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2019年6月

2019年6月 7日 (金)

離陸の美しさ

 2019年6月5日、病後のリハビリを兼ねて、セントレアに飛行機の撮影に行ってきた。セントレアのターミナルビルから出て、展望台の先端までの距離がいつもより長く感じて閉口した。今までは苦にならなかった400mを歩いて、つくづくと体力の低下を痛感した。この4か月間で、16キロの体重減である。体が軽くなったから、軽快に動けるかと思ったら、エンジンの馬力も減ったようだ。途中で一度休まないと展望台の先端までの400mが歩けない。結局、疲れて1時間弱ほど飛行機の離着陸を撮影して、いつもよりも早く引き揚げた。

 それでも、リハビリとしてかなりの距離を歩いたので、効果はあった。翌日朝の体温がいつもより0.2℃も高かった。熟睡もできた。健康は運動からである。

 当日は、病院に定期検診に寄り、昼からセントレアに到着したので、風向きがいつもと逆で、離着陸方向も逆になった。そのため着陸場所は遠く、着陸の撮影が上手くいかなかった。その代わり、離陸の姿を多く撮影出来た。

 

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セントレアの展望台 この先400mが撮影地点

 

人生の再離陸

 飛行機の離陸の姿は、元気を与えてくれる。重力に逆らって、遮二無二エンジンパワーを上げて、地面を離れたら機種を急角度に上げて、飛び立っていく姿は感動である。しずしずと上空から降りてくる着陸とはまた、違った趣がある。

 

離陸というスタート

 病を得て人生療養中の身には、離陸の姿は、人生の大空に向けて、再度飛び立とうという気持ちにさせてくれる眺めである。

 離陸する飛行機は1機だけではない。いろんな会社、国の飛行機が、それぞれの目的地に向かって飛び立っていく。自分も、人生で抱えるプロジェックとは一つではない。私も今まで多くのプロジェクトを飛ばしてきた。これからも夢あるプロジェクトを飛ばせたい。それには、まず離陸させないと、何事も始まらない。何事も始めるのに、遅すぎることはない。離陸の姿を見て、死ぬまでにやりたいことを、一つずつ離陸させようという気持ちが湧いてきた。

 セントレアのレストラン街はアジア系の人で賑わっていた。この場所は、私に刺激を与えてくれた。

 

生死

 離陸する飛行機と着陸してくる飛行機の数は同じである。飛び立てば、必ず着陸せねばならぬ。プロジェクトを始めれば、必ずその終結がある。生まれれば、必ず死がある。飛行機の離着陸は、人生を感じさせてくれる風景である。

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2019-06-07   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

遠縁の菩薩---「ご縁の見直し」を告げる

 モノを贈呈すると、その反応でその人間性が明らかになる。贈呈した本代は無駄になるが、その出版社や人の本性の調査費と思えば安いもの。その反応で、今後の人生の交友関係を見直せばよい。そのご縁を授けてくれると思えば、ありがたい逆縁の佛様である。人生の交友関係は、人生の宝であり、時間の塊である。それを見直すことは、自分の人生価値を高めてくれる。人生時間は有限である。

 自分の残り少ない人生で、価値観の違う人、感謝の念のない人と付き合うと、時間を奪われ、己の魂が汚される思いである。音楽家や、音楽関係者、バレエ等の指導者でも、そんな人が多くみられ、私は今まで不快な思いを多くしてきた。

 

「無視」という返礼

 私が心血注いで作成した写真集BDやビデオBDを進呈しても、礼一つ言わない、礼状も寄こさない人が多い。写真集BDやビデオBDを贈る相手は複数人なので、その費用は半端ではない。時間レートで計算すれば一枚で、千円、二千円もかかる。別に金儲けのためで、BDを進呈しているわけではない。あくまで好意とご縁への感謝で贈呈しているので、それでヨシとしている。

 しかし同一人物から何回も無視されると、考えてしまう。それも相手がもらって当然という反応を見せられると、考えてしまう。無視は愛の対極の表現で、最大の侮辱なのだ。愛の反対は憎悪でなく、無視である。そういう不感症の人たちに付きあっていると、人生が暮れてしまう。そういう人たちとは縁を切るに限る。人生では、そんな人と付き合っている暇はないのだ。付加価値の高い人と付き合うべきなのだ。時間は命なのだ。

 

交友関係という逆縁の菩薩

 10年来、わが家が盆暮れの中元、歳暮を欠かさなかった家がある。結局、その家から電話だけの礼はあったが、その返礼は来なかった。非常識とは思っていたが、その家とはしがらみがあったので、その中元、歳暮は継続した。ずっと違和感を覚えていた。今回、私の病気の関係でトラブルが発生し、思い切って縁を切ることにした。今後もその家と付き合って、得るべきものはないと結論を出した。今回の病気は、逆縁の菩薩様であった。病気は、人生の交友関係の病状も明らかにしてくれる。

 

非常事態での真心の露見

 非常事態の対応を見ると、そこから真の友人の姿が浮き彫りになる。東日本大震災での支援状況を見ると、そこから国家の徳が明らかになる。それが明徳である。下表は日本赤十字社宛ての義援金リストである。台湾が絶対額でも大きく、アルジェリアと台湾が一人当たりの義援金で、群を抜いている。オーマン、タイ、スイス、アルジェリアの親日ぶりに刮目した。また台湾と中国の差が182倍であるのも驚くべき差である。また米、仏、英と韓国との差もあまりの大きい。もっと親日国家との友好を見直すべきだと思う。日本の不幸を喜ぶ国との付き合いは考えるべきだ。

 

一人当たりに義援金換算

 オーマン  330円/人

 台湾     124

 スイス    70.6

 タイ     30.4

 アルジェリア 22.5

 米国      9.59

 フランス    7.68

 英国      6.97

 韓国      4.22

 中国      0.68

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mo-mo-さんのブログより

https://ameblo.jp/potuta3/entry-11507598693.html

 

