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2019年5月31日 (金)

修身講座で、落し穴に落す快感

働く目的 

 「修身」の講義の冒頭で、私は新入社員の技術者たちに「君たちは何のために働くのか?」と質問する。答えは決まって、

「ハイ、お金のためです」「生活のためです」である。

 「では」と、私は追い打ちをかける。「計算を単純化するため、年間1千万円の給与とすると、10年間で1億円である。30年間働くとすると、合計3億円の金が貰える。奮発してそれを6億円としよう。今、その金を貰えたら、どうするのか? それでも働くのか?」 その返答が面白い

「会社を辞めます」、「遊びます」、「趣味の世界に没頭します」

 しめしめ、相手は落とし穴に落ちたと私は、ほくそ笑む。

 さらに追い打ちをかける。「ではその趣味(ゴルフ、旅行、映画、テニス、ゲーム等)だけに毎日、8時間、30年間も没頭できるのか?」

 新入社員の相手は返答に困ってしまい、逃げで

「まず貯金をして、働きます」である。少し骨のある子は「事業を始めます」である。やはり働くのではないかと、私は笑いで質問を終える。

 これは当初の意図通りにシナリオで、講師冥利に尽きるオープニングである。

 

趣味と仕事の差

 趣味は、仕事の合間に気晴らしでやるから面白い。それを連続1週間もやれば、苦痛になり、最後は地獄である。いくら囲碁が好きでも、プロでないと1週間、連続では打てない。どんな趣味でも同じである。囲碁が仕事なら、それは別である。

 それに対して、仕事はやればやるほど面白くなる。仕事に命を懸けるほど集中すると、報酬は二の次になる。それが趣味と仕事の違いある。

 あるプロゴルファーは成績が伸び悩んでいて苦しんでいた。それで試合の懸賞金の何パーセントかを、ある施設に寄付することにしたら、それが目標になって、トップクラスのプロになったという。人を喜ばせる善意の行為が人にモチベーションを与えたのだ。

 

誰のために働くか 

 利己的な目的で働き、ある程度の成功を修めると、そこで活動が止まってしまいがちである。モチベーションが続かないのだ。ところが組織の為、お国の為等の大義があると、それの限度は無限となる。人・組織への奉仕や人に喜びを与える仕事には遣り甲斐がある。

 

仕事の意味は何か? 

 仕事を通して自分の成長である。お金を払っても、難しい仕事に取り組んで、自分を成長させるべきなのだ。後から仏様のご褒美でお金はついてくる。多くの人は、そのお金を目的に働くから、幸せになれない。それではお金の奴隷になってしまう。

 

生きるために働くのか?  働くために生きるのか?

 生きる目的はなにか、働く目的はなにかを自身に問いたい。働くとは、生きること。「生きる」と「働く」とが別々にあるのではない。両者一体で、表裏の関係である。

 働くとは、仕事を通して自分の能力・魂を磨くこと。仕事をするとは社会に価値を作り出すこと。人に命令されてやっているだけなら、また生きる為だけなら、動物と同じ次元である。それは生きているのでなく、生きながらえているだけである。それは、脳死状態の植物人間が、生命維持装置で生かされているのと同じである。

 

アインシュタインの言葉

 1922年、アインシュタインが来日して日本の学生たちと対談したとき、一人の学生が「人間は何のために生きているのですか?」と質問した。

 アインシュタインは「そんなことも分からないんですか。人を喜ばせるためです」と呆れたように答えたという。

 

2019-05-31   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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