデントリオ、チェリストTIMMとの親交があり、大垣とドイツを音楽で橋渡しをされた。義子先生は、世界レベルで大垣の文化を高めることに貢献された。

 義子先生は、戸田極子伯爵夫人の「ウィーンの六段の調べ」を舞台で再現して、大垣とウィーンの音楽交流の歴史を我々に教えてくれた。そのご縁で、私はウィーンの楽友協会を訪問して、30年前に大垣を訪問された楽友協会記録室長のビーバー・オット博士を表敬訪問することができた。

 義子先生は、カナデノワコンクール、子と音、「世界で一流の音楽を楽しむ会」、院内ふれあいコンサート、保育園コンサート等の音楽活動で、大垣の音楽文化を開拓された。義子先生は、大垣で多くの音楽遺産を築き上げ、後進を育てられた。

 

総括

 河村義子先生の戒名「聖観院教音義愛大姉」は、観音様のような眼で弟子を見守り、音楽を教えて愛のために義に奉じた、という意味である。義子先生は、人生の辛い時、雨宿りをさせてくれるような温かい人であった。この戒名は、義子先生の人生を総括した素晴らし戒名である。河村義子先生のご冥福をお祈りします。合掌。

 

 

下記は田中重勝さんの弔辞

弔辞

義子先生

 こんなにも早く、悲しい別れの言葉を述べなければならないなんて、とても残念でなりません。

大垣市スイトピアセンターの音楽堂をこよなく愛した義子先生。

私が文化事業団事務局長の時には、音楽の専門家としてサポートをお願いしたところ、快く文化事業団アドバイザーを引き受けていただきました。

 スイトピアをいつもピアノが響き渡っているところしたいとの思いに賛同していただき、ロビーでも使えるピアノを浜松へ購入に行った時は、この子が来たがっていると、小躍りするようにピアノを選定していただきました。

 また、文化ホールと音楽堂のスタウェイをオーバーホールした時には、多くの人が演奏した思い出のピアノのハンマーを皆さんにプレゼントすることを一緒に考えていただきました。大垣市民病院でも、ロビーコンサートでのピアノを購入していただくよう一緒にお願いをしてきました。どれも義子先生に選んでいただいたピアノが設置されています。

  また小さな子ども達にも本物の音楽を聞かせたいとの願いから、かすみの会の活動の一つとして保育園コンサートを続けておられたました。子ども達に夢を与えるこうした事業を文化事業団の芸術の贈り物事業として取り組む事とした時には、教え子達を次の指導者に育成するプログラムを加えるなど人材育成に余念がありませんでした。

 さらには、小さな子どもにもクラシックをとの思いから、クリスマスコンサートを音楽堂や文化ホールで行っていただきました。しかもこれまで行ったことのない飲食を伴うもので、音楽を聴いてお菓子を食べ、ジュースをのみ、また音楽やバレーを楽しむものでした。文化ホールでは、ロビーでキャラメルポップコーンを楽しむこととしたため、ロビー全体がキャラメルの匂いと子ども達の歓声に包まれることとなりました。こんな事が出来たことを楽しい思い出として何回も何回も聞かせていただきました。

  こうした子ども達を育てようという活動の中で、子と音の立ち上げ、子と音キッズへと発展させ、次の世代への橋渡しもなされてきました。

  私が文化事業団事務局長を辞したのち、世界で一流と言われた演奏家の招へいと子ども達に本物の生の演奏を聴かせたいとの願いを受けて、世界で一流の音楽を楽しむ会を立ち上げ、多くの企業の方にも応援していただいてあしながコンサートを開催してきました。このコンサート後の感想文集には、子供たちの感動があふれており、開催してよかったと一緒に喜びあいました。

 本年の2回目のコンサートでは、途中から病により入院を余儀なくされ、手術の前日で、苦しいなかでプログラムを作成していただくこととなってしまいました。しかもコンサートを聴いていただくこともできませんでした。しかし、感想文集を届けたときには本当に喜んでいただくことができ、ホットしたところです。

  先日、病室に伺ったときには、来年9月に予定の3回目のコンサートについて、輝くばかりの目でお話をいただきました。演奏者としてヘンシェルはどうかと言って、早速メールをされましたので、私は東京芸大の澤学長にプロモーションをお願いする手紙を出しました。

 でも、ヘンシェルから9月は無理で十一月ならとの返事に、それまでは私はもたない! 重勝さ―ん とメールで言ってこられた義子先生。

  あまりにも早い旅たちで驚いています。

  音楽を通して人を育てる夢に全力で立ち向かわれた義子先生。

 いま、どんな音色の中におられるのでしょうか。ブラームスと六段の調べをきいているのですか?