2019-06-07 久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

遠縁の菩薩---致知出版社の腐臭

 馬場恵峰先生の書による『佐藤一斎著「言志四録」51選集』(2,800円)を出版したので、その図書を贈るのに相応しい会社と思って、2019年1月23日の徳望塾の会場で、致知出班社の藤尾社長と担当者2名にその書を贈呈した。また徳望塾の言志四録の講師にも贈呈した。

 この図書の出版は、2月12日の手術では死をも覚悟して、葬儀の段取り、死後50年間の法要、公正証書の遺言書まで準備した上での終活の一環の仕事であった。 

 

無反応

しかし致知出版社の藤尾社長と社員2人からは、誰一人、お礼の言葉も礼状も来ない。社長が礼状を出さないから、社員が出さないのは当然だろう。部下は上司の背中を見て行動する。納得である。5年以前に藤尾社長に自著の図書を贈ったら丁寧な礼状がきた。それを思うと致知出版社は変質したようだ。

 また、今、私が取り組んでいる「言志四録の言葉を馬場恵峰師揮毫板で岩村へ寄贈」プロジェクトへの協賛のお願い書も添付したが、それも無視された。

 私は、この「佐藤一斎著「言志四録」51選集」の出来栄えが悪く、出版の専門家からは評価外と判断されたかと心配になった。

 

熱い礼状

 しかし徳望塾の言志四録の講師からは、本書を絶賛されて、「かつて心ある先達から勝川華舟浄書『言志四録』を頂戴し、大切にして参りましたが、馬場恵峰先生の書は、またそれを上回る趣きがあり、うちの宝が二つになりました」との手書きの熱い礼状が来たので、ほっとした。この本は、馬場恵峰先生も私も心血を注いで作ったのだ。ますます致知出版社の社長たちの対応に疑問を感じた。

 

志の変質

 致知出版社は、人間学を中心に「言志四録」関係図書の販売活動に力を入れている。私は、それに疑問を感じるようになった。

 私は、致知の人間学のこだわりに惚れて、月刊「致知」を20年間も購読している。それも総て残している。致知も創刊以来40年が経過して、その志が少し風化してきたのかもしれない。致知も部数が増え、創刊当時の発行部数の目標値を達成して、胡坐をかく状況になったのかもしれない。これでは百年の恋も冷めた心境である。

 現在の致知は、人間学の上っ面に走り、金儲け優先の姿勢になったのではないかと懸念している。一事は万事に通じる。それ以外に4件もの不快事項も重なり、偶然のことではないと確信した。致知出版社と付き合いでは、少し距離を置くようになった。

124k8a10911s  馬場恵峰書「佐藤一斎著「言志四録」五十一選訓集」

  久志能幾研究所刊

 

2019-06-01   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年6月 6日 (木)

仕事の報酬は何か?

「どんな報酬を欲しいですか?」

 これは、「修身」の講義で、私が新人にする大事な質問の一つである。

 

仕事の報酬

 仕事の報酬はお金でも、役職でも、地位でもない。仕事の報酬は仕事である。良い仕事をすれば、その能力に見合ったもっと高度な仕事が与えられる。その反対は、窓際族として「仕事なし」である。仕事がないほど、会社勤めで辛いことはない。

 私も一時閑職に追いやられ、周りが忙しそうに走り回っている姿を見せつけられ、鬱になりかけた。それほど仕事がないとは、危険な状態である。

 部下を辞めさせたかったら、仕事を与えないことだ。忙しいくらいに仕事を与えると、人は決して辞めない。

 問題は、会社では、忙しすぎるか、全く仕事がないの状態しかなく、程よい忙しさが存在しないこと。世の矛盾である。営利団体でないお役所は、閑でもやっていける天国である。

 

失業問題

 失業問題での一番の問題は、人間の尊厳にかかわることだ。だから、就職せず、引きこもりが原因で、2019年5月28日、川崎市で登校中の児童や保護者20人を殺傷し、自ら命を絶った岩崎隆一容疑者(51)事件が起きる。また元農林水産省事務次官の熊沢英昭の息子が引きこもりで、親に暴力を振って、事件の発生を恐れた熊沢氏が、息子を刺殺する事件が起きるのだ。殺された息子(44)は、就職もせず、家にこもりがちでゲームをしていた。口癖のように「俺の人生は何なんだ」ぶっ殺すぞ」と大声を上げていたという。仕事に就かないと、社会から断絶されたと思い込み、絶望感に襲われ、自暴自棄になるのだ。

 ローマ時代のカエサルは、この問題を良く理解しており、兵役で失業問題を解決して、ローマを繁栄に導いた。

 

仕事とは

 仕事が出来るようになるには、たくさんの経験をする。たくさんの失敗をする。多くの人に出会う。そうするとご縁が集り、多くの仕事ができる。

 The more input , the more output  (後藤悦夫師)

 栄えるには先ず根を育てる。根が育てばおのずと幹は育つ。

 

 あなたが社長で、右腕を選ぶなら、「数多くの経験をした人」と「経験の少ない人」とどちらを選ぶ? 答えは自ずと明らかである。報酬は後から追いかけてくるのだ。

 

 仕事が自分を成長させてくれる。土で出来た人間の体は、何時かは土に還る。生きている間に、その器に何を入れて、加熱して、昇華するかが問われる。

 死後に残るのは、仕事の実績だけである。お金ではない。お金はあの世に持って行けない。新入社員の貴方は、38年後、何を残して会社を去るのか。貴方は、60年後、何をこの世に遺して、あの世に逝くのか。

 ゴーン被告のように、金に執着すれば、汚名だけが残る。

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  成長モデル

 

2019-06-06   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

A Hotoke-sama, saint of a man, who turn off the page of the life scene

「人生の譜面をめくる佛様(改定)」の英訳です。

        The page-turner is a Kuroko, a stagehand dressed in black assisting the actors during the performance. Many of the Page-turners are dressed in black. It's never noticeable on the stage. However, the page-turner is a leading figure behind life. Without it, no one's life does exist.

