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2019年6月 7日 (金)

離陸の美しさ

 2019年6月5日、病後のリハビリを兼ねて、セントレアに飛行機の撮影に行ってきた。セントレアのターミナルビルから出て、展望台の先端までの距離がいつもより長く感じて閉口した。今までは苦にならなかった400mを歩いて、つくづくと体力の低下を痛感した。この4か月間で、16キロの体重減である。体が軽くなったから、軽快に動けるかと思ったら、エンジンの馬力も減ったようだ。途中で一度休まないと展望台の先端までの400mが歩けない。結局、疲れて1時間弱ほど飛行機の離着陸を撮影して、いつもよりも早く引き揚げた。

 それでも、リハビリとしてかなりの距離を歩いたので、効果はあった。翌日朝の体温がいつもより0.2℃も高かった。熟睡もできた。健康は運動からである。

 当日は、病院に定期検診に寄り、昼からセントレアに到着したので、風向きがいつもと逆で、離着陸方向も逆になった。そのため着陸場所は遠く、着陸の撮影が上手くいかなかった。その代わり、離陸の姿を多く撮影出来た。

 

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セントレアの展望台 この先400mが撮影地点

 

人生の再離陸

 飛行機の離陸の姿は、元気を与えてくれる。重力に逆らって、遮二無二エンジンパワーを上げて、地面を離れたら機種を急角度に上げて、飛び立っていく姿は感動である。しずしずと上空から降りてくる着陸とはまた、違った趣がある。

 

離陸というスタート

 病を得て人生療養中の身には、離陸の姿は、人生の大空に向けて、再度飛び立とうという気持ちにさせてくれる眺めである。

 離陸する飛行機は1機だけではない。いろんな会社、国の飛行機が、それぞれの目的地に向かって飛び立っていく。自分も、人生で抱えるプロジェックとは一つではない。私も今まで多くのプロジェクトを飛ばしてきた。これからも夢あるプロジェクトを飛ばせたい。それには、まず離陸させないと、何事も始まらない。何事も始めるのに、遅すぎることはない。離陸の姿を見て、死ぬまでにやりたいことを、一つずつ離陸させようという気持ちが湧いてきた。

 セントレアのレストラン街はアジア系の人で賑わっていた。この場所は、私に刺激を与えてくれた。

 

生死

 離陸する飛行機と着陸してくる飛行機の数は同じである。飛び立てば、必ず着陸せねばならぬ。プロジェクトを始めれば、必ずその終結がある。生まれれば、必ず死がある。飛行機の離着陸は、人生を感じさせてくれる風景である。

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2019-06-07   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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