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2021年8月

2021年8月21日 (土)

「母の死」 その教えの自戒と自壊

 

10年前の自戒(2010年)

 私は母を42歳のときになくした。享年69歳、平均寿命からいえば早すぎる死であった。母は太っていて、私が健康上から、もっと痩せろと口すっぱく言っても、母は「食べたいものを食べずに、長生きなどしたくない」と聞く耳を貸さなかった。

 

 結果的に肥満からくる高血圧で、脳内出血で倒れ、その一年後、脳梗塞になり亡くなった。

 1992年のお盆に大垣市民病院に入院して、そのまま意識が薄れて行き、亡くなる前の5ヶ月間は、食物人間状態で、12月初に眠るがごとく逝ってしまった。

 この間、私は就業後の深夜、刈谷から大垣市民病院まで(80kmの距離)車を飛ばして通ったのだが、意識のない母を見舞うほど、辛く情けないことはない。面会しても意識のない母の顔を見るだけ。全く反応がない。看護していた父はもっと辛かったろうと今にして思う。こんな見舞い甲斐のない、辛い見舞いはない。見舞いに行っても母の反応があれば、まだ慰めがあるのだが、全く反応のない母の顔を見るのは辛いものでした。そんな姿を家族には見せてはならないとの教えであった。

 

 親としての健康管理は家族・子供に対する責務である。特に肥満は発病の大きな原因の一つで、突然死や脳溢血の発生率が数倍に跳ね上がる。だから肥満の解消と健康管理は、親としての責務なのだ。

 親の早死にほど、子供にとって不幸なことはない。還暦を過ぎて、両親が健在の友人をみると羨ましくなる。親として子供がかわいければ、自分が健康管理をして、長生きしてあげるのが、最大の「孝行」である(「孝」の字は、大人を意味する「老」と「子」から構成されている)。子供に残して喜ばれるのは、財産よりも親の健康と長生きである。親を失って初めて、また還暦の歳を迎えてその価値がわかる。でも、その時には遅いのだ。(2010年12月9日 記)

 

現在の自壊(2021年)

 母の死から約20年経って私が定年退職になった。それから多くの病気が噴き出して対応に追われた。加齢により免疫力も低下して、体の各所が壊れてきたのだ。その真因を探ると、全て己の食生活、生活習慣の悪さがなせることだった。

 今、母の歳まで生きて、多くの気付きを得た。何とか母親の歳以上に生き長らえられたのを喜ぼう。5年前の中学校の同窓会では、同じクラス仲間が20%も亡くなっているのを知らされ愕然とした。明日は我が身なのだ。

 

母の教え

 母の死の教えは、「あんたも何時かは病気になって死ぬのだよ。私の死に方を見て、生活せよ」であったようだ。子供は親と同じような生活習慣で生きている。同じような病気になって死ぬのも当たり前である。

 母の死は、生活習慣、食生活の間違いを明確に教えてくれていた。幸い、意識して危機管理として健康管理をしてきたので、大事に至らなかったが、加齢で体力が落ち(免疫力の低下)、病気が表面化した。会社勤めの激務で、その対策が十分ではなかったようだ。母の死がなく、無為に健康に無頓着に過ごしていれば、今頃、死んでいたと思う。

 その対策は不十分であったことを、定年後に思い知った。長年の狂った生活の咎は10年後にくる。定年後7年が経ってやっと病気頻発の真因が見つかり、それから対策を打って現在、4年目でやっとその効果が出て生きたところである。

 

真因

 その原因は、狂った食生活、狂った生活習慣による血管の劣化であった。それが原因で、血管内部にプラークが溜まり、それが原因で各種の病気を起こしていた。高血圧になり、白内障になり、網膜静脈閉塞症になり、癌になり、もう少しで脳梗塞、心筋梗塞で死ぬ寸前であった。幸い、久留米の真島消化器クリニックの真島先生の診察で真因が見つかり、食事療法指導で、快方に向かっている。

 何ごとも元を絶たなきゃダメなのよ。それが分かるまでに長い年月を要した。人は愚かな存在だと、つくづくと思い知った。

 

エピソード

 知人の奥さんが、私の見立てでは、まさに血管内プラークが溜まり、怖ろしい病気になる寸前であると推察した。それで久留米の真島消化器クリニックに行くことを助言した。しかし忙しいとかで、半年たっても検査に行ってくれない。人は痛い目に会わないと、足が動かないようだ。私の母はそれで命を落とした。