 

How to turns up the music

        I have taken photos of many performers and discovered that there were many ways of turning up the music. The most beautiful figure is that you set up a little before the end of the page, turn over the next page a little and turn over once the page has finished playing.

       At the graduation presentation concert, there was also an example in which a pianist and an eye signaled each other, and each other nodded and turned over the score. If you have such time, concentrate on playing.

In the case of Miss. Akane Kotone

       Miss. Akane Kobayashi was in charge of the Page-turner in the concert of cellist TIMM and Yoshiko-sensei at the Ogaki music hall (2017), and the concert of the Dresden Denrio and Yoshiko-sensei at the Quintessa Hotel Ogaki(2018). No sign of each other was not exist because they have a deep relationship with each other, so Miss. Akane Kobayashi was standing side by side at the proper time, turning over the next page, and playing that page when it is over, the sound also bursts. Mrs. Yoshiko left the score to Miss. Akane Kobayashi and concentrated on the performance.

         At the end of the student's graduation concert, there were also people who approached the hurry just before the score line and reached out in front of the audience to hear the page turning to the audience. The high-pitched paper sound that turned the pages made the beautiful piano performance enjoyable.

When a page-turner leaves the stage

       When the performance is over, most of the page-turners leave the stage quietly, like Kuroko, while the performers thank the audience. This is like a formal manner. When Miss.Akane Kobayashi thanked the applause of the audience, she applauded little, cluttered the score, and left the stage quietly. It looks like Kuroko's niece.

 

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3p1020351 the concert of cellist TIMM and Yoshiko-sensei at the Ogaki music hall (2017)

4dsc04336 the concert of the Dresden Denrio and Yoshiko-sensei at the Quintessa Hotel Ogaki(2018)

A Hotokesama who turn off the page of the life scene

      In the life of a person, the pages of the life were turned over as time came, and according to the contents of the page, parents, grandfather and grandmother prepared for school bags and made procedures for admission to school. In those days, neither thanks nor thanks were enough. Looking back now, it is a sad feeling. However, time passed and my parents and teachers had silently turned over the pages of my life until I graduated from school. It looks as if Mrs. Roh has been peeking at the pages of my life's book. That niece also left me before me. He applauded him and said, "After my death, do my best in my life."

Life is like a music plays

        The principle of playing a song called life is life music. Draw a song of your own life and play it yourself. The song is written on the score I composed. I do not rely on anyone, I have to compose by myself and play a song, so I can not create a good life. And now it's my turn to take over the backing sheet as Kuroko.

        As long as I live, I have to put out my own life tone. Kannon is watching the sound. Otherwise, there are no excuses for Kannon and the ancestors who are watching over me.

 

 

Reveal the last score

         Sitting in front of the television all day is like playing a blank sheet of music without accompaniment funeral marching in the background, and having no idea. Playing the funeral march is something I do not do anything all day long. "Okuribito", person who send in funeral is oneself.

        The nightfall makes us go far and the finale is near. Unlike a concert, there is no encore in life. There is no life twice. All is once a year. The next page under the finger is a song of a funeral, and it is written. Hurry the way of life.

       In company life, I think that I have turned over the pages of my life desperately, but when I look back, I think that the page of that step has traced and played songs written by Mr. Akira in advance. It is not my power. My fellow friends let me play my song. Thanks.

      After 38 years of corporate life, it is time to turn the page of a new second life in your own life after retirement. If you sit in front of the TV all day without looking at the page yourself, it looks like you're sitting in front of the piano looking at a blank sheet of music.

 

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Life is a book. A person who makes a mess, a careful reader, a person who reads it over and over again. This valuable book can only be read once. Let's cherish the book of your life.

 Writen by Keihou Baba

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The book of life is the best book. It can not be closed or opened freely. I can not read attractive pages again. The page of fate is turned over by itself, and you want to go back to the page you are in love, but the page that has died is already under your finger

    Writen by Keihou Baba

2019-06-04   KUJINOKI Institute   Taisenn Oda

 e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2019年6月 5日 (水)

人生の譜面をめくる佛様(改定)

 譜めくりは、黒子である。多くの譜めくりは、黒い服装をしている。舞台では決して目立たない。しかし譜めくりは、人生の陰の立役者である。それなくして、自分の人生はない。

 

譜面のめくり方

 今まで、多くの演奏家の写真撮影をしてきて、譜面めくりのやり方に、多くのやり方があったことを発見した。一番美しい姿は、そのぺージの演奏が終わる少し前に構えて、少し次のページをめくり、そのページの演奏が終わったら一気にめくる、である。

 卒業発表演奏会では、ピアニストと目で合図をしあって、お互いに、うなずいて譜面をめくっていた例もあった。そんな暇があったら、演奏に集中せよ、である。

 

小林朱音さんの場合

 大垣での音楽堂でのチェリストTIMMと河村先生の協奏(2017)、クインテッサホテルでのドレスデントリオと河村先生の協奏(2018)では、小林朱音さんが譜めくりを担当した。二人には師弟関係で、深い信頼関係があるために、そんなお互いの合図もなく、小林さんは、しかるべき時に、スーッと横に立って構え、次のページを少しめくり、そのページの演奏が終わったら一気に音もたてずめくる。河村先生は、譜面を小林さんに任せっきりで演奏に集中である。

 学生の卒業演奏会の譜めくりでは、直前に急ぎ譜面に近づき手を伸ばし、観客席にまで頁をめくる音が聞こえるようなめくり方をする人もいた。頁をめくる甲高い紙音が、美しいピアノの演奏を興ざめにした。

