« 2023年1月 | メイン | 2023年3月 »

2023年2月

2023年2月 6日 (月)

人生劇場「生活芸」を育てる  緩慢なる洗脳殺人

 

 武智先生に受けた薫陶の中で、「一番いいものを見て一番いいものの中に育っていないと芸が貧しくなる」とよくおっしゃっていた。

 中村雁次郎著『私の履歴書⑨』日本経済新聞 2005年1月10日

 

 人生劇場で主人公として、良いものの中で育たないと自分の演ずる芸が貧しくなる。下品に洗脳されると、生活芸が貧困化して、人格が殺される。

 

 これは物理の法則である。「物理」とは物の「理」を学ぶ学問である。朱に交われば赤くなる。赤の絵の具と白の絵の具を混ぜれば、赤くなる。宇宙根源の理である。

 

一番良い親の背中

 子供は親のいうことは聞かない。親のやっている通りになる。子供は親に染まるのだ。私は両親の働く姿を見て育った。内職までして働いている両親を見て、私は遊んでいるわけにはいかない。

 

一番良い上司の影響

 いい上司の下で育つと、仕事の仕方が豊かになる。悪い上司の元で働くと、仕事の芸が貧しくなる。私は会社時代、多くに部長の下で働いたが、親会社から出向してきたО部長に感銘を受けた。その薫陶を受けて、私の仕事芸が変わった。

 今まで多くに上司に仕えてきた。私が間違い(上司に気に喰わない事)をすると、多くは感情に任せて怒ってきた。しかしО部長は叱るのだ。怒ると叱るとは違う。

 親会社では使い物にならない人間が、子会社に部長として出されてきた。その部長は部下を怒りまくり、多くの中間管理職を鬱病にしていった。それこそ緩慢なる洗脳殺人である。私は管理部署の職制として、その心が壊れた基幹職を受け入れた。また「管理部署は閑だろう」と、他の部署の課長が、心の壊れた若手(その課長が追い詰めたのだ)を多く送り込んできた。

 人は言葉一つで殺せるのだ。それは緩慢なる洗脳殺人である。

 

一番良い佛像彫刻を見て育つ

 私はこの10年間で、300体×2回×10年=6,000体の松本明慶佛像を見てきた。松本明慶佛像彫刻展は年間2回開催される。一回当たり、約300体の佛像が展示される。それが開催さると、私は東奔西走で必ず出向いて佛像を鑑賞した。お陰で佛像を見る眼が育った。

 「佛」とは「人」と「非」からなる象形文字で、人にあらずと書いて「佛」である。人ではない存在を形にした造形は、人の理想の形を心に刻む。

 

一番良い絵を見て育つ

 私はいままで世界の80館以上の美術館・博物館を回った。お陰で名画と呼ばれる作品を直接鑑賞することが出来きて、鑑賞眼が育ったようだ。

 私の名画の定義は、「捕まっても良いから盗んで、自宅に飾りたい絵」である。残念ながら、海外にはそんな絵は無かったので、盗まず、捕まらずに済んでいる。何億円の絵でも、バカでかくゴテゴテした古い油絵は日本家屋に似合わない。

 

一番良い友人と共に育つ

 日頃付き合う友の影響は大きい。自分と価値観の合った友人でないと切磋琢磨ができにくい。価値観の合わない人と一緒に居ると、どうしても相手に迎合することもあるから、自分の芸が目減りする。孟母三遷の教えで、良き友を選ぶのが大事だ。

 進学校で皆が必死に勉強をしている中、一緒に学び育つと自然と学ぶという「芸」が磨かれる。皆が遊び惚けている学校で育つと、その「学習芸」が貧しくなる。

 

一番良い師の元

 良い師が自分を育ててくれる。三年かけて師を探せ、である。師からの教えは薫陶である。霧の中を歩けば、自ずと衣が濡れるのだ。それと同じで、師と行動を共にすれば、その考えが伝わってくる。

 

一番いい言葉

 言葉の影響を受けるのは、自分である。人に吐く言葉でも、一番大きく影響を受けるのは自分だ。良い言葉を吐けば、自分が励まされる。悪い友と付き合い、後ろ向きの言葉を浴びれば、どうしてもマイナスの影響を受ける。それは人生芸の貧困化である。 

 

CMでの悪い影響

 毎日、ファストフードのCMを見せつけられれば、自然とその食品に手を出してしまう。体に良い食事への感性が鈍くなり、健康を考えて食べるという「喰う芸」が貧しくなる。食が豊かになり、日本人が総グルメになった。その結果が、2022年度の医療費44.2兆円越えである。しかし不健康病を併発した。「喰う芸」の貧しさが原因である。