 それが人の習性だ。多くの人は、私だけは大丈夫と思っている。検査を受けるのも、子供の為と思えば動けるはず。病院に行く意味を考えよう。健康で長生きすれば、子供が喜ぶのだ。それが親の生きる功徳である。健康に長生きして、一人でも喜んでくれる人がいるだけ、生きる価値がある。

 

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 馬場恵峰書 2006年

2021-08-21   久志能幾研究所通信 2127  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月20日 (金)

お経の暗唱はダメ、読経を。読経より写経を。

 法要では僧侶は必ず読経である。たとえそれを暗唱できても、僧侶は、目の前に経典を置いて、読経として「お経」を「読んで」いる。暗唱ではない。

 お経を読んでいると、一字一字が目に焼き付いてくる。声で心に響いてくる。読経の目的は、自分自身への説法である。自分が仏として、お経に書いてあることを一心同体で実現するための教えとして読む。現世で己が佛となり(成仏)、世の中に利他の心で奉仕をするためである。それが読経の目的である。それが暗唱では、その力が弱いのだ。

 

偲ぶ会で般若心経を暗唱に絶句

 ある人の偲ぶ会で、ある弟子が師の思い出を語ったが、その冒頭で般若心経を暗唱した。その時間が、約3分間も要した。多くの人が時間を無駄にした。私は偲ぶ会にふさわしくないと違和感を覚えた。なにか般若心経の暗唱を自慢しているかのようにも思えた。

 偲ぶ会に参列した人は、僧侶でない素人からの般若心経の暗唱など聞きたくはない。僧侶は修行をして得度をしている。その僧侶の暗唱ならまだしもである。その僧侶でもお墓等の場所以外では、お経の暗唱などはしない。偲ぶ会では、葬式ではないので読経はやらない。ましてや般若心経の暗唱などもってのほか。それよりも、偲ぶ会なのだから、その時間を参加者のために師の想い出話に充てて欲しかった。

 

写経

 読経より良いのは、写経である。一字一字を丁寧に書いていると、その意味や響きが心に響く。それが故人への一番の供養となる。

 

命を頂く

 我々が日常的に仕事や個人的に面会の約束を取り付け、面談する相手とは、仏さまである。一期一会で会う仏さまである。もう二度と会えないかもしれない仏様である。その佛様のような相手と面談するとは、相手から有限の時間(命)を私のために頂くのだ。だからその佛様とは、心して向き合うべきだ。それをスマホの画面に気を取られて会話をするから、ご縁が結ばない。面談中にスマホをいじる人は、面談者のお話し(お経)を読んでいないのだ。それは相手との会話を上の空で、暗唱しているようなものだ。暗唱なら上の空でも唱えることが出来る。相手の言うことを一言一言、読まねば、心は読めない。そういう人では、幸せを掴めまい。私は、面談中に私の目の前でスマホをいじる人とは一線を引いている。

 

芸術と仏道

 演奏会の公式ピアノ演奏では、必ず暗譜である。私は河村義子先生からそう指導を受けた。その書かれた楽譜(お経)を頭に叩き込み、自分の解釈を盛り込んで演奏する。楽譜を見ながら演奏しては、楽譜に振り回された顛末となり、芸術の演奏ではなくなるからだ。だから芸術に教科書はない。

 「芸術」の「芸」の字は、草冠(匂い草)に、「云(立ち上る)」で構成された会意象形文字である。匂いは時代や環境、人によってその評価が変わる。だからこそ芸術である。

 お経を読むとは、宗派を開かれた導師の教えを忠実に従う事である。時代が変わっても真理は変わらず、一つである。その道から外れれば、外道である。しかし芸道は解釈が無限にある。それが仏道と芸道の違いである。

 自分が今、創っているものが、芸術品か規格品(真理)かを考えよう。

 

P10504321s_2 馬場恵峰書

2021-08-20   久志能幾研究所通信 2126  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月19日 (木)

原爆並みの「新型コロナウイルス」生物兵器が炸裂

 

 新型コロナ菌を中国共産党が開発した生物兵器だと仮定すると、広島型原爆に換算で、全世界に原爆を43発投下した計算になる。

 1945年8月、米軍が広島に原爆投下で広島市民の約8万人が即死、1945年末までに1万4千人が亡くなった。2012年8月19日現在、新型コロナによる全世界の死者総数は438万人に上る。米国の死者数は62.3万人で、広島原爆が米国本土に6個も落とされた計算になる。人類は1945年、死の兵器・原子爆弾を開発した。核保有大国は核装備競争で人類を何十回も死滅させるだけの量を揃えたが、それを使って攻撃すれば、自国も攻撃されて滅亡するから使えない状態になった。その代わり、もっと恐ろしい死の生物兵器開発が推進された。