譜めくりが舞台から去る時

 演奏が終わると、ほとんどの譜めくりは、演奏者が観客に礼をしている間に舞台から、黒子のように静かに去っていく。これが正式のマナーのようではある。小林さんは、二人が観客の拍手に礼をしている時、小さく拍手をして、譜面を片付けて静かに舞台を去っていった。まるで黒子の佛様のような姿であった。

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3p1020351   TIMM & 河村義子先生 

4dsc04336  ドレスデントリオ & 河村義子先生

 

人生の譜面をめくる佛様

 人の人生では、時が来ると人生の頁が自ずとめくれていき、その頁の内容に合わせて、両親や祖父祖母がランドセルの準備や学校への入学の手続きをしてくれた。当時は、それに対して感謝の念もお礼も十分ではない。今振り返ると、情けない思いである。それでも時が流れて、学校卒業までは、両親や恩師が人生の頁を黙ってめくってくれた。まるで佛様が我が人生の本の頁を捲ってくれたようだ。その佛様も、いつの間にか私の前から去っていった。「私の亡きあと、一人で人生を頑張れ」と拍手をしながら逝ってしまったのだ。

 会社生活では、必死に人生の頁を自分でめくってきたと思うが、振り返るとその歩みの頁は、佛様が事前に書いた曲を、なぞって弾いてきたように思う。自分の力ではない。周りの仲間が己の曲を演奏させてくれた。感謝。

 会社生活38年間終えたら、定年後の人生で、自分の意思で新しい第二の人生の頁をめくる時なのだ。そのぺージを自分でめくれずに、一日中、テレビの前に座っているのでは、白紙の譜面を眺めて、ピアノの前で座っているが如きである。

 

人生は暗譜演奏

 人生の人生という曲を演奏する原則は、暗譜演奏である。自分で、自分の人生の曲を描いて自分で弾く。その曲は自分が作曲した楽譜に書いてある。誰に頼るのでもなく、自分で作曲して、曲を弾かねば良き人生は創れまい。そして今は、自分が黒子として、後進の譜面をめくってあげる番なのだ。

 生きている以上は、自分独自の人生の音色を出さねばならぬ。観音菩薩様がその音を観ている。そうでないと、見守ってくれている観音菩薩様やご先祖様に申訳がない。

 

最期の譜面をめくる

 一日中、テレビの前に座っているのでは、バックグランドに無伴奏葬礼行進曲が流れなか、白紙の譜面を眺めて、無為に過ごしているようなものだ。その葬礼行進曲を演奏しているのは、一日中、何もやることのない己なのだ。「おくり人」とは、自分自身である。

 日暮れて道遠し、フィナーレは近い。演奏会と違い、人生にアンコールはない。人生二度なし。全ては一期一会だ。うかうかしていると、指の下にある次のページには、葬礼の曲が書かれているやも。人生の道を急げ。

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6039a34461  馬場恵峰書

2019-06-05   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年6月 4日 (火)

小川敏市長は大垣市民の敵?

 小川敏市長は、口では市民のため、市の活性化というが、実際の行動は大垣駅前商店街の店主達を滅亡させる政策ばかりである。その結果は、大垣駅前商店街の寂れたシャッター通りを見れば明らかである。大垣駅前の地価の下落をみれば明白である。小川敏市長は、大垣経済を衰退させた戦犯である。小川敏市長は大垣市民の敵である。

 

智慧とは

 元気ハツラツ市では、大垣駅前商店街と競合する露店が跋扈している。それでは、大垣駅前商店街は衰退の一途である。その愚策を大垣市は10年間も続けている。小川敏市長は、口では商店街の活性化に貢献と言いながら、その逆をやっている。そして大垣駅前商店街は衰退した。小川敏市長はその現実を見て政策を修正することもできない。小川敏市長は、間違いから学べない人なのだ。だから、大垣市はさらに衰退している。

 小川敏市長は知識があっても、智慧が無い。智慧袋(ブレーン)さえいない。そのブレーンも小川敏市長は首を切った。また市長を見限って去って行ったブレーンも多い。先の小倉市長時代には、優秀なブレインが多くいた。先代の市長と大違いである。

 東大は記憶力さえ人並み以上にあれば入学できる。智慧は不要である。小川敏市長は、この19年間の行政実績を見ると智慧とは縁のない人であるようだ。

 

元気ハツラツ市で露天商が跋扈

 元気ハツラツ市では、露店で不潔な路上に置いた商品を売っている。バッタ屋の商売である。こんな商売が大垣駅前通りで横行している。大垣の品位を貶めている。それを黙認している大垣行政は、世間の恥である。これでは大垣が発展するはずがない。大垣駅前商店街の商店と競合する商品を露店で売っていれば、既存の大垣駅前商店街の商店は衰退するばかりである。

 露店で購入した商品の後の保証はどうするのか。文句を言いたくても、問題が露見した時は、その店はどこに行ったか不明である。それを大垣市が保証してくれるのか。

 

違法行為?

 露店で売っている商品が偽物のブランド品や販売許可なき著作権違反のキャラクター商品かもしれない。その違法行為があるかどうかを商店街組合は管理もしていない。

 露天商がきちんと食品衛生法に準拠して営業しているかどうかを、商店街組合は管理をしていない。大垣市も、誰もチェックしていない。

 大垣駅前商店街の商店は、偽物も販売許可なき著作権付き商品も売っていない。ところが露天商は、違法販売や無管理状態で商売している恐れがある。これでは大垣の店舗は、露店商とまともに太刀打ちできない。大垣駅前商店街の全員が露店商売に反対している。それを無視して、小倉理事長は、露店商売を拡販している。なおかつ、大垣市はそれを黙認している。「大垣駅前商店街などつぶれれてしまえ」が小川敏市長の本音ではないのか。この10年間の小川敏市長の言動を見ると、そう思うしかない。なぜ市長は、商店主たちの意見を無視するのか。

 