Img_43851s


 

2023-02-06  久志能幾研究所通信 2607  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

山路徹 略歴

 

1940年 土岐市に生まれる

1963年 新潟大学 絵画科卒

公立岐阜県高校勤務

1996年 積み木でエコプロダクト優秀賞(一般社団法人 産業環境管理協会)

2000年 「沙羅アート」を創業。陶芸、デザイン関係を創作。

    「天然工房やまじ」を創業。芸術的な木工品を創作。

    「遊木創造」を創業。積み木関係の芸術品を創作。

近年 東京都上野森大賞展「老いるほど若くなる」等多数

 

山路徹の作品は、ブログ「久志能幾研究所通信」内の

カテゴリー「m-木魂 - 作品展示室」に、15個の記事を紹介しています。

ブログ「久志能幾研究所通信」は、「久志能」で検索してください。

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

 

 

 私は山路先生と2010年からの付き合いである。先生は、私の出身高校の美術の先生であった。それ以来、私の家には山路徹先生のデザイン家具が合計で32個もある。いつの間にか、こんなに増えてしまった。私の家は、別名・山路徹デザイン家具展示場である。

 

2023-02-06  久志能幾研究所通信 2606  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年2月 5日 (日)

シュールの風景 山路徹個展「絵・詩」

 2月4日~2月28日、画廊 Sagan で山路徹個展が開催されています。その風景をお伝えします。

 

日時  2023年2月4日~2月28日

    11;00~17:00(最終日は16:00まで)

    水・木定休 19日臨時休業

場所  画廊 Sagan

 

 

Dsc02299s

Dsc02301s

Dsc02303s

Dsc02304s

Dsc02305s

Dsc02306s

Dsc02307s

Dsc02311s

 

2023-02-04  久志能幾研究所通信 2604  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年2月 4日 (土)

シュールからリアル 山路徹個展に学ぶ

 

 2月4日~2月28日まで画廊 Sagan で山路徹個展「絵・詩」が開催です。今日はその準備のお手伝いをして大忙しであった。

 

 この個展のテーマは「シュールからリアル」である。「シュール」とは、「現実離れ」「非現実的」という意味である。「シュール」には、そのほかに「不条理」「極めて独創的」「非日常的で理解不能」などの意味も含み、芸術や娯楽作品を評価する言葉としても用いられる。

 

 「シュール」の語源は、フランス語の「シュルレアリスム」である。「シュルレアリスム」とは、第一次世界大戦中の欧米で展開された既成の価値観を否定する「ダダイズム」に続いて、1920年代にフランスでおこった芸術運動の名称である。日本語では「超現実主義」と訳される。

 

 「シュルレアリスム」は、反戦を象徴する「ダダイズム」の影響を強く受けている。しかし「シュルレアリスム」は、現実を全て否定する「ダダイズム」とは異なり、現実を超えて新しい道を創造しようとする特徴がある。「シュルレアリスム」の精神的支柱はフロイトの「精神分析理論」である。「シュルレアリスム」は、破壊後の時代を生きるために個人的主観を排除した「無意識」「偶然」「集団意識」などに重点が置かれている。

 

 1924年、フランスの詩人アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」により「シュルレアリスム」が始まった。アンドレ・ブルトンが宣言の中で「シュルレアリスム」を「思考の真の働きと表現手段としての心の自動現象」と定義し、常識や倫理的先入観に囚われない人間の解放を推進した。その考え方は現在の「シュール」という言葉の意味にも結びつく。

 

20230204  原作 山路徹作  デジタル編集 小田泰仙

320230110  原作 山路徹作  デジタル編集 小田泰仙

.

シュールの存在意義

 「シュール」という日本語は、「シュルレアリスム」の現実には再現できない奇妙な世界や、理性に左右されない不安定で不条理な世界観を表している。それも現実(リアル)が存在してこそ、シュールが意味を持つ。リアルが地に足が付いた状態でないと、その不条理が分からない。その不条理が分からなければ、認知症である。目の前の現実をしっかりと見据えて、無意識の世界に目をむけるのも、思考の訓練としてよいものだ。

 

 山路先生の行動や作品は、私の理系の常識的思考からは理解不能です。私にはシュールなのだ(笑)。芸術家は常識の限度を超えるのです。従来に固定観念に囚われていては、飛躍的な発展はあり得ないと思う。エリートとか旧来の勢力からは、革命的改善は生れない。

 

 従来の高価値観である東大卒、エリートが利権集団、既成勢力になって、行政に君臨すると、組織は衰退の一途である。大垣市はこの22年間、既成勢力が蔓延り、それが原因で大垣市は没落した。公示地価は半値以下に暴落した。大垣市を立て直すには、新しい政治家が求められる。