 

目的

 なんの為に? 共産中国では、中国共産党の目的達成の為である。世界支配のためである。一路一帯の完成の為である。それに付随した中国製ワクチンの支給で、関係国を支配できるし、それよって共産党幹部には莫大な利権が転がり込む。人は欲に目が眩むと、死鬼衆になる。

 

推定有罪

 なぜか武漢研究所で生物兵器「新型コロナ菌」が開発されたとの米国議会の報告書の事実は、日本ではあまり(意図的に?)、広まっていない。アメリカ政府が認めている事実である。各情報からみて、中国共産党が武漢研究所で新型コロナ菌を生物兵器として開発したのは、95%の確率で推定有罪である。アメリカ政府自身も、それが事実だと認定できる生物兵器製造のノウハウを蓄積しているようだから、そう断定したのだろう。死鬼衆の世界は恐ろしい。

 

2021-08-19   久志能幾研究所通信 2125  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

大垣に原爆投下 ジェノサイドへの前哨戦(3/3)

原子爆弾開発の目的

 

 原爆の効果を検証するため戦略爆撃から除外されていた広島と長崎に、米軍は二種類の原爆を投下した。ウラン型とプルトニウム型の原爆を比較するためである。米エネルギー省の出版物中では、広島と長崎への原爆投下は「爆発実験」の項に分類されている。

 

 この原爆開発の真の目的は、金儲けである。今のグロ-バル経済主義(拝金主義)を生んだ鬼子の親でもある。モルガン、デュポン、GEがこの原爆開発を担当して、ウラン型原爆は先に完成していた。プルトニウム型原爆の完成を待って、2つの原爆を爆発実験として投下した。万全を期すため、訓練として模擬原子爆弾を50発も投下した。戦争を早期に終結する目的なら、プルトニウム型原爆の完成を待つ必要もなく、2種類もの原爆の爆発実験をする必要もなく、50発の投下訓練も不要である。当時、日本は戦争続行には資源が枯渇して、遅くとも昭和20年11月には降伏することが明白であり、それは日米両政府の周知の事実であった。原爆投下に反対であったルーズベルト大統領は、巨悪の都合に合わせるが如く、直前に愛人宅で怪死した。その死の状況は不自然である。そして後任の操り人形であるトルーマン大統領が、原爆投下の命令を出した。

 

 原爆や原子力関係の商売は儲かる。それは福島第一原発事故の報道で明らかになった。原爆開発には日本の国家予算の3倍の金が使われた。その金は何所につぎ込まれ、誰が潤ったのか。金に目が眩むと人は死鬼衆になるのか。金儲けのためには、民族抹殺などは厭わないアーリア人のDNA が脈々と続いていた。彼らにとって、非白人は人間ではないと認識し、残虐の限りを尽くすることは歴史が示している。民族皆殺しなどの業は日本人には無縁の世界であるが、そんな鬼が身近に存在することを認識しないのでは身の破滅である。歴史に学ばない民族は滅ぶ。それを認識して人生を歩むべきである。きれいごとばかりでは殺される。

 

 スミソニアン航空宇宙博物館にあるFAT MANの説明パネルは、素っ気無い表現である。

 「“My God,it worked. この開発が政府、大学、科学者、民間企業の総合力で遂行され、この開発のために膨大な計算がされ、その必要からコンピュータが開発された。そしてこの原爆はメキシコで実験され、長崎に投下され7万人の犠牲者を出した。第2次世界大戦はこの原爆とコンピュータの2つのブレークスルーを生み出した」

 コンピュータ開発目的は、原爆開発のためで、死鬼衆を生んだ血糊がついた武器である。

 

2021-08-19   久志能幾研究所通信 2124  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月18日 (水)

枯木ほどよく燃える、生きる意味

 

枯木ほどよく燃える

 年老いても、己にふさわしく燃えて人生をくらしたいもの。

 人は燃えずに、ただうかうかと暮らしていたら、火のつかない木炭のようなもの。炭は火をつけないで、そこいらにころがしておると、手を汚し、着物を汚し、物を汚しぱなしで迷惑をかけてしまう。ダラダラ暮らしの人間にしてもしかり。

