2021年4月 8日 (木)

「断捨離」よりも「断アプリ・捨アプリ・離スマホ」を

 

 最近、集中力を妨げる悪魔として暴れているのが、スマホの通知音である。その音がうっとおしいので、今回多くのアプリを削除した。

 最近もドコモメール、マイマガジンのアプリで、通知音が「ピッ」と鳴った。内容を確認したら単なるアンケート付の宣伝であった。あまりにその頻度が多いのでそのアプリを削除しようとしたが、プロテクトがかかっていて削除できなかった。仕方がないので強制停止状態にした。

 仕事に集中しているのに、その集中が途切れると、元に戻すに10分はかかる。時間泥棒である。1分100円の時間コストとして、年間で73万円ほどの時間損害となっている。

  2回×10分×365日×100円=73万円

 だから最近は仕事場にスマホを持って行かないようにした。着信があれば後から確認して、連絡をすれば済む話である。スマホを持つと不便である。

 

2021-04-07   久志能幾研究所通信 1978 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年4月 7日 (水)

強盗(go to)より減税を。人生時間の減税を

 

 ごおとうイートよりも、ごおとうトラベルよりも、減税こそが経済活性化の肝である。それが全国民に公平に、満遍なく景気回復の種を蒔くことになる。

 

大嘘

 安倍首相(当時)は、2017年9月26日夜のテレビ東京番組で「(08年の)リーマン・ショック級の事態が起こらない限り引き上げていきたい」と言った。このコロナ禍の経済危機はリーマン・ショック以上である。それなのに減税せず増税したのは、強盗なみの噓八百である。

 

利権まみれ

 幹事長の二階俊博は一般社団法人全国旅行業協会の会長である。その利権のため、強通トラベルの再開を画策しているようだ。ごうつうトラベルは、コロナ禁拡散の危険性が高い。小役人のGo to 主義(ご都合主義)で税金をバラまかれてはたまらない。

 

二階氏「GoToトラベル再開を」

 自民党の二階俊博幹事長は4日放送のBSテレ東番組で、新型コロナウイルスの感染状況に留意した上で、停止中の観光支援事業「Go To トラベル」を再開すべきだとの考えを示した。再開により、感染拡大のリスクが高まるのは悩ましいとしながら「恐れていたら何もできない。みんなが家に引きこもっていたら、日本の経済が止まってしまう。経済効果がある」と述べた。

  2021.4.4 18:59 産経ニュースより

 

 旅行業の全産業の売上に占める割合は0.11%ほどにしかならない。飲食業を含めても全体の1.3%程である。それだけの分野に莫大なgo to補助金(第一次補正予算にて事業総額1兆6,794億円)を出しても、その効果は少ない。それより全産業に満遍なく景気の刺激を与えるのは、減税である。

 アメリカはトランプ前大統領が減税をしたから景気がよくなった。日本はその逆で増税である。だから日本の景気が良くならない。

バイデン大統領は、社会費を増大させている。そのため増税が必至である。増税の為、近い将来、米国の景気失速は間違いないだろう。

 

 旅行業界の売上高  1兆6989億円(2020年)  全体の0.11%

 飲食業界の売上高 19兆32939億円(2018年)  全体の1.2%

 全産業の売上高 1,481兆8,986億円(令和元年度)(財務省発表)

(金融業、保険業を除く)

 

定年後は人生税金を少なく

 人生の義務と税金とは、定年までの労働である。それが社会に対する義務と人生の税金である。それが終われば、税金フリーとして自由に活動して、自分の人生の活性化を図るべきだ。その過程で世の中に貢献できれば最高だ。

 

人生の大宇宙空間

 定年で会社人生が終わって、平均寿命の80歳までの20年間の時間がある。12時間×365日×20年=87,600時間という人生の大宇宙空間が広がっている。世の為、自分のためにその時間を税金フリーとして活動すべきである。その時間を無為に過ごすから、社会のお荷物になってしまう。挙句に認知症になればお手上げである。