露天商のやりたい放題

 露店商は決められた場所の範囲を逸脱して、商品を道路一杯に広げている。商店街の店主達は、決められた自分の店舗の区域をきちんと守って商売しているのと大違いである。ルールを破って商売すれば、儲かるに決まっている。ルールを守ったほうが貧乏くじを引くのだ。

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8dsc06319s   元気ハツラツ市の露店  2019年6月2日

無管理状態の露店商売

 その逸脱行為を、小倉大垣商店街組合理事長も松本実行委員長も何も言わない。大垣市の役人も何も言わない。大垣駅前商店街の店主達が怒り心頭である。理事長、実行委員長、市役所の責任放棄である。これでは大垣の商売が乱れて、商店街が衰退するのも故あること。全てそれを管理している、大垣駅前商店街組合、大垣市が怠慢なのだ。その総責任者は小川敏市長である。だから小川敏市長は、大垣市民の敵なのだ。

 小川敏市長は、元気ハツラツ市に来ると、市外の露店商のあいさつ回りで忙しい。しかし大垣駅前商店街の店には決して足を向けない。小川敏市長は、一体、どこの市長なのか。

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  市外の露店業者にあいさつ回りする小川敏市長

  しかし小川敏市長は大垣の店舗にはどこにも挨拶をしない。

  2018年8月5日、元気ハツラツ市

 

元気ハツラツ市の何故?

 ド素人が見ても、元気ハツラツ市が大垣商店街に害毒を与えていることは明白だ。県外の露天商が大垣駅前商店街の商売を邪魔しているのは、サルにもわかることだ。元気ハツラツ市を運営している彼らもバカではない。小川敏市長も小倉理事長も松本実行員会長もその弊害が分かっているはずなのに、それを口にせず、10年も元気ハツラツ市を続けるのはなぜか。

 行政の補助金垂れ流しの元気ハツラツ市の事業も、汚職を吸い寄せやすい体制である。なにせこの10年間、会計報告がないのだ。組合員がそれを会議で請求すると、役員から陰に連れ込まれて叱られるのだ。

 この10年間で1億円前後の金が消えた。効果は、大垣駅前商店街の衰退である。

 

大垣新市庁舎の建設の何故?

 大垣新市庁舎建設が、大垣商店街の活性化に何も貢献しないのは、誰でも分かることを、小川敏市長が、何度も声高らかにそれを言うのはなぜか。東大まで出ている市長が、その論法が間違っていることを知らないわけがない。

 2019年5月29日の商工会議所で、小川敏市長は、今年度の市政方針の発表をした。そこまで新市庁舎の建設のことを冒頭で過剰に宣伝するのはなぜか。新市庁舎の建設のことを最初に言うとは、その事が小川敏市長にとって最優先課題なのだ。誰かが、それを市長に言わせているのではないか。

 新新市庁舎の建設は、大垣経済の活性化に貢献しない。そんなことは商工会議所の会員ならだれでもわかる。それで何故、説明するのか。

 工事費120億円のカネに群がる業者間には、裏金が舞っていると考えるのが常識ではないのか。その費用は岐阜市新市庁舎建設より5割も贅沢なのだ。過剰な贅沢は、汚職の虫を吸い寄せる力がある。

 

大垣駅前商店街組合の何故?

 大垣駅前商店街に自分の店も持たないのに、それでも小倉氏が何期も理事長職にしがみ付くのはなぜか。それも密室での選挙で決まったのだ。

 松本氏の元気ハツラツ市実行委員長の任期は、一期の約束なのに、何年もその座にしがみ付いてその座を譲らないのはなぜか。その選挙も密室内である。

 大垣駅前商店街の店主達が大反対していても、それに耳を貸さず、元気ハツラツ市を続けるのは何故か。これらの職にはよほど美味しいものがあり、手放せないと考えるのが常識ではないのか。これを打破しないと、大垣は衰退の一途である。

 

大垣市制100周年記念行事予算マル秘の何故?

 この行事の予算は3億4千万円である。大垣市長が「勝手に」定めた条例により、その使用用途はマル秘扱いになっている。無理やり100個の行事を作り出し、税金を使いまくった。その予算の公金の使用用途が、何故マル秘なのだ。東大出の頭のいい小川敏市長は、その真の理由を知っているが、喋らない。マル秘にしなければならない理由があるのだ。

 

御用新聞の何故?

 岐阜新聞も中日新聞にも、このことはタブーのようだ。いまだ絶対に記事にならないことで明白である。報道すべきことを報道しないのは、フェイクニュースである。役所の言い分をそのまま掲載するのも、フェイクニュースである。

 

2019-06-04   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年6月 3日 (月)

頭でっかち智慧なき小川敏市長が、大垣を滅ぼす

智慧がないから大垣市衰退の実相が見えない。

 2019年5月29日、大垣商工会議所の定例会議で、小川敏大垣市長は、本年度の市政方針を説明した。そこで醜態の内容を発表した。もっと醜態は、それを聞いた役員議員や県議、市議や会社の経営者達120名が、誰も疑問を感じなかったこと。この記事を書いた岐阜新聞社も中日新聞社も同じである。それが御用新聞の文面に表れている。この両紙は何も大垣の経済の異常事態に気が付かないのか。小川敏市長の説明をそのまま発信する御用新聞は存在価値がない。

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  2019年6月30日、岐阜新聞

 

 小川敏市長は、市政方針の説明で「災害に強い、元気ある、楽しく子育てができる、ロボットを活用した街づくり」を、語った。すべてピント外れの市政方針である。頭でっかちで智慧がない有様である。小川敏行政には知恵袋(優秀なブレーンも逃げ出した)もない。

 「基礎工事をしっかりしている」というが、100周年記念行事の宴に酔い痴れて、行政の基礎工事を放置しているのは、小川敏市政である。

 

小川敏市長の認識

 災害に強い新市庁舎は、新しく作るなら、当たり前の話で、それを自慢するのもおこがましい。それより現在、大垣市の抱える災害に弱い箇所の対策はどうするかは、何も提言しない。自分の家(市庁舎)だけ防災対策をして、市民の家や市内施設は放置なのだ。

