「To do人生」から「To be人生」へ
ビジネスでの成功のための道具として、「to do リスト」が氾濫している。やるべきことに優先順位を付けて、リストにして実行するための道具である。何のために? ビジネスでの成功のためである。
しかし、人生で最終的に目指すべきは、人間になることであり、人格者になることであり、佛になることである。決してビジネスでの成功者になることではない。
ビジネスでの成功者が、人格者であることは稀である。ビジネスでの成功は、人生の中で一時的過渡現象である。ビジネスで成功すると傲慢極まりない輩になることが多い。それが失敗して辛酸を舐めて人格者になる人が多いのが世の常である。ビジネスでの成功は、人生の一里塚であり、一夜城の建設である。やるべきことをやり切って、金が貯まっても、守銭奴のままでは、成仏できまい。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。何もあの世に持っていけない。
Doの人生
金を稼ぐ(do)、そのために何をやる(do)か?
金を稼いで、それでどうするのだ。
毎日、のんびりと寝転がって過ごすため?
熱帯地方の住民は、環境が豊かなので金がなくとも毎日、のんびりと寝転がって過 ごしている? それが究極の姿ではないか。それがよほど幸せだ。
女を作る(do)、そのために何をやる(do)か?
女を作って、人生をどうするのだ?
その女もいつしか老いる。老いれば、嫉妬心が旺盛になる。
その己も何時かは老いる。老いた身に豊満な美女は不要である。
そんな女がまとわりついてきて幸せか?
贅沢な生活をする(do)、そのために何をやる(do)か?
人生、寝て1畳、立って半畳、食べて1合、飲んで一升である。
贅沢に過度に栄養を体に入れば、病気になって早死する。
贅沢で安易な生活を送れば、すぐ病気になる。早死にである。
最初から持たない生活をすれば、人生の目的は早く達成する。
Beの人生
To do人生では、何時か限界がくる。いつまでも体が動くわけではない。やりたくても、やれない時が来る。老いれば体力も欲望も無くなってくる。金を作り、女を作り、飽食し、欲望を満たすことが人生の目的ではない。人は必ず死ぬ。死にゆく身に、金も名誉も女もモノも意味を持たない。色即是空、空即是空である。
余命
男性の平均寿命は80歳。今70歳なら、多くの人は10年後にはこの世にいないのだ。癌になれば、5年後には半数はこの世にいないのだ。
私も癌になり、手術後、医師から余命2.5年と宣告された。医師の言う通りなら、後、半年の命である。素直でない私は、医師の言葉を信じず、癌を再発させないように取り組んでいる。素直に医師の言葉を信用すると、そのようになるという。
何を目指す?
しかしTo be人生には、限界がない。佛になるために、己は何であるべきなのか(be)? その前に、動物で生まれて、人間にもなっていないことに気が付くべきだ。新聞の社会面には、畜生のような振る舞いの事件が氾濫している。
一番大事なことは、動物で生まれた我々は、死ぬまでに人間になることが最優先である。それを自覚して精進すべきなのだ。
その上の界で、その道の師匠となるために、己は何であるべきなのか。その道の達人となるために、己は何であるべきなのか。家族の指導者になるために、己は何であるべきなのか。
家の外も内も変わらず、人格者であれ。その前に、動物で生まれた己を人間に昇華させよ(Be)。それがTo be人生だ。
人は人の中で人となる。人多き人の中にも人はなし。人となれ人、人となせ人という事。
馬場恵峰書
東日本大震災で倒壊した神社の再建時に出た端材に揮毫
2021-04-08 久志能幾研究所通信 1979 小田泰仙
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