2021年4月14日 (水)

ハンドルを握りしめない

 

 自動車会社の試験車運転資格(テストドライバー)の訓練では、「ハンドルは握りしめてはダメ。10時と2時の位置に、そっと手を添えよ」と教えられる。ハンドルを握りしめると、咄嗟の回避操作ができにくい。

 

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 10時と2時の箇所に手を置くだけ

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   ハンドルを握りしめてはダメ

 

慣性

 ハンドルとは、自分の船や車を思った方向に進ませてくれる操舵装置である。それを握りしめると、何かあって場合、方向を変えるに大きなエネルギーがいる。

 自分の乗った大船は、大きな慣性エネルギーを持っている。簡単には方向は変わらない。ハンドルは握りしめず、ただ添えるだけでよい。

 車でも、どんなものでも、何もしなくても、直進性があるので勝手に真っすぐに走っていく。真っすぐに走らなければ、それは操舵以前の機械の問題である。要は支離滅裂な性格と同じである。

 

心の慣性

 自分には固定観念というカチンカチンの行動習慣がある。子供は1日に20回の決断をするという。АにしようかBにしようか、迷っても、親からBはダメと頭ごなしに躾をされると、Аを決断することが、性格(固定観念)となる。その訓練を7歳までに、20回×365日×7年=51,100回の繰り返しの定着訓練としてすることになる。そうやって性格が形成される。人間は7歳までに97%の脳が完成する。だから簡単には考えは変わらない。何も指示されなくても、その方向に走っていく。だからこそ、良き固定観念を形成したい。それは半分は親の責任である。

 

人生航路のハンドルさばき

 ハンドルとは自分の主義、価値観、思想である。固定観念が指示をするハンドルである。その価値観の方向に舵が切られて、人生はその方向に人生航路を辿る。その思想や価値観は、時代と自分の成長の過程で変わる。

 「平和が大事、人の命が大事」と言っても、戦争になれば、敵を殺さないと己が殺される。銃後の親や妻子が殺される。国が滅ぼされる。そんなとき、平和が大事と言っていたらバカである。戦争の時は、真面目に人殺しをせねばならぬ。

 

君子豹変

 かように状況によって、その価値観は変わる。だからその価値観を堅く握りしめては、身の破滅である。その思想には、そっと手をそえるだけでよい。周りの状況に合わせて、その思想を変えていかねばならない。変えなければ偏屈である。それが人生航路でのハンドルの握り方である。君子豹変でよい。

  

2021-04-14   久志能幾研究所通信 1988 小田泰仙

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2021年4月13日 (火)

人生経営での命(時間)儲け。金儲けは二の次。

 

会社経営

 会社経営で必要なことは、利益を上げるために売上高を多くすることではない。売り上げがいくら多くても、一部門が赤字の垂れ流しでは、赤字転落である。経営の最優先課題は、利益を阻害する要因(赤字要因)を無くすことだ。

 

赤字の垂れ流し

 前職の会社でも、欧州に作った現地法人が赤字を垂れ流し、日本で稼いだ利益の大半を帳消しにしていた。それが長年続いたが、当時の社長がその会社の閉鎖を決められなかった。エリートの社長が優柔不断であった。その会社は政府の関係があり、会社の解消に支障があったが、社長に決断力がなかった。

 エリートと言われた社長以下の経営陣は、赤字になると真っ先に人材育成費を削った。愚かな経営陣は、人件費をコストとしか見ていなかった。そうしている間に、累積赤字で会社の耐力を失い、それが後年に競合会社に吸収合併される悲劇を招いた。無能で優柔不断の経営者が、会社を潰した。

 

宮仕えの智慧

 私の同僚が上司とのそりが合わず、その海外の現地法人の営業に飛ばされた。そこで心身とも苦労したようで、帰国後、すぐ病没した。享年54歳。

  私が別用件で現地に出張して会った時、かなり疲れた表情をしていた。彼が技術者で営業には不向きが明白なのに、そこにその上司が彼を飛ばしたのは、推定殺人だと仲間内では噂をした。宮仕えとは残酷なものだ。上司に嫌われた場合の悲劇である。