 全体統計からみて、己が旅行をしても精々0.1%の消費である。食べて飲んでも1.3%の消費である。己の人生では、もっと社会に有益なことがあるだろう。群れて酒を飲み、飽食して、魚釣りに興ずるだけが人生ではない。人間として生まれた意味を探せ。使命を探して生きよ。熟年者を!大志を抱け、である。

039a34451s  馬場恵峰書

2021-04-07  久志能幾研究所通信 1977 小田泰仙

著作権の関係で無断引用を禁止します。

2021年4月 6日 (火)

終活で「断捨離」なんて狂気の沙汰

 

 今の持ち物には想い出がいっぱい詰まっている。思い出こそ、人生のそのものである。それを捨ててしまっては、残り人生は死を待つだけの墓場人生だ。思い出が無くなれば、認知症へまっしぐらである。ただでさえ、加齢と共に記憶が薄れていくのに、残った写真、資料があるから想い出にふけることが出来る。それを見直して、さあも一度頑張ろうという気になる。断捨離と整理整頓清掃清潔とは別の次元である。

 

終活は傲慢

 また自分の死期を予定するなんて傲慢である。死期は自分では管理できない。できるのは健康管理である。いくら健康管理しても、不慮の事故は避けられない。それは天の定め。

 生かされた命を最大限に使うのが、天命である。永遠に生きるつもりで、精いっぱい生きて、よき思い出を創る。今日が人生最後の日として生きる。

 

遺品整理

 不用品の整理など、死後でも専門業者が金さえ出せば、やってくれる。大した金ではない。その分の金を遺族に残しても意味がない。終活に焦るのは、日頃5S(整理整頓清潔清掃)をやっていない無精者である。日頃、キチンと5Sをやっておけば、何時死んでも悔いはない。後は野となれ山となれでよい。

 

真の終活

 自分のことより、回りの人がいつ死ぬかもわからないので、大事な人には会える時に会っておくのが真の終活である。私は人を見送るので忙しい? この2年間で5人の師を見送った。合掌。

 私の両親の遺品も、両親が断捨離をしていなかったので、それを整理する過程で、その人生を振り返ることが出来て、良かったと思う。両親は生きた痕跡を多く残してくれた。

 だから私は断捨離はせず、残り人生を楽しむために買いまくっている。勢い余ってレクサスLSも第二の家までも買ってしまった。買い過ぎて、金が無くなりレクサスは手放した。高級車の世界の表裏が分かり、良き経験知を得た。

 

 私の終活として、お墓建立、遺言状作成、戒名拝受、戒名の墓誌へ追記、葬儀段取り、50年間の法要の準備が終わった。それ以外にやることはしれている。ただし、持ち物の整理整頓は必要だ。後から遺族に見られて困るものはない。それがある人なら、それだけ整理をしておけば済む話である。

 

P10609341s  馬場恵峰書

2021-04-06   久志能幾研究所通信 1976 小田泰仙

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40年来の友を疎遠にさせた一言

 

 40年来の友から「〇日から〇日の3日間、孫が家にくるので電話をしないでくれ。」とメールが来た。

 一日24時間もあって、会社の仕事中でもあるまいし、一日の中、たった3分間の電話時間が取れないの? 空いている時間に電話を寄こせないの? 電話が来ても、「今忙しいので、後で電話をする」と言えば済む。それを「電話をするな」では幻滅である。なにか裏切られた気持ちになった。

 彼とはこの数か月間、毎日電話で話をしていた友である。その電話も「かけ放題契約」の私からだけである。彼からは電話はかかって来ない。彼は電話代を奥さんに管理されている。

 

たった一言

 彼からのこの通知以来、彼とは疎遠にした。電話をする気を無くした。自分が相手からどう思われているかが分かって幻滅したからだ。いくら隠しても、たった一言で、その人の本音が露見する。人間性の有無で交友関係がどこかで破綻する。