 2017年に水没した室村アンダーパスの事故の再発防止策は、まだ何も発表されない。その時、水没した久瀬川地域の対策はどうするのか、全く見えない。

   同じ時期に大垣駅前の地下道が水没した事故の原因とその再発防止策も、まだ何も発表されない。

 大雨が降ると、道路が寸断される大垣の道路状況をどうするのか。道路は、経済の血路である。小川敏市長は、その認識が欠如している。だから大垣市が衰退している。

 起きた災害事故の再発防止を的確にしない体制だから、災害に強い街づくりなど嘘っぱちである。大垣市の役人は火の粉を振り払い、その場しのぎの対処療養をするだけで、真因も追及せず、根本対策も取らない。何が、「災害に強い街づくり」なのだ。お笑いである。

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 2017‎年‎10‎月‎23‎日、‏‎9:51 水没した室村アンダーパス。

 この事故の再発防止は、今だ発表されていない。

 

何が一番大事なのか

 論法の第一に「災害に強い新市庁舎」を持って来ること自体、小川敏市長は新市庁舎しか、考えていないことを示している。論文や話では、一番大事なことを最初にもってくるのが原則である。今、大垣市が抱えている問題は、災害に強い新市庁舎作りの問題ではない。だから小川敏市長の頭は狂っている。まず経済がなりゆかないと、元気になれないし、防災も教育も子育てもうまくいかない。大垣市は経済が衰退しつつある。それも小川敏市長が、愚策の元気ハツラツ市で、大垣の元気をなくしている。

 

大垣元気ハツラツ市を放置

 元気ある都市を目指すと言いながら、大垣駅前商店街は衰退の一途で、元気どころではない。全て小川敏市長の19年間の政策の失敗の結果である。全ての元凶は、大垣元気ハツラツ市である。5月の元気ハツラツ市で、勇気ある80歳の商店主が小川敏市長に噛みついて、改善策を提案したが、この6月2日の元気ハツラツ市では、なにも変わっていなかった。市民が提案しても、大垣市が元気になる手を何も具体的に打ってない小川敏市長である。市民の提案に「俺はそんなことは知らん」とほざく市長である。

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 大垣駅前商店街 西側 シャッター通りとなっている

 すぐ横の大通りでは県外の屋台のオンパレード。県外の業者だけが儲かる。 

 2019年6月2日09:53、元気ハツラツ市 

 

子育ての嘘

 楽しい子育てができる街といいながら、小学校のエアコン設備率は2.1%で県下最低である。大垣市が子供を軽視していることも、エアコン設備率の数値が冷酷にその嘘を明らかにしている。

 元気ハツラツ市では、金儲けに大垣市長名で幼稚園、保育園、諸学校の園児たちを日曜日の炎天下の地獄の舞台に駆り出している。鬼である。なにが楽しい子育てなのか。虚偽のスローガンである。役人は平気でうそを言う。

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 元気ハツラツ市の金儲けの為、日曜日なのに、大垣市長名で駆り出され、踊らされる園児達。園長先生も、予算と人事権で縛られているので、大垣市長に逆らえない。夏の炎天下36度でも踊らされるのは、可哀そうな園児達だ。

 

ロボットは行政に手抜き

 ロボットを活用した新市庁舎の市民対応も、自分達役人が楽をするために、幼稚園児並みの知能しかないロボットに市民の対応をさせようとしているにすぎない。そんなことは、重点政策に取り上げる話ではない。ロボット活用は、自分達の仕事の効率化で、勝手にやればよいことだ。

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  出来合いのロボットを買ってきて並べただけ

 

ロボットより行政の合理化が急務

それよりも、行政の合理化が先である。無駄な組織と機能が重複している。例えば、災害時の弱者救援で

「ひとり暮らし高齢者台帳(大垣市高齢介護課)」、

「安心見守りネットワーク対象者一覧(興文地区社協)、

「大垣市ひとり暮らし高齢者等見守りほっとライン」、

災害時要援護者台帳(大垣市社会福祉課)」、

「災害時個別支援計画(興文地区社協)」、

「緊急連絡の手引き(興文地区社協)」

と同じような組織と台帳が6つもあり、担当組織が6つもあり、各々がダブっている。どこが主体的に動くのか、緊急時に機能するか、全く市民には分からなく、不安である。役職のポストを増やすために、担当課を作っているとしか思えない。税金の無駄である。

 

鉄のロボットより血の通った人の対応を

 大垣市民は血の通った大垣市役所職員の対応を、求めている。大垣市は、当たり前の市民サービスを知能の劣ったロボットで胡麻化そうとしている。現在、ロボットはプログラムされたこと以外は、対応できない劣った知能である。まだ20年は早い。

 それよりも大事なことがあるだろう、と言いたい。まず行政の合理化、大垣経済の立て直しである。それが市の方針のテーマにないのが最大の失政である。

 

現実から逃避の小川敏市長

 小川敏市長は、現在の大垣市が直面している問題を避けている。それとも現実の姿が理解できないのかもしれない。

 なぜ大垣が衰退しているのを問題にしないのか。大垣市の地価だけが、中部地方の他市に比べて下がっている。他市はリニア景気で地価が上昇しているのだ。それこそ大垣衰退の冷酷な事実である。地価はその都市の経済状況を冷酷に表している。地価は嘘を言わない。いわば、社会からレッドカードを切られたのだ。

 なにせ大垣駅前商店街の61%がシャッターを下ろした。それが目に入らない大垣市長である。この8月には百貨店ヤナゲンが閉店する。そうなれば、大垣駅前商店街の80%が店閉める計算となる。

 なぜ大垣を衰退させる元気ハツラツ市が、批判をされながら続けるのか。 よほど、癒着でよほど美味しいものがあるとしか思えない。なにせその行事の会計報告がこの10年間も無いのだ。不正、汚職を疑わざるを得ない。

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  大垣駅前商店街 東側 シャッター通りとなっている

  2019年6月2日、元気ハツラツ市の当日

 

2019-06-03   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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「人生航路で沈没」を防ぐ智慧の力

 人生航路で沈没しないためには、押し寄せる荒波に対して復元力をもつことだ。大きな波を受けて船が右左に傾くのは自然である。それを無理に踏ん張るから、沈没する。大波を受けて傾いても、柳のように受け止めて、元に戻る力を持てばよい。それを受け流す智慧がなくて踏ん張るから、さらに傾いて沈没する。

 

コンプライアンスとはなにか?