 私はその上司には面従腹背を通して、嫌われないように保身をしたので、その災難を逃れられた。また両親がその上司に盆暮れの付け届けを欠かさなかった。それは宮仕えの智慧であった。だから命を守ってくれた両親に感謝である。命が一番大事なのだ。

 

自分有限会社の経営 

 人生経営で必要なことは、自分の人生経営を阻害している要因を除くことだ。金儲けよりも、阻害要因を排除することが最優先である。

 いくら金儲けの才能があっても健康でないと、人生は大赤字である。 

 安いからと激安飲食店を選んで、それが原因で病気になっては人生経営の命が赤字となる。安いものにはワケがある。

 安いからと遠くの店に足を運んでは、時間ロスで人生経営の命が赤字となる。

 食べ過ぎて病気になっては、人生経営の命が赤字となる。

 安く美味いからと「毒」入り食品を食べて、病気になっては人生経営の赤字となる。

 安いからと激安商品を選んで、それが原因で人格が下品になれば、人生が貧困になる。それで奴隷労働で作った製品ばかり買えば、日本の雇用がなくなり、日本経済が病気になってしまう。安いものにはワケがある。

 せめて小さな心掛けで日本経済の足を引っ張ることは止めよう。

 儲けのためにプラスすることばかり考えず、マイナス要因を排除することが最優先である。時間は命なのだ。

P10409731s  馬場恵峰書

 

2021-04-13 久志能幾研究所通信 1987  小田泰仙

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2021年4月12日 (月)

「百俵の米」精神でコロナ対策を

 

のぞみ号満席!

 2021年4月11日、馬場恵峰先生の「偲ぶ会」に参列後の帰路でのこと。17時38分博多発のぞみの自由席1号車に乗って驚嘆した。日曜日とはいえ、ほぼ満席なのだ。広島からは満席で、デッキに立ち客までいる。

 2月27日、馬場恵峰先生の四九日の法要に列席の為、博多行きの新幹線と特急かもめに乗ったが、グリーン車は2,3名で、ほぼ貸し切り状態であった。指定席も一車両に4,5名程度しか乗っていなかった。それが今回は状況が激変である。これでは感染者が増えるわい、と感じた。

 

 その自由席車両でも、隣に座った2組の若夫婦と子どもの6名は、マスクもせず、2人の子供は騒いでうるさい状態である。後方でも子供が騒いでうるさいこと。若い親が少しも子供を叱らない。これが現代の日本の姿だと、情けない思いをした。

 

 博多行きの新幹線ではグリーン車を利用したが、そこに認知症まがいの老女が乗車してきた。老女の身に着けた鈴が頻繁にチリんチリんと大きな音で鳴り、遠くからも響き、耳障りであった。老女は「自分だけ幸せになりますように、チリんチリん」である。本人は高齢で耳が遠く、その音が他人迷惑となっていることに気が付かない。老女まで利己主義に染まり、世も末だ。

 

コロナ禍の状況

 マスコミがコロナ禍を煽り過ぎ、一般市民が、非常事態宣言に対して我慢の限界を超え、国内旅行に出歩き始めたようだ。

 日本のコロナ感染者、死亡者は、欧米の1/50~1/100である。ドイツなら、非常事態宣言を解除するレベルなのに、政府もマスコミも対応が異常である。

 

狂った政治

 トランプ大統領時代のアメリカは、減税をして景気がよくなり、企業の業績が良くなり、税収が増えた。景気の好循環であった。

 ところが、日本は逆に増税をして景気を冷え込ませ、増税の増加以上に、企業からの税収が減った。愚かとしか言えない。

 今回のコロナ禍でも、その対策が頓珍漢で、超特定の業界だけに補助金(GO TO予算)をバラまき、財政を緊迫させた。それで潤ったのは、日本旅行業界のドンである二階幹事長だけだ。それで景気は回復せず、財政だけが緊迫したので、来年度、コロナ増税をするという。増税すれば、ますます景気が悪くなる。狂っている。

 30年前から、日本の政治家は愚かな政策しか、打ち出せない。政治家も官僚も利権にまみれているからだ。政治家も官僚に利他の精神が失われ、利己主義ばかりになっている。

 