 人生の目的は、金儲けではない。人格の向上である。魂の向上である。品格の向上である。人物になることである。最終的には、佛になることである。

 

 神は人体を創造するとき、各器官を骨や皮でその内部を保護する構造にされたが、心だけは無防備にされた。そのため、無意識のたったの一言が人の心を暖め、タッタのひとことが人の心を傷つけたりする。

 だから友の為に諫言する場合は、グサッとする一言で刺そう。武士の情けである。そうしないと友は気が付かない。

P10500042  馬場恵峰書

2021-04-06   久志能幾研究所通信 1975 小田泰仙

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2021年4月 5日 (月)

友とは互いの尊敬があって持続可能

SUSTAINABILITY(持続可能な社会)の実現

 

 持続可能な社会の実現の要素は、多様性の容認、環境の維持、環境負荷の低減、環 境に考慮した適切な消費が必要である。

 持続可能な友人社会は、それの条件が維持されてこそ、成長する。成長が維持されないと崩壊する。それはガラス細工の花瓶のようなもの。

 

 「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

 Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

     “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 キングスレイ・ウォード著『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(城山三郎訳 新潮社刊1987年)

 

 「信用は壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

 

多様性

 人は多様性ある友と交わって成長できる。同じ性格の仲間とだけ群れると、成長は限定される。日本の成長が停滞しているのは、多様性を阻害している社会体制にある。

 小さな零細企業で働くのと、大企業で働くのとは、その点で人物形成の出来に差が出る。50人規模の会社社員と1万人規模の会社社員では、その成長の差は大きいと感じた。私が定年退職後、大垣に帰郷して一番驚いたことは、出会う人物たちのスケールが小さく、視野が狭いことだ。その考え方が偏狭なのだ。それは小さな会社では、付き合う人の多様性の数が絶対的に少なく、切磋琢磨できる機会が少なかったと推定される。

 その機会が少なければ、自分でその機会を作らねばならぬ。その機会を作ってこそ、成長できる。

 

道場破り

 江戸時代、地方の剣術の名人は、江戸の町道場の師範に決して勝てなかった。その原因は、江戸では道場破り目的の剣士が多く訪ねてきて、他流試合をせざるを得ず、腕が磨かれたためだ。地方の道場では、そんなことはあり得ない。地方の名人は、井の中の蛙となっていて、腕が上がらなかった。

 自分も井の中の蛙となり、「井の中の蛙大海を知らず」となっていないか、反省しよう。

 

平均気温の上昇

 人類が生産活動をすれば雰囲気の温度が上がる。自然の理である。人の交流があっても、その中に熱気を帯びないと継続が難しい。冷めた、醒めたピザのような冷たい関係は避けたい。お互いの成長のために熱き議論、熱き情熱、熱き交流が必要だ。

 一方だけにエネルギーが流れるだけの関係では、平均気温が下がり、持続可能な友人社会の維持は難しい。お互いが刺激を受け、お互いに成長してこそ、友人である。

 

友は共

 友は共に成長してこそ友である。友はお互い励ましあい、刺激し合って歩んでこそ友である。それが友との環境で、平均気温が上昇することである。その意欲をくじく冷言を言うのはご法度である。

 50年来、年賀状のやり取りをしていた幼友達がいた。私が癌になりその年と翌年、年賀状が出せなかった。その友からの年賀状は絶えた。私が癌で手術をしたことを相手は知っている。その友とは縁を切った。

 

活動の環境負荷(体への非健康的負荷)

 周りの環境は、拝金主義の食品メーカの跋扈で、体に悪い影響を与える食品が氾濫している。

 ある友は、スィーツに目がない。ホテルでバイキング形式の会食する度に、ケーキ等を人の2倍も3倍も食べる。私は彼の健康を気遣い、洋式ケーキの害、砂糖の害、小麦粉のパンの害、油の害を説明して、食べるのを控えるように助言するが、効果はない。注意した時は、私の助言を多少は守るだが、次の機会の会食の時は、全く元の木阿弥になっている。彼は甘いもの誘惑に洗脳されて自制心をなくしている。つくづくと助言の虚しさを感じた。