 コンプライアンスとは、遵法精神とも訳される。しかしコンプライアンスの源義は、機械用語である。剛性とは、ばねを1キロの加重を与えて、バネが撓んだ値である。つまりばねの強さである。その逆数がコンプライアンスである。式に表すと下記になる。

 コンプライアンス=1/剛性(μm/F)

 コンプライアンスとは、ある入力の値の力に対して、どれだけ撓むか、踏ん張れるかを表す式である。

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具体例

 船の設計では何が一番大切か?

 パワーステアリングを設計する場合、何が一番大切か? 

 人生航路で、何を重視するか? すべて同じ問題である。

 

 船がどんな波の力を受けようと、それに踏ん張る力があれば、耐えられる。それがなければ、柳のように受け流せばよい。それが復元力である。

 パワーステアリングで一番難しい設計要素は、真っすぐに走る操舵能力である。曲がるのは簡単だ。しかし道路のノイズである石ころや凹み等に邪魔されて、真っすぐに走るのが難しいのだ。道路の凸凹に影響されず、真っすぐに走る能力が、パワーステアリングに求められる。

 人生で試練を受けても、それに影響されず目標地に向かって突き進む能力のを表す言葉がコンプライアンス値である。賄賂を提示され、それで筋を曲げてしまえば、その賄賂金額がその人のコンプライアンス値である。それを高い値で持つことだ。それが難しければ、それを受け流す知恵を持つことだ。しかし、基礎体力としてコンプライアンスを高める努力は、人生で必要である。 

 

WASA号という事例

 WASA号は、1625年、スウェーデン国王 Gustavus Ⅱ世 Adolphus の命により建造を開始し、1628年に完成した。当時、世界最大の戦艦。

 排水量   1300 トン

 大砲     64 門

 乗員      435 人

 全長    61 m

 全幅       4.7 m

 全高       51 m

Photo_2 ヴァ―サ号博物館パンフレットより

 

ヴァーサ号博物館 見学記

 ヴァーサ号は、1628年に当時世界最大の木造戦艦として製造された。その約100 年前の1521年にスウェーデン貴族のグスタフ・ヴァーサがスウェーデンを建国し、1523年に王位に就いた。1630年に、ヴァーサ国王の孫グスタフ2世アドルフが、リボリアを征服し、ドイツの新教徒を保護するという名目で、ドイツに侵攻して、第3期30年戦争(スウェーデン戦争)を引き起こした。その後スウェーデンは領土を拡大して、大国時代を迎えることになる。当時スウェーデンは列強に伍し、その勢力拡大を計っていた。ただそれは長くは続かなかった。ヴァーサ号はその時代の戦艦である。その時日本は、やっと関が原の戦いが終わって、徳川の時代になったばかりである。当時の世界で、軍事大国で科学技術の先進国であったのがスウェーデンである。スウェーデンは、なんとドイツに戦争を仕掛けた歴史ある国でもある。かつ国王の名が、「アドロフ」には歴史の因縁を感じる。

 しかしヴァーサ号は設計ミスのため(頭でっかちの不安定構成)、1628年8月10日にストックホルム港から処女航海に出たところ、港湾を出る前に突風に会い、転覆沈没してしまった。大砲の積み過ぎが原因とも言われる。この点で、歴史的な名戦艦である。戦わずに平和的に?沈んだのだから、いかにも未来の平和国家スウェーデンを予見するようなエピソードと言える。とはいえ世界最大の戦艦を建造するとは、スウェーデンは当時の軍事大国であった。

 

 この艦は1961年に334 年ぶりに、水深31mの海底から引き上げられて修復され、現在はヴァーサ号博物館として展示されている。なにせ、沈んだ場所は分かっていたが、技術的な問題でこの時まで、引き上げることが出来なかったとか。極寒のバルト海の底に沈んでいたため、木造艦といってもあまり腐食もせず、原型をほぼ止めており、当時のスウェーデン黄金時代としての艦船装飾、彫刻像、備品等がつぶさに見えて、歴史的な鑑賞には興味深い。だだし、古い木造艦のため、暗く湿っぽい雰囲気はそんなにも楽しいものではない。

 

人生の沈没防止

 ヴァ―サ号は設計ミスで頭でっかちの構造だったのだ。象徴的なメッセージである。人生では、頭でっかちの人間が沈没する。人生では知識より智慧が重要なのだ。智慧が人生の沈没を防いでくれる。

 

人生の安定性

 人生で障害に出会って傾いても、沈没せず復元力があることが大事である。そのために平常心(揺れない心)、常を大切にする心が大事である。障害に出会って揺れてもいいのだ。揺れたら、元に戻る力を持てばよいのだ。

 その心は、準備、実行、後始末、整理整頓(6S)、危機管理から生まれる。

 

アンタは、なんぼで堕ちるんや

 遵法精神というコンプライアンスとは、己が提示された賄賂金額で、曲がるかどうかの値段の意味である。100万円で違法行為を許容すれば、己のコンプライアンス値は100万円である。違法行為に対して、せめて100兆円くらいのコンプライアンス値を持ちたいもの。国家予算と同じだけの金があれば、日本を変えることが出来る。

 

2019-06-03   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月 2日 (日)

Rregret to Mrs. Yoshiko Kawamura

河村義子先生への弔辞(改定) 英訳

        At the funeral of the Mrs. Yoshiko Kawamura on December 27, 2018, Mr. Shigekatsu Tanaka, Executive Secretary of the "Enjoying First-Class Music in the World association", gave a regret. I had heard this for the first time. I had known the greatness of Mrs. Yoshiko Kawamura's activities.