 炭を火鉢にでも入れ火をつけるとアカアカと燃えて人の手を、部屋を温めて人の心まで豊かにしてくれる。人間もしかり。自分の仕事に、奉仕に燃えてこそ、大いに人のお役に立つことが出来る。

 人間とは、人の間と書く。人と人の間にあって生きること、人のお役に立って行く事こそ、人間の人間たるゆえんです。老いも若きもこのような生き方をしたい。(一休禅師の御教えより)

 

「手にとりて 浮世の世話をする墨は うすかれくろとなりにけりと」

    令和二年仲春「志の心得として」93翁恵峰書

  上記は馬場恵峰先生宅で見つけた軸より(2020‎年‎3‎月‎14‎日 撮影)

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生きる意味

 生きてやること(仕事、作業、様々な行為、奉仕活動)が、誰かのためにならないなら、その行為は、無為な利己行動で、犬畜生の行動と同じである。人はその行動を、誰かに喜んでもらって、人間として生き甲斐を感じるものだ。

 

 最近、スマホの画面にDocomoから超愚劣なマガジン記事が飛来した。「暇つぶしに最適のゲーム」の宣伝メールである。時間は命なのだ。それを暇つぶしで使うとは殺人行為である。映画監督の大林亘彦氏のように、がんで余命3ヶ月を宣告された人(当時)が、これを見れば、その時間(命)を俺にくれ。その時間を俺は映画作りに使う」と怒鳴っただろう。私もがんを患い、余命宣告を受けた。だから同じ言葉を吐きたい。この物言に、ドコモと言う会社の拝金利己主義、企業人の人間としての劣化を見て悲しくなった。

 

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あおり運転殺人

 最近、あおり運転常習者の狂人が、己を追い抜いたバイクを追いかけまわし、追突激突して、バイクの運転手を撥ね殺した。それで相手を撥ね飛した直後、「これでオシマイ」と言った記録がドラレコに残されていた。ゲームのやり過ぎで、人を殺しても、リセットボタンを押せばそれで済むと考えるように洗脳されたのだ。この殺人者にとって運転はスマホゲームと同じなのだ。狂人で、精神病である。

 

ゲーム殺人事件

 最近、スマホ脳の弊害が話題になっている。スマホゲームは日本人や世界の若者を廃人にする洗脳道具である。電車内では若者の多くがスマホにかじりついている。その大半がゲームをしている。スマホゲームからは何の付加価値も生まない。それどこか、それは時間を無駄にし、脳を破壊し、人を廃人にする兵器である。ゲーム会社のみが儲かる。これでは世相が狂うのも当然である。なぜそれを規制する法律がないのか。法律で規制すべきである。その害は、タバコ、アルコールより悪質である。

 

2021-08-18   久志能幾研究所通信 2123  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月17日 (火)

第三の敗戦「新型コロナ戦争」、菅内閣は太平洋戦争と同じ過ち

 

 日本政府は戦争という非常事態になると、その行動が愚かになり、その程度は昔と少しも変わらない。何が正しいか、どうすればよいか、自分の頭で考えないと政府に殺される。

 「新型コロナ敗戦」後の預金封鎖、増税、渡航禁止、ワクチン接種証明書の強制、酒類禁止、娯楽禁止、移動禁止、。。。を想定しよう。今から政府の対策に身構えよう。

 母の父(私の祖父)は、戦後の1947 年の預金封鎖で、虎の子の退職金を紙くずにされた。母は、その惨めさを私に繰り返し教えてくれた。私の母の教えは、「政府を信用しないこと」

 

 「Go To」戦術は、真珠湾奇襲作戦と同じである。いかにも唐突的に景気をよくするような奇手戦法であったが、政府はその一時的な戦果に酔い痴れて、真の対策ができなかった。感染爆発の火種となった。潤ったのは日本旅行協会会長の二階俊博だけであった。なんでこんな人間が自民党の幹事長をやっているのだ。

 

 太平洋戦争の開戦当初は、日本軍は快進撃であった。新型コロナ蔓延の当初は、日本は防疫で世界でも優等生の成績であった。それがいつしか敗戦色が濃くなっていった。

 

 開戦当初は無敵のゼロ戦も、米国の武器開発力のスピードに押されて劣勢が見えてきた。

 日本はワクチン開発競争でアメリカに負けた。日本は技術開発費をケチったためだ。これは全産業に言える事。だから今の経済停滞がある。

 