 助言は単なるアドバイスではない。真剣に相手の命を思っていう諫言である。人生の最大の不幸は、それを真摯に聞く友が滅多にいないこと。

 

より良い正規の消費を

 ある友は、携帯電話も以前のガラケーからスマホの家族割に奥さんが変えたようで、しぶしぶスマホを使っている。だから電話代も奥さんに管理されているようで、彼から電話が来ることはない。私はかけ放題プランで契約しているので、電話はいつも私からである。

 なにか目下扱いされているように感じ始めた。私は彼の「下僕」ではない。そういう状態で友人関係の持続的継続は難しい。

 友人関係の維持に、出すべきものを出さないと、維持さえ難しい。そのお金が世に回って、社会が繁栄するのだ。それを安いからといって、中国共産党の中国製に手を出すのはご法度である。

 

正直な製品を使う

 中国製の安い製品は日本の技術を盗み、奴隷労働を使って作り、公害を垂れ流して作ったものである。技術開発費も不要で、人件費も激安で、公害対策をしなくても生産できるので、安く作れる。それは我々の社会を崩す要因になる。それが日本に氾濫すると日本の雇用が喪失する。汚染された食品と黄砂の害で健康が害される。回り回って、私の首を絞め、中国製を買った日本人の首を絞めている。

 私は貧乏になっても、中国製品には手を出さない決意である。現在のウイグル族の奴隷労働で作られた激安製品を買うのを自慢するようでは、人格が疑われる。

 

2021-04-05 久志能幾研究所通信 1974 小田泰仙

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2021年4月 4日 (日)

レクサスの魔女の声に洗脳される

G-Linkのオペレータサービスの魔力

 

 レクサスLSに乗って一番しびれたのは、搭載されていたG-Linkのオペレータサービスである。

 搭載されたナビでボタンを押すだけでオペレータが呼び出だされる。

 「ハイ、小田様、今日はどんなご用件でしょうか?」

 「〇〇に行きたいのですが」

 「ハイ、かしこまりました。〇〇市の▽△ですね」とオペレータは目的地を確認して、オペレータがナビを遠隔操作で目的地の設定してくれる。自分がわざわざ設定しなくてもよい。

 そのオペレーターは最高の接客対応が訓練されていて、感動してしまう。

 これには痺れるし、庶民は舞い上がってしまう。実際に私は舞い上がって「しまった」。後から思うと「シマッタ」である。自尊心をコチョコチョとくすぐられる心境である。トヨタも商売がうまい。

 しかしそう何回もあちこちに遠出するわけでもなく、そのうち利用しなくなってしまった。

 

格物致知

 人は全て人任せにすると、脳の働きが弱くなる。使わない器官は退化する。その麻薬もたびたび使うと麻痺をする。そのうち、このシステムにはお金を払わねばならないことに気が付いて、このシステムを解約した。

 レクサスを持つとお金が湯水の如く飛んでいく。洗脳されるとは恐ろしい。人間は愚かなことをして、愚かなことをしてはならないと気が付く。それを格物致知という。

 結論は、レクサスはお金があれば天国、だ。私はお金がなくなり天上界から蹴落とされて、いま人間界をさ迷っている。人間界はいろいろとあるから面白い。

 洗脳されて、少しお金を使ったが、絞首台に登らなかったことを喜ぼう。

 

2021-04-04   久志能幾研究所通信 1973 小田泰仙

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テレビに洗脳されると認知症へ

テレビ洗脳支配の手口

 

 TVのバラエティ番組、グルメ探索番組、お笑いバラエティ等を集中して見続けることは、市庁舎を痴呆症にする洗脳教育と同じである。テレビの痴呆的番組と距離をおき、自分と家族を理知的、理性的な世界に置きたかったら、テレビ番組は見ないことだ。テレビ局は、痴呆的番組で国民を洗脳し、CMで嗜好品の中毒状態にして、視聴者を食い物にしている。