 シュールとは、利権集団に対する反戦活動でもある。その象徴が大垣市の腐敗政治への抵抗活動である。物価が爆上げのこの時期に、なぜ大嘘で塗り固めたゴミ袋有料化のごり押しなのだ! 次の選挙で傲慢政治家に市民の怒りを思い知らせよう。 

「主要100品目の7割が前年度末を上回った。上昇品目数は9年年ぶりの高水準である。(2022年12月29日、日本経済新聞)

 

日時  2023年2月4日~2月28日

    11;00~17:00(最終日は16:00まで)

    水・木定休 19日臨時休業

場所  画廊 Sagan

 

Dm

Dm_2

 

2023-02-04  久志能幾研究所通信 2604  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 


 

コロナ禍で見えてきた世界、自己防疫体制

 

 「薬が必要な状態になる前に、病気の芽を摘めるようにするための科学が重視されるべきだ。その上で、感染症の基本に立ち返り一人ひとりが先回りをして自ら備えをしておく。」(北里柴三郎博士が唱えた予防医学。北里柴三郎は北里研究所の創業者)

 「特別難しいことではない。身近なところでは、生活リズムをあらためる。きちんと食事をして栄養をとり、体力をつける。体調が悪いのに無理に仕事に出かけることはしない。そんな当たり前のことが大切にされる社会に、少しでも近づくと期待したい」(大村智博士・北里大学特別栄誉教授)

 「コロナと世界」"個々の備え、病の芽摘む"より

         日本経済新聞2020年4月28日

 大村智博士は、2015年ノーベル生理学・医学賞受賞。

.

 現在、5度目のワクチンの弊害が露見しつつある。政府はひた隠しである。裏の利権を隠れ蓑に、ぼろ儲けをしている医療関係者の仕業であるようだ。世界一のワクチン接種率、世界一のマスク着用率でなぜ、世界一の感染者数なのだ。

 

 本来のコロナ菌への感染予防は、基本に忠実に守れば、感染爆発は防げる。安易にワクチンに全面依存するから、油断して感染のリスクが高まるのだ。

 現在ワクチンの隠れた危険性が露見してきた。ワクチン接種で死亡事故が増えたようだ。ワクチン接種を強引に推奨している厚生省はひた隠しである。いくらマスコミを抑えても、ネット情報で国民は真実を知る。国民はバカではないのだ。

 自動車の開発でも、その安全性を確認するため、血みどろな評価試験を長年経て、やっと新車が発売される。問題があるまま新車を発売すれば、死亡事故が起きるのだ。それに対して今回のワクチンは粗製乱造と言ってもよい。事故が心配で打てたものではない。

 

国民の自己防衛手段

 それに関与して金儲けしている国会議員や利権を活用している議員を次の選挙で落とせばよいのだ。今すぐには無理かもしれないが、テレビや御用新聞しか見ない国民が老齢化で減少していき、ネット情報で真実を知っているコクミンが増えれば、政治が変わるだろう。それに期待するしかない。

 

自分の城を守る

 私はがんを罹患していて、免疫力が低下しているので、ワクチンを一度も打っていない。そのため、自分自身で最大限の防疫体制を取っている。

 

 病気でも、事故でも、人生を破壊する悪縁でも、それに対する防疫体制を自分で作り上げればよい。「自分の城は自分で守る」がトヨタ生産システムである。

 

人生の防疫体制

 病気対策は大村博士の上記助言を守ればよい。要は正しい食生活、正し生活習慣を送ればよいのだ。それを狂った食生活、狂った生活習慣を送るから、がんにもなり、心筋梗塞にもなり早死にするのだ。

 

 事故対策でも、正しい危機管理体制を取れば、事故に遭う確率は減らせる。安全対策にカネをかければ、その分、事故に遭う確率は減らせる。

 

 人生を破壊する悪縁も、正しい人間関係を構築して、危ない人との交際を避ければ良いだけである。孟母三遷の教えで、危ない人との交際を避ければ、幸運になれなくても、不運にはなることはない。人生で何もなく平穏に暮らせることが、最大の幸運であるとは、中国の運命学の教えである。

 その対策を疎かにしたからKK問題が起き、やんごとなきお家で不祥事が続いている。起こるべくして起きた不祥事である。

 