狂った産業界

 産業界でも、グローバル経済主義で、拝金主義が横行している。ウイグル族の民族大虐殺が明白で、欧米が非難しても、厚顔無比に、知らぬ存ぜぬとユニクロも無印良品も、その奴隷労働で作った製品の商売を止めない。情けない日本人である。

 

真のコロナ対策

 政治家、官僚が国の為に利他の精神で働かないと、いくら金をバラまいても利権に群がる阿修羅に負ける。人間としての修養の教育が必要である。50年間の学校の成績だけで、行政の長になるから、日本は衰退した。

 日本には、修身、心の教育が必要だ。百俵の米の精神を呼び戻そう。利他の心が薄くなり、利己主義が大きくなったから、日本は衰退した。

 

 「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育に充てれば明日の一万、百万俵となる」(長岡藩・小林虎次郎)。

 

 その大事な財源を、大垣市の役人どもは教育に回さず自分達のために「喰って」しまった。大垣の子供たちの未来を喰ったのだ。人食い人種である。

 小川敏市政20年間で、大垣の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となり、大垣市の役人の年間給与が岐阜県下最高になった。これでは大垣が衰退して当然である。

 同じことを日本政府もやっている。日本の公的な教育投資は先進国中でいつも最低である。小役人が私腹を肥やしているから、日本の失われた30年が起きた。企業も拝金主義に染まり、人へ投資をしなくなったためだ。

 日本を代表するソニーも東大卒の社長が君臨するようになると、没落した。大垣と同じである。

 

2021-04-12   久志能幾研究所通信 1985 小田泰仙

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2021年4月11日 (日)

ゆでガエル洗脳病をぶっ飛ばせ(11/11)安物買い

「安物買い病」をぶっ飛ばせ

 

 安さ至上主義で、100円ショップでモノを買えば、それは外国の奴隷労働を推進する悪徳となる。100円製品は奴隷労働で作られた製品である。その消費分だけ、日本の雇用が失われて、悪魔のスパイラル効果で日本の経済衰退の原因となっている。安物買いは、自分で自分の首を絞めている。安物買いの銭失い。安物を買う輩はそれに気が付かない。安物買いは他人迷惑である。

 

 欧州が移民を推進した為、貧富の差が拡大して、テロや犯罪が増加して、社会が不安定になって、今そのツケを払っている。今のままでは、いつかそれが日本の未来となる。

 

自分を買う

 モノを買うとは、自分を買うことだ。安いものを買うとは、自分を安く買っている。浅ましく買うとは、自分を浅ましくしている。安いものに囲まれるとは、自分が安く下品な人物に堕ちていく。私は、その人の所有しているモノで、その人を人物評価している。見ればわかる。

 成金が金の任せて買っているモノは、高くても趣味が悪い。それは下品で、その人の人物を表している。

 人と付き合うなら、上品な人を選びたい。上品な人と付き合っていると、なぜか心が豊かになる。その反対は、……。

 

自己投資

 自分有限会社の社長として自分にもっと投資しよう。自分に投資をしないから、段々と下品になり、ジリ貧になる。

 

 私が就職をした48年前、母は私に「お前が定年になるころは、退職金も年金も無いものと思え」と言った。私はそれを想定して生きてきたので、今の私がある。金を貯めたのではない、どんな時代になっても生活できる能力を養ってきた。学ばない人生は墓場の人生だ。

 並みの会社員は、自己投資をせず、引きこもりで己の人生を崩壊させた。投資無きところに成長なし。自己投資をせず、勉強しない人間に未来なし。

 

書道の学び

 馬場恵峰先生は、「書道で書くなら、高い紙に高い墨で書きなさい。そうすれば、後々まで残るし、字もうまくなる。安い紙に書くから、安易に書いてしまう。だから、字もうまくならないし、後世に残らない」と言われた。

  馬場恵峰先生は、中国に行かれると、毎回、同行の人が持てるだけの書道用紙を買ってこられた。日本では手に入らない高級な紙である。毎回数十万円の出費であった。

 馬場恵峰先生は、いつも中国から買ってきた紙(色紙や巻物等)を私に見せて、「小田さん、この紙に何を書くか考えるのが楽しいのだ」と言われたことが、今は懐かしい思い出である。

 