 

視聴者をバカにするためのマニュアル

 下記のマニュアルは玉木正之氏出演したテレビトーク番組の台本である。『時事英語研究』1994年1月号で紹介された。

 これを見ると、テレビ局はテレビを見ている人間に考えさせないようにしているようだ。その手管に嵌れば、無意識にCMの製品に手が出て、その結果益々テレビ局の売上が増大する。 

 自然界には「使わない器官は退化する」という大原則がある。現在のテレビ番組は視聴者から思考能力を抹殺するようにしている。テレビのばかばかしい番組を見ることはとは、ばかになる練習をすることだ。

 

某トーク番組の台本 

 『○△(番組名)をより面白くするために』

 ・正論  より 本音

 ・抽象的 より 具体的   ←抽象的に考えるのが成長。その逆

 ・理論的 より 体験的   ←論理が人生を正しく導く。その逆

  ・考える より 遊び感覚  ←これではバカになる

 ・重い  より 軽い

 ・泣き  より 笑い

 ・悲観的 より 楽観的

 ・隠す  より 顕す(露顕)

 ・流れ  より 飛躍    ←論理の破綻である

 ・じっくり より ざっくり ←バカになる練習だ。

  *意見、反論は指名がなくてもドシドシご発言ください

  

酒を飲んで放送

 1970頃の私がまだ大学生のころ、東海テレビの「ナイトショー」で風刺コントの特集番組があり、私に「かたえくぼ」の常連として出演依頼が来た。そのリハーサル後、本番前の小1時間ほどの間にスタジオ内のバーカウンターで、酒を飲まされた。ディレクター曰く「皆さんにリラックスして喋ってもらうためです。多少顔が赤くなっても、ライティグで目立ちません」。なんといいかげんなことかと感じた。上記の台本を見てテレビの本質を悟った。

 

2021-04-04   久志能幾研究所通信 1972 小田泰仙

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2021年4月 3日 (土)

ゆでガエル洗脳病をぶっ飛ばせ(9/11) テレビ

「テレビ、マスコミ洗脳病」をぶっ飛ばせ

 

事例1

 ある家に家の契約書の関係で訪問した。居間で打ち合わせ中、ずっとテレビがかかっていて、鬱陶しかった。少し苦情を言うと、彼の妻が亡くなってから、テレビをつけていないと寂しくて仕方がないという。これはテレビに洗脳されたのだ。

 見るとはなしにテレビを見ていると、飲食物のCM、グルメ番組ばかりが目に飛び込んでくる。思考力が失せ、行動力も失せ、飽食の習慣に洗脳されて、病気に一直線である。ワイドショーでは、痴呆的扇情的なコメンテーターがまくしたて、洗脳されてしまう。コロナ騒動でも、日本と欧米に差を区別できなくなり、ワイドショーに煽られて、新型コロナの恐怖に陥ってしまう。立派な洗脳である。それはオウム真理教の恐ろしさと変わらない。

 

事例2

 ある老夫婦の家庭に、乞われてパソコン操作を教えに行った。その居間で、その人の老婦人が見るとはなしにワイドショーを見ていた。私は乞われて教えに行っているのに、同じ部屋でそのテレビの音がうるさくて不快であった。相手の家がそんな対応なので、パソコン操作を教えて、早々に退散した。

 インテリなのに、客が来ていてもそんな対応しかできなくなっていた。両老人は、人間性が劣化していた。テレビに洗脳されて、常識と人間性を失ったのだ。

 

日本中でテレビ洗脳中

 2013年10月11日、馬場恵峰宅を訪問して、帰りの飛行機を待っている時のこと。誰一人いない長崎空港の出発ロビーで、大型テレビがワイドショーを放映していた。なにか現代社会の象徴のような風景である。そうまでして日本人をバカする洗脳をしたいのかと。相手は金儲けで必死である。