 

Achievement

        Mrs. Yoshiko Kawamura had a close relationship with the German Stuttgart Strings Sextet, Dresden trio, and cellist TIMM, and was bridged by music between Ogaki and Stuttgart. Yoshiko-sensei had contributed to the promotion of Ogaki culture at the world level.

        Yoshiko-sensei, who reproduced on the stage of "Rokudan in WINE" by Mrs. Maru Kiwako Toda, taught us the history of Ogaki-Vienna's music exchange. That's why I was able to visit the Vienna Musikverein and pay a courtesy visit to Dr. OTTO BIBA , the director of the Vienna Musikverein who visited Ogaki 30 years ago.

        Yoshiko-sensei had pioneered Ogaki's musical culture through music activities such as “the Kanadenowa contest”, “Kotone” and , "Enjoying First-Class Music in the World association", in-housing contact concerts, and nursery concerts. Yoshiko-sensei had built many music heritage sites in Ogaki and had raised her successors.

 

 

A turn of fate

  When Yoshiko found a lesion five years ago and found that she could not live as a pianist after surgery, she stopped the surgery and chose the course of treatment for coping therapy and decided to live as a pianist until the end of her life.

  It is also a turn of fate, I had met her as a piano teacher at the same time. She didn't notice it around, didn't emit a loud sound, and I have awe of her. As I thought, I was suggesting from her words in many scenes, but I was not aware of it.

  Since I got along with Yoshiko-sensei, I had met many good friends. I am more than grateful to see the good relationship with Yoshiko-Sensei rather than the sadness of parting. If there is a encounter, there is a parting, this world's impossibility. The better you meet, the more sad you are.

 

Summary

  Mrs.Kawamura Yoshiko, discipline name " Holy watch temple teach music righteousness love sister", means to watch over his disciples with a Kannon-like eye, teach music and dedicate to love for Righteousness. Yoshiko-sensei was a warm person who made one stay in the rain during the hard times in life. This name is a wonderful name that summarizes Yoshiko-sensei's life. I pray for the well-being of Mrs. Yoshiko Kawamura. Conspiracy.

 

 Below is Mr. Shigekatsu Tanaka's Regret

 

Regret

 

Yoshiko-sensei

I am very sad. I have to say sad farewell words.

Yoshiko-sensei had loved the music hall of the Ogaki City Suitopia Center.

  When I was the Executive Director of the Ogaki Culture Corps, I asked for support as a music expert, and I was happy to be an advisor for he Ogaki Culture Corps.

 

  I agree with the desire that the piano always resonates with Suitopia Center, and when I go to purchase a piano that can be used in the lobby to Hamamatsu, Yoshiko-sensei choose the piano. She said that he is wanting to come to Ogaki.

 

  Also, when we overhauled the culture hall and the Steinway & Sons piano in the music hall, I was thinking about giving away to everyone the hammer of the piano played by many people. At Ogaki Municipal Hospital, we asked you to purchase the piano at the lobby concert together. All the pianos were selected by Yoshiko-sensei.

 

  Yoshiko-sensei had been continuing nursery school concert for the children as one of the activities of Kasumi-kai. When we decided to work on such a project to give children a dream as a cultural gift, Yoshiko-sensei had added a program to train students to the next leader.

 

  Furthermore, I also had asked Yoshiko-sensei Christmas concerts at the music hall and the cultural hall, for the sake of classical music to children. Moreover, it was a first time, accompanied by foods and drinks that I had never been to.

  They listened to music, ate sweets, enjoyed only juice, and also enjoyed music and the valley. In the culture hall, we decided to enjoy caramel popcorn in the lobby, so the whole lobby was surrounded by the smell of caramel and the cheers of children. Yoshiko-sensei had told this many times as pleasant memory that such a thing was able to be done.

 

  In these activities to bring up children, Yoshiko-sensei had started up “Kotone(child and sound)”, developed into “Kotone kids”, and they were bridged to the next generation.

 

  After I resigned as Executive Director of he Ogaki Culture Corps, Yoshiko-sensei wants children enjoying the world's top music. For this response, we had been helding the conncrets, Ashinaga concert. After this concert, the collection of impressions of the concert was filled with the excitement of the children, and we were delighted to be with you.

 

  At the second concert of this year, Yoshiko-sensei was forced to be hospitalized due to her illness on the way, and on the day before the operation she was forced to create a program in a difficult time. Besides, she was not able to listen to the concert. However, when she received the review from children, she was really happy and I was just hapy too.

 

  The other day, when I went to the hospital room, Yoshiko-sensei told with a bright eye about the third concert scheduled in September next year. As a performer, I received an e-mail immediately after saying that I had a letter asking President Sawa of Tokyo Art university to promote it.

  But for this Henschel reply, Yoshiko-sensei cried ”I can not keep my life until November!”.by an e-mail to me.

 

 

I'm surprised at your death too early.

Yoshiko-sensei was raising people through music.

   What kind of tone is it in now? Are you listening to Brahms and the Rokudan in Wine?

   A great tone is engraved in the mind of many students, and the power to live with music must grow. Music is a source of heart.

Please keep an eye on the growing students.

Thank you very much Yoshiko-sensei!

 

December 27, 2018

Executive Secretary of the "Enjoying First-Class Music in the World association"

Tanaka Shigekatsu

 

英語でのメッセージ作成のため、見直し改定しました。

2019-06-02   久志能幾研究所 小田泰仙

KUJINOKI Institute Taisen Oda

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

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