 東京オリンピック開催とは、ミッドウェー海戦に相当する。それは戦いの天王山であった。デルタ型コロナ菌に感染しているペルーの外人選手が入国の折、杜撰な水際検査体制で見逃して、感染爆発が起きた。政府はそれをひた隠しにしている。政府高官は、「感染爆発はオリンピック開催とは関係ない」と口をそろえて言う。嘘である。大本営発表で「当方の被害軽微」というが如し。政府は、それなのに恥を恥とも思わない。だから国民は誰も信用しない。

 ミッドウェー海戦では、日本の偵察機が米軍の艦隊を発見できず、結果として日本海軍は大敗となり、それが天王山で、それから敗戦への坂へ転げ落ちた。

 なぜ新型コロナの嵐が世界を舞っているのに、オリンピック開催を強行するのだ。やり方が愚かすぎる。これは菅内閣の延命作戦だ。国民の命とオリンピック開催を引き換えにする総理は、指導者失格である

 

 「欲しがりません勝つまで」は、「盆暮れの帰省の自粛の強制」政策である。

 科学的手法を使わず、同じ戦法に固執して精神論の対策しかできない政府である。

 

 「贅沢は敵だ」と国民に脅す政府が、政府高官自身、首相自身が、「贅沢は素敵」と大宴会をしてルールを破っている。

 オリンピックの強欲バッハ会長が、外出制限中の銀座を大闊歩である。

 

 「ワクチン一本やり戦法」とは、ゼロ戦をいつまでも使い続けたと同じである。敵の戦法が変わったのに、開戦当初は優れていたゼロ戦なのに、技術的に時代遅れになったゼロ戦をいつまでも使い続け、同じ万歳突撃戦法、玉砕戦法を繰り返したのと同じである。

 新型コロナの敵はインド型(デルタ型)、ラムダ型と次々と変化してきている。政府の戦法は、後手後手である。それで勝てるわけがない。

 

 非常事態宣言の連続は、万歳突撃、玉砕戦法の強制である。まるで空襲警報発令の頻発である。

 

 戦争中の「蒋介石政府を相手にせず」、「非戦論者を刑務所へ」政策は、新型コロナ戦争では、正しい作戦を指導してくれる人を信用しないという作戦に変わった。

 政府はノーベル賞の大村智博士のワクチン戦法に耳を貸さない。大村智博士が開発したイベルメクチンを厚生省は認可しない。インドや世界では、その効用が証明されているが、ワクチンを販売したい厚生省は利権に固執して認可しない。厚生省の役人は国民の命より、自分達の利権が大事なのだ。

 

 政府が大広報する「新型コロナで重病者以外、自宅療養を」とは、無為無策の果ての診療拒否である。国民の命を捨てる戦法である。戦争中の特攻、玉砕強要、田舎への疎開推奨である。自宅で「竹やり」を使ってコロナ菌と戦え、と同じである。

 

 新型コロナはエボラ熱と同じ1類に分類されたままである。本来、5類に分類すべきである。そのため特定の病院しか治療ができない体制である。それが医療崩壊を招きかねない。インフルエンザ並みに一般病院でも治療ができれば、早期治療で、重症化が防げる。それを、ワクチンを販売したい厚生省は利権に固執して分類を変えない。薬も認可しない。厚生省の役人は国民の命より、自分達の利権とメンツが大事なのだ。

 新型コロナは1類に分類されているから、緊急事態として正規に認可されていないワクチンを販売できるのだ。それで誰が潤っているのだ。本来なら、開発されて安全性が十分に確認されていないワクチンは承認などされない。ワクチン販売促進の為、厚生省の都合のよいように運営されている。

 

 戦地拡大で、軍票(特別給付金)発行である。敗戦となり、軍票は紙くずとなる。新型コロナ敗戦後に、政府は特別給付金が帳消しになる増税を企んでいる。それよりも最初から減税すれば、すべて解決したのに。

 経済もわからない輩が財務省を取り仕切っている。奴らの頭にあるのは、退官後の天下り先のことだけだ。だからこの失われた30年が生まれた。

 そんな能力だから、外出自粛、ワクチン推奨、ゴーツー政策、特別給付金ばらまき、プレミア商品券、禁酒令しか対策を出せない。景気に関係なく収入が減らない役人にまで、なぜどさくさに紛れて特別給付金10万円をバラまくのか。

 

 太平洋戦争中は「敵性言語の英語禁止」である。現在は、政府やマスコミは、外国の正しい情報の活用を拒否している。

 

 戦争前、戦争中、大新聞、マスコミは景気のよい戦争賛美の記事ばかりであった。その方が新聞が売れるからだ。

 今のマスコミもワイドショーも新型コロナの扇情記事ばかりに偏っている。利益最優先で、視聴率を稼ぎたいがための行動である。今も昔もマスコミの根性は変わらない。

 