 その昔、シガニー・ウィーパ主演の映画「エイリアン」を思い出した。エイリアンが、人間を捕まえて毒で動けないようして繭の中に閉じ込め、その人間の体内に我が子を生みつけ、我が子の餌として人間を生かしておく情景である。

 

誰が儲けているか

 テレビは現代人の生血を吸って繁栄している。人を洗脳して、頭の中に住み付き、テレビを見ないでは過ごせなくさせる。そして二度と戻ってこない大事な時間がテレビに吸い取られていく。食べてはいけない食料品のCMに洗脳されていく。正にエイリアンに頭が占領されている。あとは痴呆化の進展があるばかり。それで誰が儲けているか、考えるべきだ。

 なんで、「みのもんた」ごとき愚劣な司会者が、数億円の年収を得るのか、それを許容する視聴者にも責任がある。

 テレビのワイデショーで「○○が健康に良い」と特集を洗脳放映すると、売れすぎて途端にスーパーの売り場から○○が消滅する。1973年のオイルショック時のトイレットペーパ騒動を思い出される。余りに刹那的な流行を作る出す現代のテレビである。日々日本の知性が劣化していく。テレビが過剰に扇動し、人を洗脳し、付加価値の生まない時間を増大させている。時間と知性と健康を貪り尽くすエイリアンというテレビ洗脳マシンの繁殖である。

1

長崎空港 出発ロビー  2013年10月11日11:19

誰もいないロビーでテレビと言うエイリアンが吼えていた

 通っている眼科医院でも、診察の順番取りために朝一番に行くと、誰もいない待合室で朝のモーニング番組が付けっ放しである。愚劣な番組ばかりを見ては、眼も更に悪くなるにと思う。人が来て、美味くもない食品のCMをさも美味そうに繰り返し流せば、見せる洗脳教育でその製品は売れる。そして段々日本人が劣化していく。愚劣な事件が起きるのも故あること。グルメ番組の視聴率を見て、テレビ局はますます下劣な番組を流す。悪魔のサイクルである。

 

2021-04-01  久志能幾研究所通信 1971 小田泰仙

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人喰い人種の饗宴 = 面会とは命(時間)を喰う饗宴

 

 吉田茂は長生きの秘訣を「人を喰うことだ」と答えたのは有名な話だ。人と面会するとは、その人の持ち時間(一生で使える時間=命)を自分のために消費させる饗宴だ。人食いの饗宴である。夢ゆめ、手ぶらで行くべからず。土産を持って行け。その人が消費した時間(命)が、その時間に見合う価値ある土産を与えよ。そうしないと、時間泥棒(殺時ン)になってしまう。

 

人との面会とは真剣勝負

 その人の面会は、今生の最初で最後の出会いと思え。お互い、明日は分からない。その対応が悪ければ、二度と会ってはもらえないかもしれない。相手だって生きるのに忙しいのだ。

 特に高齢の師ならなおさらのこと。私は良き時に多くの時間を馬場恵峰先生と真剣に共有できて、幸せだったと思う。そうでなければ悔いが残った。馬場恵峰先生に再度会いたくても、もうそれは叶わない。

 

土産

 土産とは、その人に価値ある情報であれ。土産とはお菓子ではない。スィーツは人の命を削る。糖分は病気の元である。

 くだらない話題で時間を無駄にしてはならない。話を雑にするから、雑談になる。その雑談が、後日、お互いの付加価値(金)にならなければ、無駄な会話である。

 

気配り

 最大の気配りとは、相手に対して全力で向き合うことだ。真の信頼関係はここでこそ生まれる。(田中角栄)

 相手と話している時に、携帯電話に応答するのは言語道断である。それだから人生で失敗する。その行動が己の人生の全てを象徴している。それこそが相手への最大の侮辱である。それは自分の人生を侮辱している。今、目の前の人物こそ人生最優先の人物なのだ。

 