2021-04-11 久志能幾研究所通信 1984 小田泰仙

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キレよう (磨墨知132)

 

 正しい方向にキレるなら、物凄いエネルギーが発揮される。それで目標を短時間に達成できる。

 

 安易な妥協の人生を変えよう。ぬるま湯の人生を送る中で、たまには切れて、過度な反応をするのも良いものだ。きっと世界が変わる。自分の人生が変わる。そうすれば相手の人生も変わる。

 切れた民衆の怒りが社会を変えてきた。そうやって歴史は作られてきた。

 

 ただしキレて刃物を振り回してはいけません。私が切れると、テクニカルライティング手法を応用した切れる文書で、冷静に不届きものを切ります。論理的な推敲を重ねて文書を書いていくと、その過程で、その問題点が浮かび上がり、何が正しいかが見えてくる。

 

2021-04-11  久志能幾研究所通信 1984  小田泰仙

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2021年4月10日 (土)

右手に志、左手に算盤、背中に我慢と不安

 

 行動=状況把握+使命感+強み

      ドラッカー

 

 経営も仕事も芸術も、全て人格が決める。人格以上の仕事はできない。創る仕事から人格以上のものは出てこない

 

 自分の使命は何か?

 自分の強みは何か?

 

 現状把握も、己の使命感と強みを意識しないと見えてこない。自分の人格を上げないと、見えるものも見えない。目に見えるものでなく、見たいと思うものしか目に入らない。自分の価値観というフィルターで、見るべきことが隠されてしまう。だからこそ、その価値観のレベル向上が必要で、それが魂の向上である。

 

 魂を磨け。人格を上げよ。金儲けの才覚を磨け。それを世のために使え。お足がなければ、世間を歩けない。渋沢栄一流の算盤と論語を重んじよ。

 右手に志、左手に算盤、背中に我慢と不安を背負って、歩め。勇気を持って未知なる長い道へ第一歩を踏み出せ。百里の道も一歩から。

 

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2021-04-10   久志能幾研究所通信 1983  小田泰仙

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ゆでガエル洗脳病をぶっ飛ばせ(10/11)人件費

「人件費削減病」をぶっ飛ばせ

 

 人件費は経費ではない。設備投資費である。人こそが価値を二倍にも十倍にもしてくれる。グローバル経済主義病に犯された会社は、その人件費をケチり、正社員を減らし、派遣社員を増やし、海外に工場を作り、製品を逆輸入している。結果として日本の給与水準がこの30年間下がり続けている。これでは日本の景気が良くならないし、少子化も解消しない。そのツケは必ず払わねばならぬ。

 

日本企業のこの30年間

 企業は内部留保を優先し、給与を上げず、派遣労働者を増やし、人材育成費を削減してきた。その結果、会社は発展させてくれる人財が消滅した。結果として、自分で自分の首を絞めている。日本企業の人材育成費は、世界最低レベルに低下している。グローバル経済主義病の症状である。社員教育を疎かにして、成長できるはずがない。

 

人は大事と言いながら

 経営者は、人の教育は大事と言いながら、不況になると真っ先に人材育成費を削減してきた。そんな経営者が会社を良くできるわけがない。だから日本企業は衰退した。私の前職の会社も、そうであった。教育担当の私は忸怩たる思いを何度も味わってきた。

 

大垣の没落

 小川敏のように、自分達だけにお手盛りで給与を上げるから大垣市は没落した。大垣の役人の給与は、岐阜市のそれを抜いて県下一の高給になった。その代わり、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となった。教職員の給与も最低レベルになった。大垣市の役人と一般庶民に収入の2倍以上の大格差が生まれた。そんな大垣市が発展するわけがない。

 

電機業界の衰退

 パナソニック、ソニーに代表される日本の電機業界は、人件費を削り、虎の子の技術者をリストラして、業績の低下を防ごうとした。しかしリストラされた技術者が、中韓企業に雇われ、その技術が中韓の企業に流れた。その後、用済みの技術者はお払い箱である。日本の技術者が屈辱的な扱いで、中韓の企業を追われた。

 日本企業のリストラのしっぺ返しで、中韓で製造された安い製品が日本に流れ込み、日本の電機産業は壊滅した。みんなそれで不幸になった。グローバル経済主義病の症状である。