 戦争中の大本営発表の景気の良い話は、現在は、「ワクチン接種率向上で大成功」の宣伝に相当する。「国民の大多数がワクチンを打ちました。大戦果です。」しかし「感染拡大の防止には効果がなかった」とは口が裂けても言わない。データを見れば一目瞭然である。

 

 日本軍は、兵站の軽視で敗れた。自滅である。日本軍は初戦の戦勝に酔って、戦線を最大限に拡大した。しかしその補給が続かず、日本兵は飢え、補給路が絶たれて敗戦を続けた。日本軍には兵站という考えが薄かった。戦闘地域を平均すると、戦死者の実に6割以上の140万人が飢死か、栄養失調が原因の病死であった。私の叔父(父の弟)も、ビルマのインパール作戦で病戦死した。餓死であると推察される。

 今回の新型コロナ戦争でも、政府の間違った政策の為、後方の病床が足りなくなり、満足な治療も受けられず無為に死んでいく人が後を絶たない。「重病者以外は、自宅療養」という菅内閣は、昔の日本陸軍の人命軽視方針と何ら変わらない。早期退陣が国民のためである。 

 

2021-08-17   久志能幾研究所通信 2122  小田泰仙

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2021年8月16日 (月)

大垣に原爆投下 ジェノサイドへの前哨戦(2/3)

碑の前の誓

 私は毎朝、散歩の帰路にある大垣の被爆地の慰霊碑に手を合わす。この被爆の碑は遺族のかたがお守りをされている。私はここに来ると日本の歴史と現代の状況を感じる。犠牲の方のご冥福を祈り「二度と日本がこんな目に遇わせられないように、我が国力を上げるべく貧者の一灯として精進します」と祈っている。

 この被爆の慰霊碑は、水門川沿いにひっそりと建てられている。その南側に、大垣藩の藩校敬教堂跡に孔子像が建っている。孔子様も戦乱が続く古代中国では、無力であった。だから徳を説いたのだ。2000年経っても、孔子が生み出した価値(論語)が生きているのは素晴らしい。人は2000年経っても、その本質は変わらない。

 

人種差別

 原爆は、日本人が白人なら絶対に落とされなかったはずである。70年経った今でも、白人の有色人種への偏見は消えない。2021年4月には、ミネソタ州白人警官による無防備黒人の過剰防衛殺人に対して、第二級殺人事件で起訴されたばかりである。

 アメリカに移民した英国の祖先たちは、アメリカ原住民インディアンの950万人を殺害した。西部劇で、インディアンは悪者であった。それは白人の洗脳教育のお話しである。白人は後からアメリカ大陸に移民してきて、先住民の土地を奪い、インディアンを追放し、殺害した。白人社会では、だれも問題にしない。どちらが正しいのか。だから現在、インディアンは50万人しか生きのこっていない。だから私は西部劇を絶対に見ない。白人のそのDNAは変わらないことを歴史から感じる。我々は現代社会を生き抜くために、もっと歴史を学ぶべきだ。

 日本の外は、今でも魑魅魍魎の世界である。価値観が違うのだ。昨日(8月15日)、タリバンが内乱状態のすえ、アフガン首都を占領して戦争勝利を宣言した。世界はまだ戦争の時代である。日本人は余りに国際情勢を軽視して、歴史を忘れすぎる。

 

ジェノサイド

 国際法上でも原爆投下はジェノサイド(皆殺し)であり、その後ろめたさ故、米国の戦後の支援がある。ジェノサイドを認めたくないがため、米国内ではこの問題を掘り起こすと旧軍人会からヒステリーじみた感情で袋叩きにされる。

 1997年、エノラゲイ展を企画したスミソニアン博物館長は、この理由で袋叩きにあい、辞任に追い込まれた。私は、1997年夏、スミソニアン博物館を訪問して、その経緯をエノラ・ゲイ展で目の当たりにした。

 原爆開発は、巨額の政府予算に目が眩んだ拝金主義の鬼子であった。それが戦後、日本の原子力発電事業に食らいつき、2011年に福島原発事故を起こした。もう少しで、東日本が消えるところであった。

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 スミソニアン航空宇宙博物館のエノラゲイ展で 1997年 撮影 著者

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 FAT MAN(長崎投下の原爆)