  多くの教え子達の心には、素晴らしい音色が刻まれ、音楽とともに生きる力が育っていくに違いありません。音楽は心の糧です。

成長する教え子の皆さんの姿を見守り続けてください。

義子先生本当にありがとう!

平成三十年十二月二十七日

世界で一流の音楽を楽しむ会

田中重勝 

 

英語でのメッセージ作成のため、見直し改定しました。

2019-06-02   久志能幾研究所 小田泰仙

KUJINOKI Institute Taisen Oda

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月 1日 (土)

磨墨知〇〇  記念品抽選会に出ない

無料景品抽選会は時間泥棒。出てはいけない。

 2019年6月1日、「奥の細道紀行330年 記念シンポジウム in おおがき」に参加したら、イベントの最後に記念品の当る抽選会があった。推定で約15分から20分の時間が予定されていたので、メインのシンポジウムが終わったら、私はサッサと退席した。当たるかもしれないが、確率的に当たる確率が低く、得べかりし利益が薄い抽選会に時間をかけるのは、残された時間の短い私には耐えられない。

 もし景品に当っても、せいぜい2,3千円の景品である。時間アワーレート、一分100円、一時間1万円と計算している私には、時間価値がペイしないと判断した。

 2000円の景品の当選確率が50人に一人と仮定すると、その利得は、

  2,000円×1/50=40円

 つまり20分も時間をかけて40円の利益が想定される。1時間に換算して120円である。その間、退出して別で稼げば、10,000円の利益である。

 大垣市は、市民から貴重な時間を泥棒している。景品も税金から出ている。シンポジウムを開催して、景品を出すのは、税金の無駄遣いである。

 大垣市は約300名の市民の20分間の時間を強奪した。金額換算で百万円の損害である。

 金額換算 300人×20分÷60分×10000円=1,000,000円 

 

仏様からのご褒美

 メインの行事が終わって、私は会場を先に飛び出しエレベータに乗ったら、大垣市長と商工会議所会長、おつきの人が続いて乗り込んできたのには仰天した。エレベータの密室で4人きりとなった。今回のイベントの景品の大当たり(?)である。仏様も味なことをすると思った。もっとも5階から1階までの間、私は無言で過ごして、3人の会話を聞いて楽しんだ。ここで私が発言しても場違いである。私は無駄なことはしない。

 

P1120783s

    開演中は撮影禁止のため、開演前の写真しか撮れなかった。

車販売店の抽選会

 今年の4月、地元の車販売店主催の感謝イベントでピアノコンサート(無料)があり、そのコンサートの後で豪華(?)景品(精々数千円?)が当たる抽選会があった。その抽選会はディーラの店員の紹介と景品の抽選会で、それが延々約30分間も続いた。イライラさせられた上で、その抽選に私は当たらなかった。わずか数千円の景品の当選に、発表を勿体ぶって時間をかけるのは、客を馬鹿にしている。これで30分間の人生時間を無駄にした。原価5,000円の損害である。無料のコンサートは、実質的に5,000円となった。この世で只のモノはないことを思い知らされた。

 しかし、無料ピアノコンサートだから、後の社員紹介と景品抽選会はディーラの宣伝なので、義理で出席してあげないと不義理をかくことになる。この資本主義の社会で無料のモノはないのです。こんど無料の招待券が来たら、辞退することにした。時間は命である。

 ディーラも顧客のことを考えるなら、時間のかかる抽選会は逆効果である。客に商品を進呈したいのなら、当選番号を会場に張り出せばよい。時間の節約となる。よほど客に喜ばれる方法である。 