 日本の電機産業は自分で自分の首を絞めたのだ。人を大事にしなかった咎である。グローバル経済主義病である。

 

自分有限会社の衰退

 自分を大事にせず、家庭内の自分の待遇を疎かにして、勉強をしないサラリーマンは、能力開発が出来ず、企業のリストラ対象になった。

 原因を自分の中に見つけないと、また同じ過ちを繰り返す。

 自己投資なくして、成長なし。

 

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2021-04-10   久志能幾研究所通信 1982  小田泰仙

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2021年4月 9日 (金)

悪趣味な饗宴 納車式という名のレクサス「洗脳」

 

 レクサスLSを購入して、納車式を体験した。初体験で興味深かったが、結論としてレクサスの納車式は、時間の無駄で、レクサス洗脳式であった。

 

納車式

 その納車式では、

 案内された車庫の前で待っていると扉が開き、

 赤絨毯の上でライトに照らされたピカピカのレクサスLSが表れた。

 「congratulations!」という看板にお花が飾られ、

  (何が目出度いの?)

 赤ワインが振舞われ(ノンアルコール、つまりぶどうジュース)、

 美女スタッフ、担当営業マン、店長、整備マンとの顔合わせをして、

 記念写真を撮り、

 その記念写真を納めたSDカードにもレクサス印字があり、

 虚栄心で舞い上がらせてくれた。

 この未知の納車式に「遭遇」して、厚顔無比(紅顔無費?)の私も少々恥ずかしくなった。今時、時代錯誤である。

 

 その納車式には、レクサス店の人件費と経費がかかっている。それが後日、客にツケが回される。此の世で無料のものはない。レクサス店だって、社員に給与を出さねばならぬ。何処からその金が出るのだ。考えれば自明である。

 

納車式の価値

 冷静になって考えても、納車式でどういう付加価値を客に与えるのか曖昧である。客を虚栄心で洗脳し、舞い上がらせて堕落させるだけだ。小金持ちには嬉しいカモしれない。要は成金田舎者用の猿芝居である。納車式で舞い上がらせて、財布の中身を抜くやり方である。当時、レクサス納車式に初体験で舞い上がった田舎者の自分が恥ずかしい。こんな品のない商売をしていては、レクサスはベンツを抜けない。レクサス店は真の高級車販売の方策を考えるべきだ。

 

私は部外者?

 私のように爪に火を灯して節約して(生活VAとして)、三度の飯も事欠き(ダイエットの為で?)、貯めた金で、やっと念願のレクサスLSを買った身には、分不相応な納車式であった。結論は、私はレクサスを買ってはいけない人種であったことを悟った。

 真の金持ちは、格好より時間を大切にする。だからベンツが売れる。「時間は命」と思っている私には極悪非道の式であった。その大事な時間(命)が納車式で消えた。納車式で担当スタッフと話す内容は一見上品だが、その内容はレベルが低い。それでは得るものがない。担当スタッフと話が合わないので、話をあわせるのに苦労である。そんな人たちと人生論を語るわけにはいくまい。

 レクサス店は単に、一般ディーラのように機械的に車を納車すればよい。余計なことをするから、車の購入価格が高くなり、車を売る時の価格が激安となるわけである。私はそれで泣いた。それで買ってはいけなかった車だと悟った。納車式で車の価値が上がるわけではない。誰も喜ばない。

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2021-04-08   久志能幾研究所通信 1981 小田泰仙

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2021年4月 8日 (木)

10年後、この世にいないとしたら

 

10年後のために、今することは何か?

3年後のために、今することは何か?

1年後のために、今することは何か?

今日、することは何か?

死後の世界で出会う人のために、今することは何か?

この10年間で何を遺すのか?