 スミソニアン航空宇宙博物館のエノラゲイ展で 1997年 撮影 著者

2021-08-16   久志能幾研究所通信 2121  小田泰仙

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2021年8月15日 (日)

大垣に原爆投下 ジェノサイドへの前哨戦(1/3)

人はなぜ死鬼衆になれるのか 

 

 戦争末期の昭和20年夏、大垣に原子爆弾の模擬爆弾が、訓練爆撃として投下され、10名が爆死した。米軍はこの種の練習を全国各地で約50回繰り返した。広島と長崎への原爆投下を失敗しないための爆撃練習である。実際の原爆投下では、ピンポント爆撃の低空からの投下なので、原爆の爆風で投下したB29自体が破壊されてしまわないように、爆弾投下後に急速に回避行動を取る必要がある。そのための約50回の練習であった。あくまで原爆投下のB29の搭乗員を守るためである。

 結果として原爆を投下したB29の搭乗員7名の命は守られたが、爆心地では10万人の地獄が生まれた。残酷な皮肉である。米国は単に、原爆が完成したからと、急いで原爆を落としたのではない。用意周到なるジェノサイドの計画があったのだ。

 米軍は、それも2種類の原爆の完成を待って、それぞれ種類の原爆の「実験結果」を確かめるために、広島と長崎に投下された。米エネルギー省の出版物中では、広島と長崎への原爆投下は「爆発実験」の項に分類されている。おぞましい仕業である。人はなぞそこまで死鬼衆になれるのだろうか。

 

大垣の原爆投下練習

 昭和20年7月24日、米軍が広島に原爆を落とす前、原爆投下の訓練のため、大垣市の県農業会大安支所に模擬原子爆弾を投下した。建屋は一瞬に吹っ飛び、職員は肉飛び骨散して10名が悲惨な最期を遂げた。

 その慰霊碑の真横に、私の母校の発祥地の碑が建っている。因縁である。模擬原子爆弾は、広島と長崎への原爆投下訓練のため、米軍が作った重量4.5トンの爆弾で、長崎に投下されたプルトニウム原爆と同形で“パンプキン爆弾”である。

 昭和20年7月20日~8月14日の間、全国各地に約50発が投下され、400人以上が犠牲になった。平成3年、愛知県の市民グループが、機密解除された米軍資料からこの事実を発見した。

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 水門川を挟んで敬教堂跡に孔子像が建つ

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 母校発祥の地跡に建つ被爆地の跡の碑

2021-08-15   久志能幾研究所通信 2120  小田泰仙

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2021年8月14日 (土)

記録的豪雨到来、大垣の放漫行政で治水が大心配

新築の大垣市役所だけは大丈夫。

大垣行政 治水放置 市民4年(死ね)  寝て暮らす

市民は心配で寝られず

 

 今回の大雨は、近年まれにみる豪雨予想である。来週いっぱい前線が停滞し、雨が降り続くようだ。飛騨地方の河川が氾濫している。それが数日後に西濃地区に押し寄せる。4年前の悪夢の再来が心配だ。

 前回(2017年10月23日)の大雨時に 室本町アンダーパス、林町アンダーパスが水没した。大谷川が氾濫し、大垣市西部地区が冠水した。

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 当時の市長と国会議員が現地を視察したとの記事が、おお威張りで「大垣市広報」に掲載された。それでどういう対策をしたかの報告は全くない。その後の経過も全く報告がない。

 噂で聞けば(公式発表無し)、室本町アンダーパス水没の原因は、排水ポンプの保守が大垣市の怠慢で放置されていて、肝心な時にポンプが作動しなかったという。それの対策を大垣市連合自治会が当時の市長小川敏に対策を申し入れた。その後の4年間、大垣市からの事後報告は一切ない。前市長は、その後始末をせずトンずらである。長として国の治水を預かる長として、市長の風上にも置けない。

 

水を治める者は国を治める

 国(都市)の長の最大の勤めは、住民の命を守ることだ。水を治める者は国を治めるという。昔から政治を預かるものの務めとして、河川の整備が最大の仕事であった。それができなければ、国は洪水に悩まされ、干ばつに苦しめられ、飢饉になり、年貢は徴収できず、民衆が領土から逃げ出し、国が亡びる。

 半世紀前に、松野幸泰知事は、伊勢湾台風を教訓とした治山・治水等の安全な県土づくりのほか、“道路知事”とも呼ばれるほど道路整備等の産業・生活基盤の整備に重点を置いた基盤づくりを進めた。河川の堤防の補強工事をしてくれたので、それ以来大きな堤防決壊等もなく経済活動が出来て、平和に暮らしてこれた。いまはその資産の食いつなぎをしているだけだ。新たな産業・生活基盤事業を行う必要がある。今の政治家は、それに少しも手を付けない。