話題提供

 相手が興味を抱かない話題を提供してはならない。自分の趣味が万人に受けるわけがない。その人にはお宝であっても、多くの人は釣りも石も株もユーチューブ等も興味がない。それに興味を示さない相手に見せつけるのは、宴会で嫌いな食品ばかり押し付けるようなもの。会社の接待宴会での幹事の心得と思え。ヤクザの襲名披露宴会ではないのだから、対等にお互いが成長できる話題を土産として持って行くべし。

 

2021-04-03   久志能幾研究所通信 1970 小田泰仙

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2021年4月 2日 (金)

ゆでガエル洗脳病をぶっ飛ばせ(8/11) スマホ脳病

「スマホ脳病」をぶっ飛ばせ

 スマホは人を奴隷にする。スマホがないと落ち着かない人は、スマホ奴隷となっている。一日に2600回以上もスマホを触り、一日に4時間もスマホに拘束され(若者の7割は7時間もスマホ漬けになっている)、10分に一回はスマホ画面を見ないとやって行けない。それは立派なスマホに洗脳された奴隷である。

 そのため人生の生産性が落ちている。学習能力も落ちている。学校の成績も下がっていく。人間性も落ちている。IQ値も下がっている。

 人間性とは共感性、他への配慮心であり、感受性、思考性である。要は廃人への道を歩いている。だから貧乏になっていく。その分、GAFA に利益が転がり込む。

 

スマホの害

 人間として、人間性を向上させずして、幸せにはなれないし、お金も集まらない。スマホを捨てて、人生の荒野を目指せ。人の歩かない裏道、荒野に金塊が埋まっている。

 スマホに洗脳されると、成功報酬(ドーパミン)に扇情されて、短期的欲望に支配されて、長期的な目標が達成しづらくなる。学業の成績は下がり、対人的配慮感情が劣化して、人生の成功には程遠くなる。小さな画面だけが、全世界の情報と勘違いして、思考が劣化する。

 

ドーパミンの罠

 脳内の成功報酬システムに、ドーパミンというモルヒネ作用がある。脳内の成功報酬システムは何百万年もかけて発達してきた。そのモルヒネ作用を使い、人類が生き延びて遺伝子を残せるように人間を突き動かしてきた。つまり食料、他人と交流、セックス等によってドーパミンの量が増える。食べる楽しみ、他人との付き合いでの生存情報の共有、セックスで快楽を得ることで、人類が生き延びてきた。

 同じ原理で、スマホもドーパミンの量を増やす。それがメールの着信音で、スマホを見たい衝動に駆られる理由である。脳は常に新しいものを求める。それは周囲の環境を理解するほど、生き延びられる確率が増えるからだ。だから人は常に新しい情報を求めて、スマホをクリックする度、脳がドーパミンを放出する。だから人はますますスマホが手放せなくなる。

 

天才ジョブス

 スマホを創ったアップルのジョブスは、その害を熟知しており、自分の子供にはスマホもiPadも与えなかった。

 「うちでは、子供たちがデジタル機器を使う時間を制限している。

    スティーブ・ジョブズ(アップル社創業者)

    (アンデシュ・ハンセン著『スマホ脳』新潮社p170)

 

ビル・ゲイツ

 ビル・ゲイツは自分の子供が14歳になるまで、スマホは持たせなかった。現在、スウェーデンの11歳児の98%がスマホを持っている。ビル・ゲイツの子供は、スマホを持たない2%に属していた。(『スマホ脳』p82)

 

携帯電話(スマホ)の非携帯

 恥ずかしながら、私がスマホを持ったのは70歳を超えてからだ。ずっとガラケーで不便を感じなかった。最近、半強制的に、いやいやスマホに変えさせられた。最近は、その害に気がついて、出かける時はスマホの非携帯を実行している。特別の連絡があれば帰宅後、固定電話かスマホに着信履歴が残る。それから対応しても、問題がある事象はほとんどない。

 

2021-04-02  久志能幾研究所通信 1969 小田泰仙

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