P1110243s

 講演会での大村博士  2018年8月7日 大垣市

P1110253s

 講演中の大村博士

P1110261s

P1110272s

 大村博士の心得  やはり健康こそ最大の心得である。

P1110290s

講演会後、未来の科学者に期待してサインをする大村博士

P1110297s1

 翌日、大村博士とツーショトのご縁を頂いた  

 2018年8月8日 大垣フォーラムホテルにて


2023-02-03  久志能幾研究所通信 2603  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年2月 2日 (木)

親戚付き合い、墓付き合い、はかない付き合い 

 

 知人は墓を建て、今まで疎遠であった親戚と新たに親戚付き合いを始めた。しかしその後、その家からは結婚式にも呼ばれないし、法事にも呼ばれないし、主が亡くなっても1ケ月も連絡がなく、その後、コロナ禍の影響で家族だけで葬儀は執り行うとの連絡が来たそうだ。つまり葬儀参列拒否である。親戚付き合い拒否の通知であるようだ。

 その人の心情や信心深さは言葉にしなくても、長年の人に対する行動で伝わってくる。

 だからコロナ禍の最中とはいえ、その行動には違和感があったようだ。その縁者には、親の後姿での教育が出来ていなかったと思うしかない。

 

 これでは「墓関係だけの付き合い」である。「墓付き合い」である。それは「墓が無い」と同じ、「はかない(墓無い? 儚い?)」付き合いである。それは現代の世相を表しているようだ。

 

コロナと共に去りぬ

 最近の結婚式は、上司などを呼ばず、近親の親族だけですませ、友人たちだけで別にパーティを開催するようだ。上司も遠縁の親族など呼ばないという。

 現代人は、人との関係を断ち切りたいと思っているようだ。スマホだけの虚構の世界に埋没する現代社会を象徴しているかのようだ。

 

 本来、日本の冠婚葬祭とは、ある意味で親族の生存確認である。また最近は、親族も遠く住んでいるケースが多く、滅多に会う機会が無い。その近況を確認し合うのが冠婚葬祭での集まりである。特に話があるわけではない。お互い顔を見るだけで安心できるのが血のつながった社会なのだ。それが昔から、一族郎党が厳しい世の中を生きてきて身に着けた生活の知恵である。

.

人間関係の変化

 それが今はコロナ禍を大義名分に人間関係が消滅しようとしている。会社でも在宅勤務である。自宅で誰とも話さず、黙々とネットを通じて仕事をする。

 20年程前、私がバリバリの仕事人であったころ、メールでのやり取りに限界を感じて、なるべく直に会って話をするように心がけるようになった。当時は会社内でもメール文化が始り、大量のメールが行き来していた。室長ともなれば、一日に100~200通のメールが舞い込む。それをサバくために、メールの文章ではどうしても表現がきつくなり、けんか腰になりかねない状況に追い込まれる。特に、私のようにテクニカルライティングをマスターして文章にすると、キツイ表現になってしまう。

 またアメリカの心理学者アルバード・マレービアン博士の研究によれば、文章では、その言葉の7%しか相手に届かない。後は、声の質(高低)、大きさ、テンポで38%、顔の表情で55%の情報が伝わると言う。人間以外の動物は、全て言葉以外の非言語コミュケーションで済ませている。人間も動物の一つである。多くを非言語表現で真の意思を表している。

 だからメールでは真の心情は届かないのだ。それでコミュニケーションの限界を感じて、大事な情報の場合は、伝達の手段を変えた。つまりフェースフェースの直接対話である。それから見ると、現在はまだ当時より退歩してきているようだ。その対応は未成熟になったと感ずる。

 昔ながらの人情ある人間関係がコロナと共に去って行った。これで日本社会がより殺伐たる人間関係になる要因が増えた。これは小さな綻びである。それが今後拡大することが怖しい。少子高齢化社会で殺伐たる未来が見える。

 

P24__c1__06072113

   「武道としての情報設計_C1_文書道」 より

.

仏壇での後姿

 最近は家に仏壇のない家も増えた。ハウスメーカのモデルハウスに見学に行っても、仏壇を置くスペースが用意された家は皆無である。親が仏壇に手を合わせている姿が、子供への最大の教育なのだ。子供は親の言う通りにはならず、親がやっている通りになる。

 それはA宮家騒動を見ればわかる。KK問題でも、世代断絶の異常が垣間見える。「KK息子は父の墓前にお参りもせず、花を供えたことはない」と週刊誌報道である。KK息子が皇族と結婚できたのだから、そんな慶事は、渡米前に父の墓前に報告するのが人間の道である。それだけでKK母子の異常な行動が理解できる。私は、あのような人格(人欠く?)になりたくないと反面教師として眺めている。皇族は世の中の風潮を象徴しているようだ。

Img_64141s

 

2023-02-02  久志能幾研究所通信 2602  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。