 現代社会の血液は流通である。流通の血路が道路である。都市で道路が水没すれば、経済の血が止り、都市が死ぬのだ。その基幹道路の室本町アンダーパスを頻繁に水没させて、行政の長が平然としてるし、その対策もこの4年間、全くで来ていない。後任の市長もそんな気がないようだ。

 

危機管理

 問題が起きれば、まずその「火」を消した後、原因を究明し、再発防止対策と恒久対策をとるのが、危機管理の定石である。大垣市行政は、それを全くやっていない。事故に対する対策と再発防止とその報告が市民にまともに出来ないようでは、無能政治である。

 まず、対策はどうしたのだ? その報告がこの4年間、全くない。大垣市広報、岐阜新聞、中日新聞を見ていても、何も情報がない。

 市民として、問題(水没、冠水)が起きたら、その対策をどうするかではなく、まず原因とその恒久対策を報告してもらわねば、心配で心配で夜も寝られない。

 大垣市の役人は、自分達だけ豪華な水害対策をした安全な新市庁舎に引きこもっているから、市民生活が水没しても知ったことではないのだろう。

 

私は危機感を覚え、当時の状況を下記ブログでの報告した。それから状況は変わっていない。

 大垣市道路行政の失政と対策   2017年10月23日 (月)

マッチポンプの大垣市長   2017年10月30日 (月)

 

 

2021-08-14   久志能幾研究所通信 2119  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年8月13日 (金)

長崎原爆、恵峰先生の運命を変える

 

 2012年12月、馬場恵峰先生は大村市制70周年記念日中友好書画交流展で、長崎の原爆に関わる漢詩を展示された。

亡き母の魂と佛の計らいで五高(後の熊本大学)がある熊本に行き、長崎の原爆被爆を避けて生かされた。長崎大学に行った学友は原爆で斃れた。その深根を虚心に静慮して勉学に励み学友の冥福を祈る、とある。

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大村市制70周年記念日中友好書画交流展  2012年12月14日

 

 師は学友を長崎原爆で失った。本来なら自分も長崎大学の学生として、学友と共に原爆で死んだはずである。恵峰師の当初の志望校は長崎大学であった。それが学校からの指導で、五校(後の熊本大学)に「学校の名誉のためだ」として変更させられた。恵峰師はそれにしぶしぶ従った。学校として、進学の成果を調整していたのだろう。今でもよくある話である。それが恵峰師の命を救うことになる。

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長崎原爆

2021年4月11日 馬場恵峰先生を偲ぶ会での映像

 

 師は学友の死に接して、今後の人生は、学友の分まで精一杯生きようと決意をする。師の生き方が変わったのだ。

 人生は不条理である。恵峰師より優秀であった学友は原爆で死んだ。残された恵峰師は運命のめぐり合わせに、従うしかなかった。

 

 恵峰師が医学部を目指したのは、父の意向もあり、陸軍大学に進むと人殺しをせねばならぬので、敢えて医学部を選択した。当時の将校(軍事教練で学校に駐在)からは、執拗に陸軍大学に行くことを勧められたという。それを振り切っての医学部進学である。

 戦争が終わって、その呪縛が無くなり、師は当初の希望通りの大阪大学の文学部に編入進学することになる。そこで万葉学者犬養孝教授にであい、万葉集の世界を学ぶことになる。犬養孝教授は、昭和天皇に万葉集の進講をされた学者である。

 このめぐり合わせを恵峰師は、亡き母と仏様の計らいの深根を虚心に静慮して勉学に励み学友の冥福を祈ると、漢詩を読んだ。

 

「天之機緘不測」(菜根譚)

 天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は常々力説されていた。その原点は長崎原爆を避けることができた、天の計らいである。

 天から与えられたものが、学友が死を以て恵峰先生に与えたなら、精一杯生きるしかない。それが恵峰師の求道者のような生き方の原点であるようだ。だから結果として、恵峰師は94歳まで現役として活躍し、学友の分まで生きたと言えるだろう。師の活躍ぶり、世への貢献量は、人の2倍,3倍以上である。恵峰師は与えられた運命に従って生きた。与えられた命を精一杯生かすことが、新たな運命を拓くことを示してくれた。

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2021-08-13   久志能幾研究所通信 2118  小田泰仙

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