 景品で客を釣るのは、場末の店のやり方である。二度と行きたくなくなる。

P1120659s_3

人生のテーマ

 「奥の細道」のテーマは、旅と出会い(契り)である。限られた人生の旅の時間内で、何に出会い、何の出会いを避けるのかが問われる。主催者の意図に踊らされて、時間を無駄にしてはならない。全てのモノは同価値である。景品抽選会に出るのも、出ないのも同価値である。それを自分の価値観で判断しないと、主催者の奴隷となり、流されてしまう。それでは他人の人生となってしまう。人生は自然との融合である。(無価値の)景品につられた人生であってはならない。

2019-06-01   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年5月31日 (金)

修身講座で、落し穴に落す快感

働く目的 

 「修身」の講義の冒頭で、私は新入社員の技術者たちに「君たちは何のために働くのか?」と質問する。答えは決まって、

「ハイ、お金のためです」「生活のためです」である。

 「では」と、私は追い打ちをかける。「計算を単純化するため、年間1千万円の給与とすると、10年間で1億円である。30年間働くとすると、合計3億円の金が貰える。奮発してそれを6億円としよう。今、その金を貰えたら、どうするのか? それでも働くのか?」 その返答が面白い

「会社を辞めます」、「遊びます」、「趣味の世界に没頭します」

 しめしめ、相手は落とし穴に落ちたと私は、ほくそ笑む。

 さらに追い打ちをかける。「ではその趣味(ゴルフ、旅行、映画、テニス、ゲーム等)だけに毎日、8時間、30年間も没頭できるのか?」

 新入社員の相手は返答に困ってしまい、逃げで

「まず貯金をして、働きます」である。少し骨のある子は「事業を始めます」である。やはり働くのではないかと、私は笑いで質問を終える。

 これは当初の意図通りにシナリオで、講師冥利に尽きるオープニングである。

 

趣味と仕事の差

 趣味は、仕事の合間に気晴らしでやるから面白い。それを連続1週間もやれば、苦痛になり、最後は地獄である。いくら囲碁が好きでも、プロでないと1週間、連続では打てない。どんな趣味でも同じである。囲碁が仕事なら、それは別である。

 それに対して、仕事はやればやるほど面白くなる。仕事に命を懸けるほど集中すると、報酬は二の次になる。それが趣味と仕事の違いある。

 あるプロゴルファーは成績が伸び悩んでいて苦しんでいた。それで試合の懸賞金の何パーセントかを、ある施設に寄付することにしたら、それが目標になって、トップクラスのプロになったという。人を喜ばせる善意の行為が人にモチベーションを与えたのだ。

 

誰のために働くか 

 利己的な目的で働き、ある程度の成功を修めると、そこで活動が止まってしまいがちである。モチベーションが続かないのだ。ところが組織の為、お国の為等の大義があると、それの限度は無限となる。人・組織への奉仕や人に喜びを与える仕事には遣り甲斐がある。

 

仕事の意味は何か? 

 仕事を通して自分の成長である。お金を払っても、難しい仕事に取り組んで、自分を成長させるべきなのだ。後から仏様のご褒美でお金はついてくる。多くの人は、そのお金を目的に働くから、幸せになれない。それではお金の奴隷になってしまう。

 

生きるために働くのか?  働くために生きるのか?

 生きる目的はなにか、働く目的はなにかを自身に問いたい。働くとは、生きること。「生きる」と「働く」とが別々にあるのではない。両者一体で、表裏の関係である。

 働くとは、仕事を通して自分の能力・魂を磨くこと。仕事をするとは社会に価値を作り出すこと。人に命令されてやっているだけなら、また生きる為だけなら、動物と同じ次元である。それは生きているのでなく、生きながらえているだけである。それは、脳死状態の植物人間が、生命維持装置で生かされているのと同じである。

 

アインシュタインの言葉

 1922年、アインシュタインが来日して日本の学生たちと対談したとき、一人の学生が「人間は何のために生きているのですか?」と質問した。

 アインシュタインは「そんなことも分からないんですか。人を喜ばせるためです」と呆れたように答えたという。

 

2019-05-31   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。