 

5年後

 日本人の平均寿命は80歳である。今、70歳の人は10年後にはこの世にいない確率が高い。60歳の人でも20年後にはこの世にいない。20年などあっという間だ。75歳になれば、4人に一人は認知症である。つまり脳死である。そのことを考えないから、ドタバタの人生で終わる。死の間際になってあわてる。

 死に接して、慌てないように人生を送れば、死の時になっても、従容として死ねる。立派に死ねる。死ぬ時は、死ぬのが一番適切な行動だ。延命治療など不要である。

 

成年重ねて来たらず

一日再び晨(あした)なり難し

時に及んで当に勉励すべし

歳月は人を待たず

陶淵明(365~427年)『雑詩十二首』

 

 

時間の浪費   p 35

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。          

   セネカ「人生の短さについて」3-4(中野孝次訳)

Img_64031s  馬場恵峰書 2006年

2021-04-08   久志能幾研究所通信 1980 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「To do人生」から「To be人生」へ

 

 ビジネスでの成功のための道具として、「to do リスト」が氾濫している。やるべきことに優先順位を付けて、リストにして実行するための道具である。何のために? ビジネスでの成功のためである。

 しかし、人生で最終的に目指すべきは、人間になることであり、人格者になることであり、佛になることである。決してビジネスでの成功者になることではない。

 ビジネスでの成功者が、人格者であることは稀である。ビジネスでの成功は、人生の中で一時的過渡現象である。ビジネスで成功すると傲慢極まりない輩になることが多い。それが失敗して辛酸を舐めて人格者になる人が多いのが世の常である。ビジネスでの成功は、人生の一里塚であり、一夜城の建設である。やるべきことをやり切って、金が貯まっても、守銭奴のままでは、成仏できまい。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。何もあの世に持っていけない。

 

Doの人生

 金を稼ぐ(do)、そのために何をやる(do)か?

 金を稼いで、それでどうするのだ。

 毎日、のんびりと寝転がって過ごすため?

 熱帯地方の住民は、環境が豊かなので金がなくとも毎日、のんびりと寝転がって過 ごしている? それが究極の姿ではないか。それがよほど幸せだ。

 

 女を作る(do)、そのために何をやる(do)か?

 女を作って、人生をどうするのだ?

 その女もいつしか老いる。老いれば、嫉妬心が旺盛になる。

 その己も何時かは老いる。老いた身に豊満な美女は不要である。

 そんな女がまとわりついてきて幸せか?

 

 贅沢な生活をする(do)、そのために何をやる(do)か?

 人生、寝て1畳、立って半畳、食べて1合、飲んで一升である。

 贅沢に過度に栄養を体に入れば、病気になって早死する。

 贅沢で安易な生活を送れば、すぐ病気になる。早死にである。

 最初から持たない生活をすれば、人生の目的は早く達成する。

 

Beの人生

 To do人生では、何時か限界がくる。いつまでも体が動くわけではない。やりたくても、やれない時が来る。老いれば体力も欲望も無くなってくる。金を作り、女を作り、飽食し、欲望を満たすことが人生の目的ではない。人は必ず死ぬ。死にゆく身に、金も名誉も女もモノも意味を持たない。色即是空、空即是空である。

 

余命

 男性の平均寿命は80歳。今70歳なら、多くの人は10年後にはこの世にいないのだ。癌になれば、5年後には半数はこの世にいないのだ。

 私も癌になり、手術後、医師から余命2.5年と宣告された。医師の言う通りなら、後、半年の命である。素直でない私は、医師の言葉を信じず、癌を再発させないように取り組んでいる。素直に医師の言葉を信用すると、そのようになるという。

 

何を目指す?

 しかしTo be人生には、限界がない。佛になるために、己は何であるべきなのか(be)? その前に、動物で生まれて、人間にもなっていないことに気が付くべきだ。新聞の社会面には、畜生のような振る舞いの事件が氾濫している。

 一番大事なことは、動物で生まれた我々は、死ぬまでに人間になることが最優先である。それを自覚して精進すべきなのだ。

 その上の界で、その道の師匠となるために、己は何であるべきなのか。その道の達人となるために、己は何であるべきなのか。家族の指導者になるために、己は何であるべきなのか。

 家の外も内も変わらず、人格者であれ。その前に、動物で生まれた己を人間に昇華させよ(Be)。それがTo be人生だ。

 

 人は人の中で人となる。人多き人の中にも人はなし。人となれ人、人となせ人という事。

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 馬場恵峰書

 東日本大震災で倒壊した神社の再建時に出た端材に揮毫

 

2021-04-08   久志能幾研究所通信 1979 小田泰仙

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